遥かな永遠を一緒に   作:鐘餅

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遥かな永遠を一緒に 四話 後編

 こうして手伝うことになった、童の母親探し。

 とはいえ、まずどうすればいいものか。

 とりあえずの手がかりを童に聞いてみた。

 すると、童はこう答えた。

 

「母様は綺麗な風景や珍しい光景が大好きで、よくそういうところの近くにいます。あと、僕の知り合いに母の知人がいるんですけど、その方は不思議と母の居場所が分かるみたいでして。ですがその方は、母様以上に好き勝手に他のところに行くので、どうしても母様より発見しづらく、全然当てになりません。ですので、母様の最近の興味から、行きそうな場所を推察して探す他ありませぬね」

 

 つまり、あまり手がかりはないということだった。

 思わず、とわは童に同情してしまった。

 

「それは……随分と大変だったんだね」

「まったくです」

 

 童はうんざりしたように溜息を吐いた。心なしか大分苦労が滲み出ている。

 

「けど、綺麗な風景とかならたくさん知ってるよ。いつもよく行ってるし」

「本当ですか!?」

「うん。あとそれと、お母さんやその知人の人の持ち物とかってない?」

「? そんなものどうするんですか?」

 

 童は不思議そうにしつつも、素直に箱を開けた。

 その中は何も見えなかった。底無し沼のように黒い闇が蠢いており、童が手を突っ込めば、その大きさを無視して一の腕の半分辺りまでを飲み込んだ。

 その状態でかき混ぜる様に、ガサゴソと手を動かす。

 やがて、顔をぱっと明るくさせ、童は腕を引き抜いた。

 その手には小さな珊瑚の枝が握られている。

 

「どうぞ、とわさん」

「……ありがとう」

 

 とわは受け取りながら、さっきのは一体なんだ、とすんでのところで聞きそうになった。

 その摩訶不思議な箱が気になって仕方がなかったのだ。

 でも、期待を込めた童の視線に負け、まずはこちらが先だと、ふんふんと臭いを嗅ぐ。

 大分薄れているが、潮の香りと混ざって、生臭い爬虫類のような臭いがした。

 多分これが、童の知人の臭いだろう。

 

「よし、覚えたよ」

 

 珊瑚の枝を返すと、童は再びそれを箱の中にしまった。

 そしてさっきの仕草でバレたのか、小首を傾げ、確認するように聞いてくる。

 

「とわさん。もしかして、鼻が良いんですか?」

「私、犬の半妖だからね。この臭いがあれば、少し参考になるかもって思って」

「……そうですか。ですが、さっきも言った通り知人の方はあちこち動き回って、何処にいるか分かりませぬし……、母の私物があればそれが一番良かったかもしれませんね」

 

 童はそう言って、寂しく苦笑いを浮かべた。

 

 それから、とわと童は母親探しを始めた。

 童から彼の母が好きそうな風景を聞いて、近場で知る限り、それに特徴が合致しそうな場所を巡る。

 まずは海。その次は山。川を下って、狭い通り道を過ぎ、花畑にくる。

 しかしそう簡単に見つかるものではなく、童の母は姿形さえ見当たらなかった。

 そのため、段々と童は気を落とし始めたようで、それを誤魔化すためか、過剰に元気を出してとわに話しかけ続けた。

 

「色々見ましたが、どれも母様に見せたいぐらい綺麗なところばかりです。こんなにも素敵な場所を沢山知っているなんて、母様と同じで、風景を見たりするのが好きなんですか?」

「うーん、どうだろう。分かんないなぁ。だけど、理玖がよくこういうところに連れて行ってくれるんだあ」

「……誰?」

 

 と、そこで童は疑問に思ったのか、眉を顰めた。

 そして数秒考えた後にハッとし、わざとらしく大声を出して叫ぶ。

 

「あー、分かった! 男ですね! 男!」

「!? ちょ、ちょっと待って、急に何を言って……!」

「いやあ、とわさん。男がいるんですか。見かけによらず、大分……。ふふっ、一体どんな人なんですかあ? 気になりますねぇ」

 

 ニヤニヤニヤ。

 そんな擬音がつきそうな、悪い顔を浮かべる童。

 そういうところに興味を示す彼こそ、見かけによらない。

 

「その理玖さんって男の人と、逢瀬でこんな場所を回ってるなんて、それこそ浪漫的ではないですか。そのままイチャイチャしまくってんですか? 恋仲らしく」

「っ、こ、恋仲って!! た、確かにデートはしてるけど、そこまで行ってないから! イチャイチャなんてしてないから!」

 

 恥ずかしさから、とわは必死に誤魔化す。

 すると、童はあからさまにがっかりした。

 

「えー、そんなー。つまんな……ではなく、ごほん。残念です」

「……今、つまんないって言いかけてなかった?」

「気のせいです」

 

 バレバレなのに、童は笑顔ではっきりと言い切った。

 どうやら割と、良い性格をしているようである。

 

「でも恋仲でないなら、どうしてそんなにも逢瀬をしているのです? その方とやはり特別な関係なのではないですか?」

「だから、さっきも言ったみたいに、まだ特別な関係じゃないってば。……ただ理玖とは、居場所について一緒に考えようって約束しててさ。それで一緒に色々と見て回ってるだけっていうか……」

「居場所、ですか」

 

 童は何かを考えるように、ぽつりと呟いた。

 

「……とわさんは何故そのようなものを考えるのです? それって考えるだけ苦しくないですか?」

「? 君はどうしてそう思うの?」

「だって、居場所を考えるってことは、自分と向き合うってことでしょ」

 

 童の言うことに、とわは息を飲んだ。

 童は遠くを見ながら続ける。

 

「これ程辛いものはありません。自分ほど分からないのはないし、その不可解なものに向き合うと、途端どうしたら良いか分からなくて、ぐちゃぐちゃになります。怖くなります」

「……」

「とわさんには悪いですが、だったらもう、目を逸らし続けた方が楽だと僕は思います。立ち向かわず、眠るように自分の気持ちに蓋をするんですよ」

「……でもそれって後悔しない? それに気持ちを抑えつけたら、いつか爆発しちゃうでしょ」

「その時はその時で、また逃げれば良いんです。逃げ続ければ、とにかく恐怖からは解放されます」

 

 この年にして随分と後ろ向きなことを、童は言うのだった。それが悲しくも思えたが、だからといって、童を頭ごなしに否定することも出来なかった。

 それから童は「あ、でも」と慌てて付け足すように、

 

「だからって別に、とわさんのことを馬鹿にしてるとか、そんなんじゃないんです。自分に向き合うことは怖いって分かってるから、尚更尊敬するし、凄いなあって言いたいだけなんです」

「……そっか。ありがとう」

 

 礼を言うと、照れたように童は顔を赤くさせた。

 だが、そっぽを向きながも、喋るのをやめない。

 

「……それで、その理玖さんって方も、居場所について悩んでいるんですか?」

「そうだよ」

「ならその方も、凄い方ですね。僕には真似できないです」

 

 童は眩しそうに目を細めて、会ったこともない理玖を誉めた。悪い気はしなかったが、とわはなんだか大袈裟だと思った。

 何故なら、自分も理玖も、きっと童のイメージするような凄さはない。

 人並みに臆病だし、人並みに迷うし、特にとわはさっきまで、どうしてこんなに悩むんだと途方に暮れていた。

 ただ、それでも悩みに対して向き合おうと思えるのは、理玖と一緒に考えているから。家族に囲まれて、一人じゃないからだ。

 

「私が今こうしていられるのは、不安でもそれを皆に支えてもらってるからだと思う。じゃなかったら、きっと私は潰れてるよ」

「……そうなんですか?」

「うん。だから君もさ、自分と向き合うのが怖いなら、誰か……例えばお母さんとかに話してみるのが良いんじゃないかな。そうしたら、きっと君のその恐怖も薄れると思うな」

 

 そう言えば、童は少しだけ困った顔をした。それはとわの気遣いが嬉しくもあり、悲しくもある、といった感じだった。

 

(――この臭いは)

 

 と、ぴたりととわは止まった。

 訝しそうにする童。

 だが何の説明もなく、とわは童を連れてそこら辺の茂みに身を隠した。

 少し顔を上げて、前方を伺う。

 やはりこの臭い、間違いなかった。

 

 三メートルはあろうかという巨躯に、顔いっぱいに広がる硝子のような赤い複眼。その口にも虫のような牙が生えていて、サイズの合っていない鎖帷子を、内側の立派な筋肉がパンパンに圧迫している。

 そのくせ、その腕から先は蟷螂みたいなヒョロイ折れ曲がった鎌がついていて、いかにもアンバラスといった感じだった。

 しかし侮ることなかれ。

 こう見えて、なかなかに強い。

 とわも一回だけ遭遇したことがあったが、あの時はかなり苦戦した。もろはとせつながいたからまだ良かったものの、一人ではどうなっていただろうか。

 そんな妖怪が、先を彷徨いているのである。今は童もいるし、危険だった。

 

「……引き返そう」

 

 判断は一瞬だった。

 童は何か言いたそうにしていたが、とわに口を塞がれて、仕方なく抵抗を止めた。

 そのまま音を立てぬよう、二人はジリジリと茂みの中を後退した。

 そうして、そのまま、遠くへ離れて……、

 

「っ!!」

 

 妖怪の複眼がこちらを見つめる。

 気づかれた。

 あと一歩で完全に逃げ出せたところだったのに。

 悔しさから、とわは唇を噛み締める。

 こうなったらもう、自分が囮になって童を逃すしかないだろう。

 そう思い、叫ぼうとしたその時。

 

「……あ、ちょっと!」

 

 童は反射的にか、茂みの中から唐突に飛び出した。

 こちらに突進してくる妖怪を恐れもせず、彼は実にゆったりとした歩みで歩を進める。

 そして、その距離が瞬く間にゼロになったその時。

 妖怪の鎌が、とわの目をしても捉えられないスピードで振るわれた。

 とわは瞬間、それがいとも容易く、童の小柄な体を引き裂くところを幻視した。

 しかし、どうしたことか。

 実際には、そんな場面は訪れなかった。

 どころか、瞬きした次の瞬間……大きな音が響き、驚くべき光景が目に映った。

 

「ア……ギギ……!!」

 

 なんと、妖怪が腕を切り裂かれ、遠くに転がったのだ。

 当然童は無傷。

 妖怪は戸惑うような挙動で声を上げた。

 何が起こったのか分からなかったのだろう。

 とわも一瞬、何がなんだか分からなかった。

 でも、すぐに理解した。

 

 いつの間にか開けられた童の箱。

 その中から、闇の深淵より鉤爪のような触手が一本、伸びていた。

 それは鎌が振るわれるより速く動いたのだろう。

 そして、振り払うついで、その力の強さのあまり、妖怪の腕を切り裂くどころかぶっ飛ばしたのである。

 

 予想外のことに、声が出ない。

 何も手が出せない。

 

 妖怪は起き上がったものの、あまりの痛みで上手く動けないらしく、よろけて数歩下がれば、その切られた腕の断面からごぽりと泡のような液体と共に鮮血が零れ落ち、足元の草を赤く染め上げた。

 なんともグロテスクな光景だが、童は動揺せずに敵を睨みつけていた。

 

 彼は攻撃の手を緩めない。

 更に二本、三本、四本と、箱から無数に触手の数を増やし、一斉に伸ばす。

 触手は花開くように展開された。

 妖怪に絡みつくと、箱の中へ瞬く間に引っ込んでいく。

 それに伴い、妖怪もその質量を無視して、箱の内部に広がる闇へ飲み込まれた。

 そして童が蓋を閉じれば、途端――バキャ、ゴキャ、バリバリ!!

 まるでそれ自体が一つの口のようにガタガタと蓋の上下が蠢き、咀嚼音が響く。

 やがて、再び童が箱を開けると、ぷっとバラバラに砕けた妖怪の骨を吐き出した。

 

「うぇー、不味いー」

 

 童は顔を顰めて舌を出した。箱と味覚が直結しているのだろうか。

 

「えーと……」

 

 先程までぽかんとしていたとわは、茂みから出て、なんとか声をかける。

 すると、童ははっとしたようにビクリとなった。

 慌てて、一言「すみません」と謝る。

 

「逃がそうとしてくれたのに、勝手な真似しましたよね、僕。決して不快にさせようとか、そんなんじゃなく、お手を煩わせまいと思っての行動だったのですが……」

「別にそんな恐縮しなくて良いよ。こっちだって、守ってもらった形になったし。ありがとうね」

「いえ、こちらこそさっきは助けようとしてくれてありがとございます」

「……それよりも君、結構強かったんだね」

「まあ、母様の子ですから。これくらいは当然のことなのです」

 

 先程と一転、褒められて嬉しかったのか、ふふん、と胸を張る童。

 とわは彼の持つ箱をじっと見つめた。

 膨大な妖気。

 死臭はそこから発せられていた。

 さっきのを見ても、そして童が珊瑚を取り出した際の時を見ても、明らかにただの箱じゃないのは明白だ。

 

 少し確認しなければならない、と思った。

 あまり根掘り葉掘り聞くのもアレだが、異常過ぎるのである。

 

「あのさ。その箱ってなんなの?」

 

 とわは、今まで聞きそびれていた質問をぶつけてみた。

 童はますます機嫌を良くしたのか、得意げに話してくれた。

 

「よくぞ聞いてくれました! この箱はですね、まさしく母様のお力そのもの。あらゆるものを蒐集し、あらゆるものをその内に納め、万物の時間を停止させる呪具なんですよ。

 本当に何でも吸い込めるんです! それこそ、妖怪だろうが、人間だろうが、半妖だろうが!! さっきのも母様が欲しいって言った妖怪を操って使役した結果なのです!」

 

 一気にそこまで喋りたて、童は鼻息を荒くする。まるで、「どうよ、母様凄いでしょ、ねえねえ、凄いでしょ!?」と言わんばかりである。

 が、とわはそんなことより、説明を聞いて非常に驚き、思考を停止させていた。

 

(待って。それって、理玖に聞いたことある“箱”の大妖怪と同じじゃ――)

 

「――余計なこと喋ってんじゃないわよぉ、このチビ助」

 

 その時だ。

 大気を震わせる、そんな低い女の声が聞こえた。

 とわ達は頭上を見やる。

 遠くの空、そこに浮かんでいるのは、翡翠の鱗を持つ龍であった。

 その長い体を畝らせ、ゆっくりと下降してくる。側に降り立つと、その風圧だけで周りの木々の葉を鳴らし、とわ達の着物や髪も激しく靡いた。

 そして風が修まると、あの珊瑚から嗅いだ臭いがした。

 

(……!? ってことは、この子のお母さんの知り合い?)

 

 とわは当然のことにびっくりして、改めてその巨体を見上げる。

 

 全長はおよそ十メートルにもなろうか。

 その影にとわ達はすっぽりと覆われ、太陽も遮られて視界が悪い。

 ただ光は漏れ出ていて、それは太陽を隠している龍の一部分の輪郭を、僅かにダイヤモンドリングのように白くなぞり、翡翠の鱗を煌めかせている。

 おかげでその凶悪でぎろりとした金の目が笑っていることも分かったし、そのとわの腕の一回りどころか、二回りはありそうなぶっとい牙が、口にぎっしり敷き詰められているのも見えた。

 顔は鰐に似ている。

 頭部から鹿のような立派な角を二対生やし、鼻からは泥鰌の如き髭を長く伸ばす。その立髪は背骨をなぞる様に存在し、小さくも鋭い鉤爪が胴体にくっついている。

 その威容はまさに、壮麗にして荘厳。

 なんとその姿は美しいことか。

 

 ほんの少しのだけ、とわはその龍に見惚れた。龍もまた、しばし無言で二人を見つめていた。

 そうして、瞳を細めると、

 

「まったく、このチビ助は」

 

 龍はこれまたゆっくりとした動作で、大きな顔を至近距離まで近付かせた。

 口調は乱暴ながら、親しみのある声で話しかける。

 

「チビ助、アホ面下げてそこで何してんのよ。どうせまた母親探しでしょう。まったくバカじゃないの、チビ助。諦めろと言ったのに、本当にお前は低脳ねぇ、チビ助」

「チビ助、チビ助、うっさいです! あと三回も罵倒する言葉を言わないで下さい!」

 

 ぴょんぴょんと飛び上がって、童は抗議する。龍はゆったりとした口調ながら、うんざりとした風に答えた。

 

「事実だから仕方ないじゃなぁい。ていうか、お前の方こそうっさいのよぉ。良い加減お黙りぃ」

「えー、酷いです! 相変わらず冷たいです!」

 

 ぷんぷんと怒る童を龍は無視した。その金の瞳が動き、とわに向けられる。思わずどきりとなった。

 

「でぇ? そっちの子、誰よぉ」

「あ、この人、とわさん! 母様を一緒に探してくれてる最中なんです」

 

 とわが答える前に、童が彼女を紹介した。龍は興味なさげにするも、「そぉ。殊勝なことするお嬢ちゃんねぇ」と緩慢な動きで、とわに頭を押し付けるようにして臭いを嗅ぐ。

 そして、しばらくそうしていると、少し顔を離して口の端を釣り上げた。

 

「あらやだ。この子半妖じゃなぁい? しかも殺生丸様の臭いがするわぁ」

「え!?」

 

 その情報を聞いて、ぎょっとしたように童はびびった。「まさかそんな妖怪と会ってるなんて……」とぶつぶつと呟く。

 反対にとわはきょとんとして小首を傾げる。

 

「父上のこと知ってるんですか?」

「じゃあ逆に聞くけど、あんな高貴で強い妖怪、知らない方がおかしくなぁい?」

「それは……確かに」

 

 言われれば納得であった。

 頷くしかない。

 

「ああ、父上ってことは、お嬢ちゃんは殺生丸様の娘なのねぇ。それなら、貴女のことも知っているわ。有名よぉ。何でもあの東雲の麒麟丸を倒した夜叉姫らしいじゃない。そんな娘と会えるなんて光栄だわぁ」

 

 かかかかか、と。

 特徴的な音を喉の奥で鳴らして、龍は笑う。

 不思議と馬鹿にされてる感じはしない。それよりも、むしろ心からの賛美に満ち溢れている。

 

「それにチビ助のお守りもしてくれたみたいだしねぇ。どうせその子、母親が見つからないってびーびー泣いて、しょんべん垂らしてたんでしょぉ? 大変だったと思うわぁ」

「ちょ、そんなことないもん! 泣いてなんかないもん! 馬鹿にしないで下さい!」

 

 童は怒って、ぽかぽかと全力で龍の頭を叩く。

 しかし、それは龍にとって文字通りの児戯であるらしく、面倒臭そうにしていた。

 

「あー、はいはい。スゴイネ、ナカナカッタンダネ、エライネ」

「酷い棒読みです。やっぱ馬鹿にしてますね」

 

 これ以上は無駄だと思ったのか、童は叩くのを止めつつも、むっとした。

 そして、単調直入に本題へ入る。

 

「それよりも母様です。今母様は何処にいるんですか。貴女なら母様の居場所が分かりますよね」

「……そうねぇ」

 

 頭が高く持ち上げられ、ふぅううう。龍が生暖かい風のような溜息を吐いた。

 

「これよりずぅーと行った先に、お前の母様はいるわよ」

「本当ですか!!」

「ええ」

「やったー! ありがとうございます!」

 

 飛び上がらんばかりに喜ぶ童。ついとわも口元を綻ばせる。

 

「良かったね!」

「はい! これで母様と会えます!」

 

 実に嬉しそうに微笑み、ひとしきり童ははしゃいだ。

 それから一言お礼を言って、この先の道へ走っていった。

 目にも止まらなぬ速さで二十メートルぐらい進んだところで、童は振り返る。

 

「とわさん!! これ、お礼です!」

「え……うわ!?」

 

 ふと頭上から何かが降ってきた。

 慌ててキャッチすると、それは甘い臭いのする林檎だった。

 和林檎ではない。この時代にはない、西洋の大きな丸い林檎だった。

 

 童は悪戯ぽく微笑んだ。

 大きく手を振ってから、去っていってしまう。

 

「……あらま、慌ただしいわねぇ」

 

 龍は微笑ましげに呟いた。

 

「こんな南蛮の林檎なんてもの、一体どこで手に入れたのやら。宣教師から奪ったとかかしら」

「宣教師……って、確か外国から来た、宗教を広めてる人のこと?」

「そうよ。吉利支丹」

 

 とわが歴史の授業を思い出すと、龍は頷いた。

 

「昔々ね、彼らの神話である聖書ってものを読んでみたことがあるの。そこに書かれていたこと曰く、林檎は禁断の果実、ということだったらしいわぁ」

「? どういう意味ですか?」

「あのね。吉利支丹の神話では、人間の始祖はアダムとイブって呼ばれてるの。彼らは楽園で平和に暮らしてたんだけど、ある日一匹の蛇に唆され、神に禁じられた知恵の実である林檎を食べてしまった。おかげで今まで無垢であった二人は知恵を知って堕落し、神に楽園を追放されたの。つまりね、林檎は手にしちゃいけないもの、手に入れたらえらい目に合うものの象徴なのよ」

 

 龍は含みのある瞳を細め、詳しく語ってくれた。

 とわはまじまじと林檎を見つめてしまう。

 何故かさっきの話が、酷く胸に刻み込まれてしまっていた。自分と無関係ではないと、何故か感じていた。

 それは奇妙な予感であったけど。

 

「ま、そんな話、チビ助は知らないでしょうけどね。気にすることなく、早く食べちゃいなさぁい」

 

 龍は苦笑した。

 その上げていた頭をゆっくりと下げ、まるで伏せるような姿勢を取ると、言った。

 

「乗りなさい、お嬢ちゃん。家まで送っていってあげるわぁ」

「……良いんですか?」

「チビ助の面倒を見てくれたお礼よぉ。林檎は渡せないけど、これぐらいはね」

「じゃあ……」

 

 とわは林檎を懐に仕舞い、おずおずと龍の頭に乗った。村の方角を伝え、その角をしっかりと握る。龍はそれを感触だけで確かめるように、少しだけ身動きし、

 

「それでは、飛ぶわよぉ」

 

 次の瞬間には、勢いよく地面から飛び立った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

「う、うああああああ!!!」

 

 風を真正面から受けて、とわは叫んだ。

 ぐんぐんと上がる視界、急速に襲ってくる浮遊感。まるでジェットコースターにでも乗ってるみたいで、しかも命綱さえもないのだから、これ程怖いものはない。

 思わずぎゅっと目を瞑り、角を折れんばかりに握りしめる。

 だが、上昇がある程度終わると、すぐに安定した。

 とわは恐る恐る、目を開ける。

 すると、雄大な光景が広がった。何処までも広がる地平線も見えるし、緑の森に、遠くの山々、小さい町、何もかも、すべてミニチュアに見えた。

 ほう、と息を飲む。

 いつも理玖と辺りを回ってることもあり、その場所を見つけては、これはこれで面白い眺めだと、とわは思った。

 

「どうかしらぁ。結構良いでしょ?」

 

 龍が楽しげに聞いてくる。

 とわは「はい!」と元気良く答え、その綺麗な光景を見るのに夢中になった。

 

「ん? あれは……」

 

 と、とわはそこで気づいた。豆粒程であるが、見知った姿が走っていくのが見える。

 

「チビ助ねえ」

 

 龍は呟いた。

 

 二人で見守っていると、その影……童はやがて、ある岩陰に辿り着いた。

 その側に浮かぶのは、黒い髪をまとめた、長い袖の着物を着た女だ。童の母親だろう。

 だが、童がようやくと言った感じで嬉々と話しかけても、反応一つ返さない。

 表情は見えないが、無視しているという感じではない。あれは認識できないという感じだ。それでもめげずに話しかけては、童は母の袖を引っ張って連れて行く。

 しかし。

 次の瞬間、霞のように女は消えた。

 童はぎょっとして、捕まえるように飛びつく。

 でも当然、虚しくその手は空を切るだけ。後はつんのめって地面に転けた。

 

 童はぴゃーんと泣いた。

 きょろきょろと辺りを見渡し、落ち込んだように座り込む。

 そしてしばらくしてから、またぐすぐすと涙を拭いながら、必死な様子で走っていくのだった。

 

「……」

 

 とわはその一部始終を、胸が痛くなるような気持ちで見ていた。

 詳しい事情は分からない。あの母親が何であんな状態で、何で消えたのか。

 でも、童が母に会えたのは、ほんの一分にも満たない時間で。

 また童が母を探しに行ったと思うと、いてもたってもいられなかった。放っておけなかった。

 

「あの、あの子、追いかけないと……!」

「無駄よぉ。どうせいつものことだから」

 

 龍はばっさりと、とわの言うことを拒否した。どうしてだ、と無言で訴えると、龍は答えた。

 

「引き止めて面倒を見たところで、あの子の終わらない繰り返しに付き合わされるだけよぉ。

 今見たみたいに、あの子の母親はボケ老人と同じで、周りを正しく認識できないわぁ。しかもあの子、元は正しく生まれてこなかった命なの」

 

 とわは童の正体に目を見開く。龍は気にすることなく続けた。

 

「母親に気づかれることもなく、お腹の中で母体と一緒に死んでしまった小さい命が、ひょんなことから蘇生したことで生まれた妖怪。それがあの子よぉ。

 だから、母親にとってあの子はいないも同然で、あの子をほったからして好き勝手に何処かに行ってしまうの。あの子はそれを分かった上で、母親を探し続ける。自ら望んで無駄なことをやってんだから、ほったらかしておくのが吉ってもんなのよぉ」

「……そんなことって」

 

 あんまりにも酷くて、悲惨だ。

 龍の言う通り、終わりのない繰り返しだ。それは地獄のような苦行であり、決して報われることもない。

 どうにかすべきだ。

 それか、いっそ、止めさせるべきなのでは?

 そう思うと、龍が先回りして言った。

 

「あたしもお嬢ちゃんと同じことを思って、何度もあの子に忠告したの。でも、あの子は全然、言うことを聞かないわぁ。むしろ、その繰り返しから解放されるのを嫌がってる。あの子は無意識に、今の状態が続けば良いと思ってるんだわぁ」

「……、何で……」

「そりゃ、母親を探し続ける限り、余計なこと考えなくていいからでしょうねぇ。他に何かを求めてしまうと、途端自分が惨めな立場だって思い知らされるもの」

「……」

 

 とわはあの童が言っていたことを思い出した。

 自分と向き合うのは怖い。

 目を逸らしていた方がマシだと。

 それにとわはなんて返したか。

 ……自分は、随分と残酷なことを言わなかっただろうか。

 とわは猛烈に自分に対する怒りに襲われた。

 けれど、もうどうしようもなく、龍は方向転換して飛んでいく。

 

 そのまま無言でいると、ふと話しかけられた。

 

「お嬢ちゃん。あのチビ助のことより、むしろ自分のことを気にするべきじゃなぁい? 貴女何かに悩んでんでしょう?」

「……!」

 

 そう言われ、とわは素直に驚いた。どうして分かったんだと龍に聞く。

 

「何故、そのことを?」

「あたし、大体その人の目を見てれば、何を考えているのか分かるの。謂わば人生経験というやつねぇ」

「人生経験……」

「そう。こう見えてあたし、もうお婆ちゃんなのよぉ」

 

 かかかかっ、かかかかかかかっ。

 龍はあの喉の奥で鳴らす特徴的な笑い声を響かせた。

 

「良ければ相談に乗るわよぉ。お嬢ちゃん。あ、ちなみにまだ名乗ってなかったけど、あたしは水面っていうの。よろしくねぇ」

 

 前後でまったく関係のないことを言って、龍――水面は、マイペースに話しかける。

 それは確かに老人特有の何かを感じさせ、本当に言う通り、結構なお年寄りなのかもしれないと、とわは思った。

 そしてそう思うと何故か、少しぐらい悩むを打ち明けても良いんじゃないか、という気持ちになってきた。

 多分、たまには、見ず知らずの他人と話をしたかったのかもしれない。

 それに老齢であれば、深い意見も聞けるかもしれないと浅はかにも考えた。

 

 とわは、ぽつりぽつりと話す。

 

「私、今居場所について悩んでるんですけど」

「ええ」

「仲間達はそれぞれどう生きていくかはっきりしてるのに、私だけがなんか宙ぶらりんで、どう生きていけば良いのか、良く分かんなくて。ずっとずっと考え続けているんです」

「……成る程ねぇ。それはまた随分と難しい問題だわねぇ」

 

 すべてを聞き終わると、同情するように水面は言った。懐かしむような声音で、

 

「まあ、考えてるだけ、とても立派だけどね。あたしがお嬢ちゃんぐらいの時は、なーんも考えてなかったわぁ。あのチビ助とおんなじアホだった。ただ目の前のことに縋り付いて、目を塞ぎ、とにかく逃げて、逃げて、逃げて……。気がつけば大切なものを取りこぼしてしまっていたの」

「……」

「そうして、あたしはすべてを失った。すべてを失ったから、さらに何も見たくなくなった。あたしは閉じ籠もることを選び、やがて、あの箱の奴の愛玩動物に成り下がった。それは結構居心地の良い鳥籠だったけど、そんな逃げたあたしだったから、奴が愛を知った時、何も助けられなかった」

 

 滔々と。

 淀みなく無機質に、水面は自分の人生を語った。

 その半分は理解できなかったが、しかし何か大切なものをこの龍は伝えようとしていた。

 

「……結局のところ、自分と向き合わなければ後悔しか残らず、それは胸の内から炎となって燻り、全身を焼き尽くす。チビ助は逃げられると思ってるみたいだけど、そうじゃない。いつか必ず、追いついてくる」

「……」

「だからね、お嬢ちゃん。あたし達みたいに逃げないようにね。考えるのやめたらいけない。目を逸らしちゃいけない。ただ真っ直ぐそこを見続けるの。でも、難しく考える必要はないわ。選択肢は一つじゃなくて良いし、居場所は何個あったって構わない。常識が正解とも限らないし、むしろ間違ってる時もある。大切なのは、変なものに囚われないで、自分の気持ちに正直でいることねぇ」

「自分の気持ちに正直に……」

 

 水面の言うこと繰り返す。

 すると、その言葉が自分の中にするりと沁みてくる。

 龍は「自分を信じるって、結構大切なことなのよぉ」と笑った。

 

「時には、誰も助けてくれない時もあるからねぇ。そして、この世界は美しいのと同じくらい残酷で、汚いものばかりなの。その分、お嬢ちゃんは戦わないといけないのよぉ」

 

 龍は下降を開始した。

 一気に、ぐんと視界が揺れる。まるで流星のように落ちていく最中、最初に水面に乗った時のように、とわは叫んだ。

 落ちないように力を込めて踏ん張る。

 と、数秒で胃がひっくり返るような衝撃が止んだ。気がつけば水面は地面に降り立っていて、伏せるような体勢をとっている。

 

「ここら辺で、良いかしらね」

「あ……」

 

 見れば、麓の方には村が見える。

 ちゃんと無事に送り届けてくれたらしい。

 とわは礼を言って、水面から降りた。水面はその巨体を上げて、にぃと牙を見せて笑った。

 

「それじゃあね、お嬢ちゃん。元気にやんなさい」

「はい。水面さんこそ、お元気で。相談に乗ってくれてありがとうございました」

「それくらいどうってことないわよぉ。……っと、ああそうだ。最後に一つ言い忘れてたわぁ」

 

 まるで今思いついたような口調で、わざとらしく水面は言った。

 

「お嬢ちゃん。貴女、半妖の割に人間の見た目よね」

「え?」

「別におかしいってこともないし、半妖それぞれに個性もあるから、単に人間のお母さんの形質が見た目に表れたってことだろうけど。でも、化け物の姿でない分、残酷なのかもしれないわねぇ」

「ざ、残酷……?」

「だって、人間の中に下手に溶け込めるもの。そして異常な力を持ちながら、自分を人間のように思い込む。種族が違う以上、“時の流れ”は全然違うのに。それがどういったことか……これから先どんな目に合うか、お嬢ちゃんも分かんないわよぉ?」

 

 とわには、水面が何を言っているかまったく分からなかった。

 その意味を問いただそうとする。しかし、その前に水面は空に飛んでいた。一瞬だけ舞い上がった風に、とわの髪が靡く。

 

「今度こそ、じゃあね。居場所を考えるのなら、今言ったこと、しっかり考えなさいよぉ」

 

 水面はそれだけを言い残すと、あっという間に空を泳いで彼方に消えた。

 それを見送りながら、とわは思った。

 

「“時の流れ”が違うって、どういうことなんだろう……」

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