U.C.メーデー!:航空宇宙事故の真実と真相   作:AzureSky

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月は見えているか②

 

「普通のパイロットなら、諦めてしまうでしょう。船体は半分、エンジンも無い、航法システムもダウン。おまけに月へ墜落中です」

 

107便のクルーは、最悪の事態を回避しようと奮闘しています。このままでは、1時間もしないうちに月面へ衝突してしまうでしょう。

 

『船長、ΔVは約150m毎秒です』

『ううむ、元の軌道へ入るのは不可能か』

 

「ΔVとは、残った燃料を使ってどれくらいの加速ができるかの指標です。幸運にも107便にはまだ第1から第4までのRCS……姿勢制御用スラスターが残っており、少しだけなら軌道を変えることが可能でした」

 

爆発の衝撃と船体の分解によってルナライン107便の軌道は月の左側をかすめるはずが針路が右に大きく変わり、また速度も速くなっています。単純に月から離れる方向にRCSを噴射しても、減速量は焼け石に水です。

 

『待て、月の右を抜けるのはどうだ?』

『ええ、いや、しかし!』

 

ジョン操舵手は動揺します。これは、非常に危険な提案でした。

 

「サイド5とサイド3は月を挟んで反対側にあり、通常は燃料の節約のため減速スイングバイの航路を取ります。しかし、サイド5から月の右側を抜けると加速スイングバイとなり、既に速度超過状態のうえ減速手段を持たない107便は地球の周回軌道からも離れてしまう恐れがあったのです」

 

『このままでは衝突は避けられない。だったら、月をすり抜けた後に救助が受けられるチャンスに賭けるべきだ』

『……そうですね、加速スイングバイ軌道に修正を試みます』

『第2ブリッジ、聞いての通り墜落を回避するため加速スイングバイへ軌道を移す。君たちは救援信号の発信を続けてくれ』

《了解、船長の判断を支持します》

 

リアクションホイールで方位を修正したあと、慎重にRCSを噴射し軌道を変えていきます。もう、後戻りすることはできません。酸素残量が切れる前に誰かに見つけてもらうことができなければ、107便は永久に外宇宙をさまようことになります。

 

『……軌道修正完了、噴射終わります』

『推進剤はあとわずか、か』

『はい、これで抜けられれば良いんですが』

 

月がだんだんと大きくなり、ブリッジの視界を覆っていきます。軌道を変えたことで、月面への最接近は1時間先まで延びました。

 

『まだ、やれる限りのことをしよう。生命維持システムの最適化で、もう少し稼働時間を延ばせないか』

『やってみます。まず、船内の状況確認が必要ですね』

『分かった、ノーマルスーツに着替えよう。第2ブリッジ、そっちも準備してくれ』

《分かりました、こちらはタイキ航海士に任せます》

『そうだ、減圧する前に……船内の皆さま、船長のルデルです。本船は現在トラブルが発生したため、クルーが対応中です。皆さまの安否確認のため、乗組員が向かいます。隔壁を叩く音が聞こえたら、応えてください』

 

クルーは減圧のリスクに備えてノーマルスーツを着用し、ジョン操舵手とタイキ航海士が船内の被害状況の確認へ向かいます。既に生存者がいないエリアがあれば、そこの生命維持を切って他に酸素を回せば稼働時間が延ばせるかもしれません。

 

『誰か、誰かいますか!残っている人はいませんか!』

 

タイキ航海士は、隔壁を叩きながら各気密エリアをまわっていきます。そこここに乗客や乗員が恐怖に震えながら孤立した気密エリアに閉じ込められていました。与圧を確認したエリアは隔壁を開放し、乗員は確認作業に参加させます。

 

「こうした作業はグリーンエリアチェックと呼ばれ、安全なエリアとそうでないエリアを判別していきます。熟練した乗組員は隔壁を叩く音でそのエリアが与圧されているかどうか判断できますから、安全なエリアどうしをつなげ、行動可能な範囲を広げることができます」

 

与圧が失われているか無人であることが確認できたエリアは、正副それぞれの生命維持システムを遮断し、余剰となった酸素をグリーンエリアにまわします。一連の確認作業によって、推定稼働時間を30分延ばすことに成功しました。また、第1ブリッジと第2ブリッジの間を安全に行き来する事ができるようになりました。

 

『船長、状況はやはり酷いです。気密エリアの70%以上を喪失、お客様は数百人生存していますが乗員の生き残りは我々含め12人です』

『そうか……ありがとう、よくやってくれた』

『軌道はどうです?』

『あの後3回天測をやってみたが、かなりギリギリになりそうだ。測定誤差によっては……』

『……祈るしかありませんね』

 

この時、フォン・ブラウンの軌道監視センターは蜂の巣をつついたような騒ぎになっていました。航行中であったマグノリア級のトランスポンダ信号が失われ、無数の光点に分解しているのです。恐ろしい事態が起こったのは明らかでした。

 

『月軌道の全宙域にデブリ警報を発令、推定軌道に救助艇を急行させろ!』

 

しかし、比較的大きな残骸が漂流している軌道は基準航路から外れるため船舶がほとんどおらず、近くの船を助けに向かわせることもできません。

 

『目標αは現在月面への落下軌道、推定墜落地点は蒸気の海』

『目標βは?』

『……軌道を変えています、加速スイングバイ軌道です!』

 

監視員のビリー・ランドルフは確信を持ちました。

 

『目標βは、まだ生きているぞ!』

 

「あの時は、レーダー上の光点に確かに人が残っていて、生き残るためにもがいているのだと衝撃を受けました。そして同時に、果てしない無力感に襲われました。彼らをただ見ていることしかできず、フォン・ブラウンからの救助艇でも間に合いそうになかったのです」

 

1時間後、ルナライン107便の船首は最も危険な最接近点へと近づきます。ブリッジのすぐ左を、月面の地表が流れていきます。高度はわずか2キロメートルでした。

 

『まもなく最接近点……!』

『見ろ、表面の石ころまでよく見えるぞ』

『こんなフライバイは初めてですよ、船長!』

 

月の重力の影響で、107便の速度は凄まじい速さに加速しています。さらに加速スイングバイにより、離脱時には月の公転速度まで加算されるのです。月の裏側へ抜け、はるかな大宇宙が広がっていきます。

 

《船長!前方に発光信号!》

『なに、どこだ!』

《11時の方向、ワレ貴船ヲ救助ス!》

 

はるか彼方に、小さくまたたく光が見えました。サイド3からグラナダへ向けて航行していた貨物船“ヨーツンヘイム”が、フォン・ブラウンからの救助要請を受けて月軌道を捜索にやってきたのです。107便が発し続けていた発光信号を見つけ、呼びかけてきていました。ブリッジで歓声と、安堵の声が上がります。

 

『よくやった、返送する!生存者アリ、残量135分。救助求厶』

 

前照灯を使い、モールス信号で応えます。貨物船が反転し、全力噴射をしているのが分かりました。

 

「前例の無い速度差からのランデブーです。そのうえ、一方はまともに軌道修正もできません」

 

ヨーツンヘイムは貨物室の荷を全て投棄し、さらに加速します。一度107便が追い越しましたが、少しずつ後ろから追いつきつつありました。ヨーツンヘイムの操舵手を務めていたドメニコ・マルケスは当時をこう語ります。

 

「艦長……いや船長は、一度こうすると言ったら聞かない人でした。何としても助ける、それが海の男だと、そういうんですよ。海に行ったことがあるのかどうかも知りませんがね……ともかく、とんでもない曲芸飛行をやらされましたよ」

 

『ランデブーまであと1分!』

『もっと急げ、向こうは救助を今かと待ってるんだ』

『こんなところでぶつけて仲良く外宇宙へサヨナラなんてゴメンですよ!』

 

猛烈な速度で月から離れながら、ヨーツンヘイムと107便は横並びになりました。慎重にRCSで調整しつつ、ドッキングを試みます。そして、3分後に与圧ブロックを接続することができました。ブリッジどうしの通信も、有線で繋がります。

 

《ドッキング成功、聞こえるか、107便の諸君!》

『やはりお前だったか、マルティン! ありがとう、よく来てくれた!』

《ルデル! ルデルじゃないか!》

 

偶然にも、2隻の船長は商船大学時代の友人でした。しかし、二人には再会を祝う時間がありません。ドッキング後すぐに、107便の乗客の避難が開始されます。

 

『押さないで! ゆっくり歩いてください、お荷物は座席に置いたままで!』

 

15分をかけて、312人の乗客がヨーツンヘイムの貨物室へ脱出しました。107便の酸素残量はあと97分でした。

 

《急いでくれルデル、まずいことになりそうだ》

『ああ、分かっている』

《このままではサイド3圏に突入する。コロニーに衝突するかもしれんぞ》

 

107便のブリッジにはルデル船長が残っています。アンナ副長が最後の客室乗務員の脱出を確認し、船長に呼びかけます。

 

『船長!脱出しましょう!』

『すまん。ナビゲーションログを取るから、先に向こうへ移っておいてくれ』

『急いでくださいよ!』

 

アンナ副長の脱出を見届けたルデル船長は、ハッチを閉鎖しドッキングを解除しました。

 

《おい、ルデル! なんのつもりだ!》

 

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