「ふむ、我ながらバレンタインとは思えない光景だねぇ」
「……バレンタイン、ですか? ……これが?」
学校から貸し出された共用の空き教室の中で、並べられた食材を前に苦笑しながら呟くアグネスタキオンと、後ろからのぞきこみ困惑した声を出すマンハッタンカフェの姿があった。
常とは違い二人ともエプロンをしており、マンハッタンカフェは腰までは届くであろう青鹿毛を後頭部にひとまとめに、いわゆるポニーテールにしていた。
「ま、いいさ、元々バレンタインとは大切な人に贈り物をする日であって、何もチョコに限定されているわけでもないからねぇ」
「……それにしたって、これでは完全に豚丼ですよ」
日頃、机に所狭しとある実験道具や薬品、論文は整理され、代わりに豚肉にまいたけ、長ネギ、玉ねぎ、にんにくと、そしてこれらの食材とはあまりに不釣合いなチョコレートがあった。
「豚丼ではないよ、ビタミンB1とアリシンが多量に含まれた食材、それらを混ぜアリチアミンに、つまりは疲労回復によく効くというわけさ、チョコレートにも神経の鎮静効果が見込めるが、あれは血糖値を上げるからねぇ」
「紅茶に砂糖を大量に入れるあなたが血糖値を語るんですか……」
かなりの甘党のタキオンは溶け切らない量の砂糖を紅茶に入れてよく飲んでおり、マンハッタンカフェからすれば見ているだけでコーヒーが甘く感じるほどだった。
「……まさかと思いますがそれを包むんですか? チョコレートで?」
こちらは真っ当なチョコ作りをするつもりなのかボウルや型、チョコレートを袋から取り出しながら、ひきつった顔でマンハッタンカフェは聞いた。
「もちろんだよ! チョコがなければバレンタインとは言えないだろう!」
「……なら普通のものを作ってください」
少し前の発言はどこへ行ったのか、得意気にタキオンは言った。
「まぁまぁ、いいじゃないか、それよりカフェ、君の方こそ随分な気合の入れようじゃないか」
先週の仕返しとばかりに隠す気のない興味とからかいの意を含めた言葉にカフェは深いため息を吐いた。
——本当にうかつな行動でした。
満面の笑みを浮かべながらしつこく聞いてくるタキオンを無視しながら、カフェは過去の自分を呪った。
それが起こったのは一週間程前の出来事だった。
マンハッタンカフェは手作りチョコの材料の買い出しを済ませ、自らのスペースである教室へと向かっていた。その相はうっすらと微笑んでおり、贈る相手への想いが見て取れた。
しかし彼女の機嫌が良かったのは束の間のことだった。作るまでの間、置いておこうと持ち込んだことが彼女の過ちだった。自らだけの空間ではないアグネスタキオンのいる教室へと。
「やぁ、カフェ、また新しいコレクションでも持ってきたのかい?」
ドアを開けてすぐにカフェだと気づいたタキオンがその手にある袋を見て言った。
「……」
「なんだい人の顔を見るなりその顔は、ただいまの一言ぐらいはあってもいいじゃないか」
言葉に出さずとも「しまった」と聞こえてきそうな表情だった。
タキオンに知られてしまえば面倒なことになることは明白で、一瞬はぐらかそうかと考えたが、同じ場所にいる以上遅かれ早かればれると考えたのか余計な抵抗もなく彼女は答えた。
「……チョコですよ、バレンタインの、あなたでもさすがに知っていますよね?」
「バレンタインがどんな日か位は知っているさ、甘味物の日だろう? ……いつだい?」
「……やっぱり知らないじゃないですか、……もう来週ですよ」
「もうすぐじゃないか、それは実に楽しみだねぇ」
その発言にカフェはおや、と首を傾げた。てっきり研究一筋の彼女のことだから興味はないだろうと思っていたからだ。
「……あなたも渡すんですか?」
お互いに恋バナや浮いた話とはあまり縁がない身、とはいえ年頃の少女としての好奇心をそそられカフェは聞いた。
「ん? いや逆だよ、もらうのさ、モルモット君にね」
その言葉にマンハッタンカフェは「あぁ」と納得と同情そして多分に残念な気持ちを込めた声を出した。
ちなみにアグネスタキオンが彼女のトレーナーにお菓子をせがんだわけではなく、勝手にもらえるだろうと思い切っているだけであり、バレンタインなど露ほども意識していないトレーナーは何も準備はしていないのであった。
「何も女が男に贈る日と決まっているわけではないだろう?」
「それは……そうですが……」
「いやぁ、俄然来週が楽しみになってきた! モルモット君の作るものはおいしいからねぇ」
思わぬタキオンの惚気に顔を歪ませながら藪蛇だったことをカフェは悟った。
「……あなたからは何か贈らないんですか」
放っておけばご飯の良さを語ってしまいそうなタキオンを止めるべく聞いた。
「私からかい? そのつもりはないが」
「……あなたはトレーナーさんを労わってあげるべきです、……いつか愛想を尽かされてしまいますよ」
「モルモット君が? 私をかい? 天地がひっくり返ってもないよ」
その言葉はタキオンのトレーナーに対して不憫だという気持ちもあったが、このコンビが続いてほしいという思いでもあった。
このトレセン学園において何のために走るのか、夢や目標というのはウマ娘の数だけ、それぞれあるだろうが、この二人のそれは特別変わっていた。
アグネスタキオンはウマ娘の限界、可能性の果てを見るために、マンハッタンカフェは見えないお友だちに追いつくために。
ずれた者同士この場所に巡り合うことは必然のようなものだったのかもしれない。学園側からするとアグネスタキオンの監視役という意味もあったが。
どちらにせよマンハッタンカフェにとって、突如自らの空間に入り込んできたアグネスタキオンは厄介ではあるもののお友だちを恐れず、否定しない存在は初めてで、またこの関係性を存外気に入っていることは事実だった。
だからアグネスタキオンがトレーナーと出会い、こうして食生活の改善から始まり研究以外のものに興味を示すようになったこの変化を彼女は好ましく思っていたし、感謝もしていた。薬の実験台にしようとしてくることは御免被ることではあったが。
「ふむ、しかし、まぁなんだ、たまには飴も必要か、モルモット君もよくやっていることだし」
言い淀みながら、ほんのりと顔を赤らめるタキオンを驚きと好奇の目でカフェは見た。
「……あなたのそんな顔を見る日が来るとは思いませんでした」
「違う! これはあくまで日頃の働きに対しての褒美というか、飴と鞭が人には必要というかだね! こら!ニヤニヤするんじゃないカフェ!」
照れを隠すようにまくしたてるタキオンだったが、その言葉は想定の効果をなんら発揮せず、むしろ火に油を注ぐものでしかなかった。
「ならかなりの飴をあげないといけませんね、たくさんお世話になってそうですし」
「あーー! なんだいなんだい! 言っておくが彼が進んでモルモットになりに来たのであって、私の面倒をみることは彼の役目であって、飴は私の優しさなんだからな!」
一息に言い切り、そっぽを向いたタキオンを温かい目で見ながら、案外彼女は分かりやすいのだなとカフェは思った。
アグネスタキオンは退学寸前までになっても己を曲げず、また実験をして爆発させたり、光らせたりと怪しげな人物だったが、自分の夢に愚直なまでに真っ直ぐで素直なロマンチックなウマ娘だった。
ただ今ばかりは常の速さを追い求める研究者然とした姿でもなく、年相応な姿があるだけだった。
「カフェ、君こそ誰に作るんだい!」
その問いは聞いてはいたものの想像はできており、渡す相手をマンハッタンカフェ自身の口から言わせるためのものだった。
「……同室のユキノさんですが」
顔をそらしながら真実の半分だけを告げた。こちらも隠し事が下手なようだった。
「ふぅン、それにしては包みは二種類あるように見えるが」
自らの優勢を感じ取ったのか、常の余裕を取り戻しながらタキオンは問い詰めた。
「……お友だちの分です」
「嘘だ! それが友達用なわけないだろう!」
タキオンは広げた手より一回り程大きい、星柄の入った茶色の箱と、赤いリボンを指差しながら言った。
「……あなたの分です」
やけになりながら、嘘と真実を混ぜて、にらめつけるようマンハッタンカフェは言った。
「えぇーー! は? え……え?」
「……照れないでください、冗談ですよ」
勢いよく立ち上がり、陸に上がった魚のように口をパクパクさせているタキオンを見て、少し赤くなった顔から熱を逃がすように息を吐きながら言った。
「……あなたの分はユキノさんと同じ包みです」
「……あぁ、なるほど」
ストンと椅子に座りながら納得した声を出してはいたが、まだ放心状態のタキオンを見て心配になったカフェは小さく呟くように言った。
「……私のトレーナーの分です」
「え?」
「だからトレーナーの分です!」
聞き取れなかったタキオンに対して、顔を真っ赤にしながら彼女にしては珍しく声を荒げて言った。
「止めましょう、この話は」
「うん、そう……だね」
お互いにドッと疲れていた。
冷たい飲み物を浴びるように飲むか、この熱さを塗り替えるためにメチャクチャに走り回りたい気分だった。今ならどんなトレーニングだってできるそんな気さえした。
「……来週一緒に作りましょう、それで痛み分けです」
「あぁ、……そうするとしよう」
研究一筋だったアグネスタキオンと、彼女にだけ見えるお友だちと過ごしてきたマンハッタンカフェ、彼女たちにとって恋バナはあまりにも刺激的で、レース以上に大変なものであるのかもしれなかった。
タキオンとトレーナーのバレンタインを書くつもりが、いつの間にかカフェとの絡みになっていたお話です。