女王を探せと、スピカは言っていた。
その指示を受けて走り出したウラヌスであるが、彼女はこうも思った。「で? どいつが女王なんだ?」と。スピカも知らない(そもそも本当にいるのかも分からない)ため、教えてもらう事が出来なかったのだ。
誰が女王なのか分からないので、出会うレギオンは全員ぶん殴れば良いのだろうか? なんとも単純な考えがウラヌスの脳裏を過ぎったが、流石にそれは無理だと思った。数が多過ぎる。多くなかったらやろうと思ったぐらいには、彼女は単純なのだ。
とりあえず走りながらよく考えてみる。
思考して僅か二秒。ウラヌスは閃いた。
女王というぐらいだ。なんか派手な格好をしているんだろう、多分我らコロバス族の長みたいな感じに――――頭に浮かんだのは自分の故郷を納めていた長老の姿。人の身の丈ほどもある怪鳥の羽根を五枚背負い、頭にドラゴンの頭蓋骨を被り、手にはケルベロスの牙で作った槍を持つ。それと長老は村一番の戦士なので、凄く強い。
そして長老の家は村の中心に置いている。全てを見渡し、全てを指示するために。
じゃあレギオンの女王も、きっと巣の中心に行けば会えるな! そう考えたウラヌスは一直線に中心……巨大なキノコがそびえる場所に向かうべく、力強く跳躍。張り巡らされた屋根上の糸を走る。
まさか『人間』が糸の上にやってくるとは思わなかったのか、そこにいたレギオン達の身体が強張る。それは一瞬の出来事であったが、ウラヌスの素早さ相手には致命的な隙だ。
「よっ!」
ウラヌスは跳躍し、目の前のレギオンを蹴り飛ばす。蹴られたレギオンは為す術もなく吹っ飛び、奥のレギオンと激突。二体合わせてバラバラに砕け散る。
その砕けた破片の内側をウラヌスは突っ切る。残骸に隠れたウラヌスをレギオンは見失い、追撃の手が止まった。ウラヌスはその間もどんどん進み、遥か奥へと突き進む。
レギオン達はどうにか群れてウラヌスを止めようとするが、しかしウラヌスの素早さはレギオン達を圧倒していた。包囲する前に抜けられる、包囲してもふっ飛ばされて抜けられる。何をどうしても捕まらない。
レギオン達には、ウラヌスの快進撃を阻む事すら出来ず。ついに宝石都市、そしてレギオンの巣の中心……キノコの塔の傍にウラヌスは辿り着いた。キノコの周りは特に念入りに糸が張られていて、ふかふかとした足場になっている。森を満たす落ち葉のような心地よい弾力だ。
「さぁーて、どいつが女王だー?」
その足場に二本足で立ち、片手を額に当てながらウラヌスは周囲を見渡す。
辺りにいるのは普通のレギオンばかり。しかし五感に優れるウラヌスは気付いている。レギオン達が激しく動揺している事に。
その動揺を鎮めたのは、ずしん、という足音。
次いでゆらりと、キノコの影から巨影が姿を現す。
姿形は、これまで見てきたレギオンと大差ない。強いて言うなら腹が他よりも大きく、表皮が目に見えて分厚い事か。しかしその大きさは段違い。五メトルはあるようだ。
派手さはない。だが圧倒的な巨体と、その身体からひしひしと伝わる『強さ』からウラヌスは確信に至る。
コイツが、女王だと。
「……ふふふ。私の勘も捨てたもんじゃないな!」
堂々と平らな胸を張りながら、ウラヌスは勝ち誇る。
実際、ウラヌスの勘は正しかった。女王はレギオン達にとって最も大切な存在だ。その大切な存在を守り、維持するのであれば、それが容易な場所に配置すべきである。具体的には最も巣の奥深く、最も多数の子分に守られ、最も食べ物に溢れた場所。それは巣の中心に他ならない。
スピカが思っていた通り、ウラヌスは単純な思考で目的地に辿り着いたのだ。ウラヌスには知る由もない事であるが。
――――さて。辿り着いて終わりになれば話は楽だが、残念ながらそうもいかない。
「……キキ、キィィイイイイイ……!」
ウラヌスを目にした女王は、甲高さと重厚さを合わせた声を鳴らす。節足動物的なその身体に体毛などないが……雰囲気が
レギオンの女王様は、人間の指導者と違って血気盛んだった。闘争心と殺意を露わにし、巣の中を荒らして回るウラヌスにその感情をハッキリと向けてくる。
自身の三倍以上ある巨躯に敵意を向けられれば、普通は恐ろしさを感じるところだろう。
だが、ウラヌスは違う。
彼女にとって闘争は楽しみだ。それもただ弱い輩を嬲るようなのではなく、対等以上の敵との戦いが好み。弱い者いじめは戦士のする事ではないのだから。無論どんな弱者でも襲い掛かってくるなら戦うが、それを楽しいとは思わない。
強大な女王との戦いに挑める事。これは戦士として『誉れ』であり、そして胸が躍る楽しさだ。
「ふははははは! さぁ来るが良い!」
身構え、吼えるウラヌス。
彼女の闘争心に応えるように、女王は動き出した!
「キィイッ!」
女王が繰り出してきたのは前脚一本。たかが脚一本、と言いたいところだが……その先は鋭く、人体を簡単に貫く事が容易に想像出来た。
ウラヌスの身体は引き締まった筋肉により、生半可な人間と比べれば遥かに丈夫だ。とはいえ『槍』に耐えられるほど、非常識な硬さはしていない。直撃を受ければ危険だ。
しかしウラヌスは動かず、迫る脚先をじっと見つめる。目的は『測る』ため。
まず脚の速さ。この攻撃がどの程度速いのか、それを見極める。じっくり見ても避けられる攻撃なら、どれだけ脚先が鋭くとも驚異ではない。逆に極めて速いなら、少しの隙が命取りだ。堅実な立ち回りが必要になる。
次いで正確さ。仮に避けなかった時、脚先は何処を貫くのか? 頭か腹なら兎も角、腕や足なら雑な攻撃だ。もしかすると避けなくても外れるかも知れない。
諸々の情報は相手の『戦闘能力』を推定するのに欠かせない。最初の一撃でどれだけ相手の実力を正確に測れるかというのは、戦う上で重要な事である。
「ふっ!」
ある程度観察したら、ウラヌスは跳ぶようにして攻撃を躱す。そしてこの時も女王の脚先から目を離さない。
回避した事に反応したかどうかを確かめるためだ。即ち、相手の反応速度を調べている。
ウラヌスが攻撃を躱すと、女王は追撃とばかりにもう一方の前脚を繰り出す。レギオンの脚は八本もあるのだ。多少無茶な体勢からでも次の攻撃を繰り出す事が出来、ウラヌスに休む暇を与えない。
女王としてはこのままウラヌスが疲れるまで追い回し、動きが鈍ったところでぶすりと貫く……という作戦を本能的にやっているのだろう。ウラヌスは直感的に女王の思惑を理解していた。
だが、問題はない。
何故ならウラヌスの体力は、こんなものではまだまだ尽きないのだから。連続で何十と跳び続けても、むしろ身体が程よく火照ってきて丁度良い。
加えて、相手の実力は見切った。
「よっと」
これを好機と捉えたのか、女王は一際大きく前脚をもたげるや、勢いよく突き出す! 今までにない速さの一撃だ。今なら確実に仕留められる、と本能的に考えたのか。
だが、これはウラヌスが誘ったもの。
ウラヌスはしゃがんだ体勢から、僅かに身体を傾けて逸らす。もしも女王の反応速度が優れていれば攻撃の軌道を変え、動いたウラヌスの顔面を貫けただろうが……ウラヌスは攻撃を躱す中で女王の動きを観察していた。どのぐらいの速さと時間で反応するのか、全て感覚的に把握している。
ウラヌスがした僅かな動きに、女王は付いていけない。女王の脚先はウラヌスの身体のすぐ横を掠めるように通り過ぎた
瞬間、ウラヌスはその脚を脇で抱え込む!
「キッ!? キィ――――」
「ぬぅうああっ!」
慌てて逃げようとする女王だが、ウラヌスが身体を翻す動きの方が早い。そして脇に挟んだ脚を離すつもりもない。
女王の身体はウラヌスの動きに引っ張られ、巨体が一気に前のめりとなる。八本脚で体勢を保とうとするが、不意打ちというのもあってウラヌスの怪力の方が上だったようだ。脚が動くよりも先に、女王は頭から地面に突っ込む。
状況的にはただ転んだだけのようなものだが、女王レギオンの身体は巨大だ。体重も相応に重く、転倒時の衝撃は決して馬鹿に出来るものではない。身体が虚弱であれば、十分骨折の可能性があるだろう。
尤も、女王はこの程度の衝撃では怪我に至らなかったが。
「キィイィアアアッ!」
それどころか怒り狂ったように、ウラヌス目掛けまた脚先を放つ。
これも素早く躱したいところだが、今のウラヌスには出来ない。女王の脚を脇に抱えているからだ。勿論離せば良いのだが、その時間がない。
ならばどうすべきか? 黙って突き刺さる? 無論否だ。まだやれる事はある。
人間には腕だけでなく、足もあるのだから。
「甘いぞっ!」
高速で迫る脚に対し、ウラヌスが繰り出したのは蹴り上げ。女王の脚は衝撃で高々と浮かび上がる。
女王は即座に脚を下ろして叩き潰そうとしたが、上がったものを下ろすには時間が必要だ。ウラヌスは脇を広げ、今まで抱えていた脚を拳で殴り付ける。打撃を受けた脚は大きく飛んでいき、女王はまた体勢を崩す。
この隙にウラヌスは女王の顔面に肉薄。女王もこれは不味いと思ったのか身体を強張らせたが、巨体に見合った長大な脚は肉薄した敵を阻むのに向いていない。
「がぁあっ!」
ウラヌスが振り上げた拳は女王の顔面を打つ!
キマイラやスライムとも、短時間ならやり合える筋力。それから繰り出された一撃は、女王の身体を大きく吹き飛ばした。キマイラほどの怪物なら兎も角、女王の強さはそこまでのものではない。
まともに入ったなら、失神してもおかしくないだろう。
そう、まともに入ったなら。
「(これは浅いか!)」
拳で感じる手応え。数多の戦闘経験から、ウラヌスはそれが有効な一撃ではないと察する。
予想通り、ふっ飛ばされた場所で女王は平然と立ち上がり、勇ましくウラヌスの方を見た。顔面の甲殻が多少歪んでいるようだが、それ以外の目立った傷はない。
顔面を殴ったのに何故? 答えは、女王の口許でもごもごと動く『牙』だ。
蜘蛛の顔には大きな牙のような部位があるが、これは厳密には牙ではない。鋏角と呼ばれる脚の一種だ。女王は顔面を殴られる刹那、鋏角で構えを取り、顔面に伝わる衝撃をいくらか緩和したのである。
尤も、鋏角が脚である事など、人間でも専門的な学者でなければ知りもしない事。ウラヌスどころかスピカも知らない情報だ。ウラヌスにとって想定外でも仕方ない。そしてウラヌスにとって重大な問題は、折角の攻撃を耐えられた事ではない。
相手に警戒心を与えてしまった事だ。
「キィイィィイイ……!」
女王の闘志が高まっていく。
肌で感じる力は、大きくなっていない。襲い掛かってきた時点で、実力を隠そうなんてしないのが獣だ。最初から全力は出している。ただ、その力が
加えて、こちらに対し不用意な攻撃はしてこない。
女王は理解したのだ。ウラヌスの攻撃が致命傷になり得ると。今まで女王は身体の大きさの違いから、ウラヌスを子犬か野良猫程度の危険性と認識していただろう。故に手加減はしないが、反撃を恐れない攻撃をしてきた。だが、もうそんな『油断』はしない。大振りの攻撃は控え、何時でも守りに入れる体勢で攻めてくると思われる。
ここからが本当の真剣勝負。そうなると勝敗を決めるのは総合力と戦術だ。
「(素早さは私が上、力と防御はあっちが上。体力は……多分向こうだなー)」
戦った感覚から推察するに、総合力では女王に分があるとウラヌスは判断。ならば素早さで翻弄し、相手の隙を作り出して一撃を叩き込む……これまでウラヌスが旅の中で強敵と戦った時、好んで使っていた戦法で倒そうと考える。
――――もしもウラヌスが一対一で戦えていたなら、その方法で女王を倒せただろう。初めて戦う相手とはいえ、これまでウラヌスが戦った事のある生物達の中では、レギオンの女王は中の上程度の実力しかないのだから。
だが、女王にも好んで使う戦術がある。
「キキィアッ!」
女王が鳴き声を上げる。今まで出していたのとは違う声にウラヌスは警戒心を強めた。
それと同時に、意識を女王に集中させてしまう。
故に、足下にべしゃりと粘着いたものが掛けられるまで、背後に迫る存在に気付かなかった。
「むっ!? 何が――――」
足を見れば、白い液体が付着していた。
液体は即座に固まり、粘着いた物体となって足の動きを阻む。どうやらこれは、町を覆い尽くしている糸のようだ。最初は液体の状態で出てくるらしい。
つまり、この液体をぶつけてきたのはレギオンという事。
振り返ったウラヌスの目に、離れて位置で佇む一体のレギオンがいた。アレが糸を吐き付けてきたのは明白である。
そして足に張り付いた糸で身動きが取れないという事は、回避行動が取れないという事。
「キィイイイイイイイイイイイッ!」
女王が咆哮と共に、猛然と駆け出してくる!
警戒心を強めた女王は迂闊な攻撃はしてこないと、ウラヌスは考えていた。しかし相手の身動きを封じたならば話は別。確実に当てられる時を逃す方が不味いというのは、妥当な判断である。
ウラヌスにとって最悪なのは、その妥当な判断が何一つ間違っていない事だ。
「ぐっ……!」
力を込めれば糸は伸びる。だが伸びるだけだ。中々千切れず、ウラヌスの動きを阻み続けた。時間があれば脱出は簡単そうだが、生憎その時間がないから困っている。
脱出は後だ。ウラヌスはどしんと構え、女王が繰り出した前脚に両手を伸ばす!
がっしりと両手で掴み、握力で止めようとしたのだ。されど女王の方が力は上。突き出す脚の勢いにより掌の薄皮がガリガリと削れ、血が滲み出す。それでも構わずウラヌスは強く掴んだが、女王の脚は勢いを保つ。
致死的な勢いを保ったまま、ウラヌスの顔面に迫る脚先。ウラヌスは歯を食い縛って手に力を込めるが、やはり止まらない。
ならばと今度は食い縛っていた口を大きく開き、
「んがきっ!」
迫ってきた脚先を、顎と首の力で受け止める!
両手と顎と首の力により、ようやく女王の脚は止まった。もしもこの脚が腹を狙ったものなら、ウラヌスは今頃臓物をぶちまけていただろう。
これは幸運の結果に過ぎない。しかし強者というのは、実力の高さだけで言うものでもない。幸運に気付き、活かすのもまた強さというものだ。強いウラヌスは運を味方に付け、一時の危機を乗り切った。
「つあっ! ぬんっ!」
脚の一本を受け止めてすぐ、自らの足を蹴り上げるように動かし、絡み付いた糸を千切る。自由を取り戻したら口を開くのと同時に女王の脚を横向きに蹴り飛ばし、女王の体勢を崩した。
この隙にまた肉薄しようとした、が、それは叶わず。
「キィィイイイイッ!」
「キキィィイィイイイイッ!」
何故なら続々と、ウラヌスの下にレギオンが駆け寄ってきたからだ。その数、ざっと二十体ほど。
いくらウラヌスにとって拳一発で倒せる相手とはいえ、こうも群れると厄介。一旦距離を取るべく、ウラヌスは後ろへと下がる。その間に女王は体勢を立て直す。
そして女王の傍に、続々とレギオン達が集まってきた。こちらは二十どころの話ではなく、三十四十五十と、時間が経つほどにどんどん数を増やしている。まるで町中のレギオンが集まってきているような光景だった。
どうやらレギオン達は女王を守ろうとしているようだ。
一対一で勝負しないなんて卑怯な、等と言うつもりはない。ウラヌスとしては正々堂々とした戦いを好むが、それはこちらの事情である。相手は自身が確実に勝つ方法を選んだというだけ。そして真の戦士というのは、相手が繰り出したあらゆる策を打ち破ってこそ名乗れるというもの。
相手が本気を出した結果が大群であるなら、それを拒否するつもりはない。むしろこれが女王の、レギオンの本気だというのであれば望むところだ。
ただ、それでも思う事はある。
「……仲間と共に戦うのは良いが、流石にこれは多くないかー?」
ぽつりと呟くウラヌスの視線の先にいるのは、佇む女王。
そしてその女王の背後に集結した