アベンジャー・マギア   作:彼岸花ノ丘

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砂漠巨獣4

 現実を否定しても、何も状況は変わらない。

 その『事実』を頭の中で呟きながら、スピカは考えを巡らせた。バハムートがこちらに向けて突進してきている。このような状況下で、まずすべき事は何か?

 冷静に考えれば、答えは決まっている。

 

「(まず、()()()()()()()()()()()()()()、という確認が必要ね)」

 

 血気盛んな者なら、先制攻撃だ! と叫ぶかも知れない。

 だが相手は地上最強の生物。迂闊に攻撃して、怒りを買ったら絶対に助からない。それに書物の通りなら気性は穏やかな筈なのだ。もしかするとあのバハムートは、悠々と砂漠を泳いでいるだけで、偶々その進路上に自分達の船があるというだけかも知れない。そこを攻撃するというのは、こちらが喧嘩を売ったのと同義。恐怖心から攻撃しても、ろくな事にならないのは明白である。

 故に、そもそも自分の感じた印象が正しいかどうかを確かめねばならない。幸いにしてその方法は簡単だ。もしも相手がこの船を狙っているなら、急な方向転換をしても追ってくるに違いない。

 尤も、こんなのはバハムートについて本でしか知らないスピカでも閃いた事だ。熟練の船乗り達が思い付かない訳もなし。

 

「急げ急げ! 帆の向きを変えろ!」

 

 バタバタと甲板上を、屈強な船乗り達が走っていく。

 彼等が向かう先は船上ではためく帆。その帆にはロープが繋がっていて、これを引いたり伸ばしたりする事で帆の角度や開き方を調整する。

 普段から帆の傍には、これを調整する船員がいる。帆船は風向き通りにしか進まない、というのは大きな誤解だ。実際は帆の角度を調整する事で、横風どころか風上に向かって(流石に斜め方向にはなるが)進む事が出来る。これにより風向きが変わったから後退、なんて間抜けな事態は起こらない。

 帆の向きを変えるのは普段一人でやる作業と思われる。船乗り達が集まったのは、帆の角度を素早く変えるためだろう。その予想通り、帆の向きが急に変わるのと共に、慣性を感じるほどの勢いで船の軌道も曲がった。

 船は大きく旋回。これならバハムートの進路とは重ならない。さて、ではバハムートは何処を見ているのか?

 ――――船からその様子を見ていたスピカは、舌打ちをした。

 

「やっぱり、アイツこの船を狙ってる……!」

 

 バハムートは、進路を変えた船を正面に見据えている。

 勿論突然動きを変えた船に興味を持った、という藪蛇な状況もあり得るだろう。しかしそれは問題の本質ではない。バハムートが迫っている、という確信が得られた事こそが重要なのだ。

 どうにかしてバハムートから逃げねばならない。そしてそれを船員に全て任せるのは、自分の命を天に任せるようなもの。

 どうせ死ぬなら、やるだけやって、後悔はない方が良い。

 

「(といっても、何が出来るか分からない。なら、まずは観察だ……!)」

 

 スピカは情報を得るべく、迫りくるバハムートを凝視。その行動と姿を分析する。

 近付いてきたバハムートは、最初に感じたように体長四十メトル以上はあるようだ。スピカ達が乗る船よりも巨大で、その力は間違いなく船の馬力よりも上だろう。

 昔読んだ書物通りならその表皮は大砲すら通じないほど頑丈なので、仮に船の方から体当たりを仕掛けたとしても、果たして怯むかどうかも怪しい。また船上には大砲が置かれているが、あれはあくまでも数メトルぐらいの獣を追い払うためのもの。バハムートに撃ち込んでも怒りを買うだけである。

 まともに相手出来るような存在ではない。取れる手立ては逃げる事だけ。しかし段々と近付いてきた事で、ハッキリと分かる。

 どう見ても、バハムートの方が船よりも速い。

 

「(そりゃ風の気紛れに左右される帆船と比べたら、自力で泳ぎ回るバハムートの方が安定しているわよね……!)」

 

 立っていられないほどの強風が絶え間なく吹いていれば、振り切る事も出来たかも知れない。しかし今日の風は(動く船上だと分かりにくいが砂漠の様子から察するに)然程強くない。船が止まる事はなかったが、快速と言えるほどではないだろう。

 このままでは逃げ切れない。ならば取るべき策は二つのうちどちらか。

 一つは船を加速する事。風の強い地域などに移動し、船の最高速度を引き上げる。風の強さ次第ではバハムートをあっさりと引き離し、めでたしめでたし……となるだろう。恐らく船員達は今、その方向で対策を練っている筈だ。

 しかしこの方法は、運試しに等しい。風の強い地域が此処から近いとは限らず、またそもそも『今』風が吹いているとは限らないからだ。奇跡を願うのが悪いとは言わないが、奇跡に縋るのは最後の手段にすべきである。

 ならばスピカが取るべきは、もう一つ策。

 どうにかして、バハムートの『足止め』を行うのだ。幸いにしてスピカの装備は、そうした足止め・嫌がらせに特化したものが多い。最強種バハムート相手に何処まで通じるかは分からないが、多少の効果は見込めるだろう。

 欠点を挙げるなら、嫌がらせによりバハムートが怒り狂い、ますます激しく船を追ってくる可能性だが……これについては心配いらないとスピカは思う。

 何故ならバハムートの目が、笑っていないからだ。

 

「(人間があの顔してたら、近付くのも駄目な感じだなー)」

 

 動物というのは表情豊かなものではない。虫やトカゲは何があっても口許一つ歪まず、獅子や犬でも人間のようなハッキリとした喜怒哀楽は中々見せてくれない。同じ種類同士なら一目で分かるかも知れないが、少なくとも一般的な人間には、獣の感情を顔から読み取るのは無理だろう。

 しかし数多の生物を見てきたスピカは、動物の大体の感情が読める。虫やトカゲは難しいが、獣ならばかなり的確に。そしてその経験曰く、今のバハムートはかなり……怒りなどに近い感情に支配された興奮状態にある。鬼気迫る、というのが一番的確な例えだろうか。

 あのバハムート相手にちょっかいを出したとして、今更どうなるものではない。ブチ切れて殺す気満々の人間に小馬鹿にしたイタズラを仕掛けても、怒りが長続きするだけで、怒りの上限は突破しないのと同じだ。

 よって足止めを試みる事に、実質欠点はないと言えるだろう。ただ、現時点に限れば一つだけ問題があるのだが。

 バハムートがかなり間近まで迫っていて、策を展開する時間がないという事だ。

 

「(クソッ! これじゃあ一発は避けられないか!?)」

 

 例え一発でもバハムートの体当たりを受ければ、船体には大きな損害が発生するだろう。

 大きな船というのは壁面に穴が空いたとしても、簡単に沈むものではない。しかし万一帆が折れたりすれば、速度は大きく落ち、操舵の自由度も大きく下がる。そうなればバハムートの二回目の突撃を避けるのは不可能。一回目以上の大打撃を受け、恐らく『沈没』してしまう筈だ。

 此処は海ではなく砂漠なので、跳び下りて脱出する事は出来る。バハムートの気分次第だが、乗組員全員が四方八方に散らばれば恐らく何割かは逃げ切れる。

 だが、その後は?

 船で移動するから、誰も水や食糧はあまり持って来ていない。砂漠では地形なんて風一つですぐに変わるから地図もなく、航海士による案内がなければ進むべき方角も分からない。幸運な人間は通りすがりの船に見付けてもらえるかも知れないが、つまり奇跡以外に助かる術はない状況に追い込まれる。

 船の沈没は、そのまま死を意味すると言っても過言ではない。一発目の体当たりを避けねば、この時点で敗北がほぼ確定する。

 判断が遅かった――――スピカがそう思った時だった。

 

「そいやーっ!」

 

 『少女』の大きな声が、船上に響き渡る。

 振り向けば、そこにいたのはウラヌス。彼女は今、何かを投げたような体勢でいた。一体何を投げたのか? ウラヌスの体勢から放物線を脳内で予想し、その線を辿るようにスピカは視線を移動させる。

 そうして見えたのは、(いかり)だった。

 ウラヌスは錨をぶん投げたのだ。大きさざっと三メトル、金属で出来たそれは屈強な船乗り達にとっても重たい(何しろ船の動きを制限するためのものだ。物にもよるが、ある程度重くなければ意味がない)が……ウラヌスの化け物染みた筋力は、まるで大きめの石程度かのように投げてみせた。

 投げられた錨は、船から少し離れた砂漠の大地に着地。しっかりと砂に埋もれたそれは、船の引っ張る力にも抵抗する。むしろ船の方が引っ張られ――――船の進路が()()()()()()()

 それは風頼りでは不可能な急旋回。距離が離れていればバハムートも追えただろうが、かなり間近まで迫っていた事でそれも出来ず。

 バハムートは血走った眼で睨みながら、スピカ達が乗る船の横を通り過ぎていった。

 

「た、助かった……」

 

「ほっ」

 

 スピカが安堵している中、ウラヌスは錨と船をつなぐ鎖も投げ捨てる。自由になった船は再び前進。砂漠の海を駆けていく。

 体当たりを外したバハムートは大きく旋回する。まだ船を追う気持ちは萎えていないらしい。

 絶望的な状況であるが、しかし先程よりは少し好転している。後ろから追う形となった事で、今までよりは接近に時間が掛かるようになっていた。それに前進する力があまりにも大きく、旋回にも時間を費やしている。今は船とかなり距離が開いている状態だ。

 また、風向きという『幸運』も味方したらしい。船の速さが今までより少し上がっていると、移り変わる景色の速さからスピカは予測する。運はこちらに味方しているようだ。

 バハムートはまだ追ってきているので、安堵するのは早計であろう。しかし時間が稼げた事で、精神的な余裕は回復した。的確な判断には、落ち着いた思考が欠かせない。

 そして気持ちが落ち着けば、人を労う余裕も戻る。これはスピカだけに言える話ではない。

 

「すげぇぜ嬢ちゃん!」

 

「まさか錨を投げるなんてな!」

 

 正真正銘船の救世主となったウラヌスに、船員達がどっと集まった。筋肉隆々な男達はウラヌスを囲み、人間離れした技に対して惜しみない喝采を浴びせてくる。

 

「うむ! みんなも凄かったぞ! あんな作戦を思い付くなんて、船乗りは凄いんだな!」

 

 ウラヌスも、船員達を惜しみなく褒め称えた。素直だからこそ、なんの迷いもなく言える言葉だ。

 どんな捻くれ者だろうと、邪気のなさを察するであろう真っ直ぐな気持ち。それに対する人の反応は、普通ならば照れたり喜んだりであろう。

 ところがどうした事か、船乗り達の反応は何処か他人事。

 

「いいや、作戦を考えたのは俺達じゃない。あそこにいる、厳つい姉ちゃんさ」

 

 その理由は、船員の一人が指差しながら答えた。

 指が示す先には、女が一人いる。

 歳は三十代前半だろうか。整った顔立ちをしており、鋭い眼差しと引き締まった頬は、演劇の主演男優にも負けない凛々しさを持つ。背丈もスピカより高く、鍛え上げた肉体を持つ男達の中でもよく目立つ。肩幅も広く、背負う鎧も重くて頑強な鉄製のもの。普通の女性ならば、冗談でなく重さで倒れていてもおかしくないそれを、麻の服のように着こなしている。

 なんと凛々しく雄々しい姿なのか。髪を長く伸ばし、高価な口紅を付けていなければ、男と見間違えたかも知れない。

 乗船していた傭兵の一人か、とまで考えて、スピカはふと思い出す。この女性は確か、ウラヌスが話し掛けた人物ではないかと。

 ウラヌスは彼女を「強い」と評していたが、肉体的なものだけでなく、知略でも優れているらしい。

 

「(……いや、ちょっと変ね)」

 

 一瞬納得しかけたが、されどスピカは奇妙な点に気付く。

 何故この女傭兵は()()()()()()()()()()()()()と思ったのか? 錨を投げ入れろという作戦は、それが可能だと知らなければ思い付きもしないものだ。屈強な大男に頼むならばまだしも、見た目だけなら健康的な小娘でしかないウラヌスに何故頼ったのか。

 それに船員達も、どうして女傭兵の指示に従ったのか。船というのは何十人もの船乗りにより操られ、一人一人が力を合わせて動かすもの。それぞれが勝手に動けば、致命的な問題を起こしかねない。故に普通は船長だけが指示を出し、その通りの行動をする。

 船長が余程の無能(と船員が判断した)なら、指示を待たずに行動も起こすだろうが……だからといって見ず知らずの傭兵の指示を聞く理由にはならないだろう。しかも少女に錨を投げさせろという、あまりにも非常識な命令だ。

 あの傭兵、或いは船員達には『何か』あるのだろうか?

 ……疑問はあるが、それを追求するのは後回しだ。そんな事をするぐらいなら、今後について誰かと相談した方が遥かに建設的である。

 

「野郎共、船に傷はないか!」

 

 例えば船内から出てきた、白髭を生やした恰幅の良い男――――船長など打って付けの相手だ。

 

「船に損傷なし! 風向きも良好で、今までより速度は出せます!」

 

「分かった。このまま全速前進。バハムートの奴が飽きるまで逃げるぞ」

 

 船乗り達に船長は指示と共に、行動指針を示す。バハムートが飽きるまで、というのは先の見えない話であるが……他に手もないとスピカも思う。

 精々、自分に出来る手伝いを探すぐらいだ。スピカはそう考え、船長に話し掛けようとする。

 危機的状況だが、場の空気は悪くない。緊張感というのは必要だが、それが過ぎて険悪になれば能力も半減というものだ。今の船乗り達の様子は、命を預ける側であるスピカとしては非常に心強い。

 しかし理想的な場の空気は、あまりにも呆気なく崩壊する。

 

「いや、ここで奴を倒す」

 

 女傭兵が、あまりにも無謀な作戦を口に出した事を発端にして……

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