要塞都市シアンの南方に位置する、軍施設。カペラが言っていたそれは、帝国軍が管理している『防壁』の事だった。
もう何百年も前に起きた戦争を教訓として建てられたそれは、隣国である公国や王国の軍に備えるためのもの。幅数万メトルもあり、高さは十八メトルほどと簡単には登れない。守りについている何千という兵士も熟練した強者であり、新兵が数人束になろうと返り討ちにするだろう。突破するには何万という兵力が必要で、突破した頃には敵勢力は壊滅状態だ。
勿論数万メトル東西に移動すれば防壁はなく、横を素通りして帝国領内に侵入出来るが……そこは猛獣と剥き出しの岩場が行く手を阻む危険地帯。抜けた時には兵力が一万分の一になっているだろう。これなら
守りは完璧。とはいえいざ戦争になれば、真っ先に攻撃を受ける場所でもある。
そうした施設の、地下とはいえ傍に研究施設を作るのは、ある意味では『平和ボケ』の象徴だろうとスピカは思った。
「……何処まで続くの、この階段」
「もうすぐさ」
防壁内にある倉庫。そこに隠されていた階段を使い、スピカは地下へと向かって進んでいた。カペラが先導する形であるが、螺旋状に続く階段は一本道。迷いようがない。
町で迷子になったウラヌスもこれなら逸れる事はない。彼女は今スピカの後ろをぴたりと付いてきて、一緒に降りてきていた。
そんなウラヌスの顔は、妙に不安げである。
「うー……なんか落ち着かないぞ」
「何? アンタ狭いところ苦手なの?」
「そーいう訳じゃないが、なんか、此処は嫌な感じがする」
漫然とした、不安の言葉。
これが子供の言う事なら、そっと手を握るなり、無理やり引っ張るなりして話は終わりだろう。だがウラヌスの言葉となれば、無視するのも気が引ける。彼女の五感には、スピカはこれまでの旅で幾度となく助けられたのだから。
この先に、何かがあるのだろうか。
「さぁ、着いたぞ。この先に、魔王について話してくれる者がいる」
スピカの考えは、しかし纏まるよりも前にカペラが目的地の到着を告げた。
一旦思考は後回し。スピカは前を向き、カペラが開けようとしている扉を見遣る。カペラはゆっくりと扉を開け、その中に入っていく。
スピカもその後を追って中に入ると、そこは開けた一室となっていた。
中にいたのは、鎧ではなく黒いクロークで身体を包んでいる者達。兵士や騎士と違い、身体付きは細くて華奢だ。年配の男性が多いものの、老婆などの姿も見られる。共通して言えるのは、戦うよりも研究する方が如何にも得意そうな事だろう。
彼等が、魔王を研究している学者達か。
「アルファルド。久しぶりだな」
スピカが学者達を見渡している間に、カペラは部屋の一番奥に置かれた机、その傍に立つ男に話し掛けた。
アルファルドと呼ばれた男は、顔から判断するに四十代ほどの中年に見える。如何にも学者らしい細身な身体付きをしていたが、顔立ちは爽やかで、陰気さは感じられない。若い頃はさぞや女性にモテただろうし、今でも年上を好む女性には好まれそうな出で立ちだ。
……よく見ると、薄汚い染みやらなんやらがクロークに付いている事に気付くまでは。容姿は兎も角、身形を気にしない如何にも学者的な人物らしい。
「レグルス! 何ヶ月ぶりかな!」
「あー……これまでにも何度も言ってきたが、今は偽名で呼んでほしいな。一応隠密任務の最中な訳で」
「ん? ああ、そうだっけ。すまないな、えーっと、カスピ?」
「カペラだ」
また、研究以外の事にも興味がなさそうだ。薄々スピカも勘付いていたが(女騎士となればそれなりに有名であろう。迂闊に出歩けばあらぬ噂が立ちかねない)、カペラの名は偽名だったらしい。
レグルスと言えばスピカも聞いた事がある。王国第三騎士団の団長であり、現在唯一の王国女性騎士団長だ。騎士団の番号は団長の『階級』で決められており、その階級は年に一度の騎士団試合で上下する。第三騎士団とはつまり王国で三番目に強い騎士が率いる部隊という訳だ。ただでさえ優秀な兵士である騎士で作られた部隊・王国騎士団は、全部で(あくまで一般に発表されている分だが)十六ある。そのうちの三番目なのだから、相当の強さと言えよう。
第六以上の階級の騎士団が動く時というのは、それこそ戦争ぐらいなもの。つまり王国は、魔王という存在を戦争と同等の危険性と見做しているらしい。隣国である公国が壊滅したという一報が確かなら、その評価は妥当、或いはこれでも過小評価と言えるだろう。帝国が高位の王国騎士団を受け入れている点からも、両国の上層は事態を相当重く見ているようだ。
智識ある者が聞けば、名前一つでこれだけの情報が得られる。尤も、他国の間者ならば兎も角、一冒険家に過ぎないスピカにとっては(情報を売り買いしないという意味では)どうでも良い事だ。
それよりも重要なのは、これから始まる話の方。魔王に関する知識だ。
「君達が協力者だね。君達については、カペラ、の伝書鳩から受け取った手紙で知ってるよ。ここらは飛行生物が少ないから、伝書鳩で連絡出来るのが良いね。ま、三羽に一羽は行方不明になるけど」
「……はじめまして、スピカよ。こっちがウラヌス」
「よろしくなー」
「うんうん、よろしく。さて、早速本題に入るとしようか」
座って座ってと言いながら、アルファルドは机の横に置かれた椅子を手で示す。お言葉に甘えて、スピカとウラヌスはその椅子に座る。
カペラとアルファルドも椅子に座り、一息吐く。しばしアルファルドは考えるように天井を仰ぎ、やがて日常会話のようにこう話を切り出した。
「まず、君達は魔王という言葉を知っているかい?」
アルファルドからの問い。その意図をスピカは考え、『一般論』として答える。
「御伽噺の怪物、よね。民話とかにもよく出てくる」
「私はなんも知らんぞー。美味いのか?」
「食べるのはお勧めしないね、色んな意味で。一般的にはスピカくんの言う通り、御伽噺の怪物だ。しかし御伽噺というのは、古くから脈々と受け継がれてきた『教訓』でもある」
アルファルドはそう言うと、机の下から一枚の紙を出した。幅一メトルはありそうな紙に描かれていたのは、お世辞にも上手ではない絵。大きな獣に、無数の人が立ち向かうような構図のものだ。
キョトンとした目で見ているウラヌスは、ただの絵としか思っていないだろう。だが冒険家として様々な地を渡り歩き、多くの知識を得てきたスピカはふと気付く。
恐らくこれは、古代の『壁画』を模写したものだと。
「……何処かの壁画?」
「正解。何時頃のものかは分からないけど、帝国の前身である国が出来た六百年前よりずっと古いものだ。現在知られている中では、一番古い魔王の記録とされている」
「一番古い? それって……」
「古来、魔王という存在は幾度となく現れてきたという事さ」
アルファルドは机の下から次々とその『証拠』を出してくる。書類には様々な絵が描かれていて、どれも描き方が大きく異なっていた。
絵の描き方にも技術があり、時代と共に進歩している。また画材を作り出すのにも技術が必要なため、これまた時代が進むと高度になるものだ。最初にアルファルドが出した壁画の模写……あれは遠近法の技術すらない、更に石で岩壁を削って描いたものだから下手に見えたのである。時代が進むと絵は立体的になり、色彩は豊かに、線は細くしなやかに変わっていく。
「そしてこれが最新の記録。三百年前、帝国建国時に書かれた書物に載っていた絵の模写だ。同時に、帝国の前身である国を滅亡させたものでもある」
最後に見せられた絵は、キマイラによく似た獣が、現代的な絵よりも少々太い線で描かれているもの。
アルファルドが示した数々の『魔王』の姿。ウラヌスは「魔王っていっぱいいるんだなー」と納得していたが、スピカはそこまで単純ではない。
パッと思い付くだけで、二つの疑問がある。
「……二つ、質問がある。一つ、何枚も魔王の絵を見せられたけど、こんなにたくさん現れたのにどうして私達一般人は魔王の実在を知らなかったの?」
「簡単な話さ。調査した限り、魔王は凡そ三百年周期で現れている。おまけに現れる場所は、毎度帝国や王国の近くとは限らない。だから伝承で伝えられても、次の魔王が現れる頃にはみーんな忘れている訳だ」
アルファルドの答えに、確かに、とスピカは思う。その時代の事実すら、三日も経てば『噂話』として変性させてしまうのが人間だ。三百年もそれを続けて、しかも三百年間類似の事例がないとなれば、昔話として忘れてしまうのも無理ない。
これについては、スピカとしては事前に予想していた通りなので疑問や違和感は覚えない。されどもう一つの疑問は、そう簡単に納得する訳にはいかない。
「……じゃあ、二つ目の質問。なんで、
アルファルドが出した絵には、いずれも何かしらの生物が描かれている。
だが、その種類は様々だ。時代の古い絵はあまり上手とは言えないだけに、具体的な種を特定するのは困難だが……しかし大雑把にクマっぽい、鹿っぽいぐらいには分かる。
時代が新しいものなら、もっと分かりやすい。巨大な鳥や蛇、蜘蛛のようなもの。そして三百年前の記録ではキマイラらしい。
どれ一つとして同じ姿がない。魔王というのは、単一の種類ではないのか?
その疑問にも、アルファルドは答える。
「実のところ、僕達にも詳細は分かっていない。魔王というのは生物種というより、『現象』と考える方が良いだろう」
「……そこらの生き物が魔王になる現象、って事? いくらなんでもそれは」
「都合の良い解釈、と言いたいんだろう? だけどね、僕達は『証拠』を見付けた。理屈も何も分からないけど、それがあり得るというね」
「証拠?」
生物が魔王になる証拠とは一体なんだ? スピカの疑問はますます深まるが、それを脇に置くようにアルファルドは話を進める。
「魔王について、歴史を通じて共通する点は一つ。常軌を逸した強さぐらいなものだ。言い換えれば文献記録は多々あり、魔王の姿形は変われども、その点だけは変わらない」
「具体的には?」
「『悪魔の如き力』。お決まりの台詞のように、どの文献にもそう書かれている」
悪魔。魔王以上に御伽噺の、言い換えれば架空の存在だ。
誰もがそう例えてしまうほど、魔王の力は圧倒的なのか――――そう考えて、しかし違和感も覚える。
ただ出鱈目に強いだけなら、悪魔なんて例え方をするだろうか? 他に良い書き方(それこそ具体的に拳で地震を起こしただのなんだの)があるとスピカは思う。悪魔、という表現は、書き手の『意図』が含まれているように感じられた。
そう、ただ強いだけではない。言うならば『非現実的』な強さがあるのではないか……
考えてみたが、答えは出てこない。いや、それ以前に何故自分は、カペラやアルファルドの言葉を真に受けているのかと新たな疑問を持つ。
「……魔王の強さは分かった。姿が時代ごとで違うのも分かった。で? 違う姿で現れる『証拠』とやらは? そもそもあなた達が魔王と呼んでいる存在は、本当に魔王なの?」
魔王だの悪魔だの、先程から非現実的な話ばかり。
歴史的な資料を積み上げられたが、これで分かるのは
スピカは魔王がワイバーンだと、十年近く前から活動している個体だと聞いたから、カペラに同行した。だが、スピカはただのワイバーンを求めている訳ではない。
特別なワイバーンが知りたいのだ。王国騎士団ともあろう者達がまさかとは思うが、ただの大柄なワイバーンにビビって魔王だ魔王だと喚いているだけかも知れない。
その可能性は否定してほしい。でなければこんな無駄話に付き合うつもりはない。
「そうだね、そろそろ僕達の確認している存在が魔王……御伽噺で語られてきた生物と同一のものである証拠を見せよう」
その考えを見抜いたように、アルファルドはスピカが求めていたものを示すという。
証拠がある、とはアルファルドも言っていた。だから今更驚くような事ではない。しかしスピカはいざその時が来ると、急に胸の鼓動が早くなったのを感じる。
何故? 理由はいくらでも考え付く。それはきっと、ずっと探していた存在と出会えるから。
出会って、そして自分は――――
「……っ」
首を横に振るスピカ。今のは違うと、否定するように。
それでも、胸の奥底で感じた『それ』は中々消えず。
「うん、分かった」
感じたものを無視するように、スピカは力強く答えた。
「了解。ところで……君の相方、さっきから縮こまってるけど、体調でも悪いのかい?」
尤も、もっと簡単に忘れさせてくれたのは、アルファルドのこの一言。
視線をちらりと向けてみれば、確かにウラヌスは縮こまるように椅子に座っていた。見た目可愛らしくて小さな女の子だけに、その姿は大変絵になる……が、普段のウラヌスがこんなに大人しい訳もない。
一体どうしたのだろうか?
気にはなる。しかしスピカは、尋ねようとする口を噤んだ。
「さぁ? 本当に体調が悪いなら、自分から言ってくるわよきっと。それより、証拠の方見せてくれる?」
「……ま、君がそう言うなら」
アルファルドは席から立ち上がり、部屋の奥にある扉の下へと向かう。スピカとカペラも同じく立ち上がり、彼の後を追う。
そしてウラヌスも静かに立ち、スピカの後をひっそりと追ってくるのだった。