(pixivにて投稿していた作品を輸送しました。処女作です。)
眠れない。悟って顔を上げる。
2月も中頃、外は寒いのだけど、さすがトレセン学園。教室の中は空調万全で過ごしやすい気温になっている。
……どうやら今日の空気だけは熱を少し帯びているようだけど。
アタシはカロリーバーのお昼ご飯を食べた後、机に突っ伏して寝ようと思ったのだが、周りがうるさくてどうにも眠れなかった。
とは言っても、クラスメイト達はぎゃあぎゃあ騒いでる訳じゃない。
そう、雰囲気。雰囲気が何だかうるさい。
変な表現だけど、そう感じたのだ。
みんな忙しなく見えるというか、緊張でもしているかのような。
……かくいうアタシも、その1人なんだけど。
この胸の微妙な高鳴りは、認めざるを得ない。2月の14、理由は明白だ。
去年はその存在すら、アイツにチョコでコーティングされたビスケットを貰うまで覚えていなかった。
ビスケット、それは少しビターなものだった。アタシが甘いものを苦手としていることを知って贈ってくれたのだろう。あのトレーナーは。
アタシのことを分かってくれていたこと。そんなアタシを気遣ってくれたこと。去年のアタシは嬉しかった。今でも時々思い出して、少し幸せな気分になる。
ってか、なんでバレンタインなのにあっちからくれたんだろ。普通アイツが貰う側なのに。
さも当然のようにお菓子をくれたもんだから、アタシも気付くまでおかしいと思わなかった。
ま、そんなとこもアイツらしくて愛おしいや。
「……え。」
一拍置いて、「愛おしい」なんて大仰な言葉が浮かんだことに赤面してしまう。自分で言って恥ずかしくなり、声が漏れてしまった。
机の上で組んだ腕に顔をうずめる。今度は寝るためじゃなく、顔の朱を隠すためだった。
そして、あのカレーの香りを思い出す。
△▲△
1年前のこの日、ビスケットを貰って寮に帰ったアタシは、急いでなにか返そうと思考をめぐらせたのだ。
うーん、チョコも入れたいし……。
結果思いついたのが例のドライカレー。
もしかしたらアイツの夕飯にも間に合うかもしれないと思って、閃いてからすぐに寮のキッチンに向かった。
たどり着いた調理室には先客がいた。
「あらあら~、タイシンちゃんがここに来るなんて珍しいですね~。」
「あ、いえ……」
蓋のされた、火にかけられている両手鍋の前に立っていたのは、同室のスーパークリークさんだった。
そういえば彼女は昨日、部屋を留守にしていた。もしかしてずっとここに……?
「いいえ、今日の午前中は皆にチョコを配っていたのよ。」
……クリークさんは時々、アタシの思考を読んでくる。
微かに甘い匂いが残っていることや、彼女の口ぶりを考えるとやはり昨日はここで今日のために準備をしていたのだろう。
そして、その分はもう配ったと。
ん?ならどうしてここに。
ことこと。吹き出る蒸気が鍋の蓋を揺らす。
アタシの視線に気付いたのか、クリークさんが説明してくれた。
「これはですね、私のトレーナーさんの晩ご飯なんです。やっぱりただのチョコじゃなくて、特別なものを用意したくて♪」
クリークさんとそのトレーナーの惚気ぶりは、この学園でも有名だった。
今度はこちらがここに来た理由を聞かれたので、「適当な晩ご飯を……」と決して嘘ではないことを説明した。
それなのにクリークさんは目を細めてあらあらするものだから、やっぱり侮れない。油断ならない。
そんなクリークさんを横目に、冷蔵庫へ向かう。
必要な具材を取り出して、今度は食器棚から包丁を取った。
まな板はクリークさんが使ったものを使わせてもらう。洗い物を減らすためだ。
さて、材料の中から玉ねぎを1つ、これからみじん切りにしていく。
何回もやってきた事ではあるけど、やはり鼻の奥を突く玉ねぎ特有の刺激は無くならない。
しみる理由ってなんだったっけ。硫化……?確かトレーナーが前に教えてくれたような気がするんだけど。
そうそう、あの日は調理実習の授業があったんだった。それで玉ねぎを切ったチケットが5割増の涙を滝のように流していたから、そのことをアイツに話したんだったな。
「痛っ……!」
うん、アタシが悪い。刃物を使ってるのに別の変なこと考えていたのだから。
平たく言えば、包丁で指先を切ってしまった。幸いにして傷はかなり浅く、紙で切るのと大差ないくらいだった。
大丈夫!?という驚いた声と共に、クリークさんが駆け寄ってくる。大袈裟だ。
そして絆創膏をくれた。流石というか案の定というか、常備してるんだ……。
いつもは疎むその母性も、今は素直に感謝した。
普段ならアタシが怪我をした時点で、絶対にその先の作業はさせてくれないのだけど、今日は理由を察してか、無言で見逃してくれた。
さっきのあらあらも、許してあげないと。
絆創膏を貼ろうとして、切った指を見つめる。傷は浅くとも血管には届いたようで、痛みの割には血が滴っている。流れる血潮を見てふと、この血を料理に入れてトレーナーに食べさせたら……なんてことを思いつく。
刹那、ぞっとした。
なんてことを考えてるんだ、アタシは。
頭を振って邪な考えを吹き飛ばす。
そして作業に戻る。危なかった。
刻んだ玉ねぎはレンジで温め、その間ににんじんをすりおろす。
今度は怪我しないように、少し慎重に。
フライパンに油を垂らし、チューブのにんにくと生姜を大体小さじ1ほど入れる。
計量スプーンを取り出すのも手間なので、目分量である。
中火にかけ、香りがたってきたところで先程の玉ねぎとにんじんを加え、炒める。
全体に火が通ったので、豚ひき肉を入れて更に炒めていく。
そのピンクが薄い茶色に変わってきたところで、ケチャップを大さじ2くらい、ウスターソースをおよそケチャップの半分、水をコップの1杯弱ほど入れる。
ここでようやく主役のカレールーを1粒投入。ちゃんとしたレシピならカレー粉の方がいいらしいが、ルーでも十分だと思う。根拠はないけど、美味しいし。
そして、隠し味に購買で買った板チョコの欠片を入れる。
「あら、タイシンちゃん。カレーにチョコなんて素敵ね!」
鍋の灰汁をとっていたクリークさんが感嘆の声を漏らした。いつから見てたんだろ。
「こういうのを"粋"って言うのかしら?」
「あ、ありがと。」
「ね、合ってるかしら?"粋"。」
「は、はぁ、合ってるんじゃない?」
なんで粋にこだわるのか、少し考える。
あ、あの人か。思ったよりすぐに答えが出た。自分の胸を見る。背丈は同じ位なのに……と、ちょっとだけ湧いた悔しさは否定できない。
クリークさんはまた手を動かし始めた。網杓子でもないただのお玉なのに、灰汁だけを器用にとっている。
さて、こちらもカレーの水分が飛んでとろみがついてきた。完成だ。
冷めないうちにタッパーに移そうとして、気がつく。
致命的なミスに。汗が吹きでる。
──やばい。お米炊くの忘れた。
なにやってんだアタシ。本当なにやってんだ。
解決策を考えようとして頭を働かせるも、打開の手立ては見つからない。どうしよう。
カレーライスにライスがなくてどうする。
何より、アタシはそんなドジを踏むキャラじゃない。可愛くもないのに、恥ずかしい!
焦るアタシに、窮地脱出の福音が響いた。
「もしかしてタイシンちゃん、お米を炊き忘れたの?」
「え、あ、そう……です。」
「なら、丁度良かった!私、炊きすぎちゃって余りそうなのよ、どうぞ使って!」
──聖母だ!
かくしてアタシは、クリークさんからお米を貰い、タッパーにカレーを詰めて調理室を後にしたのだった。
トレーナーの自室に小走りで向かって、インターホンを鳴らした。
ドアが開かれる。カレーの香りに混じるその嗅ぎ慣れた匂いは──
──無情にも、昼休みの終わりを告げる予鈴が、アタシを1年前の記憶から教室の世界に引き戻した。
くそ、これからが本番だったってのに。
無機質なベルの音を恨む。
とまぁ、去年あんなことがあったのだ。流石に今年は忘れたりしない。
今日の学生鞄の中には、確かな存在感が1つ。
休み時間の度に、なくなってはいないか何となく不安になって何度も確認した。そんなことあるわけないのに。
その後の授業でも、やはりというか鞄が気になって仕方がなかった。
△▲△
傘を差し、すたすた歩いている。手を傘の外に出して雨粒に当ててみる。うん、冷たい。
ムラなく白い、のっぺりとした雲が空を覆う府中である。息を吸うと、雨の匂いが鼻をつきぬける。肺腑が2月の空気で満たされ、胸が広がる。こちらも冷たい。
しかし、何だか安心感を覚える。どこか土臭い、そんな雨特有の匂いだった。
タイシンが授業をそれはもう一生懸命受けているであろう昼下がり、残っていた事務作業は思っていたよりも早く片付き、暇を持て余していた僕は外に出ることにしたのだ。
とはいえど、目的も何も無いただの散歩である。足の向くままに通りを歩いては曲がり、気付けば見知った商店街まで来ていた。
傘を閉じ、赤いアーチ屋根の中へと入っていく。
雨なのにも関わらず、商店街は何だか普段よりも賑わっていた。なんでだろう。
しばらく歩いて、目線をあげると垂れ幕が目に入った。そして人の多さに納得する。
『バレンタインイベント開催中!』
白い布地に大きな赤い文字。目を凝らすと、垂れ幕の右下に「商店街協賛」の文字が。
なるほど、それでお店もお客さんも活気がある訳だ。
出店にはチョコの山。屋台のたい焼きにも、期間限定でチョコ味があるみたいだ。美味しそうだな。
そうだ、タイシンにも何かプレゼントしよう。
何か良いものは……とたい焼き片手に散策していると、洋菓子屋さんを発見した。こちらも飾り付けられている。
ここにしよう。左手のたい焼きを口に詰め込み、包み紙を丸めてズボンのポケットに入れた。急いで嚥下したせいで、少しむせてしまった。
店内をぐるっと見て回る。店内はそこそこの広さで、様々な種類のお菓子を眺めるのは少し楽しい。
しばらくして、高級感のある正方形の箱が目に入った。
中には小ぶりなチョコレートが9つ入っているらしい。量も丁度いい。
説明書きには、「大人な味わい」とある。
甘さは控えめ。それが決め手となった。
思ったより値が張ったことは、内緒にしておこう。値札はちゃんと見るべきだな。反省。
バレンタインイベントの一環とやらで、くじ引きをやっているとレジの方に教えてもらった。
くじ引き券3枚が、お釣りと共に渡された。
よし、いっちょ決めてやろう。
──嬉々として向かった会場で、ゲットした景品は洗剤1つと人参2本。世知辛い。
参加賞として貰った、袋1つ50粒入りで売られている業務用のチョコレート3粒を一気に口に放り込み、噛み砕きながら学園へと帰ったのだった。
△▲△
トレーナー室のドアに鍵を差し込み、回す。
ガチャリという感触はない。既にあいているようだ。
コートに着いた水滴を手で払い、中へ入った。
「遅い!どこいってたの。」
我が愛バにお叱りを食らってしまった。こりゃ手痛い。
壁にかけられた時計を見てみると、2本の針は4時32分を指し示していた。
タイシンの授業終了からおよそ30分も経っている。普通に遅刻した。
「ごめんごめん。商店街行ってたんだ。心配かけてごめんな。」
「心配なんてしてない!」
「してないんだ。」
「……ちょっと、した。あぁもう、したよ!ってか!なんで商店街なんか。」
僕の担当も素直になったなぁと笑みをこぼす。
そして肩掛けの鞄からラッピングされた箱を取り出し、タイシンに手渡した。
「ほら、ハッピーバレンタイン。これ選んでたんだよ。」
タイシンはきょとんとして、受け取ったそれをまじまじと見つめた。
……もしかして、気にそぐわなかっただろうか。
「あ、ごめん。気に入らなかっ「いや、そんなことは無い。」
食い気味に否定され、安堵した。
「バレンタインって普通あんたが受け取る側じゃん。だからちょっと驚いただけ。2年も連続でくれるからさ。」
「しかもこれ、高いやつでしょ。」
う、気付かれてしまった。
「そんなことない、手頃なやつだよ。」と訂正するも、じとっとした目で見上げられた。見破られている。
はぁ、とタイシンがため息をつく。そしてソファに置いてあった学生鞄からなにかを取り出した。
「はい、これアタシからも。」
それは丁寧にラッピングされた小袋だった。
……中には、ケーキ屋に並んでも遜色ないくらい綺麗な色とりどりのマカロン。
「これ!作ったのか!?」
「そ。こんなお店のやつには勝てないだろうけどね。」
いや、そんなことは断じてない。この時点で優勝だ。めちゃくちゃうまそう。
早く食べたい気持ちがはやって、袋のテープを急ぎつつも丁寧に剥がし、1つ口に入れた。
「うんまっ!!!」
「めちゃくちゃ美味しいじゃないか!タイシン!!!」
「うるさ……ってか、手ぐらい洗いなよ。」
「あ!確かに。」
本当だ。重要なことを忘れていた。崩れないようにとマカロンの入った袋を机にそっと置き、洗面所へ走った。
△▲△
アタシの言葉を聞くなり洗面所へ飛んで行った彼を見て、「……バカ素直なやつ。」と思わず独りごちた。
なにかいったかタイシーン!と聞こえた気がするが、まぁいいや。
マカロン、凄く美味しそうに食べてくれたな。もっと作ってくれば良かったかも。
くすりと笑ってソファに座る。
トレーナーから貰った薄い箱を開けてみる。
中にはチョコレートが9つ入っていた。さして大きくもない。例えるならそう、ちょうどカレールー1粒ぐらいの。シンプルではあるが、どこか上品なフォルムをしていた。
指でつまみ、半分齧ってみる。断面を見ると、中にはとろっとした果物のクリームのようなものが入っていた。高いものによくあるやつだ。
美味しい。鼻から突き抜けるチョコの匂いもとても気に入った。やはりというか、チョコはビターだった。だけど、どこか優しい味わいだ。きっと彼がくれたからだろう。
もぐもぐと味を堪能していると、彼が帰ってきた。
そして、彼の手は2つ目のマカロンに伸びる。
「うま!!!!!!!!」
「大袈裟。」
「いやだってマジで美味いぞ!タイシンも食べてみろよ!」
「もう味見してるよ。」
今日はトレーニングの予定もない。彼の淹れたコーヒーをお供に、小さなお茶会が開かれる。お茶じゃないけど。
そうして時間は談笑に溶かされたのだった。
△▲△
「ん、結構長いこと話したな。トレーニングもないのに長居させて悪かったよ。」
「別にいい、このチョコも思ってたより美味しかったし。」
「気に入ってくれたのかそれ!よかったよかった。」
ぱっと笑顔になる彼を見てこちらもふふ、とつられて笑う。
ふと、床の上に置かれたビニール袋が目に入った。
「あれは?」
指を指し、中身を問うた。
「ああ、商店街でくじ引きやってたんだよ。見事に外れちゃったけどね。」
そう言ってトレーナーは中身を取り出した。
にんじん2本と、洗剤1つ。
なるほどね。
現在、午後6時。窓の外を見ると、すっかり日は落ちて暗くなっていた。冬の昼は短い。そんな事を考えていると、アタシにあるアイデアが浮かんだ。
「ふーん。にんじんあるじゃん。」
「じゃ、アタシがなんか作ってあげよっか?」
「ほんとか!?またタイシンの料理が食べられるんだな!!」
こんなに喜んでくれるなら、いくらでも作れるというものだ。アンタが誓ってくれた、一生でも。
「さ、じゃあアンタの部屋に帰るよ。外も暗いし。」
「よし!」
ソファから立ち上がり、少し歩いてパチリと部屋の電気を消す。彼がアタシに追いついたのを確認してからトレーナー室の玄関を開ける。すう、と冷えた空気が部屋の中に侵入してきた。
しかし、外の寒さに反して、心はどこか暖かい。
がちゃり。トレーナーが鍵を閉める音がした。
「戸締りよし!」
「さ、行くよ。」
△▲△
暗がりの中、2人歩いている。アタシの気持ちが急いでいることは自明の理であった。
1歩半後ろから、声が聞こえる。
「あ、オリオン座。」
「なんか今日、星がよく見えんね。」
「空気が澄んでるんだきっと。冬の空の方が湿気が少ないからかなぁ。」
「ふーん。」
にんじんで何作ってやろうかな。頭の中でレシピを組み立てる。
あ、そういえば。
「ねぇアンタ、玉ねぎが目にしみるのって何の成分のせいだっけ。」
「え?あー、確か硫酸アリルだ。」
「それだ。思い出した。」
意味の無い会話。それすら何だか愛おしい。
彼の足音や息遣いまで、澄んでからっとした空気はアタシの耳までよく届けてくれる。
いつの間にか、隣に並んだトレーナー。彼の横顔を見上げる。幸せが溢れる。
アタシは彼の手を引っ張り、駆け出した。
「え、ちょはやい!タイシン!」
「うるさい!」
月明かりがアタシの朱に染まった頬を照らす。その赤が寒さのせいでないことは、覗く満月にはバレているんだろうな。
さて、光が近づく。彼の家が来る。ときめき満ちるバレンタインの夜。誰より満ち足りているのは、きっとアタシなんだ。
─了─