ヘクトールとぐだ男の短編まとめ3   作:なまきいろ

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今触れたら越えてしまう

 「疲れたなあ」

 誰にというわけでもなく彼はぽつりと言葉をもらす。

 それは誰もいない室内に染み渡り、霧散していった。

 再度訪れる静寂にまたも疲れが心身にのしかかる。

 皆も気遣ってくれているのだ。マスターである彼に過度に負担をかけてはならない。そう思って個々で持ち込む案件は余り重ならないように配慮してくれているのだ。

 しかしどれほど調整しようと思ってもこの人数だ。どうしたって重なる時だってある。緊急の特異点が舞い込んでくる時もある。それで更に話がややこしくなる時もある。

 特段に疲れているのだから休まなくてはいけない。分かってる。けれどなんだか眠れない。脳が死につつもまだ息づいている興奮に目が冴える。

募る気持ちとは裏腹にバレンタインに貰ったぬいぐるみたちを抱えながらぼんやりと天井を仰いでいた。

 「……はーい?」

 そこにドアの呼び出し音が鳴る。

 鍵をかけていないのは誰もが知っているはずなのにわざわざベルを鳴らしてこちらが開けるのを待っているなんて。それなりに礼節に重きがある人の訪問だ。多分。動けなくなっていた心身に再び律を入れ、彼はドアへと向かった。

 「はぁいマスター。お疲れの中悪いね」

 「ヘクトール!?」

 へらりと笑った男が現れ疲れが全て吹き飛んだ。

 たとえ自分たちが特別な間柄であったとしても、マスターとサーヴァントという前提を重んじ厳格に線引きをしているヘクトールがわざわざ彼の部屋に訪れるのは珍しい。本当に珍しい。何か緊急の要件が、とも思ったが、そうであるならとうに切り出しているだろうし様子がおかしい。なんだかすごくぐったりしている。何があったのだろう。

 事態を上手く察知出来ず立ち尽くす彼にヘクトールは「いや、なんてことはなくてね?」と色の悪い顔でため息混じりにへらりと笑う。

 「オジサンも最近忙しくってさあ、マスターに会いたくなっただけ」

 「おっ……おっ、おっ………………おう??」

 ヘクトールのような人でもそんな気持ちになることがあるのか。

 回らない頭でついていけない状況に言葉すら上手く練ることが出来ない。

 そんな中でひとつはっきりと浮かぶのは「これからどうしたらいい?」のひとつのみ。

 ヘクトールのカルデアでの仕事のひとつにはマスターひとりでは手が回りきらないサーヴァントたちとのあれこれの処理がある。そのヘクトールが目を回しているのならこちらの取りこぼしが過多だったということだろうか。それは申し訳ないことをしたと謝罪するべきだろうか。いや、まだ向こうが何も言っていないのに勝手に申し訳なくなるのも具合が悪い。違っていたら自意識過剰が恥ずかしいし空気も悪くなる。よろしくない。

 ちょっと会いたかっただけとはいえ、立ち話というのもなんだ。部屋に招いてお茶でも振る舞いながら話を聞くべきだろうか。話したいことならたくさんある。しかし早々に帰って休みたい気分の時に茶に招かれるというのもしんどいだろうか。余計に気を使わせてしまうだろうか。自分もこの通りなのでちゃんとおもてなしが出来るのかと言われると全く自信がない。話の整理も出来ずに闇雲に声だけ垂れ流して受け取る方に混乱させたら大変だ。もしかしたら今も忙しい最中の間隙を縫っての訪問だったりしたらそういう誘いだけでも困らせてしまうかもだし。

 しかしこのままそれじゃあバイバイというのも寂しすぎる。間違いなく後悔する。ヘクトールが部屋まで来てくれるなどこれからどれほどあるかも分からないのに。

 

 ならば。

 ならば。

 ならば。

 

 …………もう欲求のままにとりあえず抱きついてもいいだろうか。それだけで癒される心身は確実に存在する。抱き枕になってくれるなら秒で眠れる気もする。

 いやしかし。

 疲労と混乱の中で右往左往と駆け回る思考に完全にフリーズしている彼を前にヘクトールもまた動きはない。

 疲労を多大に含んだ顔をして光のない瞳で彼を見つめるだけ。風呂上がりの雑なドライヤー捌きで湿り気が残る彼の髪を少々摘まんで擦ったり指に巻いたりと愛しげにひとり遊びを黙々と続け

 「会えて良かった」

 優しく柔らかく、つぶやくように言葉を漏らし

 「じゃあマスター。お互い休める時はゆっくり休もうぜ」

 そう残して消灯された暗い廊下の中に消えてしまった。

 「…………………………………………」

 残された者はただ言葉も思考もなく立ち尽くした後にドアを閉め

 「…………………………………………」

 混乱のままベッドに戻りぬいぐるみを抱きなおしてベッドに倒れる。どのぬいぐるみを選んだかの認識すらも全くない。ただ選ばれなかったぬいぐるみたちも何か伝えたそうに寄り添ってくれている気がした。

 「…………………………………………」

 つむじ風のような一瞬の出来事が現実だったのか疲れすぎた幻だったのか。それすらも分からないまま混乱は渦巻き続けいつしか意識すらも砂と崩れて霧散していった。

 

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