ヘクトールとケーキが食べたいな。
そう思ったのはいつもの通り道にあるケーキ屋の排気口から甘い香りが鼻に届いたからだ。
彼は甘いものを好いているがそのような嗜好品を積極的に購入するタイプではない。
ヘクトールもまた彼のために甘いものを用意することはあるが自身のためにそれを購入することはほとんどない。
だからこの気まぐれが起きるなんて珍しい。というか初めてだ。
故に突如ぽんと現れた衝動に声もなく浮かれてショーウィンドウを満遍なく見回す。
苺にチーズにチョコレート。タルトもいいしフルーツたっぶりのロールもいい。プリンやシュークリームというのもありだ。いっそケーキはやめてマドレーヌやカヌレやドーナツやマカロン等の焼き菓子セットにするのもありかもしれない。
それほど大きくない、町の小規模なケーキ屋だ。基本的でシンプルなラインナップである。長々と悩むほどの種類はない。しかしこうして並んでいるとやはり目移りはしてしまうもので。黙して待っている店主の前でひたすらきょときょとと物色を続け
「ここまで悩んだら直感で選ぶといいですよ。この店は外れがあるタイプでないし今日限りってわけでもないわけだしさ」
「いや、それは当然承知であるが今回のメインは自分ではないからこそ慎重になるわけおおわあああ!?」
ベタな驚き方をしてしまった。
へらりと笑うヘクトールをよそに彼もショーウィンドウ越しの店主も驚いている。……まあ店主のほうはヘクトールにというより彼の驚き声に驚いたという風であるが。
「自分で食べる用でない?どちらかへのご贈答品?」
「お、おああ……」
これはなんとして切り出せばいいものか。
正直に言ったら意地悪く笑われて意地悪なことを言われていたたまれなくなるのでは。ヘクトールはそういう悶絶した自分を見るのも大好きなのだ。そういう心当たりがいくつもある。しかし自分はそのような状態に陥る自分は好きではないし見られたくないし笑われたくもないのだ。こちらはただただ単純にヘクトールと甘味を楽しみたいというだけなのに……!
ぐねぐねと目を回す彼にヘクトールは「もしかして」と困ったように眉を寄せる。
「ご両親にでも会いに行く予定だった?それならあまりかしこまりすぎても向こうからしたら恐縮しちまうと思うんですが」
「ち、違う!確かに近々会いに行く予定ではあるが流石に土産にケーキなんて大げさは……!」
事情あって特殊な距離感で悩ましく思っているところは確かにまだあるけれど。
ヘクトールと共に在りたいと願った時にほぼ反対なく許可してくれたことに返しきれないほどの恩は感じているけれど。しかし今はそういう悩ましさは微塵も頭になかったもので……!
これは照れや気まずさで下手にまごついては延々おかしく拗れてしまうやつだ。さっさと白状したほうが傷が浅いやつだ。察した以上はこちらが覚悟を決めて踏み出さねばならない。ぐっと奥歯を噛んで力を溜め
「お前と食べたいケーキを選んでいたんだ!」
「へっ!?」
「いるならちょうどいい!選んでくれ!お前が食べたいやつ!おごりだ!」
「…………」
これから多量に意地悪なからかいを浴びることなど知ったことか。勢いよくぶつけられた想いにヘクトールは目を丸め、ヘクトールにしては珍しく腹まで言葉と想いを飲み込むまでに少々時間をかかり
「う、うーん……。それじゃあありがたく、どれにしましょうかねえ……」
「敵わないなあ」という苦笑いで頭をかき、色とりどりにきらめくショーウィンドウの中の品定めを開始した。その始終を全て見ていた店主は何も言わないまま、ただ黙って微笑みヘクトールの選択を待っていた。