ぐにゃりと一瞬意識が歪む。
目の奥が揺らいで脳の位置が安定していない感覚、いわゆる眩暈だ。誰にでもあるそれだ。
一瞬のそれで終わるのならば気にも留めずに動き続けるのだがどうも毛色が違う。眩暈が昏々と奥から湧き上がるように止まってくれない。休養が必要な程度に具合が悪いのかもしれない。
それを無視して生活をしようと思えば出来る。部屋の中にいるだけなら事故も起きにくかろう。今日はもう外に出る用事もない。しかし集中力を大きく欠いている状態では室内でもろくな成果も得られないだろう。何をしても無駄と言っていい。むしろ何もしないほうがマシであると断言してもいい。
常時緊急招集に備えていたあの頃でもなし。特段直近に迫る何かもない。今日は何もせずに休んでいいだろう。
棚から薬を取り出し水で胃に流す。ふたり用のソファーに腰かけそのまま倒れる。横になっても奥が回っているのだから思う以上だ。休息を選んだのは正解と言えるだろう。
それに思いの外ソファーの寝心地がいい。大の男がふたりで使うのだからと大きくて頑丈なものを選んだわけだが、それに加えてふかふかだ。これは思っていたよりいい買い物をしたのかもしれない。……値段のことは、考えたくないけれど。使用頻度を考えればきっと元は取れていると信じたい。
本来なら自室の布団に潜るべきだというは分かっていた。しかしそんな気も体力もないまま回る意識の渦に飲まれるように沈んでいった。
「…………ぅぁ?」
「マスター具合悪いの?顔色悪いよ?」
「……んんぅ、ちょっと良くなった、かも」
「そう?」
どれくらい眠っていたのか。気付いたらヘクトールがいて、気遣わしげにこちらを覗きこんでいた。
寝て起きたばかりだから本当に具合が良くなっているのかは分からない。だがもうひとりのソファーの使用者が現れたのなら譲らねばならない。だるさと重さがぼんやりと残る身体を上げて座るよう促せば、その通りに隣に座ってくれた。
贅沢に独り占めするのも少し楽しかったが、やはりソファーはふたりで使うものだと深々と思った。隣にその人がいるだけでずっとほっとする。
「起きて平気?」
「ああ、半分の優しさに甘えているところだからな」
何せ目の奥が今はぐにゃぐにゃと渦巻いていない。
だるさ重さはまだぼんやりと残っているものの、このまま一日休んでいれば明日にはどうにかなっているのではないだろうか。
まあ何にせよ、病院に行くほどではないだろう。
……昔ならば「頭痛を侮るな」と簀巻きにされてでも強制的に全力検査に連行されていたと思うのだが、まあ、今なので。そこまで過敏になる必要はないだろう。多分。半分の優しさで十分だ。
納得でひとりごちる彼にヘクトールは「ふぅん?」と静かに目を細め、彼を引き寄せ頭を膝に倒す。何が起きたかときょとりと目を丸める彼に柔らかく笑みを落とす。
「じゃあもう半分はオジサンに甘やかさせて?」
「…………」
ごろごろと機嫌良く猫か何かをあやすように顔を撫でる手に、未だ何が起きたか分からないと丸まった瞳は戻らないままだ。しかし薬と体調不良でろくに回らぬ思考では普段からよく分かっていないヘクトールの思惑など更に分かるわけがない。故にまあいいかとすぐさま思考を切り捨て「にゃあ」と小さく鳴いてその優しさに全てを委ねることにした。