なにも新しくアクションを起こさないトレーナーを見かねて彼シャツをする話。
山もなければ落ちもない話ですがシチーって彼シャツ滅茶苦茶似合いそうだなって考え始めたら書かないわけにはいきませんでした。
世の中には彼シャツというものがある。
主に交際中の男女の女側が男のシャツを着るというイベント。アタシにはよく分からないけど彼女がブカブカの自分のシャツを着るというシチュエーションに男はグッとくるらしい。
そんでなんでそんなこと考えてるかってーと
目の前に脱ぎたてのトレーナーのシャツがあったからだ。
最初の3年間を終えた後、アタシたちは互いに両想いってことを確かめ合って晴れて交際がスタートした。
レースもモデルの仕事も恋も全部が上手くいって幸せの絶頂だったはずなのに一つ大きな問題があった。
「恋人になったってのにアイツやることが変わんないだよね」
付き合う前と後とでそんなに関係が変わんなかった。いや、付き合う前から休みに一緒に出掛けることはたくさんあったからデートしてるだろって言われたらそれまでだけど、もっとこうあるんじゃない?
別に世の中にいるようなバカップルみたいにベタベタしてほしいわけじゃない。そんなのアタシも嫌だし。
でも恋人になったんだからイチャつくとまではいかなくても何らかのアクションはあるべきでしょ。
そんでいよいよアタシの我慢が効かなくなってきた頃にトレーナーの部屋に遊びに行ったら脱ぎ捨てられたシャツを発見したってわけ。
トレーナーはちょうど近くのコンビニまで買い物に出かけてる。
「これを着ればさすがのアイツも……」
朴念仁を煮詰めたみたいなトレーナーもさすがにシャツを着たアタシを見たらなんらかの反応を示すはず。
ただ、構って欲しいからシャツを着て媚びる真似とてもじゃないけど出来ない……出来ないんだけど……
「正直、着たときの反応が見たい!」
3年前、トレーナーと出会う前のアタシなら彼シャツなんてするような奴の気持ちは分かんなかった。
しろって言われても鼻で笑って突っ返すのがアタシだったはずだ。
でも、今はこれを着たアタシを見たトレーナーの顔を見たい。きっと顔を真っ赤にして目を背けるような仕草はするだろうけどムッツリだからチラチラ見るはず。
そこからは……まぁなるようになるでしょ。
「……着るか」
意を決したアタシは制服を脱ぐ。
……さすがに裸にシャツは恥ずかしいから下着は着たままでシャツを羽織った。
フワリと広がる匂い。いつも嗅いでるアイツの匂いだ。加えて前にプレゼントしたアタシがいつも使ってる香水の匂いが混じる。
それはまるでトレーナーとアタシが一つになったみたいで……。
いやいやいや落ち着けアタシ。今、昂ったら何しでかすか自分でも分からない。
ああ、でも!
「あーっこの匂いヤバい」
アイツの汗と香水が混じった香りを胸一杯に吸い込む。
いつも思うけど癖にというより中毒になりそう。
まぁ3日に1回ぐらいの頻度でアイツが脱いだジャケットやジャージを嗅いでるんだから、もう立派な中毒者なのかもしれない。
と、とりあえずこれで準備は完了。あとはアイツを待つだけ。待つだけなんだけど……
「改めて見ると本当にすごい恰好してるよね」
部屋にある鏡で今の姿を見て、どこか他人事のように思った。というのも言い方は悪いかもしれないけど、こういった人に媚びる?ような服をきるだとか普段のアタシからは考えられない。
一応、学園でもモデルとしても“クール”なゴールドシチーとして通ってるから今のアタシの状況を見れば学園の子、特にユキノなんかは卒倒すんじゃない?ついでに3年前のアタシに見せても卒倒どころか軽く1か月は寝込むレベルだと思う。
そう思うと……
「アタシも変わったってことかな」
変った。いや変えられたのほうが正しい。
あのトレーナーにアタシは……認めたくはないけど染められたってことなんだろう。
いや別に悪いことではないんだ。
アイツと出会う前までは『お人形さん』になりたくないレースで認めさてやるって思いが強すぎて余裕がなかった。でも、アイツと出会ってからは思いが弱くなることはない、むしろ強くなったんだけど心に余裕が出来た。
きっとアタシの見えない所で色々頑張ってくれてたはず。そのおかげで今のアタシがあるんだ。
……ま、そのトレーナーの反応が見たいからって彼シャツをしてるアタシは別の意味でも染められてるんだろうと思う。
「……にしても遅いな」
近場にあるはずのコンビニに行ってからもうずいぶん経つけど帰ってくる気配がない。心配になって『大丈夫?』とだけメッセージアプリで送信する。そうしたらすぐに既読が付いて『先輩に捕まってしまって帰るの遅れそう』って速攻の返信。
事故とかトラブルじゃなくて一先ず安心した。……だけどしばらく帰ってこないってなると
「シャワー浴びとくか」
部屋に来る前も浴びてはいたけど一応、一応ね。
もしかしたらがあるかもしんないしさ。
シャワーを浴びた後は念には念を込めて歯磨きも済ませる。
トレーナーの部屋にはアタシ専用の歯ブラシも含めて少し……いや、かなりの量の私物を置いている。
だから、一晩二晩泊まりになったところで困る事なんかない。まぁ寮に黙って無断外泊したら問題になるけど。
「そんなこと一度もなかったんだけどね……」
問題がないことが問題というか。
本当に男なのかコイツは?って思うことが何度もあった。だからこその彼シャツなんだけど。
「ただいまー。いやーあの先輩、話が長くて遅くなっちゃったよ」
っと、やっと帰って来た。
アタシは今、ちょうど玄関からの角度的には見えない位置にいる。
これから、この姿をアイツに見せる。
そう考えると無駄に心臓の鼓動が早くなる。それと同時にアタシなにしてんだって思いが強くなった。
急激に羞恥心と虚無感がアタシを襲った結果
「シチー、その姿は一体……」
「……悪い?」
布団にくるまって顔だけ出すっていう姿でトレーナーを出迎えた。
ムードもシチュエーションもない間抜けな恰好にトレーナーは唖然としている。
「もしかして寒かったか?それとも寒気がするとかか?」
「……アンタが思うような理由では一切ないから心配すんな」
「そう……なのか?だったらどうして?」
「こ、これは……。そう!新しい健康法!体に布団を巻いて血行を良くするんだって」
何言ってんだアタシ。
さすがに苦し紛れすぎるでしょ。
なに?健康法って意味分かんない。トレーナーは職業柄、スポーツ科学とかにも明るいから通用するはずないだろ。
「へー最近だとそんな健康法があるんだな。知らなかったよ」
通用したわ。
アホなの?このトレーナーは。
前々から思ってたんだけどコイツ、アタシの言うことを何でも信じすぎじゃない?
試しにアタシとアンタは前世でも結ばれていて今の世でも結ばれる運命だったとか言ってみたら……。今と同じ顔でそうなのか!って言って信じそうで怖い。
「そんなことなら俺もやってみようかな」
「……アンタ、それ本気で言ってんの?」
そんでもって実践しようとするトレーナーの腕を掴んだ。カップルが部屋の中でそれぞれ布団を身体に巻き付けるなんてシュールな光景、アタシは見たくない。
ただ、腕を掴んだせいでアタシを守っていた布団は支えをなくして床に落ちる。そして、残ったのは彼シャツ姿のアタシ。
「お、おお!なんていうか随分、攻めた服だな!」
ほら、トレーナーだって微妙な反応してるし!
誰だよ彼シャツ姿の彼女にグッとこない男なんていないって言った奴!目の前の男は困惑してるっつーの!
シャワー浴びたし歯も磨いた。化粧だって直して下着も勝負用のを身に着けて来たってのに!
いや、タダで転んでたまるか!
「これ、アンタのシャツ借りてみたんだけど、どう?」
「どっかで見たことあると思ったら俺のだったか。それでどうって?」
さすがトレーナー。
鈍さがこっちの予想の斜め上だ。
ほんと、なんでこんな男を好きになったんだろうって後悔するけどもう遅い。惚れたアタシの負けなんだ。
アンタが攻めないってなら、ここは無理矢理にでも
「なんか思うことはないかって聞いてるんだよ!彼女が彼シャツして出迎えたんだからさ!なにか言うことぐらいあるでしょ!」
「いや、出迎えの時は布団姿……」
「屁理屈言うな!」
攻めて攻めて攻めまくる。
これがアタシが出来ること。
そもそも恋愛経験なんてトレーナーとが初めてなんだから策を弄そうとするのが間違いだった。
「その……なんだ。臭くないか?」
「アタシ、アンタの匂い好きだから」
やっぱり誤魔化してきた。
いつもはグイグイ来る癖に肝心なことは言おうとしないんだから質が悪い。アタシが逃がすとでも思ってんの。
「そ、そうか。それなら問題ないのか?」
「それでアタシへの感想は?」
「へ?」
「か・ん・そ・う!言わないなら今の姿をアンタと一緒に無理矢理自撮りしてウマッターに上げるから」
「うわー!!待て待て!」
もちろん半分は冗談。残り半分はまぁ……ね。
それよりもやっと事の重大さが分かったらしいトレーナーはジッとアタシを見つめる。その視線がくすぐったくて身をよじった。
「まず、そのサイズのブカブカ感って言ったら良いのか?それはすごく良いと思う。それにいつも着ないような服?を着てるからシチーの違う面を見られて個人的には嬉しいな」
「そ、そう」
……しどろもどろに話すかと思ったらペラペラ話し始めたんだけど。台本でも用意してたの?って勘繰りたくなるぐらい言葉がスラスラ出てくる。
この男、恥じらいとかないの。
「それに感想が欲しいってことは俺のことを考えてその服装を選んでくれたってことだろ?」
「それは、そうだけど……」
「俺的にはそれが一番、嬉しいかな」
あれだけ攻めてたのに今度はアタシが押され気味になり始めてる。
なにか言わないとって思って言葉を頭の中で巡らしていたらトレーナーの耳が真っ赤になってることに気が付いた。
コイツ、顔には出ないけど耳に出るタイプか。
そうだよね。ポーカーフェイスを気取ってるとはいえコイツも立派な男。
アタシがここまでしてるんだから何もないわけがないよね。
「今、すごく照れてるでしょアンタ」
「……そんなことないが」
変な間があった。図星ってことだよね。
ここまで言わないといけないとか本当に面倒臭い奴!こんな奴の彼女出来んのきっとアタシぐらいだ。
そんなことを考えながらニヤリと笑ってトレーナーの耳を指差す。
「そこ真っ赤になってるけど?」
「なに!?……ああ、もうせっかく隠し通せると思ったのに」
鏡を見てしっかり赤くなってることを確認したトレーナーはガッカリっていった感じで肩を下げる。
「別に隠す必要なんてないじゃん」
アタシとしては何の反応がないほうが苦しい。
正直、ポーカーフェイスでペラペラ褒められるより顔を真っ赤にして何も言えなくなる方がアタシ的には嬉しいんだよね。
「それは……なんか格好悪いだろ」
「へ?」
アンタ、カッコイイとか気にする男だった?
別に悪いことじゃない。他人からどう見えてるか気にするのは大切なことだけど、これまでそんな素振りは一回だって……。
「仮にも付き合ってる子の前だぞ。格好悪いところなんて見せられないじゃないか」
「……ふーん」
へー、そう。そうなんだ。
付き合ってから態度が変わってないと思ってのは間違いだってわけね。
トレーナーはトレーナーなりにアタシに格好良いところを見せようとしていたと。
悪くないじゃん。
「じゃあ、カッコイイとか悪いとか気にしないでアタシの今の姿を褒めてよ」
どうせさっきのペラペラ言ってたのも本心ではあるんだろうけど芯の部分は隠してるんでしょ?
「……すっっごく良いと思う。最高だよシチー」
語彙力が欠如した誉め言葉。見ようによっては適当に受け取られかねないこの返答こそがアタシが求めてたものだ。
だって耳だけじゃなくて顔まで真っ赤にして照れくさそうに、それでいて嬉しそうにアタシをチラチラ見ながら言うんだから。
ここまで言わせたのならこっちのもんだ。トレーナーへ一歩距離を縮めて耳元でアタシは囁く。
「今日、泊っていくから。そのつもりで」
何があったか結果は伏せるけどアタシが寮に帰ったのは翌日の昼過ぎだったってことは言っとく。