ウマ娘短編集〜GW企画〜   作:ちゃん丸

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作者:またたね




黎明

 

 

 空を彩る満天の星空の中、秋の夜風が草木を揺らした。

 東京は府中、閑静な住宅街。そこから少し進むと、小高い丘があった。雑木林が覆う丘だが、その天辺は何者かが意図したかのように切り開かれた草原となっている。そこに星空を見上げながら座り込んで佇む、二人の女性が居た。

 

「綺麗ですね」

「だね。こんな景色、そうそう見られるもんじゃないよ」

 

 感嘆の声を漏らし、嬉しそうに尻尾──彼女がウマ娘である証だ──を振る少女。そんな少女に同意を返した彼女は、少女のトレーナーである。

 

「くわぁ……」

「トレーナーさん眠いんですか? 夜はまだまだこれからですよ?」

「午前四時なんだよね、今」

「…………夜はまだまだこ」

「いやもうすぐ日の出なんだよね。寧ろ朝なんだよね」

「…………綺麗ですね、星空」

「え、シカト????」

 

 トレーナーの追求を無視し、ウマ娘──サトノダイヤモンドはそっと星空へと視線を戻して微笑んだ。そんな彼女の様子を見て、トレーナーはため息を吐きながら半目で彼女に問いかける。

 

「っていうか、ダイヤは眠くないの? 今日……いやもう昨日になっちゃったけどレースに出たばっかりだったのに」

「……はい。なんだか落ち着かなくて。寝て起きたら夢だったらどうしようって、そんなことばかり考えちゃうんです」

 

 トレーナーの問いかけに、彼女は困ったように笑った。そんな心情を察したトレーナーは、吐息を漏らしながら笑い掛ける。

 

「夢じゃないよ。あの結果が夢だったなんて、神様にだって言わせない。あれはダイヤが自分の力で掴み取った、正当な対価なんだから」

「そう……でしょうか」

「そうだよ。だから自信をもっていいよ」

「……ふふ、ありがとうございます」

 

 安堵したように笑みを浮かべたサトノダイヤモンド。そして彼女は再び星空へと視線を戻して、そっと言葉を溢した。

 

 

 

 

「──勝ったんですね、『菊花賞』」

 

 

 

「……うん、勝ったね」

 

 彼女の横顔を見ながら、トレーナーは呟いた。勝利の余韻を噛み締めるように、サトノダイヤモンドは胸に手を当て、笑顔で星空を見上げている。その様子を見て微笑みながら、トレーナーは今日行われたレースへと想いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──『菊花賞』。

 

 京都レース場、芝3000m、右回り。

 

 天候曇、バ場状態良。

 

 

(ついに……ついにこの時が来ました)

 

 

 パドックで調整を終えたサトノダイヤモンドは柵に寄り掛かって深呼吸をしながら鼓動を沈めていた。

 

(レースプランの確認も問題無し。天候は最高……ではありませんがバ場に影響を及ぼすほどでは無い)

 

 冷静にレースへの思考を巡らす。その最中、大きく鳴り響くファンファーレ。パドックからゲートへと、出走者達が移動を始める。それに続いて柵から身を離し歩き出そうとして……彼女は思わず顔を顰めた。

 

(…………)

 

 怪我、ではない。それでも漠然とした違和感。脚に──否、全身に纏わりつくような微かな倦怠感。調子が良い、とは口が裂けても言えない。

 

 ──冷えていく。

 

 レースに向けて闘志を燃やすべき自分の心が。会場の熱気、ライバル達の闘志に当てられた体が、それと反比例するように。

 指先の感覚が無い。

 空気が肺に突き刺さり、呼吸が苦しい。

 足首を何かに握り締められているかのようで、ゲートに向かって歩いていくことすら億劫。

 

(緊張、していますね。笑えるくらいに)

 

 サトノ家の悲願──一族から、G1レースに勝利することのできる名ウマ娘を輩出すること。新興グループながらもURAの重鎮として、『トゥインクル・シリーズ』の発展に大きく寄与してきたサトノ家。数多のウマ娘を輩出しながらも、最大の貢献とされる名ウマ娘の輩出には手が届いていない。

 

 誰が言ったか、『未だG1無し、サトノの“ジンクス”』。

 

 ジンクス──好意的な表現とは、口が裂けても言えない。事実この言葉はまるで蔑称のように雑誌やメディアで取り扱われている。

 そんなジンクスを己の手で破る。そんな夢を叶える為、彼女は血の滲むような努力を重ねてきた。『クラシック三冠』での勝利を目指して、常人ならば壊れてしまう程のトレーニングすらこなした。

 しかし先の『皐月賞』では突然の春嵐で交通が麻痺、中山レース場まで走っていくことを余儀なくされた。その疲労が祟って彼女の最大の持ち味である末脚が輝かず三着。リベンジを誓った『日本ダービー』では最終直線でハナに立った直後、靴の蹄鉄が外れるというアクシデントに見舞われてしまった。結果差し返されて二着。まるで何かに取り憑かれているかのように、彼女は一着を許されない。

 サトノダイヤモンドは理解している──一族の、『クラシック三冠』での勝利に賭ける思いを。先の二敗の影響で、両親のサトノ家での立場が揺らぎ始めている事を。

 次こそは、『菊花賞』こそは。自分自身は勿論の事、それ以上に周囲が彼女に求めているのだ。結果を、勝利を、悲願の成就を。

 

(怖くない、重くない、苦しくない。だってこれは、私が自分で選んだ道)

 

 彼女の心は微塵も揺るがない。元来の負けず嫌いはジンクスに屈する事なく、寧ろ自分の手で破ってみせると意気込んでいるほどだ。

 しかしそんな気持ちとは裏腹に、重圧が彼女の身体を鎖の様に縛っている。

 

(……トレーナーさん)

 

 来賓席に目を向ければ、機体の視線を向ける一族の人々の隅に、祈るように瞳を閉じている、自身が絶大な信頼を置く彼女が居た。

 今でも昨日のことのように思い出せる、彼女との出会い。一度レースを見ただけで自分の弱点を見つける観察眼を持ちながらも、自分を凡人だと卑下してその才能を認めようとしない気弱な彼女に、何度救われてきたことだろう。

 彼女は、自分にとっての篝火だった。暗闇を照らす、優しい温もり。それは今も確かに、自分の心の中に脈を打っている。

 

(……勝ちたい。否、勝たなくてはなりません)

 

 義務を篝火に焼べる。

 

(あの人の、みんなの期待に応えたい)

 

 ゴウ、と──強く音を鳴らして篝火は燃え盛る。生まれた熱の本流が、凍えた身体に活力を齎した。

 

(だからお願い、私を導いて)

 

 

 

 ──神サマでもなんでもいい。

 

 勝てるならば、叶うならば。

 

 どうかお願い、私に力を。

 

 

 

 そして運命のレースが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースも後半に差し掛かり、サトノダイヤモンドは現在九位。その表情は険しく、展開が想定通りに行かない歯痒さを滲ませている。

 

「……ダイヤ」

 

 そんな彼女の様子を見ていたトレーナーは、小さく名前を呼んだ。

 前を走る三人が壁となり、思うようなレース展開ができていない。

 だが、根本的な原因はそこには無い。サトノダイヤモンドの調子が上がりきっていないのだ。普段の彼女の末脚なら、交わして先頭集団に食い込むことは難しくないはず。

 しかし現状、どうすることもできずに時間だけが無為に過ぎて行く。

 

(苦しいよね……貴女今、酷い顔してるわ)

 

 己の無力を噛み締め、その上で必死で現実に抗おうとしている。走りに普段のキレは無く、枷を嵌められているかのように鈍い。

 トレーナーはわかっている……彼女が今回の『菊花賞』に賭ける想いの全てを。また周囲が彼女に寄せる期待、好奇……様々な感情を。その全てを華奢なあの肩に全て乗せて、彼女は今ターフを駆けている。

 

 

(私はここで貴女を見ていることしか、祈ることしかできない……だけど)

 

 握られた手に、力がこもる。

 

(私はちゃんと、ここにいるから──!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ダメ……っ、このままじゃ……!)

 

 順位は上がらず、体力だけを無為に食い潰していく。そんな現状に、サトノダイヤモンドは苦悶の表情を浮かべていた。

 

(重い……体がッ、どうして……どうして!?)

 

 焦りが募り、呼吸が浅くなる。それでも彼女は勝利を諦めない。しかし時間は刻一刻と迫っていた。ラストスパートとはタイミング、最高速度、スタミナ、加速時間……様々な要因が複雑に絡み合い成否が定められる。彼女の末脚……最高速度は一級品だ。そこまで達してしまえば並のウマ娘では触れることすらできないだろう。だがその速度に至るまでに時間がかかり過ぎてしまった場合、どんな速度で走ろうが先頭には追いつけない──言うなれば、()()()()()()()()()()()。それが今まさに訪れようとしている。そのことを理解しているが故に、彼女はより一層焦燥しているのだ。

 

(こんな……っ、ところで───ぇ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと気づけば、彼女は水の中に居た。

 

(ッ──!?)

 

 混乱は極まり、彼女は四肢を動かそうとするも反応する箇所はひとつもない。彼女にできることは、水面から遠ざかるように沈んでいく己の体を受け入れることだけだった。理解不能の現象に混乱したまま、時間だけが過ぎていく。

 

 深く、深く。

 

 身動きの取れないまま、沈んでいく。

 

 その中で最初に消えたのは、音だった。

 

 蹄鉄を踏み鳴らす足音が、聞こえなくなった。

 

 そして視界が、闇に包まれた。

 

 

(何も──何、も)

 

 

 胸中に纏わりつく、焦燥と傍観。

 

 負けたくない。そんな微かな反抗心を踏み躙るように、負の感情が彼女の心を黒く塗り潰す。

 

 怖い、苦しい。

 

 色彩を失った世界で、孤独を噛み締めながらそっと瞳を閉じる。

 

(……ごめんなさい、勝てませんでした。一族の悲願を果たせませんでした。私は一族の、トレーナーさんの期待を、裏切ってしまいました)

 

 瞳から溢れた涙は、頬を伝う事なく海面へと浮上して、泡沫のように消えていく。

 

(私は、もう……もう──)

 

 開かれた瞳は、輝きを失っていた。

 

 不屈の金剛石は、託された思いの重さに耐えかね、自壊を始めてしまっている。

 

 欠けていく己をどうすることもできず、彼女は“それ”を認めることしかできない。

 

 

 

 

 そして彼女は、夢の終わりを受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(──ャ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(──ィャ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(──ダイヤっ!)

 

 

 

 頭の中で、響いた声。ゆっくりと目を開けばそこには、優しく笑いかける大切な相棒の姿がそこにあった。

 

(トレーナー……さん……)

(……大丈夫、貴女は負けない。自分の弱さになんか、絶対に屈しない)

 

 トレーナーが、優しく頭を撫でる。

 

(でも……私は、私はもう……)

(ダイヤなら勝てる。私はそう信じてるから)

(どう、して……どうしてそんなに、私のことを……?)

(簡単なことだよ)

 

 当たり前だと言うように、彼女は笑った。

 

(私が知ってる貴女は、努力家で負けず嫌いで……とっても優しい人。だから貴女は走るんだ。思いを背負ったまま……どれだけ重たくても、苦しくても。普通の人なら“耐えられない”。そう、それが普通。()()()()()、貴女は耐える……()()()()()()って思っちゃう。そうでしょ、ダイヤ?)

(それ、は……)

 

 サトノダイヤモンドは気まずそうにトレーナーから目を逸らす。逆張りを好む子どものような性格を改めて指摘されたことで、彼女は羞恥心を煽られた。そんな彼女の様子を見たトレーナーは、クスクスと笑っている。

 

(それで良いんだよ、ダイヤ。貴女は貴女の思うまま走ればいい。サトノ家の代表、それ以前に貴女は一人の競争者。もっと自由に、やりたいように走ってみせてよ。貴女が選んだ道を、私は全力で応援する)

(できるでしょうか……私に)

(大丈夫。だって……だって貴女は──)

 

 

 笑顔を浮かべるトレーナーの姿が、徐々に消えていく。

 

 そしてその全てが光の粒子となって、水面へと向かっていった。

 

 再び訪れた暗闇。その中でその声は優しく響き渡る。

 

 

 

 

 

(貴女は、サトノダイヤモンドなんだから)

 

 

 

 

 

 

 水面から一筋の光が、彼女の胸に差し込んだ。

 

 感覚を失った体に迸る、確かな温もり。

 

 その温もりが、彼女に教えてくれた。

 

 

(あぁ、そっか──)

 

 

 定められた宿命(サトノ家のジンクス)を呪った。

 

 サトノ家に生まれてきたことすら呪った。

 

 何よりも、そんな風に考えてしまう弱い自分を呪った。

 

 この呪いから解き放たれればどれだけ楽だろうと、考えなかったと言えば嘘になる。

 

 でも、違った。

 

 全てが、自分の勝利を祈る祝福だった。

 

 

(“ダイヤモンド”とは……つまりそういうことなんですね)

 

 

 瞳に、輝きが宿る。

 

 気付けば四肢は動きを取り戻していた。

 

 彼女は両手を胸に当て、その光を抱きしめる。

 

 

 

(サトノ家の為に走る事、自分の為に走る事)

 

 

 ──サトノ家のために勝ちたい。

 

 たとえそれが一族から与えられた使命だとしても。

 

 そう願ったのは、紛れも無く彼女自身だから。

 

 

 

(全部全部、繋がってるんだ……!)

 

 

 

 枷だと思っていたものは、自分を支える添木だった。

 

 呪いだと思っていたものは、自分の背中を押す優しい風だった。

 

 それに気づいた瞬間、彼女を覆う水は全て消え失せる。

 

 一瞬の浮遊感の後、着地した彼女の足元に現れたのは光の道。

 

 今ならできると、胸中に確信が宿る。

 

 

 

(漸く解った──私の生まれた意味、走る理由)

 

 

 

 呪いを、(いの)りに。

 

 一の願いを、百の光に。

 

 その全てが乱反射して、彼女の行く道を照らす。

 

 それは祝福。

 

 希望を宿した、高貴なるプリズム。

 

 

 

(胸に宿る、希望の耀(ひかり)よ──)

 

 

 

 迷いなど、もう微塵も無い。

 

 この胸で燃える熱を信じて、進んでいけばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

さぁ、行くべき道を照らして!!

 

 

 

 

 

 

 辛酸を舐め、苦渋を味わい、艱難辛苦を超えて。

 

 自分の全てを理解した今、敗北などもう要らない。

 

 目を見開き、大地を強く、強く踏み締める。

 

 そこから中心に咲き誇る、結晶の花。

 

 積み重ねた日々は無駄じゃない、報われる時が訪れただけ。

 

 

 

 

 

 今、京都に努力の結晶(ハナ)が咲く。

 

 

 

 

 

 

(───さぁ、勝負ですッ!!)

 

 

 目を見開いた金剛石が、耀きを放ちながら加速した。

 

 

 

 

 

 

 

 

『速い、疾いぞサトノダイヤモンドォッ!!』

 

 

 最終コーナーから徐々に速度を上げていったサトノダイヤモンド。そして最終直線で先頭に躍り出た瞬間、会場のボルテージは最高潮に達した。

 彼女を応援すべく、サトノ家の麗人たちも立場に似合わない大声を張り上げ、声援を送っている。

 

「いけ、差し切れ、ダイヤ!」

「凄い、凄いですわ……! まるで吹っ切れたかのような……」

「あぁ、与えられた重圧から解き放たれたかのようだ!」

「これまでどこか苦しそうに走っている節があったからね。解き放たれたようで何よりだ」

 

 一族の期待を背負う娘に、客観的分析を重ねるサトノ家の麗人たち。彼らは大きく頷き、まるで熱に浮かされたかのように悲願の勝利へと指を掛けた娘の奮闘を応援していた。

 

(──違う)

 

 しかし、その隣で祈るように指を組みながらサトノダイヤモンドの走りを見ていた彼女のトレーナーは、そうではなかった。

 

(解き放たれた……? ダイヤが選んだのはそんな、そんな甘い道じゃない)

 

 彼女には、判る。トレーナーとして、無二のパートナーとして彼女と過ごしてきた月日が、それを冷静に否定する。サトノダイヤモンドは、与えられた責務を投げ出して力を得るような、そんな身勝手な精神構造をしていない。

 

 そう、故に彼女は。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()……っ!?)

 

 

 

 

 彼女はその名の通り、人々から受け取った想いを取り込み反射して、己の(チカラ)に変える。

 

 たとえそれが、一族の恩讐が産んだ呪いでも。

 

 たとえそれが、彼女の自由を縛る鎖でも。

 

 それら全てを等しく愛し、その願いを叶えてしまう──故に、ダイヤモンド。

 

 常人ならば、耐えられないだろう。期待も不安も称賛も侮蔑も、全てを一緒くたに混ぜ込んで背負うなど、潰されて心が壊れてしまうに違いない。

 

 しかし彼女は、砕けない。

 

 何があろうと、折れることはない。

 

 鋼のように、硬い(意志)

 

 それは何にも変え難い、彼女の、彼女だけの宝石。

 

 

 ──晦冥を照らす、永遠の耀き。

 

 

 そして青い戦場の上で、菊の花を手にした彼女は満面の笑みを輝かせた。

 

 

 

 

 

 

 

「ダイヤの家族、喜んでたね」

「はい。お父様なんて、その場で泣き崩れてしまったとか。是非その場に居合わせたかったです」

「あれは凄かったよ、本当に。周りにいた人みんな貰い泣きしてたもん。勿論私もね」

 

 戯けたように笑ってみせたトレーナー。釣られたようにサトノダイヤモンドも笑う。自分が、皆が望んだ『菊花賞』の勝利。その実感を彼女はしっかりと噛み締めていた。

 そして再び、二人は視線を星空へと戻す。暫くの沈黙、その後に最初に口を開いたのは、サトノダイヤモンドだった。

 

「……そういえば、知ってますかトレーナーさん?」

「ん……何が?」

「この場所に纏わる()()()()──なんでも、“この場所で流れ星を見た二人は、永遠に結ばれる”……そんな話があるんだとか」

「へー、そうなんだ」

「まぁ私達は女性同士ですから、破るまでもないジンクスですけどね」

「あはは……本当にジンクス破りが趣味ね、ダイヤは」

「趣味って……! そ、そこまで言わなくてもっ」

 

 サトノダイヤモンドが頬を染めながら拗ねる。その表情が可笑しくて、トレーナーは声を上げて笑った。

 

「……でもね、トレーナーさん」

「ん?」

「私、()()()()()()()()()()()()()()

「……へ?」

「んふふっ♪」

 

 不意に彼女は立ち上がり、トレーナーの前まで移動すると、四つ這いになって額がぶつかる寸前まで顔を近づけた。互いの吐息がかかる距離。琥珀のような双眸に見つめられて、トレーナーは思わず頬を朱に染めながら問いかけた。

 

「だ、ダイヤ……?」

「ありがとうございます。あなたが居てくれなければ、私は今日勝てませんでした」

「そ、そんな! 私が貴女にしてあげられたことなんてたかが知れてるよ」

「いいえ、違うんです。あなたが今日この日まで側に居てくれたから、私は私を見失わずに走り続けられた……だ、だから……」

 

 そこで言葉を切ったサトノダイヤモンドが、そっと目を伏せる。彼女の頬は、星明かりだけが照らす夜の中でも真っ赤に染まっていて。ややあって彼女は、ゆっくりと口を開いた。

 

「……居て欲しいんです、私のトレーナーとして。これからも、ずっと」

「……もしかして、その為に星を見にきたの? 永遠に結ばれるっていう不確かなジンクスの為に……?」

「……駄目、でしょうか」

 

 俯いたまま、消えてしまいそうなか細い声でサトノダイヤモンドは問いかける。その様子に目が点になっていたトレーナー。しばらくすると彼女は耐えられないと言うように大声で笑い始めた。

 

「あはははは……!」

「なっ、なんで笑うんですか!? 私、本気で……っ!」

「ごめんごめん、だってダイヤが……貴女がジンクスに縋ってまで私を繋ぎ止めようとしてくれたなんて……信じられなくて」

 

 目元を指で拭いながらトレーナーはサトノダイヤモンドに笑いかける。そして彼女は、確信めいたように呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

「知ってたんだね。()()()()()()()()()()()()退()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 サトノダイヤモンドは、小さく頷く。

 彼女のトレーナーは、責任を感じていた。『菊花賞』と『日本ダービー』で、一着を逃してしまったことを。

 サトノダイヤモンドは、文字通り原石だった。磨き上げれば、歴史に名を残すほどのウマ娘になれるポテンシャルを十全に秘めていた。ならば彼女が結果を残せないなんてことがあれば、それは紛れもなく自分に責任があると。現に彼女の両親以外のサトノ家の面々からは、結果を出せないサトノダイヤモンドではなく、彼女のトレーナーに対しての非難が集まりつつあった。自分の不甲斐なさが彼女の価値に傷をつけてしまう。だから。

 

「──“次の『菊花賞』、勝っても負けても私をダイヤのトレーナーから外してください”。そうお父様に伝えたんですよね?」

「参ったなぁ……内緒にしておいて欲しいって言ったのに」

「お父様は約束を守っていました。無理矢理私が聞き出したんです……『菊花賞』が近づくにつれてあなたはどこか様子がおかしくなっていきました。告げる言葉はまるで私の前から消えてしまうかのように寂しさが込められていた……だからそれを不審に思って、私は……」

 

 良心の呵責に苛まれていたのだろう、彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「良いんだよ。頭上げて、ダイヤ」

「ですが……」

「気にしないでってば。別に怒ってないよ、事実だしね」

「……私は、私はあなたと……っ!」

「わかってる。貴女の気持ち、ちゃんとわかってる。でもきっと……私はこれ以上、貴女の力になれない。貴女に相応しいトレーナーには、なれないと思うの」

「っ……」

「だから──()()()()()()()

「えっ……」

 

 言葉の意味を汲み取れずに、サトノダイヤモンドは思わずトレーナーへと視線を向ける。

 その瞳に映ったのは、涙を流しながら優しく笑うトレーナーの姿。

 

 

 

「私頑張る。貴女に相応しいトレーナーになれるように。精一杯頑張って見せる。だからお願い、ダイヤ。貴女のトレーナーで居させて?」

 

 

 

 嗚咽を隠すように、笑顔が崩れぬように、彼女は強く唇を噛み締める。しかし瞳から溢れ続ける大粒の涙は止められない。

 

「違う……違います、私のっ、私のセリフですよ……」

 

 サトノダイヤモンドは、ゆっくりと首を振る。両の琥珀に、対面の彼女に負けないほど大きな雫を携えて。

 

「私が、(こいねが)ったんです……っ!あなたで無ければ駄目なんです、あなたと一緒に歩んでいきたいんです!! だからお願いです、これからも、私の側に居てください、辞めるなんて……っ、寂しいこと、言わないで……」

「うん、うん、私も貴女が良い、貴女の隣がいい。貴女のトレーナーは、私が良い。頑張ろう、これからも、ずっとずっと……」

 

 啜り泣く二人の姿を、星空だけが眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「やっと眠れたみたいだね、ダイヤ」

 

 それからしばらくして。サトノダイヤモンドは憑き物が落ちたかのように、安らかな表情でトレーナーに膝枕をされながら眠りについていた。

 懸案していたトレーナーの進退が解決したことで、疲労と心労その二つが一気に押し寄せたのだろう。

 

「……ほら、朝が来たよ」

 

 地平線の先、薄らと明るくなり始めた空。

 暗闇が明けて、眩しい光に包まれて行く空。

 それはきっと、二人の新たな始まりを称える黎明(あさあけ)

 

「これからもよろしくね、ダイヤ」

 

 返事は無い。否、必要無い。

 光耀くダイヤモンドが、これからも二人の行くべき道を照らしてくれるのだから。

 

 

 

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