作者:かさくも
風が流れていた。生温くはない、少しだけ冷気を帯びていて、それでもどこか暖かい風。
夏は近かった。でも初夏というにはまだ早く、春というにはなんだか遅く感じる狭間。
農道。草木が生い茂り太陽光も活発になってきた世界では、虫や鳥、魚がその生命を謳歌している。
青。空は晴れ渡り、雲一つさえ見えない。過ごしやすい天気というものは、人を外へと誘う。それは一時的な衝動や、気分転換。
「ねむた……ってかここマジでどこ」
整備されているとは言い難い、だだっ広い道。その道路わきに置いてあるベンチに彼は座っている。
上を見ると青空と太陽、下を見るとせっせと労働する蟻。眠たいと言いながらベンチにだらしなくもたれている彼には、その両方が余りに眩しく思えた。
「はぁ……スマホの充電切れるし、マジで滅多なことするもんじゃないな……」
お手上げです、と無気力な顔をし一人呟く彼の手に持っているスマホの画面には、薄く反射した自分の顔。溜息をついたせいか、いつもより老けて見えていた。
「勉強しんどすぎてテキトーにふらつこうとか、完全にミスった」
首をあげて、空を見て、小声で彼は文句を言った。誰かに向かったものではなく、強いて言うなら自分に、そして自分の状況に対しての文句。
「めちゃくちゃかわいい子が急に現れて、帰り道を教えてくれてさらに一緒に帰ってくんねえかな~!」
「お~?もしかして私のこと、呼んじゃいました~?」
「えっマジで可愛い子きた……あ、夢かこれ……」
どこに投げるわけでもない悪態をつきながら己の欲望を忠実に叫んでいた彼は、隣に現れた彼女の存在を認知するのが容易ではなかった。
「もー、夢じゃないですよーほら、通りすがりのかわいい子、的なー?」
「え……あ、こんにちは」
彼女の声で我に返り、これが現実だと認識した彼は、スローペースで飄々と喋る彼女のペースに空気を持っていかれ、小声で挨拶を返すのがやっとだった。
彼が驚いていることは二つ、まずは自分の願望駄々漏れの独り言を知らない人に聞かれたこと。そしてもう一つはその知らない人が、本当に可愛い子でありその独り言に向かって返事をしてきたことだ。
誰もいないと思っていたからこそ、一人でぶつくさと言っていたというのに、ガッツリと聞かれた上に返事までされたのだから恥ずかしいことこの上ない。
彼は返事をしつつも、頬が少し熱を持ったのを感じていた。これは決して雲一つない空から降り注ぐ太陽光のせいではなく、自分の羞恥。
「なんかお困りのようですけどー、もしかして迷子だったり」
「この年で迷子って……まぁ似たようなものだけど……いや、でもスマホの充電あったら迷子じゃないから」
少しからかい気味に話しかけてくる彼女に、もごもごと口答えをする彼。事実、彼は世間一般で言う迷子というやつで、更に加えるならば位置情報も分からない完全なる迷子なのである。
「天気が良いから、勉強の気分転換に外に出たわけ。んでどうせなら緑がある方がリフレッシュが出来ると思ったってわけ」
「ほうほう、じゃあ帰り道を考えないといけませんねー」
「しかもホテルに泊まってて土地勘がないからマジでわからん」
彼の言葉に嘘はなかった。見知らぬ土地にいるのに携帯の充電を満足にせずに外に出歩くのは危険行為に等しく、その油断が招いた結果である。
試験を受けるために数日にわたりホテルに泊まっている彼は、リフレッシュを目的として外に出た。都会の喧騒から遠く離れた、長閑な世界で一息つきたいと考えたのだ。
勉強の疲れや、試験の為に気を張った生活をしていた彼は精神的な気分転換を欲していた。そして辿り着いたのが、ここ。携帯の充電が切れていることに気付き、絶望を片手にベンチへと腰を掛けていたのだ。
「それは大変ですねーじゃあ私と一緒に帰りますか~」
「え、あ、ああ……案内してくれるなら助かる……というか、そっちは釣りの帰りか?」
「そうですよー、まぁ昼寝しちゃって結局何も釣れなかったんですけどねー……」
"一緒に帰りますか"といいつつ彼女はもう歩き始めていた。彼は急いで立ち上がりついていき、彼女の見た目についての疑問を投げた。
深くかぶった麦わら帽子に、細めの竿と小さなクーラー。皆が考える釣りセットを装備していた彼女は、どう考えても釣りの帰りだった。
「坊主か……でも眠たくなるのは分かる、俺も眠たくなったから外に出たみたいなもんだし」
「すごいなぁ、私だったらそのまま寝ちゃうけどな~」
彼は話しながら、なんとも掴みにくい話し方をする子だと思った。自分よりは明らかに年下、というよりかなり幼く感じる容姿ではあるのに、どこか大人びている会話の返事をする彼女。
このくらいの子で一人で釣りに行くという趣味があるのも、渋い。彼は歩きながら彼女への興味が膨らんでいた。
「釣り、好きなの?」
「じいちゃんが好きで教えてもらってー、そこからですね~」
「へー、こんな街に近いとこでも釣れんの?」
緑が豊かと言っても、ここは市街地からそう遠く離れてはいない。彼が泊まっているホテルから歩いてこれる距離、都会のオアシスとはまた違ってはいるが、ド田舎という訳でもない。
しかし、街中と同じほど整備は行き届いていないし、喧噪はない。どこか現実から離れたような、それでも地続きな世界。
「うーん、どうなんでしょうねー……実は私もここで釣るのは初めてで~」
「……はぇ?俺、初めて来た子に案内されてんの?」
「そこは心配ご無用ですよー、帰り道はちゃーんと覚えてますから」
この場所には初めて来たという彼女、それにしては随分と見知った足取りで歩くので彼は驚いた。まるで何回も通ったかのような、迷いのない歩き方。とは言っても道が何本もあるわけではないので、確かに一度覚えたら迷うこともあまりない道ではあった。
風が心地良く吹き抜け、程よく太陽が反射する地面。都会の騒音は遠く、何処か清々しい。彼は気分転換として出てきたのは正解だったと、帰り道が分からなくなったことを棚に上げて満足気な顔で歩いていた。
「しかしこんなに天気が良いと、働きたくない気持ちが増してく一方だ」
「おー、お兄さんはもしかしてフリーターってやつだったりー?」
「いや、ちげえし!転職活動中のお兄さんだし!……まぁ今は働いてないけど」
人は働くほど時間が早く感じ、何もない日ほど時間が遅く感じる。忙しい日常は声を出す間もなく過ぎていき、数年が経つ。
彼は現在職にはついていないが、少し前までは普通に働いていた。慌ただしく過ぎる日々の中で、入社した時の情熱ややりがい、目標などは忘れ去られどこか空虚な気持ちだけが心に留まっていた。
「一生ゴロゴロしてたい気持ちはすんごく分かりますねー」
「だろ?老後はゆっくりとか言わずに、若い時もゆっくりしてえよ……」
「分かるなぁ……ところで、そんなお兄さんはどんなゆっくりできる職に転職するんだろうな~?」
首を縦に振りながら同意する彼女は、そのまま上目遣いで彼へと問い掛けた。
「それがびっくり、休みなんて微塵もなさそうな職業なんだな」
「ほ~それは大変ですねぇ」
「明後日試験があるんだけど、もう逃げてえよ……まぁでも、親の願いでもあったみたいだから」
そういう彼の顔は、先程のだらしのない顔ではなく少し決意に満ちた表情を覗かせた。
彼女はそれに驚いた。今までの彼のトーンとは、明らかに違うものを感じたから。それは勝ちたいという気持ちを、いつも裏側に隠し表には出さない自分に似ていた気がしたから。
「俺の母親、ウマ娘なんだよ。でも身体が弱くてレースとかに出たことはなくて、よくレースで走ってみたかったって言ってたんだ」
「なるほど~ということはお兄さんはトレーナー志望だったりしてー?」
「そ。元々ウマ娘に関係している職ではあったから、転職するなら同じ業種が良くて」
彼の母親はウマ娘。その事実に彼女はすこし驚いたが、それよりも彼がトレーナー志望ということに興味がいった。
彼は元々ウマ娘向けの商品を取引する会社に就職していたが、忙しさと自分の目標を見失ったことによる虚無感により退職。やりたいことが分からなくなった状態で、一度実家に帰り貯蓄を使い過ごしていた。
しかし、そこでトレーナー募集の要項を発見したのだ。
「んで、ある程度のノウハウ持ってるし親のこと安心させれるしで、頑張ってみっかなって」
「へ~親孝行で良いじゃないですかぁ」
「だろ?あと、休み返上でバチクソ働いて自分の担当した子が勝った時のアドレナリンがやばそうだから」
彼の言葉は本心だった。前の職業で虚無に陥ったのは、達成感や成し遂げたことがなかったから。同じ作業を来る日も来る日も続け、この状況が退職するまで続き自分が終わってしまうのではないかという不安に押し潰されたのだ。
それなら、一つのものに真剣に打ち込めるような職業か、ダラダラとアルバイトをしてフリーターで暮らしていくかのどっちかが良いのではないかと彼は考えた。
そして行き着いた場所は、ここ。色々考えるには、都会はうるさすぎたのだ。何もない、自分しかいない空間でこそ考えれることもある。
「たしかにそれは面白いですね~」
「やるからには勝ちたいからな、まぁ試験の勉強怠くて逃げてきたけど」
「頑張って受かりましょうよー?きっと驚きの日々が待ってる気がするなぁー」
のそのそと歩きながらしゃべる彼女。帽子で隠れて見えずらいその表情は、少しだけ笑みを浮かべていた。
そんなことは知らずに、ホテルに帰ったらまたやらなきゃいけないという現実がそろそろやってくる彼の足取りは重かった。"良い事"と言われても賃金が発生するくらいしか思い当たることもなく、先行きは不明。
気付けば、見たことのある景色が近くにあった。
「お、ここらへん行きに通った気がする。ここの近くの駅の横のホテルに泊まってるんだよ」
「じゃあもうすぐ着きますよー、ほら、駅見えてるでしょ?」
「あ、マジじゃん……超助かりました」
歩くこと一時間弱、彼は自分の宿泊しているホテルへと戻ってくることが出来た。現代の人間が如何に携帯を頼りに生活しているかが身に染みて分かったと同時に、人間の温かさに彼は感動を覚えていた。
「本当にあの時声掛けてくれなかったら、あそこで寝てたかもな」
「またまた~私じゃなくてもきっと声掛けられてましたよー」
「なんかお礼したいけど、食べたいものとかある?」
助けてくれた人へのお礼は、世の中の常識と言っていいほどの当たり前。彼も助けてくれた彼女への恩を感じていたので、何かできることはないかと聞いた。
少し日が傾き、初夏というには早すぎて、春というには少し遅い一日が終わるための準備を始めていた。
「うーん、そうだなぁ……じゃあ、今度で良いです。今度会った時に聞いてもらおー」
「今度……?」
「ていうか、今日もしかしたら坊主じゃなかったかもしれないです~」
今度、といい彼女は手を振りさっさと歩いて行った。彼からしたらその発言は不可解で、連絡先を交換したという訳でもないのに今度と言い切り行ってしまった彼女を、ただ見つめることしかできなかった。
月日は流れ、スーツに身を包んだ彼は門の前へと立っていた。
「受かっちゃったなぁ、マジで」
一人、小声で呟く。日本ウマ娘トレーニングセンター学園スクール。ウマ娘がウマ娘たる所以を発揮するために、己を磨き、トレーナーがウマ娘と一心同体になり高みを目指す為の施設。
彼は試験に合格し、春。今日はトレーナーとして着任する日。桜が咲き、出会いと別れの、出会いの方。既に学園内にはウマ娘が日常を送っており、新品のスーツに身を包んだ彼がその中を歩いていた。
「なんかアウェー感凄くないか、せめて職員か誰か一緒に歩いてくれよ……」
慣れない景色や、慣れないスーツ、はじめの一歩を踏み出しても、少しだけ違和感を感じずにはいられなかった。
ぎこちなさを自ら感じつつ、愚痴をこぼしながら歩く彼。
そんな彼に後ろから、どこかで聞いたことのある声が飛んできた。
「一緒に歩いてくれる人って、もしかして可愛い子が良かったりします~?」
「……えっ」
聞いたことのある声、見たことのある容姿、でも初めて見る格好。彼は忘れたことはなかった。"今度"と言い残して以来会うことはなかった子が、目の前にいる。そしてその子が、学園の制服を着ているという事実。
そして、それが意味していること。
彼は動揺しつつも、やられたと思い笑みが零れた。見事に彼女に引っかけられたのだ。あの時の会話で、彼女は既にそれを察していたのに自分は何も気付いていなかった。その現実に"してやられた感"を覚えたが、それよりも目の前の彼女。
驚いて、続けて声が出ない彼に彼女は口角を上げ、こう言った。
「ま、私も新入生なんですけどね~……ほら、驚いたでしょ?」