一族を皆殺しにされて復讐を誓っていた蛇娘に執着される話 作:ジョク・カノサ
それは夜だった。
「はっ……はっ……」
荒れた息遣い。その主たる女は森の中をただひたすらに進んでいる。
「うっ……」
やがて女は地面に倒れ伏せた。繰り返す呼吸の中で、鼓動が落ち着き始めたのと同時に瞼が重くなっていく。
限界だった。永く続いた逃避行の終わり。それを告げる為に、背後から忍び寄るのは微かな足音。
「──がっ!?」
「っ、どうした!!」
「奇襲だ! 何者かに襲われている!」
しかし、女は確かにそれを聞いた。
自分の追っ手である者達の悲鳴と驚愕の声を。
「この手口、まさかコイツ──うっ」
その呻き声を最後に辺りは静寂を取り戻す。
「大丈夫か」
意識を失う寸前、女はその声を聞いた。
☆
亜人、と呼ばれる種族が居る。身体機能や営みに他の動物的な特徴を併せ持つ人間の総称だ。
その種類は様々で普通の人間と大差の無い姿をしている者も居れば、大きく逸脱した者も居る。
「……」
「まだ、起きていないか」
未だ眠りから覚めない目の前の女はどちらかといえば後者だろう。
上半身は至って普通。特徴的だと言えるのは薄く緑がかった髪くらいで、若さが窺える顔も表面は人間のそれと変わりない。肌を隠す為の衣服も着ている。亜人的な特徴が出ているのは下半身。
端的に言ってしまえば、女の下半分は蛇だった。髪色をそのまま濃くしたような鮮やかな緑鱗。対照的に真っ白な蛇腹。
「身を隠すことすらも難しかったのだろうな」
亜人と人間達の関係は基本的には良好だった。時には干渉し、時には一線を引く。互いの差を弁えた距離感が保たれていた。
それが変化したのは最近の話だ。ある巨大な王国がなんの前触れも無く取り始めた亜人敵視の姿勢。それが全てを変えた。
だからこそ、この女は夜更けに追っ手を引き連れてこんな僻地の森にまで逃げてきたのだろう。
「……そろそろ起きて欲しいが」
現在は昼。女は昨日の夜に保護した時から今まで眠ったまま。亜人は強靭な生命力を持つ者が多いが、ここまで体力を消耗しているのは十分に危険だ。水だけでも飲ませたい。
「……う」
「!」
俺の呟きが聞こえたのか、女が意識を取り戻した。掠れた声と共にゆっくりと目が開く。
そして、その大きな瞳が俺を捉えた次の瞬間。
「──うあああっ!!」
女は寝床から飛び出し、肩を掴み蛇の半身でのしかかることで俺を床へと抑えつけた。
「落ち着いてく──」
「人間だろっ、お前も!!!」
そのまま力任せに顔面を何度も殴打される。女の目は血走り、息遣いは不規則に乱れていた。
錯乱している。殴打によって歪む視界の中でそう判断し、俺は平静を取り戻させる為に動き出す。
振り上げられた女の左手を掴む。頭だけを動かし右手の殴打を避け、そのまま女の額へと軽い頭突きをぶつけた。
「……っ!」
女は怯み、言葉を投げかける隙が出来る。
「君を保護したのは昨晩だ。そして見れば分かる通り今は昼。俺が君を殺すつもりだったらとっくの昔に君は死んでいた筈だ」
「お前は……お前も……」
「それに──見ろ」
俺は左肩を見せつけるように浮かせた。その先には本来あるべき筈のモノは無く、萎びた袖だけが垂れ下がっている。
「この通り俺は左腕が無い。衰弱しているとはいえ意識を取り戻した君を害せるような人間じゃないんだ、俺は」
「……」
興奮が収まり、改めて視界に映した俺の姿に気が引けたのか女は殴打を止めた。表情を見るに幾分かの冷静さを取り戻したように見える。しかし、疑念と恐怖──そして人間に対する憎悪は何一つ薄れていない。
……このまま殺されてやるのも選択肢だったかもしれない。だが他にもこの女にしてやれることがある。
ここに逃げ延びてから、ただ生きるだけの毎日だった。ようやくそれが終わるのかもしれない。
☆
「腹が減っただろう。干し肉と芋しかなくて済まないが、食べてくれ」
「……」
「毒なんて入っていない。もう一度言うが俺が殺す気なら時間は腐るほどあった」
「……ん」
とりあえずではあるが女を落ち着かせることには成功したが、未だに警戒は解かれていない。今こうして俺が用意した食事を舌先で小さく触れた後、恐る恐る口にし始めたことからも伝わってくる。
だが、そうなるのは道理だろう。それほどの体験をしたのだから。
「食べながらで良い、聞いてくれ」
「……」
「俺は君がどういう経緯でここまで逃げて来たのかは察しているし、その上で行動している。君の追手を排除したのも俺だ」
「……二つ、質問がある」
女は食事の手を止め、疑念の晴れない目つきで俺を睨む。
「アンタはさっき自分は戦えるような人間じゃないと言った。なら、どうやって
「相手は油断していたしあの場は完全な暗闇だった。だからこそ出来たことであって俺が君と正面から戦えるような状態ではないというのは事実だ。現にこうして、さっき君に殴られた頬が今も疼いている」
「……二つめだ。なんで、助けた」
「君を助けることで俺が得をするからだ」
「得?」
「深く考えなくて良い。こちらの事情だ。……とにかく俺は君の助けになりたい。疲労はまだ残っているだろう? ここは潜むのには丁度良い場所だ。疲れを癒すといい」
「……」
女は思案しているようだった。易々と受けいれられるとは思っていない。向こうから見て俺は得体の知れない男だというのに変わりはないのだから。
だが、結局は承諾するしかないだろう。この女が持つ選択肢はあまりにも少ない。
「──っ、分かった」
女は食事と共に用意していた杯に注がれた水を飲み干し、良く響く声でそう返事をした。
「助けてくれるというのなら世話になる。だけどまだアンタを信頼した訳じゃない」
「ああ、それで良い」
信頼はいらない。俺が欲しいのは
「ところで」
「ああ?」
「なんと呼べば良い?」
「……クィ」
「クイだな。俺のことはマティアスと呼んでくれ」
「違う」
「ん?」
「クイじゃない。クィだ」
「???」