常夏の海、どこまでも広がる雲一つない青空、そして澄み切った空気。真夏の暑さがまるで苦に思わなくなるほどの爽快感をもたらしながら、豪華客船は青い海を駆け抜ける。
1学期を無事乗り越え夏休みを迎えた俺達一年生を待っていたのは、豪華客船によるクルージングの旅であった。
旅行費用及びその間の食費が完全無料という破格の待遇に、クラス問わず生徒達が否応なしにアゲアゲになる中……
「あーつまんねー……早く終わんないかな……」
客船のデッキで携帯を弄りながら一人やる気を無くしていた。ダメだ、どうしてもモチベーションが保てない。ガッツがでない。旅始まって早々でアレだがもう帰りたい。
「いやテンション低いな本条……姫様が不参加で寂しいのはわかるけどよ、せっかくのバカンスなんだからもうちょっと喜ぼうぜ?」
橋本がヘラヘラと浮かれた表情で励ましてくるが、打算のみで有栖に従ってるこいつに言われても俺の心には響かない。てかこいつ今回の旅行の内情知っててなんでこんなヘラヘラしてられるの?
「だって2週間だよ、2週間。いくらなんでも長すぎるぜー……ああくそ、サボれるなら俺もサボりたかった」
「いや坂柳は別にサボりじゃないからな?」
先天性心疾患を持つ有栖は、医療設備が十分じゃない環境で2週間過ごすなど危険過ぎると学校に判断され、今回の旅行には不参加となっている。事前にわかっていたことだが……いざ現実に直面すると凄くしんどい。寂しい。
「あーあ、退屈退屈暇暇暇暇暇暇……」
「高校生が駄々っ子みたいに床転げ回るなよ……今のお前、凄くバカっぽいぞ」
「誰がバカだー、バカって言った方が打ち首獄門なんですぅー」
「いやでけぇよペナルティが!?」
この学校にきて面白い奴はいっぱい見つかったし、楽しいことも探しゃ多分見つかるだろうが、いかんせん有栖がいないんじゃどうやっても差し引きマイナスだ。例えるなら麺もトッピングも最高級だけどスープの無いラーメン……それもうラーメンじゃねーよ。
「よほど正当な理由がなければ不参加は認められないんだよな確か。……やっぱ特別試験があるからか?」
「かもねー」
有栖が買い取った情報によれば、今回の催しはバカンスの皮を被った今年度初の特別試験(しかも2回行われる)とのこと。その事実を知ればバカンス気分真っ盛りな生徒達はさぞ衝撃を受けるだろうな。皆が皆橋本のようにヘラヘラしてられないのだ。
「その特別試験自体も憂鬱なんだよ。負ける予定の戦いほどつまらねーものは無いでしょうがまったく……」
有栖は自分の参加できない今回の試験を葛城に仕切らせ、大失敗させることで葛城派を潰すつもりだ。……となれば必然的に、俺は今回の試験を適当に流さなきゃならない。これでやる気を出せという方が無茶ってもんだ。
「負ける予定とは言うがな本条、葛城は姫様には劣るとはいえ優秀な男だぜ。総合力もAクラスがトップなんだし、普通にやれば早々負けることは無いだろ?ここはやっぱ俺達坂柳派が動かないと──」
「俺は何もしないよ。葛城じゃあ卍解ちゃんやホリリンはともかく、リュンケルには勝てないだろうし」
多分橋本含む坂柳派の何人かは事前に有栖から(試験内容は伝えちゃダメだから抽象的な)指示を受けているだろうが、俺に対しては何も指示してこなかった。それはつまり、いちいち俺が手を貸さずとも葛城の敗北は確実なのだろう。
「それから橋本、これは一つ助言なんだが……有栖の参加しない今回の試験、リュンケルに恩を売っておくチャンスだぜ?」
「……何の話だよ?人を裏切り者みたいな言い方しないでくれよ、傷つくぞ」
「あーいいっていいって取り繕わなくて。別に咎めようってわけじゃないんだ、お前の好きに動きゃあいい。……多分有栖も気づいてて放置してるだろうしな」
笑顔の中に少しの警戒を滲ませた橋本をよそに、俺はその場から立ち上がり移動する。ケータイ越しでやっていた有栖とのチェスも、いつものように後攻で始めた俺がリザインしたところで俺は立ち上がる。いつまでも愚痴っててもしょうがないし、気分転換に景色でも見てこよう。人生切り替えが大事。
『生徒の皆様にお知らせします。お時間がありましたら、是非デッキにお集まりください。間もなく島が見えて参ります。暫くの間、非常に意義ある景色をご覧頂けるでしょう』
狙い済ましたようにそんなアナウンスも聞こえてくる。相変わらずの奇妙な言い回しは試験へのヒントが隠されているんだろうが、本気で参加しない以上放置でいいか。
「テメェ何しやがる!」
お、さっそく愉快な出来事に遭遇するチャンス。せっかくのバカンスだというのにデッキ内で揉めている血の気の多い奴等は、須藤君にコージー櫛田ちゃんその他2名のDクラス御一行と……戸塚。やや体勢を崩しているコージーとそれを支えている櫛田ちゃんから察するに、どうやらベストポジションで景色を眺めていたコージーを、後から来た戸塚が強引に押し退けたらしい。何してんだあのバカ。
「お前らもいい加減この学校の仕組みは理解してるだろ。この実力主義の学校において、Dクラスのお前らに人権なんてないんだよ。不良品は不良品らしくしてろ、こっちはAクラス様なんだ──へぶぅうっ!?」
「「「!?」」」
なんか寒いこと言って恥を晒していたので、俺はワイヤーを戸塚の足に引っかけて思いっきり転ばせた。こんなんが派閥の側近とか葛城何考えてんだとつくづく思う。
「やーやーすまんねコージー。せっかくのバカンスなのに、ウチのお荷物君のせいで不快な思いをさせてしまって」
「いや、オレは別に構わないが……」
「お、おう本条、だった、よな?お荷物君って何だよ?詳しく教えてくれ」
思いっきり顔を打ったせいか蹲って悶え苦しむ戸塚の滑稽な様子に、笑いを堪えながら須藤君がそう尋ねてくる。リクエストされたからには応じないと失礼だよな。
「こいつは戸塚弥彦。中間テストではクラス最下位、期末にいたっては学年でも中の下、さらに運動能力もへなちょこ、と……名実ともにAクラスの面汚しだね、うん」
「ぶはははは!なんだそりゃ?よくそれで俺達のこと見下せたな!」
須藤君と名前の知らない男子生徒2名が、腹を抱えて笑い転げる。直前にあんな見下した態度を取ってた奴がこのザマじゃさぞかし愉快だろうな。で、見下してた奴等にいい笑い者にされた戸塚はというと、顔を真っ赤にして俺に食って掛かってきた。茜先輩だと可愛いのにこいつがやると鬱陶しいだけだな。
「本条テメェ、何しやがる!?」
「んー?この学校は実力主義なんでしょ?Aクラス最強の俺に対して、最弱の君に意見する権利なんてあるの?ねえねえ、あーるーのーかーなー?」
「ぐ、このっ……!?」
「ほら、せっかくの旅行にトラブルを持ち込む無粋な輩はさっさと消えなよ。それとも……また飛ばされたいの?」
笑顔で手のひらを向けると戸塚はたちまち怒りを消し、怯えた表情でそそくさとデッキから立ち去った。ありゃりゃ、相当あの事がトラウマになっちゃってるみたい、かわいそ。
そんな無責任なことを考えていると、櫛田ちゃんが笑顔で駆け寄ってきた。……この子多分俺のこと嫌いなのに、なんでこんな友好的に接してくるのかね?女心とはかくも不思議なものだ。
「えっと、ありがとう本条君。……戸塚君凄い怯えてたけど、二人の間で何があったの?」
「あー、少し前にしつこくつっかかってきて鬱陶しかったんで、ちょいとばかし力の差をわかりやすく教えてやったら……ああなった」
「そ、そうなんだ……でも、あまり乱暴なことはしちゃダメだよ?」
「俺だってそういうのは極力避けたいよ。桐葉君温厚だもん、水牛だもん」
「水牛にあまり温厚なイメージないよ!?」
そんな風に他愛ない雑談に花を咲かせていると、さっきまで笑っていたDクラスの男子生徒が真剣な、緊張した顔つきで歩み寄ってきた。
「ねえねえ櫛田ちゃん。ちょっといいかな……」
「池君?何かな?」
一瞬池君とやらに向けられた敵意に満ちた目から彼の目的を察した俺は、そっと二人から距離を取り何やら固唾を飲んで見守っている須藤君達に合流する。うんうん、青春だねぇ。
「そのさ、なんつーか……アレじゃん、俺達出会って4月くらい経つじゃん?ちょっと他人行儀だからそろそろ、下の名前で呼び合ってもいいんじゃないかって」
それを聞いて危うくずっこけそうになる俺達。告白じゃないんかい紛らわしい。
「……だ、ダメかな?き、桔梗ちゃんって呼んだら」
「もちろんオッケーだよ。じゃあ私も寛治君って呼ぶね?」
「うおおおおおお!桔梗ちゃあああああん!」
両手を広げ天に向かって魂の咆哮を上げる池寛治君。……名前呼びの許可貰っただけでこのテンションだと、もし仮に告白されたらこの子死ぬんじゃね?
「下の名前か……っし、この夏休みの間に俺も下の名前で呼ぶぞ。鈴音、鈴音っ」
「えっ、何?須藤君ホリリンが好きなんだ?」
「ホリリン!?」
俺の何気無い呟きに須藤君は瞠目し、俺の両肩を掴んで鬼気迫る表情で顔を寄せてくる。なんだよ暑苦しいなぁもう。
「おい本条……ホリリンって何だホリリンって」
「堀北鈴音だからホリリン。可愛いでしょ?」
「確かに可愛いが問題はそこじゃねぇ!なんで他クラスのテメェがニックネームで呼ぶほど堀北と親しくなってんだよ!?俺なんてまだ下の名前でも呼べてねぇのに!」
「ある程度気に入った人間をアダ名で呼ぶことにしてるだけで、別に親しくはなってないよ?何だったら一方的に敵意持たれてるね。俺Aクラスだし」
本気でAクラスを目指してるらしいホリリンからすれば、俺は目の上のたんこぶだろうからね。卍解ちゃんは普通に友好的に接してくるけど。
「……本当に堀北とは何も無いんだな」
「今のところ無いね。そして今後も無い」
「…………ならいい」
完全に納得したわけではないようだが、俺を解放した須藤君は何故かコージーに向き直る。
「なあ綾小路……試しにちょっと鈴音って呼ぶ練習させてくれよ」
「練習ってなんだ練習って……」
凄い嫌そうな表情のコージーに、須藤君は真剣な表情で近づいていく。……うん、端から見ると気色悪いな。
「なあ堀北、ちょっといいか?」
「俺は堀北じゃない」
「バカ野郎!俺だってやりたかねーけど、練習は必要だろ?」
「練習なら俺が手伝ってやろうか?よりホリリンに近い方がやりやすいでしょ」
ちょっとコージーが気の毒になってきたので助け船をだしてやる。俺は優しいから放っておけないのだ。
「あ?近いってどういうことだよ?」
「ちょっと待ってな。……あーあ、ゴホン、あーあーあー、ゴホンゲフン……」
怪訝そうな須藤君達をよそに、俺は咳払いでウォームアップを行い、そして……
「何かしら須藤君?私も暇じゃないから、手短にお願いするわ」
「ぅおうっ!?ほ、堀北だ!堀北の声だ!」
「どうかしら?これが本条桐葉637の特技の1つ、声帯模写よ」
「中途半端な数だな……しかし凄いな。声だけじゃなく、人から好かれなさそうな刺々しさまでそっくりだ」
感心するのはいいがコージー、その言い方はあんまりじゃないか?ホリリンが聞いたら泣いちゃうよ?
「よ、よし、物凄く緊張するがやってやるぞ……なあ堀北、そろそろ下の名前で呼びたいんだがいいか?」
「は?ふざけてるの?お断りよ」
「がふっ!?」
まずは手始めに言葉のボディブロー。
「私と仲良くなったと勘違いしているようだけど……先日の件といい、あなたには迷惑をかけられた覚えしか無いわ。それでよくそんな図々しい提案をしてこれたわね」
「ぐぼぉらぁっ!?」
畳み掛けるように言葉のデンプシーロール。
「はっきり言うけど、私は無能な人間にいちいちかまってあげる程お人好しじゃないの」
「………………」
そのまま言葉のアッパーカットでフィニッシュ。須藤君は真っ白に燃え尽きたようにその場に崩れ落ちる。そして俺は声帯模写を解除し、ドヤ顔でコージーにサムズアップ。
「……どう?完璧でしょ?」
「ああ完璧だ、完璧に堀北だった。……ただちょっと完璧過ぎて、須藤がぼろ雑巾みたいになってしまったが」
「け、健んんんんん!?」
「立てぇ!立つんだジョ…じゃなくてケェェェエエエン!」
いつの間にか戻ってきていた池君と、もう一人の男子生徒が須藤君に駆け寄る。というかノリいいね君達。
……っと、何やら周囲が騒がしくなったので何事かと思えば、目的地である島……つまり特別試験が行われる場所が見えてきたようだ。俺はコージー達から離れ、意義のある景色とやらを確認しにいく。船は上陸するであろう桟橋をスルーして、凄いスピードでぐるっと島を旋回する。……観光させる気ねーだろこれ。
『これより孤島に上陸いたします。生徒達は30分後全員ジャージに着替え、所定の鞄と荷物をしっかりと確認した後、携帯を忘れず持ちデッキに集合してください。それ以外の私物は全て部屋に置いてくるよう……』
アナウンスからしてもうすぐ上陸か。しかしジャージ……ジャージね。せっかく手品用に制服の裏地にありとあらゆる改造を施したってのに、ジャージだと何も仕込めないじゃないか。……どっち道私物は持ち込めないから一緒か。
ジャージに着替えて30分後、デッキで担任に携帯を提出し入念な持ち物検査の後島へと降り立つ。そして全生徒の点呼が済むと壇上に立った真嶋先生が、無情にもバカンスの終わりを告げた。
「ではこれより、本年度最初の特別試験を行いたいと思う」
有栖がいない時点でやる気半減どころじゃねーが、精々滑稽に踊ってくれよ葛城君よ。
……ん?待てよ?ここで試験?この鬱蒼とした木々が立ち並ぶ、大自然の環境下で?
…………やべぇ、急にテンション上がってきた。
今までもちらほら出てきましたが桐葉君は植物が大好きなので、どうにか有栖ちゃん欠乏症から回復しました。