クソチャラお兄さま 作:おこめイーター
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日付:4月12日。
コース概要:トレセン学園共用トレーニングコートB面。
距離:芝2400m(左) 天候:晴 バ場状態:良
備考:グラウンドの夜間照明は未点灯。それと、少しだけ向かい風。
一走目 出走時刻17:00。記録:2分31秒52。
二走目、出走時刻17:18。記録:2分32秒21。
三走目、出走時刻17:34。記録:2分31秒48。
四走目、出走時刻17:46。記録:2分30秒12。
五走目、出走時刻18:02。記録:2分32秒48。
六走目、出走時刻18:24。記録:2分29秒39。
七走目、出走時刻18:35。記録:2分30秒04。
八走目、出走時刻18:42。記録――
「――2分、29秒52」
手にしたストップウォッチの文字盤は、そんな記録を示していた。
はじめて、2400mで30秒を切れた。しかも、八走のうち二回も。
でも、コツはまだ掴めきれてないから、反復して掴めるようにしなくちゃ。
それに、レースとなるとコース取りとかのことも考えないといけないし。
……タイムが縮んだからって、安心するのはまだ早いよね。
平均してそれくらいの記録が出せるように、もっと頑張らないと。
「…………」
ストップウォッチの記録をリセットして、もう一度コースに戻る。
いつもは体に負担がかかるのと、門限のこともあって八走で終わりにしてるんだけど。
今日は感覚を忘れないうちに、もう一周だけ走ってみようかな。
「九走目、出走時刻18:56……と」
時間をしっかり記録してから、メモ帳をポケットにしまって姿勢を正す。
左脚は大きく後ろに。視線はコーナーよりもずっと先へ。
乱れた呼吸を整えながら、深く集中。ゆっくり息を肺に入れてから、両脚に力を込める。
注意点はコーナリング。脚がもつれないよう、丁寧に走ること。
あとは、オーバーワークになってるから、ケガだけはしないように。
注意することはそれくらい、かな。……うん、大丈夫。
よし、行こう――
「おーい、ちょっと! そこの自主練してる子!」
「うぇ!?」
そうやって走り出そうとした直前、後ろから誰かに声をかけられて。
突然のことだったから、思わず変な声を上げちゃった。
振り返った先に立っていたのは、懐中電灯をこっちに向けている、誰か。
あたりはもう暗くなっちゃってるから、顔はよく見えなかった。
でも、声の雰囲気からして、ちょっと高いけど、たぶん男の人だと思う。
というよりこの声、どこかで聞いたことがあるような……?
なんて考えているライスの方に、その人は近づいてきて。
「自主練すんのは真面目で偉いけどさー、そろそろ門限なんじゃないの?」
「ご、ごめんなさい……」
「頑張るのもいいけど、時間は守らなくちゃ。ほら、今日はもう帰りな……って」
言葉と足を止めながら、ライスのことを照らしたその人は。
「……おコメちゃん?」
「トレーナーさん……?」
この前、ライスと一緒にサボったトレーナーさんだった。
「なんだ、おコメちゃんだったの。こんな時間までお疲れさま」
「あ、ありがとう……トレーナーさんは、どうして?」
「いやね、何か今日、見回り当番の人が用事あるらしくてさ。それで、俺が代わりに」
困ったように笑ってから、トレーナーさんは頭を掻いた。
「つーかおコメちゃん、いつもこんな時間まで自主練してんの?」
「ううん、いつもはもう帰るんだけど……今日は、もう一周だけ走ろうかな、って」
「あ、そーなの? そしたら……」
するとトレーナーさんは周りを確認してから、懐中電灯の明かりを消して。
「そのもう一周、特別にナイショにしてあげる」
「ほ、ほんとに……?」
「ただし、タイムは俺が測定するのが条件。それでもいい?」
「うん!」
返事をするライスに、トレーナーさんは優しく微笑んでくれた。
「コースは?」
「えっと、2400の左……」
「目標タイムとかある?」
「2分30秒を切れたらいいな、って」
「りょーかい。じゃ、準備できたら合図してね」
会話の終わりにストップウォッチを渡して、スタートラインへ。
振り返って手を上げると、トレーナーさんも同じように手を挙げ返してくれた。
準備は万全。前を向いて、さっきと同じ観たく息を整えながら、しっかり集中。
……せっかく、トレーナーさんが手伝ってくれるんだもん。
だったら、今日でいちばん、いい走りをしなくちゃ。
「よーい、スタート!」
そうして聞こえてきたトレーナーさんの掛け声に合わせて、勢いよく地面を蹴った。
直線はしっかり加速。でも、フォームを崩しちゃわないよう、きちんと丁寧に。
第一コーナーは重心を意識しながら、雑にならないようにしっかりとコース取り。
スタミナのことも考えながら、最低限のスピードを維持。難しいけど、やらなくちゃ。
第二コーナーも同じで、一定の速度で走りながら、想定していたコースを通る。
それで、コーナーを抜けた直線は、最初と同じでしっかり加速。
レースの時だったら、ここでちゃんとコーナーに入るためのコース取りも考えないと。
直線を抜けた第三コーナーでは、スパートのタイミングを考えながら走って。
今は他に誰もいないから、いつもみたく第四コーナーの中盤で大丈夫。
「ふッ……!」
呼吸を深くしながら、両脚に今まで以上の力を込める。
これまでに溜め込んでいたスタミナを存分に使いながら、一気に加速して。
第四コーナーを抜けた直線を、全力で駆け抜ける。
全身の感覚が鋭くなっていって、見える景色のぜんぶが後ろに引きずられていく錯覚。
……いい調子。これなら。
「たぶん、いける……!」
残っていたスタミナも振り絞って、残っていた距離を一気に走り抜ける。
そのままゴールを抜けたあと、脚に負担がかからないよう、ゆっくり減速。
……どう、かな。かなり、走れた気がするけど。
「お疲れ、おコメちゃん」
乱れた呼吸を整えていると、トレーナーさんがこっちに駆け寄って来てくれて。
「と、トレーナーさん……タイム、は……?」
「ほら」
そうやって、ぽん、って投げられたストップウォッチには。
「2分29秒28。目標達成だね」
それは目標の30秒も切れてるし、今日で一番早いタイムだった。
よ、よかった……。ちゃんと意識すれば、ライスでも結果は出せるんだ。
何より、トレーナさんが見てる前でこの結果が出せたことが、嬉しい。
……あ、そうだ。喜んでいないで、ちゃんと記録しておかないと。
そうやってメモを取り出すと、トレーナーさんはそれに気が付いたみたいで、
「もしかしておコメちゃん、毎回自分で記録つけてんの?」
「うん。ライスにはまだ、担当してくれるトレーナーさんがいないから……」
「え、めっちゃ偉いじゃん。……ちなみにだけど、いつから?」
「今月の始めからだよ。4月は、2400mを課題にしようと思って」
「ふーん」
するとトレーナーさんは、ライスの持ってたメモ帳をじっとのぞき込んでから、
「今月入ってから毎日、これだけやってんの?」
「そうだよ? あ、でもトレーナーさんと一緒にいた日は、してないけど……」
「お休みの日も?」
「うん。他の練習はしてないけど、これだけは毎日走ってるよ」
「へー……」
「……トレーナーさん?」
なんだか真剣な顔つきになったトレーナーさんに、思わず声をかける。
……どうしちゃったんだろう。何か、気になるところでもあったのかな。
もしかして、ライスの練習方法が間違ってる……とか?
それとも、練習量が少なすぎるから、呆れちゃってるのかもしれない。
ど、どうしよう。もっと頑張らないと、ダメなのかな。
そうやって考えているうちに、トレーナーさんが、ぱっと顔を挙げて、
「おコメちゃん」
「は、はい……!」
「明日、お休みにしよっか」
……え?
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あの後、練習を切り上げて連れてこられた、学園を出てすぐ近くにある自販機の前で。
飲み物の並ぶ棚をじっくりと眺めながら、トレーナーさんは話し始めた。
「まず、2400mが八週で19200m……面倒だから20000mで考えよっか。それで、他のトレーニングもあるだろうから……だいたい、一日で30000mかな。ここまでは大丈夫?」
「う、うん」
「それが今月の頭からってなると、今が12日だから360000m。んで、休日を二回挟んだとしても2400の八週は毎日やってるわけだから、340000m。まあ、キツめのジョギングって感じならまだ分かるんだけど、おコメちゃんがやってるのは全力ダッシュでしょ? ってなると、負担って結構すごいことになるの」
「できるだけ、負担をかけないようにはしてたんだけど……」
「毎日20000m走ってる時点でアウトだねー」
困ったように笑いながら、トレーナーさんが自販機にお金を入れる。
それから、ボタンを押して出てきたスポーツドリンクを、ライスに投げ渡してくれた。
「あ、ありがとう……」
「どーも。で、ここから本題なんだけどさ」
もう一度、自販機にお金を入れてから、トレーナーさんは話を続けて。
「おコメちゃんって、誰かから言われてあの練習してたの?」
「ううん。ただ……他の子よりも頑張らなくちゃ、って思ったから」
「あ、そーなの? じゃあ、なんで? なんで、他の子より頑張りたいって思ったの?」
「それは……今のライスのままじゃ、レースに出ても勝てないだろうから……」
「ふーん」
答えながら、トレーナーさんは自販機から出てきたコーヒーの缶を開けた。
そのまま缶に口をつけると、トレーナーさんは改めてライスの方に向き治ってから。
「でもさ、今日は目標タイム更新できたじゃん。それでも自信ないの?」
「……うん。まだ、詰めれるところはあると思うから」
「じゃあおコメちゃん、これからもああいう風に練習する感じ?」
頷く。
トレーナーさんが言ってくれたから、少し練習量は減らすつもりだけど。
それでもやっぱり、他の子たちより頑張らないといけないから。
するとトレーナーさんは、ん-、って少しだけ考えてから、ライスに話してくれた。
「あんまり偉そうなこと言うつもりはないんだけどね?」
「うん」
「今のおコメちゃんに必要なのは、時間と余裕だと思うんだよね」
……時間と、余裕?
「これ何回も言ってるけど、おコメちゃんってめっちゃマジメじゃん」
「そ、そんなこと……」
「いやいや、本気で。一人でこんだけ練習してる子、今まで見たことないもん」
「……ライスには練習することしか、できないから」
「ホントに?」
「うん」
「でもこの前さ、俺と一緒にサボってたじゃん」
あれは、だって……。
「トレーナーさんに、言われたから……」
「けど、あの時のおコメちゃん、すごく楽しそうだったよ?」
「そ、そんな……」
「あー、いや、揚げ足取ってるワケじゃなくてね? つまり、その……なんだ」
もごもごと言い淀んだトレーナーさんは、やがてため息を吐いてから、
「せっかく俺がお休みの仕方を教えてあげたんだから、練習しかできないなんて言わないでよ」
ちょっとだけ悲しそうな顔で、そう言ってくれた。
「別に、練習するなって言わないよ。頑張った今までを否定するつもりもない。ただ、もっと自分のこと大切にして、って。それだけの話なんだ。難しい話じゃないはず。分かってくれるよね?」
「……トレーナー、さん?」
「君たちはまだ、子供なんだからさ。よく寝て食べて、いっぱい遊んで、怪我や病気のない日々を過ごしてくれれば、それでいい。今のうちに心や体を摩耗させる必要なんて、どこにもないの」
「あ、あの……」
「だから、さ。お願いだから……そんなこと、二度と言わないでよ」
最後にそう呟いてから、トレーナーさんは残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
……怒っているわけじゃないんだと、思う。
後悔、してるのかな。それか、反省してるのかも。
分からない。トレーナーさんのお話には、言葉以上の何かが込められてる気がする。
でも、ただ一つだけ分かることは。
そのお話は、ライスだけに向けたものじゃない、ってこと。
きっとトレーナーさんは、その話をライス以外の誰かにもしたかったんだ、って。
そう、思うんだ。
「……つまんない話、しちゃったね」
「そんなこと、ないよ」
ライスが答えると、トレーナーさんはまたいつもみたいな笑顔を浮かべてくれた。
「俺の言いたいこと、何となくでいいから分かってくれた?」
「うん……」
「ならよかった」
するとトレーナーさんは、自販機の隣にあるごみ箱に空き缶を放り投げて、
「この前さ、見つかんない本の予約したじゃん?」
「そういえば……そうだったね」
「アレ、明日取りに行こうよ。どうせおコメちゃん、取りに行ってないっしょ?」
「それは、その……ごめんなさい」
「おコメちゃんが謝る必要ねーって。俺が勝手にやったことなんだしさ」
「でも……」
「それに、俺もあんなこと言った手前、時間作れなかったしさ。おあいこ、ってことで」
どう? って首を傾げてくるトレーナーさんに、うなづく。
それからトレーナーさんは自販機でもう一本、缶コーヒーを買った。
……コーヒー、好きなのかな? ライスは苦くて、あんまり得意じゃないけど。
「そしたら、お昼ご飯食べたらココ集合にしよっか」
「ここって……
「そう、ここ」
わ、分かりやすいといえば、分かりやすいけど。こんな道端で大丈夫かな……?
そうやって戸惑うライスを置いて、トレーナーさんは歩き出して。
「じゃー、また明日ねおコメちゃん。今日もまっすぐ帰りなよ?」
「う、うん……トレーナーさんも、また明日……」
なんて短く言葉を交わして、トレーナーさんはすぐに行っちゃった。
「…………」
未だに蓋を開けてないペットボトルを見つめると、トレーナーさんの言葉を思い出す。
……詮索するのはいけないことだけど、やっぱり少しだけ気になっちゃう。
前に何か、あったのかな。それこそ、担当してる子がケガとかしちゃったり。
というよりそもそも、誰かの担当をしたり、チームの運営をしてるのかな?
……そうだ。ライスはまだあのトレーナーさんのことを、何も知らない。
勝手に仲良くなったと思ってた。たった二回きり、お話をしただけなのにね。
でも、トレーナーさんと話をしていると、一人の時よりもちょっとだけ、安心できるんだ。
だから、っていうのはちょっと変かもしれないけど。
あのトレーナーさんのことをもっと知りたいって、ライスは思う。
「あはは……」
自分で考えておいて、ちょっとだけ照れくさくなっちゃって、つい笑っちゃった。
でも、仲良くなりたいのは本当。もっといろんなお話をしたいな、って思う。
……知ってることは、ヒーローとコーヒーが好きなのと、よくサボっちゃうこと。
あとは……みんなにはちょっと、あんまりよくない目で見られてること。
この前だって、そのせいで色んなところを探し回って……。
……あ。
「もしかしたら、また変な噂になっちゃうんじゃ……!」
気づいたときにはもう、トレーナーさんの姿なんてあるはずもなくて。
というより、とっくに寮の門限を過ぎていることにようやく気が付いて。
どうしようって慌てながら帰る道の途中で、ちょっとだけ。
明日のお出かけが楽しみだな、って。
そう、思ったんだ。
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どっかで三人称挟んでもいい?
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イイヨ
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ダメ