クソチャラお兄さま 作:おこめイーター
多分これで大丈夫なはず
■
あれから、三日後。
トレーナーさんの言っていた通り、模擬レースの開催が告知されて。
それからすぐ、ライスは出走するレースを決めて、出走届を急いで記入して。
忘れないうちにその書類を提出するために、事務室へ向かったところで。
「……あ」
「む」
扉の前で、ブライアンさんと鉢合わせた
「こ、こんにちは……」
「ああ」
びっくりした。正直、ライスが一番乗りだって思ってたから。
だってクラスのみんなは、まだどの距離で出走するか考えてるくらいだったのに。
……もしかして、ブライアンさんも模擬レースのこと、知ってたのかな。
「お前も出るつもりか」
なんて考えていると、ライスの持ってる書類に気づいたブライアンさんが、聞いてきて。
「うん。ライスは、長距離のレースに出走してみようかな、って」
「そうか」
「……ブライアンさんも、長距離?」
「いや、私は中距離だ。長距離も考えたが、こっちの方が面白そうだったからな」
ひらひらと出走届を揺らしながら、ブライアンさんはそう答えた。
「にしても、早いな。私も他人のことは言えないが」
「それは、その……この前の選抜レース、ライスは出なかったから」
「ああ、なるほど」
とっさに考えたウソだけど、ブライアンさんはすんなり納得してくれたみたい。
……実際、そういう理由もちょっとだけあるし。
「ブライアンさんは、どうして?」
「前から、次の模擬レースには出ると決めていたからな。それだけのことだ」
「そうなんだ……」
「本当は今回も見送るつもりだったんだが、少し前に気が変わった」
にやりと口元に笑みを浮かべながら、ブライアンさんが答える。
……きっと、誰か一緒に走りたい人がいるんだろうな。あれは、そういう笑い方だと思う。
いったい誰なんだろう? 中距離となると、走れる人はいっぱいいるけど……。
「そういえば、あれから何か進展はあったのか?」
「え?」
「アイツだ。あの、ろくでなしの」
ああ、トレーナーさんのことだったんだ。それなら……。
「この前、一緒にお出かけしたんだ」
「……どういうことだ?」
「えっと、前にトレーナーさんが予約してくれた本を、まだ受け取りにいけてなくて……それで」
「いや、そうじゃなく」
そうじゃなく、って?
「……お前、例の噂をどうにかしたかったんじゃなかったのか?」
「あ……」
「なのにまたアイツと一緒にいたら、それこそ色々言われることになるぞ」
「それは、そう……だけど」
どうしよう。上手く答えられない。
確かにまたあんな噂になっちゃうのは、イヤ。
でも、それが怖くて何もできないままでいるのは、もっとイヤ。
ブライアンさんの言っているように、色んなことを言われたとしても。
ライスは、トレーナーさんがいいって、決めたんだから。
……今度は、逃げないよ。絶対に。
「なるほど、そういうことか」
黙り込んでいたライスを見て、ブライアンさんは察してくれたみたいで。
「そこそこいい趣味してるな、お前」
「……趣味って?」
「いや、こっちの話だ」
よく分からないけど、満足そうな表情で頷いていた。
「一つだけ、忠告しておいてやる」
「忠告?」
「アイツは無駄に顔が広い。それにあの性格だ。他のヤツに靡いても、おかしくない」
「分かってる。だから、一着を獲るつもりでいかないと」
「……レースに勝てば、アイツの目に留まると思ってるのか?」
「違うの?」
「だったらアイツは、とっくに私の担当になっていただろうな。私はあんなの願い下げだが」
それは……確かにそうかも。
普通ならブライアンさんみたいなレースに強い生徒、絶対に担当したいはずだし。
トレーナーさんも、ブライアンさんの実力を知らないわけがないもんね。
……だったら、どうして。
「陳腐な喩えになるが」
「うん」
「今のアイツは、腑抜けた野ウサギだ」
ウサギ、さん?
「自ら何かを望むこともない。ただ、怠惰で変化のない無為な日々を過ごしている。そして何より愚かなのは、自分が誰かの獲物になるなんて微塵も思っていないことだ」
「えっと……」
「どれだけ自分の周りで闘争が起こっていようと、アイツがそれに目をつけることはない。本当に興味がないのか、あるいはそれを貫いているのかは分からないが……お前が勝ったら、もちろん賞賛の言葉くらいは送るだろうさ。仮に負けたとしても、励ましくらいはしてくれるだろう。ただ、今のアイツはそれで終わりだ」
話を続けるブライアンさんの目は、どこか不機嫌そうに細められていた。
「これは、一つの勝負だ」
「……勝負? 誰と、誰の?」
「ウマ娘とトレーナーの。あるいは、男と、女の」
その意味を聞く前に、ブライアンさんは続けて口を開いて。
「レースに勝つことは、一つの手段だと思っておいた方がいい」
「手段って?」
「お前の脚は爪、言葉は牙だ。それで、あの腑抜けた野ウサギを、狩れ」
ブライアンさんに重たい声で告げられた、そのすぐあとに。
「……君たち、お話するなら他のところに行きなさい」
事務室の扉が開いて、中から顔を出した男の人が、ライスたちに聞いてきた。
「あ、ご、ごめんなさい……!」
「あまり扉の前にいるのはよくない。他の子の邪魔になる。それとも、何か揉めてた?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「どちらにしろ、もっと別の場所でやってね」
お、怒られちゃった……。そうだよね。お部屋の前で話し込むのはよくないよね。
だから早く出走届を提出しちゃって、レースに向けてトレーニングしないと。
そう思って持っていた書類を、男の人に渡そうとしたところで。
その人がじっと、ライスのことを見つめてることに、気が付いた。
「…………」
「……えっと」
どう、したんだろう? ライスの顔に、何かついてるのかな。
初めて会った人の、はず。ライスもお名前は知らないし、向こうも同じだと思う。
……もしかしてあの噂になってる子かな、って思われてるのかな?
うう……ここしばらくは、こういうの、続きそうだなあ。
なんて考えていたら、ふとその男の人の胸元に、目がいって。
……あっ。
この人、トレーナーさんだ。
「君、ライスシャワー?」
「え? あ、はい……ライス、シャワー……です」
「そっか」
短く答えてから、そのトレーナーさんはブライアンさんの方に視線を向ける。
「それと、副会長さんだね?」
「ああ」
「この前はごめんね。ちょうど席を外してて」
「え? ……ああ、そのことか。いや、問題ない。こっちはこっちで解決した」
「そう? なら、よかった」
そのトレーナーさんは、そこで初めてライスたちが持ってる書類に気づいたみたいで。
「あ、君たち二人とも、レースに出るんだね?」
「はい……長距離で出走しようと、思って」
「私は中距離だ」
「分かったよ。ちゃんと登録しておく」
ライスたちから受け取った書類を小脇に抱えてから、そう答えた。
「じゃあ、二人ともトレーニング頑張って。応援してるよ」
「あ、ありがとうございます……!」
にっこりと笑顔を浮かべてから、トレーナーさんが扉を閉じる。
そうしてしばらくすると、ブライアンさんは一度、疲れたように息を吐いてから、
「……悪い。柄にもなく喋り過ぎた」
「そうだね。ライスも少し……」
「いや、私の話だ」
首を傾げるライスに、ブライアンさんはばつが悪そうにどこかを見つめていた。
「まあ、その、何だ。応援はしておく。レースの方もな」
「うん! ありがとう、ブライアンさん!」
「……やりにくい」
最後にぼそっとした呟きは、あまり分からなかったけど。
そんな励ましの言葉をかけて、ブライアンさんはその場を後にした。
残されたライスは、そこでちょっとだけ、さっきのブライアンさんの言葉について考えたけど。
「……狩る?」
結局、どれだけ時間をかけても、理解できる気がしなくて。
その後すぐ、いつも使ってるコートへ向かうことにした。
■
そして迎えた、模擬レース当日。
「今日は頑張ってくださいね、ライスさん!」
「う、うん……!」
バクシンオーさんのくれた応援に、ライスもぎゅって手を握りながら、応えた。
出走までは、あと二十分くらいかな。他に出走する子も、ちらほら集まって来てる。
その中にライスの知ってる子は……探してみたけど、やっぱりいなかった。
もし知り合いがいたら、何かあるってわけじゃないけど……やっぱり、不安。
でも、やらなくちゃ。何がなんでも、一着を獲らなくちゃ。
今度は逃げないんだ、ってこの二週間、何度も自分に言い聞かせてきたんだ。
……大丈夫。
「調子はいかがですか?」
「……悪くない、よ」
二週間前からずっと、2500mのコースは練習し続けてきた。
課題だった残りの100mも、ライスなりに走れるようになった。
仕上がりは……満足とは言えないかもしれないけど、やれるだけのことは、やれたと思う。
あとは、レース本番で練習通りに走るだけ。
「私も、できればライスさんと一緒に走りたかったのですが」
「バクシンオーさん、短距離だもんね……」
「ですが、1200mを二本走れば、実質ライスさんと一緒に走ってることになりますから!」
「そうだね……」
………………。
え、どういうこと?
普通に流しちゃったけど、急になんか気になってきちゃった。
というか、1200×2だと計算合わない……。
「あ、おコメちゃんじゃん」
「うぇ!?」
バクシンオーさんのよく分からない発言に、混乱していると。
急に後ろから、そんな声がかかってきて。
「と、トレーナーさん!」
「おはよー」
振り返ると、片手を振りながらこっちに歩いて来るトレーナーさんが、見えた。
突然のことに慌てるライスよりも先に動いたのは、バクシンオーさんで。
ライスの前にずい、って出ると、ちょっとだけ警戒した声で、トレーナーさんに話しかけた。
「もしや、あなたがライスさんと噂になってるトレーナーさんですね?」
「噂……ああ、まあ。みんなが言ってるだけだけどね」
「……念のため聞いておきますけど、あの噂は本当なんですか?」
「大丈夫、全部ウソだよ。だからそんな目で見るのやめてほしいな……」
とほほ、なんて肩を落としながら、トレーナーさんが答える。
……たぶん、トレーナーさんも言われたんだろうなあ。顔がちょっと疲れてるし。
そんなトレーナーさんの様子を見て、バクシンオーさんも納得したみたいで。
「なるほど、そうでしたか! いやあ、安心しましたよ!」
「俺も、委員長みたいな聞き分けのいい子がいてくれて安心したよ」
お互いに、ほっとしたように息を吐いていた。
……それにしても。
「どうしてトレーナーさんが、ここに……? もしかして、見に来てくれたの?」
「そうそう。だっておコメちゃん、あんだけ意気込んでたんだもん。そりゃ気になるよ」
「ほ、ホントに……? それならライス、すっごく嬉しいよ!」
「あはは。そんなに喜んでくれるなら、お仕事抜け出してきた甲斐あったわー」
え。
「……お仕事というと?」
「俺、今回の模擬レースの運営委員……ってか、記録係なんだよね」
「記録係?」
「うん。みんなの記録纏めて、集計する係。めっちゃダルい」
「またサボりですか、あなた!」
ここまで来ると、筋金入りっていうか、なんていうか。
って、違う。そうじゃなくて。
……記録係ってことは、今日の模擬レースの結果が全部わかるってことだよね?
だったらライス以外の一着だった子も、トレーナーさんには分かるってこと。
つまり、ライスがここで一着になったとしても。
トレーナーさんにとっては、他の一着の子と、何も変わらないんだ。
「委員長として、これ以上のサボりは見過ごせませんよ!」
「えー、見逃してよ委員長。せめておコメちゃんのレースだけは見たっくてさ」
「うむむ、それは……」
「だからさ、お願い! なんとか目、瞑ってくんね?」
なんて、トレーナーさんとバクシンオーさんの会話が、どこか遠くからのものに聞こえて。
……どうしよう。このままじゃ、せっかく一着になっても。
「あーっ! アンタ、ここにいたんスね!」
沈んでいくような思考を引き上げたのは、そんな誰かの叫び声で。
「げ、バン長!」
驚いて振り返るトレーナーさんの、その視線の先にいたのは。
びしって竹刀をこっちに向けて迫ってくる、バンブーメモリーさんだった。
……バンブーメモリーさん。
毎日、学園内の色んなことを取り締まってる、風紀委員の委員長さん。
あんまり、というか一度もお話したことないから、どういう人かは良く分からないけど。
たまに生徒に対して厳しく指導してるところを見ると、ちょっと怖い人なのかな、って思う。
それにしても、どうしてトレーナーさんが……って思ったけど。
よくよく考えれば、当然っていうか、心当たりしかないっていうか。
「もう逃がさないっスよ! 観念して戻るっス!」
「ちょっと、待ってよバン長! これにはちゃんとワケがあって……」
「言い訳無用っス! 観念して捕まるっスよ!」
「クッソ、こうなったら……最終奥義、おコメちゃんシールド!」
「ええ!?」
あの、ちょっと? トレーナーさん?
「あッ、卑怯っスよ! ライスさんの後ろに隠れるなんて!」
「おコメちゃんは俺の仲間だもーん。悔しかったらおコメちゃんを倒してみな!」
「アンタにプライドってモンはないんっスか!」
それは……ないと思う。だって、トレーナーさんなんだもん。
「呆れたひとっス……こうなることなら、もっと見張っとくべきだったっスよ」
「……見張るというのは?」
「この際だからお二人にもお話するっスけど、最近色々とライスさんの周りが話題じゃないっスか」
「それは……うん。ただの噂だから、ライスはあんまり気にしてないけど」
「だから、風紀委員長のアタシが直々に見張ってたんスよ。そのトレーナーが何かしないかって」
「なるほど、証拠を掴もうというわけですね」
「でも、トレーナーさんはそんなこと……」
「それと普通に最近サボりが多いから、ってのもあるっスね」
「あー」
「ああ……」
それは……うん。すごく真っ当な理由だと思う。
ライスも、当然だよね、って感想しか出てこないもん。
「だからほら、早く仕事に戻るっス!」
「別にいいじゃん! 記録係とか俺以外にもたくさんいるんだし!」
「アンタも含めた人員でカツカツなんっスよ!」
「やだやだやだやだ! おコメちゃんお願い! この怖い人追い払ってよ!」
……………………。
さっ。
「そんな、おコメちゃん!?」
「隙ありッ」
べちーん、なんて気持ちのいい音を立てて。
バンブーメモリーさんの降った竹刀が、トレーナーさんの頭に直撃した。
「痛ッ、はぁ!? おま……マジで叩くなって!」
「指導っス」
「あの、これマジで俺の頭、潰れてない? ちょっとおコメちゃん、見てもらえ……」
「往生際が悪いっスよ」
こっちに近づいてきたトレーナーさんの首を、がし、ってバンブーメモリーさんが掴んで。
それでもトレーナーさんは無言で……というか、本気で抵抗したけど、ダメだったみたいで。
しばらくしてから、肩で息をするトレーナーさんに、バンブーメモリーさんが一言。
「……情けなくないんっスか?」
「うるせー……」
あ、本当に嫌なもの見る目してる。うわあ、って今にも言いそうだもん。
「とにかく、お騒がせしたっス」
「あ、うん……」
「バンブーさんもお疲れさまです」
「じゃあ、アタシたちはこれで」
ぺこりと頭を下げると、バンブーメモリーさんはトレーナーさんをずるずると引きずって。
「ほらほら、さっさと戻るっスよ。それと今日は一日中、アンタのこと見張ってるっス」
「え? もしかしてそれ、校内デートのお誘い?」
「……アンタのその腑抜けた性格、どうにかした方がいいっスよ」
去り際にぼそっと呟いた、バンブーメモリーさんの言葉に、ふと。
……ああ、そっか。ブライアンさんの言ってたことって、そういうことだったんだ。
やっと分かった。ウサギさんのことも、ライスの爪と、牙のことも。
待ってるだけじゃダメ。鳥さんみたいに、口を開けたままじゃ意味がない。
爪を研いで、牙を磨いて、狩らなくちゃいけないんだ。
「あ、そろそろ出走ですね! ライスさん、がんばってください!」
「うん」
そのためには、まず。
「絶対に一着、取ってくるよ。まずは、そこからだから」
そして。
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