ヘスティアの灯火 作:ダンブルドア同好会会長
とある夕食の席でのことだ。
冬休みでありながら、ほとんどの生徒が残ったホグワーツ。暖かいランタンの光が大広間の中に満ち溢れ、暗い空の外では静かに粉のような細かい雪がチラついていた。普段の学期より更に緩くなっていた空気の中で、この日は一際生徒たちのざわめきが絶えなかった。
「アレ、誰?」
「さあ、新しい先生…にしては時期が変ね」
「見た目だけならば…レディにこんなことを言うのもなんだが…イロモノ?」
レイブンクローの長テーブルに隣同士で座っていたヘスティアにギルデロイは面白がるように囁いていた。ヘスティアはそれを聞いて失礼だ、と軽くギルデロイの肩を叩いたが、確かに彼女は彼の形容する通り、少しばかり普通ではなかった。ヘスティアも軽くにやける。その女性の挙動はあまりにも不審で、あまりにもこの場にそぐわなかった。
ダンブルドアが壇上の真ん中に立った。彼の半月型のメガネが光を反射してキラキラと光る。深紅のローブを揺らしたダンブルドアを目にしたヘスティアは、いそいそと背をのばし、話を聞く姿勢になった。
マクゴナガルがグラスをフォークで叩いた。大広間に静寂が広がる。
「えー、大方皆の食欲が満たされた事じゃろう。多いに結構。因みに今晩のロースト・チキンは特に儂のお気に入りでの。年甲斐もなく三枚も食べてしもうた……さて、そのことは今は置いておくとしよう。キラキラと期待した目が何百も見えておるからの、手短に済ませねばならぬ。皆も気付いておるように、ホグワーツに新しい先生が就く事になった…」
ダンブルドアは後ろを振り返ってその新顔に手を向ける。丁度丁度彼女はパスタを食べている途中だったらしく、突然(別に突然でもないが)のことにゴホゴホと噎せ、キューッとカエルの潰れた様な声を出した。ガタガタと音を立てて席をたち、変な角度のお辞儀をする。おい、大丈夫か。色々と。ダンブルドアが拍手をし始めたのを見て、生徒たちもおっかなびっくり拍手をし始めた。ヘスティアとギルデロイは顔を見合せた。
…ヘンジンね。
…そうらしいね。
周りにいた下級生たちに凄いのが来たぞ、とギルデロイが眉を上げると、数人の生徒がクスクスと笑った。ヘスティアとギルデロイはこの学校の先生に“一応”敬意を持っている。だから先生のことを馬鹿にしたり辱めるなんてしたことがなかったが…少しばかりその新顔の教師は加虐心を擽られるのであった。
「自己紹介をどうぞ」
立ち上がったっきり何も言わないその新米にダンブルドアが声を掛けた。
ギョロリとしたトンボの目のような丸眼鏡の瞳が落ち着きなく動き、その女性は頷く。緊張しすぎているのかなんなのか知らないが、今すぐにでも泡を吹いて倒れてしまいそうな頼りなさがあった。挙動不審とも言う。
「ア、あたくし、あたくしはシビル・トレローニ―」
ヘスティアは僅かに目を見開いた。
歴史的に著名な大予言者の苗字もトレローニーよ、とギルデロイに囁いた。
「あたくしはこの世の全て―――薄暗い霧の向こうにある未来を見透かす大予言者ですわ……恐ろしい……あたくしはそのすべをあなた達に教えるのです……」
夢見るような声でトレローニーが囁くように言った。霧の向こうから話しかけているような、嗄れた声だった。遠くの方に座っていた生徒は身体を乗り出しながら耳をそばだてている。それでも聞こえなかったので、みなソノーラスかなんか拡声呪文を掛けろとイライラしていた。
「ええ、そう…しかし、心してくださいまし。その力は人を十二分に魅せるもの…」
その割には惹かれるオーラはしてないけどな。
ヘスティアは吹き出してギルデロイを小突いた。ギルデロイは肩を竦める。
その場にいた全ての生徒たちが恐らく悟っていたんだと思う。コイツは胡散臭い、と。決して、危険な者という訳ではなく、能力的に信用ならない者だと。
現在の占い学の教授の席にはメジル・ライオネルが座っている。老齢の教授だ。可もなく不可もなくという授業をすることでも有名で、激務続きの脳を休めるには丁度いい授業をする事に定評がある男性だった。高学年からは特に好かれていたりする。
このシビル・トレローニーとやらはお呼びで無いのではないか?
イヤイヤ、もしかしたらとても才能に溢れているのかもしれない。
生徒たちがコソコソと話し合う。
マクゴナガルがまたグラスを叩いた。トレローニーはもう自分の出番は終わったと言う風にさっさと着席をしてしまっていた。
「トレローニー先生は占い学を担当なさる。北塔の最上階に教室を構えるそうじゃ。主に六七年生の授業を受け持たれる」
ヘスティアたちはダンブルドアに見えない位置でハイタッチした。取り敢えず今年は大丈夫みたいだ。
今年のOWLがこれからを左右すると言っても過言では無いので、五年生たちは特に注目していた。
生徒たちはザワザワと各々トレローニーについて話し合っている。まあキャラが濃いので話の種にはピッタリなんだろう。ヘスティアやギルデロイも例外ではなく、周りの下級生たちと彼女について話し合っていた。
しかしその一方。ヘスティアの気付かない所で、ダンブルドアはじっと彼女を見つめていた。まるで、何かを見定めているようだった。
風向きが変わった。きっと明日は嵐が来るぞ。
そう言うように、外の雪は一層激しく窓に身体を打ち付けていた。
◇◇◇◇
レギュラス・ブラックが死んだ。
魂の抜け落ちたような顔で、ヘスティアは広大な雪原の隅で木の端に腰掛けて口を覆っていた。声も涙も出ないようだった。ただ、呆然とするばかり。
隣でゴロゴロと喉を鳴らしていたプスも閉口した。雪で冷たくなった濡れたままの短い毛をヘスティアの顎に擦り付ける。あれから何年も経って、彼はジャガーやヤマネコを足し合わせたような、素晴らしい体躯の魔法生物に成長していた。
「それは、確かなの…?」
シビル・トレローニーと並ぶような掠れた声を絞り出したヘスティアの目は、伏し目がちに目の前の生き物を見ていた。ショックで頭が回らないからなのか、従えているものだから乱暴になってしまうのか、それとも、幼い頃から屋敷しもべへの接し方は父親から教わっていたからなのか、ヘスティアの口調はいつもより、些か雑なものだった。
目の前の屋敷しもべ妖精は、名をクリーチャーと言う。
酷く老いぼれた屋敷しもべで、レギュラス・ブラックの一番と言っていいほどの理解者だった。名は聞いたことがなかった。しかしワンプスキャットたるプスが何もしていない以上―――ワンプスキャットは開心術が使える―――ヘスティアが彼を疑う理由はなかった。
クリーチャーはヘスティアに恭しく頭を下げている。ヘスティアが純血で、崇高な思想の持ち主だと知っているからだ。事前にレギュラスが伝えていたのかもしれない。
ヘスティアはまた黙りこくった。主の心傷を癒さんと、プスはその艶めいた毛を杖タコのついた手に擦り付けた。
「クリーチャーめは、詳しい事は申し上げられません」
詳しく言われずとも、ヘスティアにも大体状況は予想がついていた。
クリーチャーの手には冷たい黒ずんだ苔がへばりつき、手足にはまるで何か鋭い岩肌に擦り付けられたような痛々しい傷が無数にあった。
何かがあったことは間違いない。それが、避けられない恐ろしいものであっただろうことも。
「奥様にも、クリーチャーめはお答えできませんでした。ああ、可哀想な奥様。クリーチャーだけが逃げ延びた夜、痛ましいほど混乱してなさった!クリーチャーは何も出来なかった!奥様はクリーチャーに酷い罰を与えました。この私めに相応しい罰です。本当は首を刎ねられてもおかしくないのに!」
クリーチャーはさめざめと泣いた。老体に見るに堪えない傷を負って膝を折る屋敷しもべ妖精は、酷く哀れだった。
ヘスティアは手を伸ばさなかった。その丸まった背中を撫でることをどうしても躊躇してしまった。
屋敷しもべは汚い。屋敷に仕え雑務をするというその特性上、また衣服を一切変えないという性質上、教えられなくてもヘスティアは屋敷しもべを触るものでは無いと幼い頃から知っていた。事実、家にいる屋敷しもべのことをヘスティアは直接触ったことがない。
伸ばしかけていた手が空を握って、また引っ込む。
雪の上に倒れたその生物の足は病的なまでに青白く、赤みが引いた傷がじぐじくと傷んでいるのが目に見えるようだった。
「逃げ延びた夜…彼が死んだのは、夜なのね」
クリーチャーは何も答えない。恐らくレギュラスに命令されているせいなのだろう。
奥方でさえ事情を聞けなかったということは、レギュラスに家の主たる責務が降りたということだ。半年前にオリオンが亡くなったというのは風の噂で耳にした。
昔の友人の顔が、威厳を纏ってヘスティアの脳裏に浮かんだ気がした。
「クリーチャーめは…」
「クリーチャーめは、レギュラス様に預かり物をしております。あの方は最後までクリーチャーを信用してくださった…」
虚ろな声でクリーチャーはそう言い、指をくるりと回した。
ひとつの透明な小瓶が出てくる。中にはキラキラとした繊維のようなものが閉じ込められてあった。
ヘスティアには見覚えがある。無いはずがなかった。
「『すまなかった』と」
クリーチャーは少し屈辱的に顔を歪めて言った。
「レギュラス様はそう仰っていました」
ヘスティアの目尻が熱くなった。
それでも涙は出なかった。
在学中、親しくしていた訳でもない。少し接点があるだけの……ダンスのパートナーになっただけの。
なのに、ヘスティアの心の中には深い暗い悲哀が満ちていた。
クリーチャーが透明な小瓶を差し出した。端を細い指で持ち、ヘスティアに差し出していた。
ヘスティアはそれをそっと取ろうとして―――クリーチャーの手ごと包み込んだ。
びくりとクリーチャーが震えた。ヘスティアの白い手のひらに乾いた苔がこびりついて、酷く動揺しているようだった。
冷たい手を温かい手が覆う。
「ありがとう」
ヘスティアは眉を下げて言った。
「君だけでも、生きていて良かった」
老いぼれクリーチャーは咽び泣いた。
嬉しさからでも、感動からでもない。悔しさからだった。
「最後にひとつ、聞いていい?」
「お答え出来ることはほぼありませんが」
ヘスティアの目はまっすぐとクリーチャーを捉えていた。
「レギュラスは、いいところで死んだのかしら」
結果は見えている。
クリーチャーの目は曇った。
「暗く、陰鬱とした場所でおゆきになりました」
白い雪が降っている。ヘスティアの黒い分厚いコートと、クリーチャーの生々しい黄土色の肌に雪の結晶が落ちた。
「……でも、もし、ヘスティア様の望みがレギュラス様のものと同じだったのだとすれば―――」
「確かにレギュラス様は、光の中でおゆきになりました」
ヘスティアの目尻から、一粒の涙が落ちた。
どうしようもなく、自分の無力さが憎かった。
P.S. とある屋敷しもべ妖精の追憶
クリーチャー、いいかい、君はもう我が君―――ヴォルデモートに従ってはいけないよ。
母上に「従え」と言われたら、シリウスのところに行きなさい。あの兄ははっきり言ってろくでなしだし、この家に決して従順な子供じゃなかった。
でも誰より真実を見抜いていた。視野が広かったんだ。それに対して僕は―――いや、いいんだよクリーチャー。全て終わったことだ。…いや、そして、これから始まることでもある。分かるね、僕たちは今からあの巨悪を敵に回すんだ。
笑ってしまうね、つい先日まではあんなに崇拝していたはずなのに。空っぽの敬意を抱えて…大事にしなければならないものを軽々しく捨ててきた。
…懐かしいな。あの頃に…あの未熟で、何も知らなかった頃に……いや、辞めよう。所詮格好つけていただけだったんだ。見栄を張って、何もかもを知っているような顔をして。
大丈夫だよ、クリーチャー。僕は今から英雄になるんだ。何もかも遅すぎた英雄になるんだ。
いつか僕の犠牲は未来への糧となる。
…クリーチャー、これを。ヘスティアに渡してくれ。
時期を見計らって、誰にも気が付かれないように会うんだよ。
そして伝えてくれ。すまなかったと。
何もかも遅すぎたんだ……僕は愚かだった。
願うことなら…彼女が僕の墓の前で泣いてくれたら、少しは報われるかもしれないな。