暑い、夏の日だった。
ジージーと蝉の声がやかましく、気温は高くて、立っているだけでも汗が噴き出す。そんななんでもない当たり前の夏の風景。
公園で子供たちが駆け回っていて、中には“個性”を使うやんちゃな奴も居る。
入口に立って、ただその光景を見ていた。
楽しそうな光景。
幸せそうな風景。
見覚えのない、自分とは無縁なものだ。
顔に手を張り付ける少年が幽鬼の如く立っていた。
背を丸めて肩を落として、両手をぶら下げるような、脱力しただらしない姿勢だった。
生きているのか死んでいるのか。そんな風に思ってしまうほど存在感が薄く、しかし視界に入れれば目を離すことができない、まるで幽霊のような不気味さがあった。
ただ見ていた。
無邪気にはしゃいで遊んでいる子供たちの下へ向かおうとはせず、離れた場所から、無関心にただじっと見ていた。何を考えるわけでもない。ただそうしていただけだ。参加させてほしいわけでもなくて、見ているだけだった。
目にしていたのは平和だ。多くの人にとっての当たり前があった。
ふと、背後に気配を覚える。
緩慢な動作で振り返った少年は、自分と歳が変わらないだろう少年を見た。
ぼさぼさの髪、そばかす、弱気そうな表情。しかしやけに目が気になる。
「あの、どうしたの?」
自信のなさそうな弱々しい声で話しかけられた。返事をするつもりはない。振り返って視線を返してただ見つめた。
返事がないことに動揺しているのか、緑髪の少年はおどおどしている。否、正しくは元々がそうなのだろう。彼の対応に驚いているのではなくきっと誰に対してもそうなのだ。
返事をせずに黙って見つめているとあからさまにあたふたし始めた。
興味はない。彼がどれほど困っていようと手を差し伸べるつもりなどない。
焦っている様子の緑髪の少年は恐る恐るという仕草で公園内に居る子供たちを指差す。
「えっと、僕の友達……だから、一緒に混ぜてもらう?」
返事はしない。興味などない。
平和な光景の中に居る自分の姿が、まるで想像できない。そしてそれを望んでもいなかった。
何を言っているのだろうと心底思う。
やはり自分と彼らは全くの別物なのだ。そう実感する一瞬となった。
「あっ……混ざらない? えっと、そっか……うん……」
返事がないことで困惑した様子で、どんどん声は小さくなり、自信なさげに俯いてしまう。
それでもその少年は目の前から消えなかった。何がしたいのか、目の前に立っている。そこから一歩も動こうとしない。
おかしな奴だと認識する。さっさとどこかへ行けばいいのに。そう思っていてもちっともどこかへ行こうとはしなかった。
何かを言おうとして、やめてしまう。
そんな動作を何度も繰り返す。
一体何がしたいのか。話す勇気もないのにそこから動かない。変な奴だと考える。
いつの間にか公園内にあった声は聞こえなくなった。盛り上がった子供たちがどこかへ移動したのだろう。混ざるために来たのかもしれないが彼も置いて行かれている。
それでも彼らは動かず、気にもしなかった。
よしと気合いを入れて顔を上げ、緑髪の少年が拳を握る。
「ちょ、ちょっと待ってて!」
途端に走り出して公園の中へ入っていった。
待つ理由などない。だが、なぜかその場を動かずに少年は立ち尽くしていた。興味もないのにその場を動かず、観察する対象も消えたのに結果的に待っていたことになる。
緑髪の少年はすぐに帰ってきた。両手に缶ジュースを持って駆けつけ、少年の前で立ち止まると迷わず片方を差し出してくる。
何も考えずにただじっと見ていた。
緑髪の少年はにっと笑い、おどおどしていたが差し出す手だけは迷いがない。
「あの、暑いからジュース飲んで、きちんと水分補給しろって言われてるから!」
その時ばかりははっきりと言い切って、差し出すジュースを渡そうとしていた。
心配しているのだ、とは受け取れず、意図がよくわからない少年は差し出される缶をただ見るばかりで受け取ろうとしない。次第に伸ばされた状態の腕がぷるぷる震え始めて、貧弱そうな細い腕が限界を訴えてきた。
やはり辛かったのだろう。腕を下ろすと同時にぷはっと息を吐き出した。
諦めると思っていた。
予想に反し、緑髪の少年は一歩前へ出て近付き、強引に缶を渡そうとする。
腕に触れられた途端、少年はびくっと震え、露骨な反応を見せ、その挙動に驚いた緑髪の少年が反射的に手を放して一歩後ずさった。
初めて見せる反応だった。しかし好意的なものではない。
不安そうにする彼は顔を覗き込むようにして謝罪した。
「ご、ごめん。嫌だった?」
やはり返答はない。
数秒の沈黙。緑髪の少年は見るからに不安そうで、けれど、諦めてもいない。
もう一度缶ジュースを差し出してくる。
触れるのは嫌なのだろう。それなら手渡しすればいい。単純だが強い意志を感じるリトライ。
無言で見ていた少年は、なぜかはわからないまま手を出して受け取った。
「ありがとう……えっと、あっちにベンチあるから、座る?」
なぜか彼が謝って、その上これで終わりともならずに誘ってくる。
全くわけがわからない。
ベンチを指差し、来てほしそうな顔をする緑髪の少年は動こうとしない。おそらく一緒に来るまでは動かないつもりだろう。弱気な態度の割に強い意志を感じた。
気付けば一緒にベンチに座っていて、彼は勝手に缶ジュースを開けて飲んでいる。
少年は自分が握る缶を見下ろした。
そういえば、他人から物をもらった経験などない。これが初めて。安い物だが、初めてだ。
「今日、暑いねー」
余裕はない。だが話しかけてくる。おどおどしているがなんとかしようとしていて、返事をする気配がないのに声をかけた。
少年は無言のまま、ぼうっと遠くを見ていた。
「あの、飲まないの? 開けようか? あっ、ひょっとして嫌いな味だった?」
あたふたしながら話しかけてくる。返事がなくてもお構いなしだ。
なぜ。そんな気持ちが沸々と湧いてくる。
「炭酸がだめだったとか……? じゃあ僕のと交換、ってこっちも同じだ! えーっとえーっと、新しいの買う? お金まだ少しあるから――わっ⁉ ごめん落としちゃった! すぐ拾うから! 大丈夫、汚れても全然使えるし!」
わたわたしていて騒がしい。弱気で声は小さいが行動はうるさく落ち着きがない。
やたらと目を引く様子だった。
いつの間にか目を向けてしまっていて、ベンチを降りた彼を見ている。
「ごめんね、今すぐ――!」
「なんで俺に構うんだ?」
初めて声を発して問いかけていた。
緑髪の少年が動きを止める。
突然の問いかけに驚いたこともあるがその内容も気になった。なぜ構うのか。言われてから確かにと思ってしまってついつい考え込む。
「な、なんでって……えっと」
「なんで俺に話しかける」
「それは……」
「こんな物別にいらない」
「僕は、ただ」
「お前は何なんだ」
「君が……
不安そうではあったが声ははっきりしている。少なくとも態度とは裏腹に迷いは抱いていない。
少年は言葉を失い、固まった。
そう思う一方、少年は疑問を抱いていた。
彼は
子供の戯言。誰でも言える。その反面、初めて他人に言われた言葉だ。導いてくれる先生ですらこれまで“
疑問。緊張。その後に驚き。
ふと飲んでみたくなった。大きな変化はない。ただほんの少しだけ興味を持っただけのこと。
受け取った缶を見下ろして考える。
そういえば、缶ジュースなど飲んだ試しがない。幼い頃からずっと。
少年が受け取ったそれを差し出して、緑髪の少年がショックを受けた顔をした。
「これ……どうやって開けんだ?」
そこから一転、一瞬言葉を失った緑髪の少年は、発言の意味を理解すると隠すつもりもなく嬉しそうな笑みを浮かべた。
慌てて受け取って教えてやり、むしろ返すことなく開けてやる。
再び缶を受け取り、警戒しながらも口に押し当て、思い切って飲んでみる。
初めての感触。甘ったるくて驚いた上にあまり美味くない。
「しゅわしゅわだ」
「うん! そう! しゅわしゅわなんだよ、炭酸は!」
「口の中痛ぇ」
「それはごめん!」
嫌ではなかった。
口の中をめちゃくちゃにするしゅわしゅわ。気弱そうで落ち着きがなくて頼りない奴。
何を今更。そう思っているのに、心が軽くなっていくのがわかる。
自分は今堕ちていく最中。これからもっと深みに落ちる。きっともう戻ってこられない。
だからなのか、その一瞬はとても甘ったるかった。
くいっと口の中に流し込んで、痛みにも似たしゅわしゅわが不思議と心地いい。
「悪くねぇ」
少年の呟きに、緑髪の少年はにこりと笑った。
桜舞い散る、春。
新しい制服に身を包んで歩く
公園の前に一人で立ち尽くす姿にかつての出来事を思い出した。フードを目深に被って所在なさげに立ち尽くす背中は思い出の姿とはっきりと重なる。
足を止めたのは偶然だった。
かくして彼は振り返る。
フードの下、顔面に張り付いた不気味な人間の手。やはり彼だ。
出会ったのはたった一度。その後、何度そこを通っても再会は叶わなかった。振り返ってみれば名前さえ知らない。
たまたま出会って、一緒にジュースを飲んだ。ただそれだけの関係。
友達とも呼べない間柄でせいぜいが知り合いといった程度。
それでも出久は笑みを浮かべて再会を喜んだ。
「あの、久しぶり。覚えてる……かな?」
「ああ。よく覚えてる。サイダーの奴」
外見は成長しているが以前と同じで不気味な雰囲気はある。しかし怖がりだったはずの出久はその男に微塵も怯えずに向き合っていた。
真っ黒い服でポケットに両手を突っ込み、悠然と立つ。
人目があれば騒がれていたかもしれないが幸いにも二人きりだった。
邪魔する者は居ない。話すだけの時間はあった。
「ふと思い出したんだ。俺お前に奢ってもらったよな? お返しがまだだった。奢るよ」
「本当? ありがとう」
いつかとは逆の構図だった。
手を張り付けた男が公園の中へ誘い、自動販売機で缶ジュースを買って手渡してやる。出久は素直にそれを受け取り、笑みを浮かべた状態でプシュッと開けた。
彼もまたプルを引き上げ、慣れた様子で軽快に開けて、躊躇うことなく口をつける。
以前と同じでベンチに並んで座り、何を言うでもなくジュースを飲む。
不思議な時間だったが悪くない。
再会の喜びは互いに静かだが伝わっていて、なんとも言えない雰囲気の中で落ち着いていた。
「あの」
「うん?」
「名前、そういえば聞いてなかったなって。あの時は教えてくれなかったし」
「ああ……そうだったな。もう二度と会わないと思ってた。でもあの日から時々お前のことを思い出してたよ。変な奴だったなあって」
「へ、変? そうかな? ……僕って変?」
「ああ。変だよ、お前は」
多少なりともショックを受ける出久は苦笑しながら顔色が変わっている。
表情こそ確認できないものの、彼はフッと笑い、静かな声で上機嫌そうに答えた。
「
「弔くん……友達、えへへ」
「お前の名前は?」
「あっ、緑谷出久。僕も、出久って呼んでほしいな」
「出久。わかったよ」
何年越しになるのか。改めて名乗った弔は顔を覆う手を右手で掴んで取り外した。
あの日もジュースを飲む際に顔を隠すようにしながら取り外していた。素顔なら見ている。それもまた何年振りかに目撃することになった。
元々は整った顔立ちなのだろう。しかしそう思わせないのは肌がボロボロで皺が多く、古傷だろう裂傷の跡も見て取れる。
あまり見せたいものではないはずだ。人の手を模した不気味なそれで顔面を掴むようにして隠していたことから察している。しかし以前も今も出久の前ならあっさり取り外して素顔を見せ、恥じるような素振りはない。
出久はその行動や装飾、素顔について指摘することはなかった。
“個性”が尊重される世界において様々な人間が居るのは周知の事実。
隠そうとしている物を見せてくれるのならそれはきっと信用を得た証に違いない。そんな相手を傷つけるようなことは言いたくなくて、敢えて触れないようにしていたのだ。
過去に何かがあったのではないかと想像するものはある。あの日、寂しげに一人で立っていた光景も忘れてはいない。しかしそれを図々しく探るのはきっと彼のためにならないだろうと思って、無暗に踏み込むつもりにはなれなかった。
彼のことは昔からずっと気にしている。今はどうしているだろうかと考える日だってあった。
大丈夫。これから始まるのだ。再会を機に友達になれると思ったのか、出久は嬉しそうで、弔もまた喜びを隠そうとしていない。
「あの日、ここで話したよな」
「うん……ずっと気になってたんだ。名前がわからなくてどこに住んでるかも知らないから、どうしてるんだろうって思って」
「俺もずっと気にしてたよ。ヒーローになりたいって言ってたろ?」
「うん」
「それは今も変わってないのか?」
「変わってないよ。あの頃も今も気持ちは同じ」
弔の問いかけに答えていた出久が何かを思い出し、パッと顔を上げる。
「あっ、そうだ。僕、雄英高校のヒーロー科に通うんだ。試験もどうにか通れてさ」
「雄英? あぁ……すごいヒーローが通う学校」
「そうなんだ! オールマイトやエンデヴァー、ベストジーニストみたいなトップヒーローを輩出した学校で、他にもすごい人がたくさん雄英の出身者で、ヒーロー育成学校の中では一番と言ってもいいくらい有名な――!」
つらつらと語る出久は途中でハッと我に返り、喋り過ぎたと顔を赤くする。
悪い癖だ。好きなことになると説明が止まらなくなって口が勝手に動いてしまう。引かれてしまうこともあるから直そうと思っていたものだ。
恥ずかしそうに体を小さくしつつ、苦笑する彼は弔へ謝る。
「ご、ごめんね。一人でべらべら喋っちゃって。興味ないよね」
「そんなことねぇよ。そこにお前が入ったってことだろ? すげーじゃん」
「えっ……そう思う?」
「ああ。おめでとう出久。お前はきっと良いヒーローになるよ」
すでに入学は決まっている。何ならこれから入学式へ向かうところだ。
それでも突然そう言われて出久は言いようのない喜びを噛み締めていた。
あぁ、本当に雄英高校に入るのだ。ヒーローになるのだ。まだ学校にも到着していない内からそんなことを考えている。照れ臭そうにする彼を見て、弔は自身が指先三本で持つ缶をわずかに揺らして見つめた。
「そのことをずっと考えてたんだ。正直俺はヒーローってやつが嫌いだ。本当に、ガキの頃から良い思い出がないんだよ」
「うん……そうだね。あの時もそう言ってた」
「でもお前がヒーローになりたいって言ってて、今もまだヒーローを目指してる。それは嬉しく思えたんだ。本心だよ。本当のヒーローってやつが居るなら俺はお前がいい」
予想外の発言だった。驚きはしたが、胸の内に染み渡るようにして徐々に嬉しくなってくる。
ヒーローが嫌いだと語っていた彼が自分を認めてくれている。良いヒーローになれると応援してくれている。
以前とは違う変化を感じずにはいられなくて、自分が褒められたことだけでなく、弔が変わろうとしている姿に安堵と喜びを感じた。
「お前はこれから学校に通って、ヒーローになる努力をするんだろ?」
「う、うん」
「だから俺も努力しようと思う。いずれお前がNo.1のヒーローになれるように、少しでも力を貸してやりたいって思うんだ」
「あ、ありがとう! えっと、でも、弔君はヒーローにはならないの……?」
「ああ。ようやく目的ができたんだ。ヒーローとは別の方法でお前を手伝いたいと思う」
「目的って?」
「それは秘密」
詳細は知れないが目的を持って生きているらしい。
出久は安堵して、弔が健康なのだと知っただけでも満足している。
弔はそうではないようで、先程よりも生き生きした様子で語り始めた。
「だからさぁ、出久が最高のヒーローになってくれよ。オールマイトも超えるような」
「オールマイトを……」
「俺は、お前がいいんだ。そんなヒーローになるのはお前しか考えられない」
「……そうならなきゃいけないって思ってる。そこに居るだけでみんなが安心できるような、笑顔を見ればどんな時だってほっとできるヒーローにならないと」
出久が自分に言い聞かせるかのように呟く。
そんな態度になるとは予想していなかったが驚きはない。弔は平然としていた。
「でもどうして弔君がそんなことを……?」
「お前だけだったよ。誰も見向きしない俺を
良からぬ話だと察して出久の表情が困る。
信じたくはない話だ。しかし実情としてプロヒーローが万人を
最高のヒーローになってくれ。
もしかしたらその言葉には、自分のような人間を生み出さないでくれ、という願いが込められているのかもしれない。想像でしかないが無視はできなかった。
そうでなくても最高のヒーローになろうと決めていた。
最高の師匠が居る。彼のようなヒーローになりたいと願い、チャンスを手に入れた。
期待されていて見守られてもいる。今からはただやるだけだ。実行して初めて自分の力になり、理想のヒーローに近付ける。
よしっと気合いを入れて奮起し、表情を引き締め直した出久がやる気を見せた。
「わかった。約束するよ。困っている人をみんな
「頼むぜ。その時は俺も
弔の一言に出久が驚きを見せ、気にしない平坦な声で乞われる。
「
「……うん。わかった。
弔は子供のように無邪気な笑顔になった。
顔を見た機会は多くない。その中でも珍しいと思う表情だった。
見惚れていたのか、時を忘れて出久が固まった時、視線を外した弔が呟く。
「学校はいいのか?」
「え?」
「制服着てるだろ」
「あっ⁉ やばっ! 時間は……!」
スマホを取り出して時間を確認すると出久が慌て始めた。遅刻しないように早く家を出たつもりだが少し急いだ方がいいかもしれない。少なくともいつまでも呑気に座って話していられる状況ではなかった。
慌ててサイダーを一気に飲み干し、ぷはっと一呼吸。
行かなければというポーズで足を広げて弔に振り返った。
「ゲホッ、エホッ、ゴホッ⁉ ごめん弔君! 僕もう行かなきゃ!」
「そうだろうと思ってたよ。言いたいことは言えたから今日はもういいな」
「また会えるかな?」
「ああ。必ずな」
「うん。じゃあ、またね!」
手を振りながら出久が駆け出して離れていく。
右手をひらひらと振って見送ってやり、姿が見えなくなると弔はベンチから立ち上がった。
有意義な時間だった。そう言っていいだろう。言う相手が居ないとはいえ満足している。ここへ来たのは無駄ではなかった。
彼の背後でどこからともなく黒い霧が発生する。初めは点だったそれがしゅるしゅると小さな音と共に渦を巻くかの如く広がってくる。
大きくなった渦の中から黒い霧を発する人物が姿を現した。頭部から霧が立ち上っているため容姿は確認できない。しかしそこに薄らぼんやりと光る眼が二つあった。
弔は驚きもせずにその人物を受け入れて返事をする。
「いいのですか? あんなことを言って」
「なぁ黒霧。これをなんだと思う?」
「は?」
「まず最初に確かめなきゃいけないんだよ。俺が持ってるこれはなんだ? 幻想か? 野望か? それとも希望か? 自分でもよくわかってないんだよ。全部ぶっ壊してやろうって思うのにあいつだけは特別なんだ。本物のヒーローは出久がいい」
弔はわかりかねているようだった。五指が触れないよう気をつけながら両手で自分の頭に触れ、ぐしゃりと髪を掻き毟る。
表情のない黒霧は明確な反応を見せずにただ沈黙した。
果たしてこれは良い兆候か悪い反応か。彼では判断に困る。
「こっちも準備を進めようか。RPGだと最初はスライムとか殺してレベルを上げて酒場で仲間を集めるもんだ。あいつのためにも早く殺してやろうよ……オールマイトを」
反応を見せない黒霧がわずかに呆れて腕を動かす。
弔を連れて黒い霧の中へと入っていき、やがてその姿が消える。霧が晴れた頃、彼らの姿はどこにも見当たらず、彼らが存在した証拠は何一つとして残されていなかった。