「緑谷って性欲あるのか?」
「……え?」
小柄な体躯とぶどうのような頭髪でやけに目を引く
猥談が好きで、エロにしか興味がなさそうな彼が話す話題は大体決まっている。しかし会話をしたことがある出久からはほとんどそんな話を聞いたことがない。
緑谷出久は見るからに小心者という外見だった。
そばかすが残る自信のなさそうな顔立ち。あまり拘りがなさそうなもじゃもじゃ緑髪。脱げば意外と体は鍛えられているが、身長は決して高くなくて、声は女の子のように高い。一部ではモテそうにないなと思われていて、ヒーローが好きで好きで仕方ないオタク的な趣味や言動、態度をすでに知られていた。
傍で男子たちが猥談をしていれば、顔を真っ赤にして会話に入ってこられなくなる。そんな恥ずかしがり屋な一面も見られていたのである。
峰田は単身で出久の下へ突貫し、真っ向からエロ談義をしようと試みていた。何もそれは、苦手そうだからからかってやろう、などという気持ちではない。彼を辱めたいという気持ちは本当に、これっぽっちも持っていなかった。
それどころか、年頃の男子なのになぜエロについて語らないんだ、と心から心配していて、その気持ちは不安そうな表情と、出久を心配する目で伝わっていたはずだ。
「あるだろ、普通。女子を見るとドキドキするだろ。ついついエロいこと考えちゃうだろ。そういうの緑谷はないのか?」
「えっ、ちょ、ちょっと待って……! なんでそんないきなり」
「オイラ、緑谷はいい奴だなって思ってるんだ。仲良くしたいって思う」
「う、うん。僕も峰田君のことそう思ってるよ」
出久は困惑していた。
そう言われるのは嬉しい。小学生の頃も中学生の頃も、“無個性”なのにヒーローを目指している奇妙な生徒として知れ渡っており、奇異な目で見られて碌に友達もできなかった。幼馴染が唯一の繋がりとして傍に居てくれたとはいえ、自分には友達が居ないんだという認識はやはり中々辛いものがあって、クラスメイトが気軽に話しかけてくれる今の状況を心から喜んでいる。
峰田とは仲良くしたい。けれどそのための方法がエロ談義というのは、中々にハードルが高いなと思っていた。
今も顔が熱くなっているのがわかる。教室に居るクラスメイトがこちらを見ていないといいが。彼は見るからに言葉に詰まって慌てていた。
「だからオイラ、もっと緑谷のこと知りたいんだ。お前のこと知ったら好きになれるだろ。オイラのことも話すから、緑谷のことも話してほしい」
「う、うん。そうだね。わかった」
「何フェチ? 女子のどこ最初に見る? オカズ何使ってる?」
「でも最初がそれかなぁ!?」
キラキラした目で質問してくる峰田に黙っていられず、思わず出久が大声を出した。できればこんな話をしているとクラスメイトには気付かれたくない。叫んだ後で我に返り、まずいと思って咄嗟に両手で自分の口を塞ぐ。
周りの反応を見るのも恐ろしい。出久の視線は行き場に迷ってうろうろしている。
それでもハッと気付けば、峰田の隣にはすでに
金髪に雷型のメッシュが入った、朗らかな生徒だ。
明るい性格のムードメーカーであるらしく、誰に対しても親しげに、偏見なく話しかける。友達ができるだろうかと不安だった出久にも声をかけてくれた。良い人だ、と思っていた相手だ。
まるで最初から居ましたと言わんばかりの態度で、興味津々という顔で、出久を見るとにこっと笑いかけてくる。優しい笑顔だがこの話題の間に見せられると変態性を感じて仕方ない。
出久は絶句して言葉を失っていた。
なぜそんなことを聞きたがるのだろうか。経験がないせいか、心底不思議で怖かった。
「心配する必要はないぜ緑谷。恥ずかしがらなくたっていいんだ。俺たちはお前のどんな変態の所業だって受け止めてやるから」
「ヒーローになりたいって気持ちは同じでこの学校で出会ったんだ。オイラたち友達だろ?」
「うっ……れしい言葉だけど、だからってその話題はどうだろう!? っていうかもうすでに僕のこと変態だって決めつけてない!? 違うよ! そんなことないよ!」
「いやいや、いいんだ。黙ってるけどすっごいのありそうだなって思っただけで、大したことなくてもがっかりしないし」
「これくらい中学の頃から普通に喋ってたぞ。友達なら当たり前だ」
「そうなの!?」
驚愕しながらも出久には反論の手立てがなかった。
思い返せば友達とそんな話をしたことがない。そもそも友達だってほとんど居なかった。幼馴染は大体キレてるか勝ち誇ってるかでまともな会話さえ少なくて、出久は友達とエロ話をするという概念をそもそも知らずに育っている。
カルチャーショックだ。大きく肩を落とす。
事情を察したようで、峰田と上鳴は優しく出久の肩に手を置いた。
「知らなかった……僕、今まで友達居なかったから。かっちゃんは暴れてるだけの幼馴染だからほとんど会話できないし。まさかそれが普通だなんて……」
「フフフ。知らないことは恥ずかしいことじゃないんだよ緑谷」
「そうさ。お前は今からだって変われるんだ」
「自分の心に素直になって」
「さあ、言ってみよう。一番使ってるAVのタイトルは?」
「それでもやっぱり変じゃないかなぁ!? 普通ではないよ多分!」
友達が居ない弱みにつけ込んで聞き出せそうだったのだがやはり拒否されてしまった。ちっと舌を打つ二人は佇まいを変える。
普段、それぞれと話す時には気遣いがあって優しい人物なのだが、今の肩を並べて協力姿勢の二人は迸る好奇心に衝き動かされていた。今はとにかく知りたくて仕方がない。エロ話がしたくて堪らなくなっているのだ。
もはや出久への気遣いも忘れており、知りたい感情の方が大きくなっている。
余裕綽々、胸を張って、威風堂々の姿勢で腕組みなどしていた。
動揺する出久は妙に凛々しい二人から逃げられず、教室内の視線が自身に集まっていることにも気付けなくなっている。
「なんだよぉ。いいだろ、それくらい。緑谷っていっつも気ィ使ってる感じがするから本心が知りたいんだよ。あと大人しそうだからヤバい性癖とか持ってるかもしれない」
「偏見がすごい!?」
「友達同士でエロ話するのなんか珍しくねぇって。それは本当。別にお前の話聞いてお前のこと好きになるとか見せろとかってのはないし。ただ俺たちは猛烈に知りたい」
「そう! 猛烈に知りたい! ちゃんとオナニーとか知ってるのか?」
「なぁ、なんっ、んぐっ……!?」
息を吐くみたいに自然に口からすらすら出てくる単語に目を白黒させて、顔が真っ赤になって、見るからに動揺している出久は挙動不審になる。
そうした反応があるから、つい面白くなって言ってしまうという側面も事実としてある。
ますます前のめりになる峰田と上鳴は下世話な笑みを浮かべて、勝手に口から出てしまうかのような言葉が止まらなかった。
「いやいや実際心配なんだよ。友達居なかったんだろ? オイラたちもう高校生だぜ。知っておかなきゃいけないことをちゃんと知ってるのかなって」
「オナニーくらい誰でもするんだぜ。女子だってするんだ。何も恥ずかしいことじゃないって」
「するのか? してるのか?」
「し、してない! しないよ!」
「本当に? 本心で喋ってるか?」
「俺たちに嘘つくのか緑谷? 友達だと思ってるのに」
そう言われれば体がびくんと跳ねた。
間抜けな顔で恐る恐る視線が上へ逸らされていき、嘘をついているのは間違いない。
やっぱり、と笑みが深くなる楽しげな二人を調子に乗せる、最高の表情を見せてしまった。
「やっぱり嘘ついてるんだな……」
「俺たちとは本音で語り合えないってことなのか……」
「いやそんなだってなんか、ねぇ!? 話題がさ、ほら……!」
「胸派か尻派かくらいはいいだろ。どっちの方が好き?」
「無理強いはしないけどぜひ言ってくれ。五時間待てる」
「えぇぇ……? それはもう無理強いじゃない?」
困惑する出久はどうする、言うか、と悩みながらも考え込んで決めかねていた。自分の力では切り抜けられそうにない。回避することが不可能なら、やはり正直に言うしかないのか。
彼がそうやって悩んでいた時、助け舟を出す生徒が現れた。
自席で授業の準備と復習をしていた学級委員長が口を開いたのである。
バンっと机を叩いて大きな音を立て、勢いよく席から立った。
眼鏡をかけた、体格のいい、七三分けの真面目そうな男子生徒だ。
「いい加減にしないか! 本人が望んでいないならそれはハラスメントだぞ! それにこの教室には女性も居る! 緑谷君にも女子にも気遣ったらどうだ!」
「えー? だって知りたいしさぁ。これくらい普通だと思ってたから……」
「まあでも、あんまりしつこくされんのも鬱陶しいよな。悪いな緑谷」
「う、ううん、大丈夫」
飯田の叱責を受けた峰田と上鳴は態度を改めたようだ。迷惑をかけるつもりはなかったのだが調子に乗ったのは事実。上鳴が謝罪すると出久は気を悪くすることなく受け入れた。
真面目過ぎるきらいはあるが、飯田はこうして他者を気遣う場面が多く、クラスをまとめようと日々努力している。その姿を知るからこそ彼らも素直に従ったのだろう。
やっぱり飯田君はすごい。信頼のある彼を見て、出久は素直に尊敬の念を向けた。
「ちなみに俺はお尻派だ!」
「堂々と答えた!?」
「お前の方が声でけぇよ!? 迷惑だよ!」
「“個性”の関係上、脚にも関心があるぞ!」
「お前さっきの自分の言葉思い出せ! なっ!」
間違った真面目さに出久が悲鳴を上げ、まさかの発言に上鳴が堪らず怒声を放った。
その一瞬の間に峰田はすでに移動していた。
ハッと気付いた時には飯田の席の傍に立っており、机に肘を置いて彼に語り掛けている。
「どんなお尻がいいんだ? 大きいの? 小さいの?」
「ふむ、そうだな……やはり大きくてこう、形が」
「飯田ぁ! お前それでいいのか!? 俺が言うのもなんだけど!」
ばたばたと上鳴が駆け付けて両手を動かしながら説明を始めようとしている飯田を止める。
他人を気遣える男である一方、自分にされた質問は可能な限り答えたいという彼だ。たとえそれがエロ話であろうと真面目に答えようとしている。
彼は本当にただ真面目なだけなのだろうか。時折奇妙な行動を見ることもあって、見送った出久はげんなりした顔で迷いを抱いていた。
雄英高校に入学して以来、理想のヒーローになるため数々の授業や実習を受け、中学とはまるで違う学生生活を送っている。けれど辛くはない。
個性的なクラスメイトに囲まれて楽しくやっているからだ。
会話しているだけなのに騒がしい友人を見ているだけでも嬉しくなる。
“個性”を手に入れて、高校に入ってからは毎日が夢のような時間で彩られていた。
優しい微笑みを浮かべて、自席に座って飯田たちのやり取りを見ていた出久は、不意に視線を感じて顔を動かす。
まるで司令官の如く、机に肘を置いて顔の前で手を組み、威圧感を感じる姿勢なのになぜか目だけは輝いていて、空気椅子で脚をぷるぷるさせる男が出久の机に現れていた。
奇行で知られた金髪の男子生徒、
以前にも話したことがあるのだが掴み所がなくて理解し切れぬまま、時折気が向いた時に目の前に現れ、自分が満足すると去ってしまう珍しい生徒だ。
いまいち向き合い方がわからずにいる出久は途端に緊張し、気合いを入れて向き合おうとする。
「僕はねぇ、きらめきがある人が好きかな」
「そ、そうなんだ……きらめき?」
「大丈夫。君にもあるよ、きらめきが」
青山ににっこり笑いかけられて、あ、よかった、と出久は安堵した。
少なくとも嫌われているわけではないようだ。
雄英高校の入試の際、初対面の時には「このチーズは高級だよ」と言いながら問答無用でチーズを口に突っ込まれた経験から、下手すれば嫌われているかもしれないと思っていたところだ。その後の行動も理論や理屈が通用せずに理解できず、今日まで接し方がわからなかった。とりあえず自分にきらめきがあってよかったと出久は喜ぶのである。
「きらめきがある君は、きっと良いヒーローになるよ」
「えっ、本当?」
「もちろん。だけど心配だなぁ。君がこのままヒーローになるのは」
「心配って……なんで?」
「それはね――」
「緑谷ぁ! 恋バナしよっ!」
唐突に、空気椅子をしている青山の両肩に勢いよく手を置いて、てっきり椅子に座っているものだと思っていた彼が盛大に転ぶ様子に驚きつつ、今度は女子生徒が話しかけてきた。
ピンク色の肌と髪、オレンジ色の目、触角が生えたよく目立つ外見と明るくて朗らかな性格で、異形型の“個性”を持つ
まさかの不意打ちで転がった青山が勢いよく起きる姿に微動だにせず、やる気満々という笑顔で出久を見つめる彼女は、内から湧き上がるわくわくを止められない様子だった。
「こここ恋バナっ!? むむ無理だよそれは!? 中学時代友達ゼロの僕なんかが恋バナなんてできるわけがない……!」
「えぇ~そんなことないよー! したことないならちょうどいいじゃん! 私が友達になるから初めての恋バナしよ! ねぇしようよ~! 早く早く!」
天真爛漫な芦戸のうきうきした声が教室中に広がる。
がたがたと騒がしく動いた峰田と上鳴が直立し、飯田の席の傍から絶望した顔で出久と芦戸の姿を凝視していた。
「初めてがぁ!? 緑谷の初めてが芦戸に奪われるぅ!!」
「ちくしょうどうなってんだこの世界は! 俺の初めてはどうすればいいんだっ!」
「うるさいエロ男子っ!」
「ぎゃああ溶けるぅううっ!?」
騒ぐ二人に両手の人差し指を一本ずつ向けて、射撃のように撃ち出された水滴が額に直撃した。弱くしてあるとはいえ彼女は体から“酸”を放つ。それを知る二人は床を転げ回り、額に付着した途端しゅーしゅーと音を立ててぴりぴり痛む液体をなんとか拭い取ろうとしていた。
その間に芦戸は出久へ振り返り、真っ赤な顔で動揺しまくる彼に笑いかける。
「ねぇねぇ、緑谷って好きな人居ないの? このクラスに気になる人とかって居る? どんな人がタイプ? 家事とか気にする?」
「え、えっと、あの、あぁぁ……!」
「きらめく人だよね? きらめきがある人だよね緑谷君」
「それは青山の好みでしょー! っていうかきらめきって謎!」
「フッ、芦戸さんもきらめいているよ。色んな意味でね」
「わから~ん!」
芦戸と青山の二人の仲が良いらしいのは伝わった。しかしその間、興味津々という表情で芦戸に顔を覗き込まれて、逃げられそうにない出久は混乱する一方である。
顔を振って視線を投げたのは救いを求めたからだった。
偶然、こちらを見ていた
「うひゃいっ!?」
「あっ!? ち、違うよ!? なんかごめん!」
「なんですか! ビビビってきましたか! 特に理由なく恋に結び付けていいですかっ!」
「僕は許可するよ。結ぼう」
「やめて!? 勝手に結びつけないで!」
「みんな静かに! 他のクラスの迷惑になるぞ!」
時として落ち着きがないが嬉しい生活の変化に違いない。
出久は友人と過ごす学校での一時を楽しんでいた。