理由は単純明快。
明らかな単独行動であったが彼にとってはセオリーなど頭の片隅に置いておけばいいもの。それ以上に重要なのは現場における自らの判断である。
「ぶっ殺してやる!」
「おい爆豪っ! 勝手に行動すんな! っていうかお前ほんとにヒーロー志望かよ⁉」
同じ場所に出現した
数多のビルや建物が倒壊し、いつ崩れてもおかしくない危険な環境下で、ひたすら逃げ続ける脳無を追い回す羽目になった。
爆豪は見るからに苛立っていた。
戦闘になるかと思えば、姿こそ見せるものの一向に向かってくる様子がなくただ逃げるだけ。
腑抜けが、クズが、芋虫がと罵声を浴びせながら追い続けても中々捕まらない。
あまりにも逃げるため仲間たちは放っておいて避難を優先しようとも言うのだが、爆豪は頑として首を縦に振らなかった。
「じゃあ何か⁉
「いや、そこまで言ってねぇけど、今俺らに必要なのは応援で――」
「俺の前に現れやがった
「さっきからお前の思想はヒーローじゃなくて
爆豪は追跡をやめず、散々走り回った挙句に倒壊寸前のビルの中へ駈け込んでいった。
二手に分かれるという考えもあったが、周囲の状況や敵の総数がわからない中ではあまりに危険過ぎる。結局彼らは同行することとなった。
「もう逃げんのはやめたのかよザコ助野郎ッ!」
4階に位置する長い廊下で脳無を見つけた。今度は逃げる素振りを見せずにまるで待ち伏せしていたかのようである。
違和感ならば、ある。気付かないほど我を忘れているわけではない。
それでも爆豪の頭に撤退の二文字はなく、この場で決着をつけようと決めていた。
「罠かもしんねぇぞ。本気でやんのかよ」
「当然だろうが! ザコは黙ってろ!」
「誰がザコだ⁉ こっちに八つ当たりすんな!」
爆豪は“個性”の“爆破”を使い、ボンボンボンと、予備動作のように掌から小さな爆発を連続して発生させている。
目は血走って危うい状態。だが彼を見ている側からすれば普段通りとさえ思っていた。
「爆殺してやるッ‼ バラバラになってから泣き叫べコラッ!」
「こいつ、マジで
今にも飛び出しそうにうずうずしている爆豪を前にして、脳無は逃げずに身構えた。
ついにその時が来たと嬉々として爆豪が駆け出す。
脳無は逃げずに攻撃してきた。接近する爆豪を待って拳を突き出し、小細工なしに真正面から顔面を殴ろうとしてきた。
驚くどころか爆豪は喜びさえ露わにする。
逃げるのは面倒だが向かってくるなら話は早い。彼はそのパンチを避け、攻撃を仕掛ける。
大振りのパンチを繰り出したことで、避けた後は隙だらけ。
がら空きの胴体に左手を添え、“個性”を使って爆破。
ぎゃあと悲鳴を発して天を仰ぐ脳無を見上げ、飛び上がった爆豪が右手でむき出しの脳を掴む。
「死ね」
一際大きな爆発。脳無の顔面が一瞬にして吹き飛んだ。
残った胴体が地面に倒れて、泥のように溶けて跡形もなく消えてしまう。
もう終わったのか。見ているだけだった三人は呆気に取られて、しばらく一言さえ放つことができずに沈黙していた。
「もう終わりか。くだらねぇ」
外見はともかく、中身は今しがた倒した脳無よりも
気まずそうに沈黙していた三人は、不思議と声をかけることすら躊躇っていたようだ。
「次は入り口に現れたあいつらだ。勝手なことしやがって。
「俺らあいつと一緒に居ていいのか? なぁ」
「さぁ~。戦闘じゃ頼りになるけど友達だと思われんのはちょっとなぁ」
切島と瀬呂が顔を突き合わせて迷いを口にする。果たしてこのまま爆豪がヒーローになるのを認めてしまってもよいものか。教師ではないのに考えてしまう。
輪の中に入っているはずの障子は元々無口なこともあり、何も言わなかった。
そうこうしていると爆豪が早速歩き出していた。彼らを無視して進むつもりらしい。
「ちょちょちょっ、待てよ。入口の広場に戻る気か?」
「当然だ。敵はまだ居る」
一人で勝手に行動しようとする爆豪に慌てて切島が声をかけた。
ここに至るまでもそうだった。爆豪は自由気ままに勝手に進むのみ。気遣って行動を共にした三人が後ろに続いただけだ。
これ以上はこのままでいいのかと考えて、切島は彼を止めようとする。
「あそこにはオールマイトが居るんだぜ? 俺たちが行ったら邪魔になっちまうんじゃねぇか? それよりここを出て応援を呼んだ方が」
「バカかお前。あの霧野郎はワープさせる“個性”だ。ルールや制限はわからねぇがあいつが居る限り増援はいくらでも呼び出せる。もっと言やぁまだここに居るとも限らない」
「は……? オールマイトだぞ。まさか、負けたとか思ってんのかよ」
爆豪は自分本位でプライドが高く、身勝手な行動を取る一面があるが、決して馬鹿じゃない。
少なくとも切島は、自分と比較して彼は頭が良く、暴走しているように見えても実は色々考えていることを理解している。それ故にその言葉や態度が気になった。
「オールマイトは強ぇ。だが、強いからって他人の“個性”が通用しねぇってわけじゃねぇ」
「そりゃ、当たればな? でもオールマイトは規格外で……」
「ましてやこいつら、今日のために相当準備してきたんだろ。俺をコケにして時間稼いだのも何か目的があってもおかしくねぇ」
言われた後で今回の襲撃の違和感に気付いた。
雄英高校の校舎から離れているとはいえ、敷地内に堂々と踏み込み、攻撃してくる
オールマイトに万が一があるのか。
切島が顔を青ざめさせ、尚も歩みを止めようとしない爆豪の背に問うた。
「じゃあお前、なんであいつに拘ってたんだよ。それがわかってるなら無視してでも合流を急いだ方がよかったんじゃ……」
「
「そこ結局感情論かよ!」
「うるせー! 文句あるか! それがヒーローだ!」
「絶対違う! お前は大事な何か欠けてるからな!」
いつものように口喧嘩をしながらも、言い終えた切島は深く息を吸い、必死に考える。
「どの道、ここに居てもどうにもなんねぇし、気になるのは確かだな……行こうぜ」
「リーダーぶんな! てめぇに言われなくても行ってるわ!」
「あーもうっ、お前と喧嘩できる気分じゃねぇんだよ。マジでそんなことないと思うけど、今回のことが相当異常だってことは改めてわかった気がする」
「ケッ! 遅ぇんだバカが!」
ああ言えばこう言う。そんな爆豪に呆れながらもどこか緊張感が漂う。
四人は爆豪を先頭にして移動を開始する。まずは倒壊寸前のビルを出て、セントラル広場を目指すことを決めた。
そうして歩いている時、三階へ降りる階段の近くで、見知らぬ人物の姿を見る。
「お前たちはなぜヒーローを目指す」
「あ? てめぇ……
「答えろ。なぜヒーローになろうとする。お前たちはヒーローの本質を理解しているのか?」
「ハッ、当然だろ。俺がヒーローになるのはな、お前みたいな勘違い
「論外」
会話の直後、ステインは迷わず戦闘態勢に入った。
虚を衝かれた。
どうせ爆豪が勝つ。そう思って悠長に観戦する姿勢になっていたのである。
誤算。彼は人間の姿をしているが、強さは先程の脳無以上だった。
両手にナイフを持ち、疾駆して正面から突っ込んでくる。速いが十分に反応できる速度。大した相手ではないと判断して、爆豪が右手を伸ばす。
自分が強いという自信と、十分反応できるという油断があった。
触れるために突き出した右手は、下から手を添えられて軌道を変えられ、空を掴んだ。
瞬間的に目を見開く。
まずいと思うより先にナイフが振るわれていて、体を回転しながら切り裂こうとしてくる。
爆豪は咄嗟に頭を下げ、姿勢を低くすることでナイフの一撃を躱した。
切島たちが絶句する一瞬、爆豪は即座に激怒し、腕の装備を使う判断を下す。
「爆豪!」
「ぶっ……飛べェッ‼」
手榴弾を模した籠手のピンを抜き、溜めていた汗を使って“個性”を使用。“爆破”を収束させて威力を高め、発射口から巨大な爆発を撃ち出した。
当たれば一撃で決着してもおかしくない威力と規模。しかしステインは素早く動き、一瞬の判断で地面を蹴り、壁を蹴って天井へ張り付いていた。
爆豪の攻撃は空振り。直後に天井を蹴り、落下する勢いを利用してさらに接近してきた。
「てんめぇ‼」
「粛清だ……!」
怒りの形相となった爆豪もまた自ら前へ跳んだ。
空中で対峙し、互いに防御を考えず攻撃する。
一瞬の交差。爆豪の“爆破”はステインの肌をわずかに焦がす程度に終わり、逆に爆豪は頬をわずかに切られただけだった。
強く地面を踏みしめて、すかさず踵を返してステインが振り返る。ナイフを下から掬い上げるように振り上げて首を狙う。
応じる爆豪も指を開いて手を突き出そうとした。だがその時、全身が突然ピタリと止まる。
動けない。まるで全身をロープか何かで雁字搦めにされたかのようだ。
自らの意思は前へ動こうとしているのに、体のどこも自分の意思で動こうとしていない。
「あぁ……⁉」
「おいっ、何やってんだ⁉」
切島の絶叫が響くと同時、ステインのナイフが爆豪の首筋を切り裂いた。
必死に、死ぬ気で抵抗した結果、辛うじてほんの少し動くことができたらしく傷は浅い。わずかに血が垂れる程度の浅さでしかない。
安堵する暇もなくステインは爆豪の腹にナイフを突き刺す。今度こそ血が溢れ、死を連想させる衝撃的な光景を目にする。
間髪入れずにもう一本、脇腹にナイフが突き立てられる。
動けない爆豪は衝撃を受けるままに地面へ倒れ、痛がって傷口を押さえることもできず、真上に立ったステインを睨みつけるのが精一杯だった。
「偽物には等しく死を! 貴様らがヒーローを腐らせるのだ!」
「クッソがァ! 舐めんなァアアアアッ‼」
爆豪が咄嗟に“個性”を使った。自分の体が傷つくことすら厭わず全力の爆破を生む。
力が入らず床に投げ出された両手が爆発したことによって床が崩れた。ただでさえ崩壊寸前のボロボロの建物。爆豪とステインが落下していく。
一階層下に落ち、受け身も取れず地面に叩きつけられた。
一方のステインは易々と着地し、顔色一つ変えずに再び爆豪へ接近しようとする。
「無駄なあがきだ。死ね……ヒーローを騙る偽物」
「アァ⁉ わけわかんねぇこと言ってんな! 俺が死ぬかバカがッ!」
新たなナイフを取り出したステインが爆豪へ近付いてとどめを刺そうとした。だがその時、不意に気配に気付いて素早い反応を見せる。
上階から落下してきながら手刀を振り下ろそうとしている切島と、その背後からテープが射出されて同時に襲ってきた。
優先するのは回避。
ステインはその場から飛び退いて距離を取る。しかもそうして回避しながら、倒れて動けない爆豪へ向けてナイフを投擲した。
狙われたのは顔面だった。動けないせいで自分では避けられず、爆豪本人はただ眺めることしかできない。
間一髪で駆け付けた障子が自身の“個性”の“複製腕”を用いて、触手の先端に手を生み出した。
割って入った手に飛来したナイフが突き刺さる。痛覚は存在するものの、本体のそれに比べればいくらか軽減されており、ミスなどではなく体を張って爆豪を守ったのだ。
わずかに遅れたとはいえ、三人が追いついた。
図らずも一階層降りて3階。長い廊下で四人は再び対峙する。
「爆豪っ! お前大丈夫かよ⁉」
「うわっ、マジか……⁉ ほんとに刺さってんじゃねぇかお前!」
「チッ、うるせぇ! 大したことねぇよ! こっち見んな!」
「叫ぶなバカっ! 血ィ吹き出んだろが!」
「吹き出るかバァカ!」
「出てるわ⁉ いいからお前黙れって!」
障子が立って壁になり、切島と瀬呂がすぐに爆豪の容態を見る。
ヒーロー活動のため応急処置などはすでに学習しているとはいえ、体にナイフが深々と刺さっている時の対処法を聞かされたわけではない。
四苦八苦しながらも止血しようと試み、その間、ステインはその姿を黙って見ていた。
「とりあえずお前、痛ぇだろうけど抜くなっ。出血多量でマジ死ぬぞ」
「チッ、包帯野郎……! 止血したらぶっ飛ばしてやるっ」
「何言ってんだ! あいつはヤベェ、さっきのでわかったろ! ここは退くぞ!」
「そうだぜ。無理して死んだら元も子もねぇだろ」
話は聞かれていた。
ステインと向かい合い、対峙していた障子は彼の変化に気付いて眉を動かす。
「退く? 敵前逃亡か。俺はここに居るぞ。ヒーローの矜持はないのか?」
「何言ってんだ、あいつ……」
「相手にするのはまずい。逃げるぞ」
怪訝な顔をする瀬呂がわずかに振り返った時、これまで黙っていた障子が口を開いた。
この場に残るのはまずい。下手をすれば全員が死ぬ。
ステインが発する異様な殺気を全身に浴び、そう判断せざるを得なかったのだ。
「ヒーローの責任は! ヒーローとしての在り方はどうした! 一人倒れただけですぐに尻尾を巻いて逃げ出す、それがお前らの思うヒーローか!」
「誰が逃げるっつったァ! てめぇは俺がぶっ飛ばしてやる! そこで待ってろ!」
「やめろ爆豪! お前まともに戦える状態じゃねぇだろ!」
荒ぶる爆豪を押さえつけ、後は瀬呂に任せて、切島が振り返った。
当然異様な空気は察している。もはやこの場に状況を理解していない人間は居ない。
障子の隣に並んで、静かに“個性”を発動させた。
「と言っても、何もなく帰れるわけねぇよな……」
「ここで倒すか、最低でも逃げる隙を作らないと無理だ」
二人の背後では爆豪が無理やり体を起こして座り、瀬呂が援護のために構えた。
「ぶっ倒すに決まってんだろうが! 俺は逃げねぇぞ! 勝手に決めんな!」
「お前もう黙っとけって。血ィ噴き出すから」
彼らのやり取りは全て聞いていた。
その上で、点数にして0点。
やはりやるべきことは変わらず、ステインは戦闘の継続を決定した。
「粛清だ……! 偽物は全て排除する! 意志も矜持も責任もない貴様らがヒーローになることはあり得ない! 貴様らは間違ったヒーロー社会の膿でしかないのだ!」
「なんなんだ、こいつの凄みは……」
「間違っている! 正さねばならない! 偽物を生み出し続けているのは雄英を含むヒーロー育成機関であり、そこに居る貴様らもまた歳がいくつであろうが例外ではない!」
再び両手にナイフを持ち、ステインは強く一歩を踏み出した。
「まずは雄英! 間違いは全て消去する!」
切島鋭児郎は、派手な見た目だが元不良というわけではない。
中学時代は大人しく目立つ存在ではなかった。
ヒーローへの憧れがあり、自己流で体を鍛えたり、格闘技を学んだりしたものの、ヒーローになると決めて雄英に入学することを決めたのは決して早くない。
地味な“個性”でも体を張って、誰かを守れるヒーローになる。そう決めて雄英へ入った。
自分なりに鍛えていたとはいえ実戦経験はほぼ皆無。
雄英入学後、授業は真面目に受けていたが、訓練はあくまでも本番のための準備でしかない。
その時、切島は初めて本気の殺意に直面していた。
他人を傷つけることをなんとも思わない人間の存在と、凶器を振るわれる恐怖を知る。
切島の“個性”は肌を鉄のように硬くする“硬化”。本人は地味でヒーローに向いていないと思っていた時期があったが、単純だからこそ近接戦闘ではシンプルな有用性がある。
“個性”を使い、肌を硬化した切島にステインが襲い掛かってくる。
武装はナイフ。硬化した状態であれば肌に刃を突き立てられても通用しない。現に何度も肌を刺されているのだが切島の体に外傷は皆無だ。
それなのに切島が怯え、硬直してほとんど動けずにいたのは恐怖していたからだった。
悪意とは異なる純粋な殺意。ただ傷つけ、命を奪おうとする行為。初めて直に体感したそれは度胸がついたと思い込んでいた切島の自信を易々と砕き、いとも容易く追い詰めていた。
「う、わっ……⁉」
「切島! 下がるな!」
少し後ろで援護する障子が大声で叫んだ。しかし今の切島には聞き取る余裕がない。
一歩分後ずさり、その分ステインが前へ踏み込む。
彼の攻撃はシンプルながら非常に強力で厄介だった。両手に持ったナイフで切りかかり、蹴りを叩き込んで顔の向きを変え、体勢を崩し、効いていないとはいえ切島の体を好き勝手且つ強引に動かしている。
ほとんど切れ間のない猛攻に、自分が呼吸しているという自覚がなかった。息を吸って吐くだけの慣れた行動がとても苦しく、生きた心地がしない。
足払いで切島が受け身も取れずに倒れた。
ステインはすかさず馬乗りになり、折れたナイフを何度も何度も切島へ振り下ろす。
すでに先端が折れているナイフが直撃して、さらにひび割れ、破壊される。
それでもステインは攻撃をやめず、執拗にナイフで切島に切りかかった。
繰り返される行動に効かないとわかっていも切島は悲鳴を上げずにはいられなかった。
「うわぁあああああっ⁉」
「落ち着け切島! 俺の声を聞け!」
壊れた床の一部だろう、コンクリートの破片を投げつけて、反応したステインがナイフを掲げて防御する。
視線がこちらを向いたがそれもまた狙い通り。障子は“複製腕”で作った腕を伸ばし、ステインの体を強引に切島から引き剥がそうとした。だがステインは馬乗りになったままナイフを振るって、障子の腕を切りつけて狙い通りにはさせまいとする。
「邪魔をするな! 貴様らは順番に始末する!」
「くっ……! 切島動け! 抜け出せ!」
「うおっ、ああっ……!」
殴る余裕すらなかった。切島は両手でステインの体を突き飛ばし、慌てながらも必死に動くことで逃れることができた。
体に上手く力が入らない。へたり込んでしまって、立つことができなかった。
視線は自然にステインへ向けられる。
彼は刀身が折れたナイフを切島へ投げつけ、新しいナイフを持って再び飛び掛かってきた。
「ひっ⁉」
「大丈夫だ! お前には効かない! 奴の攻撃は全て、お前には通用していないんだ!」
切島の体に投げられたナイフが当たる。当然硬化された体に傷はつかない。
カンッと軽い音が鳴ってナイフが弾かれるのだが、その時切島は、見るからに怯えた様子で体を小さくしていた。
ステインの“個性”を彼らは知らない。
“個性”を使った戦闘になれば、もしかすると切島を傷つけられるようになるかもしれない。
その可能性が切島の動きを悪くしている一因であり、障子も考慮こそしていたものの、今は考察している場合ではなかった。障子は「効かない」と断言するのだが、やはり余裕のない切島には届いていない様子だった。
接近戦になるのはまずい。
頼りの壁となる切島は心を折られた。さらに近付かれれば蹂躙される。
慌てて“個性”を使ってテープを射出する瀬呂が援護をする一方、一瞬の判断により、後先を考えずに障子が一番前へ出た。
切島は尻もちをついていた。体が思うように動かず、呼吸はさっきより激しく荒れている。
障子が前に出た。自分が不甲斐ないからだ。“硬化”を持つ自分が前に出てみんなを守らなければならない。
頭ではわかっているのに、体が動かなかった。
なぜ。どうして。考えるほどに焦り、さらに動かなくなる。
自分には効かない。全て防げている。そう言い聞かせても効果は薄く、ただただ苦しい。
これが
これが戦闘。
これが本物のヒーローの現場。
「切島ァアアアアアッ‼」
想像とは何もかも違う目の前の光景に切島が心底折れかけた時、絶叫が聞こえた。
後ろから投げられたコンクリートの破片が後頭部に直撃し、互いに硬い音を立てて、砕けたのはコンクリートのみである。
「でっ⁉ な、なん……!」
「てめぇ、なにビビッてやがんだ! アァッ⁉ 痛くねぇだろうが! 俺の“爆破”に耐えられるくせしやがって、何のための“個性”だと思ってんだ薄らバカがッ!」
投げたのはやはり爆豪だ。
顔を引きつらせる瀬呂の隣で、座ったまま投げつけてきたらしい。
大汗を掻いて刺された影響は少なくないが、表情だけは普段通りで、さっきとは違って少なくとも腕は動いている。
「お前考えられねぇバカのくせしやがって、なに怖ェとか考えてやがんだ! さっさとそんなもん捨てろ! バカはバカなりに突っ立ってりゃいいんだよ!」
振り返った切島は呆然とした顔で爆豪を見ている。
瀬呂の戸惑っている顔や、視界の外に居る障子が必死に抵抗している姿が入らなくなる。
その声が届く間、切島は彼から目を離さなかった。
「お前一回でも痛ェって思ったのかよ!」
「え……いや……」
「一回でもあいつに負けたのか! アァッ⁉」
怒りを込めて言葉がぶつけられる。
切島の瞳が揺れ、気付けば心が揺さぶられていた。
「たかがサバイバルナイフが俺より怖ェわけねぇだろ! 死ぬ気で突っ立て! てめぇの役目は、後ろに居る奴を死なせねぇことだろうがッ!」
死ぬ気で突っ立つ。
なんて馬鹿馬鹿しい、理解しやすくて自分に向いた作戦なのだろう。
切島はその言葉を聞いて素直に飲み込めている自分に気付いた。
「さっさと行けェ! 一歩でも退きやがったら俺がぶっ殺すぞコラァ‼」
応えるように切島が強く地面を踏みつける。
考えるより先にまず行動。気付いた時には走っていた。しかしそれは無茶ややけくそではない。自らの意思で決めたこと。
表情が変わり、恐怖が薄れる。自らの役目を理解したことと、ナイフが突き刺さって死にかけているはずの爆豪の大声を聞いたからだ。
「障子! ごめん!」
「気にするな……複製の痛みは大したことはない」
「瀬呂ォ! 手ェ貸せオラッ!」
「いっ……⁉ は、はいはい」
ステインに対峙して、障子は自らの体を盾にして彼らを守っていた。複製した体の部位は悉く切り付けられたが、本体にダメージはなし。それでも与えられた痛みと心身への疲労は決して軽いものではないだろう。
勢いよく駆け付けた切島がステインの前へ躍り出て、全力で体を“硬化”して拳を握る。
「障子はプレッシャーに耐えた……! 俺は何やってんだバカ野郎ッ!」
「貴様の選別は終わっている!」
「俺にできることなんかこれだけだろうがっ‼」
「粛清だッ‼」
今までの比ではなく、高速で振るわれた二本のナイフによって無数に切りつけられる。
硬質な音が響き、切島の体が何度も何度も切り刻まれた。しかし“硬化”の“個性”によって肌には傷一つつかず、動く暇を与えられないとはいえダメージは皆無。
切島は顔の前まで両腕を上げ、防御の構えでその場にしっかりと突っ立った。
怯えていた先程とは違う。堂々とした態度で言い放った。
「どんだけ切ろうが殴ろうが効かねぇよ! サンドバック上等! 好きなだけやれよ、ただし! 俺が居る内はもう後ろの奴らに怪我一つさせねぇ!」
「ヒーロー気取りか⁉ 貴様は死の恐怖に打ち負けた弱者だ! ヒーローではない!」
「ああ、そうだ、俺はビビりで弱者だ……! だからヒーローになるんだ……!」
ステインが全力を出していたのは迫力からして明らかだった。
気を抜けば強引に押し切られそうな猛攻を全身にぶつけられる。切島は必死に耐えて、その場を一歩も動こうとしなかった。死ぬ気でその場に立っている。
「俺みてぇな弱い奴を死ぬ気で守る! それが俺のヒーローだ!」
「論外ッ‼ 履き違えるな偽物ォ!」
猛攻に耐える中、ステインの攻撃により生じる音に負けることなく、切島はその声を聞く。
「包帯野郎ォ! 履き違えてんのはお前だろうが!」
爆豪だ。
何か考えるがあるのだろうと信じて、必死にその時間を耐えた。
「宗教家か革命家のつもりか⁉ やってることがくだらねぇな! ヒーローやる理由なんか一つしかねぇだろ! お前みたいな
ステインの目つきが変わり、視線を向ける先が変わった。
「ヒーローの責任とか定義とかウゼェんだよ! どうしても主張してぇんなら一人でネットの掲示板にでも書き込んでろ! どうせ誰も相手になんかしねぇよ!」
攻撃の手がぴたりと止まった。
ステインは爆豪を睨みつけている。
少々の挑発ならまだしも、提示されたヒーロー観は到底許せるものではない。切島を無視してでも彼を殺さなければ気が済まなかった。
「改めて言ってやる! てめぇの言うヒーローはクソだッ! 俺こそがいずれNo.1ヒーローになる男だぜ! “仕事”としててめぇみたいな勘違い
「醜悪‼ 思い上がりもここまで来れば滑稽だ……! 貴様がヒーローになることはないっ」
ステインが疾駆した。
真っすぐに爆豪を目指して進むのだが、切島と障子は止めに入らなかった。
「貴様の未来はここで終わる!」
「瀬呂ォ! やれェええええええっ‼」
ナイフは二本刺さったまま。座り込んでいる爆豪の両手は力なく下げられている。
突然、右腕がぐんと持ち上がった。
ステインが眼前に迫った瞬間、瀬呂があらかじめ付着させていたテープを強く引っ張り、腕を上げさせてから爆豪の籠手にあるピンを引き抜く。
籠手にある発射口から放たれたのは閃光。直後に巨大な爆発が辺りを包んだ。
ビル全体が揺れる衝撃に、視界は一瞬ゼロになる。
ハッと気付いた時、切島は空中に投げ出されていた。
混乱したものの、爆豪が起こした爆破によりビルの一部と一緒に自分たちまで吹き飛ばされたのだと察する。
空中で障子が複製した腕を伸ばして、切島と手を繋ぐ。
離れていたものの、瀬呂が放ったテープが障子の手に握られた。
爆豪の体もテープで捕まえていて、とりあえず全員息があるようだ。
「あぁ……ヤベェ」
「そうだな。まあ、まだ着地もヤバいんだが」
「あ、確かに……ヤベェ⁉ これはこれで死にそうだ⁉ どうする障子!」
「任せろ。なんとかする」
そう言って障子は“複製腕”で肉体のパーツを次々に複製する。
全員を引き寄せると着地体勢に入った。
辛うじて無事に着地を終えて、一息つこうとしていた四人の前にそれは現れた。
体の所々が焼けて異臭を放ちながら、黒く焦げている部分もある。それでも力を失っていない足取りで一歩、また一歩と進んでくるステインは、戦うために拳を握っていた。
「偽物ォ……! 貴様らを世に放つから社会が間違える……!」
「ま、マジかよこいつ⁉」
「冗談きついぜ⁉ これ以上どうしろってんだよ!」
「チッ、クソ包帯狂信者……!」
意識を保っている方がおかしい姿だというのに、異様な雰囲気を放って前進してくる。体はフラフラしているが恐怖を感じずにはいられなかった。
冷静になった切島はもう腰を抜かすことはなかったとはいえ、彼を含めた三人が息を呑んで硬直しているのも無理はない。唯一、爆豪だけが戦意をむき出しにして睨みつけており、激痛に苛まれている状態でも立ち上がろうとしていた。
先程の奇襲は上手く行った。だがおそらく二度目は通用しない。
それなら直接手から爆破を叩き込む。
そう決めて動こうとする爆豪に気付き、咄嗟に切島が彼を庇うように前へ立った。
「貴様らには何も成し遂げられん……! 俺を殺すことさえも! ヒーローとしてだ! 俺を殺せるのはオールマイトだけだ‼」
ステインは大声で吠え、今にも倒れそうな体で強く地面を踏みしめる。
「やれるものならやってみろ! 俺を殺してみろッ‼」
「そこまでです」
その時、ステインの正面に黒い霧が発生する。
中から黒霧が現れ、雄英生徒の四人との間に黒い霧で隔たりを作った。
「ここまでにしておきましょう。これ以上やるとあなたが死にます」
「そこを退け! お前たちと手を組んでも部下になったつもりはないぞ!」
「落ち着いてください。これは命令などではありませんよ。我々はただ、今あなたを失うわけにはいかないというだけです」
激昂するステインに対して、黒霧は紳士的に話しかける。
その気になれば黒い霧で彼を包み込んで、“個性”で強引に移動させることもできるのだろうが、そうしようとはしなかった。
味方ではあるが部下ではない。彼らの関係には緊張感が漂っている。
「チャンスは再びやってきます。あなたの活動はまだ始まったばかりですよ」
「ぬぅ……!」
必死に怒りを堪える様子でステインは渋々納得することにしたようだ。
黒霧が操る霧が彼らの体を包み込もうとしていた。
「次の機会だ。再びお前たちにまみえた時、次こそは俺が粛清してやる……!」
「ハッ、言ってろザコが! 次会ったらまた俺がぶちのめしてやるよォ! せいぜい出会わねぇように気をつけるんだな!」
「その風体でそう言えるのなら心配いりませんね。では」
淡々と言い残し、黒霧は消えた。同時にステインもその場から居なくなる。
黒い霧が晴れて無くなると、新手の気配はなし。
彼らは生き残ったのだ。
激しい戦いを、果たして制したと言えるだろうか。敵には黒霧をはじめおそらく余力があって、あのまま続けていれば勝ち目がなかったかもしれない。
黒霧が撤退を促したことで、自分たちは
途方もない屈辱。沈黙が流れて噛み締めずにはいられない。
ヒーローを志す自分たちにとって明白な敗北だった。
静寂が訪れると同時に重苦しい沈黙が生まれる。
生徒たちは呆然と辺りを見回して、しばらく身動き一つすらできなかった。
「お……終わったのか?」
「ああ。そのようだな」
力なく呟いたのは瀬呂だった。応じた障子が辺りを警戒して視線を動かし、何一つ脅威を見つけられなかったことで答える。
二人は突然力が抜けて倒れ込むように座り込んだ。
「終わった……あぁ、生きてる。生きてるぞ俺ら」
「危なかった。一歩間違えれば俺たちは」
「あぁ~考えたくもねぇ……」
疲弊した瀬呂が大の字に倒れた。
一方、切島は突っ立ったまま動かず、悔しそうな顔で俯いている。
「みんな……ごめんっ! 俺が、あいつにビビっちまって、何もせずに突っ立ってたから……! みんなを危ない目に遭わせて――!」
「っせぇ! 勝手に謝んなバカ!」
指一本動かせずに倒れている爆豪が大声で叫び、全員が驚いて彼に視線を向けた。
「てめぇの泣き言なんざ聞きたくねぇ……! チッ、主人公ぶってんなよお前……!」
「お、おい爆豪、お前傷が……!」
「あぁチクショウ、ムカつくぜ……! あの包帯野郎、次に会ったら――」
心底腹立たしげに呟きながら、爆豪は糸がぷっつり切れたかのように気絶する。
ナイフは腹に突き刺さったまま。出血は少なくない。
その様子を見た三人は途端に慌て始めて、真っ先に爆豪の下へ駆け寄った。