「ウェ~イ」
「ブフッ!?」
まずいと思って離れていた
口元を手で押さえて俯き、肩を震わせる彼女が見ていない間に、やれやれと言いたげな顔で
「あーこれはだめだな。保健室行くぞ。充電だ充電」
「私も行くー。了解ウェイウェイ」
「ウェ~イ、ウェイウェ~イ」
連れ去られる上鳴を見送り、しばらくして、ようやくといった様子で落ち着いた耳郎が思わず大きく息を吐き出した。
事情を知る出久は苦笑して見守り、傍に立っている。
「はぁ~っ、ヤバかった。昨日の今日なのにあいつもうウェイってるじゃん」
「あはは……張り切り過ぎちゃったのかな」
「いやマジで直さないでほしいわ。ヒーローとしては致命的だけど子供には人気出るでしょ」
彼らがそうして遠ざかる上鳴を見送っていると、軽やかな足音を立てて、浮いているように見える服が近付いてくる。
“透明化”の“個性”を持つ
「すごいねー上鳴君。もう大人気。ウェイウェイ」
「そうだね。でも、あんまり言い過ぎると流石に気にしちゃうんじゃないかな」
「どうして?」
服が動くと体がどう動いているのかがわかって、おそらく首を傾げているのだろう。
彼女との接し方も徐々に慣れてきている。幸いにも本人の性格は非常に明るく、体は透明だがクラス内では意外と目立つ存在で、天真爛漫に話しかけてくれるのは有り難い。
昨日教室で行われた会話や上鳴の目標設定はすでにクラスの全員に知られていた。上鳴の声が大きいのが理由だろう。彼が自らウェイウェイしないと言っていたのを多くの人間が聞いている。
そして今日、昨日の会話は何だったのか、実習の中で早速脳がショートした。おかげでA組は上鳴の話題で持ち切りである。
悪くは思わないが、少し心配もする出久が葉隠に苦笑して答えた。
「昨日、もうウェイウェイしないって決めたばっかりだからさ。あんまり言われるといくら上鳴君でも傷ついちゃうんじゃないかと思って」
「そんなことないと思うよ? だって上鳴君、三奈ちゃんとかお茶子ちゃんが褒めたらすっごく喜んじゃって、人気出るなら別にこのままでもいいやーって言ってた」
「え? でも耳郎さんが言った時はすごく怒っ――」
言いかけたタイミングで出久はハッと気付いた。慌てて口を閉じるのだがすでに遅く。恐る恐る振り返ると微塵も表情を動かさない耳郎が彼を見ていた。
自分が悪いわけではないと思うのだが。思考とは裏腹にだらだらと汗が流れる。助けを求めるように隣に居た口田を見れば、彼はその場から動かず出久に背を向けていた。
「もぉ~デレデレだったよぉ? 上鳴君って女の子好きだよねー」
見えないものの、にこっと笑って葉隠は思ったことを素直に告げていた。
おそらく、彼女は昨日の顛末を大まかにしか理解していなくて、詳細は知らないのだ。その場に居た女子がとてもウェイウェイを気に入っていた事実を知らない。
出久は再び耳郎に視線を戻す。
一ミリも表情を動かさず、瞬きさえせず、にこやかな顔で出久を凝視していた。気付かぬ内に体の正面を彼に向けている。ひいっと声を漏らした出久は何を言われるよりも前に気をつけをして、従順に彼女の発言を待った。
「あいつの目を刺そう」
「そ、そこまでしなくてもっ!? いやほら、あの、耳郎さんだけ特別に意識しちゃってた可能性もあるから、まだ判断は早いんじゃ……!」
「協力するって言ってくれたよね。ウチは緑谷に手伝ってほしいんだ」
「そういう意味で言ったんじゃないよ!? い、一旦落ち着こう!」
様子がおかしい耳郎に肩を掴まれて優しく語りかけられ、激しく取り乱す出久が必死に止めようと説得を始める。
口田はハラハラして見守っていたが、葉隠は違ったようだ。
「響香ちゃんとデク君って仲良いんだね」
葉隠が口田に話しかけると返事は動作で返され、うんと頷いた後、手を動かして昨日からだと伝えられる。
そうなのかと納得したようで、葉隠は思わず出久の背中をぽんぽん叩いた。
近頃は彼がどんどんクラスのみんなと仲良くなっているのを知っている。自分も仲良くなりたいと思って、まさか彼が困っているとは思わずに手を差し伸べるのだ。
「デク君、デク君」
「な、何? っていうか呼び方変わってる……」
「あっ、お茶子ちゃんがそう呼んでたからね。ダメだった?」
「ううん、ダメじゃないよ。それで、どうかした?」
どうにも怒りのやり場がない耳郎がついに頬を抓ってきたため、両手を掴んで止めながら、辛うじて振り返って出久が返事をした。そうしている姿が彼女にはとても仲良しに見えてるのだ。情緒がおかしい耳郎がにこやかに微笑んでいたからであろう。
自分も仲良くなりたいと奮起して、鼻息も荒く拳を握った。
どうすればいいのかはわからないが黙っていたのでは何も伝わらないのは間違いない。彼女は常に透明な自分を知ってもらうための努力をしており、自ら話しかけることには慣れていた。
ぐっと胸の前で見えない拳を掲げて見せて、葉隠は健気にも主張を始めるのである。
「むふ~。実は私ね、これだけは誰にも負けないって自慢があるんだよ」
「そうなんだ。いたっ。それってどんなの?」
「よくぞ聞いてくれました! それはね、お化け役だよ!」
言った途端、なぜか空気が一変した。
にこにこ微笑んで出久の頬を摘んでいた耳郎が一瞬で真顔になり、彼へ静かに寄り添うと服の端を摘んでじっと葉隠を見つめる。
同様に、反対側からは口田がはっきりと出久の体を抱きしめていた。
二人の間に挟まれて出久はなぜかもわからず押し潰されそうになっていて、その姿をとても仲良しだと判断した葉隠が羨んだ。
「ちょ、ちょっとどうしたの二人とも? なんか、苦し……」
「えぇ~いいなーそれ。みんな仲良しだ」
「ん、え、何? いいよそういうの。怖くないけどね。昼間だし季節じゃないし」
「あ、そうそう」
羨んでいた葉隠が趣旨に気付いて話を戻す。
たまたま二人の間に居た出久に縋りつくような姿勢になって、耳郎と口田は明らかに怖がっていそうな態度なのだが本人は認めようとはしない。それだけが要因ではないだろうとはいえ、話を進める本人には一切伝わらずに説明が始まる。
葉隠は何も二人を怖がらせたくてやっているわけではない。ただ自分を知ってもらうため、自分の特技をお伝えしたいだけなのだ。
そのせいか、顔色を変えつつある二人の態度に気付いた様子はなく、三人ぎゅっと寄り添ってこちらを見つめる姿はどこか可愛らしくて、これから始まることをわくわくして待っている様子にすら見えてしまっていたようだった。
「私ねぇ、小学校でも中学校でも、お化け役やらせると一番上手だったんだよ。ホラーの才能があるんだ私っ!」
「いやー……どうかな。その才能いるかな? あいや、否定したいとかじゃないんだけど、すごいんだけどホラーってちょっとなーって……」
「耳郎さん、多分、葉隠さんに聞こえてない」
「だからちょっと見ててよ!」
葉隠の元気に弾む声を聞いて二人が飛び上がった。間に挟まれている出久も吊られる形で同様の動きをしており、蛙が潰れる今際の際のようにぐえっと声が出る。
本来ならば出久も決してホラーは得意ではないのだが、両側をキープする二人のせいで今は戸惑うばかりであり、自分が怖がることがまるできずにいる。
耳郎は見るからに挙動不審でおどおどしており、口田は隠しようもなくがくがく震えていた。
「私の全力ホラーをお見舞いしてあげる!」
「いいいいよっ!? そういうのはほら、披露するタイミングとかあるしさぁ! 今全然適してないタイミングっていうか、第一その、次の授業もあるし! なっ!」
「えー? でもすぐ済むよ?」
「だい、大丈夫だって! 遅れると飯田とかうるさいしさ!」
必死に耳郎が止めると口田が猛烈な勢いで頷いている。あまりにも素早い動きに風を感じて涼しいと思ったほどだ。
出久は口を挟めずに為すがままであり、顎に指先を当ててうーんと考えているらしい葉隠の姿を見つめる。
「でも私もみんなと仲良くしたくて」
「バッカお前、ホラーなんかしなくても仲良くできるだろ。つーかウチら仲良いだろ。だからそんな無理しなくてもいいんだぞ」
「いいの? 私、透明なのにホラーじゃなくて仲良くしてくれる?」
「何言ってんだ、透明でホラーじゃない方が可愛いし仲良くできるんだぞ。お前は透明に変な先入観持ち過ぎなんだよ。だからホラーなんてしなくていいの」
「結構好きなんだけどなー」
「じゃあ、またの機会に――」
助け舟を出すつもりで出久が言いかけると、即座に耳郎の手が彼の口を塞いだ。ビンタでもされたんじゃないかと思うほどの衝撃で彼は息を詰まらせる。
聞こえてほしくなかった。耳郎と口田が緊張する一瞬、葉隠が体を動かす。
「わかった! じゃあ夏にやろ! ホラーと言えばやっぱり夏だもんねー!」
二人は魂が抜け出るのではないかというほど大げさにため息をついた。
見えはしないが葉隠は楽しみにしている様子でにこにこしており、来る夏のために今からプランを練っておくと付け加えるのだ。気が早いと思えて仕方ないのに、あまりにも葉隠の声が弾んでいるため指摘することができない。
口を押さえていた手が出久の耳へ伸びた。ぎゅっと引っ張って意図的に痛みを与え、彼の表情は脆くも崩れる。
そんな姿さえ羨ましくて、了解を得た葉隠もえいやっと彼らの下へ飛び込んだ。
「お前が余計なこと言うから……!」
「痛いっ!? だってあんまり断ると葉隠さんが可哀そうで……」
「じゃあ私もどーん!」
「わっ!?」
仲間に入れてほしくて堪らない。そう言いたげに葉隠が出久へ抱き付いてきた。そろそろ離れてもいい頃だと思う暇もなく、透明とはいえ確かに実在する女の子に正面から激突され、あまりの柔らかさに出久は驚愕して悲鳴を発する。
「うひぃっ!? なんか、柔らか、いい匂い……!」
「あっ、お前!? なんでウチの時はそのリアクションないんだよ!」
「ああ痛いっ!? ち、違うよ! ちょっと状況が違うから……!」
「デク君って結構体逞しいんだねー」
すでにくっついている必要性はないものの、離れるタイミングを逃してしまったようだ。
恥ずかしいやら緊張するやらドキドキするやら、全く辛くはないとはいえ、だからこそ友達同士で何をしているんだと思ってしまう。
耳郎に責められ、口田が困り、葉隠がわくわくする時間。そろそろ止めなければと思って出久が視線を動かした時、偶然にもある生徒と目が合った。
なぜか寒くもないのに抱き合っている男女四人を見てわずかに青ざめていた。
これはまずい。誤解されかねない状況だ。しかしどう誤解されるのか。出久は混乱して思わず出した声がひっくり返っていた。
「うう麗日さんっ!?」
「み、みんな、何してるの?」
「おしくらまんじゅう!」
「春なのに!?」
楽しげな声で葉隠が答えた。
まさかの返答にお茶子が驚愕して言葉を失う。
彼女が気圧された時になって、よくよく考えれば意味もないのにくっついているのはおかしいと判断し、冷静になった耳郎が突発的に離れた。
「ってちょっと待て! いつまでくっついてんだよ緑谷!」
「耳郎さんから来たのに!?」
その時かと口田もパッと離れて、怖がっていた二人がようやく平静を取り戻す。
特に耳郎は怒ったり怖がったりと忙しなくて、自分の感情に素直な人なのだろうと理解する。
口田もまた外見には似つかわしくないほど怖がりだと知った。
やっと落ち着けそうだ。一息つこうとして、しかしまだ葉隠が抱き付いたままだ。これについては本当に意味がわからない。
他の二人については敢えて指摘しないがそれとなく理解している。ホラーが怖くて心細いからそうせざるを得なかったのだろう。
ノリで飛び込んできた葉隠だけが残ってしまった。
服以外は見えないとはいえ女子だ。
触れてみると余計にそれがわかって、よく声をかけてくれるため着実に仲は良くなっていると思うのだが、まさか触れることになるとは思わずにどうすればいいかわからなくなる。
出久は見るからに挙動不審で顔が真っ赤になり、手の置き場に困ってわたわた動いた。
「ははは葉隠さんっ!? どぅ、どうして!?」
「あっ、ごめんね。えへへ。結構居心地がよくて」
流石に恥じらいを覚えたのか、パッと離れた葉隠は体を揺らしてもじもじしていた。
顔が見えていれば赤くなっていたのだろうか。
異様な雰囲気の中、何かに気付いた彼女が新事実を知ったかの如く叫ぶ。
「ハッ! もしかして、ドキドキしてた!?」
「ええっ!?」
出久に聞いたのか、それとも自分に確認したのか。
自分でもよくわかっていない様子で、疑念を含めて尋ねられる。否、尋ねるつもりはなかったのかもしれない。ただ彼女は現状の何かに驚いていた。
出久だけでなく一同が呆気に取られる。特にお茶子は雷を浴びたかのように衝撃を受け、画風が変わるほどに驚愕している。
重苦しい沈黙が流れて中々誰も話し出さなかった。
いつの間にか、少し離れたそこには