「文机を挟んで正座しながら面接するのもなんですから、向こうのソファでお話をいたしましょうか」
「は、はい、わかりました」
赤城が指差した先にあるのは執務室の隅にL字型に配置された大型のソファであり、いかにもしっかりとした造りで座り心地が良さそうな代物である。
赤城が先にソファへ座ったのを確認した後、赤城とは別のソファへと碧は腰をゆっくり落とす。
我が家にある一般的なソファと違い、柔らかいながらも適度な反発力があり座り心地が堪らなく良い。
そんな感想を抱きながら緊張気味に赤城を視界に収める碧だが、赤城はソファの前に置かれた木製のローテーブルに文机から持ってきた資料を置き、ローテーブル上の卓上ベルを鳴らす。
「お話をする前に楽な姿勢になさって、温かいお茶でも飲んで一息入れてくださいな」
ソファの背もたれに軽く寄りかかり姿勢を正していると、何処からか前掛けを付けた体高1mほどの饅頭が丸盆に温かい緑茶の入った湯呑みを2つ乗せて現れ、それぞれの前にそっと置く。
そして赤城の隣に立つなり会釈すると、彼(?)に赤城は労いの言葉を掛け、下がるように促した。
赤城の指示に従いその場から離れる饅頭を見送った後、碧は目の前の湯飲みを手に取り口を付ける。
熱すぎず温くもない程良い温度加減の緑茶を一口飲めば思わず吐息が漏れるほど美味しかった。
普段はあまり緑茶を飲まない為、味の違いなど分からない碧ではあるが、少なくともこれは今まで飲んだことのあるどの緑茶よりも美味しく感じられた。
緊張気味だった全身の筋肉も少し緩みリラックスしてきたところで赤城の方へ視線を向けてみる。
赤城はいつの間にか手元の資料に目を通しており、その表情からは考えを読み取ることはできない。
しばらくそうして赤城を見つめていると、ふとその視線に気付いたのか彼女は顔を上げこちらを見た。
「さて、緊張も解れたようですし面接をはじめることにいたしましょうか」
「はいっ、よろしくお願いします!」
「建前として面接の形式を取らせていただきますが、採用を前提としたお話をさせていただきます」
『どういうことなのか』と碧は訝しむような表情を浮かべる。
それを見た赤城は苦笑しながら言葉を続けた。
「貴方の素性は部下に探らせていたのです、なので貴方の事は大凡こちらで把握させていただいていますわ」
「懐疑的になるのも無理はないと私も思います、貴方の経歴を調査したところ、不審な点、そして不可解な点など無いごく普通の男子学生であるとしか思えませんでした」
そこまで言うと赤城は手元にあった資料を机に置き、ソファにもたれ掛かるようにして長く肉付きの良すぎる脚を組み替えながら話を続ける。
「しかし、それはあくまで表面的な部分でしかありません、街中で貴方を偶然見かけたあの日から私は貴方のことが気がかりになっていましたわ」
「掻き集めた情報から答えを見出だせないならば、リスクはありますが直に接触を試みて確かめるしかないと思いましたの」
「答えを示せと言われても明確な形には表すことは今は難しい、しかし私は貴方と直接会って確信いたしました」
「私のKAN-SENとしての本能が、貴方こそが私が探し求めていた人だと訴えかけているのですわ」
突然の発言に碧の頭の中は疑問符ばかりが浮かび上がる。
自分は此処で働く為の面接を受けに来たはず、それが何故このような話となってしまったのか。
彼女が自分に対して何を求めているのか、そして何が目的なのかを知らなくてはならない。
「赤城さんが望んでいる様な『何か』を自分が持っているとは思えません……」
「僕に対して赤城さんが求めている物を教えていただけませんか?」
赤城は碧の問いに数秒ほど体と表情を静止させるが、やがて口元に微笑みを浮かべながら口を開く。
「貴方に『何か』を見出したのは間違いありません、しかし説明する事は今は出来ないのです」
「先程も述べた様に本能で察したとしか言いようが無いのですから」
赤城は困ったように笑いながらそう告げる、その表情は本当に困惑した様子であり、嘘や偽りは無いように碧には見えた。
碧の短い人生に於いて赤城が語った様な特別な力など、自らの身を以て発揮した事など一度も記憶になかった。
何かの間違いではないか、彼女の勘違いや思い違いではないのか、碧は自らの心の内を若干強張って震え声になりながらも正直に吐露した。
「申し訳無いのですが僕に赤城さんが求めているような、不思議な力があるとは思えません」
「今まで生きてきてそんな経験は一度もありませんでしたし、これからもそういった力を発揮するとも考えられません」
「用務員としての仕事は努力で覚えられるかもしれませんが、赤城さんが求めているような事は出来ないかと思います……」
そんな碧の言葉に赤城は一瞬呆気にとられた顔をするも、軽く微笑むと彼の言葉をやんわり否定する。
彼女の笑みは先程までの柔らかなものではなくどこか悪戯っぽい笑みだった。
「ふふっ、用務員として雇うのは間違いありませんのよ、貴方が想像している様な事はさせません」
「括りとしては軍港という場所ですから行動に多少の制限はかけますが、非常時を除いて自由を奪うなんて事は誓って致しません」
赤城はそう言うと纏められた書類の束から一枚の書類を取り出し碧に差し出す。
それは雇用契約書と書かれたものであり、既に赤城のサインと印鑑が押されていた。
「不都合が無いか、ゆっくりとご確認くださいませ、不明事項ありましたらご質問下さい」
碧は渡された契約内容を読み進める。
そこには給与や休暇、福利厚生などの待遇に関する事などが書かれており、特におかしな点は見当たらない。
強いて言えば少しばかり給料が高いように感じる程度だろうか。
(何か目的があって僕を雇うはずなのに、その事に関する要項が書かれていない……)
(僕自身ですら気づいてない不思議な力を目当てにしてるみたいなのに、本当に何も協力しなくて良いのかな……)
碧は疑問を抱きつつも、口に出すことなく最後まで契約書を読み終える。
赤城が目的としている『不思議な力』に関しての項目は無かった、もしかしたら労働に関係ない項目なので書かなかっただけかもしれないが。
ああでもない、こうでもないと碧は思案するも、労働条件はこれ以上の物を望むのは分不相応の高望みであるし
何よりあれこれ考えられる程、社会経験があるわけではない、学生の身分しか知らない上に子供である碧には経験が圧倒的に不足しているのだ。
軍に所属していて役職にまで就いてる赤城に、どうあがこうと青二才の少年である碧が逆立ちしても勝てる筈がないのである。
結局のところ、この場で自分に出来ることは何も無いのだと理解した碧は無言で契約書を机に置いた。
赤城は満足げにその様子を見届けると湯呑を手に取り、茶を一口飲むと小さく息を漏らして言葉を続ける。
「一個人としては、私は貴方を手の届く場所に置いておきたい程に興味がありますの」
「貴方が学園母港に居ればKAN-SENにとって何かしらの影響が現れるかもしれない、そして私自身も貴方と接する機会が増えて嬉しいですわ」
「貴方が欲しい、といった方がわかりやすくて良かったかしら? ふふっ」
艶やかな容姿と相反する子供の様な笑顔でわかりやすく口説いてくる赤城を見て、碧は何とも言えない気持ちになる。
彼自身はここまで自分を求めてくるような相手に出会った事は無かった、身体は小さく虚弱で、頭抜けて聡明という訳でも無く、ただ品行方正なだけが彼の取り柄であったからだ。
家族や友人から冷たくされる様な事は無いが、これ程までに熱意を向けられるような人物に出会った事も無かった。
碧は決意する、たとえ自分の中にある力が大した物では無かったとしても、そもそも存在しなかったとしても赤城の期待に向き合おうと。
ペンと印鑑を手に取り、契約書に署名と押印をすると、彼女は両手を胸の前で合わせ朗らかな笑顔を浮かべた。
「よくぞ決意なされましたね、決して悪い様には致しませんわ」
「ありがとうございます、期待にお応えできるかは分かりませんが精一杯務めさせて頂きます」
署名と押印を終えた契約書を赤城へと手渡しながら碧は答える。
赤城はそんな碧の言葉を聞くと、嬉しそうに微笑み契約書を受け取ると大事そうに抱え、言葉を紡いだ。
『学園母港へようこそ』と……
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赤城との面接を終え、邸宅から出て来た碧は舗装された小径を歩きながら小さく息を吐く。
海軍施設の用務員という、ただでさえとんでもない求人の面接だというのに、まさかあんなにも熱烈なアプローチを受けるとは思ってもいなかった。
赤城の気持ちの熱量が大きすぎて、それに背中押される勢いで雇用契約してしまった気がしなくもないが、決意自体は自分自身で決めたので後悔はしていない。
面接も無事に終わり雇用契約も済み、後は家に帰るだけなのだが、帰りの道も高雄に送迎してもらえると赤城に聞いていたので、碧は言われたとおりに正門近くの駐車場へと歩いていく。
到着した駐車場には既に車両の準備が出来ており、運転席の窓から顔を出した高雄の姿があった。
高雄に促されるまま車に乗り込むと、碧がシートベルトを着用すると車は発進し、緩やかに加速していく。
「赤城殿との面接は疲れたであろう? こう言っては何だが立場の都合上、彼女は味方にも腹の内を隠さねばいけない立場でもあるからな」
「拙者も彼女の考えが読めない事は多々ある、謀は元々得意ではないというのもあるのだが」
ハンドルを握り高雄は言葉を続ける、どうやら彼女から見ても赤城は普段は何を考えているのかわからない人物らしい。
確かに赤城の言動は予想外すぎる事が多いのでわからないでもない。
「高雄さんが言いたい事はなんとなくわかる気がします、色んな人とのお付き合いもありそうですし偉い人って大変ですよね……」
「まぁ、なんというか、赤城殿はああ見えて身内には甘い所があるからそこまで心配する必要は無いと思うぞ」
「歳の若い駆逐艦や潜水艦達とも慕われている様子を度々見る事も有る、立場などが下だからと侮る様な事はせぬ」
高雄は苦笑いをしながら答え、それを聞いた碧は赤城の人となりを多少垣間見たような気分になる。
彼女がどのような人物なのか、まだ完全に把握できたわけではないが、少なくとも悪い印象を抱くような相手ではなさそうだ。
雑談をしながら数十分ほど自動車を走らせていると、最寄りの駅が見えてくる。
駅前にある小さなロータリーに自動車が停車したのを確認した後、碧はシートベルトを外し高雄にお礼を言った。
「駅まで送っていただきありがとうございました、学園母港で住込み勤務をする事になったらよろしくお願いします」
「うむ、何か困った事があれば遠慮無く相談してくれ、拙者も出来る限り力になろう」
「お気遣いに感謝します、そういえば瑞鶴さんは帰りは姿を見かけませんでしたね」
「あやつは始末書でも書いているのだろう、勝手に送迎についてきた事を赤城殿に釘を刺されていたからな」
「お主の送迎は護衛も兼ねた正式な任務でもあるのだ、赤城殿も立場上窘めなければならぬ」
高雄は呆れたように肩を竦めてため息をつくと、碧は頬を指でかきながら苦笑いを浮かべる。
『そういえばあの時に赤城さんに叱られてたなぁ』と碧は思い返す。
「拙者は学園母港に帰らねばならぬ、まだまだ仕事は残っているのでな、ここでお別れだ」
「はい、今日は本当にありがとうございました、お疲れ様でした」
高雄に手を振り別れを告げながら、駅の改札を抜けてホームへと向かう。
日も傾き始め、人影も疎らな駅のホームに夕日が差し込む中、電車が到着するアナウンスがスピーカーから流れる。
程なくして到着した電車に乗り込み座席に腰掛けると、発車のベルが鳴り響きゆっくりと電車が動き出す。
碧は窓の外を眺めると、徐々に遠ざかる景色を見ながらこれからの生活の事を考える。
不安が無いと言えば嘘になるが、碧の心は不思議と落ち着いていた。