テロに遭って意識不明の重体から目が覚めたら、国宝に選ばれていた挙句、付き合って半年の恋人ができた件   作:すすきみつよし

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8.Ⅱ:マッチアップ

 

 

 

 

 

 

 二人のアルハンコの部隊員はリナをすぐに見つけることができてほっとした。

 予想される道筋全てに二人組の隊員をおくったとはいえ想定外はある。お手洗いだったり逢引きが短過ぎたり。テロ開始直後、リナに知られる前に合流できたのは幸運だった。

 

「こちらを」

 

 拘束魔術を組み込んだ予備装備を手渡す。

 表情の消えたリナは装備を受け取った。受け取って。

 

「そう」

 

 碧眼が紫電を散らす。

 雷を纏った拳が一人の隊員の肝臓を鋭く抉った。臨戦装備の接地魔術の自動起動により雷は地面に流れたが、魔術障壁も反射的な魔力障壁も割られ腹へ衝撃を徹された。

 

「手引きしたのは、曹長とシャロね」

 

 想定よりも早い凶行に驚きつつも、もう一人の隊員がリナを退けるべくゴム弾を発砲。碧眼の焦点がゴム弾に合うと同時に鋭い音を立てて燃え尽きた。

 リナは殴った隊員から拳銃を奪い取り、未だ息の整わない彼を盾に、無傷の隊員の周囲へ雷撃を飛ばす。雷撃は接地魔術で、壊した壁や天井の瓦礫は魔術障壁で防がれるがリナに必要な時間は出来た。

 

「『身体強化』」

 

 身体能力を向上させる魔術を起動すると同時に、盾にした隊員のこめかみへ意識を失うまでゴム弾を連射した。リナは気絶した隊員の腰に吊るされた片手剣を引き抜く。

 

「タイミングがおかしい」

 

 困惑しつつも警戒態勢を切らない隊員を前に、滔々と語る。

 

「この会場で最も警戒すべきはウィルフレッド・スレイだ。古き貴族の魔神将──この存在がどれほど恐ろしいかは誰もが知っている。彼が疲弊する前に襲撃をかけるのは悪手だ」

 

 古き貴族は魔神を殺し得る魔術を保有し、魔神将は魔神相手に単独で時間稼ぎを行えるだけの実力を持つ。古き貴族は確かに強大だが、こと継戦能力において魔神将には及ばない。彼らの研鑚の多くはいかに一撃で仕留める魔術を行使できるか、仕留め切れるだけの魔術群を用意できるかに終始する。継戦能力を鍛える暇があるならば、より強大な魔術を組み上げるための彼らはする。

 だからこそ、古き貴族の魔神将はその候補であっても恐ろしい存在だ。魔神を殺し得る術を持ち、魔神と戦えるだけの性能がある。それは魔神に相当する何かでしかないのだから。

 

「そして、テロが起きた直後にその臨戦装備であることもおかしい」

「……参りました」

 

 アンナリナ・アウレリースは公国領主のご令嬢だ。本人たっての希望から幼少期から軍人の指導を受け、実地訓練として警護や襲撃の任務に携わったことはあるが、窮地らしい窮地に陥ったことは《バクレハストの乱》の時だけだ。その窮地にしても、結果としてすぐに他人に助けられた。

 だから、アンナリナ・アウレリースは軍人でも戦士でもない。たとえ戦える人であっても、窮地に自分の力を振るったことのない以上、訓練を受けただけの一般人とさして変わらないただの新兵だ。正解に至るだけの証拠が眼の前にあっても、突然の事態に対応できるはずがない。そう思っていた。

 

「どうやら貴女を見くびっていたようです」

 

 成長されましたね、とアルハンコの隊員は言祝ぎながら次に備える。

 想定外の失敗だった。気付かれるとすれば拘束魔術の施された予備装備を身に着けた直後だった。想定された失敗にしても、装備の着用にごねられてからか、拘束魔術を力づくで突破するかだった。

 

「目的は宝剣? ネタはシャロかしら?」

「……さあ、それは何とも。私は命じられただけですから」

 

 既に増援のテレパスは出している。

 質問は両方とも当たりだが、ここで肯定しなければ確信があっても、微かだが疑惑を与えることができる。僅かでも判断が鈍れば幸いだ。

 

「《バクレハスト》?」

「さあ」

 

 状況は動かない。リナは情報が欲しい。隊員は増援が来るまでの時間が欲しい。利害の一致が場を硬直させている。

 戦況は隊員に有利だ。リナは魔道士としての実力は隊員に勝るが、戦士・兵士としては劣っている。隊員は時間稼ぎに徹すれば戦術的な敗北は有り得ない。

 だから状況が動くとすれば、それは増援が到着した瞬間だ。民族衣装の男がいた。

 

『こちらロメオ1。増援はまだか?』

 

 隊員はテレパスで尋ねる。隊員の隣に不審者がいた。

 異国情緒溢れる裾と袖の広い服。返事は無かった。ヤマトにおける一昔前の民族衣装。さもそこにいるのが当然であるかのようにその男はいた。

 

「お初にお目にかかる」

 

 ヤマト訛りの丁寧語。男が歩くと隊員が崩れ落ちる。男は細い紐で隊員を締め落としたのだ。

 明らかな脅威にリナの思考が追い付かない。

 隊員が崩れ落ちている。腰に刀をさげたヤマトの男が歩み寄っている。

 

「私の名は利嶋仁(ヒトシ・リシマ)。領主令嬢アンナリナ・アウレリース暗殺の命を受けている」

 

 足音が響く。木と金の擦れる音が響く。あまりにも自然な所作に脅威を感じとる認知機能がマヒしていた。言葉にされた殺害予告も自然な言葉として頭を素通りするばかり。明らかな脅威を脅威と感じ取れない。

 抜刀は成る。窓を透る陽が鋼に踊る。せせらぎに光が跳ねるよう。

 そう感じられるほどに、その刀気は澄んでいた。

 

「我が日々の糧となれ」

 

 刀が振るわれる。自然な動作で振るわれる。

 脅威は──未だ──

 

 

 

 

 

 脅威ではなく状況で対処した。

 苛立ちから迸る電がセンサーの役目を果たし、金属が高速で首に迫っているという情報から、首筋に迫る刃を人の盾ごと屈みこみ回避する。

 

「ほう」

 

 感情の薄い関心の声。人の盾を後ろへ放棄し、前方へ電撃を放つ。

 

「術式喚起、『伝承再演:雷切』」

 

 甲高い音が鳴り響き、雷撃が一刀の元に斬り伏せられた。

 

「お前、何者……?」

 

 冷や汗が噴き出る。いつの間にか眼の前に不思議な衣装の男がいた。

 首を触る。血は出ていない。だが記憶を辿ればこの首にはあの刀が迫っていた。

 

「悪い噂が外れていたな。領主令嬢。その実力は本物だ」

「何者だ」

「『伝承再演:ぬらりひょん』は解けたはずだ。思い出せるだろう」

「誰に雇われた?」

「さて。全額の前払いだ。依頼者の素性を知る必要はあるまいよ」

 

 男──剣士はそう言って、刀を鞘に納めた。抜刀術の構え。

 

「ヤマトの傭兵か」

「キリシマの落伍者だ」

 

 キリシマ。その名にリナは聞き覚えがあった。

 

「あの秘剣の一族? お前が? ──あの一刀で、私を殺せなかったくせに」

 

 警戒度を引き上げる。体表を巡る雷はいつでも剣士に撃ち出すことができる。

 だがこの剣士があのキリシマ──噂の秘剣の一族であるならば、生半可な魔道は両断されるだろう。

 

「私はキリシマタツミではない。私は至れなかった落伍者だ。術式を使わねば魔道を両断できぬなど、秘剣にあるまじき醜態だ」

 

 言われ慣れているのだろう。剣士は少しも表情を動かさず返答した。誤解を解くような物言いだった。

 その言葉に確信を深める。この剣士は魔道を使わず刀一振りで魔道戦士を屠る剣士共の縁者だ。ただ名を騙る愚かしき偽者であれば、己をタツミ・キリシマであると誇る。それほどまでにキリシマタツミの名は血に濡れている。

 

「なるほど。成り損ない──お前は打ち損じというわけね」

 

 せせら笑う。秘剣使いではなく秘剣。不自然な文脈だからこそ読み取れた一つの事実を嘲ってみせる。

 その嘲りに剣士は頷き笑った。

 

「その通りだ」

 

 その嘲りを当然のものとして笑う。落伍者と、打ち損じであると。己を刀と見立てた文脈を、読み取ってくれたことに剣士は感謝した。

 刀気が膨れ上がる。鞘に納められ視認できないはずの刀が存在感を増す。同時に反比例するように、剣士の気配が薄れていく。

 

「我が日々の糧に成れ、と言ったが訂正しよう。雷の魔道士よ。君は、生き胴に相応しい」

 

 穏やかな笑みと共に刀が鞘から抜き放たれる。

 一足一刀の間合いの外、無意味な高速の抜刀術。

 リナは挙動をトリガーにした魔道の行使かと警戒するが、魔道独特の魔力のうねりは無い。

 その無意味な挙動の意味を考えた直後。

 

「──秘剣:斬島断海」

 

 斬撃が飛んだ。だが初見殺しも二度目ともなれば心構えもつく。

 魔道に依らない斬撃の延長、原理が不可解な現象、攻撃。異常を異常と認識できぬ伝承再演魔術もそうだが、極東は初見殺しを重視しているのだろうか。

 実体のない斬撃を雷撃で壊す。直後にまるで刀が砕けたかのように首に幾筋もの擦れる感覚がした。

 

「秘剣──」

「『電磁走(レイルラン)』」

 

 剣士が大上段に刀を構え、溜める。リナの足元で電が散る。

 リナは低い姿勢のまま、滑るように剣士の間合いに入った。電磁力を利用した移動用の魔術だ。発動中は下手に足を動かせないのが難点だが、極東の武術の基礎にして秘奥であるすり足を再現できるため、武術家相手にも有利を取れる。真正面からの奇襲に適した魔術だ。

 接地魔術を無効化すべく、剣士の両足を断たんと片手剣を振るう。剣士は滑らかにすり足で後ろに下がり、そのまま刀を振り下ろす。実に鮮やかな反撃だった。リナは一瞬、自身の目測が誤っているのかと錯覚した。

 そのまま片手剣を振り上げるだけでは間に合わない。姿勢を更に低くし、片手剣の移動距離を縮める。甲高い金属音が響くと同時、上からの斬撃の圧力が増す。力負けする前に身を横に投げ出して回避する。掬い上げるような斬撃がリナの目前に迫る。片手剣を間に挟み込むと同時、剣士の顔を目掛けて拳銃を発砲。ゴム弾が剣士に迫る。押し切られた片手剣の峰がリナの額にぶつかるも、その勢いのままリナは距離を取った。

 

「良い勝負勘だ」

 

 転がり立ち上がる。額からの出血は電で焼き止める。剣士は当然無傷……というわけでもなく、こめかみから血が滲んでいた。眼を狙ったゴム弾は避けられたらしい。

 血を滲ませながらも剣士はどこまでも穏やかだった。冷や汗を流し、必死に息を整えるリナとは対照的だった。

 

(とんでもなく巧い)

 

 身体能力は明らかにリナが上だ。動作も反応もリナの方が早く、剣士は後手に回っている。

 だが斬り合いは剣士有利だ。この一度の剣戟で格付けは成された。リナが剣士の技量を上回ることはない。

 

(動作にムダが無い。常に万全の姿勢を保って、理想的な構えから刀を振ってくる)

 

 対応はできている。勝負の土俵には上がれている。だがそれだけ。真っ向からまともに切り結ぼうものなら、確実な敗北が待っている。

 短期決着は不可能だ。まぐれの起き難い接近戦は不利、場所も通路のため広くはない。いつ気絶した隊員が起き出すかもわからない。

 

(時間は無い、距離も無い……能力も、足りない)

 

 歯噛みする。怒りに呼応して雷が散る。

 リナは間違いなく天才であり上澄みの存在だ。公国軍学校の四天王の誰にも勝ち目がある。然るべき経験を積めば、リナは公国のエリートに相応しい実力者になる。だが所詮そこまでだ。魔神将には至れない。魔神との勝負の土俵に上がることは無い。どこまでいってもリナはよくできた良家のよくできた娘に過ぎない。

 この剣士もそうだ。むしろリナより数段劣るだろう。年の頃は不明だが顔に幼さは無い。こんなテロに加担するような傭兵に腰を据えて実力を伸ばせる環境は望めない。敵の隙を突く技術以外の向上は望めない。才能任せの女子に凌がれる程度の実力のまま、この剣士は老いていく。

 

 どこまでいっても人の域を出ることは無い。

 

「評判に違わぬ才覚だ。私などよりよほど恵まれている」

 

 余裕のある語り口にリナは剣士が撤退手段を用意していることを察する。十中八九初手の伝承再演だろうが、サブプランのいくつかは用意しているだろう。

 ここを襲っている勢力は一つだが思惑は複数。そうでなくてはここまで静かな状況は有り得ないし、この暗殺者めいた剣士を起用するはずもない。

 ウィルはステージにいる。シャロに足止めされている。狙いの一つは宝剣かウィルの身柄だろう。もしもウィルの命を狙うならば、ここまで静かであるはずがない。

 

「ああ、手加減は不要だ。私はこの状況の仔細は何も聴かされていない。ただテロに乗じてアンナリナ・アウレリースを暗殺しろ、としか聴いていない」

 

 この剣士は自力で逃げられるだろう。伝承を下敷きにした術式を保有しているのであれば、現象を対象にした捕捉術式は効果が薄い。「幻想排斥」でも使わなければ捕捉できないが、魔道を使わずにこの剣士を捕まえることは難しい。

 落伍者とはいえ斬死魔(エンドエッジイビル)とまで恐れられた暗殺者の流れを汲む者だ。戦地ならざる市街地では無類の強さを誇る。先の剣戟で良く分かった。近接に限ればこの剣士の戦闘技術は公国軍人の最上位に匹敵する。

 

「私は君を殺す。君も私を殺すと良い」

 

 再び刀を鞘に納める剣士。

 収縮する刀気。殺意はない。害意はない。悪意はない。戦意すらない。向けられる意識は蒼穹のように透き通っている。浮かぶ微笑みは仏のように穏やかだ。

 初めての窮地での一騎討、初めて出会う気質の剣士。

 

「ムカつくな、お前」

 

 リナの感じる脅威が予測を下回る。本能以上に理性が脅威を訴えている。

 昼下がりの午後のような麗らかさを引き連れて、微笑みと共に仏のような死神が忍び寄る。

 何もかもが初見の状況。見慣れているはずのアリーナが異界のようだ。苛立ちから纏う電が空を焦がす。

 ──舐められている。

 背筋を憤怒が貫く。迸る激情は雷の如くに轟いている。

 

「『杼雷』」

 

 リナが一節魔術を紡ぐ。効果は単純、任意の方向へ微弱な先駆放電を伸ばすだけのもの、ただ漂う電子に指向性を持たせる、ただそれだけの魔術。

 一条の雷光が奔る。──雷轟が通路を砕きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲートを抜けると、テロが行われていた。

 

『久しぶりだね、ウィルフレッド・スレイ君。私はエスタ・フリーバリ。この状況を以て、君からその王剣を受け取る者だ』

 

 声音が一致。テロの首謀者は先週カフェで出会ったフリーバリ神父である。

 王の暁教団とは聴いていたが、過激派だったなんて聴いていない。公国の秘密警察は何をしていたんだ。節穴か。

 しかしまあ、渡せるものなら渡したいよ、こんな厄ネタ。テロの標的にされるとか人生の損失だろ。

 

「ウィル。手放せない事情は聞いている」

 

 対面に立つシャロは無表情だった。お前がかブルータス。

 

「だから僕らと一緒に来て欲しい」

 

 アリーナの観客席から視線が突き刺さる。顔見知りの姿は見えない。テロリストは全員、顔を覆うマスクをしている。

 毒を散布されているか。少なくとも蓋世者一人で覆せる状況だ。それがこうして制圧されている以上、サラは意識を失っていると見るべきか。一方でまずいのはジェイか。毒や薬への耐性はあるはずだが、俺に顔を見せない以上、危篤である可能性が高い。

 

「リナは?」

「リナも一緒だよ。今、父の部下が探している」

 

 時間かかるな、これ。のんびりやっても良さそうだ。

 

『彼女の言う通りだ。君の婚約者は彼女と親交のある隊員が迎えに行っている。観客の方も安心してくれていい。魔道士の天敵である「白夜の毒」をベースにしているが、命に危険はない。……不幸にも、君の一人のご友人が危篤に陥ったが処置はした』

「親切にどうも」

『だが治療はまだだ。今の我々にはご友人の体調を精査する術が無い。公国の医療機関に運ぶためにも、一刻も早く、君には我々に従って欲しい』

 

 ……調子が狂う。あんまりにも悪意が無さ過ぎる。

 「白夜の毒」にやられているのはジェイだろう。耐性は付けられているはずだが、それでも倒れたということは、他の毒に体調を崩されてそこから決壊したか。黒質の働きを阻害する「白夜の毒」にやられたとあれば危篤にも陥る。

 ジェイの代謝は刻まれた術式によって大部分が賄われているため、普段から黒質への負担が大きい。健康ではあるので体調不良とは縁遠いが、元々生きているのがおかしい体だ。一度倒れれば重体患者と変わりない。

 

「処置は?」

『……。呼吸補助と吸気清浄だ。容体は安定している』

 

 死にはしないか。魔道士はしぶとく造られている。少なくとも頭のどこかが壊死することは無い。

 

「神父の言う通り誰も殺す気はない。僕らは君さえ手に入ればそれでいいんだ」

 

 ガシガシと頭をかく。状況と会話が噛み合わない。

 やっていることに反して悪意が無さ過ぎる。武器を突きつけているが殺す気はない──などと、どこまで頭がお花畑なのか。

 これだと断るだけの気持ちの余裕を与えてしまう。脅迫が脅迫になっていない。暴力を振るう時は舐められてはならない。少しでも相手に抵抗の意思を芽生えさせれば、戦力を浪費することになる。

 

「断る。誰がテロリストなんて貧乏組織に身を寄せたがるんだ」

 

 作戦と害意が吊り合わない。主犯とは別に唆した奴がいる。

 

「俺の体は高級品だぞ。成金風情に養えるほど安いと思うな」

『待て。気にするところはそこか?』

 

 一番大事だ。

 安い生活は人を殺す。特に体の頑健さに直結する食事は容易く死へ誘う。無抵抗な弱者は資源でしかない。それで過去、どれほどの人々が薄っぺらい一枚の紙にされたか俺は良く知っている。

 

「当然。魔神などより貧乏が最悪の敵だ。飯の足りない清貧で魔神が殺せるとかバカバカしい」

 

 あれは何もできない時に人倫を維持するための方便だ。他に道があるのなら行うべきものではない。貧相な食事は毒でしかなく、ありがたがる連中は正気じゃない。

 

「ウィル、それは今話すことじゃないよ」

「いつか話すことだ。いくら最強無敵の生物でも飯が無けりゃ弱る」

 

 ぐるりと周囲のテロリスト共を睥睨する。当然皆アンバランスで不出来な体だ。あったはずの伸びしろが不細工になっている。

 

『……君には人質が見えていないのか?』

「人質の救出は俺の仕事じゃないし、一番大事なのは自分の命だ」

 

 アリーナの警護もテロへの対応も違う。本来、俺の役目は魔神との戦闘だけだ。魔神に付随する仕事ならやるが、それ以外は他の人の役目だ。俺が出るべきではない。

 意識的に居丈高に振舞う。シャロへの警戒は切らない。この場で最も警戒すべきはシャロだ。

 候補であっても古き貴族の魔神将と対峙する危険を理解していないはずがない。だというのにシャロが俺の前にいる以上、単独で古き貴族を倒せるだけの戦力と見做されていることは確か。

 

『埒が明かねえな。──ガンマ、死にかけの帝国人を殺せ』

 

 聞き覚えのある声が割り込むと、ある客席の一角が騒がしくなった。

 

『止めろダラフェイ! 彼は何もしていないだろう!』

『時間を稼いでいますよ、こいつは。こちらの本気度をわかっていない』

 

 そういうこと。確かにこの手法は何でもありの傭兵らしい。

 

「ウィル……! ────!」

 

 シャロも切羽詰まったかのような声を出す。説得の言葉を並べ立てているが意味は無い。

 

「おい」

『おい、じゃねーよ。──────』

 

 ダラフェイの喚きも無視する。

 視線はジェイを立たせた下手人へ。狙撃銃を背負った横幅がやや広い男。その特徴を記憶し、手を伸ばす。

 

「殺したら殺すぞ」

 

 魔法を行使する。手の先へ炎を集中させる。

 シャロがこちらへ駆け出すがもう遅い。下手人のナイフは振り上げられ、俺を取り押さえるより先にジェイは殺されるだろう。

 

『は。残念だ、人死にはゼロだったはずなんだがなぁ』

 

 言葉とは裏腹の、楽し気なダラフェイの声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 ──! ──!! ────!!!!

 

 取り押さえられた金髪の少年の口から、くぐもった怒声が聞こえる。

 ダラフェイに指示された傭兵、ガンマは意識の無い帝国人をステージに見えるように立たせた。

 

「止めてくれないか」

「俺はアンタの指揮下にいない」

「ああ。だからこうしてお願いしている」

「じゃあムリだな。俺も奴の悪趣味はどうかと思うが、その悪趣味さこそにこれまで俺らは救われている」

 

 反発を覚えようと、従わなければ死んでいた過去がいくつもある。誰だって自分の命が一番大事だ。

 

『おい、殺したら殺すぞ』

 

 ステージの帝国貴族からそんな言葉が飛んでくる。様になっている脅迫だ。手を翳し、これ見よがしに炎を猛らせる姿には心底から恐怖を覚える。

 覚える──が、命の危険は感じない。観客席は魔術障壁により守られている。加えて、今の障壁の出力は通常の倍だ。軍用魔術でもない魔法に破られる道理はない。

 

「悪いが仕事だ、帝国貴族。その頭の高さを恨むんだな」

 

 少女と思っていた帝国人は軽い少年だった。少女らしい柔らかさは無く、少年らしい重量は無い。ガンマはその青白い肌に哀れみを覚えつつナイフを振り上げた。

 ──振り上げてしまった。

 炎が迫る。思わず目を惹かれるほどには効率的な炎の魔法だ。巧拙入り混ざる戦場を渡り歩いた傭兵であれば誰もが注視するだろう。それほどまでにこの炎の魔法の脅威は高い。

 だがこの魔術障壁を打ち破るにはいたら

 

 首筋の毛が逆立つ。

 

 

 

 

 

『良くもまあそんなパフォーマンス──』

 

 ウィルの熱線が魔術障壁を破った。

 楽し気なアナウンスが沈黙する。アリーナのコンクリートを焦がし熔かした証左が耳と鼻を突く。

 

「殺さなくて良かったな、腑抜け。殺されずに済んだぞ」

 

 代わりに、せせら笑う声がアリーナに響いた。

 関係者席に死者はいなかった。放り出されたジェイはスティグにより保護された。ナイフを振り上げた下手人は、自身のすぐ横を熔けたコンクリが流れているものの、装備に一切の汚れは無い。

 熔けるコンクリが冷えて静まり、下手人の荒い息が響く。

 ──生きている、生きている、生きている……。

 確実に死んだと思った。咄嗟にナイフを手放し、客席の影にうずくまったのが功を奏した。それまで自分の頭があった部分が熔けていた。ナイフも綺麗に刃の部分が消し飛んでいる。

 

『ガンマ、生きているな?』

 

 骨伝導イヤホンを通じてダラフェイから安否の確認が入る。

 震える手で通話のボタンをいれる。声は出なかった。荒い息だけがこだまする。

 

『……オーケー。生きているなら良い。あいつが客席に攻撃の意思を向けない限り、人質は使わない。使う場合でも魔術の拘束と銃弾を使おう。悪かったな、終わったらヤマトのスシでも食おう』

 

 気遣いのセリフに思わず笑みを零してしまった。恐怖は抜けないが、まだダラフェイを信じられるだけの余裕はある。

 

「……火酒の肴には良さそうだな」

『奢りは無しだな』

「危険手当は上乗せしろよ」

『当然だろ』

 

 ガンマは身を隠したまま移動する。アリーナの壁越しに視線が感じられるが、直視されていないだけまだマシだった。

 

『手、足、眼が右利きのオーソドックスな狙撃手。やや太り気味だが、長期の潜伏任務を想定した意図的なものかな』

 

 マシのはずだった。

 

『ギリギリまで逃げなかったのはいい胆力だ。見極めもいい。魔境探索時の撤退支援部隊に所属していたか雇われたか』

『落ち着け。ただの予想だ。俺でも思いつく』

 

 ガンマは今すぐこの場から逃げ去りたかった。

 確かに判断材料はある。狙撃銃を担いでいた、体のシルエットは隠していなかった、炎をギリギリで避けた。腕利きであると想定するなら、魔境の探索に雇われた過去があってもおかしくはない。

 

『もうお前を見逃すことはないよ』

 

 おかしいのは、姿を隠しているはずなのに、声がまっすぐ自分に向けられていること──。

 

『逃げるなら今だぜ? 三人目はお前だ。ここで逃げなきゃ、酒もナマモノもたった二つの不幸でもう食えなくなる』

『落ち着け。透視の魔術だ。強がりのジョークも予想されておかしくはないレベルだ。スシも火酒も出てねえ』

 

 ダラフェイの言葉が無ければみっともなく逃げ出していた。手品のタネを聞かされなければ、「未来視」の使える魔道士かと勘違いしてしまうところだった。

 

 あれはそういう生物だ。ガンマは気持ちを落ち着かせ、そろりと周囲を見回す。気遣わし気なスティグの目が合った。

 

「同情するよ」

「うるせえ」

 

 

 

 

 

 スティグの口が動くのを見て、ウィルは関係者席から視線を外した。

 マーキングはした、ファイリングもした、術式も組んだ。三人目の死者はあの傭兵だ。

 

「なんだ」

 

 ウィルは一つ息をして問うた。

 

「組み伏せなくて良かったのか」

 

 ウィルとシャロの距離は一足一刀より少し離れている。ウィルは既にバスタードソードを引き抜いていた。

 

「……どうせ間に合わなかったよ」

 

 ウィルの間合いの一歩外、警戒を切らずにシャロは自身の義手の継ぎ目を撫でた。あと一歩踏み込んでいれば、斬り飛ばされていた。

 

「見せたはずはないんだけどな」

「袖越しでもわかる。筋肉の動き方が違う」

 

 見てはいたが、想定以上の化け物ぶりにシャロは戦慄した。三十分にも満たない観察でダラフェイの戦闘能力を見抜いただけはあるが、それにしたって高過ぎる推察能力だ。

 自身の奥の手はもう見抜かれていると考えるべきだろう。見抜かれていなくとも、極めて近い推察はされているに違いない。

 

「どんな仕込みがされているかはまだわからんが、最も可能性が高いのは義手だ。俺がシャロに手加減を利かせたい以上、多少のダメージを負おうが、義手を真っ先に斬り飛ばす」

 

「……優しいね、ウィルは。まだ僕を切らないつもりでいるんだ」

「まさか。無傷で手に入りそうだから斬らないだけだ」

 

 ウィルはシャロを実質的な奴隷にするつもりだった。

 

 未だ親しみを見せる目には冷徹さが浮かんでいる。不思議な目だった。友人として見ながら道具として見做している。人道と非道が両立している。

 

「あとはリナ関係か。殺すとしたら最後だ」

「とんでもない人でなしだね、君は」

「今まで何を見ていたんだよ、お前は」

 

 極めて素直な露悪的な振舞いだ。ウィルはきっとシャロのことなどどうでもいいのだろう。

 

『おい、《繊鋼綜(フル・フェルム)》。何を呑気に話してやがる。うっかり俺の手駒が一人死ぬとこだったぞ』

「生きているからいいでしょう。このままでは取り押さえることは困難だ」

『──テメエ。自分の役割を忘れたか?』

「ウィルが貴方を襲っていない。それで充分でしょう」

 

 ダラフェイは苛立った。脅した手駒が従順でなくなっている。

 

(クソが。想像以上の怪物ぶりだ。魔神将候補じゃなく、魔神将と見て動くべきだった)

 

 人質を殺そうとしたのは結果的に失策だった。これであちらがやや活気づいている。人質の雰囲気も悲壮感がやや薄れた。

 脅しのネタの内容からしてアルハンコ親子がここで裏切ることは考えにくいが、裏切った場合には成果無しの撤退を視野に入れるべきか。

 

『ダラフェイ、あまり刺激するな』

 

 フリーバリからの通信が届く。ダラフェイは溜め息を聴かせた。

 

『どうケツを叩けと? あのお坊ちゃん、自分が動けばこの状況をひっくり返せると確信してますぜ』

『シャロ君が動く隙を作れないか? 君の秘密兵器とやらで』

『ムリっすね。撃たせる前に殺される。アルハンコの嬢ちゃんに、何とかしてもらうしかないですわ』

 

 隙は作れるだろう。だが、この狼頭の秘密兵器は最終手段だ。使い切りの粗製であれ禁止された黒魔術の産物だ。軽々には使えない。

 となると。

 

(アルハンコ嬢が暴れるしかない。だがアイツは動きたがらないナマケモノ(メガテリウム)だ)

 

 こめかみを叩く。特注のコンタクトレンズが施設内に仕込んだカメラに繋がる。

 さて、どうするかな、と。

 悩んだところで一振りの侍が対峙するのが目に見えた。

 

『何とかなりそうですわ』

 

 ダラフェイは唇を吊り上げエスタに告げる。続けて。

 

『おい、いつでも人質を殺せるようにしとけ。そろそろ動くぞ』

 

 人質達が暴れないように牽制させておく。効果は薄かろうが構わない。抵抗された時にすぐ殺せる、というこちらの安心が第一だ。

 ウィルはシャロを警戒している。彼が動かない最大の理由は彼女にある。アリーナの魔術障壁を破る魔法を誇りながら、動かないのがその証左だ。

 だが人質が効いていないわけでもない。だからこそ、友人である帝国人が殺されないように動いた。

 優先順位が明確なのだろう。自身と、友人と、その他。その順番で彼は動いている。

 であれば、婚約者に対してはどうか?

 

 

 

 ──轟雷が鳴り渡る。

 弾かれたように黒が動いた。

 

 

 

 

 

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