テロに遭って意識不明の重体から目が覚めたら、国宝に選ばれていた挙句、付き合って半年の恋人ができた件   作:すすきみつよし

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9.Ⅲ:MONSTRUM HORRENDUM

 

 

 忌術と呼ばれる魔術がある。国が管理しなければ国が亡ぶ──管理できる共同体が国になれるほどに強力で、人の命を容易く奪う魔術である。

 放射光やウイルスの生成が今では有名だ。科学の授業でも取り上げられるため、多くの子供が知っている。

 だが、最も警戒される忌術は放射光やウイルスではない。

 

「黒魔術、と呼ばれるものがある」

 

 遠い昔にウィルはフィードから聴いた。

 

「『念力』や『テレパス』がその代表格だね。気流も振動も使わずに結果を出す。科学的に再現する余地の乏しい魔術のことを示す」

 

 穏やかな声が滔々と語る。自身と同色の、けれど異なる表情の作り方の兄が語る。

 

「その中には当然、体を変貌させるものもある。『変態』がそうだね。この術式の一部が治療魔術に使われているけど、当然、この魔術そのものは忌術指定だ。危ないし、下手な人が使うとそのまま死んじゃうからね。この魔術については今のところは存在とつながりを知っているだけで良いかな」

 

 スレイ家の魔術を学ぶにあたり避けては通れなかった。そしてこの魔術が確立されるまでに、どれほどの人々が使われたのかも知った。

 

「そして、最も危険なものは心と魂に作用する黒魔術だ」

 

 魔術は多くの犠牲の上に成立している。

 

「最近だと脳機能に訴えかけるものも増えているけど、それ以前の、生命のあやふやな根幹を変貌させるものは特に危険だ。心や魂はその実、とても強靭でね、そう簡単に変わらないんだ。だからこそ、心や魂を変える魔術の出力は高い。ただ変える、まず変える、その一念でもって、魂に作用する魔術は編み出された」

 

 忌術は容易く壊す。取り返しがつかないほどに、防ぐことができないほどに。

 

「だからウィル、気を付けるように。魂に作用する忌術は最も恐ろしい。もしも大掛かりで理解できない術式を見た時は自分を第一に考えること。あれらの術式に欠点があるとすれば、出力を確保するために大掛かりにならざるを得ないことだからね」

 

 不意に思い出す幸せの記憶。その一遍。

 語る知識も、穏やかな声を忘れることはない。

 ──忘れられない。

 

 

 

 

 雷轟にシャロは気を取られた。

 一瞬で思考が巡る。バレた、抵抗された、本気にさせた。リナの性格的にこの順番で事が起きたと推測できる。

 だからこそ解せない。悪いケースだが想定内だ。その後の動きも組み立てている。魔道の資質で劣る以上、こんなに派手な魔法の行使を許すように組み立てているはずがない。

 

(なにが──?)

 

 思わずリナのもとへと向かおうとした。建物を崩すほどの威力だ。リナが窮地にあることは間違いない。その反射的な動きを、現状を思い出して留まる。

 今は、違う。今の役目はウィルの足止めだ。この場を離れてはならない。

 ステージの通路へ向けた意識をウィルへと戻す。動きは無い。同じく音に反応したのだろう、すぐに駆け出せるように姿勢が低くなっていた。

 ……少し、安堵した。ウィルは何だかんだリナを気にかけている。雷轟に反応して動こうとしている。その事実にシャロは僅かにほっとして。

 

満ちる血潮(血管拡張)高鳴る鼓動(拍動強化)燃え立つ気勢(代謝促進)

 

 次の瞬間に、拳を振るうウィルの姿を見た。

 

 

 

 

 敵を倒すに当たり、最も有効なのは不意打ちである。

 戦闘とはこの世で最もムダな行為である。敵を倒すには兵糧攻めが最上の戦略であり、今すぐ倒す必要があるならば、不意打ちの一撃必殺が望ましい。

 だから、ウィルはそうする。

 シャロが隙を見せる場面はリナ絡みであることを知っている。シャロはリナを大切に想っている。たとえリナより大事なものがあり、それを守るために裏切ろうともリナが大事であることは変わらない。

 雷の音がすればシャロの注意は逸れる。わかっているから備えた。どう動くか考え、使う魔術を選出した。

 

満ちる血潮(血管拡張)高鳴る鼓動(拍動強化)燃え立つ気勢(代謝促進)

 

 一足一刀より僅かに離れた間合い。瞬きの間に勝負を決める。魔法で初動を補助し、魔術で加速を調節し、後詰めとしてこめかみを殴った後にスレイ式の身体強化の魔術を完成させる。

 不意打ちと段階的な加速による二段構えの初見殺しだ。敵が適応する間もなく畳みかける。

 実に手慣れた無血を目標とした捕縛戦術だ。ウィルの過剰な火力を憂慮したフィードの教育の賜物である。

 瞬く間に勝負が決まる──そのはずだった。

 

「────」

 

 瞼が上がる。琥珀色の瞳が黒い瞳に焦点を合わせる。

 瞬く間の一撃、そのはずだった。ウィルの想定以上に早く、シャロはウィルを捉える。

 

「絶妙にざつだヨネ、ウいル」

 

 言葉の後ろで瞳が縦に裂ける。

 白い強膜が黒く染まる。夜空に浮かぶ満月の如くに琥珀色の瞳が輝きを増す。

 

「面倒なんだよ」

 

 膨れ上がる脅威に強がりから唇が吊り上がる。反射的な威嚇行動、それほどまでにシャロが変貌する。

 シャロのこめかみに拳が突き刺さる。二人の間で炎が爆ぜ、同時にシャロの回し蹴りがウィルの脇腹を蹴っ飛ばした。

 爆発により蹴りの威力を殺しつつ芯をずらしつつ、その衝撃と爆風に任すままウィルはシャロから距離を取る。

 もうもうと立ち込める土煙。浮かぶ影はシャロより凶悪なものに見えた。

 

矛を持て(皮膚硬化)鎧を纏え(障壁展開)さらば寂静(戦意高揚)然らば駆けよ(身体強化)先の勝利を掴むため(知覚強化)

 

 危機感からウィルは今の最速で魔術を重ね掛ける。

 大気から何かが失われてゆく。大気に満ち、揺蕩うのみだった魔力が規則的なうねりを見せる。

 土煙が晴れる──晴れて、しまう。

 

「──忌憑きか。捨てられるのも当然だ」

 

 呟く。

 土煙より現れたるは、人類の脅威だった。

 見上げるほどに高く強壮な体躯。人一人ほどに長い腕と脚。人の頭を掴める大きな鈍色の手と爪。凶悪な巨躯が、美しく滑らかな金色の毛に覆われている。

 シャロとは似つかぬ怪物だ。シャロと同じ制服を着ているとはいえ、この美しき金色の怪物をシャロであると言える者はいないだろう。

 異形なりし脅威。狼が二足で立ち上がっている。

 

『──人狼』

 

 それは誰の呟きか。小さな声はアリーナによく響いた。その声は恐怖に掠れ震えていた。

 

『人狼、そう、あの人狼だ‼』

 

 客席に集う恐怖をよそに、喜色に濡れた声が響く。愉快極まりない笑い声が響く。

 

『それもただの人狼じゃねえぜ、ウィルフレッド。どこぞの古き貴族の忘れ形見だ』

 

 悪意が異形を謳い上げる。

 

『古き貴族は魔神を討つべく、二つの選択を迫られた。魔神を殺せるほどの魔術を組むか、魔神を殺せるほどの存在を創るか。

 これはその後者、行き着いた忌術の結実──』

 

 ウィルはダラフェイの声を聞き流す。自身には無意味な、否、反応すれば不利益を被る口上を無視し、眼前の超常の存在へ意識を割く。

 油断どころか、集中しなければ瞬く間に死ぬ。

 

『────古き貴族が生み出した、人造の魔神将だ』

 

 客席は恐怖に包まれている。

 一目でわかる。わかってしまう。あの怪物が自身を容易く殺せることが見て取れる。誰もが声を潜め、恐怖に震えそうな体を押さえつけている。

 ウィルはダラフェイの声に一切の反応を見せず、問いかける。

 

「『人狼変化』がお前の隠し玉か」

「そうだよ」

 

 人狼──シャロは風貌にそぐわぬ穏やかな声で答えた。

 

「けれど、それは少し正確じゃない」

 

 シャロが口を開くごとに、少なくない観客が耳を押さえる。滑らかな口舌、明瞭な声、それに混ざる微かな違和。人より通る、美しくもおぞましき異形の声。

 

「これは隠し玉の一つだよ。君なら、良く分かるだろう」

 

 ──魔神がなぜ、魔境を維持できるか。

 魔境とはいえその根本は魔道の結界である。その維持には魔力が必要だ。だからこそ、魔神は魔境を維持する魔力より、時間経過で回復する魔力の方が多いと、そう長らく考えられてきた。

 だが事実は異なった。その推論は合ってはいたが、一部分が間違っていた。

 魔神は魔境の広さに比例して力を増す。これは事実だ。だがこの事実は、広い魔境を維持できるほどに魔神が強いからだとそう考えられていた。

 

 回復する魔力量が高いという推論は、人類が大気中に漂う魔力を観測できるようになって否定された。

 観測できるようになってすぐ、人類は魔境の魔力量を調べた。──どこもかしこも少なかった。例外なく、人類の生存圏よりも少なかった。

 推論に一つの疑問が浮かぶ。

 

「当然。俺はそのために造られた」

 

 ──魔神は、大気中の魔力を取り込むことができるのではないだろうか。

 人類にはできない。そんな生体機能はない。だからこそ、この事実に誰もが恐怖した。

 魔神は優れた知能を持つ。過去、戦闘中に口頭のやり取りを学習されたという記録がある。人語を解する魔神の存在の記録もある。

 ──頭も体も、魔神は人類を優越する。これを恐怖と言わず、何と言うか。

 

 大気中より失せつつある魔力。その空白を埋めるように、魔力が人狼に向かって流れていく。

 

「魔神に成り得る人狼か」

「そう。それが僕だ」

 

 シャロ──美しい金色の人狼が歩を進める。

 暴力的な存在感とは真逆の静けさ。足音一つ、風を切る音一つ立たない。動きにブレがない。暴威の統制が見て取れる。

 

「君に勝ち目は無い。魔神将ですら足止めが精々だ。ただの候補でしかなく、ましてや人類最強ならざる君が、魔神相当の人狼に勝てる道理はないよ。だから、無傷の内に剣を収めて欲しい」

 

 語る口調はどこまでも穏やかだ。琥珀色の瞳も穏やかで、だからこそごまかし切れぬ暴威が際立つ。

 

「だから?」

 

 ウィルの顔から表情が抜け落ちる。宝剣は既に抜き放たれていた。

 

「降ることはない。勝ち目が無ければ今惨めに負けるか、後で惨めになるかだ」

 

 ウィルフレッド・スレイは天才だ。才能が服を着て歩いている人間だ。その暴威を最も知るのはウィル自身。己の最たる長所が暴力にこそあるとウィルは知っている。

 

 だからこそ、ウィルフレッド・スレイは暴力のみの人間だ。

 

「魔神相当の人狼、確かに魔神将候補にぶつけるにはこの上なく相応しい」

 

 地位も権力も思惑も、この暴威が粉砕してきた。権謀術数蠢く上流階級を誰にも迎合することなく生きてこられたのはこの暴威のためである。

 

「だが」

 

 陽炎が立つ。大気が乾く。

 踏みしめるステージから塵が舞い上がる。

 

「思いあがったな。シャロみたいな臆病者が、ウィルフレッド・スレイに勝てるはずがあるか」

 

 ──ここに、魔神との戦端が開かれた。

 

 

 

 

 賓客室でダラフェイは安堵した。

 

「──ふうっ。抱え落ちしねえかハラハラしたぞ、ったく」

 

 アルハンコ親子の秘密は二つ。一つはシャロが「人狼変化」の魔法を持つ忌憑きであること、もう一つはシャロの本来の出自である。

 それを覚えている者は少ない。シャロとその弟は記憶処理が成され、真相を知る者はその両親と親族、そして、シャロの母親の懺悔を聴いたフリーバリ司祭である。

 

(棚ぼためいた大当たりだ)

 

 元々は《零落剣》目当てでの接触だ。ダラフェイが「人狼変化」の魔法を持つ忌憑きを知ったのはただの偶然である。

 権力者は皆が人類最強を求めている。彼らの強さの質は様々だが、中でも魔神を一太刀で屠った《零落剣》は何を敵にしても頼もしい。

 極まった例であれば、《傀儡子人形》は決して倒せず、《鏖天魔》は多を一瞬で殺す。《零落剣》に最も近いのは《聖剣使い》であるが、彼は珍しく所属が決まっている。

 魔神相手でも国相手でも破格の成果が期待できる上、独自の視点を持つ人類最強の中で最も良識的で話の分かる者ということからも《零落剣》の評価は高い。

 ダラフェイはより良い生活のため、そんな《零落剣》とのつながりを探していた。一番は同じ職場になることだが《零落剣》は奥の手として存在を秘されることがほとんどであり、現在はダラフェイクラスの手練れでさえ苦しい傭兵界隈である。同じ職場になるどころか、初めの職場すら怪しい。

 

 なので「かつて《零落剣》は修道騎士であった」、という噂に縋り修道士となったところで、ダラフェイはみつけた。《零落剣》の友人であり、忌憑きの情報を持つエスタ・フリーバリ神父を。

 

「く、ふふ……」

 

 眼下では目にも止まらぬ速さで二体の怪物が戦っている。

 炎と砂塵が吹き荒ぶ。どんな大金を積まれたとて、見たくもない危険な争いが行われている。常の三倍にまで引き上げた出力の魔術障壁が間にあっても、見ているだけで命が縮みそうだ。

 

「──あぁ、愉快だ」

 

 だからこそ楽しい。死地を眼前にした昂りはクスリにも劣らない。理性が安全を担保しつつも、本能が恐怖を覚えている。

 

 適度なストレスが心地よくて堪らない。堪らないが、それ以上に。

 

「やっぱり愉快だ! 俺より凄い奴らが、俺の思い通りに踊っているなんざ。権力者がやる道化ってのは、どうしてこう胸が梳くんだろうなぁ!」

 

 賓客席でダラフェイは大笑する。

 自身よりも格上の貴族軍人から睨まれるがそれすらも面白い。どれほど実力があろうと、ダラフェイに有利なこの場においてはただの敗者弱者だ。ダラフェイに都合よく使われるだけの存在に過ぎない。

 

「やっぱゲコクジョウはオトコの本懐だよなぁ? それかオスの本能ってやつかな? 弱い奴を虐めて巻き上げるのも楽しいが、一番はやっぱこれだな──偉そうな奴を、いたぶるのは気分が良い!」

 

 ダラフェイは独り、狼頭に囲まれながら嘲笑する。

 自身に許された権力──暴力をカサに権力者たちを嘲り笑う。

 特に虐げられた過去などないが、緩い面でさも善人ですよと偉そうにしているお貴族を笑うのは気持ちがいい。

 

 どうせ殺すのだ。死ぬなら楽しませてもらおう。

 

 

 

 

 ウィルとシャロの戦闘が始まった直後。

 スティグは、想定外を見た。

 

 ──脅威を確認。敵性水準Ⅰ級、環境水準Ⅳ級、状況水準Ⅱ級、脅威水準特殊Ⅱ級と判断。Ⅲ級恒常術式停止、Ⅱ級緊急術式起動、Ⅲ級演算領域拡張。

 

「黒質励起、『青の灯(ブルー・コーズ)失敗(エラー)

 

 ──性能水準想定未満。Ⅱ級恒常術式停止、Ⅰ・Ⅱ級演算領域拡張。

 

「これより成長戦略を中断し、生存戦略を開始する」

 

 ──世界が、色鮮やかに褪せていく。

 

 『古き貴族とは争うな』

 スティグは魔道兵となって最初に聴いた警句を思い出した。古き貴族はほとんどが研究者であるが、魔道兵も珍しくない。後方からの支援という点では、戦闘慣れしていない研究畑の人間でも重宝される。

 先の警句はそれを表している。古き貴族のいる戦場は地獄となる。時間をかければ魔神を屠る魔術を放てる魔道兵は脅威だ。相手にするだけ命のムダだ。だがそれも時間と空間があればの話。

 本質が研究者である彼らは熟達と比べれば戦闘慣れしていない。即時の応酬がモノを言う戦場に引きずり込めば、戦闘の緩手悪手を咎め続けることで優位に立てる。

 そう、この状況下でのウィルフレッド・スレイは魔神相当の砲撃台にはなりえないからこそ、スティグはこの作戦を有効的だと判断した。

 そのはずだった。

 

 絶世の人型が動く。若き天才の二人目、異端と名高きスレイ家の最高傑作と称される嫡子が、その暴威を振るう。

 

渇き身を裂き(水分子分解)下天を撃ち(着火)戦火が上がる(熱波増幅)

 

 アリーナを埋め尽くす大火。魔術障壁の為された客席すらも炙る炎が広がった。

 

(魔術の炎を魔法で操るか)

 

 炎を出すにしても様々なアプローチがある。最主流は今のウィルがしたような、水素反応を利用したものだ。手間がかかるが消費が少ない。体組織を変換していた昔に比べ随分とクリーンになった。

 ウィルは実に恵まれている。炎の魔法の挙動を見るに、炎の生成だけでなく操作も含まれている。生成のみ操作のみの魔法が珍しくない中で、彼は見事炎の魔法と呼ぶに相応しい魔法を持っていた。

 羨ましいな、と。シャロは思う。

 息を吸う。胸が膨らむ。その挙動を引き金に、人狼という魔物に許された魔法が起動する。

 

「ワ──────」

 

 周囲一帯の魔力が吸い上げられた。

 魔境の主──魔神に成り得る資質をシャロの人狼変化の魔法は宿していた。大気中に漂う無限に等しい魔力を食べる生態──『魔力吸収体質』。ひ弱な生物とは一線を隔す、事実上無限に魔道を行使し続けられる生体機能だ。

 障壁越しに客席の人々の顔が青ざめる。空気の薄くなる感覚、あって当然のものが減りゆく根源的な恐怖。

 

「くるぞ学生。これが魔神による災害だ」

 

 ヴィゴを拘束しているアルハンコの部隊員がいつもの癖で緊張を解すための軽口を叩く。睨まれるが彼は気にせず言葉を続けた。

 

「よく覚えとけ。そうすりゃ、軍用魔術がたっぷりの激戦区でヘマなんざしねえよ」

 

 軍用魔術は魔神の『魔力吸収体質』を参考にした術式が組み込まれている。それらが平然と飛び交う激戦区では大気中の魔力が薄くなる。その感覚の違いに調子を崩す兵士は少なくない。

 

「は。こんなの人間業じゃねえ」

 

 魔神との交戦経験があるスティグも、古い恐怖に心臓を鷲掴みにされた。

 意識がその時分に戻される。眼は愛娘を追い、頭は挙動の先読みを始める。攻撃が自分に向いていないことに心底から安堵し。

 

「ああ、くそ」

 

 愛娘を排除すべき脅威として見てしまった自分が、とても恨めしい。

 

「───────オンっ!」

 

 大火が咆哮に散らされた。

 膨らみあがった炎が瞬く間に術者へと追いやられ、音圧に地面がひび割れる。だがそんなものはただの副産物だ。この人狼固有の咆哮──『月哮(ルーナハウル)』の本質は音の砲撃ではない。

 

「人狼の咆哮は術式を狂わせる。魔道の天才である君には天敵だ」

 

 スティグの言葉の通り、ウィルは用意していた魔術を狂わされた。

 

(部分的にしか動かない)

 

 心臓が力強く脈動している。体は絶好調だ。『青の灯』こそ使えないが理想的だ。

 だからこそ失敗はあり得ない。アリーナの地面を溶岩にする魔術が、ただ地面から水分を蒸発させただけに留まった。

 

赤、天を穿ち(噴火)黒、地を裂き(地割れ)灰、人を覆い(噴煙)世を覆う(遮断)

 

 火柱を盾に地割れを隠し、足止めし、灰と粉塵で視界を覆う。

 

「『聖灰雪(パージングレイ)』」

 

 集中させた灰に魔物への攻性概念を付与した。同時、空を覆った灰による冷害を再現。灰に覆われたという結果から、冷却という結果を導き強化する。

 灰には魔を祓う伝承がある。より正確には海の亡霊を祓う伝承であるが、塩の代わりに使われるだけあって、聖別された灰は塩と同等の信仰がある。

 人狼は伝説的な魔物であるため、祓うべき魔性の概念が少なからず付きまとう。基礎的な攻性概念よりも効果が見込める。

 

 ──ワオン

 

 『月哮』が灰を貫く。金色の毛並みにいささかの乱れもない。

 

(魔術は『月哮』で対処される)

 

 聴いていた通りの事象にウィルは思考する。あらゆる魔術を消し飛ばす人狼固有の魔法。

 人狼が駆ける。炎に臆することなく、その軌跡のみを残して、目にも止まらぬ速さで襲い来る。これは真実『魔道士殺し』だ。

 

(だが連発はない)

 

 使った魔術全てを消し飛ばされるわけではない。

 人の頭ほどもある鉄の拳を予測と第六感から宝剣で弾き、その方向へ一際強く炎を放出することで追撃を防ぐ。

 体に刻まれた緊急術式の起動により過酷な状況下での戦闘行為も可能だ。どれだけ炎の魔法を使おうと、こちらの性能が落ちることはない。

 

(人狼とはいえ生物、疲れ知らずではない。負荷をかけ続ければスキを見せる)

 

 炎を一層猛らせる。ステージに満たす。人狼の一挙手一投足により空白が生まれるが気にしない。

 格上だ。勝ち筋など簡単に見つからない。まずはスキを見つける。どれほどの時間がかかろうと、その間に幾度苦しく死にかけようとも、虎視眈々とチャンスを狙う他はない。

 

 ステージを炎と砂塵に満たす。魔道による炎だ。雷ほどの破壊力は無いが、雷以上に生命を脅かす。燃焼そのものは言うまでもなく、まき散らされる熱とガス、そして瞬く間に消費される酸素。

 あらゆる生物が避ける死地にてなお二体は動く。ウィルは刻まれた術式に任せ、シャロは人狼特有の生体機能に任せ、ただただ敵を降すために戦火をまき散らす。

 

 今ステージの内に踏み込もうものならば、火中の二人ではなく、炎そのものに殺されるだろう。

 

「……これが魔神との戦闘ですか」

 

 スティグの隣で控えていた副官が問う。彼女はスティグの部隊員ではあるが、魔神との交戦経験はない。

 眼下で行われる苛烈な戦闘。炎と砂塵の空白から、辛うじて位置を追える程度の超高速戦闘。どのようなやり取りが行われているかなど全く分からない。地面が隆起し、炎が膨れ上がり、そして不自然に穿たれ勢いを失う。人狼が咆えることは少ない。古き貴族による強力な魔道の多くを、その身一つで対処しているのか。

 

「違う」

 

 スティグは首を横に振る。

 これはそんなものではない。魔神との戦闘は狩りに近い。場を支配されないよう常に移動し続け、足止めをし、罠を張り、駆け引きをし、暗殺を狙い続ける。

 魔神戦とは騙し討ちが定石である。断じて。

 

「魔神と真正面から戦うことなんてない」

 

 断じて。こんな閉所で戦い続けることなどない。

 

 ──事実。ウィルは限界ギリギリだ。

 単純に強い。単純に速い。単純に重い。単純に硬い。

 シャロの動きは理性的だ。人狼が格闘術を使うなど悪夢でしかないが、だからこそ対処できる。格闘術を使うということは、予備動作が見慣れたものであるということだ。自身の体勢とシャロとの位置関係から、より効率的な攻撃の候補を絞ることができる。

 何よりも。

 

(ラルフよりは巧くない)

 

 五手先まで予測することで対処できる。十手先を考える必要が無いから、より感覚に脳のリソースを回せる。常ならば頭が茹り脳細胞が熱変性するところだが、魔道で万全を期した今、自傷することはない。

 

(獣性に任せるままでなくて助かった。さすがに人狼固有の動きまでは学習していない)

 

 人体の可能性は嫌というほど味わっている。ラルフとの戦闘経験がウィルを近接戦のエキスパートに押し上げた。

 炎を突き破り、砂塵を巻いて人狼が眼前に現れる。振るわれる爪を宝剣で逸らす。甲高い金属音。熱で姿勢を制御し、返す刃で斬りかかる。人狼が回り避ける。

 

盾よ(魔術障壁)

 

 そして、斜め上から回し蹴りが落ちてきた。斬撃を独楽のように避けた勢いのまま、長い脚を使い死角から変則的な後ろ回し蹴りを叩きこんできた。

 魔術による障壁が一撃で砕かれ、ウィルの頭があった位置を人狼の脚が穿つ。

 

「実質三節だぞ」

「なんで一節で防ぐかな」

 

 一節で三節相当の魔術障壁を張れたのはスレイ式魔術の特性だ。発動した魔術そのものを術式とする。『月哮』で狂わされたとて、壊された訳ではない。

 

(継目が断たれた。慣れていないのか)

 

 スレイ家で叩き込まれたものよりは脅威度が落ちる。文字通りに消し飛ばされるほどではなかった。だが厄介だ。現状、ギリギリ即死しない程度の性能差だ。術式の組み上げに僅かでも遅れが出るのは芳しくない。

 

(術式を守る必要がある)

 

 対策のための術式はある。予兆を読み取り次第使わなければならない。

 特にまともにくらうのはまずい。スレイ家の嫡子にはおびただしい数の術式が刻まれている。ペースメーカーが玩具に等しくなるほどの。それらを狂わされれば、爆発四散する。

 ウィルはまだ死にたくはない。爆死なんて最低だ。

 

 人狼がステップを刻む。炎が揺れる。砂塵が舞う。瞬く間に距離を詰められている。

 宝剣で、弾く。

 

「一()一刀だ」

 

 小さな魔術しか差し込めないが、ギリギリついていける。『青の灯』での経験が思考精度を引き上げている。だが一手誤れば致命的だ。特に『月哮』の魔法は必殺であり、人狼最強の攻撃だ。それを燃費と発動速度で劣る魔術で対処しなければならないのが難易度を引き上げる。窮地だ。だから。

 

 目を細める。

 口を歪める。

 

 そして。

 威圧的に。

 嘲った。

 

「芸をしろ、犬」

 

 その顔と言葉に、シャロは僅かに怯んだ。

 かつての過ちがシャロの脳裏を過る。何度も夢に見た悪意が再び現れた。

 

「──集まれ(空気圧縮)

 

 その間隙に魔術を差し込まれた。空気を固めて障害物を作られた。ウィルはそれだけの魔術を盾のようにシャロの眼前に用意し、宝剣を振るう。当然避けられ爪が迫る。熱で姿勢を整え皮膚を裂かれるも回避する。

 

 ──先手を取り続ける必要がある。

 ウィルは意図的に意識を過去に引き戻す。

 周囲を見下してやまない時分へと。

 最も攻撃的な自分へと。

 

 『月哮』を撃つ隙を作らせないために。

 そして、『青の灯』へ至った経緯を再現するために。

 

 

 

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