テロに遭って意識不明の重体から目が覚めたら、国宝に選ばれていた挙句、付き合って半年の恋人ができた件   作:すすきみつよし

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10.Ⅳ:死力

 

 

 

 エスタ・フリーバリはどこにでもいる神父だ。

 特別な資質など何もない。人並に魔道が使え、人望が他よりあるだけの、世にたくさんいる一般的な権力者だ。

 当然、眼下で行われる魔神戦など、てんでわからない。

 炎が膨れ上がり、砂塵が吹き荒れ、障壁越しでも身を揺るがすほどの轟音が鳴り渡る。

 ダラフェイの集めた傭兵、エスタを慕う修道騎士、アルハンコの隊員。人質を管理する者達は皆、魔術障壁の近くから人質達を遠ざけていた。

 ──これが、魔神との戦闘か。

 エスタはテーブルに肘をつき、食い入るように眼下を見る。

 

「危険です、神父」

 

 一人の修道騎士がエスタの身を案じ、さがるように求める。エスタは騎士に目を向けずゆるゆると首を振った。

 

「私はこの戦闘を見なければならない」

「……流れ弾が飛んでこないとは限りません。幸い、ここは高さも距離もありますが、スレイの炎の魔法……熱線は脅威です」

「あれはどこにいようと変わらないでしょう」

「御身を助けられる確率が上がります。せめて、我が身よりは後ろに下がっていただきたい」

「では君が隣へ来てくれないか」

 

 エスタは一度も目を離さなかった。

 

「承知しました」

 

 修道騎士は口を引き締めて、エスタの隣に立つ。エスタは修道騎士の足音を聞いただけで、一瞥も寄越さなかった。

 エスタは眺める。何もわからぬ魔神との戦闘を。理解の有無以前の認識できない世界をただただ眺め、遠い昔を思い返す。

 

 ──かつて、エスタには親友がいた。

 二十年も前の話。青春の頃。

 親友はどこにでもいるような庶子の出の少年だった。修道騎士を目指していた。共に出世し、王の暁教団を盛り立てようと誓い合った。

 親友は賢く強かった。今思えば優れた魔道資質を持っていたのだろう。ある暗殺剣士による事件から、頑健な肉体を至上とした修道院では目立たない素質だった。

 親友は卓越していた。そう思う。エスタは親友が誇らしかった。同志であることも誇らしかった。嫉妬はあったが、それ以上に尊敬が勝った。

 この親友ならば当然だと。同志であること以上に、その優しい性根を知っていたからこそ誇らしかった。

 親友に見合う人物になる。当時のエスタのモチベーションのほとんどを親友が占めていた。

 親友は性根こそ優しいが、孤独を愛する人だった。優しいからこそ、孤独を愛したのかもしれない。いつでも個々に寄り添えるかのように、誰かに肩入れすることを避けていた。──それは、エスタに対しても変わらなかった。

 だから、エスタが人との繋がりを重視したのは必然だった。孤高の強さと脆さをエスタは間近で見た。孤高は窮地に輝く一方で、平時には軽んじられる素質だ。

 孤独を愛する親友がそのままでいられるように、輪に入らずともすぐ手が届く距離にいられるように。

 けれど。

 

「──────違う。私と君は違う生き物だ」

 

 決別は突然だった。

 十代の終わり、青春の終わりにそれは起きた。成長による痛みが落ち着いて、少し視野が広がった頃。

 

「これが──」

 

 親友は、親友だった。

 孤独を愛し、個々に寄り添える優しいひと。

 孤高のままに人を救うひと。

 輪に加わらず、けれど手の届く距離に──。

 

「これが、君の世界か、テオドール」

 

 ……眼下では怪物がぶつかりあっている。

 炎と砂塵が吹き荒れる。身を揺るがす轟音が障壁を貫いている。

 

「君の世界なんだな、神使の如き君(Theo’s Doll)よ」

 

 あの日、親友は己が黒き白鳥(ブラックスワン)であると知った。

 一閃の元に魔神を斬り裂いて、彼は修道騎士の白い服を脱ぎ捨てた。換毛期の白鳥よりも呆気なく、白き羽根を湖面に落とし、黒き翼を湖面に映し、彼は黒を広げて湖の縁より飛び去った。

 誰も彼を引き止められなかった。伸ばした手はただ白き羽根を掴むばかりで、黒き翼には触れることさえ躊躇われて。

 

「君は独りになるべきじゃないよ、ウィルフレッド・スレイ」

 

 ──初めまして、エスタ・フリーバリ神父。

 

「君は愛されている」

 

 ──私の名はファーディナンド・スレイ。この国に巣食う「ワースワンズ」を終わらせるために訪れた者です。

 

 ある日のことを思い出す。もう一人の人類最強が自らを訪ねて来た時のことを。はにかみながら、兄弟のことを語っていた時の表情を。

 

そんなもの(孤高の運命)は、君が持つべきではない」

 

 そんなもの──それは、私に必要なものだ。今一度、あの地平に挑むために必要なものだ。

 

 ──エスタ・フリーバリはどこにでもいる神父だ。だからこそ教皇には、王の暁教団の上層部には至ることはできない。神学校を優秀な成績で出ただけの、権力よりも誰かのために奔走していたエスタは一生、かつての親友に並ぶことはない。

 

 エスタ・フリーバリは一生、セオ・ルーチェスに並べない。

 

 

 

 

 電が奔り、雷が轟く。煌く紫電が剣士により斬り伏せられていた。

 

「素晴らしい……!」

 

 剣士は死地の真っただ中にありながら、幸福の極致にあった。

 足は決して地面から浮かせることはできない。接地魔術と雷切を使い続けなければ敵の雷撃を斬れず、一瞬でも浮かすものならば剣士は雷電に焼かれ敗北する。

 リナの破壊行動により平らではなくなった地面をすり足で滑るように動き続けている。頭の位置は変わらず、腰と膝のみが動いている。

 

「凄まじい魔道行使だ。これほどの速度を保ちながら、剣戟と雷撃を繋げる魔法剣士はそうはいない。君はいずれ単騎で戦況を一変させる猛者になるだろう……!」

 

 先ほどまでの仏の如き穏やかさは引っ込んでいた。それでなお、暗いものが一切感じられないあたり、この剣士の性根は澄んでいるのだろう。善悪の秤を考えなければ。

 どこまでも明るく、その剣士は雷電を斬り伏せる。何を感じ取っているのか、電撃と斬撃の挟撃も一切の躊躇いなく対処し、あまつさえ反撃の一太刀さえ見舞う腕の冴え。

 

「素晴らしい、凄まじい……! 若輩が我が積年に拮抗するとは……!」

 

 剣士の顔に苦痛は無い。血色も良く、絶好調であることが見て取れる。

 だからこそ。

 

(どの口で……!)

 

 リナは死力で動き続けている。息など吐かない。暇などない。リナの死力を剣士はただの全力で迎え撃っている。

 幾筋もの紫電が奔り、光の影に斬撃が潜む。

 雷の魔法剣士の真骨頂だ。雷撃を浴びせ続け、中距離と近距離を往復し、居場所を悟らせない一方的な奇襲の連続攻撃。敵手は弾ける音と光で目と耳が使えなくなり、十秒も経てば障壁を張り続けるより他ない必殺。

 そのはずだった。

 

「────」

「息が上がったか? 精彩を欠いたな」

 

 リナの眼前に刃先が滑り込む。倒れ込むように体を傾け剣士の斬撃を回避する。

 そのまま離れず、崩れた姿勢のまま逆手に持った片手剣を電磁力で補助し突き出した。

 

「ぬ」

 

 鋼の擦れる音が響く。突き出した片手剣は逸らされながら、服すらも掠らずにあらぬ方向へ。刀はそのまま片手剣を辿ってリナの腕を切らんと奔り。

 雷電が弾ける。リナは剣士の頭上へ撃ち出され、刀が空を切る。剣士の頭蓋へ片手剣が迫り、先ほどまでリナがいた場所から電撃が撃ち出された。

 

「『雷切』」

 

 刀の柄が片手剣を逸らし、甲高い音が響いて雷撃が斬られた。切っ先が跳ね上がる。電撃を撃ち出す。

 リナは剣士が避ける動作の刹那に、魔力障壁を張りつつ電磁力で体を撃ち出す。二の腕を僅かに裂くに留まり、距離を離しながら電撃を浴びせ続ける。

 リナの勝ち筋は二つだ。

 一つは剣術だけでなく、魔道も組み合わせた攻撃で押し切ること。キリシマの一族は類稀な身体能力と異能を持つが、魔術は不得手であり魔力量は多くない。実際に剣士が使う魔術は自身や武器への特殊能力の付与で在り、リナのように雷撃を撃ち出すことはない。

 これは大きな優位であり、剣の決闘に馬と銃を持ち込んだようなものだ。普通は勝てる。はず、だったが。

 

(正真正銘の達人だ)

 

 どうにも相性が悪い。

 閃光と爆音で目と耳を使えなくしようが、正確無比に攻撃を斬り落としている。慣れているかのような挙動だった。

 

「実に鋭い攻撃だ。正確に脆いところを突いてくる」

 

 きっと読まれているのだろう。

 紫色の唇を引き結ぶ。

 

「ここまで早いのは初めてだが、ギリギリ追える。置き弾すら鋭い辺り、君の弱点を見抜く目は確かだ。──誇っていい」

 

 うるさい。

 声は既に掠れている。紫色の唇が僅かに動くのみ。それも剣士の目に留まることなどないが、リナの斬撃は繰り返し逸らされる。

 

(勝てない)

 

 リナの冷静な部分がそう結論付ける。明確な格上、それも相性は極めて悪い。

 だが撤退はありえない。真正面から奇襲ができる魔術がある以上、この暗殺剣士を野放しにすることはできない。

 

 リナの得意とする魔術は電磁気である。出力を魔法で確保し、汎用性に富んだ様々な魔術を行使する。最もオーソドックスな現行科学を利用したスタイルである。物理法則を超えた動きはできないが、物理法則に沿った動きであれば早く強く実行できる。

 だから勝てない。これまで切り結んで良く分かった。キリシマは普通の攻撃では倒せない。接近戦のスペシャリストであり、飛び道具に対して強い。光速で動く雷電を斬り落とす以上、銃弾も同様に斬り飛ばすことができるだろう。

 

(魔道で倒すなら環境を一変させる必要がある。それも、雷以外の)

 

 誰だって死ぬような魔術しか思い浮かばないことにリナは苛立つ。炎で巻くか、水で沈めるか、土で埋めるか。生きていられない環境に叩き落とす手段しか今のリナには思いつかなかった。

 

(ウィルなら焼くか。酸素を消費させて酸欠も狙う)

 

 思考が横に逸れる。ざっくりと腿を斬られた。傷口を焼いて癒着させる。

 

(私にできるのは魔力勝負か)

 

 雷電が猛る。碧眼が剣士を捉える。瞬く間に紫電が奔り、リナの急襲を剣士が逸らす。

 剣士は接地と「雷切」の魔術を併用している。それによりリナの雷撃は本来の凶悪さを発揮できていないが、剣士はタダで雷撃を防いでいるわけではない。

 魔術は魔法よりも魔力の消費量が多い。一の魔力に二で対抗しているようなものだ。キリシマが魔道士よりも魔力量が少ない傾向にある以上、長引くほどに剣士が不利になることは明白であり、剣士の魔力切れによってリナが勝利する可能性がある。

 これがもう一つの勝ち筋。体力勝負ならぬ魔力勝負。

 このままの状況を続けることで──。

 

「気を抜いたな」

 

 音などしなかった。

 右半身が軽くなる。飛び散る血潮が雷に焼かれる。

 ──遠いところに、自分の右腕が見える。

 

「いいや、勝ち筋を見つけたことへの安堵か」

 

 リナの右腕が斬り飛ばされた。

 

 

 バランスを崩し、そのまま地面に叩きつけられた。

 

「ぅ、ぐ──づっ!」

 

 勢いを殺すべく右手をついて、尋常ならざる痛みに声が漏れる。

 肘から先が無い。地面に着いた衝撃で欠けた骨が眼の前に転がる。

 

「は──ぁ、──…………」

 

 体が動かない。壊れたように息しかできない。

 あたまがまわらない。

 

 当然だ。死力を尽くす以上、余力などない。腕を斬り飛ばされたことによる急激な血液と血流の減少は文字通りに致命的だった。

 黒質による調整も間に合わない。肘先の筋肉が収縮し、出血を緩やかにするが微々たるものだ。

 

「──」

 

 もはや死体同然のリナを剣士は無言で眺めている。表情は無い。ガラス玉のような無色の瞳がただ息をするだけの少女を見ている。

 

 リナは動かない。動けない。ただ背中が上下しているだけだ。焦点の合わない虚ろな瞳が骨片を映している。肌は紙のように白く、唇は紫色だ。艶やかな金髪は腕から流れる血に浸されてゆく。

 

「死力を尽くしていたか。通りで拍子抜けするはずだ」

 

 右腕を斬り落としてももうしばらくは暴れるだろうという予測は誤りだった。それだけの気迫がリナにはあった。

 死んでも勝つ──それだけの気迫がリナにはあった。

 

 制服の切り傷は血に染まり、そこから覗く白い肌は例外なく焼け爛れている。失血死を避けるための措置だろう。スカートと短パンから伸びる脚にも同じような火傷が見えた。

 

「……死力を尽くすことは、存外に難しいことだ」

 

 剣士はキリシマタツミの一族だ。一族にいた頃、格下から格上まで強くなるために同族と無数の勝負を重ねてきた。

 だからこそ良く知っている。死力を尽くした一撃というものが、どれほど恐ろしく、どれほど放ちがたいものかを。

 

「元より命は死なないように生きている。そもそもが死力を尽くすことがおかしい」

 

 あらゆる生物にとって、死力を尽くすことは忌避すべき事柄である。今に続く種は九死に一生を得て生き残ったのではなく、九死を避け続けて生き延びた。

 

「あらゆる命は困難を打破しない。ただ生き延びた末が、困難を打破したように見えるだけに過ぎない」

 

 避け続けて逃げ続けて、そして糧に巡り合う。

 殺せる命に巡り合う。

 

「弱肉強食、適者生存。どちらも正しい。結果として偶然だからだ。弱い敵に巡り合うか、自らに適した地に彷徨い出るか」

 

 剣士が一族を出奔して驚いたことは、夢を叶えようとする人間は極少数であることだった。多くが夢を諦める。キリシマタツミとは違う。その最期まで夢を見て、刀を振り続ける一族とは違った。

 強いのは死力を尽くせる側だが、生きていられるのは尽くせない側だ。少なくない同胞を見送った剣士は、外界に出て痛感した。

 剣士は足元に転がるリナの右腕を拾う。流れる血を糸で縛る。

 

「妬ましい。君の心は既に高みにある。その年で容易く死力を振り絞れることは妬ましい。私が求めて止まない強さだ。死んでも勝つ──あぁ、素晴らしい精神性だ」

 

 剣士は慣れた手つきでリナに止血を施した。肘先の断面をガーゼで包み、紐で縛った。

 

「アンナリナ・アウレリース。領主令嬢にはどうあれ死んでもらうが、雷の戦士よ。君は別だ」

 

 リナの上体を起こし、自らの膝に預け呼吸のし易い姿勢に整えた。虚ろな碧眼が剣士を見上げる。

 

「何を捨てでも生きていたいのならば、私が逃がそう。

 顔を削ぎ、指を焼き、喉を潰し、アンナリナ・アウレリースとは似ても似つかぬ者にして、君を我が一族に預けよう」

 

 剣士の刀が怪しく光る。

 どこまでも穏やかに剣士は死を告げる。

 

 

 

 

 かつて、母は殺されかけた。

 物心ついた時にはリナの母親は車椅子が無ければ動けなくなっていた。しゃんと立つ母の姿は写真の中でしか見たことが無い。

 

「嬉しいわ。リナが車椅子を押してくれるなんて」

 

 幼心に母が申し訳なさそうな顔をするのが嫌で、習い事を理由に一緒にいなくても良いようにした。

 母親らしいことはしてくれなくてもいい。ただ笑っていてほしかったから、普通の子供とは違う振舞いをして、未来に希望を夢見て、現実から必死に目を逸らした。

 その中で軍属を願い出たのは母を守りたかったから。その決意は今も変わらない。

 

「いつも忙しくしているから、リナは」

 

 初めて母の車椅子を押して歩いた日は、初めて何も予定の無い日だった。母を担げるほどに体が成長した頃だった。

 

「当然。私は将来、この国の領主になるもの」

 

 母は歩行能力と共に子を産む機能も失った。足がついているだけ奇跡だったらしい。何が起きたのかは今も知らない。父はあの時のことを徹底して隠し、リナの問いかけの一切を黙殺した。

 

「そして王子様を選ぶの。カッコ良くて素敵な、強くて優しい人」

 

 夫ではなく王子様と言ったのはなけなしの少女らしさだった。普段から話す同年代の友人の言葉遣いはうつる。

 

「リナなら選り取り見取りね。今からリナの王子様が楽しみだわ」

「うん。楽しみにしていてね」

 

 微笑む母を見て、この選択は間違いではないと信じられた。未来に希望を夢見て必死にひた走る。言い知れぬ不穏に後ろ髪を引かれようと前を向き続ける。

 私が未来に希望を見ているように見えるならば、母は笑うことができる。──お世継ぎを。

 思うことは母の笑顔だ。理由は知らない。ただ幼心に私が護りたいとそう思っただけ。申し訳なさそうに目を伏せる母を見たくない。──リーヌス様、お世継ぎを。

 何も悪くないのに、罪悪感を覚えているような顔なんて。──側室を娶られてはどうか。

 何も悪くない。母は何も悪くない。だから。──アンナリナ様に早く婚約者を。

 

 

 もう子供が産めない。母親の勤めが果たせないと。

 たくさんの人から軽んじられることが、どうしようもなく我慢ならなくて。

 そんな人達がさも正しい人のように振舞うのが腹立たしかった。

 

 

 

 

 意識が戻る。碧眼の焦点が合う。

 仏のような顔の死神がリナを見ている。

 

「────それ、生きていると言うの?」

「死んでいないのならば生きている」

 

 首に刀が添えられている。いつ殺されてもおかしくはない。

 

「いいえ、死んでいないだけよ。偶然、生きているだけじゃない」

 

 剣士の笑みが深まる。

 

「聴こえていたのか?」

「逃がしてくれるんじゃないの?」

 

 聴こえていなかったらしい。

 

「私は逃がしたいが領主令嬢は殺さなくてはならない。ならばパーソナルを殺し、遠い異国へ届ける他ないだろう。何かおかしなことでもあるかな?」

「倫理観」

 

 仕事としては正しいが良識は無かった。剣士に人を傷つけることに対する抵抗はない。

 

「一本取られたな。だが、君はどうしたい?」

「勝つ」

 

 反射的な返答だった。

 仏の如き死神も、陽に浮かぶ刃も頭から抜け落ちた。

 どうしたいか──そんなの、昔から決まっている。

 

「勝って、ぶちのめす。私を軽んじる奴ら全員。女だからと、舐め腐った奴ら全員」

 

 女は弱者である。肉体的にも、社会的にも。

 男に比して筋肉が付きにくく背丈が低く、周期的に体調が崩れる。鍛えようにも鍛えられる時間が少ない。明確に、誰かに守ってもらわなくてはならない生態である彼女達は軽んじられた。

 

「そうか」

 

 剣士は得心する。なぜ容易くこの少女は死力を尽くせたのか。その動機が僅かながら推察できた。

 

「ならばまず、生き残るといい」

 

 首に添えられた刀が動く。手心などない。最大限の敬意を以て業を振るう。

 

「──秘剣:斬頭断懐」

 

 それは始まりの技、初代の業。人体を容易く両断する絶技。少女のか細い首の一つなど、僅かの苦痛も与えずに斬り飛ばす。

 リナに避ける術はない。添えられた刀は元々、顔の皮を剥ぐための位置にある。頭部も動かないように固定されている。

 避けられるはずがない。だからこそ。

 

()()

 

 ビタリと刀が止まる。首を斬り落とす刃は僅かに皮膚に触れるばかりでそれ以上が動かない。リナは刀と首に反発する磁性を付与したのだ。

 即座に剣士はリナから離れようとするが、遅い。

 

「──っらァッ!」

 

 剣士の体で抑えられていた左拳を電磁力で撃ち出す。変則のアッパーカットが剣士の顎に突き刺さった。

 

「ぐっ」

 

 剣士の苦悶の声を初めて聴く。

 

「来いっ!」

 

 落とした片手剣が掲げたリナの左手へ、剣士の顔へ向かう。剣士は僅かに首をかしげて回避し、リナの振り下ろした肘を手で受け止める。同時、刀から手を放しリナの顔へ手刀を落とす。リナは離れようとするも肘を掴まれ動けない。歯を食いしばり、頭突きで相殺する。

 

「さすがの躊躇の無さだ。が、知っている」

 

 唐突に、リナの頭が地面に落ちる。剣士が膝を抜き、手刀のままリナの頭を地面に押し込んだ。当然、激しい雷電が剣士に流れるがその大半は魔術により地面に流される。

 剣士の眼前にプラズマが形成される。剣士の顔が熱に炙られる──直前。剣士は咄嗟にプラズマに手を突っ込み、魔力障壁を生成しつつ散らす。

 リナの左腕が空く。再度電磁力で撃ち出そうとして、剣士の膝に腕を押さえつけられる。骨が砕ける音がした。

 プラズマに焼け爛れた剣士の手がリナの喉を掴み、一際強くリナの頭を地面に叩きつけた。

 僅かにリナの意識が飛ぶ。首を折られまいと力を込めたはいいものの、剣士にマウントを取られた。

 

「──未熟、ふがいない。女子供の首一つ、苦しめずに取るべきであろうに」

 

 語る剣士の手は万力のようだ。着物から覗く腕に血管が太く浮かび上がっている。

 逆転はない。リナはこのまま剣士に首を砕かれ絶命するだろう。失神する前かした直後かに。

 右腕は斬り飛ばされた。左腕は砕かれた。体は動かせない。雷電は無効化される。

 リナにできることは何もない。言葉すらも発せられない。

 死ぬ──脅威が、ここにきてようやく理性の警鐘を上回る。

 

「苦しかったろう。男に劣る体で、この世を生きるのは」

 

 アンナリナ・アウレリースは、常に死を感じていた。

 母の体を見て肉体的な死を。漏れ聞こえる声から人格的な死を。友好的でない組織の間において、子供はかすがいである。特に組織の権威に組み込まれない女子は重宝される。男にとって自らの親族でない女はトロフィーだ。

 

「女は女であるということだけで男の下につけられる」

 

 従属に未来は無い。子を残す、子を育てる以外に期待されない女はただ次代を繋ぐことしか許されない。女は男より弱いから、男の紡ぐ未来を繋ぐことしか許されない。

 

「刃を交えて判る。君は戦士だ」

 

 たとえ強い女がいようと変わらない。女が男より弱いことが普通であり常識とされている以上、女を組織の頭に据えることなどありえない。負けた時に対立した組織により一層、女以下の情けない男どもと軽んじられるからだ。

 

「戦う前から敗北しているなど耐え難い。明らかな格下が己を見下すなど言うに及ばず」

 

 アンナリナ・アウレリースは女であるから軽んじられる。どれほど煌く才があろうと、ただ女であるということだけで生涯、いつか一人の男に尽くして然るべき存在として軽んじられる。

 

「だが、これで終わりだ。雷の戦士よ、死出の兵よ。──さらば」

 

 剣士の指がリナの首を徐々に細めていく。

 リナにできることは何もない。右腕は斬り飛ばされた。左腕は砕かれた。体は動かせない。雷電は無効化される。言葉すらも発せられない。

 このまま──。

 

「────うる、さい」

 

 紫色の唇が動く。碧眼が瞬く。消えゆく命の灯が猛る。

 その瞳に剣士は総毛立つのを感じた。この今わの際の輝きは良く知っている。戦場で良く知る輝きだ。

 

「勝手に」

 

 砕けて然るべきはずの首が未だに砕けない。もう片方の手を首に添える。

 その輝きは良く知っている。死兵の瞳によく似ている。必ず目的を果たす決意、決死の輝き。キリシマタツミではありふれた気迫。

 

「私を」

 

 力を込める。躊躇いは無い。リナにできることはなくとも油断することはない。

 一刻も早く殺す。

 

 緩手など過つものか。打撃を封じた。雷電を封じた。刀と片手剣の位置は把握している。

 焦点の怪しい碧眼が剣士を射殺さんばかりに睨んでいる。

 剣士は頸動脈を押さえている。

 リナは酸欠で意識が朦朧としているはずだ。

 剣士の背筋を恐怖が貫いている。

 

 死兵の常だ、慣れたものだ、恐ろしい。

 

「憐れむ──」

 

 掠れた叫びを紫色の唇が紡ぐ。

 とんでもない底力だ。

 だが叫んだところで何が変わるはずもない。

 艶やかな金髪が陽光に煌く。

 死に物狂いの獅子を抑え込んでいる錯覚。

 

「な──ァ!」

 

 

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 ──怒りで頭がおかしくなった。

 バツン。と。頭の中で何かが弾ける音がした。

 何かはわからない。だが頭の中だ。心や魂ではなく、脳がおかしくなった。

 生体機能が狂った。きっとそうだ。

 

「お──」

 

 剣士の左わき腹に、斬り飛ばされたリナの右腕がめり込んでいる。

 右腕の切断面から紫電が伸び、リナの右腕を繋げている。

 

 ──ちょうどいい。手が足りなかったところだ。

 

「ハッ──……」

 

 剣士の手が緩み、重心が浮く。剣士の焦点が怪しい。

 

「ら、アぁっ──!」

 

 リナは左足を剣士の腹の下へ滑り込ませ蹴りはがしにかかる。

 剣士は爛れた手を床のコンクリに突き立て、流されるままに前に跳び、リナに頭突きをくらわせる。

 迎え撃つ。互いに額のひび割れる音を聞く。

 

「逃がすか……!」

 

 右手が前へ跳ぶ剣士の足首を掴み引き寄せる。

 剣士はリナの首へ指を突き刺した。

 リナの首の筋肉にきつく締めあげられる。

 押すことも引くことも叶わない。

 

「シャコガイのようだな……!」

 

 敗北が脳裏を過る。

 剣士の筋力はリナを殺すには足りない。

 皮肉にも剣士はリナより非力だった。

 

 事ここに至ればリナの勝利条件は一つ。

 魔力だの体力だの、確率の絡む数式めいたまどろっこしい理屈は彼方だ。

 

「──撃つ、お前を、雷電で……!」

 

 浮かす。浮かして、雷電を叩きこむ。

 逃がしは、しない。

 

 正気ではない。密着しての雷撃は自身にも類が及ぶ。類稀な雷電操作の腕があろうと、相手に抵抗の意思がある以上、接地魔術を使わなければ自身すらも焼く。

 

 リナが跳ぶ。

 右足で地面を蹴り、ムリヤリ体を宙に浮かす。

 リナの使う片手剣が地面に刺さる剣士の手目掛けて撃ち出される。

 

「妖刀、用意──」

 

 刀を手元に呼び寄せる間は無い。

 剣士は脱力した。宙に浮く。

 リナの雷電が体を巡り血管という血管を焼き始め、自身の黒質が抗う。

 

 ──思い起こすは秘剣にあらざる秘剣、妖刀。剣士より遥かに年下の鬼才が編み出した無手の斬術。

 

 宙に浮く二つの体。

 爆ぜ弾ける雷電の玉。

 焦げる皮膚、沸騰する血、人体を焼く忌むべき臭い。

 

「術式喚起、『伝承再演:雷切』」

 

 片手剣は何も斬らずに二人の下を過ぎていく。

 

 剣士の爛れた肉が炭化する。

 黒色と肌色の斑模様が浮かぶ。

 雷電が樹状の痕を残す。

 

「──妖刀:漸刀伝威」

 

 剣士の手は妖刀のようだ。

 赤と黒と肌色の、グロテスクな生きた刀。

 大上段に構えられたそれを、碧眼が捉える。

 

「さて、成功するかな」

 

 剣士は穏やかに微笑む。頬に樹状の赤が広がる。

 

 術理を知っているが成功させたことのない業だ。いかな業であれ一族は必ず共有する。そのおこぼれにあやかるからこそ、剣士はこの妖刀の使い手の鬼才振りを理解している。

 狂おしいほどに。

 

()()

 

 碧眼は正しく脅威を見抜いている。

 雷電に焼かれる手がどれほど恐ろしいか理解する。

 

「潰す」

 

 紫電が伸びる。

 右腕が手刀を掴む。

 だが腕は斬り裂かれる、縦一文字に。

 剣士の手刀はそのままリナの首へと迫り──。

 

「──あぁ、届かないか」

 

 剣士の手刀はリナの右腕を両断した。

 首に迫った、触れた、──だが。

 

()()

 

 手刀が反発する。

 押し返される。

 手刀に付与された磁力が阻む。

 体を焼く激痛をよそに、剣士は嘆息した。

 

 碧眼が輝く。紫電が散る。

 瞼すら貫く電光が、剣士を完膚なきまでに打ち据えた。

 

 

 

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