テロに遭って意識不明の重体から目が覚めたら、国宝に選ばれていた挙句、付き合って半年の恋人ができた件 作:すすきみつよし
何度目の恐怖だろう──。
エルビラは必死に涙を堪えながら、襲撃者を人質に取ったヴィゴの後ろで鉄杖を構え彼の背後を守っていた。
「……目立つ動きは避けや」
ヴィゴはエルビラにそう囁き、客席をゆっくりと練り歩く人狼達を警戒対象に加えた。
知性、理性はあるのか。人狼達は警戒するように歩いている。誰かを探しているのか、その足取りはゆっくりだ。
「はい……」
小さく頷きながらエルビラは静かに息を吐く。
周囲をさっと見渡す。ジェイは容体は安定したものの未だ意識を失ったまま横たわり、サラは結界に閉じ込められている。リナとスティグに動きはない。
とんでもない一日だ。魔神相当の人狼と、それと渡り合った魔神将候補。テロもそうだが、生涯に一度有るか無いかの出来事が複数起きている。一番ショックな出来事は瀕死のリナだが、突然隣の襲撃者の腕が捻じれたことも相当だ。しばらく腕に「念力」を使うことは躊躇われるだろう。
「おい、なんやあれ」
「人狼兵……だそうだ」
「はあ?」
「詳しいことはわからねえよ。あのダラフェイとかいう傭兵の差し金らしい」
はあ、と人質──アルハンコの部隊員は溜め息を吐いた。折られるまではいかなかったが、対応が遅れ筋を痛めた。その挙句に銃火器を奪われ、こうしてヴィゴの人質となっている。
厄日だと思いつつも、自分の間抜けさにも呆れる。
「そのままでいろよ。攻撃しなきゃ殺されないようだ」
「……は。急にホラゲーになるやんけ」
「まったくだ。座り心地の良い椅子が恋しいぜ」
「ワイの筋肉がまだ薄いってか」
「鍛える余地はあるな。バランスよく食う量増やせよ、ルーキー」
なんでこの状況で軽口が叩けるんだろう。エルビラは不思議で仕方が無かった。
「──撤退命令が出た」
「攫う気か」
「知らん。だがこれ以上は動くなよ、学生。お前の筋は良いが、まだまだ非力だ」
「リナちゃんのあの姿見ながら隠れてろってか? 男が廃るや──」
「そうだ」
ヴィゴの言葉を遮り、部隊員が断言する。
「俺達は負け戦を避け、勝ち戦で活躍したからこそここにいる。もちろん、負け戦であっても勝つための手は尽くしたが、どうにもならない盤面からは命を繋ぐために必ず逃げた」
「……偉そうに。何情けない説教たれとんねん、お前」
「偉そうにしなきゃ人々が不安がるだろう」
ヴィゴは言葉に詰まった。
軍人の語ることは正しい。情けないが正しい理屈だ。
勝てない盤面というものは存在する。もちろん敵がミスをすればその限りでも無いが、そんな都合の良いことはまず起きない。
「ヴィゴ・ボーストレーム。お前はあの戦闘を見て、何を学んだ」
「……勝てない相手は、いる」
「満点だ。この国の未来は明るいな。──このまま俺を人質にしていろ。いざという時には盾にしろ。いいな? 今のお前は劣勢で非力だ。準備がまるで足りていない。自分の命を守ることを第一に考えろ」
部隊員はそれきり黙った。
ヴィゴの頭は──プライドはぐちゃぐちゃだ。ヴィゴは強者に相応しいだけの自負がある。実績と言い換えても良い。ヴィゴは間違いなく上澄みの実力者だ。蓋世者相手にわずかでも真っ向勝負で勝てる実力があることがその証左だ。装備を限定した戦闘であれば、本職の軍人相手でも勝てる。
だから自分は守る側だと考えていた。実績を考えれば正しいだろう。だがそれはまだ先の未来の話で、戦うための準備を整えることができるようになってからの話だ。
今ではない。
今ではない──だからこそ。
ステージを見る。そこには人狼に組み伏せられたウィルがいる。
……魔神と戦えた、ウィルフレッド・スレイがいる。
「……遠過ぎやろ」
断絶する彼我の実力に自嘲した。
/
「──やァ、神父サマ」
ダラフェイは人狼達で人々の気を引き、エスタのいる一室まで素早く移動した。
封鎖されていた扉はその怪力で引きちぎられ、トラップの魔術群も魔力障壁を纏った槍の一振りで殴り伏せた。
「ダラフェイか……! なんだあの人狼──待て、なんだその姿は。本当に君は、いったい何をした……!?」
「黒魔術を使ったんすよ。蓋世結界のせいで殺されかけましたんでね、生きるために、仕方なく使いましたわ」
「……それは、つまり──」
黒い人狼は一歩でエスタとの距離を詰め、自身の口に人差し指を当ててみせる。
「それ以上はダメだぜ、共犯者よ」
傍で警戒していた修道騎士は瞬く間に神父に接近していたダラフェイに慄いた。
「貴様……!」
「通信で聴いた通りだ。神父サマは俺が担いで逃げる。──イイな?」
冷徹な目が修道騎士に向けられる。剣を構えていた騎士は肌で感じる迫力に恐怖しながらも口を開く。
「ダメだ。信用ならん。私が連れて脱出する」
「おいおい、後輩を信じてくれよ」
ダラフェイは人懐こい笑みを浮かべる。だが騎士は脅威しかこの黒い人狼からは感じられなかった。
実力が隔絶している。
この元傭兵の修道士の実力は知っている。技術はやや荒いが好機を探り当てる嗅覚に長けている。人の身であっても三割は負けた相手だ。その技を人狼の身体能力で繰り出されては敗北は必至だろう。
「──ダラフェイの言う通りだ。ハンス、君は当初の手はず通りに」
騎士──ハンスは一瞬エスタへ抗議の目線を向けた。が。
「……承知しました。頼むぞ、ダラフェイ」
「承知しました。先輩もすぐに撤退を」
「もう始めている」
「さすが。ああ、もしトラブった時は人狼に隙を作らせるんで、その時に動いてくださいね」
ダラフェイは芝居がかった仕草でお辞儀をし、エスタを抱えた。
(さあて、後は逃げるだけだ)
ダラフェイは忌術を使ってしまった以上、本気になった国にエスタの一派は潰されると予測した。
いつになるかは不明だが、その時のためにエスタの信頼と身柄は確保しておく必要がある。立案者が自分であることはともかく、このテロの首謀者はエスタ・フリーバリだ。万が一の時にエスタを捕まえさせておけば、ダラフェイへの追及は手が緩むだろう。
運命の命綱の重さを確認する。
人狼となった自分には羽毛のように軽かった。
迷彩の魔術を施す。ダラフェイは計画の全貌を理解している。最終的にどこに逃げ込むかは知っている。
部屋から出て廊下の窓を開ける。出入口を使う必要はない。
まず窓から体を出し、エスタを手で引っ張りながら外へ連れ出す。外壁の窪みに爪をひっかけながら抱え直した。
「跳びますよ。舌を噛まないように予め歯を噛みめておくように」
「舌を噛まないように気を付けろ、で伝わるよ」
「さすが聖職者。頭が良いですわ」
「皮肉にしか聞こえないな」
「いやいや、念のための確認ですよ。からかいの意図はありますがね」
跳ぶ直前にこめかみを叩き、特注のコンタクトを起動させる。カメラは一部の仲間が捕まっている状況を映し出す。
ダラフェイは間抜けだなぁ、と思いつつ、さてどう人狼を動かそうかな、と考えて。
(まあ、ある程度撤退が進んだら弱ってる奴から殺させるか)
/
いつ倒れてもおかしくないことをリナは理解している。
体が軽い。頭が軽い。視界が澄み渡っている。
──命が、尽きかけていると直観する。
(死者は私だけで良い)
人狼の群れに恐怖する人々を後目にリナはステージを隔てる結界へ歩み寄る。
左手に持つ刀に帯電させる。一目でわかる業物だ。重心が片手剣と異なるため、慣れるには時間がかかるだろうが、今は問題ない。刃物は何であれとりあえず刃筋を立てれば良いので、電磁力の補助で何とかなる。
人狼達の警戒がこちらへ向くが仕掛けてはこない。こちらから攻める体力はないのだ。敵もそれを察しているのだろう。
金色の人狼を見据える。
シャロは怯えた眼差しをリナに向けるだけだった。
「シャロ。今から結界を斬るから、ウィルを連れてリーヌスへ助けを乞いなさい」
「……それは、できないよ」
金色の人狼がここにきてようやく口を開く。
「僕のためにも、彼のためにもならない」
「貴女は私の者よ。つべこべ言わず、従いなさい」
碧眼は変わらず澄んでいる。リナはそれが二人のためになると、本気で思っている。
「ウィルは宝剣を持つから狙われる。幸運にも、今回は僕だった。次もウィルを殺したくない人間が、刺客になるとは限らない。──いいや、そんなことより、リナ。早く父さんの手当てを受けてくれ。今にも死にそうじゃないか」
「死なないわ。まだ体は動くし栄養剤も打った。さすがに夜になるまでには治療をうけられるでしょう」
撤退を始める襲撃者達の足音が聞こえる。
「それに、宝剣から離したところでウィルは狙われるわ。古き貴族の魔神将だもの。死んでほしいと、そう思う権力者はいる」
権力者は権力が欲しいのであって、自身の権力を脅かす者が欲しいわけではない。例え国益に成り得る人物であろうと、自身の権力を損なうのであれば、あの手この手で失脚を狙い、窮地には見殺しにする。何ならば刺客さえ放つ。
「これからは貴女もよ、シャロ。魔神相当の人狼に成れるとたくさんの人に知られた以上、命を狙われるわ。貴女は忌憑きだからなおさら処刑するよう進言されるわね」
リナも自身が狙われていることを理解している。
リナは自身が将来公国領主になることを公言している。結婚したとして、自身の伴侶が公国領主になることはない。領主の伴侶としての権力は手に入るだろうが、その主体は生涯リナのものだ。リナの伴侶の家族は一生、リナの下に着くことになる。
このことを受け入れられる権力者は少ない。表向きはともかく、裏では様々な謀略を仕掛けてくるだろう。
「はっきり言って、差し引きゼロよ。どころかマイナスね。脅迫のタネは想像つくけど、それでもその取引に益は無いわ」
リナの言葉にシャロは絶句する。
……シャロはウィルを助ける気でいた。乱暴な手段だが、これがウィルのためになると思っていた。
ウィルフレッド・スレイは傑物である。将来は必ず名を遺す戦士になる。この評価をシャロは疑わない。手加減したとはいえ、ここまで魔神相手に戦える人物だ。否は無い。
だけど、シャロにとってウィルはいつもつまらなさそうだった。趣味はある、楽し気な表情も見せる。恵まれた人物だと、外から見る分にはそう思う。
でも、つまらなさそうだ。ウィルの語る理屈はいつも露悪的で、世渡りに関わることばかりだ。ウィルは対外的なことばかり気にかける。自分がどうしたいかなんて言わない。
それをウィルが立場に縛られているからだと思った。自由に動けば多方面に迷惑がかかると思っているからだと。
だからシャロはその立場を少しでも減らすことができれば──などと。
(あぁ、ただの僕の思い込みだったんだ)
そう思った方が都合が良いからそう思っただけ。ウィルの真意を尋ねていないのだ。想像の域を出るはずがない。
(保身に走っちゃったなぁ……)
でも、断ることはできなかった。
「──ごめんね、リナ」
シャロには負い目がある。もう顔も名前も思い出せないけれど、血に濡れた自身の腕を噛み千切るほどには重たい罪悪感がある。
親愛から傷つけてしまった誰か。受け入れてくれた個性で傷つけてしまった家族だった優しい人達。シャロの本名が知れ渡ったりでもすれば、その優しい人達が傷つくことは目に見えていた。
「僕には、護るべき──いいや、護りたい人がいる」
魔神は人類の脅威である。シャロはその姿を晒すだけで多くの人に恐怖を与えた。一目で分かるほどの脅威がシャーロッテ・アルハンコだ。
シャロの本当の家族は必ず迫害される。
人類の脅威である魔神の、その血族を──誰が受け入れるものか。
「君達よりも弱くて、僕にしか護れない人がいるんだ」
琥珀色の瞳が涙を零す。
感情の抑制が効かない。醜い自分に吐き気がする。
自身が屍の上に立っていることを自覚する。
「そう」
澄んだ碧眼は揺らがない。
揺らぐほどの体力も無いのだろう。
シャロはリナがいつ死んでもおかしくない体であることを理解している。
「リナ。僕の最後のお願いだ。──どうかアルハンコ曹長の手当てを受けて欲しい。君はいつ死んでもおかしくない」
「貴女が今日、私の元から去らないなら受けてあげる」
「リナ──」
「──何度も言わせないで」
リナはシャロを見据える。澄んだ碧眼で、真っすぐに。
「シャーロッテ・アルハンコは、私の者よ。昔も、今も、これからも。
私よりも弱い人達? だったら私が護ってあげる。貴女の大切な人であるなら、私も大切にしてあげる」
リナが刀を振り上げる。
左手に力を込め、右手を添える。
「遅くなってしまったけど、いい機会だわ」
いつか、穏便に。
間違いではなかったが、その結果がこの様だ。遅きに逸した。
リナはヤマトの剣術を知らない。普段から彼女は右手で片手剣を使う。剣は右手で振るうものと認識している。
案外しっくりくるな、等と、リナの頭にそんな感想が過る。
「それとも、貴女にとって私はそんなに弱そうに見える?」
「……見えるよ。今にも死んでしまいそうだ」
「死なないわ」
紫電が猛る。
大上段に振り上げられた刀が紫電に煌く。
目を焼くほどの雷電の輝きだ。
その中でなお、碧眼は変わらず澄んでいて。
「私は勝つの。誰にも奪わせたりなんてしない。自分の命なら、なおさら渡すもんですか」
右足が踏み込む。
雷電が一際強く輝く。
──一閃。
魔術障壁が斬り裂かれる。
紫電に耐え切れず刀が砕け散る。
「邪魔ね、これ」
残った柄を罅割れた障壁に叩きつける。
ただ自分が通るために、邪魔だと思ったから裂け目を広げようとして。
ガシャン。と。
ステージと観客席を隔てる障壁が砕け散った。
陽光に煌めく砕けたガラスのようだ。
障壁の欠片は光を乱反射し空に溶けていく。
瞬く泡沫の奇跡を見ている。
砕けるはずのない壁を砕いて、彼女が立っている。
心が動く。思わず手を伸ばす。
血に濡れた手も、彼女なら。
──殺れ
伸ばした手を
統率のとれた人狼が牙を剥く。
その指令と共に幾筋もの颶風が駆ける。
狙いは死に体のリナだ。
殺気を感じ取ったリナが即座に紫電を纏い臨戦態勢をとるが──遅い。
人狼は人と同じ知能を持ちながら、人より高い身体能力を誇る。弱点は感情にのまれやすいことの一点のみであり、意思の薄い今では弱点は機能しない。
魔術未満の魔術による身体強化と恵まれた肉体。あっという間にリナの三方より人狼がその爪を振り下ろす。
はずだった。
「ぎっ」
音を超えて金色の人狼が駆ける。
まず、一体が背骨を砕かれながら吹き飛ばされた。続けて二体目の両腕がザクロのように弾け、三体目は上半身が砕けたコンクリの下に埋まった。
美しい暴威が立ち上がり、琥珀色の瞳が灰色の人狼を睥睨する。その極大の殺意を受けて、意思の薄いはずの灰色の人狼達は動きを止めた。
「オォン──!」
だが、両腕を失った人狼が怒りのままに「月哮」を放つ。いかに意思を薄められたとて元が激高しやすい人狼である。閾値を超えれば容易く衝動的になる。
魔道のみならず命すら散らす音の砲撃。リナを庇うように立つ金色の人狼に、至近距離からの音速の攻撃を避ける術はない。
鋼爪が「月哮」ごと灰色の人狼の頭を消し飛ばす。
頭を失った灰色の人狼がそのまま後ろに倒れ行く。
「────おかえり」
金色の腕の一振りで血霧が晴れる。暴威の風に晒されながら、碧眼の少女は金色の人狼に微笑んだ。
怯えの色は無い。恐れの色は無い。
どこまでも澄んだ翠緑の瞳が、穏やかな笑みと共に金色の暴威を映す。
「────ただいま」
溢れる涙が金色を濡らす。
差し出された手に鋼の爪を伸ばす。
爪は血に濡れることなく、今にも倒れそうな少女の手の重みを知った。
「──ダラフェイ、あの野郎──……!」
その一連の殺人未遂を、スティグの副官は見ていた。感動的な場面だ、だがそれ以上にダラフェイへの怒りが立つ。男顔負けにドスの効いた声が漏れる。
灰色の人狼達の動きは辛うじて目で追えた。金色の人狼ほどの性能は無い、あれはただの魔物だ。全ての人狼が魔神に成り得るわけではない。
灰色の人狼達は確実にリナを殺そうとしていた。
約束は破り捨てられた。スティグの副官は即座に通信を飛ばして。
「ダラフェイが裏ぎ──」
「──人狼が裏切った。撤退だ。殺してでも逃げろ」
傭兵達は既に動き出していた。
ステージの端から二人組の傭兵が「引き寄せ」の魔術を使いウィルと宝剣の奪取に動く。
同時に、アルハンコの部隊員達は皆、自身の装備に拘束された。予め渡されていた解毒用の装備に刻まれていた拘束魔術が起動したのだ。
シャロにも拘束魔術が起動するが一瞬で引き千切った。
金色の人狼がウィルと宝剣を取り戻すべく動き出す。
当然、指令を受けた灰色の人狼がウィルとリナを殺すべく動く。
「リナ……!」
駆け出す直前、咄嗟にシャロはリナを抱え込み、リナを「月哮」と爪から身を挺して守る。「月哮」により障壁が砕かれ、人狼の爪が金色を斬り裂いて血に染める。
「痛ぅ……!」
直後に紫電が奔り、リナが人狼の追撃を退ける。
シャロはリナを抱えたままウィルを助けるべく駆ける。だが遅い。出遅れてしまった。
「オォン──!」
ウィルへ「月哮」が放たれる。