テロに遭って意識不明の重体から目が覚めたら、国宝に選ばれていた挙句、付き合って半年の恋人ができた件   作:すすきみつよし

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13.Ⅶ:TheModernPrometheus

 

 

 

 

 

 

 

兄は首を括って死んだ。

死に顔は寝ているようだった。

苦しそうでも、安らかそうでもなかった。

ただ眠っていた。

 

 

 ────刹那の夢に浸る。

 

 

何でもないように、眠るように、死んでいた。

寝坊か二度寝をしたのかと最初は思った。

昼前になっても起きる気配が無かったので体に触れて、

冷たく硬くなっていることに気付いた。

 

 

「やあ、親愛なるゴドー」

 

 そうして、彼女は現れた。

 深い紫色の髪、輝く黄金の瞳。あまりに文明的な紫金の麗人。

 高貴な所作で微笑みながら、歌うように彼女は告げる。

 

 

なんで死んだのか、今でもわからない。

わからないから、今でも生きていると思ってしまう。

 

 

「初めまして、妾の名はデリング。夜明けを示す名の剣の妖精だ」

 

 どことも知れぬ夢に揺蕩う。

 自己の認識すら曖昧な世界の中、デリングだけが鮮明だ。

 

 

理由が無い。

スレイ家は魔道の名門で、歴史も資産もある。

加えて兄は本物の天才だ。

本当に何でもできていた。

魔道も、研究も、戦闘も、兵法も、経営も。

誰も敵うことはない。

 

 

「本当ならもっと早く君に会うつもりだった。挨拶が遅れて申し訳ない。良く分からない剣だったろう、妾は。けど今からは違う。君は妾とより深く繋がった」

 

 紫金の麗人がたおやかな手を伸ばす。

 妖精らしいほっそりとした手指だ。

 優美な指がウィルの意識に触れる。

 

 

優秀ゆえの孤独ではなかった。

兄は孤高であっても孤独ではない。

距離を置かれている節はあったが──俺がいる。

兄ほどの才能は無いが、俺がいた。

兄より先に行けずとも、兄を独りにはしない。

その目線の先を見ることはきっとない。

けれど同じ地平には立てる。

 

 

「君が望んだのはこの力かな? 実に素晴らしい。性能を余すことなく使いこなす透徹なる意思だ。『青の灯(ブルー・コーズ)』はあらゆる天運に恵まれた君に相応しい」

 

 天女の如くに微笑み言祝ぐ。

 勇士の褒章に足る美しき声と顔。

 

 嬉しい、という感情が芽生える。

 

 

そうでなければ

 

 

「もう、手放してはいけないよ」

 

 紫金の麗人が離れていく。

 刹那の夢が解けていく。

 夢幻が現に近づいて。

 

 

そうで、なければ

 

 

「二度と触れるな、魔神」

 

 黒い髪、黒い瞳。絶世の容貌。

 曖昧な世界がカタチを帯びる。

 強固な意志と認識により形成が始まる。

 赫怒と呼ぶに相応しい熱が曖昧を許さない。

 

 

──悪に屈してはならない

 

 

 麗人の微笑みは崩れない。

 しかし、童女のようなイタズラな微笑みにすり替わる。

 己の領域に繋がってなお、意識を覚醒させる命を相手に演技遠慮は不要と判断する。

 

 

──その言葉を覚えている

──その熱を覚えている 

 

 

「廃業さ、それは。私の趣味に合わなくなった。それじゃあまたね、親愛なるゴドー。次は貴方の名を妾に教えて欲しいかな」

 

 刹那の夢は幻のように解ける。

 微かに痺れる右腕は現であったと告げていた。

 

 

──悪に屈してはならない

 

 

 そうでなければ。

 世界を燃やすほどの熱を以てしても、耐え難いことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息を吸う。夢見は最悪だった。

 動いていることを自覚する。それなりの速度だ。肋骨には響かないが、四肢に響く。魔力障壁を展開し「引き寄せ」の魔術を遮断する。

 

 咆哮が聞こえる。

 

砂はかげろい(偽装術式群)叫びを閉ざす(砂嵐)

 

 砂塵が渦巻く。式を乱す咆哮は砂嵐に阻まれる。

 仰向けのまま、黒い瞳が灰色の人狼を捉える。脅威度は低い、素面のまま魔術だけで勝てる。

 こちらに向かう数は三体、生きて客席にいる数は九体。計十二体。

 ステージの端から狙撃魔術が撃ち出されたが、弾丸を熱線で蒸発させ余波を魔力障壁で受け止めた。泡を食った襲撃者達は宝剣のみを手に去って行く。

 

「良かった……」

 

 シャロが安堵の声を漏らす。

 目が覚めたのならば殺される心配はない。狙撃魔術にはヒヤリとしたが、苦も無く防ぐ姿を見て苦笑した。

 

「どっちか怪物かわからないわね」

 

 狙撃魔術は必殺の一撃だ。魔力の消費が激しいが、その分だけ威力と射程は折り紙付きだ。通常、発射されてからは防ぐことのできない魔術だが、なぜかウィルは防いでいた。

 

「『貪る枷が鎖し(ロストシャクル)』、『薔薇は白く獣を討つ(ホーソンヒューネラル)』」

 

 ウィルに迫る人狼を殺そうとシャロが脚に力を込めた直後、地面より生じた鎖が人狼を繋ぎ止める。

 駆けていた三体は大きく姿勢を崩し膝をついた。動けないことを理解するや「月哮」を撃とうと口を開くが、鎖より生じた白い杭に全身を貫かれ絶命した。

 

『起きているか?』

 

 ウィルは人狼の末路を一顧だにせずジェイへ念話をとばす。返事はすぐに返ってきた。

 

『起きてるよ。

 下敷きにされた伝承は「ゾンビパウダー」と「ウェアウルフ」、多分、狼の死体の灰がまかれている』

 

 おぞましい咆哮の連続にジェイは本能的な危機を察して目覚めた。自由に動かせるのは思考のみだが、魔道士は頭だけでも仕事はできる。

 より早く回復するためにジェイは体内に侵入した物質を意識的に解析した。多様な毒が検出された一方で、不自然にも無意味な塵が多かった。

 

『遺灰を毛皮と粉に見立てた「灰遺纏獣」か』

 

 「ウェアウルフ」、人狼変化に狼の毛皮は必須である。種としての人狼の実態とは異なるが、かつては狼の毛皮を被ることで人は人狼に変化すると信じられていたため、多くの人狼変化の魔術は毛皮を被ることを儀式として成立させている。そして「ゾンビパウダー」は特殊な粉末を塗り込むことで死者、生者を動く死体に変える伝承忌術である。

 どちらも生者を変化させるという一点では同じであるため、組み合わせる伝承としては相性が良い。

 

『妨害は?』

『できるよ』

『任せる』

 

 念話を切る。

 宝剣が遠ざかっていくが気にしない。視認せずとも正確な位置が把握できている。

 

「……大丈夫?」

「手足は外科手術をしないとちょっとまずい」

 

 リナとシャロがウィルを覗き込む。心配げな金色の人狼に古き貴族は淡白だった。

 

「意外に元気そうね」

「どこがだよ」

「私に比べたらの話」

 

 リナの碧眼は怖いくらいに澄んでいる。

 瀕死のため余分な反応ができないのだろう。

 

「寝とけよ。決着は俺が着けるし、後の警戒はシャロがする」

「そう。じゃあ、ウィルに一つだけ」

「なに?」

「シャロの血縁を保護するようにリーヌスに言っといて」

 

 シャロの腕の中でリナが目を閉じる。気絶したように眠る。弛緩した体をシャロは改めて抱え直した。

 

「……決着って、もう着いたのじゃないのかな」

 

 シャロはアリーナを見渡した。

 アルハンコの部隊員以外の襲撃者は皆、見える範囲から消えている。金色の人狼の知覚にも敵意のある者は感じられない。

 

「言い方が悪かった。着けるのは落とし前だな」

 

 言いつつ、ウィルは人狼の死体から魔術で首を斬り落とし、自身の左手に集めた。

 

「……悪趣味だね」

「そりゃそうだ」

 

 人狼の貌は誰もが苦悶に歪んでいる。

 ウィルは不出来な面だと感じた。魔術を使い脳の電位と記録を読み取りにかかる。

 

「俺は古き貴族だ。実のところ、悪趣味の最先端だぜ?」

 

 誰に向けるでもない嘲笑を浮かべる。

 金色の人狼は、シャロは。はっきりと哀れみの表情を浮かべた。

 

 

 

 夢に落ちるように瞼を落とす。

 生きている、息をしている。

 吐き出す空気が熱を帯びる。

 

「『青の灯(ブルー・コーズ)』、起動──」

 

 黒い瞳が世界を映す。

 瞬く間に世界は鮮やかに褪せていく。

 透徹なる■■が、世界を灼く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いかなる結果であれ、その術者は死ぬ。

 アリーナの警備室にただ独り、隻腕隻眼の傭兵は残っていた。

 

『憎いんだろ、アンタ』

 

 最後の人生の転機を思い出す。

 あの日の夕暮れ、彼は黄昏時に悪しき者に出会った。差し出す手と共に友好の証であるはずの笑みは嘲りに歪んでいた。

 

『ちょうど万が一の保険が欲しいんだ。簡単な仕事さ。万が一の時に、この呪文を唱えるだけだ』

 

 アリーナからテロリスト達は全員去って行った。残っている者もいるが、捕まるような間抜けを仲間として歓迎するほど戦場は甘くない。

 失った右腕と右目が疼く。癒えぬ火傷痕が火照る。

 

『万が一が無かった場合? ──その時は好きにすれば良いさ。掛け捨ての保険にかかずるほど親切じゃない』

 

 名も知らぬ悪しき者は悪魔のようだった。

 契約の対価にと未だ仕事を果たしていないにも関わらず富を与えた。彼はその富で久方ぶりの享楽に耽ったが、生きる気力は微塵も湧かなかった。

 つまりもう、彼に未練は無かったのだろう。

 あるいは、あの時に全てを見限っていたか。

 

 淀んだ瞳が魔道書──紙切れの文字列を映す。安物の紙、安物のインク。まるで力を感じられない呪文の文字列に彼は嘲笑する。

 もっと特別なものだと思っていた忌術はありふれた魔術と変わらない。ただ生み出す結果がおぞましいだけだ。

 

「人と変わらないのか、人も変わらないのか」

 

 その言葉を最期に、彼は呪文を唱え始める。

 警備室に敷かれた魔方陣が脈動を始めた。呪文は魔方陣に刻まれた複数の魔術を段階的に起動するためのトリガーだ。結界術の敷設と変わらないなと彼は思う。

 

 忌術も魔術も過程は変わらない。

 だからこそ、彼は僅かでも警戒心を残すべきだった。

 

『──見つけた』

 

 淡く青い光が彼の後方に現れる。彼は気付かない。

 微かに部屋の光彩が変化したことに、彼は気付けなかった。

 

『さ、悪事はここで終わりだ』

 

 淡い光から魔術が行使される。事ここに至り彼は違和感に気付くがもう遅い。

 彼の体が崩れ落ちる。魔方陣は脈動を止める。有機的な魔術の脈動は、それだけで潰えた。

 

『えげつない術式だね。後は呪文を唱えるだけで起動するように準備してある』

 

 淡い光が気絶した彼──隻腕の男を魔術で調べる。

 意識はない。生体反応すらも。ただ黒い靄として可視化するほどに濃縮された魔力が霧散する。

 

『詠唱者の命を魔力に変換する「供犠(くぎ)」の忌術。……酷い厄日だ。一日で三つの忌術を見るなんて』

 

 とんでもないのがバックにいるな、とジェイは考えた。

 

 淡い光はジェイの魔法「思念体」である。淡い光を感覚機能の基点とし、対外及び遠方の認知を可能とする魔法だ。出力は下がるが魔術も行使できる。ゴルハム家によって多種多様な魔術を記録したジェイがだ。

 

 嫌だ嫌だと言いつつ、ジェイは魔方陣と呪文を記録していく。細かい繋ぎは荒く統一性はないが、構成は見事だ。

 

(複数の流派の凄腕を使ったのか)

 

 大規模かつ広範な影響力を持つ組織にしかできない術式の組み方だ。非効率的であるが足取りをごまかすことができる。

 

 精査を追えると同時に魔法を解除し未だ動かすことのできない体へ意識を戻す。すぐに念話でウィルに今見てきたことを伝えるべきだが。

 

 背筋にぞわりとしたものが走る。ウィルが「青の灯(ブルー・コーズ)」を使ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 しくじった。

 ダラフェイは辿り着いた隠れ家で自らの悪手を悟る。

 

(つまんねえ失態だ)

 

 どうにも忌術の完成度を過信したようだった。しっかりと人狼の欠点を残している。

 

 殺せそうなやつから殺せ、という指令はしっかりと伝わっていた。いつ死んでもおかしくないアンナリナを狙い、ステージのど真ん中で孤立した手負いのウィルを狙った。

 

(場所を指定……いや、あの二人は襲うな、と伝えるべきだった)

 

 死兵と古き貴族は死にかけでも安易に狙うべきではない。特に古き貴族、魔道士は頭さえ無事ならば殺人くらいは容易いのだ。殺せる状況を準備できない以上は逃げる他ない。

 

「まったく、そのせいで敵は手負いの魔神が二柱だ。とんでもないやらかしだぞ、ダラフェイ・レオナフ」

 

 鏡に映る自身の顔を見ながらダラフェイは皮肉気に笑う。人狼の状態は解いてある。

 

「なんだ、いつもの顔に戻ったのか」

「……あのままじゃあ本当に狼になっちまうのでね」

 

 ダラフェイのいた洗面所にエスタが現れた。

 

「そんなにまずいのか。人狼になり続けることは」

「よろしくないですわ。感情的になっちまいます」

 

 喫茶店での一幕を思い出す。

 シャーロッテが暴力を振るう時に振舞いをそっくり変えたのは、感情的になり易いことへの対策だ。暴力を振るう時、意識的に感情を殺さなければ衝動にのまれかねない。

 

(となるとまあ、あの嬢ちゃんが我を失って暴れる可能性は皆無か)

 

 一番楽なのはそうなることだ。どの道皆殺しにする予定なのだ。手間と罪を擦り付けることができればそれが一番だ。

 

(保険は置いているには置いているが、魔神将候補が目を覚ました以上、機能しない可能性が高い)

 

 加えて足が付かないようにはしているが、あのスレイ家相手には最悪バレる可能性がある。そうなってはもう一度潜らなくてはならない。こればかりは何としてでも避けたい。

 

「……そうか」

 

 それを聴き、エスタは黙り込んだ。

 

「ところで、シャーロッテ君はどうなったかわかるかい?」

「裏切りました。宝剣は確保できましたが、ウィルフレッドはそのまんまです」

「……宝剣が確保できたのならばそれでいい。大事なのは宝剣だ」

 

 ふむ、とダラフェイは考える。

 象徴が手に入れば兵を集めやすくなる。少なくとも王の暁教団の信者は増えるだろう。

 

(できればウィルフレッドは始末しておきたかったが)

 

 肌感覚で分かる。あれは敵対してはならぬ類の怪物だ。殺せるうちに殺すべき化け物だ。この機会を逃したことは今後ずっと悔やむことになるだろう。

 

(しかしまあ、どうにかやるしかないわな)

 

「ところで、その手元の水をいただいても?」

「ああ。元々これは君に渡すつもりのものだ」

 

 エスタはダラフェイへ向けて水筒を投げた。

 

「ああ、どうも──」

 

 中空の水筒の動きが緩慢になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────魔剣、再演

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、嫌な予感がした。

 耳を澄ます。聞こえない。人狼になる。

 

 何かが近づいてくる音が聞こえてく──。

 

 危機感のまま拳を振るう。

 

 壁を突き破り、剣がダラフェイ目掛けて高速で飛来してきている──。

 

(──剣っ!?)

 

 なんで、どうして。

 そんな疑問は危機感の前に燃え尽きる。剣は心臓目掛けて迫ってきている。弾かなければ貫かれて死ぬ。この速度だ、相当な威力で撃ち出されてきている。

 

(間に合う──剣身を──)

 

 叩けば。叩いて、逸らせば。

 

 間に合う──間に合って、拳が。

 剣身に、触れて──。

 

 

 ──剣に青が灯る。

 

 

 触れた拳が燃え上がる。

 青く輝く剣身に触れる拳が灰と化す。

 

(────)

 

 呆然とする。

 熱を感じる暇すらない。

 青き剣は拳を灰にして、黒い人狼の心臓に突き立った。

 

「──ダラフェイ?」

 

 それを、エスタは認識できなかった。

 いつの間にか洗面所には大穴が空き、黒い人狼が壁に縫い付けられている。胸に剣が突き刺さっている。

 

「お──ご──ォ──ぉ……」

 

 黒い人狼が苦し気に悶え、口から血を吐いている。

 正気に戻ったエスタはすぐさま黒い人狼の胸に刺さる剣の柄に手をかけた。

 

「──っ……!」

 

 剣の柄は灼熱していた。

 手の皮が焼ける臭いがする。頭を貫く激痛を堪え、エスタはダラフェイから剣を引き抜き、投げ捨てた。

 

「ダラフェイ! ……!?」

 

 痛みに悶える黒い人狼を横たわらせ、胸の傷跡を見る。

 血が出ていない。代わりに吐き気を催す、肉の焼ける臭いがした。

 

「『冷却』」

 

 水筒を引き寄せ、水を過冷却しながらダラフェイにかける。水はすぐさま蒸散し、水蒸気が辺りに立ち込める。

 

「呪いか……!」

 

 あの剣に呪いの魔術がかけられていたのだろう。

 いかな魔術かはまったく不明だが、エスタは神父である。

 すぐさま「冷却」の魔術を「聖別」に切り替え、聖水を用いた解呪を試みる。

 

「──やめておけ」

 

 不意に、声が聞こえた。

 気温が下がり、水蒸気が霧に変わる。

 靄がかる白の向こうに、誰かがいる。

 

「火傷をするぞ」

「うるさい」

 

 エスタはダラフェイから視線を逸らさず、無意味な忠告を一言で切って捨てた。

 

「堪えてくれ、ダラフェイ」

 

 ダラフェイは歯を食いしばりながらエスタの横顔を見る。

 初めて見る表情だった。平時の穏やかな相貌とは程遠く、思わず姿勢を正すほどにその双眸は鋭い。

 

 独特の韻を踏む祝詞が響く。心臓より霧に漂う邪気が払われる。

 ──だがそれまでだ。使った聖水は片端から蒸発し、ダラフェイの痛みが和らぐことはない。

 

「……クソが」

 

 ダラフェイは激痛に霞む頭で術者を悟る。あの古き貴族だ。

 正真正銘の聖職者の儀式を跳ね除ける呪いを行使できる存在は他にはない。

 

「──っ」

 

 一際強い蒸気がエスタの頬を撫でる。それだけで頬の肉は引きつり火傷を負う。

 エスタは手に負えない呪いであることを理解した。

 だがそれでも手を止めることはない。ただ愚直に自身が知る限りの祝詞を唱え続ける。

 

 そこに、霧の向こうより誰かの手が翳される。

 

「邪魔を──」

 

 エスタは霧の向こうから現れた男に文句を言おうと顔を上げる。

 上げて、止まる。

 

「───」

「世界を燃やすほどの熱だ。神に赦しを乞う言葉で消えるはずがない」

 

 その声を思い出す。

 かつての静けさ、穏やかさとは程遠いが、その芯にあるものを忘れることはない。

 

 時が止まったようだった。

 固まるエスタの体に、霜が降りる。

 

「さあ、語ってもらうぞ。ダラフェイを名乗る『悪しき者(ワースワン)』よ。貴様の仲間はどこにいる?」

 

 時が凍えるほどの静謐を纏う男が告げる。

 聖職者が手を尽くして解けぬ呪いを凍らせながら。

 

「テオドール……」

 

 エスタは男のかつての名を呟いた。

 

 《零落剣》セオ・ルーチェス。

 かつて黒装束を纏っていた男は、今は修道騎士の衣を纏っていた。

 

「──ハ」

 

 ダラフェイはとりあえず笑った。バレている。

 問いに答えず言葉をかける。

 

「アンタご執心の宝剣を確保した。協力してくれるかい?」

「答えなければ惨たらしく殺す」

「答えても殺すくせに」

 

 その言葉をエスタは理解できなかった。

 やさしいひとの面影が、理解しがたい言葉を口にしている。

 

「介錯は必要だろう」

 

 凍える青い瞳にダラフェイは恐怖する。

 セオは今、文字通りにダラフェイの心臓を掴んでいる。未だ燻ぶる呪いの熱を冷気で相殺している。

 

「助けてくれよ」

「技術的に不可能だ」

 

 いかな人類最強であれ、魔道においてセオが古き貴族に勝ることはない。

 

「その忌術ももう使うべきではない。我が同志の言伝だ。使えば魔神未満の犬畜生になる」

 

 ダラフェイが使える手札はもう体に刻んだ「灰遺纏獣」のみである。

 トラブルへの保険は何重にも用意していたが、軍属の上位実力者十五名に隙を突かれては奥の手を使う他はなく、隠れ家にまで凝った仕込みをするともなればそもそもの計画にムリがある。

 

(そりゃ複数回の「変態」は頭がイカれる)

 

 「変態」の忌術は人格の連続性を保証しない。肉体に変異を促す以上は脳機能の変異を避けられず、それをコントロールできるほど人知は進んでいない。

 

 そんな当然のことを、なぜ口にしたのか。

 

 凍える瞳は青く澄んでいる。

 人類最強の一人がそんなムダをするはずがない。

 青い瞳はじっとダラフェイを見つめている。

 

 見つめて、いる。

 

「──アンタ、予言者と組んだな?」

 

 「月哮」は使えない。だが肉体性能は向上している。

 最悪のヒラメキにより危機感に総毛立つ。

 

「誰と組んだと思う? ダラフェイ・レオナフを名乗る者よ」

 

 ダラフェイは爪を振るい、セオにより腕が斬り飛ばされ、心臓を潰された。

 同時にもう一方の腕で床を崩落させ、足の踏ん張りが利かなくなるようにする。

 

「床がっ!?」

 

 突然の浮遊感に驚くエスタを、ダラフェイの予想通りにセオは回収した。

 下に落ちるダラフェイとは対照的にセオは留まり、エスタは崩れなかった床に放り出される。

 

 青い瞳は黒い人狼を捉えている。

 互いに中空にあり、僅かながらも距離を離せた。片腕は必要経費だ。何としてもすぐにセオの目から逃れなければならない。

 

「そうだ。知っているからこそ、貴様は私から逃げなければならない」

 

 「未来予知」の魔術において、最も必要なものは情報である。「占い」の伝承と魔術を下敷きにしているとはいえ、その本質は帰納法による予測である。

 

 だから《零落剣》は無駄口を叩いたのだ。僅かでもダラフェイから反応を引き出し、予言者により正確な「未来予知」を行わせ「ワースワンズ」の残党を探し出す。これがセオの目的だ。

 

(変装して潜り込んでいたな。たったあれだけの会話じゃ「未来予知」は不可能だ。こうして直接の接触を図ってきた以上、より詳細な反応を引き出そうとしてくるだろう)

 

 心臓のあった場所から灼けていく。このままでは死は免れない。より強い何かでこの呪いを上書きしない限りは──。

 

「『灰遺纏獣────」

 

 中空。ギリギリ《零落剣》の必殺が届かない間合い。

 

 ダラフェイは即座に再びの忌術を起動する。生命の危機から魔力が猛り、体に刻んだ魔方陣がスパークする。最初の忌術により歪んだのだろう。暴発による死の危険が過るが、眼前の死神に比べれば温すぎる。

 

 《零落剣》はダラフェイとの距離を既に詰めていた。

 予想して置いていた爪の攻撃は、条理上限を突破した一閃により容易く斬り飛ばされる。

 

(化け物め)

 

 人狼の身体能力に人間が勝ることは無い。筋力も、反応速度も。魔道による強化は人狼もできるためその差を埋めることはまずできない。

 だが《零落剣》は一方的に人狼を斬り刻む。ただできるからという理由なき道理で、勝てるはずの無い土俵で理不尽を成す。《零落剣》の人類最強たる所以は、この理不尽に他ならない。

 

(だが、同時攻撃は防げないだろう)

 

 腕が再生する。置いた爪の攻撃はまだ振り切っておらず、瞬時に構成された爪が《零落剣》を襲う。

 胸が膨らみ、口が開く。削れる何かを代償に「月哮」を《零落剣》へ放つ。

 

 腕を斬れば「月哮」が防げず、首を断てば爪に斬り裂かれる。

 《零落剣》は無敵ではない。無敵であれば攻撃など防がない。仮に無敵であれば魔神のように潤沢な魔力による障壁を頼りに攻撃し続けるだろう。

 

 殺せれば最上、足を鈍らせ逃げ出せれば御の字。最悪ダラフェイ自身が死んでも構わない。その時は隠滅用の爆破術式により脳が攪拌される。死後に情報が抜き出される心配はない。

 

「──魔術法執行『森羅零落・万象無間(ジ・アブソリュート)』」

 

 刹那に満たず人狼は終わる。予兆なく広がったセオの蓋世結界は、ダラフェイの全身を飲み込むと同時に凍てつかせた。

 人狼の氷像は首を断たれ、そのまま床に叩きつけられ粉々に砕け散る。

 

「だから言ったのだ。答えなければ惨たらしく殺す、と」

 

 掴んだ人狼の首に告げる。「月哮」を放つ直前の勝利の確信に満ちた首は躍動感に溢れていた。

 

 剣を鞘に納め、何もない空中を歩く。

 

「ダラフェイ、無事──か……?」

 

 エスタは穴の縁に駆け寄り、セオの手にある首を見た。黒い人狼の首だ。

 見開かれた目が細められる。

 

「なぜ殺した」

「二度目の『変態』だ。十中八九理性が狂う」

 

 セオはエスタの隣を歩き穴から離れて行く。抗議のためエスタはセオの後を追う。

 

「確かめずに殺しただろう。君なら殺さずに捕らえることができたはずだ」

「ダラフェイを名乗る男が『ワースワンズ』の幹部でなければそうしていた」

「──は?」

 

 エスタの思考は停止した。「ワースワンズ」の名は知っている。数年前急に存在が公になり、すぐさま壊滅させられた大規模な犯罪連盟である。

 

「創設者がまだ生きている。当時の幹部ではなかったために後回しにされ、その間に逃げられた」

「待て。それでは、まさか……?」

「『ワースワンズ』は滅んでいない。よく似た組織が新たに生まれている」

「待て、待ってくれ……」

 

 エスタは壁にもたれかかり、ずるずると落ちていった。

 もしそれが真実ならば、これまで自身がしでかしたことは──。

 

「利用されたんだ、君は。新生『ワースワンズ』の幹部に」

「……テオドール。冗談、だろう……?」

「冗談だと言いたいよ、フリーバリ」

 

 エスタは青い瞳を見上げた。凍えるような静謐が自身を見下ろしている。

 

「フリーバリ。なぜ、宝剣を求めた?」

「……哀れに思ったからだ、あの子が」

「それだけではないだろう。それだけならば、君は彼の後援者となっていたはずだ」

 

 青い瞳が見下ろしている。

 かつての面影は凍えている。裁判官のようだ。

 

「君に並びたかった。……きっと、これが一番の理由だろう」

 

 エスタは取り繕うことなく、本音を吐き出した。

 エスタは王になりたいわけではない。彼の目的は人々の助けになることだ。王になる必要も、何者かになる必要もない。

 

「君は俺の友達だ。並びたいと思うのは当然だろう」

 

 セオはエスタの言葉を受け止め沈黙した。

 青い瞳は揺らぐことなく、かつての面影を残したままエスタを見据えている。

 

「そうだな、君はそういう人間だ。確かに、王などと孤高の存在に至れば、私に見劣りすることは無い。一般に私と同じ地平にあると言えるだろう」

「……違うと、そう言いたいのか、君は」

「ああ、違うとも」

 

 青い瞳は凍えている。

 

「私と君は違う生き物だ」

 

 かつての面影は何も変わらない。

 

「我々が並ぶことはない。君が私の親友であり続ける限り、善行を以て司祭に至ったからには」

 

 かつての親友は親友のままだ。

 孤独を愛し、個々に寄り添える優しいひと。

 孤高のままに人を救うひと。

 輪に加わらず、けれど。

 

「人の不幸を悲しみ心を痛める君が、悲しみを感じるだけの私に並ぶことはない」

 

 エスタはテオドールのことを良く知っている。

 《零落剣》が数々の戦場を平定させたことを知っている。

 

「君は優しい人だよ」

「そうだ、私は一般には優しい人だとも」

「心を痛めないからといって私と違うはずがない」

「いいや、その一点を以て私と君は異なる」

 

 青い瞳が横に動く。

 視線の先には剣が落ちている。……ダラフェイを貫いた剣だ、エスタが求めた宝剣だった。

 

「なぜ確保しない?」

「……気が動転していたんだ」

 

 エスタは動かなかった。座り込んだまま眺めるだけだ。

 諦めたように、力が抜けている。

 

「君に王の資質は無い。人死にを尊い犠牲と言えない君が、王に至ることはない」

「そうか。……君が言うのならば、きっとそうなのだろうな」

「少なくとも私の知るフリーバリではないな」

 

 セオは手を翳し、宝剣を引き寄せようとした。

 宝剣は一瞬だけセオの元へ浮かび、次の瞬間には天井を突き破り、本来の持ち主の元へ戻って行った。

 

「君に捕まってしまったな」

「似合わないことをするからだ。大根でももっと自分を殺すだろう」

 

 隠れ家は既に制圧されていた。

 これだけの大音を出しながら、誰一人としてエスタを守りに来ないのがその証左だ。

 

「彼らの期待を裏切ってしまった」

「私の期待通りではあるな」

 

 遠くからサイレンが聞こえる。

 エスタを護送しに来たのだろう。

 

「それで、今の君は誰の味方なのかな? アルハンコ曹長かい?」

「いいや。故人に想いを寄せる夢見人だ」

 

 セオはエスタに手を翳す。

 独特の魔力のうねりがセオの手の平に集中する。

 

「依頼だ。私のことを大っぴらに話されては困る」

「暇になる人間の楽しみを取るなんて酷い人だな、君は」

「今更だろう。心が痛むのならば、事ここに至るまで放置することはない」

 

 それもそうだな、とエスタは思った。

 思って、それを最後に夢に落ちる。

 

 近づくサイレンの中、静謐が動く。

 漂う冷気は既に散り、青い瞳の凍える男は何も残すことなくその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

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