テロに遭って意識不明の重体から目が覚めたら、国宝に選ばれていた挙句、付き合って半年の恋人ができた件   作:すすきみつよし

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副題:ウィルは見た
アンケートありがとうございました。









15.Ⅷ:侵入者

 

 

 

 

 

 

 

「ははは! ウィル君は口がうまいなぁ!」

「ありがとうございます。これも親の教育の賜物ですよ」

 

 赤ら顔の酔っぱらいを相手に、ウィルは人好きのする笑顔を浮かべていた。

 

「いやいや、人の評判は意外にあてにならないな。巷で騒がれているほど悪い子には見えないよ。ヴィゴからは友人が少ないと聞いたが、実のところ多いんじゃないか?」

「まさか。少ないですよ。ですがヴィゴを含め、好い友人には恵まれています」

「ははは! 本当に口がうまいなぁ!」

 

 椅子に深く腰掛けたまま赤ら顔の酔っぱらい、ヴィゴの父親は楽し気に笑い、ばしばしと自分の膝を叩いていた。ウィルが車椅子に座っていなければ肩を組んでばしばしと肩を叩いていたことだろう。

 

 そんな近年稀にみる父親の上機嫌っぷりをヴィゴの母親は微笑みながら、ヴィゴは口をきゅっと引き結びながら見ていた。

 

(お前なにが狙いなんや──!?)

 

 

 思い起こすは夕方のやり取りである。ラウンジでの会話もそろそろお開きとなる頃、ウィルは唐突にこんなことを言い出した。

 

「なあ、今夜空いてる?」

 

 この一言が全てのきっかけだった。

 

「ネトゲか? ええで」

「いや。ヴィゴの親御さんとお話がしたいからさ、こっちに呼んでくれよ」

「……訊くだけ訊いてみるわ」

 

 などというやり取りの後。

 ウィルは空いている特別個室の一室にヴィゴとその一家を今晩宿泊させることの許可を取り、「それならまあ……」といった感じのボーストレーム家との会話の場をあっさりと設けた。

 

 

(いや、ほんま何が狙いやねん)

 

 ヴィゴは常とは異なる様子の二人を見て混乱の極みにあった。

 父親はまあいい。平時は穏やかで落ち着いている父親もお酒が入れば大きな声で笑うこともある。ヴィゴが成績優秀者として軍学校高等部に進学した時よりも上機嫌なのは少し言いたいことはあるが、今日は激動の一日であり、そのストレスから解放された反動だろうと納得できる理由は用意できる。

 問題はウィルである。

 

 人好きのする微笑みをずっと浮かべている。やや青白く不健康そうな顔色はその笑顔に健気さを添えている。

 口調も所作も丁寧で穏やかだ。いつもの吐き捨てるような言動が一切無い。

 

 端的に言って不気味だった。同時になぜいつもそうしないのかとちょっと腹立たしくもある。

 

(リナちゃんがあんな目をするのも自然やな、これ。……理由は後で聞くとして)

 

 長くない付き合いだが、ウィルが無暗に人に迷惑をかけたがらないことは察している。

 ボーストレーム家はただ裕福なだけの一般家庭だ。権力との距離は近くない。今はヴィゴの優秀な成績からローン審査などでちょっと贔屓目に見てもらえる程度で、誰かに便宜を図れるような立場ではない。

 政争に巻き込まれることはないだろうが、それでも意図は聞いておく必要がある。こうして家族と会話することが客観的にどう見られるかは把握しておかなくてはならない。

 

(あとでテュコにも訊いとかななー……)

 

 だからこそ解せない。

 ボーストレーム家と付き合うメリットは皆無である。せいぜいがヴィゴとの付き合いに難色を示されなくなることくらいだ。ウィルが将来持つらしい研究所への出資も期待できない。

 

 ある種の地盤固めととれなくもないが、今休むべき体にムリをさせてまですることではない。

 

 ウィルが何を考えているか全くわからないまま時間は過ぎていく。

 日付が変わる前、ヴィゴの父親が静かになり始めたところでお開きとなった。

 

「それではおやすみなさい。またゆっくりお話しできる日を楽しみにしています」

「おやすみ。お大事にね。ウィル君の体がしっかり治ったら、改めてうちに招待するよ」

「ぜひ。楽しみにさせていただきますね」

 

 ヴィゴは部屋の入口までウィルを見送る。

 

「ここまででいい」

「ええんか? 短い距離やけど、念力で動かし続けるのもしんどいやろ」

「リナの様子を見に行く」

 

 そう言うウィルの表情はいつものものになっていた。

 ヴィゴはその表情にほっとし、複雑な気分になった。

 

「押して行こか? どうせ今夜はずっと起きとく予定やったし」

「なんだそれ。彼女と電話か?」

「はははまじでしばいたろか。

 ちゃうよ。今、特殊部隊の人来てんのやろ。ちょっと詰め所にいれさせてもろて、警護の仕方とかこれを機に経験しときたかったんよ」

「大人しく寝とけよ」

「お前に言われたないわ。ま、今日は大人しくおとんを介抱しとくわ」

「そうしとけ」

「暇なら連絡くれてもええで。もしかしたら起きてるやろし」

「おっと。これは狙われてるかな?」

「なわけあるかい。ふっつーにタイプとちゃうわ」

「だろうな」

 

 ウィルは皮肉気に笑う。ヴィゴはいつもの調子が出て来たなと思う。

 

「お休み、お大事にな」

「ヴィゴこそ、しっかり休めよ」

 

 ヴィゴは常夜灯に照らされるウィルを見送って扉を閉めた。

 

 

 ウィルはしっかりと閉まった扉を確認して、リナのいる集中治療室へと移動した。

 婚約者という立場のために渡されたカードキーで鍵を開け室内へ入る。

 

 集中治療室は白かった。

 一通りの手術を終えたリナは様々な器具に繋がれてその生命を維持している。

 

 二人きりの病室に車椅子の駆動音が響く。

 生きていることを示す電子音と電動モーターの音が静かな夜に混ざり合う。

 

「彼女が貴方の婚約者か。なるほど、愛らしい少女だ」

 

 無音は静かな声に沈む。

 ウィルにしか聞こえない声で精霊が語り掛ける。同時に、その姿を現した。

 

 深い紫色の髪、輝く黄金の瞳。白磁の如き美しい肌。

 現代のパンツスーツに身を包んだ、あまりに文明的な紫金の麗人。

 

「それで? もしや私に治してほしいのかい?」

 

 宙に浮かびながら精霊デリングはウィルの無表情を覗き込んだ。

 

 ウィルは語らない。どころか視線を合わせることもない。焦点はリナだけを捉え、デリングの存在をまるきり文字通りに無視していた。

 

「やれやれ」

 

 デリングはその態度に気分を害した様子は見せず、ただ肩を竦めて大仰に嘆いてみせた。

 どうにも記憶を読み取ったことがウィルにばれているようだった。

 

「そう怒らないでくれ給えよ、親愛なる主人よ。妾に貴方を害する気など全くない」

 

 ウィルは語らない。

 

「現代を詳しく知りたかっただけだ。貴方の好みに身長や肉付き、服を寄せたかっただけさ」

 

 そう語る精霊の姿は蠱惑的だった。腰の位置が高く、優美なシルエットをしている。現代的なパンツスーツがボディラインを一層際立たせていた。

 

「その過程で貴方の大事な記憶に触れたことは謝罪しよう。誰に口外することはない。人でなしの妾とて人の意思、特に我が主人の意思は最大限尊重する。すると誓う」

 

 精霊は真摯に、合わされることのない瞳を見つめながら謝意を口にする。

 

 その態度は誠意に溢れていた。

 人ならざる超常存在が人型のまま人の気持ちに訴えかける所作をすることは前代未聞だ。剣の精霊などというふざけた存在に、人間社会における社交性が身に付くはずもなく、その必要もない。この精霊は魔神相当の怪物である。人に傅くものではなく、人を傅かせる存在だ。

 それがこうして誠意を感じられる態度を示している。外国人が自国の文化に倣っているようだった。

 

 光を飲み込む黒い瞳がここで初めて精霊を捉えた。焦点のみが移動し、デリングの金色の瞳を見据える。

 

「許してくれとは言わない。ただ機会が欲しい。貴方と話し合う機会が」

 

 命が続いていることを示す電子音のみが響く。

 長い沈黙の後、ウィルが口を開いた。

 

「魔神だろう、お前。何千年前に生まれたんだ?」

 

 この宝剣の持ち主とされるヘリャル・アインは神話の存在である。

 紀元前三十六世紀頃に現フランギスタン地方で数多くの伝説を残している。真偽は不確かだが彼は史上初めて文字を重要視した人物であり、紀元前三十五世紀から歴史書が各地で流行り出したのは彼の影響だとされている。

 この魔神はその宝剣に住まう怪物だ。少なくともそれより前の時代の存在だろう。

 

「さて、詳しいことはわからないね。だがルウ・ガルウ……うん、様々な亜人がいた時代には既に生きていた。ランと旅をしていた時にはめっきり減っていたけどね」

 

 亜人。ヒトに似た生き物の俗称である。人狼の祖先もここに含まれる。

 

「ランって誰だ?」

「貴方の前の持ち主だよ」

「ヘリャル・アインじゃないのか」

「…………申し訳ない。誰だかわからないな」

「ランの他に持ち主はいたのか」

「さて。妾と会話したことがある持ち主はランだけだ」

 

 後世の記述で名前と称号が混ざったか。それとも訛ったか、誤字があったか。はるか先の未来に音まで正確に伝えることは難しいのだろう。

 困った顔の麗人をよそにウィルはそう結論付けた。

 

「誰がお前を造った」

「メソメソ君だよ。本名は忘れてしまった」

「なぜ」

「私と会う時、いつもめそめそ泣いていたからかな」

 

 金色の瞳が柔らかく細められる。懐かしむような、慈しむような表情だった。

 

「なぜお前を造った」

 

 その顔から思い出話しか語らないであろうことを察したウィルは、この宝剣の最大の謎を問うた。人類に好意的な魔神をわざわざ剣に繋ぎ止める必要はない。

 

 その質問は予期していたのだろう。

 精霊デリングは佇まいを正し、間を溜めてから堂々と言い放つ。

 

「未来の王を選ぶためさ」

 

 柔らかな月光が紫金の麗人を縁取る。

 一目で恋に落ちかねないほどに幻想的で美しい光景だった。

 

「基準は?」

「強さと資質」

 

 渾身のシチュエーションをあっさりと流されたデリングはしかし、楽しげに答える。

 

「資質はなんだ」

「当然、王様のさ。能力は最悪、妾が補佐をするとして、気質が一番重要だ」

 

 表情の抜け落ちたウィルとは対照的に、デリングはどこまでもにこやかだ。

 

「王様をやる以上、心の持ちようが一番大事だからね。どれほど強かろうと支配者向きではない性格では体より先に思考が停止する」

「お前が魔神として支配すればいい」

「私には反逆者の排斥が限界だ。国のカタチを整えるなんて妾にはとてもとても。イタズラにヒトを全滅させてしまう」

 

 悲しい悲しいと泣き真似をしてみせる。

 

「ヒトを飼いたいなら他を当たれ。興味が無い」

「けれど、意識はしているだろう?」

 

 無情の黒瞳がデリングを見つめる。

 デリングはますます笑みを深めてみせて。

 

「これまで見てきたヒトの中で、貴方が一番王様に向いているよ」

 

 月光に照らされて、紫金の麗人がその資質を言祝ぐ。

 絶世の人型は語らない。

 

 

 

 

 病院の警護は厳重だ。

 見かけこそ変わりは無いが、病院には有数の特殊部隊の精鋭が身分を偽り紛れ込んでいる。当直の医者、看護師、警備員、患者。全員が瀕死のアンナリナを救うべく、彼女だけでなく職員の身の安全も守るための警戒態勢を敷いている。

 要人の受け入れを行う病院であるため平素よりセキュリティは堅牢だが、それに加えてアンナリナの意識が戻るまではこの病院は戦地の要塞と同等のレベルで警護される。大量の兵士でも投入しない限り破られることはないだろう。

 

「あのアルハンコ部隊の代わりを務めるとか、なかなか重責じゃないすか?」

「殴るぞ。感じる理由はアンナリナちゃんの命運にしとけ」

「殴ってから言われても……」

 

 年若い警備員に扮装した特殊部隊員が殴られた箇所をさする。

 彼の上司、殴った隊員はその抗議に一切反応を返さず、警備員らしく夜中の病院を懐中電灯片手に巡回を続ける。

 

「つってもやべえのはスティグさんだけだ、あの部隊は」

「シャロちゃんもやばいって発覚しましたけどねぇ……」

「そのやばいやつを確実に殺せる手段を、毎年上層部に掲示できるスティグさんが一番やばいんだよ」

 

 アルハンコ部隊はその成り立ちからして特殊である。

 表向きは国の英雄の一人であるスティグをより効率的に運用するための部隊であるが、実情は一人の兵士としての訓練を積んだシャーロッテをもしもの時に速やかに抹殺するための部隊である。

 シャーロッテが軍属であることを許されたのは、スティグが彼女の成長に合わせた作戦を毎年練り、軍上層部を納得させ続けたからである。

 彼はその作戦会議に去年初めて参加し、心底から恐怖した。

 

「……毎年ですか」

「ああ」

「毎年……」

 

 年若い隊員は黙った。上司はそれを見て口を開く。

 

「基本戦術は釣り狙撃、囮戦術だな。隊員が時間を稼いで隊長が確実に仕留める。術式構成は結界と障壁に偏重している。ここまでなら警官とそう変わらないが、驚くべきは直接攻撃できる術式が狙撃魔術のみという点か」

「なんすか急に。釣り狙撃が主戦術なのは知ってますけど。……は? 射撃魔術すらないんすか」

「ない。だからもしアルハンコ部隊が他の部隊と撃ち合いになればアルハンコ部隊が一方的に削られる。普通はな」

「あ。その続き聴きたくないです。個が集団をぼこるような例外とか聴きたくありません」

 

 ある演習訓練でアルハンコ部隊はそれをやった。ちょっと調子に乗りつつあった実力派の若手部隊をスティグは一度の演習訓練で一人一人躾けた。

 環境に大きな変化をもたらす現象魔術を制限し障壁と衝撃操作系の魔術のみで行われる、戦場の基礎的な立ち回りを身に着けることを目的とした演習だった。そこでアルハンコ部隊は終始射撃魔術による連射によって一方的に障壁を削られていたが、スティグが一人一人敵を倒し、攻めていた若手部隊が制圧火力の減少と不足に気付いたころに、アルハンコ部隊が数の優位で障壁を張ったまま突進し制圧した。まさしく赤子の手を捻るような演習内容で、その記録を見た上司は若手部隊を酷く気の毒に思った。

 

 とはいえ、実際の戦場……特に魔境ではそう珍しくない話である。突出した個の襲撃によって、部隊が散り散りになった記録など探せばそれなりにでてくる。

 

「世間じゃ公国随一の狙撃兵なんて紹介されているが、やってることは暗殺者なんだよなぁ、あの人」

 

 アルハンコ部隊によるアンナリナの警護は万全だった。魔神クラスの奥の手であるシャーロッテの存在を抜きにしても堅牢と言う他ない。

 部隊員の実力は並程度だが、こと防戦に関しては一級品である。特に攻撃魔術を封じた訓練では隊員は皆、成績上位に位置している。生半可な襲撃者では攻撃は防がれ、位置がバレた状態で潜伏中の狙撃手から奇襲される。狩る側が一転狩られる側になるのだ。たまったものではない。

 

「聴けば聴くほど相手にしたくない手合いスね。狙撃のできる暗殺者とか」

「ま、あの人は本来、ピンで運用した方が強いんだがな。良くも悪くも部隊長であることがネックだ」

「優秀な指揮官ではありますけど、それ以上の狙撃手ですからね。できることが増えても、やらなくちゃいけないことが増えちゃ本末転倒もいいところスよ」

「そういう意味じゃアルハンコ部隊の今の在り方はベストだな。護衛メインのコンセプト部隊。やることが明確な分、指揮の負担が少ない」

 

 最上階の見回りを済ませ、集中治療室のある一つ下の階へ交代しにエレベーターに向かう。その隣の階段で降りるためだ。

 

「そういやここの屋上はヘリポートでしたっけ?」

「なんだ、もう忘れたのか」

「いんえ」

 

 カツカツと二人分の足音が廊下に響いている。警備員に扮した二人は廊下を抜けてエレベーターホールまでたどり着いて、後ろを振り向いた。

 

「侵入は屋上からでも可能って話っすよ」

 

 結界が構築される。侵入者の退路が断たれる。

 

「『銀霞風雪(ダスト・シルヴァリオ)』」

 

 直後、金属粉を含む極低温の吹雪が吹き荒れた。それは過たず一本道の廊下にいた侵入者に直撃し、防御を余儀なくさせる。

 

 冷却と暴風による行動の制限、礫による障壁の強制。屋内戦で多用される魔術だ。風速と狙いに気を付ける必要はあるが、化学反応を起こしにくく、弾かれた時の周囲への損傷が比較的少ない。

 炎や雷は強力だが、有毒ガスや磁場の生成などその影響が大きいため、戦地以外の使用は制限されている。

 

 当然、多用されるだけ対抗手段を備えている者は多い。

 侵入者は特殊部隊員との間に複数の障壁を展開し、雷に打たれた。

 

「使えるようにすんのは当然すね」

 

 吹雪に紛れた銀粉に雷を伝わせた。

 電磁力に特化した結界は既に展開されている。雷や炎は確かに使用を制限されているが、被害をもたらさない状況を準備できればその限りではない。

 

 侵入者が雷に打たれた直後には既に、特殊部隊員の二人が接近している。展開された長方形型の障壁が侵入者と特殊部隊員の間にスライドし、その役割を果たそうとするが、二丁のソードオフショットガンにより瞬く間に砕かれ、侵入者の胴体はハチの巣にされた。

 

「『水槽』」

「『凍結』」

 

 侵入者の男は氷像と化した。

 開戦から五秒ほど。二人の特殊部隊員は常に先手を取り続け、哀れな侵入者に何もさせずに拘束した。

 

「警戒」

「まだいます」

「通信する」

 

 部下に周囲を警戒させつつ、上司は無線通信を行う。警報ボタンを押し、異常を報せるが返事がない。

 

「緊急」

「殺します」

 

 部下は銃弾を装填し、氷像の頭部を散弾銃で吹き飛ばした。これで魔道行使に不可欠な思考能力が消失したので、以降緊急術式による蘇生は叶わない。

 その間に上司は感知魔術を起動し、周囲を探る。

 

「細かな反応が多数。すまん」

「虫使いすね。燃やしますか?」

「頭部を燃やせ」

 

 部下は頭部の欠片を焼却し、上司は取り出したバッジを氷像の胴体に投げた。バッジに刻まれた魔術が起動し、氷像は封印された。

 仮にこれが魔術により動かされていた人形であってももう操作はできない。

 

 特殊部隊員は足早に集中治療室のある階下を目指す。この階にも患者はいるが、より大事なのはアンナリナだ。通信が遮断された以上、急いで彼女の防備を固める必要がある。

 

(スパイがいますかね)

(いるかもな。考えたくないが)

 

 未だ感知はできないが、通信が遮断がされていることから、いつの間にか敵方有利の結界が張られている可能性がある。

 

 装填し直した散弾銃を構え、警戒しながらエレベーター横の階段を降りる。

 懐中電灯を切り、暗視魔術を起動する。本来であれば非常灯が邪魔だが、術者の位置と視界に応じた光量の調整が自動的に行われ、昼間と変わらない鮮明さで院内を進む。あらゆる状況への備えは万全だ。

 

 万全だった。

 

「ばあ」

 

 階段を降りて、エレベーターホールに踏み入った直後、自身の顔を懐中電灯で照らしたピエロが天井から逆様に現れた。

 

 一瞬の判断を挟む間もなく、先頭の上司が散弾銃を撃ち、肉の潰れる音が響く。

 ──上司の前後から。

 

「ヴェサール!」

 

 部下の名を呼ぶ。返事はない。

 上司は頭部を失い落ちるピエロから警戒を切らず、けれど後ろを振り返って。

 

「ばあ」

 

 悪趣味な。

 縦に裂けた巨大なピエロの顔に食べられた。

 

 

 

 

 

 ばくん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぶちゅぶちゅ。

 ばりばり。

 べちゃべちゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生理的嫌悪を催す水音がエレベーターホールに響く。

 

「なぜ咀嚼音は気持ち悪いと思う?」

 

「生き物は同じ生き物の音を嫌い、避けて生きてきたからだ」

 

「中でも肉を食べる音は特にまずい。なぜならば肉食獣がいるからだ。この身が肉である以上、食われる恐れがある」

 

「もちろん、食事中は無防備だからそこを狙う生き物もいるだろう。だがそれは危険なことだ。食料の略奪とは即ち生存を害する行為だ。仕留め損なえば、そこから先は殺し合いだ」

 

 ウィィィイン。

 電動モーターの音が水音に混ざる。

 血を被った非常灯が命知らずの姿を映す。

 

「だから、なあ」

 

 四体の死体が無数の触手にもてあそばれ、その下の大きな口にもがれた肉片を落とされ、食われていた。

 文明的な建物にそぐわない、原始的で冒涜的な食事風景だ。

 目の前で同胞を踊り食いされるエビの気分だった。

 

 絶世の人型は何も語らず、黒い瞳を侵入者に向ける。

 

「退いてくれよ、ウィルフレッド・スレイ。おれのターゲットはお前の恋人で、お前に用はないんだ」

 

 食事中の殺人鬼が警告した。

 

 

 

 

 

 

 

 

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