テロに遭って意識不明の重体から目が覚めたら、国宝に選ばれていた挙句、付き合って半年の恋人ができた件 作:すすきみつよし
──君はいずれ世界を壊す。
そんなことはわかっている。
ウィルはあの後、リナのいる集中治療室に居座ることにした。護衛しかいないあの部屋に戻るより、ここにいる方がマシだった。
虚ろな瞳が意識の無いリナを写す。リナの向こう側には月光を受けたデリングが佇んでいた。美人は画になるな、とぼんやりと思う。だがこれは幻覚だ。こんな時間に月明かりは無い。
「いいのかい、寝なくて。明日は学校なのだろう?」
「休む。数日は気分が悪い」
セオから聴いた話は手に負えない厄介事だ。リーヌスがスティグから「悪しき杖」の情報を聴いているため、国全体で事にあたるはずだが、そもそもファーディナンドが暴くまで認知されなかった組織である。どこまで対応できるかは不明だ。
「悪しき杖」は組織と呼ぶのも憚られる曖昧な集まりである。当時中核を成していた最大派閥の中心人物達はのきなみ捕まり、そのノウハウも国に接収されたが、全て国や組織にとってはありふれた仕組みに過ぎなかった。
足跡を辿られにくい密談の方法と法律の脆弱性の利用方法。法に触れずに楽をする、楽ができる法を作る。真新しさは全くない由緒正しき勉強会だ。その過程で知り合った組織と後に公的な場で交流するのも全く伝統的である。
「貴方の兄君について調べたが」
「……」
「勝手に動くな、という抗議は受け付けないよ。私も知性体だ、暇を持て余すこともある」
「どうやって調べた」
「回線を拾わせて貰った。便利だね、今の世は」
ウィルは自身の端末の使用状況を見返して頭痛が増した。この魔神は端末も無しに電子情報にアクセスできるらしい。セキュリティに引っかかった様子の無さからこの魔神の脅威度は計り知れない。
父コンラッドに電子戦に特化した魔術の研究を勧めることをウィルは決意した。
「凄まじい。対立しようものならこの身は滅ぶだろう。致命的に相性が悪い」
デリングと名乗る魔神は実体が可変だ。こうして美女の形を成しているのはデリング自身の好みに過ぎない。本体は魔道でしか干渉できない虚空に投射された情報と、その情報を記録している媒体の二つである。精霊型と呼称される魔神にしては珍しい生態の個体だ。
討伐手段は精霊型の魔物と同様、投射情報と記録媒体の同時破壊のみである。
「……だろうな」
一方、ファーディナンドはそうした精霊型と相性が良い。彼の魔法は脳機能の強化に特化しており、魔道を行使するに当たり重要な資質である情報の処理能力が極めて高い。投射情報を捕縛して解体し、その記録からもう一つの本体までを辿って破壊することは彼にとって容易い。常人にはできない芸当だ。
魔道の異端であるスレイ家であっても手に負えない天才である。
「その『悪しき杖』とやらは兄君と同じ手法で捕らえることは難しいのかな?」
「難しい。向こうも予言者を抱えているだろうし、対策も徹底しているはずだ」
「……ふむ。だが兄君はその予言者達を出し抜いているのではないか? 彼が壊滅させたのだろう」
予言者とは「予知」に特化した魔道士の職業だ。戦闘など咄嗟の判断力が重要なことできないものの、時間をかけた深読みが許される事象であれば無類の強さを発揮する。大きな組織は必ず一人は抱え、国は雇えるだけ雇っている。
「あれは純粋な力業だ。兄自身の強さがあってこその所業だ」
予言者の命は狙われがちだ。どんな予言者とて人であるため、命を危険に晒してまでありふれたワルの集まりを刺激したくはない。
百数年後はともかく数十年は大きな変化はないのだ。孫や子の世代は大変だとは思うが、必ずしも不幸になるとは限らないし、今従順な姿勢を見せていれば見逃してくれる。彼らは金をとる対象は誰だって構わないのだ。わざわざ見せしめになりにいく必要はない。
腐らせることで数十年を豊かに暮らせるのなら誰だって見逃す。
だからファーディナンドは腐る未来を全て摘み取った。
「全ての予言者が見る未来を固定させて、一つ一つ悪事を暴いていく」
言葉にするのは簡単だがあんまりな力業だった。明かし、暴き、屈服させる。将来を嘱望されるほどの実力を持つ古き貴族だからこそできた芸当だ。
悪とは大衆の秩序に依存する少数の異なる秩序である。秩序に反した行いによって利益を得るという法則性を有し、不可解な過程に依って少数に都合の良い結果をもたらす。暴かれれば大衆に嬲られる秩序と言い換えて構わない。
未だ罪を背負っていないファーディナンドにとっては実に倒し易い敵だった。
凡俗の秘した秩序も解く手順も見え透いている。秩序の内で争おうと、秩序の外で争おうと勝利の結果は確実だ。
頭で敵うはずもない彼らの敗因は暴力不足であり、魔神を殺せる戦力を用意できれば結果は異なっていた。
「そんな芸当ができるのは後にも先にも兄くらいだよ。俺にはできない」
瞼を落とす。
当時、兄が家を長く空けていたことを思い出す。ほぼ毎日電話やメールでやり取りしていたが、それでも唯一真っ当に優しい、尊敬できる兄がいないことは寂しかった。近況は何となく知っていたし、兄が家に送ってきた年上の少女から兄の様子を聴きもした。
彼は毎日何かしらの悪事を暴いていたらしい。保護された人々は増減を繰り返しつつも一定に保たれていた。彼女はきっかり一週間後に他の人々と同じく他の施設……当時のスレイ家に送られたらしい。
「予言者をこちらも集めるのは?」
「現実的じゃない。予言者を安心させるだけの戦力を集められない」
加えて仮に集めた場合、ウィルフレッド・スレイは国々に睨まれる。そもそもウィル個人がその能力からマークされている。こうして自由に未成年のモラトリアムを満喫できていることが帝国と公国の譲歩である。
実のことろウィルはシャロと大差ないのだ。異なるのは自由に振舞えるだけの後ろ盾となる権力の有無のみだ。
「それは貴方のみの話だろう」
「お前は使わん。俺が死ぬまで死蔵だ」
「提案を口にするくらい許してくれても良くないかな」
「断るから時間のムダだ」
ウィルはデリングを使わないと決めている。王剣は用いない。これは今世紀どころか太古から埋まっている厄ネタの引き金だ。名前の交換もすることはない。
悪い予感がする。仮に頼れば今の生活は木っ端微塵に砕け散るだろう。
「釣れないな、ご主人は」
月下の美人が寂しそうな顔をする。
「では、貴方の婚約者に協力を仰ぐのはどうだろうか?」
「どの道そうなる」
本来「悪しき杖」は甘い汁を吸うだけの繋がりだが、セオの言葉を信じるならば公国に害をなす。利益を優先するならばウィルの周囲の人物に手を出すはずもないが、人間は思うより感情で動く生き物だ。いかに非効率的でも備えて然るべきだろう。
その場合、公国は間違いなく疲弊する。ファーディナンド以外に暴かれなかった「悪しき杖」の実績は本物だ。公国に反意を持つ者はこれ幸いと協力するだろう。
現時点で最も信用できるのは襲撃の被害に遭ったアンナリナとウィルフレッドだ。この二人とその縁者であるリーヌスを中心に公国は対策室を設けることになる。とはいえ、リナとウィルの身分は学生である。実質的にはリーヌスとその腹心が事に当たるだろう。
「ただまあ実際、できることはない。こんなでも身分はまだ学生だ。せいぜいが心に留めておくのが限界だろう」
思考を断ち切る。嫌な話だ。面倒事から逃げるはずが捕まっている。
ウィルはもの言いたげなデリングに気付かないふりをした。藪蛇はつつくべきではない。普通は。
「貴方は──」
口を開こうとしたデリングとは別に、視界の端で緑が跳ねた。
衣擦れの音がする。心電図が覚醒を示す。
「ん……」
月明かりに碧眼が浮かぶ。
/
ウィルは目線一つでデリングを黙らせ、普段の振る舞いを思い出しながら口を開いた。
「おはよう。随分と遅いお目覚めだ」
皮肉気に何でもないように。努めて何も考えないように挨拶を口にした。
「────」
「……。おい」
「……おはよ。貴方はいつも早いのね」
「習慣だよ。鳴らすか?」
「……今深夜よね?」
碧眼が窓の外を向く。紺碧一色のキャンバスからは灯光が漏れている。
「……お水は飲んでいいって?」
「そう聴いてる」
「じゃあ鳴らさない。しんどいでしょ、こんな真夜中」
リナは軽く溜息を零しながら時計を見る。曜日と時間を見て更に深い溜息を零した。ウィルは机の上から用意していた水をリナに渡す。
「ありがと。……何で起きてるのよ、こんな時間まで。明日は学校じゃないの」
「休む。リナが起きたから」
「起きてなかったら?」
「休む。リナがしんぱいだから」
「……半端なお答えをどーも」
白々しい答えだが心配は本物だろう。なんとも質の悪い答えだ。心配なのは確かだが、つきっきりじゃないと不安なほどではないに違いない。
「元気そうだけど、少し痩せたわね」
「……そんなに痩せたか」
「微妙に青白いのよ。それに落ち着き過ぎなの。本調子じゃないのくらいわかるわ」
リナはいつもより柔らかな顔で微笑んで。
「シャロにもそう言われたんじゃない?」
「言われたよ」
ウィルは視線を逸らした。両手を挙げたい気分だった。
「……? ほんとにどうしたのよ、貴方」
「どうとも。少しシャロに謝りたい気分になっただけだ」
「キツいこと言ってないでしょうね。あの子、鈍くて脆いのよ」
「だからだよ。今度菓子折りを持っていくんだ。選ぶのを手伝ってくれ」
リナは目をぱちくりとさせた。
「まあ、いいけど。シャロはなぜか貴方を信用しているんだから、言葉は優しくしてあげてよね」
「……」
「……難しいの?」
「いや、よそ事を考えていた」
それはシャロがウィルの肩書を信じているからだろう。古き貴族の魔神将──単騎で魔神を滅ぼし得る者。
「……ほんと、珍しい」
灯光に陰る彼の顔は憂鬱に沈んでいる。これまで疲れた表情を見せることはあってもどことなく飄然としていた。
なんてことなさそうに、つまらなさそうに。
「何か嫌なことでもあったの?」
「ああ。君の右腕は戻らない」
「そ」下手なごまかし方だ「まあ、あんな使い方したらね」
市井における再生医療はまだ研究段階だ。そっくりなくした右腕を修復できるほどは進んでいない。指の一本程度であれば可能だが、手──五指そのままを元には戻せない。
「そうだな。斬り飛ばされた腕をムリヤリくっつけて使っていたらまだ良かった。むしろ応急処置としては上々で治し易い」
高度な治癒術式と術者が必要になるが、魔道の補助を前提としていたとしても、動かせていたなら完治の望みがある。
「けどあれはムリだ。特権で見せてもらったが酷い有様だ。異物として動かしたろ。ポットパイよろしく神経と筋肉がグズグズだ。ああも融けていたらどうにもならない」
斬られたリナの右腕の中身は融解していた。神経も筋肉もない。たんぱく質を主成分とする粘性の高い液体が詰まっていた。
だからリナの手術はまず右手の形をした異物の切除から始まった。切除は簡単だった。異物はムリヤリ体組織を焼いてくっつけていたものだ。素手でもげるほどに脆かった。
術後は意識が戻らないこと以外は順調だった。
「……考える暇なんてなかったのだけど」
「だろうな。今になって振り返ると逃げるのが正解だったが、あの状況では加点式の満点超えだ」
右腕で済んだのは安上がりだな、とウィルは付け足した。
「…………貴方でも、治すのは難しいかしら」
「忌術の領分だ。できない」
「そう」
黒い瞳が碧眼から逸らされる。
「話は変わるが、シャロは多分殺されない。順調らしい」
「そう。──ありがとう」
「祖母に言うと良い。骨を折ってくれたそうだ」
「夏休みになりそうね」
「祖母は君を気に入っている。元気な姿を見せれば喜ぶだろう」
デブラがリナを気に入っているのは事実だが、言葉はどこか白々しかった。
「ウィル。私は気にしないわ」
「助かるよ」
「恨み言はたくさんあるけど」
「どっちだ」
「どっちもよ。貴方が負い目を感じているようだから、気にしないって言ってあげられるの。
それはそれとして後でなにかおねだりするからね」
軽くなった重い右腕を掲げて、リナはイタズラっぽく微笑んでみせた。
「うなされそうだ」
「良かった。……一生、忘れられない思い出になりそうね?」
「手加減してくれ。俺のせいじゃないぞ」
「そうね。けど、支えてもらわないと。貴方は私の婚約者なんだから」
リナはこの右腕がウィルのせいではないことをきちんと理解している。その責任を押し付ける気もない。
リナもウィルも被害者だ。あの場における損害の責任は加害者であるテロリストにある。贖いをするべきなのも彼らだ。
けれど、右腕を失くしたリナに寄り添うのは彼らではない。
「ウィル」
「なに?」
「私、貴方が好きよ」
「……だから、なに?」
ウィルは怪訝な顔をしている。この流れでの愛の言葉は裏しか感じられない。
変だな、と思いつつリナは言葉をつづけた。
「結婚するなら貴方が良いって話」
「まあ、そうだろうな。そこらの男と比べて優良物件だ。他国の権力者の息子だし、何より顔が良い」
テロリストに襲われた女が手近な強い男に守ってもらおうと媚びている。
露悪的な解釈だがウィルはそう受け取った。リナのイメージにはそぐわないが人間は変節するものだ。
「ごめん。言葉を間違えた。ちょっと考えさせて」
リナは慌てて左手を振って考える。ウィルは怪訝な顔のまま待つ。
「言っておくけど、俺が君を助ける姿勢は変わらない」
「待って」
待たなかった。
「恋人、婚約者、伴侶。どうあろうと見捨てることはしない。寝覚めが悪いし、何より外聞的によろしくない」
「だから待って」
「ムリしなくて良い。俺は君を──」
「待てって言ってるでしょ!」
直後にリナはせき込んだ。ウィルは口を閉じて水を差しだす。
「いい」
「飲んどけ」
「いいから」
「飲め」
いかにも不機嫌な顔で差し出された水をリナは受け取った。険しい視線に晒されるままリナは水を飲み干す。
「落ち着いたな? 続けるぞ」
「少し口を閉じて。先に私に言わせて」
「閉じない。俺は──」
ぐい、と。
リナはウィルの胸元を掴んで引き寄せた。
「うるさい。私の初恋は貴方よ」
引き寄せて、その黒い瞳を真正面から見据えた。
「手放す気なんて、ないから」
灯光が彼の顔を照らす。黒い瞳、滑らかな肌、整い過ぎている容貌。
一目で恋に落ちるのもおかしくないな。比較的理性的な思考が過る。
「優れた魔女は美しい」という警句は真実だ。優れた魔道士は無意識のうちに理想的な体を保つ。「こう在りたい」という普遍的な欲求を魔術未満の魔術が魔道士の体に干渉する。だからこそ美しい魔道士ほど魔力出力が高く魔道行使が正確になり易い。
ウィルフレッド・スレイは文字通りに一目で分かる天才だ。容貌も能力も。一見程度で計れるはずもない能力を計れたと勘違いしてしまうほどに。
だから先のリナの言動を警戒された。
何があったかは知らない。だがウィルフレッドが他人を信じない性格をしていることは知っている。好意を言葉にした瞬間から警戒されたことに遅れて気付いた。
「無用の心配だな。俺も離れる気はないよ」
面倒だし、そんな言葉が聴こえてきそうだった。
リナは怒りを飲み下し、にっこりと笑う。
「心ない言葉をありがとう。もう少し信用してくださる?」
「してるしてる」
「してないでしょ」
リナは溜め息を吐きたくなった。吐いた。左手は放して、とっくにウィルは離れていた。
警戒の色は消えていない。
深呼吸をして、恥ずかしさを堪えて、告白する。
「……一目惚れよ、あの時の貴方に」
「趣味が悪いな」
羞恥に耐えた告白へのウィルの反応にリナの怒りが湧きたった。怒りのままに言葉を吐き出す。
「ええまったく。本当に。あの瞬間の、《零落剣》に立ち向かう貴方が忘れられないからずっっとこれよ。そのせいで半端に態度が悪い男と同棲し続けているし、何度考え直したくなったかわからないわ」
シャロもよく愚痴に付き合ってくれたと本当に思う。延々と同じ話が続いていたはずだ。それを嫌な顔一つせず……さすがに長過ぎるとしていたが、それでも付き合い続けてくれたことには感謝しかない。
「できるくせにやらない辺りにほんっと腹が立つ。取り繕いもしない、けど本音も言わない。面倒くさい察してちゃん……察さないお前がバカって態度で腹が立つわ」
「耳がいた」
「黙って」
リナが睨むとウィルは黙った。
「本当、腹が立つのよ。──私に恋してくれない婚約者を、好きだなんて」
ウィルは黙っている。
黒い瞳を僅かにさ迷わせて、灯光に濡れる碧眼を見て。そして口を開く。
「ああ、好きだよ。人間として好ましい。あれを前にして見据える君を──見据えた君を、死なせたくないと思うほどに」
残酷な告白のために口を開く。
「──けど、君をどうしても欲しいとは思わない」
それは常軌を逸した行為だった。
当然恋には程遠い。どころか生物として狂っている。子や妻ならばいざ知らず、ただの好意で命を懸ける、死に挑むなどとは死を忌避した末に存続した種への冒涜だ。
だがあるいは、人々はそれを無責任に愛や善行と呼ぶだろう。無償の献身、善なる行い。誰かを助けるために脅威に挑む。
ウィルの行いはそう呼称するに相応しいものだ。聖者の如き行い。その内実がどれほど虚無的なものであれ、無私かつ利他の行為であれば素晴らしいものであると。
それがただ、そう教えられたものだとしても。
上流階級に相応しい振舞いと、悪に屈するべきではないという良識──そして、学んだ末に達した、命そのものは無用だとした持論。後に続く行いこそが正しいとした価値観が命を懸けさせた。
「ただ、これは俺の場合だ。リナは好ましい人物だ。長く付き合えるに越したことはない」
フォローのつもりなのだろう。予期していたショックから口を閉ざすリナにウィルは言葉を投げかける。ウィルは嘘を吐いてはいない。語る言葉は全て真実だ。少なくともウィルはリナをそう評価している。
実に良識的な言動だ。実に空々しい。──リナの蟠りの行き場に迷うほどに。
「……お見合い結婚ってこんな感じなのかしらね」
「正確には政略じゃないか」
「…………」
リナは半眼でウィルを睨んだ。ウィルは何が面白いのか笑っている。本当に性格が悪い。
「貴方は何で私が急に告白したと思う?」
「さあ」
「政治家みたいな反応しないでもらえる?」
「まあ、吊り橋効果じゃないか」
ウィルはすっとぼけていた。整理して伝えよう。リナはそう思った。
「よく聞いて。まず、私たちは婚約関係です」
「ああ。嫌い合ってはいない」
「……、私は貴方に助けになって欲しいと思っています」
「助けになるよ」
「──。バカにしてるの?」
「鏡を渡そうか」
「要りません。深夜に合わせ鏡なんてしたらダメでしょ」
直截に伝えるべきだ。理性的な思考がそう囁く。
嫌だと思った。──こんなふざけた舐め腐った態度の男に? 警戒させたのは安易な軽口を叩いたからでは、こいつが叩いてきたのに。
リナの視線がベッド脇の机に滑る。水差しと二つのコップ、充電中の携帯端末。どことなく伺える生活感。消毒液とは異なる馴染み深い人のにおい。
「……貴方、どれくらいの頻度で来てたの? ここ」
「毎日。じゃなきゃ外聞的にまずいだろう」
「…………後半は余計でしょ」
やろうと思えばできるのだ、この男は。
リナはその点においてはウィルに全幅の信頼を置いている。この男の能力は高い。もっと誇示しろと怒りたくなるくらいには。
「ウィル、話してちょうだい」
「何を」
「悩み事。まだ解決してないんでしょ」
ウィルはリナが意識を失ってからの病院の襲撃と、スティグから語られた「悪しき杖」、そして自分へ嫌がらせをされるであろうことを話した。《零落剣》のことは話さなかった。
「そう。つまりこれからも警戒しなくちゃいけないのね」
「一番気を付けるべきはリナだな」
次期領主という立場もある。女に領主になってほしくない男は多い。
「そうね。しばらくは引きこもっていようかしら」
ウィルの予想よりも軽く、リナはそうなるであろう未来を口にした。
「それでウィル。貴方、何か隠してるでしょ」
碧眼が黒い人型を見据える。ウィルはすっとぼけて。
「逆に何を隠す必要があるんだよ」
「わからないから訊いてるの。憂鬱さがあからさまなのよ」
「憂鬱にもなる。ぼろ屋のゴキブリみたいな敵だぜ?」
「焼き潰せるでしょ、貴方なら。十何年かかるかはわからないけど、貴方が潔癖を好む以上、敵が《零落剣》相当の怪物を用意しない限り結末は決まってるわ」
単騎で魔神を滅ぼし得る者は人類最強のみである。その中でも滅ぼした経歴を持つ者は《零落剣》のみだ。《鏖天魔》や《傀儡子人形》、《聖剣使い》に単騎討伐の経歴は無い。
「それ相当の戦力は用意できるかもしれないだろう」
「公国内なら私がいる限り不可能よ。フォッセル大将──軍部の一大派閥とサラとシャロ。彼らを相手にしてなお魔神相当の戦力を保持するなんてできないわ」
仮に敵が用意できた時はそれが公国の終焉である。
そしてそれは同時に、国に寄生することを目的とする「悪しき杖」にはできない。国を興すということは魔境と相対することと同義だ。一柱の魔神であっても国力が十年単位で減衰し得る。そんな重責を負いたい者はいない。
「理屈の上では可能でも現実的には不可能なのよ。私達は国側。将来の仮想敵が自国の戦力を超えないように
碧眼は黒瞳を覗き込む。
「貴方、本当は何が憂鬱なの?」
ウィルはリナの勘が鋭いことは知っていた。朝を除いてリナは基本的に反応が良い。目敏い上に推察が早い。脳機能強化の魔法持ちでなくてこれだ。単純に能力が高い。
「……逃げたはずの過去に捕まった」
「……詩的過ぎて掴めないわ」
「恥ずかしい話だ。言葉にでも酔わなきゃ言えないね」
「…………スレイ家の責務に、嫌気がさしたの?」
「
──悪に屈してはならない。
「──気に入らないものが多過ぎて、うっかりぶち壊しそうになる」
あの言葉の真意をウィルはずっと考えている。どうしてそんなことを言ったのか。口にしてウィルにだけ教えたのか。
右手に視線を落とす。人を殺した手だ。害獣を駆除したことに後悔は無い。いつかまた殺人を犯すような人でなしだ。いずれ消費することになる実験体とは比べるべくもない。
「そう。……そうなの」
リナは既視感を覚える。というかかつてリナも感じていたことだ。違うのは──リナとは異なり、ウィルには本当にそうできるだけの能力があることだろう。
子供特有の全能感が実現しかねない恐怖。
(そういえば、シャロも似たようなことを言っていたっけ)
シャロもまた壊すことを恐れていた。かつて両腕を噛み千切ったほどの罪悪感だ。その根は深い。というより根絶できぬ恐怖だろう。
シャロに強さを維持する必要があり、人が努力だけで魔神と戦える実力を持つことはできない以上、シャロの恐怖が絶えることはない。
ウィルも同じだ。シャロと変わらない。
(シャロには「私が殺してあげる」と言ったけど──)
右腕を動かす。この様ではそこまでの実力に至ることは不可能だろう。同様に、シャロにウィルを止める術はない。
「どうしようもないわね、それは」
リナは諦めたようにそう言って左手で顔を覆った。
「……だろう。これからその機会が増える。憂鬱にもなる」
「まあ、実際にそうなる前に聴けて良かったわ。やらかされた後に知ったらぶん殴りたくなりそうだもの」
ウィルは半眼でリナを見た。お転婆が過ぎる。溜息と共に微かな期待を吐き出して、憂鬱な気持ちを追い出しにかかる。
「けど、壊す前にまず私に相談してくれたら嬉しいわ。何とかできそうなら何とかするし、ダメそうなら壊した後に上手く使わせてもらうから」
だから、さも何の気なしにその言葉はなおさら衝撃だった。
「……正気か?」
「貴方がいるなら勝ち確でしょう」
「君の味方を壊すかもしれないぞ」
「その時はなおさら事前にお話ししてね」
「……壊したいものが、俺より強くても?」
「その時こそ相談するように」
左手から覗く碧眼が楽し気に細められる。
「共同作業って素敵じゃない。黙って喧嘩を始めたら私、怒るから」
イタズラを仕掛ける悪童のようだ。リナはウィルの制御を一切考えていないようだった。むしろ積極的に関わる気のようで、ウィルは脱力して椅子にもたれかかった。
「おもしれー女」
「……初めて言われたわ、そんなこと。そんなに面白い?」
「そりゃそうだろ。俺より強いってことは誰の手にも負えんってことだ。そこら辺もわかって言ってるんだろ」
「バカにしてるの?」
「賢い愚者だと思ってる」
「なら良し」
何が良しなもんか。
ウィルは皮肉気に笑った。きっと悪童のような顔だろう。
「ま、今度こそちゃんと守るよ」
「約束だからね」
「ああ、そっちもだけど。リナのことも守るよ」
「婚約者なんだから当然でしょう」
「まあ、そうだけど。前に言ったろ、守れるだけの証明はするって」
「? したじゃない」
「殺されかけて右腕を失ってよくもまあ。心臓にムダ毛でもわっさり生えてらっしゃる?」
「失礼ね。シャロに四肢を折らせたのだから充分でしょう。あの子、人を傷つけるのは本当に苦手なのよ」
そうだろうな、とウィルは思う。シャロは根本的に戦闘に向かない。体の動かし方を知っているだけの一般人と変わらない。殺すための心構えがまるでなっていない。
「実力の証明と私を助けることは別よ」
「間に合うのも実力の内だとは思わないのか?」
「私の護衛には求めるけど、貴方は私の婚約者でしょう。血生臭い働きなんて求めてないわ」
「……おもしれー女」
「なに、喧嘩でも売ってるの?」
買うわよ、と楽し気に笑う婚約者。ウィルも同じように笑みを返して、そっとリナの左手を優しく取った。
常にない、しかし、自然な動作にリナの思考が止まる。ウィルが両手で握った左手は固くも小さかった。リナが小柄であることを改めて認識する。
「守るよ、君を」
ウィルはこの世で一番優しかった人の微笑みを思い出す。この世で最も安らいだ微笑みを思い出す。
ありふれた言葉で紡がれた、誓いを告げる微笑みは最上の誠意だ。その宣誓の重さをリナが知ることはきっとない。ただ婚約者だからその言葉を選んだと、そう思うだけだろう。
「そして永劫、あらゆる苦難を君と共に乗り越えると誓おう」
だからこそウィルはそう誓う。この世で最も信のおけた人を真似てウィルは誓う。そう在りたいと思えた人を真似て、そう在りたいと誓う。
告げた言葉が自身の戒めとなるように、この宣誓が真実のものであると相手に信じてもらえるように。
リナが宣誓を信じても、その重さを悟ることのないように。
「………………そう」
「……ちゃんと聴いてる? すっごい赤面してるけど」
「うっさい。……貴方、自分の面の良さわかってやってるでしょ」
「やるか。こんな真面目な話で」
「ふーん、そう……。……そぅ、へぇ……。
……………………………………そうなの」
「……くっそ。マジふざけんなこの暴力女。こっちまで恥ずかしくなってきた」
「ちょっと。そんなに言われるほど手は早くないわよ」
「言うほどだ。俺がシャロと話し始めたきっかけは君の喧嘩っ早さだからな。自業自得だ」
「そんなわけないでしょう、そん……な、……。…………ぜったい、信じたくないわ」
「シャロに訊いてこい。会えた喜びで真実を語ってくれるぜ、絶対な」
「……やだ。ぜったい、信じたくない」