テロに遭って意識不明の重体から目が覚めたら、国宝に選ばれていた挙句、付き合って半年の恋人ができた件   作:すすきみつよし

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20.笑みなど無粋。真の美形は一目で落とす

 

 

 

 アンナリナが目を覚ましたことは伏せられたまま一週間が過ぎた。その間ウィルフレッドは気分が優れないからと学校に顔を出さず病院にいた。

 今にも雨が降りそうな気怠い曇り空を背景に話し合いが進められる。

 

「今年の夏休み明けから帝国との交流を深めるために交換留学をしにいく、ねぇ……」

 

 病院を襲撃した犯人は未だ捕まっていないため、公国が体制を整えるための時間稼ぎとしてアンナリナを交換留学の体で帝国に保護してもらうという案が浮上した。

 

「リーヌスは良いって?」

「スレイ家の預かりであるなら構わないと仰られていますね」

 

 最初の数日はアンナリナの検査とリハビリに使われた。寝たきりであったために衰弱はしていたが異常は見られず、すぐに右腕に義手を取り付けた。

 その後はリナの今後の身の振り方に関する話し合いだ。

 

「後は帝国がスレイ家預かりを許すかどうかですが……」

「うちの祖母が何とかするんじゃないすかね」

「確かにそうなるかとは思います。今のところ、帝国で最も公国と親しいのはスレイ家になりますので」

 

 普通であればスレイ家預かりだが、あえてここで問題提起するのが政治だった。

 

「交換留学が始まるのは夏休み明けですが、七月には帝国にいることになります」

 

 公国では既に夏休みが始まっている。今年は夏至祭の前に終業式が行われた。本来ならば明日には学生武闘祭も決勝を迎えて、一年間で最も賑やかなお祭り騒ぎを迎えるはずだった。

 

「明日の夏至祭を楽しむのは難しそうね」

「……許可は降りないでしょう」

 

 今年は警備も増え入場制限もされ、厳戒態勢のもと行われる。いつものような賑やかさは望めない。

 

「できるなら早めにスレイ家に腰を落ち着けた方が良さそうですね」

 

 今は公国の軍人皆が身を削って働いている。今年に入ってから立て続けに起きたテロ騒動は公国に大きな損害を与え、国の威信を揺るがしつつある。

 

「そうですね。……他国の古き貴族頼みというのが頭痛の種ですが」

 

 僅かな負担を取り除くためにも、アンナリナを婚約者の古き貴族に預けるのは妙手である。古き貴族、中でもスレイ家は特殊な立ち位置だ。強大な権威を持つ貴族にして帝国の最大戦力の一つであり、少なくとも物理的な安全は保障されている。

 

「うちのせいではありませんよ」

「当然でしょう。お二人は被害者ですし、スレイ家は最善の提案をしてくださっています」

 

 護衛の眉根に皺が寄る。

 二人の安全を考えれば最善だ。問題はそこに権威が絡むことにある。着地点は決まっているがそれまでに支払う代償は異なる。

 

「となると本格的な義手は向こうで用意することになりそうね」

「……そのことですが」

 

 護衛が渋い顔になる。リナはウィルに視線で尋ねるが肩を竦めた。

 

 やにわに病室の外から声が近づいてくる。「お引き取り下さい」という男の声を少女の高めの声が切り捨てている。

 

「聞き覚えは?」

「まったく」

「ノヴァリス王国のヘレン王太子です」

 

 リナとウィルは不可解な顔になった。面識は無いが聞き覚えのある名前だ。

 

 声はどんどんと近づいてきている。護衛は口早に用件を伝える。

 

「王国で義手を作成しないかとのご提案です」

 

 病室の扉が開き、異国の少女ヘレン・ツェルナーが姿を現す。

 

「初めまして、アンナリナ様。突然の訪問、申しわ──」

 

 艶やかな黒髪、鳶色の瞳。黒を基調とした礼服に身を包んだ少女が、王族らしい洗練された所作でお辞儀をできなかった。

 涼やかな微笑は固まり、鳶色の瞳はウィルに釘付けになっている。

 

 ──ねえ

 ──初対面。ほら、挨拶

 

 リナの目線は冷ややかだ。ウィルは返事を促して、そっと溜息を吐いた。

 

 

 

 

 ノヴァリス王国は十五年前に起きた大規模なクーデター、「剣墓の政変」により自壊したリヒテル連邦を《聖剣使い》ジェーン・ツェルナーが圧倒的な武力でまとめ上げた新興国家である。政治機構はリヒテル連邦のまま《聖剣使い》が女王──超法規的存在として君臨している。

 《聖剣使い》ジェーン・ツェルナーが世界最強の一人とされたのはこの政変において、たった一人で敵対組織を壊滅させたことにある。政変の死者には魔神将も含まれる。

 

 ちらちらと鳶色の瞳をウィルへ向けながらヘレンは語る。

 

「この度は公国への支援のご相談として伺わせていただきました。我が国も武力による被害を被った過去があり、女王は公国の現状を非常に憂いております。一刻も早い公国の情勢の安定のため、我が国は協力を惜しまない所存です」

 

 王国もまた人狼事件で軍部高官を殺害され、公国から少なくない賠償金を受け取っている。しかしそれはそれとして、ある種の新興国である王国はこれを機に恩を売り、公国との仲を深めたいと考えている。

 

「その一環としてアンナリナ様への義肢の提供、及び我が国での二か月間の滞在を提案しております」

 

 受け入れ態勢は既にできております、とヘレンは微笑む。

 元より王国から友好を深めるためにとそうした打診はあった。去年の段階で一週間程度の滞在として計画が練られ現実味を帯びていたものの、「バクレハストの乱」とその後のごたごたにより話は流れた。

 

「ご厚意はとてもありがたいのですが、そのように長い期間はご負担ではないでしょうか」

「まさか。将来の領主と魔神将と交流を持てるのであれば安いくらいです。それに元々、私も女王もお二人とはゆっくりとお話をしたいと思っていました」

 

 そうだろうな、とウィルは思う。

 王国は政治機構をリヒテル連邦と過去の帝政時代のものを下敷きにしているため国の運営に混乱は無い。

 しかし女王の権威は別だ。今は《聖剣使い》の暴威により権威が保たれているが、人間は老い弱るものである。早めに人脈を広げておくに越したことはない。

 

「特にアンナリナ様と私の立場は似ていますので、仲良くしたいのです」

 

 その点で言えば、公国の次期領主であるアンナリナとの繋がりは貴重だ。国の次代を担う同年代の女性はそもそもが珍しい。リナにしてみてもこの申し出はメリットが大きい。共感し易い、心情的に仲良くし易い相手というのは得難い。

 新興国故に王権が不安定なのは懸念材料だが、万が一の亡命時には《聖剣使い》が公国を選ぶ可能性も出てくる。親交を結んで損はない。

 

「また──」

 

 緊張からかヘレンの瞬きが増え、声が僅かに上擦る。ウィルには見慣れた反応だった。リナの突き刺さる視線も慣れてしまったものだった。

 

「女王がウィルフレッド様に直接お会いしたいと」

「光栄ですね」

 

 努めて冷淡に返す。結論は既に出ている。断る理由がない。

 ウィルの思考は失礼にならない程度にヘレンに無関心を示すことに移行した。

 

「そして、もしもウィルフレッド様が望むのであれば、一戦交えても良いと仰っています」

「──」

 

 ウィルとリナの表情が強張る。斜め上に過ぎる想定外の提案だ。ウィルは険しい顔で尋ねる。

 

「失礼ですが、なぜそのような発言を」

「その、女王は貴方を高く評価しています。人狼と暗殺者の二つの事件において、窮地に臨んだ貴方をいたく気にかけていました」

 

 ウィルの脅威度の確認も兼ねているだろうが、それにしてはウィルに還るものが大きい。人類最強の一人との命の危険のない交戦は値千金の価値がある。

 《聖剣使い》の戦果には魔神将の撃破が含まれている。伝聞における《聖剣使い》の脅威は高火力長射程の精密な斬撃であり、即ち戦場においては捕捉と死亡が直結している死神の類だ。

 その死神の絶技をログインボーナスで経験できるのは破格だった。

 

「少しでも困難に立ち向かう貴方の糧になればと女王はご提案されました」

 

 リナとヘレンの視線は期待を隠していない。ヘレンは当然受けるものと考えているし、リナは受けろと綺麗な微笑みで圧をかけている。「君を守るよ」と言った手前、リナの要求には答えざるを得ない。

 

「──」

 

 嫌だなぁ、とウィルは思った。過去の言動を後悔した。

 単純にしんどい。たった三合の《零落剣》との剣戟すら狂いそうになったのだ。進んで繰り返したい経験ではない。人は苦しむために生きているわけではない。

 

「ええ、是非。女王──《聖剣使い》に手合わせ願いたいと、ウィルフレッドが言っていたとお伝えください」

 

 思考を断ち切り口を動かす。

 二人の美少女の笑顔を見れたからいいということにする。

 

 

 

 

 公国領主から許可は取れていたのだろう。リナの経過とスケジュールを確認し、三日後に王国へ訪問することが決まった。

 

「本日はありがとうございました。ノヴァリス王国でお会いできるのを楽しみにしています」

 

 礼儀正しくも喜色を湛えながらヘレンは病院を後にした。リナは複雑な心情でヘレンを見送った。

 

「同じ一目惚れなんだ、あんまり恨むなよ。俺を」

「顔を恨むことにするわ」

「その顔は俺だろ」

 

 軽口を叩きつつ、ウィルは着信のあった携帯端末を確認する。

 

「誰から?」

「ヴィゴ。しばらく離れる」

 

 傘と宝剣を担いで指定された場所へ向かうべく、病院の地下駐車場へ降りていった。

 ファンキーな髪色の護衛は心底から不憫な人を見る目をしていた。ウィルが乗り込んだのを確認し、車を発進させる。フロントガラスからは鈍い灰色の光が差し込み、付着した小さな雨粒が見えた。

 

「聴いたよ。また人類最強と戦うんだって?」

「今から憂鬱です。代わってくれていいですよ」

「ううん。ちょっと一秒も保つ自信ないなぁ」

「致命的ですよ。俺の護衛として」

「ははは。マジでそうだから困る。あと、今からだけど、嫌なら断っても良いからね」

「そもそも止めてくれませんかね」

「君次第だよ。こればかりは。うちとしては止める理由が君の気分以外にない。凄いよな、君の体。検査じゃもう異常なしだ」

 

 ウィルはその言葉に溜息で返した。いかにも憂鬱な表情がサイドミラーに映る。空模様はウィルの心を表しているようだった。

 

 護衛はハンドルを回し右折する。速度を落としながらウィルの嫌な記憶の象徴となってしまった建物の駐車場へ入って行く。ウィルの視界に立ち入り禁止のテープと傘を差すヴィゴの姿が入った。

 車が止まると、ヴィゴが手を挙げながら近寄ってきた。

 

「悪いな。こんなとこまできてもろうて。──運転手さんもありがとうございます」

「いいよいいよ。けど無理強いはしないようにね」

「それは安心していいですよ。そこまで見境なくなってるわけじゃありませんので」

 

 信用できない、という言葉をウィルは賢明にも飲み込んだ。車から降りて先を行くヴィゴに続こうとする。

 

「それじゃあ安心だ。じゃあね、ウィル君。ここで待ってるから」

「ついてこないんですね」

「子供のやり取りにまで干渉するのはちょっとね」

 

 ウィルは当然の答えに嘆息する。大人の目があれば少しは収まり易くなるかと思ったが。

 ファンキーな髪色の護衛は真面目な表情になる。

 

「ウィル君。分かっているとは思うが、形の上は必ず穏当に済ませなくちゃいけないのが大人の常だけど、それは責務が絡むからだ。中身によっては望ましくない解決方法だよ。今の君に、そんな責務はあるのかい?」

「分かってますよ。だからここにいるんです」

 

 何事かと立ち止まるヴィゴにウィルは片手を挙げて待っていてもらう。

 

「答えてくれてありがとう。それを聴いて安心したよ。少しばかり君は、嫌悪を見せ過ぎる。見ていて心配になるよ」

「心配はありがとうございます。──それじゃあ、行きますね」

「……行ってらっしゃい。君の無事が大事だよ」

 

 護衛の言葉を背にヴィゴの元へ向かう。護衛は心配そうな目でウィルを見ていた。

 

「何話してたん?」

「青春だなって、そんな感じの」

「……ま、当事者は胃が痛くなるんやけどな。ワイも今から痛いわ」

 

 進んだ先にあったのは復旧作業が終わったアリーナだ。リナの破壊行為の痕跡がそっくりなくなった廊下を歩き、ステージへと向かう。

 

「今日ここにいるんはウィルと四天王だけや」

「久しぶりに聴いた気分だ」

「奇遇やな。ワイも同じや」

 

 ヴィゴは自尊心の砕けた情景を努めてよそにしまいつつ。

 

「管理室にはテュコとラスムス先輩がいる。ちょっとやそっとや壊れへん」

「不穏だな」

「まあ、要件が要件やし。別に断っても良かったんやで?」

「後々面倒だろ」

「もうちょっと青春っぽく言えん?」

「売られた喧嘩は買う」

「アウトローにはいかんようにな」

 

 ステージに一番近い観客席への階段前でヴィゴは立ち止まる。ウィルは少し進んでから振り返った。

 

「なんだ、ステージまでは来ないのか」

「邪魔やからな。まあ、観客席にはおるよ。……サラ先輩は、リナちゃんのこと本当に大切に想うとる」

「行動が間違ってないか」

「だから断ることもできたって言ってるねん」

 

 ヴィゴは困り切った顔で頭に手を当てている。

 

「ウィルのせいやない。それは断言できる。むしろこれ以上の結果は無いやろ。誰も死んでへん。死んだのは兵隊さんだけで、職務上の出来事。非戦闘員が死ぬっちゅう最悪のケースを免れた。ウィルのおかげや。これ以上を望むんはアホやろ。

 だからこれは全部全部ワガママや。断ってもええ。ここでくるっと踵返しても文句は言わせんし言わん。ただ──」

 

 今から行うことは決して褒められたものではない。やるべきではないことをやる。そのために言いたくないことを、言う段階になってはならないことを口にする。

 

「ただ、決めたんは全部全部外野で、ウィルは偶然中心におったっちゅうだけやけど──頼む。頼むわ」

 

 逆光と涙でウィルの表情は伺えないまま、ヴィゴは口にする。

 

「──諦めさせてくれ」

「分かっているよ。

 ──そら、とっとと観客席行っとけ。()()()()()()()()()()()

 

 視線を切る。背を向ける。足音が遠ざかる。出口へ向かう。

 

 ざわめく心を、いつものことだと宥めすかす。

 

「──久しぶり。元気そうで安心したわ」

 

 冷え切った言葉がステージに響く。

 

 霧雨の中、赤ずきんが佇んでいた。

 

 

 

 

 ゲートを抜けると、ステージには顔見知りがいた。

 

「元気じゃなきゃここには来ないよ」

「敬語はどうしたのかしら」

「要らないだろ。欲しいのは本音じゃないのか」

「それもそうね」

 

 傘を差していないサラに合わせ、ウィルは差した傘を閉じて廊下へ投げ捨てる。

 

「風邪ひくぞ」

「そこまで軟じゃないわ」

 

 観客席に傘を差したヴィゴが見える。

 

「要件は?」

「その前に確認。……リナは帝国へ行くのね」

「ああ。帝国へ治療と交換留学という形でスレイ家に滞在することになる予定だ」

「そう。大使館じゃ、ないのね」

 

 霧雨の中、赤毛の少女の瞳が伏せられる。

 

「ここじゃダメなの?」

「リナの婚約者が帝国の古き貴族ではなく、『バクレハストの乱』がなければ公国で良かった。立て続けに異なる団体がテロを起こすような国は普通にまずい。政争を好まず独立性の高いスレイ家で預かるのが当面は安全だ」

 

 他人事のようにウィルは答える。既に知っている話だろう。サラに戸惑う様子はない。

 

「今回のお話、スレイ家が関わっているって聞いたのだけど」

「当然だろ。当事者の家だ」

「それよりももっと深い部分でよ」

「そうだな。うちの祖母が領主と顔見知りだったから、帝国の窓口になっている」

「だから、貴方の家に滞在するのね」

「最初の理由は俺がリナの婚約者であることだからな。そこからの芋づるだよ」

「──そう」

 

 戸惑う様子は無いが、サラの声は言葉を交わすうちに沈んでいった。湿った赤毛から覗く瞳は濁っている。ウィルは退屈そうに。

 

「貴族がそんなに嫌いか」

「──」

 

 確証の無い確信を口にする。

 他の四天王との関りから単に好きな後輩を取られたから嫌われているとも考えられるが、それにしては向けられる感情が重たい。しかしウィルとサラの接点はリナとヴィゴのみであり、公国に来る前の接点は無い。

 サラからウィルに向ける感情は後輩絡みのみであるはずだ。その後輩との関りにしても、ウィルは二人と険悪にはなってないし、二人との付き合い方でサラから警戒される理由は無い。

 ならば、サラはウィルの他の部分を警戒している。

 

「あぁ、答える必要はないぞ。俺はその辺りの好悪はどうでもいい。庶民と貴族はいつこじれても仕方ない間柄だ。いちいち構っていたら面子が保てない」

 

 ウィルは分かり易い貴族である。まず見た目がいい。身に着けるものは清潔で整っている。所作に嫌味の無い丁寧さがある。口と態度こそ悪いが、立ち振る舞いには教養がある。

 

 霧雨に佇む様も堂々としたものだ。対面の迷子のようなサラとはまるで違う。

 

「──嫌いよ」

「……」

「嫌い。勝手に決めて、勝手をする貴方達が嫌い」

「俺も被害者だ」

「けど、貴方は反対しないのでしょう」

 

 赤毛から覗く瞳が糾す。勝手に決められることを良しとしたのだろうと、消極的であれ賛同を示したのだろうと。

 

「当然だ。ここより帝国の方が安全だろう。リナの身の安全を想うなら、これが最善だ」

「そうね、きっと最善。──理屈の上では」

 

 降る霧雨がサラの周囲で不規則に舞う。上へ横へ、およそ自然ではありえない軌跡を描く。

 

「君はリナの気持ちを聴いているの?」

「聴いてるよ。夏至祭に出られないことを残念がっていた」

 

 サラの目が見開かれ、すぐにヴィゴへ向けられる。向けられたヴィゴは困惑していた。

 

「──ウィルフレッド」

「今生の別れじゃない」

「違う。なんで、リナが目覚めたことを教えてくれなかったの」

「公表されていない。それに、君が知ってどうにかなる話じゃないだろう」

「でも──」

「──君は貴族じゃない」

 

 サラの時間が止まる。見開かれた目はウィルを凝視している。ウィルは能面のような無表情で。

 

「君にできることは何もない」

 

 サラ・ベーケルには何かを決める権利は無いと、そう突きつけた。

 

 湿った髪が目にかかる。サラの赤毛から雫が落ちる。霧雨は小雨になっていた。雨粒が髪を叩く。

 

「…………強いだけのくせに」

 

 ぽつりと、呟きが通る。

 サラの周囲の雨粒はサラを中心に回っている。

 

「君も、リナに何もしてあげられないくせに。ただ安全だからって、友人から引き離されるリナの気持ちを考えたことがあるの?」

「いずれそうなる。今は早まっただけで、そもそも今の時代はどこでも会話でき──」

「──触れられない距離が。どれだけ心を離すか、君は知っているの?」

 

 ウィルは答えられなかった。

 

「知らないのね。やっぱり。冷たいわ、お前達は。──本当、何て皮肉。何でお前みたいなのが、そんな魔法を持っているのかしら」

 

 サラから流れる言葉は独白染みている。サラはもうウィルへの問いを持たない。

 

「ウィルフレッド・スレイ。私、もうお前に興味なんて──いいえ、お前の強さ以外、知りたくないわ」

「野蛮だな」

「お前が言うの。強さしか評価されていないくせに」

 

 交わす問答は尽きた。ウィルにサラへの疑問は無い。

 ウィルは憂鬱な溜息を吐き出して、滴る水気を蒸散させる。

 

「お互い様だろう。君には強さしかない。──もっとも、その威信もこれまでだ」

 

 宝剣を引き抜く。

 元よりウィルにサラを説き伏せるだけの言葉は無い。そもそもウィルはサラのことを知らない──知ろうともせず、ただリナを守れるだけの能力を示せば良いと考えていた。

 

 言葉を準備していないから、こうなることは目に見えていた。

 

「話が早くて助かるわ。──言葉なんて、とても無力だもの」

 

 それはサラも同じである。サラもウィルのことは何も知らない。ウィルから望む言葉を引き出すことなんてできない。

 

 小雨に煙る鏡像が向き合う。

 強さしかない少女と、強さしか評価されない少年の戦端が開かれる。

 

 

 

 

 

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