テロに遭って意識不明の重体から目が覚めたら、国宝に選ばれていた挙句、付き合って半年の恋人ができた件   作:すすきみつよし

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22.沈まぬ日の夜に

 

 

 

 サラの使用した「墜潰」は本命のダウンバーストまで一分を要する術式である。準備に一分もかかる欠陥術式だが、その過程のウィルの動きすら制限した暴風は評価を上げる。本命でない攻撃で対抗術式を強いる動きは強い。

 だからこそ、その本命を即席の魔法術で消し飛ばしたウィルの異常さが際立った。

 

「……いやほんとばけもの」

 

 テュコ──トールヴァルド・テュコ・トルネルはそう呟いた。

 

「重ねた魔術はいくつのものだろうな、あれは」

「……あー、発動が確認できたのは九つですね。九つかぁ……」

 

 重ねた魔術と同じ情報量であの天災を打破することはテュコには不可能である。自分の身を守るだけで精一杯であり、仮に同じことをするには最低でも二倍の情報量が必要だ。

 それも古き貴族の嫡子であるテュコの能力が前提となる。ただ優秀なだけでは太刀打ちできない。

 

「まあ、準備に一分間かかるといっても蓋世結界内ですから、敵に打破する手段があったとしても普通は使えないはずなんですけどねー」

 

 暴風域は生物の活動圏ではない。難所のスペシャリストたるレスキュー隊であっても行動は控えるものだ。ただの学生が動けるはずもない。

 本来は。

 

「出力差がもろに出たな」

「魔道戦ってそういうものですよ」

 

 戦闘はいかに早く強い攻撃を当てるかが本質である。

 

「基本は魔弾のみの演習と変わりません。フィクションにありがちな対抗術式の応酬なんて非効率です。有効範囲から逃れて撃つのが基本ですので、ある意味でこの一戦はオーソドックスな魔道戦ですよ」

 

 その点で言えば蓋世結界は間違いなく最強の魔法術だ。発動後は即時の飽和攻撃が実現する。

 仮に敵対して勝つためには、いつかの「切り堰く四界(フィフス・テトラ)」のように結界崩しのための魔術を使う他ない。

 

「それは知っている。しかしスレイ式の結界崩しが見られなかったのは残念だな」

 

 出すまでもなかったのだろう。

 二人は考えたくない理由を賢明にも口にしなかった。

 

 

 

 

 

 

 無意味な戦いだった。この上なく後味が悪い。

 

 最初から勝敗は決まっていた。いかな蓋世者といえど魔神と同等に戦えるウィルを相手に敵うはずがない。そもそもの出力が違う。

 

「ぅ……、ぁぁ……」

 

 だからこの戦いはサラがウィルを認めるためのパフォーマンスに過ぎなかった。サラ自身の気持ちに決着をつけるための戦いだ。ウィルフレッド・スレイがリナを守るに相応しいことを、サラが受容するための戦いだった。

 

「……ひぐ……ぇぐ……」

 

 ダメだった。

 

「ぅ……ぇぐ……う、ぅ、ぅぁぁぁぁ──……」

 

 日差しの下でずぶ濡れの少女が泣いている。周囲には冷たい鉄球が六つ転がり、黒色の鏡面にうずくまる少女が映る。先ほどまでウィルを襲っていた凶器は、いまや少女を繋ぐ重しのようだった。

 

 同情を誘う光景だ。赤毛はぐしゃぐしゃに濡れて土埃で汚れている。

 

(実力は認められたようだね。好感度を上げるチャンスだけど慰めなくて良いのかい?)

 

 言祝ぐ声が頭に響く。

 

(要らない)

(憎まれるより良いじゃないか)

(手は出してこない)

(勢いあまって貴方の婚約者を憎むかもしれないよ?)

(わかっている)

 

 だからリナに投げる。ウィルはそうすることにした。

 

 宝剣をステージに突き刺してサラに歩み寄る。足音を聞いたサラは顔を上げた。

 酷い顔だった。憎んでいたはずのウィルを睨む気力すら失せ、涙に濡れた瞳には恐怖がある。慣れたものだ。ウィルは気にも留めずに歩を進める。

 

「サラ・ベーケル」

 

 一歩進むごとにウィルの左腕が治っていく。血は止まり、裂傷は閉じて、庇う動作が減っていく。

 まるで何も無かったかのように、絶世の人型は歩いている。

 

「リナを夏至祭に連れていきたい。護衛の一人として力を貸してほしい」

 

 ウィルは膝を折り、サラと目線を合わせて右手を差し出した。

 笑みはない。見下すような侮りも蔑みも。仮面のように無機質な、儀礼的な誠意のみがある。

 

「君はリナの友人だろう」

 

 言葉に感情はなく鏡のようだった。出来が良いだけの人形が語り掛けている。

 

 サラの涙が止まる。人形のような不気味さか、鏡のような問いかけか。どうあれその言葉は涙を止めるほどには重たかった。

 

 涙を拭って右手をとる。

 

「リナに会いたい。少しでも、楽しい時間を共に過ごしたい」

「そうか。協力に感謝する」

 

 重たいはずの心身が軽やかに引き上げられる。

 無機質な歯車に引っ張られたかのように。

 

 

 

 

 夏至祭はクリスマスと似たもので、その前日は準備にあてられる。白樺の葉の花冠を結い、メイポールを広場に立てるのだ。そして当日には花冠を被り、メイポールの周りを踊り、ごちそうを食べて祭日を祝う。

 

「……で? 説明はきちんとしてくれるのでしょうね」

 

 黄昏時にウィルは病院からリナを連れ出した。

 

 サラとの決闘の翌日のことである。ウィルは何事もなかったかのように振舞い、涼しい顔で公務を手伝い、一段落したところで護衛の意識を落とした。

 なお、リナは決闘のことを何も知らない。ただウィルがサラと口論したとしか聴いていない。

 

「あとでな。帽子はまだ外すなよ」

「わかってる」

 

 黒縁メガネの冴えない長身の男が帽子を被った少女の左手を引いて歩いていた。背格好は不審者そのものである。

 そして病院前の大通りから人気の少ない横道へ曲がると、ウィルはリナの帽子を取った。帽子に納められていた栗毛が広がる。

 

「……驚いた。本当におとぎ話の魔法使いみたいね、貴方」

「準備していれば誰にでもできる」

 

 その一動作でリナの金髪は栗毛に変わっていた。同時にウィルは自身の黒髪を巻き毛にしている。

 変装用の魔術だ。髪の変化は人の印象をがらりと変える。珍しいものではないが、ウィルの行使はスムーズでとても手慣れていた。

 巻き毛の前髪を下ろしたウィルは別人のようだった。

 

「悪さはしていないでしょうね」

「今してるだろ」

「私に隠れての話だけど」

「してないんじゃないか」

 

 リナは軽くウィルの脛を蹴った。

 

「その辺りだな。俺がシャロと話すきっかけになったの」

「……もう一度蹴ってやろうかしら」

「言う前に再び蹴るんじゃない」

 

 そういうところだぞ、とウィルは苦言を呈した。

 

「で、何でムリヤリ私を連れ出したの?」

「好感度稼ぎ」

 

 三度脛に衝撃。

 

「実際そういうもんだろ。手を出せるならともかく、出せないのに夜のお遊びに連れ出すとか。

 だから蹴るんじゃないっての。それでもお嬢様か」

「歯に衣をお着せあそばせ」

 

 じっとりした碧眼がウィルを見上げる。

 

「おじさま方に気を遣われていたようで何より」

「まさか。……貴方のは微妙に生々しいのよ」

「ふうん」

 

 ウィルはリナの腰に右手を回した。叩かれたが放さなかった。

 

「スケベ」

「人混みならこっちの方が良いんじゃないか」

「これくらいなら手で充分よ」

 

 大通りを歩く人々の姿は思いの外に多かった。例年通りの曇天の白夜。世相も反映されたかのような天気にも関わらず、それでも人々は祭日を祝う。

 

 渡った橋の下では飾り付けられた舟が進み、華やかな音楽が聞こえてくる。

 伝統的には準備日だが商業的には本番日だ。祭日の前日から屋外施設では屋台が並びイベントが催されている。

 

「お手荷物の確認にご協力をお願いします」

 

 屋外施設の出入り口には職員だけでなく警備員も待機していた。

 そして当然のように行われる術式探査。髪にかけた魔術がひっかかるも、一般に普及している術式であるため少しの足止めで終わった。

 リナはここが目的地だと察した。

 

「ここ?」

「ああ。サラと喧嘩して、君との思い出を作らせることを約束した」

「サラと私の?」

「しばらく会えないだろ」

「……そう、それで」

 

 リナは顔を伏せた。思い当たる節があるらしい。

 ウィルは興味を示さず、リナの耳に顔を寄せて言葉を続ける。

 

「目覚めたことを知らされなかったことに傷ついている。苦境に立たされるよりも君との間に溝ができることが辛かったようだ。うまくやってくれ」

「それ、貴方がバラしたんじゃなくて?」

「君も彼女も耳聡いな」

 

 四度。

 

「大切な友人なんだろう。離しても追ってくるなら、相応の対応はした方が良い」

「発つ直前に会う予定を組んでいたのは知っているでしょう」

 

 それまでは伏せているべきだとは思わないのか。

 顔を上げたリナは言外にそう尋ねている。

 

「君への言及がなければそうしていた。戸の前で倒れられても嫌だろ」

 

 その言い回しにリナはウィルを一瞬だけ睨みつけた。黒い瞳と碧眼がかち合う。

 

「痛い言い回しが好きなのね」

「時間の無い時に甘えられたら困る」

「病院を出てすぐに言ったら良かったじゃない」

「言い訳をすると拗れるぞ、あの手合いは。素直にいくのが吉だ」

 

 そら、見えてきたぞ。

 

 ウィルはリナの腰を軽く叩いて赤毛の少女へリナの視線を向けさせる。タイミングを計っていたのだろうか。リナとサラの視線は綺麗に合った。

 赤毛の少女が人込みをかき分けこちらへ向かってくる。

 

「ウィル……」

「親同伴が良かったか?」

 

 五度。

 

「うっさい。それじゃそもそも会えないでしょうが」

 

 案外会えるんじゃないか。

 ウィルは賢明にもその言葉を飲み込んだ。

 

 栗毛に染めた少女も前へ進む。

 ウィルはリナの後に続き、サラと一緒にいたヴィゴに手を振り返した。

 

「──リナ」

 

 人込みのただ中でサラはリナの手を取った。

 その目は潤み、リナのことしか映していない。リナの無事を確かめるために口を開こうとして、サラは鉄の感触に愕然とする。

 

「リナ、手──」

「あの時は斬られたのをむりやりくっつけていたの。そのせいでダメになってしまったみたい」

 

 曇るサラへリナは軽く語り掛ける。なんでもないように、いつものように。

 

「ありがとう、サラ先輩。あの時、あいつらのほとんどを無力化してくれて。あの時の私じゃきっと、あいつらをやっつけることはできなかったと思うから」

 

 サラを見る碧眼はどこまでも優しかった。言葉に詰まったサラを気遣っている。いつものリナだ。サラの憧れた人、憧れの人、──守りたい後輩(いっしょにいたいひと)

 

「……辛く、ないの?」

 

 返答より先に問いかけが零れた。

 

 その鮮烈さに憧れた、その強さに惹かれた。

 だからこそ、片腕を失くすことの重大さがよくわかる。荒事に隻腕は明確なハンデだ。単純にバランスが悪い。咄嗟の動きに精彩さが欠ける。

 

「辛くないわ」

 

 リナはサラに抱き着いた。その背中に手を回して、優しく抱き寄せる。

 サラは思わず安心してしまった。背中に回るリナの右手の感触よりも、包まれる温かさに安堵する。してしまう。

 

「貴女達が生きているから。だから、辛くない」

 

 息が詰まる。涙が零れそうだ。喜べばいいのか、悲しめばいいのかわからない。

 リナの生存が嬉しい。リナの負傷が悲しい。──リナがただ傍にいてくれるだけで、不満も心配も解けていくのが恨めしい。

 

「──ごめん、リナ」

「いいよ」

「守れなくて、ごめん」

「うん。いいよ。

 ……私もごめんね。起きたのに、何も言わなくて」

 

 ……本当に、不満も心配も解けているのが恨めしい。昨日の激情が嘘みたいに穏やかだ。簡単に許すつもりなんて微塵もなかったのに。

 

「……いい。いい、けど。私、リナが大切なの。本当に、大切なの」

「うん」

「だから、離さないで。どこにいってもいい。けど、いなくならないで。どこにいるか、起きているか。……何を、しているか。教えて」

「うん。いいよ」

 

 体温が離れる。目と目が合う。手は体に触れて離れない。

 

「これからもよろしくね、サラ先輩」

「……うん。こちらこそ、よろしく」

 

 少女二人が微笑み合う。仲睦まじく、幸せそうに。

 

 

 

 

 それを、少し離れた場所から眺める少年二人。

 

「めっちゃ茶化したいんやけど、ダメかな? 凄いむずむずする」

「いいんじゃないか。恨まれても」

「……恨まれんのはイヤやなぁ」

 

 ウィルは自分達の周囲に音だけを減衰する魔力障壁を薄く複数枚展開していた。リナがサラに密着したことにより無用に終わったが、今は二人の空気を壊さないように男共の周囲へ移動させた。

 

「とりあえず落ち着いたようでほっとしたわ。ずっとぴりぴりそわそわしとったし」

「どっちだ」

「どっちも。……テュコ先輩は知っとったらしいな」

「トルネル家は右派の主流だからな」

「ワイらに知らされんかったんは政争関係?」

「そ。面倒だったぞ」

 

 アンナリナの生死は公国と権力者達の未来を左右する。生きているならば継続して彼女に媚びを売り、死んでいるならば対抗馬へ乗り換える。支持者の全てがリナと共にする覚悟があるわけではない。そうした風見鶏こそ、水面下で強引な手段を進める。

 基本が塩対応のウィルにすら密談を持ち掛けるほどだ。ウィルは慣れたもので全て切り捨てたが、生き馬の目を抜くが如くの彼らにはさすがに辟易した。サラともなれば唯一の肉親が巻き込まれる可能性は高かっただろう。

 

「やるやん。さすがメイン盾」

「お前ね」

「なんのかんの矢面に立っとんの凄いと思うで」

 

 ヴィゴはそう言って二人の少女に近寄った。

 目の赤いサラに茶々をいれて睨まれている。ウィルがヴィゴに続いて近寄ると、サラはポツリと。

 

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 

 何とか絞り出された礼にウィルは軽く応じて、すっと広場の屋台を指さした。

 

「甘いものが食いたい。あそこのクレープが俺は気になったんだけど、皆は?」

「貴方ね」

「プレートもええけど、あそこの串焼き肉とかも欲しいわ」

「好きに買えば?」

 

 食い気の少年二人に女子二人は冷ややかだった。

 

「リナちゃん。あのイチゴのホイップ乗せとか美味そうちゃう?」

「え。まあ、美味しそうだけど」

「じゃあ買いに行こ。ウィル、肉類よろしくー」

「逆だろ。ポテトもいるか」

「よろしくー」

 

 ヴィゴは雑にリナだけを引っ張って屋台へ向かった。そうした方が良いのかとウィルはサラと二人取り残される。

 

「そういうことらしい。ダメなものは?」

「……ない、けど」

「そうか。ヴィゴのことは好きか」

「良い友達よ。貴方と違っ……、て」

「そりゃそうだ。俺にはムリだね」

 

 沈黙。サラは視線を逸らした。

 

「……リナから、聴いた。今日会えたのは貴方のおかげだって」

「そうだな。俺のおかげだ。恩に着る必要はない」

 

 サラはウィルを見上げた。黒い瞳が無機質に見下ろしている。

 カチンときた。

 

「貴方には必要なくても私には必要なのよ。勝手に着てるから、そのつもりで」

「そうか。じゃあリナと仲良くしてやってくれ。付き合いは長いだろ」

「……ええ。大切な友人よ」

 

 サラは一度深呼吸した。この男の言い草は腹が立つ。付き合いが短いくせに、リナに一番近い位置にいるというのが拍車をかける。

 

「リナの身の安全は保障する」

 

 睨みつけるサラにウィルは口を開く。

 

「昨日の通り俺は強い。人狼事件の無様は弁明の余地も無いが、下手な奴よりは安心だろう」

 

 思わぬ言葉にサラは固まった。これまでの無責任なイメージとは異なる言葉だ。

 ヴィゴの家の一幕とステージでの一騎討を思い返す。煽る言葉はサラを試しているようだった。口は最悪で露悪的だが、政情に詳しくないサラへの忠告としては妥当だろう。

 

 思うほど悪い奴ではないのかもしれない。

 サラは少しウィルへの警戒度を落とし──断ってくれても構わない。何も起こらないし起こさせない──老紳士の姿がウィルと被る。

 

「……そうね、きっと安心ね」

 

 サラは視線を落として自身の腕を抱きしめた。

 

 約束はきっと守られる。サラは望めばリナに会える。その時間がどれだけのものかは分からないけれど。

 自分とは似ても似つかない艶やかな赤毛の少女の姿が──彼女が、自身の母親に駆け寄る姿が脳裏を過る。

 

 ウィルは心底から面倒なものを見る眼をして、付き合いたくないとばかりに視線を串焼き肉の屋台へ移した。そして。

 

「ああ。だから戸を叩くのを怠るなよ。リナから君に関する相談事は聴きたくない。元気に振舞っていてくれ」

 

 独り言を零す。

 サラが顔を上げたのを確認して、ウィルは歩き出す。

 

「俺はあれを買いに行く。君は好きなも──」

「逃げるな」

 

 さも何事も無かったかのように離れるウィルの左腕をサラは掴んだ。ウィルは本当に面倒くさいといった表情でサラを見る。

 

 サラは臆さずにウィルを見据える。

 

「ウィル。ありがとう。お願いするわ」

「言われるまでもない」

「だとしても、手付金として受け取ってなさい。そっちの方が大事になるでしょう」

「今更だ。婚約者を守れん男とか貴族的にアウトだ」

 

 ウィルのすっとぼけた物言いに左腕を握るサラの手に力がこもる。

 

「だったら私のお願いの一つくらい、そこに上乗せされても今更でしょう」

 

 眉間に皺の寄っているウィルは左腕を動かしてサラの手を払った。

 

「ああ、そっちこそ今更だ。ただ君のことは苦手だ。俺よりリナの近くにいてくれ」

「──それを、貴方が、言うの?」

 

 払った手がウィルの胸ぐらを掴む。サラの顔は彼女の内心を如実に表していた。見てしまった通行人はさっと顔と足を逸らした。二人の周囲に空白ができる。

 

「それだよ、それ。こっちに感情を向けるな」

「婚約者でしょう、貴方。貴方が無難な言動してたらこんなこと言わないわよ。もう少しらしく振舞えないの?」

「やるか。面倒くさい」

「やれ。言われたくないんでしょう」

 

 ウィルは心底嫌そうな顔をしている。

 

 そこへ買い物を終えたリナとヴィゴがやってきた。

 

「……何してるの?」

「説教くらってる」

 

 リナの目は冷たい。傍目にはウィルが悪者だ。小さな少女が少年の胸ぐらを掴んで情緒が不安定な表情をしている。眼にかかる巻き毛と長身も相まって特に犯罪的だった。

 

 リナはサラにクレープを手渡した。ウィルの胸ぐらからサラの手が離れる。

 

「ありがとう、リナ。

 大丈夫? こいつに酷いことされてない?」

「…………まあ、素直じゃないわ。こいつ」

 

 サラの視線が強くなる。

 

「やめろ。火に油を注ぐな」

「事実でしょう。せめて笑顔を増やしたら?」

「結構笑ってるだろ」

「からかい抜きの話よ。ほんと、普段から毒のない笑顔をしとけばいいのに」

 

「「毒のない……?」」

 

 リナの言葉にサラとヴィゴが困惑した。

 

「誹謗が過ぎるんじゃないか」

「貴方も優しい表情ができるってことを言っただけだけど?」

「普段が酷いっつってるもんだろ」

 

 軽口を叩き合う二人を後目に、ヴィゴはすすすとウィルの近くに寄り、サラから自然に遠ざけた。

 

「リナちゃん。ウィル借りるで」

「いいけど。急になに?」

「こいつ肉買ってこんかったからな。荷物持ち」

「それならどうぞ」

 

「いいのか」

「いいでしょ」

 

 リナに購入物を託したヴィゴが不満顔のウィルを引きずっていく。

 ついでにクレープも手渡す。ものの数秒でウィルの口へ消えた。指についたクリームを舌で舐めとる。

 

「食いしんぼか」

「話があるんじゃないか」

「せやな」

 

 ヴィゴはクレープを頬張りつつ口を開いた。

 

「で、恋愛のAステップ踏んだん?」

「何で。右腕の件を慰めただけだよ」

「……ふーん、ほーん……」

「含みがありそうだな」

「あるやろ。棘が髭になっとるで」

「どっちもチクチクしてるだろ」

「ちょーと質が違うんよなあ……」

「悪いことか」

「いや、ええことやけどな」

 

 クレープを平らげたヴィゴは訳知り顔で頷いた。そしてすぐに屋台を指さす。質問はこれだけのようだった。

 

「あっちの焼き加減とか良さそうちゃう?」

「いいんじゃないか。店主の強面で客足が少ないのが特に」

「腕はええのにもったいないなぁ。なんか親近感湧くわ」

「俺を見ながら言うな」

 

 注文の応対をした店主は強面に仏頂面、無愛想とスリーアウトだった。愛想のいい売り子を雇えば良いのに、と二人は思う。余分に頼んだ串焼き肉を頬張りながら二人は戻る。

 

 ウィルはヴィゴの普段と変わらぬ態度に内心安堵した。

 

「意外に元気そうだな」

「まあな。よう考えたらワイの傷心ちゃうし、皆も気分が落ちてるだけやろうし」

 

 全く気にしていない訳では無さそうだった。飲み込め切れていない、物思いに耽る横顔だ。

 

「……まあ、ワイはどうにも諦めきれんっちゅうのがわかったからええわ。一生の付き合いになるらしい」

 

 諦めの悪い人間の短所は引き際の悪さであるが、ヴィゴにその点の心配は要らないだろう。彼の視野は広い。

 

 ウィルは串焼き肉を頬張る。いい焼き加減だ。肉汁がよく内側に留められている。

 

「それはしょうがいな。損益の収支に病まない程度に頑張れ」

「……雑やなぁ」

「死にたいほどなら矯正すりゃいいが、そりゃ囚人か老後の話だ。断絶か自壊の終わりはある。責務なら断絶を避けるべきだが、嗜好なら好きにするべきだろう」

 

 黒い瞳がヴィゴを見ている。硬く露悪的な言い回しにヴィゴは溜め息を吐いて、皮肉気に笑った。

 

「貴族の哀愁が垣間見えるなぁ。窮屈やないか」

「ああ。だから付き合い易くいてくれ」

「お忍びの飯くらいならええで。今はな」

 

 ヴィゴは肉の失せた串を揺らす。おかわりを催促するような食い意地の張った動作だった。コミカルな動きにウィルはにやりと笑う。

 

「個人的なお茶会に招いてやるさ。男爵狙いの子爵の末っ子とか気が合いそうだ」

「やめーや。お忍びちゃうやんけ」

 

 ヴィゴは本気で嫌な顔をした。全く想像のつかない話に現実味を帯びさせるのは止めて欲しい。

 

 リナとサラの元に戻ると、二人は白樺の冠を被っていた。

 ヴィゴはその姿を見て天を仰ぎ見るほどに感じ入った。

 

「──可愛い女の子って、ええな」

「異論は無いけど、言わんとすること以外が気持ち悪いな」

「辻斬りが過ぎへんか」

 

 ウィルの直截な物言いにヴィゴはあからさまに傷ついた。リナは曖昧に笑い、サラは冷たい目をしている。追撃がそこそこ痛かった。

 

「でもええですやん。どこで買ったんです?」

「……押し売りされたのよ。お節介なおば……お姉さんに」

 

 ウィルはリナの視線を追った。見覚えのある顔だ。スティグの副官に似ている女性が笑顔で手を振ってきた。

 

「さすがにバレるか」

「今頃大騒ぎね」

「戻ってからだろうな。伝言とかは?」

「楽しんで、だって。……ほんと、ムダな察しだけはいいのね」

 

 ウィルは肩を竦めた。スムーズな会話には取捨選択は必須である。

 

 スティグの部下は仮釈放されている。テロ行為への加担は重罪だが抒情酌量の余地はあり、火急の今に警護の得意な優秀な軍人を腐らせるのはもったいないとして、監視付きの便利な人手として使われている。

 

 リナは差し出された串焼き肉の半分をウィルへ返す。

 

「半分は貴方が食べて」

「食っとけ。多少太るのを覚悟した方が予後は良い」

「オブラート」

 

 リナはウィルの脛を蹴った。

 そういうものかとウィルは二本目の串焼き肉を頬張り、十秒と経たずに平らげた。偶然見ていたヴィゴが呆れた顔をする。

 

「腹減り過ぎやろ。病院食はそんなやったんか」

「ジャンル違いが恋しいんだよ」

 

 リナから渡されたプレートも半分が消えている。

 ウィルは相当に空腹だったらしい。

 

 

 

 

 音楽が鳴り渡り、メインイベントが始まった。

 人々はメイポールの周りに集い、陽気で間の抜けたアップテンポの曲に合わせて踊り出す。

 

「ウィル。ボンオドリって知っとるか? やぐらの周りを回りながら踊るヤマトの踊りなんやけど」

「知らない。状況は似ているが今言うことじゃないな」

「やからお前に言うてん。──いや、すんませんサラ先輩、足踏まんといてください」

 

 リナがウィルの手を取ったことで、ヴィゴはサラの手を取ることになった。

 サラの手の小ささに言及してヴィゴが足を踏まれたのは当然のハプニングだった。

 

「そうなの?」

「俺は知らない」

 

 ウィルにだけ聞こえる声でリナは尋ねた。碧眼がじっとウィルを見上げている。

 

「ただ、祭日に囲んで踊るのは珍しくないだろう。交流を目的とするならなおさらだ。輪になった方が見やすい」

 

 ウィルは飾り付けられた柱へ顔を向け、周囲で回り踊る人々を見る。

 夏の折り返しに行われる夏至祭は草花が主役だ。一面の緑、芝生の広場で祭は行われる。

 

「こういうのは向こうにはないの?」

「あるらしい」

「らしい?」

「参加したことはないんだ。だから詳しくない」

 

 ステップに淀みのないウィルの返答にリナは目を丸くした。

 

「こんなに手慣れているのに」

「こんなのに慣れなんてないだろ」

「あるでしょ。リズムを合わせるのって難しいのよ」

「それもそうか」

 

 気の抜けた返答にリナはくすりと笑う。どこに笑う要素があったのかウィルは不思議に思った。

 

「で、どう?」

「悪くないんじゃないか。イベント価格の飯に不満はない」

「情緒のへったくれもない返答ね」

「仕方ないだろ。思い入れも憧れも無いんだ」

 

 一通り周囲を観察して、ウィルは顔をリナに向ける。ペアでの踊りであるなら、リナを見て踊るのが正しいのだろうと考えた結論だった。

 

 碧眼は真っすぐにウィルを見ていた。体の距離が近い。視界の中央に相手がいる。灰と緑の景色が背景になる。

 

 音楽と歌声と喧騒の中で踊る。灰と緑の狭間で踊る。鮮やかではない世界は不思議と彩り豊かだった。

 

「──ただ」

 

 人々が口々に歌っている。楽しげに朗らかに、陽の沈まぬ日を謳歌する。

 夏至祭。盛夏の終わり、斜陽の始まり。実りある夏に感謝し、いずれ来る冬へ備える。

 知識としては知っているが、実物を見るのはこれが初めてだ。だからこそそれだけではないと感じる。

 

「俺が悪くないと感じて、これがずっと続いているものなら、きっと良いものなんだろう」

 

 輝かしき日々を輝かしいまま、思い出に留めるために人は歌う。

 空は曇り緑は灰がかっている。輝かしさには程遠い景色を、それでも人々は幸せの記憶にする。

 今日を。陽の沈まぬ日を。この世で最も輝かしい日を──大切な人と共に過ごせたことを。

 

 手を取り踊る少女が微笑む。

 だからきっと、良いものなのだとウィルは思った。

 

 

 

 

 





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