――緊急海域、通称E海域。人類の仇敵たる深海棲艦が突如として大発生し、その禍々しい風体によって埋め尽くされた海域を指す。
E海域が発見されたと同時に全国各地の提督には作戦参加の通達がされ、数日中にはその海域は修羅場と化す。――つまりは、深海棲艦と人間たちによる全面抗争の幕開けである。
人類の守護者とも呼ばれる艦娘達は持てる限りの死力を尽くし、奴らを撃滅し、そして撃滅される。
そして今回発見されたE海域もまた、その多分に漏れず、濃厚な死を漂わせる血生臭い戦場を展開していた。沈めた深海棲艦は数知れず、沈められた艦娘も数知れず。正しくそこは死地であった。周辺海域には艦載機や魚雷、そしてその主の破片ともいえぬナニカが漂い、それでもなお激戦が繰り広げられていた。E海域には必ずその奥地に強大な上位深海棲艦が存在する。人語を解し、深海棲艦を指揮し、人類を破滅に導くような破壊の権化が。そう、これこそが最終決戦。多大な犠牲と血の川と屍の上に成り立った、突破口なのだ。
――サーモン海域最深部。最終決戦と相成ったこの戦場に、幾つもの踊る影がその姿を閃かせていた。半ば折れた砲搭さえも動員し、最大火力で応戦する戦艦達。穴ぼこだらけの飛行場から艦載機を飛ばす空母達。囮に成らんと持ち前の機動力で大立ち回りを繰り広げる駆逐艦達。当たれば自分の死、当てれば敵の死。敵も味方も区別なく、決死の覚悟で舞を舞う。
そしてそんな中、周囲とはまるで隔絶したレベルの激戦を繰り広げている二つの存在が、威風堂々と正面から対峙していた。片方は、巨大な口腔を覗かせる異形の化け物を背後に従える、見目麗しき少女。額から突き出る二本の角は根元から折れ、所々薄着の服が破れ、満身創痍であることが一目で見て取れた。名は、戦海棲姫。今回発見されて、そう呼称されることが司令部により通達されていた。そしてその強大に過ぎる存在と堂々と向き合うもう他方は――
「ナゼダ...ナゼダ...!」
攻撃の手を緩めることなく、しかし当たる気配のしない砲撃に、思わずギリリと歯を噛み締める戦艦棲姫。相手に遠距離から攻撃する術はない。にもかかわらずこうまでボロボロにされたのは、何度も接近されたからに他ならない。今も機を伺いながら回避に専念している相手へと、戦艦棲姫は更なる砲撃を行う。
「はっはっは!当たらんなあ、そんなぬるい砲撃!」
ひらりと身を翻し、戦艦棲姫の全力放火を難なく避けてみせる一つの影。肩に掛けられた穴一つない黒いマントは風に棚引き、不安定な海に立っていながらもその立ち姿は揺ぎ無く、筋骨隆々の体を包む白い軍服は戦場に身を置いてなお煤一つない。正しく鬼神の如き力を発揮する彼の、被った軍帽の下に覗かせる特徴的な顔は――「T」。そう、彼こそが、横須賀鎮守府元帥が一人、通称「T督」である。
「さあさ、決着をつけようではないかね!」
「クッ...!」
揺るぎの無い立ち姿から一変、滑るように海面を蹴り進んだT督に、焦り深海棲姫は副砲を発射した。直後、何本もの水柱が立ち昇る。そして戦艦棲姫は失敗を悟った。見えないのだ、T督の姿が。艤装を纏った艦娘の直線的で分かりやすいとは違い、文字通り海面を走ってくるT督は、艦娘には出来ない複雑かつ変則的な動きが可能だ。それゆえに立ち上った水柱は戦艦棲姫に対し目隠しになろうとも、敵の場所が分かっているT督にとって何の障害にもならない。どこだ、どこだ、と焦って照準を動かすも、T督の姿は見当たらない。
「こちらさ!」
「ウシロカッ!?」
すぐさま後ろを振り向く戦艦棲姫だが、既に遅い。T督の振り絞った握り拳は、砲撃の如き速さで迫っている。
直撃。鈍い音が響くと同時に戦艦棲姫の巨大な艤装は4分の1ほどを吹き飛ばされ、綺麗な風穴を空けられてしまった。
「コノ...バケモノガ...!」
「それは心外だ、私は至って普通の提督さ」
苦し紛れに言葉を吐き出す戦艦棲姫はもはや反撃する力もなく、回避ともいえぬ無様な動きを余儀なくされていた。耳元を、二の腕を、脇腹を、掠めるようにして飛んでくる拳。砲撃とは違い弾切れなどはなく、故に終わりの無い死の輪舞曲。そしてまるで拷問のような一時は、あっさりと終着を見せた。
「アア...!」
「それではさよならだ、姫。なかなかに
疲労からか、痛みからか。戦艦棲姫が鈍った一瞬をT督は見逃さなかった。捻じ込むようにして振るわれる一閃。その拳は最早肉眼で捉えることは出来ず、微かにぶれた残像が見えるのみ。まるで46cm砲を至近距離から叩き込まれたような衝撃を受けた戦艦棲姫は、艤装だけでなく少女の体にも大きな穴を空ける結果となった。驚きに見開かれた瞳は急激に光を失っていき――
「イツカ...シズカナ...ソンナ...ウミデ...ワタシモ...」
パシャリ、と水飛沫を上げて沈んでいく、深海棲艦の主。T督は白い軍帽を深く被りなおし、「T」の字に僅かな嘆きを滲ませ。
「静かに眠れ、戦艦棲姫。――今度はきっと、平和な世で」
こうして。アイアンボトムサウンド、サーモン海域を中心として巻き起こった前代未聞の大決戦は終結を見せた。沈んだ艦娘は数知れず。彼女らの無念を晴らさんと死力を尽くした甲斐あってか、周辺海域からは全ての深海棲艦が駆逐されたのであった。そしてこれは、そんな中で最も敵艦を沈めたといわれる、一人の男の話である。
――横須賀鎮守府のとある司令部。そこには一つの生ける伝説がある。それは、一人の男のお話。曰く、駆逐艦の魚雷の航路を逆にし、雷撃を返した。曰く、艦載機を素手でつかんでへし折った。曰く、戦艦の砲弾を真正面から弾き飛ばした。
良い酒の肴として噂される、よくある都市伝説の類であると普通は思うであろう。しかし、もしこの話が逸話ではなく実話だと知ったら、酒呑み達はどんな反応を見せるだろうか。司令部レベル最高位にして、司令「官」レベルもまた最高位。最高錬度の艦娘に引けを足らないどころか、圧倒してみせるその存在。
その名は、T督と言った――
「司令、司令」
所は横須賀鎮守府、とある一室にて。麗らかな陽が差し込むその部屋では、なんとも心温まる光景が広がっていた。響、卯月、時雨……様々な駆逐艦娘達に囲まれながら、期待に満ちたきらきらとしたまなざしを一身に受けている男の名は、T督。つい先日激戦を繰り広げていた彼は、まるで子供に昔話を聞かせる父親の様相を呈していた。ふと物思いに耽っていた彼は、話の続きを急かす響の声で我に返った。
「ああ、すまない。さてどこまで話したかな?」
「司令官がふらぐしっぷのレ級三体に囲まれたところでっす!続きが気になるぴょん!」
「そうだったね。あの時はさすがに焦ったよ――」
まるで童話か作り話のような武勇伝を語るT督の左胸には、精巧な七色の勲章が光っている。――功一級勲章副章。先の戦いにおいて最大級の戦果を挙げたものにのみ与えられる、名誉ある勲章である。赤色七宝の旭光の上に金の
敵艦五千余撃沈、敵艦大将及び副将撃破。それがこの司令部の戦功である。艦娘総勢八四名にしてこの戦果は、異常といって差し支えないほどに凄まじい。これは本来前線に立つはずのない司令官が最前線に立ち、艦娘を鼓舞していたことで、彼の司令部における士気は他の司令部の追随を許していなかったことが大きい。駆逐艦、空母、戦艦、なんの区別もなく沈めていくT督はまさに鬼神、それに追随する艦娘たちもまた盛大な戦果を挙げていた。味方であるはずの他の司令部でさえも畏怖させたその姿は、一部から鬼と鬼の子と呼ばれるほどに鬼気に満ちていた。
そしてさらに凄まじいことは、
しかしT督には決して人望がないわけではない。前述の通り仲間を大事にすることを優先し、多少バトルジャンキーの気はあるが、基本的には温和で真面目な提督なのだ。それは、比較的錬度が低く、戦場に連れて行くことが出来なかった艦娘達が、構って貰えなかった期間の分を取り戻そうとこぞって遊びに来ているこの様からも分かるだろう。
「凄いなぁ…僕もいつかそんな風になれるのかなぁ」
「そうだね、頑張れば誰でもなれるさ」
「時雨、負けないよ」
「こっちこそ」
対抗心からか澄んだ瞳の水晶に闘志を燃やし、時雨へと可愛らしい宣戦布告をする響に、それに負けじと劣らぬ熱い闘志で見返す時雨。流石に砲撃が始まるような物騒なモノではないが、T督は苦笑と共にその
「ほら、落ち着きなさい。話を続けるよ」
「む……
「ごめん」
「いいえ。それでね、その時――」
昔語りは続く。ともすれば大法螺吹きか頭のイカれた狂人として扱われそうな話ではあるが、T督のトンデモ実績がそれを否定する。絵本を読み聞かせられている子供達のような無邪気な瞳に、わくわくとした心持ちを隠し切れない少女たちは、一層話の中に引き込まれていく。空母娘たちが傷つきながら、それでもT督のサポートに徹してくれたおかげで攻略することが出来たマリアナ沖(沖ノ鳥島海域)作戦、岩礁が多い故に大型艦が進みづらく、已む無く駆逐艦達のみで攻略することになったキスカ島。活躍するのはT督や戦艦のみでなく、自分達と同じ駆逐艦もだ。そして話は前回の大決戦にまで進み――
「提督、いらっしゃいますか?」
その途中にノックの音が部屋の中を転がった。折角盛り上がってきた話に水をかけられた駆逐艦娘達は、露骨に不満の色を
「失礼します。……申し訳ありません、お邪魔でしたか?」
「いや、かまわないよ」
一抱えの書類を胸に抱きながら扉を開けたのは、金剛型高速戦艦三女の榛名。頬を膨らませた卯月や無表情ながらも抗議の目線を送ってくる響を目に入れ、困ったように眉を寄せた。T督の机へと書類を置いた後、ごめんねと謝りながら榛名は駆逐艦達の頭を撫でる。それで溜飲は下がったようで、少女達は各々くすぐったそうな仕草をすると、T督と榛名が話しやすいように間を空けた。
「提督、ささやかながら祝勝会の準備が出来ました。来て頂けますか?」
「おお、もうそんな時間かい」
驚き時計を確認してみれば、時刻は一五一○。既に予定時刻を十分も過ぎていた。
「ほら、皆立ちなさい。今日は夜までパーティだ」
「やった~!ごっはん~ごっはん~」
「たのしみでっす!ほら、提督も早く来るぴょん!」
思い思いに騒ぎながら、駆けていく少女達。幾人かはT督の手を引き、早く早くと急かす。台風のような少女達に連れられていくT督を見守りながら、微笑ましいものを見た、と榛名は小さく微笑みながらその後を付いていっていた。
―― 一九○○。宴も
「いやぁ、すいませんねわざわざ」
「いえいえ、榛名は大丈夫です。提督がお相手できなくて申し訳ないです」
「押しかけたのは此方ですし、そこらへんは仕方ないです。むしろ祝勝会なんて大事な催事にお招き頂いてありがとうございます」
席に着いているのは、この司令部では古株である、榛名、金剛、加賀、摩耶、島風、雪風。そしてその六名に加え、この司令部にはいないはずの、重巡洋艦青葉。彼女が何をしに来ているか、それは彼女を知っている者ならば皆が皆同じ答えへと辿り着くであろう。それというのも――
「それでは、取材としてお話の方を伺わせて頂きますね」
「ええ、分かりました」
今回、最功労を得たこの司令部について知りたいという申し込みが本部へと殺到し、急遽本部直属の青葉を向かわせたのだ。目的は勿論、軍の内報を作る為の取材。提督自らが最前線に立つということは、この司令部を除いて後にも先にもない。本部としてはあってたまるかというのが本音だ。
しかし今回は多数の鎮守府や基地から提督が集まっていたという状況下での活躍を受け、提督自らが深海棲艦と拳を交えるということが露見。前述のこととなったのだ。
「私も今回の戦いの末席を汚させていただいた身です。あの方の戦いっぷりはこの眼にしっかと焼き付けました」
本部直属ということもあり、この青葉は相当に錬度が高い。最前線近くで交戦していたため、まじまじと見ることは出来ていないまでも、何度もT督の勇姿は眼にしていた。それを眼にしてそもそも真っ先に抱いた疑問は、
「まず何であの方は水の上に立てるんですか」
艦娘は艤装という、いわば船の化身を身にまとっているため、船の元々の働きである『浮かぶ』という行為は何の問題もなく行える(潜水艦は『潜る』ではあるが)。そしてそれに付随し、駆逐艦であれば機動力が、戦艦であれば火力が、空母であれば艦載機積載量などといった物が、それぞれ上乗せされる。
しかし、しかしである。T督は人間だ。頭の形さえ除けば何の変哲もない普通の人間である。艦娘と違い艤装に燃料や弾薬を込める必要もなく、服や艤装の修理に燃料や鋼材を必要とすることもない。人間の、はずなのだ。その疑問に答えるのは、青葉と同じく重巡の摩耶であった。
「知らん。提督は『気合で立ったら何とかなった』とかいってたぜ」
「気合って……」
静かにウイスキーを傾けながら、コップ越しのため少々くぐもった声で返って来た摩耶の答えに対し、戸惑いを隠さない青葉。畳み掛けるように、摩耶の隣に座る島風が拗ねた様に続ける。
「あの人さー、私より早いんだよね。昔『提督おっそーい!』ってからかいながら海の上走ってたら『はっはっは、島風も遅いぞー』っていつの間にか高い高いされてた……」
「うわぁ……」
頭をテーブルに載せて、
「後は……そうね、演習に付き合ってもらう度に艦載機を全て叩き落されるわ。爆撃も一切当たらなかったわね」
「……ええと、それは」
「勿論手加減も何も無しよ。そんなことしたら一瞬で大破判定を食らってしまうもの」
「まあ演習じゃ容赦ないもんな、提督。あたしもよく演習頼むけどよ、大体十分は持たないぜ」
空母、加賀。同型艦の赤城に負けぬ積載量を誇り、空母最強・最食と名高い。後者は主にボーキサイトの消費量という意味で。
更に話を聞くに、加賀の艦載機は烈風改・彗星一二型甲・流星改・流星改だという。考えうる限り最強レベルの編成である。しかも古株であるが故に加賀の錬度も高く、艦載機は一糸乱れぬ一匹の生き物のような動きを見せる。そんな編隊を、一機残らず打ち落とすとは。
「あの人、ほんとに人間なんですか? 実はレ級改とか言いませんよね?」
「雪風たちもよく思います。だって全力で酸素魚雷を当てても『びっくりしたじゃないか』って言っただけで無傷でしたもん。雪風なんてあの人が投げてきた砲弾だけで大破したのに……」
「私なんて撃った弾を掴まれて、それで酸素魚雷を相殺されたよ……」
戦艦さえも一撃で大破させると悪評名高いレ級。それよりも更に凶悪なものと比較してなお、劣らない――どころかまだ足りない。ただ砲弾を投げただけで、駆逐艦最強クラスの雪風の装甲を大破まで持っていくのだ。そもそも、普通は砲弾を投げられない。何度でも言うが、T督は人間のはずである。
「あとはそうネ……潜水艦の子達をcatchしてたりもしてたヨー」
「……それは陸上で?」
「勿論海中ですね」
「ですよねー」
最早武勇伝を越えたギャグさえも超越したホラーとしか言いようのない事態である。一縷の望みをかけた問いさえも無情な答えが返ってくるのみ。青葉からしたら、なんだこれはという感想しか出てこない。手元に置いたメモ帳に羅列された文章は、三流作家のチープでチートな物語の設定集か何かのようにしか思えない。
ふと、メモ帳から視線を外した青葉は、ついと宴の中心へと眼を向かわせる。そこにいるのは、大小様々な艦娘たちに囲まれているT督の姿。暁と雷に構いながら球磨の頭を撫で、利根と話をしながら霧島にお酌をしてもらい、更に赤城と呑み比べをしているというなんとも忙しい姿ではあるが、朗らかに談笑しているその光景はとても和やかで。
「そんな
艦娘達に慕われている姿はまるで父親か祖父のような様相を成し、それを眺めている青葉もまた、なんとなく
「まあ、ただの人間が先陣切って戦う、ってこと自体おかしいから無理もねえさ」
「提督は、ただの人間といっていいのかしら。頭の形的に」
「え、あれ被り物じゃないの? 天然由来なの?」
「島風、知らなくて良いこともこの世にはあるんです」
「なにそれ怖い」
「T督はmysteriousなところが素敵ネー」
わいわいと騒いでいる古株艦娘六人からもまた、T督への信頼が透けて見える。それは一つの理想系。互いに守り守られ、寄り添って寄り添われる信用と信頼によって成り立つ関係。ビジネスライクな関係のみの本部と比べて、何と眩しいことか、何と羨ましいことか。青葉の胸中は必然、羨望に満ち溢れていた。
「青葉さんも、提督とお話されてみますか?」
「え?」
心中を見透かされたような榛名の台詞に、思わず心臓が跳ねた。そんな青葉を知ってか知らずか、榛名は静かに微笑みながら見つめていた。
「……いえ、結構ですよ。折角の宴会に水を注すわけにもいきませんし」
「そういった心配でしたら、大丈夫です。うちの子達は聞き分けが良いですから」
「そういった問題じゃ……うわ、ちょっ」
「おら、立った立った。さっきから提督と話したそうにしてんのは分かってんだよ」
「あの人に遠慮するなんて無駄なことよ。お人好しの中のお人好しなんだから」
「加賀さんもよく二人きりのとき甘えてるもん…ちょ、やーめーてーよー! 照れ隠しでも弓は痛いって!」
半ば強引に引っ張られる青葉に続くようにして、騒ぎ
夜は更けて行く。しかして少女達の大騒ぎは終わらない。
一発ネタな気がするので続くかは気分次第です