【習作】ゆうしゃのおしごと!   作:アグナ

2 / 2
豊永将門①

 将棋──。

 それは日本の伝統と文化の由緒ある盤上遊戯だ。

 起源こそチェスなどと同じ古代インドに遡るものの、積み重ねた歴史と独自に発展したルールや伝統により日本色を得たそれはもはや源流とは違った形を形成している。

 

 九×九のフィールドで行われる戦略戦術を尽くした一つの戦いは見るものを熱狂させ、たとえ伝統や文化的な概念が薄れてきている現代のような時代においても多くの人々を魅了する。

 現代において頭脳の格闘戦と称される将棋は、マインドスポーツの一種に区別されており、その試合風景から肉体的に大きく体力を消耗するスポーツとは違い、体力を消費しにくいと勘違いされがちではあるが、盤と向き合い何時間何十時間も集中しなければならない過酷さは頭脳の格闘戦に相応しく、とある棋士は一試合で二、三キロ体重が落ちるといった程だ。

 

 そしてそんな将棋を生業とし、現代においてもその文化の発展と貢献をし続ける者たちをプロ棋士という。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「思うに、放尿はやりすぎだと思うよ。放尿は」

 

 大阪市大阪府──関西将棋連盟。

 そこはそんな由緒正しい歴史と伝統を受け継ぐ総本山。

 多くのプロ棋士や名棋士たちが壮絶なドラマを繰り広げたその舞台にはあまりにも似合わない下品な言葉が時のタイトル保持者、関西の若き新鋭・九頭竜八一の耳に届く。

 

 季節は春。冬の寒さを僅かに残した冷たい春風が通り過ぎる連盟前で、とある中年……もとい此度の事件の主犯を乗せたタクシーが通り過ぎるのを見送った後、八一の隣に立つ青年、豊永将門が呟いた一言だった。

 

「そりゃあ真剣勝負に負けたら悔しい。うん、悔しい。ボクも自らの失態で三段リーグを勝ち逃した時とか死ぬほど悔しかったし、勝てるはずの戦いで負けたりしたら血が出るほど拳を握りしめたりもしたさ。それはみんなも同じことだろう。ボクたちが背にするこの関西将棋連盟でだってそういう逸話が絶えないからね」

 

 曰く、普段大人しい人が会館に観戦記者が驚くほど大声で叫んだ。

 曰く、拳やら足やらを思いっきり壁にたたきつけた。

 曰く、時の名人に向かって「名人なんてゴミ」とまで言った。

 

 悔しさの処理の方法は人さまざまで、人柄が垣間見える豪快なものから逆に悔しさを全く感じさせなかったという話まで歴史の数だけ多くある勝負師たちの逸話。

 それは勿論、八一だって知るところではあるが……。

 

「でも流石に放尿はないね。うん、ない」

 

「ほんッッと、うちの師匠がすいまっせんでしたーッッ!!!」

 

 やれやれと事態終息に協力してくれた豊永の言葉に、遂にいたたまれなくなった八一は全身全霊、本気の本気で頭を下げた。

 自分の二つ上の先輩。しかもアクの強い関西のプロ棋士の中において、よく気が回る人格者として有名であり、実力派の棋士という尊敬すべき相手にここまで乾いた笑みを浮かばせてしまった事実が竜王の胸を抉り切ったのだ。

 

「ほら! 姉弟子も謝って! 師匠の恥は一門の責任!」

 

「そうね。すいません、豊永七段。弟弟子ともども師匠がご迷惑をお掛けしました。手間を取らせた責任として土下座でも切腹でも何でも致します。八一が」

 

 と、八一の振りにそっぽを向きながら姉弟子と呼ばれた人物は他人事のように言い切る。

 彼女は空銀子。

 関西若手として八一、豊永らよりも先行して有名人となったプロ女流棋士の一人である。

 前者二人とは違い、あくまでプロ棋士ではなく女流(・・)プロ棋士ではあるものの、その実力はトップクラスでありテレビ対局や女流参加型の棋戦でプロに勝ることもある紛れもない実力者である。

 また女流としての実力は常軌を逸したものがあり、対女流戦無敗に加え女流タイトルを二つも従えるトップ女流棋士。

 容姿の可憐さもあって《難波の白雪姫》と称される正に関西将棋連盟における若きスターだ。

 

 だが、誰が知ろう。テレビなどの公の場では穏やかな言動で雪のように儚いとまで感じさせる彼女が……勝負にまつわる事柄以外に興味がない生粋の勝負師であり、極めて攻撃的な性格をしたトゲある薔薇で済まされない凶暴な虎であるということを。

 

「待って。ちょっと待って。色々おかしいでしょ姉弟子! 悪いのは師匠で、その責任を果たそうと頭を下げてるのが俺で、それで何で俺が土下座に切腹とかされそうになってんの? 責任の割り振りおかしくない?」

 

 しかしそんな気まぐれな虎のあんまりにも素っ気無い対応に八一は思わずツッコミを入れる。

 幼き頃から体が弱く、外気の日差しを浴びると普段の二割増しで不機嫌かつ投げやりになる姉弟子の性格を知る八一にとっては不機嫌そうな顔でてきとうな対応のされるということは何度となく体験してきたことである。

 故に彼は臆することなく己が不満を口にする。

 

「後始末は八一くんがキッチリしてくれたから土下座も切腹も不要だよ。だけど次からは最悪オムツぐらい履いておくよう頼んでもらえると嬉しいかな。そのあたり空さんから伝えてくれるとありがたい。今の将棋界は色々注目されてるからねー。この将棋がより世間に普及してくれそうな時期に出来るだけ醜聞は押さえたいからね」

 

 彼、彼女らの間柄と性格を知る豊永もまた平然と言葉を返す。

 ただし、この場合豊永の言葉は銀子に対する応えであり、八一にとっての裏切りだった。

 

「分かりました。不肖の弟弟子には後でしっかりと今後は師匠にオムツを履かせるよう命じておくので今後はこのようなことが無いようしっかりと努めたいと思います。八一が」

 

「頼むよ。弟子……それも今の平成のこの時代で内弟子とまでなって清滝先生と共に過ごしとしてプロ棋士となったときの竜王保持者だ。当然、一蓮托生の間柄として、そしてプロ棋士としての責任を果たしてくれるだろうし」

 

 うんうんと頷く両者。完全に八一の言葉など届いてないといった様である。

 

「いや、待って!? 待ってください!!? それプロ棋士何にも関係ないですよね!? ただの老人介護ですよねッ!?」

 

 だがそれで納得するはずなどなく、八一は遂に声を荒げてツッコミを加えるが。

 

「ちょっと何師匠を老人呼ばわりしてるの八一。キチンと師匠と呼びなさい」

 

「八一くん……いくら身内だからと言って親しきものにも礼儀があるんだよ? 君は将棋界を牽引するときのタイトルホルダー、竜王でもある。第三者にいつみられても恥ずかしくない対応をして欲しいね」

 

「え、なにこれ? 何で俺が悪いみたいになってんの? おかしいでしょ! 絶対におかしいでしょ!!」

 

 何故かそれに対して苦言を呈される始末。

 八一の意見など欠片も通すつもりはないらしい。

 

「じゃ、私帰るから。あとはこのおぶ……大切な師匠のズボンを八一が持って帰ること」

 

 

 サッと八一の意識の一瞬の隙を見て彼らの師匠、清滝鋼介(50)の湿った(意味深)ズボンを八一の首にかけ背を向けて歩き去ろうとする心無い姉弟子。

 それに応じて何故か八一の隣に立っていたはずの豊永七段もサッと距離を取る。

 

「ちょ、これ師匠の漏らした……ってかアンタ今、大切な師匠のズボンを汚物呼ばわりしたろ!? 俺に師匠に対する礼節だのを説きながらその師匠のズボンを汚物扱いしてんだろ!? あと豊永七段はさりげなく距離取らないでくださいよ!? 気持ちはわかるけどなんか悲しくなるんで!!」

 

「違うし」

 

「ソーシャルディスタンスは大事だよ、八一くん」

 

「だったら何て言おうとしたんですか姉弟子! あと豊永七段はよくわかりません!」

 

「ところで八一、明日暇?」

 

「え? まあ、はい。明後日対局の予定入れてるんで特に用事は……」

 

「なら昼から八一の家でVS。忘れたら殺すから。絶対に覚えておきなさい」

 

 そういってじゃ、と呟き、今度こそ足早に去っていく心無い姉弟子。

 話題転換を図られた挙句、結局師の後始末までされた八一のことなど知ったことがないといった様である。

 

「分かりました…………って師匠のズボンは、足早ッ!? もうあんな遠くまで!? 競歩!?」

 

 そして八一も八一でこの通りまんまと丸投げされる様。

 姉に勝てる弟はいねえ! と一連の流れを眺めていた豊永の頭に言葉が響く。

 

 ──そして馬耳東風と言わんばかりに去った姉弟子なき後。

 項垂れる八一を眺めながらフッと苦笑するように豊永は声を掛ける。

 

「うんうん、元気なのは良いことだ。幼いころの君たちを知るボクとしては彼女の健康は実に嬉しい。君もそう思わないかい八一くん?」

 

「……分かってたんなら姉弟子に加担しないで助けてくださいよ豊永さん(・・)

 

「いやいや、君たち姉弟(きょうだい)のじゃれ合いに割って入るのはね。ほら、ボクだって馬に蹴られて死にたくはないしね」

 

「馬に蹴られてって……俺たちはそういう中じゃありませんよ。はぁ~、まあいいですけど」

 

 よっとという掛け声とともに首に掛かったズボンを師匠の後始末のために持ち出したバケツに叩き込み、モップを肩に八一は改めて豊永の方に振り向いた。

 

「あらためて、さっきはすいませんでした豊永さん。うちの師匠の後始末を手伝っていただいて」

 

「礼には及ばないさ。歩夢くんほどじゃないがボクも君たちとは浅からぬ縁だ。一応の幼馴染の一人としてこれぐらいの手は貸すさ」

 

 そういって穏やかな笑みを八一に向ける豊永。

 年長者としての余裕と親しみに満ちた安心できる笑みだった。

 

 ──豊永将門七段。

 

 彼と八一の関係はまだ八一が清滝の弟子であり、プロ棋士の卵であった幼少期にまで遡る。

 当時、幼い八一のライバルであり今も鎬を削る好敵手である神鍋歩夢が八一とのVSに同年代のライバルとして初めて豊永を連れてきたのがきっかけだった。

 今でこそプロとなり、人馴れもした歩夢だが当時内気で気弱で人見知りだった歩夢が自分から友と呼びライバルとして連れてきた豊永は幼い八一の目には珍しい存在として印象に残った。

 

 そしていざVSに混ざってきた豊永と戦ってみれば……とんでもなく強かった。

 

 序盤中盤終盤での完璧な差し回しもさることながら年齢からは想像もできない抜群の大局観に加えて攻勢に出た時の切れ味も天下一品。守りに関しても攻める側が嫌になるほどの粘りと堅牢さを見せつけ、当時の八一をして近い世代の中では豊永こそが最強の存在として印象づいた。

 

 だがそれも当然の印象だった。何故ならば……その当時、小学三年生で九歳の豊永は八一たちが属していたプロ棋士育成の奨励会の前段である研修会ではなく、既に奨励会に身を置いていたれっきとしたプロ棋士の卵であった。

 九歳での奨励会加入はかの名人を含む将棋史史上最年少でのことであり、八一も購読していた将棋雑誌にも「恐るべき天才少年」と呼ばれ、大々的に掲載されたのを覚えている。

 

 年上の、自分たちをも凌ぐ天才少年。さらに大人のような余裕と丁寧な物腰も相まって歩夢のように八一が頼れる年上として慕うのはある意味では当然の流れだったといえよう。

 なにせ、あの人見知りがこの年になってまで抜け切らない姉弟子ですら豊永を前には少なからず胸襟を開くのだ。八一には兄弟はいるし、プロ棋士の関係上、年上と接する機会は多くあるが頼れる大人は誰かと聞かれれば今でも豊永の名が筆頭に上がる程度にはそのような立ち位置で八一の中に印象づいている。

 

 将棋の成績において先行する豊永の実績を上回った後でもその関係性は変わらない。

 

「それに清滝先生……いや清滝鋼介九段も気持ちも分からなくはない。非公式戦とはいえプロとなった弟子との初の師弟対局だ。ボクには師の経験はないけれど清滝九段が万感の思いで対局に臨んだこと、君がそれにどれだけの思いで応えようとしたかは対局内容を見れば理解(わか)るさ」

 

「…………でも今日の対局は……」

 

 豊永の絶賛にしかし八一は歯切れ悪く答える。

 対局の内容もそうだが、直近の八一自身の対局結果とタイトルホルダーとなってから気になりだした世間での八一評が脳裏にチラついて素直に受け取ることができないのだ。

 

 ──公式戦十一連敗。

 

 竜王を獲得してからの八一の成績である。豊永とてそれは知っているし、そのせいでインターネットに常在する妬みを謂れのない謗りへと変えるような人々によって手酷く叩かれていることも、そういった評判に八一が思い悩んでいることも知っている。

 

 だが……。

 

「八一くん」

 

 そんな八一の心情を察したのか豊永が声を掛ける。

 声に反応し、俯きかけた八一が顔を上げればそこには幼少期から変わらない全てを受け止めるような穏やかな笑みを浮かべた大人がいた。

 

「君の悩みはボクには多少なりとも分かるよ。なんせボクも通った道だ。自ら打ち立てた嬉しいながらも重圧となりうる類い稀なる結果。君にとっては竜王というタイトルであり、ボクにとっては小学生プロ誕生だ。……もっともボクの方は結果に応えるどころか、中学生プロにもなれなかった落第生だが……」

 

「落第なんて! そんなことは……!」

 

「フォローはいらないよ。勝負は結果がすべて。それは他ならぬボクが、いいやボクたちにとっては常識とも言える事実だ。そうだろう、八一くん」

 

「…………」

 

 豊永の言葉に八一は無言だった。

 そしてその無言が何よりの回答だった。

 豊永はうん、と一つ満足したように頷き、言葉を続ける。

 

「そう、ボクたちにとって勝負は結果がすべてであり、結果が答えだ。そしてその結果にボクはかつて敗れ、君は勝った。将棋史史上最年少での竜王位戴冠。世間が夢見た期待に見事、君は応えてみせたんだよ、そうだろう? 九頭竜八一竜王」

 

「でも、あれは……」

 

「重ねて言おう。結果がすべてだよ八一くん。好不調の波は誰にでもあるもの。大丈夫、君は強いよ八一くん。だから少なくとも今日の結果には胸を張ってあげると良い、それが今日の師匠への本当の『恩返し』にもなるだろうからね」

 

 そういって、八一の肩をポンと叩き、豊永もまた姉弟子のように歩き去る。

 

「明後日の対局は歩夢とだったかな。幼馴染の一人として熱い対局を期待しているよ。八一」

 

 最後に茶目っ気を浮かべて手をぶらぶらと振り、豊永もまた何処かへ去っていく。

 残された八一は胸の内に言いようのない不安を抱えたままだったが……。

 不思議とその重みが確かに軽くなっているのを感じた。

 少なくとも今日の対局結果については素直に嬉しく思える自分に気づき、苦笑。

 

「ハァ……全く叶う気がしないなあの人には」

 

 いつ接しても年齢を十か二十程誤魔化してるんじゃないかと思えるほどの頼りがい。

 プロ棋士としても年長者としてもその立ち振る舞いは嫉妬すら覚えないほど完成している。

 尊敬できる大人……あの人が関西将棋連盟で良心呼ばわりされている理由がよく分かる。

 

「……よし。悩んでいる暇があったら明後日の対局の対策を考えないと、そうと決まればさっさと家に帰って研究だ」

 

 勝負は結果がすべて。

 そうそれが俺たち、プロ棋士の世界の常識である。

 ならば結果でもって汚名を雪ぐのみ。

 

 竜王を戴冠してから直近の成績は連敗続き。

 インターネットを通して聞こえる意見は辛辣なものばかり。

 だが、それに構って後ろ向きなのは辞めようと思えた。

 

 次に勝って、その次も勝つ。

 そして竜王・九頭竜八一という存在を証明するのだ──。

 

「頑張ろう」

 

 その強さを信じてくれる人たちのためにも。

 

 

 

 そうして八一もまた帰路についた。

 そして帰宅した後の彼に数奇なる出会いが待ち受けているのだが……それはまた別の話。

 季節は春。

 桜舞う中、穏やかな春風に伴って若き新鋭の物語が動き出す。

 成りたての竜王に、彼を追う孤高の白雪姫、まだ見ぬ雛鳥。

 物語に勇者の歩みを付け加え、今日も将棋界は廻っていく。




将棋掲示板スレ民
「なら十一連敗という結果が全てなんじゃないですかねー(嫌味)」

浪速の白雪姫
「ぶっ殺すぞわれ」

コテハン『名人? 強いよね』
「今日も荒れてんなー、竜王スレ」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。