あの火災騒ぎから二週間、ようやく復旧作業が終わりを告げた。
皆は本当に頑張ってくれた。やはり我が字恩広告社の結束は固い。これは本当に自慢していいものだ。
もちろん、社としてはそんな社員たちへ大いに報いてやる必要がある。次の賞与は大いに期待できるものになるだろう。
それだけではなく、俺は個人的にも社員たちを労ってやりたい。少なくとも、俺の管轄する営業本部くらいは。
しかし、具体的にどうやって謝意を表し、労ったらいいものだろうか…… しばし考えてしまう。
だがここで我ながらいいアイデアを思い付いてしまった。そうだ! 普段食べないような高級料理をふるまえばいいのではないか!
思い切り豪勢な料理を…… それには、例えばフグ料理なんかはどうだろう?
これはいい。俺は自腹を切って皆にフグ料理をごちそうしてやろう。
「当たらなければどうということはないッ!」
「いや赤井君、ちゃんとしたフグ料理だから。変なフラグ立てないでくれるかな」
そんな平和な日々は長くは続かなかった。
俺は何やら社内が騒がしいのを感じた。それは俺の営業本部ではなく、一つ下のフロアのことなのだが、やけに慌ただしいのだ。
そこにある部署は経理部のはずである。
営業本部と普段あまり接点はないところだが…… 妙に気になる。経理部は社内でも静かな部類に入るところであり、何かが起きているのかもしれない。であれば、営業本部と無関係とも言えないではないか。俺はあえてそこに立ち寄ってみた。
近付くほどその慌ただしさが尋常なものではないことが判る。気の立っている社員たちを避けながら進み、ようやく俺は説明を聞けそうな人物の近くまで行く。そして背中越しに声をかけたのだ。
「この騒ぎ、経理部がいったいどうしたのだろう。理由を聞いてもいいだろうか」
「うるさい俗物! あっ、こ、これは
驚かせて済まなかったな、と思いつつ、俺は経理部部長補佐の顔を見る。
そんなことはともかく、俺は話を聞いて驚いた!
近々我が社に税務調査が入る!? だからこんなに経理部が忙しくしているとは。
確かに…… 税務調査とはとんでもなく厄介だ。収入に漏れはないか、帳簿記載が適切か、経費に妙なところはないか、事細かに調べられる。それに対ししっかり説明しなくてはならない。何より大変なのは証拠となる伝票を揃え、直ぐに出せる状態にしておくことであり、こちら側にその義務がある。要するに山ほどある伝票を仕分けてきちんと閲覧できる状態にしなくてはならず、少しでも隙があれば即追徴課税の対象となる。
ただでさえ大変なことなのに…… タイミングは最悪ではないか。
火災騒ぎで書類はひっくり返っている。普段なら我が社の経理部はしっかりしているのに、今だけはちょっと無理だろう。完全に書類を揃えることは不可能だ。
そこで俺は気付いてしまった。
これは…… 連報の罠だ!
全ては一本につながる。火災も何もかも連報の仕業と考えるとぴったり説明が付く。とすれば、急ぎ対策を立てなくては字恩が終わってしまう。
「
そして俺は
「岸常務、猶予はなりません。全ては連報の仕組んだこと、まんまと追徴課税が発生するように追い込まれました。いや追徴課税自体が問題ではないでしょうが、それを脱税とでも言い換えられ、広められたらとんでもないことに…… 連報は字恩を叩くため必ずそうするはずです」
「…… なるほど。さすがは今営業統括部長、そう考えたら筋が通る。全てが連報の企みだったとはな」
俺の言うことに証拠はない。連報の関与なんて俺の妄想と言われたらそれまでなのだが、岸常務は信じてくれた。まあ怜悧な岸常務のことだから、自分も論理的に考えて、同じ結論に至ったということなのだろうが。
「だからこそ無策のまま税務調査を迎えれば、どうあがいても連報の罠は避けようがありません。字恩は存亡の危機に見舞われます」
「珍しく弱気だな、今部長。いや待て。その言葉を裏返せば、対策が何か存在するということか! まだこの段階ならば」
「……その通りです、岸常務」
「だったら早く話せ! 率直果断なのがお前のいいところだろうが」
何で回りくどい言い方をするのか、と岸常務は目で語っている。
いや、俺もそう思う。
普通なら直ぐに内容を言っているはずだ。しかしそうしていないのは……理由がある。
対策というのが字恩広告の秘中の秘に関わることだから。
そのため、先ずは岸常務を煽り、充分に危機感を持ってもらう必要があったのだ。
「たった一つだけ対策があり、それはとても簡単なことです。岸常務、
「な、何! あの計画を!? そうか………… 浜庵から聞いたのだな」
岸常務が鋭い目を浜庵部長補佐に向ける。
その浜庵部長補佐が、字恩広告のトップシークレットを俺に漏らしたことを知り、咎めているのだろう。それは事実であり、だからこそ俺は浜庵部長補佐をこの場に連れてきた。
ただし、咎めるそぶりは一瞬だけのことだ。
岸常務の優秀な頭脳は、それが最善かつ唯一の手であることを素早く理解したはずである。
深く深くため息をつき、岸常務はそれについて語り始める。
「ふっ、あの計画がまさか税務調査なんかの対策に役に立つとは思わなかった。確かにお前の言う通りだ。通常、税務帳簿のごまかしといえば、経費を過大に書くものだ。しかしこの場合、字恩はそもそも
「アクシズ? 岸常務、それは」
「何だ、計画名までは聞いていなかったのか」
その計画名の由来を知れば、内容まで自ずと明らかになる。岸常務はそれを教えてくれた。
字恩広告社は堅実過ぎるほど堅実な会社だ。横浜市を本拠として、頑なにテリトリーを守ってきた。
だがこれからの時代、それだけではいけないと判断した。そのため、長年の禁忌を破り、ついに横浜市以外にも大規模な拠点を立ち上げることを決断したんだ。
場所は
そこに撮影スタジオ、編集装置、そのための人員を集約する。それだけではなく、大々的にCGやアニメの各種クリエイターを募集する。
それにより我が字恩広告の作る広告に制限はなくなり、飛躍的に高いクオリティのものを生み出すことができる。つまり、大手の作るものと遜色ない広告を制作し、それを提供することで晴れて一流の広告会社となるのだ。
この社運を賭けた一大計画、厳重に秘匿されている。そのためこれらのキーワードの頭文字だけを取り、入念なことに更にひっくり返して暗号にしているらしい。
アクシズ_____ それが我が字恩広告社の発展の礎となる。
発足直前まで秘匿する理由は簡単に判る。決して同業他社に警戒されないためである。そしてそれ以上に、社内において軋轢を起こさないためだろう。長年の禁忌に縛られるあまり、計画に反対する社員は少なくないと思われる。もしも社内が分裂することがあれば新しい計画どころではなくなる。
「アクシズのことは役員会しか知らないはずだった。例外は浜庵だが、それはアクシズが完成したら部長に昇格の上で赴任してもらう手筈だったからだ。しかし今部長にもうっすら気付かれていたとはな。だから浜庵に聞き出そうと思ったのだろう? まあ、これも転機というものかもしれない。ならば税務調査の前にアクシズの存在を明らかにする」
「恐れ入ります、岸常務」
岸常務は俺の言う対策に乗ってくれた。
これで連報の企みを打ち砕ける!
アクシズのための調査費や準備費は、秘匿していたがゆえに経費に計上されていなかったのだ。そんなことは常識の真逆であり、結果的に税金を余分に払っていたことになる。この事実を表に出すだけで、やってくる国税調査官も目を白黒だろう。もはや追徴課税の恐れはない。
だがしかし、俺はもう一つのことを考える。
岸常務に心労をかけ、また経理部に多大な負担を負わせてくれた。
原因は連報であり、このツケを払ってもらわなければ辻褄が合わないではないか。それに何より火災まで起こされたのだ。そこまでされたのだから、もはや黙ってはいられない。
「岸常務、もう一つご決断を」
「まだ他に何かあるのか、もう腹はいっぱいだ」
「字恩は守ってばかりでよろしいのでしょうか? 連報は益々つけ上がり、字恩を潰しにかかるばかりです。ここは思い切って反撃に出るべきです」
間もなくこの業界に嵐が吹き荒れることになる。
後々まで語り継がれる戦い、主役はこの二人だ。
連報最強の魔術師、輪岩戸緑、そして字恩の無敵の知恵者、今部長である。
互いの存亡を賭けて、相討つ。