現時点では八幡の呼吸の練度はかまぼこ組と比べると劣ります。
水の呼吸の柔軟性は炭治郎以下、雷の呼吸の速度は善逸以下、風の呼吸の敏捷性は伊之助以下です。
しかし、だからといって八幡が剣士として彼らに劣るとは限りません。
走る。
雷の呼吸によって速度を上げ、気配の元を見据える。
狙うは異形の鬼。
巨大化した体躯に、暗い緑色の肌。
無数の手が身体中から生え、全身に巻き付いている。
特にガッチリと巻いているのが首辺り。大方弱点である首を守っているのだろう。
おぞましく、醜い姿の鬼。ここまで成長してしまえば、普通の訓練生には荷が重いであろう。
そう、普通の訓練生には。
【雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃】
先手必勝とばかりに、八幡は剣戟を繰り出した。
やはり本来の技のおかげか、崩しよりも速く力強い動き。
鬼は八幡の不意打ちに気づいておらずノーガード。
そのまま鬼の首を刎ねるかと思いきや…。
「た……助けて……!」
鬼の前で尻餅を突き、今にも鬼の手にかかろうとしている少女の剣士を見て、急きょ予定を変更した。
「!?……ッチ!」
進行方向を無理やり変更。
少女に向けて伸ばしている鬼の腕を踏み台にする。
八幡はサマーソルトをしながら進行を変え、同時に鬼の腕を蹴り飛ばした。
「きゃあ!?」
「黙ってろ…ったく、あのまま首を斬り落とす予定だったのに!」
着地するとほぼ同時に少女を抱き上げ、雷速を使ってその場を脱した。
「狐の面……今年も鱗滝の弟子が来たんだな」
「………あ?」
八幡はその場で止まり、鬼に振り返った。
「狐小僧。今は明治何年だ?」
「忘れた。いちいち数えてられるか」
「鱗滝の弟子は教育がなってないな。そんなのも分からないのか」
「なんでそこで鱗滝さんの名前が出てくる?まさか知ってるのか?」
少女を木の影に隠し、鬼と対峙する八幡。
その間も警戒は一切怠らない、視線は鬼の方を向き、何時でも刀を抜く態勢に入っている。
この鬼は八幡を可愛い狐と、狐小僧と連続で呼んだ。
まるで知己であるかのような、その素ぶり。
久し振りの会話が嬉しいのか、鬼は丁寧に八幡の問いに答える。
「知ってるさァ! 俺を捕まえてこの藤の花の牢獄にぶち込んだ張本人が鱗滝だからなァ。もう四十年程も前になる」
「そうか、道理でそこまでデカくなってるわけだ。すげえ鬼臭いぞ、お前」
ギリギリと、怒りで全身の手に力を入れる鬼に対し、八幡は余裕の態度を崩さない。
勝てない相手ではないからだ。
サイズこそ厄介だがソレだけ。
ちゃんと手は存在している。
「その狐の面、確か…鱗滝は厄除の面とか言っていたな?俺はそいつを目印にしてるんだ」
「……お前、この面の子供を知ってるのか?」
「会いてえか?だったら……今すぐ会わせてやる!」
突然、鬼は全身の手を八幡目掛けて伸ばした。
八幡は横に跳んで避け、木々の間を抜けて離脱する。
「そうか……。テメエが……鱗滝さんの弟子を喰った鬼か」
「ああそうだ。鱗滝の弟子は俺が全員食ってやる。力を溜めてここを出て、鱗滝も弟子に会わせるんだよ! 俺の腹の中でな!!」
鬼―――手鬼は怒りを込めるかのように、全身の腕が力んだ。
「アイツに見せつけてやる! テメエのせいで弟子が苦しみながら死んだことをな! 俺の何倍の苦しみを、お前ら弟子と鱗滝に味合わせてやる!!」
「………ッハ」
手鬼の慟哭を八幡は鼻で笑った。
「生憎俺が鱗滝さんと会う場所は臭いお前の腹の中じゃない。あの家だ」
ヒュゥゥゥゥと、八幡は水の呼吸で恐怖を押さえ、戦意を静かに高める。
「お前の首を土産にする。あと遺品も戦利品として持ち帰る。持ってるんだろ?」
「ああ、この先に洞窟がある。そこに置いているが……お前には無理だ!」
手の数本が八幡に向けて射出される。
咄嗟に刀を振り下ろして斬りはらうが、向かってくる腕の数はどんどん増えていった。
どうやら、コレが答えらしい。お前はここで死ぬから無理だ、さっきのは冥途の土産だと。
もっとも、この程度で八幡を冥土に旅立たせるには足りないが。
八幡は全て手鬼の攻撃を避けた。
跳んで、身体を捻り、弾き、必要最低限だけ刀で逸らしながら接近する。
何も全部の腕を切り落とす必要はない。すぐ生えるのなら受け流すだけで十分だ。
「お前、やるなぁ。前の鱗滝の弟子は大したことなかったぞ。すぐに捕まえて手足を捥いでやった。なるべく苦しませるようになぁ」
ねっとりとした声で、手鬼はクスクス笑いながら言う。
落ち着け八幡。これは罠だ。挑発する事で余裕を無くさせ、呼吸を乱そうとしている。ここで取り乱せば相手の思うつぼだ。
「!?この…!」
挑発に乗ったのか、八幡が無理やり手の弾幕の中に飛び込む。
体を低く構え、潜り込むように下方から転がり込んだ。
ソレを待っていたかのように、八幡が転がった先から無数の腕が地面から飛び出した。
誘い込まれた。
挑発して、わざと隙を見せて、追い込むように手を使って。
成功したと手鬼はほくそ笑んだ瞬間……。
「ッシュ!」
八幡はその場を跳躍。
でんぐり返しから立ち上がると同時に、その勢いと全身の筋肉の力を使って跳び上がったのだ。
「(クソ! 俺の罠にも最初から気づいていたのか!? だが。空中なら逃げ場はない)
八幡に向かって無数の手を伸ばす手鬼。
ここで手鬼は忘れてしまている、八幡がどうやって少女から自身の魔の手から救い出したか。
覚えていれば、自身の判断は悪手だと気づいていたであろう。
「ッフ!」
八幡は伸ばされた手を足場にして、更に接近した。
直接当たろうとするものは避け、刀で弾き、足場になりそうな手を直ぐに見つけてみせたのだ。
「(お、俺の腕を足場に!? だが、まだまだ手はある!)」
足場になっている腕から新たに腕を生やして足を掴もうとするが、ソレを跳躍して即座に手から降りる。
「シイアアアア…」
呼吸が変わった。
水流のような音から嵐のように荒い音へ。
同時に八幡の動きが鈍くなる。
あの流麗な動きに濁りが生じ、粗が見え始めた。
一瞬、好機だと思うと同時に、恐怖を覚えた。
何か仕掛けようとしている。
「(させるか!)」
数本の腕を伸ばす。
死角から、全方向から、時には腕を急に曲げて。
しかし全て避けられる。
迫り来る手を斬り落とし、木々を楯にして駆け回って。
八幡は手鬼を中心にして林を駆け巡りながら、確実に距離を詰めていった。
「(こ、このガキ…最初のあれは手を抜きやがったな!)」
最初に見せた剣劇と動きが違う。
より攻撃範囲が広く、より手数を多く、より動きを速く。
敢えて手を抜くことで動きを憶えさせ、急に変えたのだ。
もっとも、八幡は手を抜いたつもりなのないのだが……。
「(クソ!木が邪魔だ!アイツ木を楯にしやがってる!)」
障害物が鬱陶しい。
木々の間を潜り抜ける事で、手鬼の視界と攻撃から逃れている。
やりにくい。
ただでさえ動きが急に変わって動揺しているのに、更に捕まえ辛くなった。
「(だが、俺の首を狙って確実に接近してくる!その時が勝機だ!)」
人間は鬼と違って勝ち筋が決まっている。
首を刀で刎ねる。これしかないのだ。
そのために接近した時が勝機。そこを突けば、どれだけ動きが変わろうが関係ない。
勝つのは自分だ。たとえ相手が今まで戦ったことのないような類でも。
「(だ、大丈夫だ!俺の首はこの腕で守っている!コレがある限り俺の首は落とせない!)」
「シィィィィ…」
再び呼吸が変わった。
嵐のような音から雷のように激しい音へ。
同時に八幡の動きが鈍くなる。
風のように速く自在な動きに、隙が見えた。
勝機だ。今ならやれる。
さっきは失敗したが、今度こそ成功させて見せる。
死ね鱗滝の弟子! お前も胃袋の中でお友達に合わせてやる!
手鬼は全ての手を伸ばす。今度は確実に八幡を捕まえて息の根を止める為…。
【雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃】
遅かった。
八幡を捕まえようと腕を伸ばしすぎていた。
攻撃は最大の防御ではあるが、最大の隙でもある。
手鬼は八幡によって攻撃の手を誘われ、隙を晒してしまった。
相手の隙を手招きしていたのは手鬼だけではない。八幡も同じである。
「(切られた? 俺の…首が……?)」
暗転する視界。
切り離された首が空中を回っているのだ。
崩れて消えて逝く肉体が、彼の瞳に映った。
「(死ぬ……俺が?)」
呆然と、鬼は最期を想う。
どうして、こんなことになってしまったんだろう。
どうして、負けて首を切られてしまったんだろう。
どうして、自分の兄を喰らってしまったんだろう。
怖い。夜に一人は怖い。手を握ってくれよ、兄ちゃん。
「(あれ? あ、に?……兄って…兄ちゃんって、誰だっけ……?)」
瞬間、誰かが彼の手を握った。
「………あ」
思い出した。
兄を殺したのは……自分だった。
心配して駆けつけてくれた兄を生きたまま食い殺してしまった。
何故今まで忘れていたのだろうか。何故食ってしまったのだろうか。
あんなに大事で、あんなに後悔して、あんなに悲しんでいたのに……。
「(兄ちゃん……ごめん……ごめんよ……!)」
今はもう無い体で手を伸ばす。
少しずつ景色は真っ暗になり、すると伸ばした手を握ってくれる一人の少年が見えた。
『しょうがねぇなあ。いつも怖がりで』
「(兄ちゃん……!)」
その手を……兄の手を掴み、一筋の光の元へと歩いて行った。