何故か呼吸が使える、自前の日輪刀持ち、一文無し、稀血。
ここまで揃って鬼殺隊に入らない理由はありませんね。
駆ける。
八幡は恐るべき俊足を活かして兎に角、我武者羅に野原を駆け巡った。
対して化物は恐るべきスピードで八幡の元へと迫ってくる。
まるで猫が鼠を嬲るかのように、敢えて手を抜いて。
「クソが……うお!?」
突如、八幡は走行のスピードを殺すことなく前転する。
次の瞬間、ドオン!と、まるで巨大な鉄球を壁にぶつけて破壊するような音が響いた。
八幡の回避で目測を外した巨大鋏の突進が、眼前にあった人一人分はある岩を破壊したのだ。
八幡という普通の少年を殺すにはあまりにもオーバーキルな威力。
肉食獣と獲物どころの差ではない。
想像上の怪物に虐殺される一般人。
もしここが物語ならば、八幡は無残に殺される一般人という役割であろう。
「もう飽きたから終わらせるわ」
「勝手なことを……!」
口ではそう言うも、突きつけられた理不尽な現実に八幡は震え、尻もちをつく。
彼は、眼前の理不尽に屈したのだ。
対して化物は舌なめずりをするかのように、ゆっくりと八幡に歩み寄る。
距離を詰めながら、血で汚れた右手の大鋏をカチカチと鳴らした。
瞬間、八幡の横を刃が通り過ぎた。
タラリと、彼の頬から血が垂れる。
獅子は一匹のウサギを狩るのにも全力を惜しまない。
しかし、化物が行っているソレは、全く真逆の理由からであった。
弱り切っている八幡に、自身の凶器を見せつけ、その絶望を煽ろうとするものである。
彼の狙い通り、全身の堰が壊れた。
八幡の腐った眼からは涙が締りの緩い蛇口のように垂れ流れ、全身からは脂汗のようなものが。更に股は溢れた何かが拡がっていった。
その様子を見て化物は醜悪な笑みを浮かべる。
鋏に着いた稀血を肴に、八幡の無様な姿を眺め、化物はとても満足した。
「(……死ぬ?)」
何かが沸いてくる。
身体の奥底から、侵食するかのように。
まるで全身を氷に包まれたかのような悪寒。
ほんの少し認識してしまた程度で、八幡の体を乗っ取った。
死の恐怖。
平和な世の中では感じる事すらなかった感情。
ソレが今、ハッキリと目の前に突き付けられることで目覚めてしまった。
「あ…ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
八幡は落とした刀を再び手に取り……。
スパンッ。
八幡の引き抜いた刀が、化物の大鋏を刎ねた。
尻餅をついた状態での抜刀。
普通なら力が入らないというのに、化物の肉と骨を断ったのだ。
「へ?……ぎ、ギャアアアアアアアアアアア!!?」
悲鳴を上げる化物。
一瞬、何が分からなくて呆けた声を出すが、遅れて感じた痛みによって現実を理解。
切り口から血を噴出させながら、化物は切断面を押さえて数歩程下がった。
この時点で、八幡には相手の手を切り落としたという自覚はない。
それどころか、何かを切った感触すら感じていないだろう。それほどまでに彼は必死だった。
そう、“必死”なのだ。
「死にたくない」
必死。
死にもの狂い。
八幡は死の恐怖によって狂っていた。
狂っているものには人間が持つべきストッパーなど何の効力もない。狂気のままに振る舞う。八幡もまた、それに倣っている。
狂気は八幡に命令する。戦えと。さっさとその弱者を殺せと。
その声に従い、八幡は刀を上段に構え直し、振り下ろす。
見事な斬撃。
足腰が入り、体重も乗った一撃。
もしこれが藁斬りなら、彼は免許皆伝を言い渡されていたであろう。
「うおッ!?」
だが、彼の一撃はあっさりと避けられた。
今は実戦。藁斬りとは違うのだ。
「死にたくない、だから……お前が死ね」
「死ね……殺す…ぶっ殺してやる!!」
変わった。
死にたくないから死ねに。死ねから殺すに。殺すからぶち殺してやるに。
殺意と狂気を呼吸と刀に込め、彼は武器を振るう。
「死ねヤァ!!」
「ざけんじゃねえ! 人間は俺に食われろやぁ!!」
化物は一瞬で手の大鋏を切断面から生やし、八幡の剣技を受け止める。
なんたる再生力。これも化物だからこそ為せる力である。
しかし、その程度で死に直面した狂人は止まらない。
「ゴオオォォォ……」
激しい呼吸音。
鍔競り合いを3秒程続けながら特殊な呼吸を行って力を引き出し、ソレを発揮した。
刀を止める大鋏を絡め取り、跳ね上げる。
真上に無理やり上げられた化物の右腕。
がら空きになった脇腹目掛け、八幡は刀を横に構えなおして横一文字に刀を振るう。
「この…ざけやがって!」
化物は左手も大鋏に変えてソレを防いだ。
続けて、反対の手の鋏で八幡を突き刺そうとする。
その前に八幡は蹴り飛ばす事で距離を稼ぎ、化物の鋏から逃れた。
「うわあああああああああああああああ!!」
「あああああああああああああああああ!!」
追う形で刀を振るう八幡と、迎え撃つべく両手の大鋏を振るう化物。
技と歩法で攻撃する八幡と、パワーとスピードで対抗する化物。
一人と一体の攻防は互角だ。……いや、八幡が優位だった。
八幡の刀が化物に当たり始めている。直撃こそしてないが、刃先が表皮を切っているのだ。
対して、化物の鋏は当たってない。受け流し、受け止め、避けて。全て防いでみせている。
徐々に当たり始めている八幡の刀と、危なげなく防がれる化物の鋏。
どちらが優位なのかは火を見るより明らかである。
「うわッ!?」
振り下ろされた八幡の刀を鋏で受け止める。
空手の十字受け。
化物には格闘技の知識はないが、自然とこの動作を選択した。
ああ、確かにこの一撃を止めるというのならこの受けが最適。
しかし、次の手を考えるなら悪手であった。
「ぐあっ!?」
受け止められた箇所を支点にして、柄頭で化物の顎をカチ上げた。
その一撃によって脳を激しく揺らされながら倒れる化物。
化物は大の字で地面に倒れ、コレ以上無いほどの無防備を晒している。
対する八幡は柄で下から殴った事で、剣先が後ろを向いている。
今こそこれ以上ないチャンスである。
「はぁ…はぁ……。ゴオオォォォ……」
刀を力いっぱいに握り締め、絶好の位置へと移動する。
疲労と反動で悲鳴を上げる身体に鞭を打って、荒い呼吸を無理やり整える。
刀を振り下ろす。
一歩踏み込んで足腰の力を込めて、刀に全身の体重を込めて、呼吸の力を最大限に込めて。
【■の呼吸 壱の型 ●●】
遂に、八幡の刀が化物の首を刎ねた。
「ぐ、う…ぁぁ……?」
刀が落ちた。
握力が無くなった八幡の手から、ポロリと自然落下。
カランと金属音を立てた。
「あ…ぅぅ……」
胸を押さえて八幡は倒れ込んだ。
八幡の全身を強烈な痛みと激しい熱が襲う。
身体中の血管が破裂するかのような痛みと、血液が沸騰するかのような熱。
ソレらの苦しみに耐えきれず、八幡は呼吸も忘れてその場に倒れ伏してしまった。
反動。
特殊な呼吸を使いすぎてしまったのだ。
八幡はまだこの呼吸を使いこなしていない。
呼吸を維持できるのはせいぜい数分程度、剣技に至ってはたった一度しか使えない。
もし制限を無視して乱発すれば、反動によって強烈な疲労と痛みと熱によって苦しむ事になる。
そう、今がその状態である。
「ぁ…ぅ……」
疲労、痛み、熱。
どれか一つだけでも辛いのに同時に襲い掛かる。
八幡はそれらに耐えきれず、意識を手放してしまった。
「ほう、こりゃいい拾いモンだな」
そんな八幡を一人の男が楽しそうに眺めていた。
八幡が使った呼吸と技は言うまでもあの人のアレです。