町が歪む。
空が歪む。
空間に亀裂が入り、徐々に振動は強くなっていき、まるでコップに注ぎすぎた水がこぼれるように、その現象は引き起こされる。
──"空間震"と呼ばれる現象だ。
"精霊"と呼ばれる存在がこの世に現界するときに発生する余波。その規模は精霊によってまちまちだが、基本的には半径二、三キロ程度を更地にすることなど珍しくもない。
精霊自身の強さには関係なく、何らかの要因で空間震が発生するのだ。
そしてたった今、今までと同じように空間震が発生した。
──ただし、天宮市全域を覆ってなお余りあるほどの凄まじい範囲を更地に変えるほどの空間震が。
見慣れた街並みが廃墟に変わる。
これほどの大規模な空間震は、およそ三十年ぶりであるとされた。ユーラシア大陸のド真ん中に風穴を開けた半年後、日本に起こったものさえ超す規模。
当然ながら、当時と違って事前に警報がされたため負傷者は少なくなるだろう。空間震が起こったのが夜中であるためにゼロと言えないのが悲しいところではあるものの、地下シェルターなどが完備されている現代では珍しいことだ。
サイレンが鳴らされ、市の決めた避難所へと歩く人々。
「シドー、一体なんなのだ? 私は眠いぞ……」
「俺だって眠い。まだ夜中の三時だからな……でも、空間震は待ってくれない。けがをするのは嫌だろ?」
「うむむ……シドーがけがをするのは見たくないな。私は我慢するぞ……」
眠そうに眼をこする黒髪の美少女と、それを宥めながら歩く青年。初々しいカップルのようにも見えて、微笑ましそうに見る人や殺意を持った目で見る人もいた。
すでに避難所にはそれなりに人が集まっており、時折不安そうにしながらも眠気に負けて一人また一人と眠りに落ちていく。
地下シェルター内に明かりはついているものの、外の時間帯が時間帯ということもあってやや薄暗い。
加えて、どこか諦観にも似たどんよりとした空気が漂っている。
「まぁ、当然といえば当然よね」
赤い髪をツインテールにした少女が、チュッパチャップスを口にくわえたままつぶやいた。
誰もが迷惑しているのだ。昼間に起これば仕事ができず、夜中に起これば眠れもしない。人の命を容易く奪う災害が頻繁に起こることなど、本来ならばあってほしくない出来事なのだから。
町は一晩もすれば自衛隊の災害復興部隊と呼ばれる部隊が元通りにしてくれるが、人々に刻まれた恐怖とはなかなか消えるものではない。
そして重要なことがもう一つ。
──先にも言ったが、この空間震とは"精霊が現界する際に発生する余波"であるということ。
つまり、これは予兆だ。
青年──五河士道の隣にいる黒髪の美少女──夜刀神十香。
彼女こそが、その精霊の一人であり、かつては同じように空間震を発生させていた原因でもある。現在はとある理由によって霊力を封印され、普通の女子高生として生活を送っている。
そんな存在が、この町に現れる予兆。
「しかし、今回の規模は大きいわね……今までの精霊とは段違いだわ。原初の精霊ほどじゃないけど、結構被害は大きそうね」
「これだけの広範囲に空間震が起こるってことは、それだけ精霊の力が強いってことなのか?」
「一概にそうとは言えないわねー。相関関係にあるかどうかはまだ研究が進んでないこともあるし、現状は不明よ」
「そうなのか」
赤髪ツインテールの少女、五河琴理。〈ラタトスク〉と呼ばれる組織の一員であり、簡単に言うと『精霊の力を封印して一般人と同じように生活をさせることを目的としている』組織である。
たった一人で世界を殺しかねない精霊を封印する。その時点で既に計画には無理な部分があると思われるだろうが、現に一人──いや、二人の精霊を封印することに成功している。
まだ始まったばかりの計画だが、必ずうまくいくと思っている。それくらいは士道のことを信頼しているのだ。
その士道は琴里の方を向いて疑問を浮かべる。
「今回現れた精霊はどうするんだ?」
「一応〈フラクシナス〉で調べさせてるけど、データが無いから詳しいことはわからないわ……もっとも、だからと言って攻略を諦める気はないわよね?」
「当たり前だ。ASTに彼女たちを殺させるわけにはいかない」
AST──│対精霊部隊《アンチ・スピリット・チーム》。未曾有の被害を生み出す精霊という災害に対して、人類が生み出した対抗策。
琴里の属する〈ラタトスク〉とは別の思想で動く組織だ。もっとも、こちらは公的に認められた機関であり、〈ラタトスク〉のような秘密結社ではないのだが。
それはさておき、ASTの思想としては『精霊は危険だから殺しておこう』というものとなる。余波である空間震だけでも相応の被害が出るというのに、人類に対して敵意を持った精霊が出てきた場合の被害はそれを優に超える。ゆえに彼らは精霊に対して敵対意識を持ち、
彼我の差が絶対的と言えるほど大きかろうとも、顕現装置を使う彼らは
士道は、それをさせないために〈ラタトスク〉に所属している。
「……デートして、デレさせる、か」
十香を封印する際に一度死にかけたこともある士道としては、次はあんなにならないといいなぁという淡い希望を抱いていた。
好感度が一定以上になった時にキスをすることで精霊の霊力を封印できる士道の力は確かに特殊で、〈ラタトスク〉の目的の根幹を担っている。最初からこの調子で大丈夫だろうかと思わなくもないが、何故だか死ぬほどの傷を受けてもいつの間にか治っていた。
琴里はそのことを知っていたようだし、彼女が大丈夫という間は大丈夫なのだろう。……多分。
そんな時、琴里が右耳につけたインカムから連絡を受けてバッグからタブレット端末を取り出す。手慣れた様子で操作し、一つの映像が流れ始めた。
「映像が出たわ。十香のことは椎崎が引き継ぐから、今すぐ〈フラクシナス〉に移動するわよ」
手元のタブレット端末を士道に渡しながら、琴里は立ち上がって歩き始める。〈フラクシナス〉の船員である椎崎という女性に後を任せるというのだから、十香はこのままで大丈夫だろう。そう判断して士道も立ち上がり、琴里に続いて歩く。
本人は枕に抱き付きながら夢の世界に旅立っている様子だが。
すぐ戻るからな、と小さくつぶやき、士道は渡されたタブレット端末に視線を落とす。
そこには、巨大なクレーターの中心に一人たたずむ少女がいた。
流れる金髪に金色の瞳。年は士道よりも上に見えるが、そもそも精霊に人と同じ感覚で年齢を計ろうとするのが間違いなのかもしれない。
妙にメカメカしい服装をしており、十香が来ていた霊装のドレスとはかなり違う。頭以外を覆うそのライダースーツのような服装は、ともすれば近未来的ともいえた。
「……これ、今の映像なんだよな?」
「ええ。ASTも手を出しかねているみたいね。これだけの空間震を引き起こした精霊だけど、彼女は現界して以来微動だにしていないもの」
「それって……」
「意識がないのかもしれないわね。前例はないけど、仮にそうだとしたらまずいわ……『天使』も発動していないことになるもの」
精霊が人と隔絶した力を持つ、その最たる理由が『天使』と呼ばれるものだ。
精霊によって持つ力はまちまちであっても、そのどれもが現在の人ではなし得ない空前絶後の異能力。十香であれば『
同時に、それらは精霊が自身の体を守る鎧としての役割も存在する。そちらは『天使』ではなく、『霊装』と呼ばれているが。
それが発動していないのだとすれば、かなりまずい。
「じゃあ、あの子は今無防備なままあそこにいるってことか!?」
「さすがに虎の子を起こす真似はしないと思いたいけど……また同じように広範囲に空間震が起きて、次も被害が出ると考えれば──一撃必殺にかける可能性はあるわ」
シェルターから出た二人はすぐに指定のポイントに移動し、空中艦〈フラクナシス〉へと回収される。空中艦の真下にいれば転送装置で移動が可能なので、かなり便利である。
回収された士道と琴里は急いで指令室へと向かい、スクリーンに映し出された映像を見る。
それと同時に、副司令である神無月という男が焦ったように言葉を紡いだ。
「司令! たった今、ASTが新たなる精霊へと攻撃を開始しました!」
「なっ……現状は!?」
艦長席に移動しながら、琴里は報告を求める。琴里が予想した最悪の展開が脳裏をよぎり、士道は若干顔を蒼くさせた。
直後にスクリーンに映し出された映像は精霊のいる地点と、何やらグラフなどが書かれたいくつかのデータだった。
「おそらく、〈クライ・クライ・クライ〉による狙撃と思われます。ですが、出現した精霊には通用しなかった模様。記録された映像を流します」
さらに現れた映像を見ると、スロー再生によって弾丸が精霊にあたる直前で途切れていることがわかる。確かに眉間に放たれた弾丸は直撃するはずだったが、あたる直前に
絶対的な防御機構である霊装があれば確かに防げるだろうが、狙われたのは霊装で覆われていない頭部である。『天使』なしに防げるとは思えない。
「……彼女の意識がないと仮定しても、『天使』が発動していない理由にはならない……?」
「見えないだけで霊装の範囲内という可能性も存在します。また、防衛機能に優れた『天使』である可能性もあるかと」
「そうね。所有者の危険を察知して自動的に防衛する『天使』だとすれば、こちらとしても都合がいいわ」
ASTに討伐される危険性も少なく、攻撃性が低ければ士道の安全も保障される。
しかし、彼女は依然として微動だにせず、ASTの攻撃に対しても一切の反応を返さない。意識が無いのでは会話が成り立つはずもなく、現状では打つ手なし、というわけだ。
何時
士道は一人だけ眠ることを渋っていたが、十香が起きて精神が不安定だと伝えるとようやく折れて避難所へと戻っていった。
「さて、新たなる精霊──名称は〈サイレント〉としましょう。彼女の現状を把握、及び保護を優先とするわ。急いで準備しなさい。」
「初めてあらわれた精霊ですからね。どのような存在かわかりませんし……何が原因なのでしょうか」
「私に聞かれても知らないわよ。ただ、
何はともあれ、彼女を保護しなくてはならない。
精霊を殺させず、保護して、守ることが〈ラタトスク〉の目的なのだから。
ASTになるべくばれないように動いている〈ラタトスク〉だが、最悪陸自にその存在が露見してしまっても仕方がない。上はともかく、琴里たちはそう考えていた。
まぁ、今は〈サイレント〉の『天使』も動いているようだし、焦る必要はないと考えて作戦を練ることにする。
●
三日が経った。
巨大な空間震が発生したその三日後。士道は再び〈フラクシナス〉に来ていた。朝食をとった後、ここ三日帰ってこない琴里から呼び出しがあったためだ。
先日出現した精霊についてだろうと考え、検査があるという十香とともに琴里のもとへと向かっていた。
この三日間、避難所で生活することになっており、当然学校は休み。空間震に巻き込まれないようにしていたといえば聞こえはいいが、単に暇していただけである。
道中で十香は検査があるために分かれ、一人で指令室へと向かう。
指令室に入った瞬間、全員の顔が疲れ切っている様子に気づいて驚く。まっすぐ琴里のところへといき、最初に先日の精霊について聞いてみる。ここに来るまで何も聞いていなかったので、気になっていたからだ。
「それで、結局あの精霊はどうなったんだ?」
「──〈サイレント〉なら現界しっぱなしよ」
は? と目を丸くする士道。
精霊は十香にしか会ったことのない士道だが、それでも三日間現界しっぱなしというのが通常ではあり得ないということはわかる。
基本的には長くても半日。精霊の意思とは関係なしに消失することもままあるが、数日間現界し続けるなど例外中の例外と言えるだろう。
疲れ切ったサラリーマンのように嘆息する琴里。目の下にはうっすらと隈ができている。
実際、三日間も精霊が現れたまま動かないのだ。ASTも諦めたのか、途中で戦闘はやめたようだが、監視はいまだに続いているらしい。
避難所に缶詰だった時から薄々嫌な予感はしていたが、まさかここまでとは思っていなかった士道。思わず口に出してつぶやく。
「それって、結構まずいんじゃ……」
「結構も何もかなりまずいわよ。避難所に押し込められっぱなしの一般人も不満がたまってるだろうし、動きがないからASTもうちも動きようがないし、割と手詰まりね」
「どうにかならないのか?」
「できたらとっくにやってるわよ、このすっとこどっこい。もうちょっと考えて発言しなさい」
キレのない毒舌に「これは相当参ってるな」と感じる士道。
どうにか現状を打破したいが、自動防御機能でもあるのか動かすことも出来ない。消失もしなければ動きもしない以上、周りの復興だけは続けているが緊張感が薄れつつある。あくびをしている船員が怒られ、それを真似して怒って貰おうとした神無月がマッチョの男に連れていかれるところまで見て、士道は別のところへ目を向ける。
スクリーンに目を向ければ、金色の瞳が焦点も合わずにどこかを見ている精霊〈サイレント〉。
ASTが厳戒態勢で監視しているだろうから、迂闊に近づくことも出来ない。
さてどうしようかと頭を悩ませても、今までこんな状況を指揮したことのない士道にいい案など浮かぶはずもないのだ。そういうことは専門的な知識を持った者の仕事であって、士道の考えることではない。
士道にできるのは、精霊の力を封印することだけ。
ならば一体、どうすればいいというのか。
ただ黙って時間が過ぎるのを待てばいいのか。そんなことをやっていて、ASTに討伐されてしまっては元も子もない。
あの精霊が意識を取り戻すのを待てばいいのか。彼女が意識を取り戻す可能性と、彼女が意識を取り戻すまでの時間。二つの条件をクリアしなければ、現時点では不可能でもいずれASTに捕縛されてしまう可能性もある。
手出しができない。それがどうしても士道には歯がゆくて、一旦頭を冷やそうと部屋を出ていく。
トイレに行って顔を洗い、さっぱりしたところでどうするかを考えようとした、まさにその時。
『君に彼女を助ける気はあるかね?』
背後から声が聞こえた。
男とも女とも、老人とも若者とも区別のつかない声。驚いて振り向いた先には、わずかに床から浮いた金髪の青年がいた。
老若男女の区別がつかない体格、声、顔立ち。すべてが中性的なパーツで構成された青年は、わずかに笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
『君に彼女を助ける気があるのならば、私はそれを手助けする用意がある』
「……本当か?」
『もちろんだとも。今の状況は私には不本意極まりないものでね……予想以上に出てくるのが早まってしまったのは、些か誤算だった』
最後に呟いた言葉は士道には聞こえなかったものの、青年の目的は士道に伝わった。
利害が一致している以上、組むことに否は無いと。
だが、突如として現れた青年をいきなり信じろというのも土台無理な話ではある。方法にもよるが、士道を貶めようとしている可能性が無いわけではないのだ。一般人では知り得ない精霊のことを知っていて、なおかつ意識を取り戻させる方法まで知っているという。──ここまで怪しい存在も珍しい。
とはいえ、何をやるかも知らないのでは受けるも受けないもない。
「俺は何をやればいいんだ?」
『君がやることは至極簡単──彼女の名を呼べば良い。それだけで彼女の意識は覚醒する』
「……それだけ、か?」
『そうとも。それだけだ──が、これがなかなかどうして難しい』
データが無いといえばそれまでだが、彼女の名を知る者がこの場にいない。たったこれだけのことさえ、士道たちには出来ないのだ。
琴里に言わせるなら「攻略不可能」といったところか。
好感度を上げるもくそもない。意識が無いのではどうしようもなく手詰まりなのだから、まずはその前段階。青年がそれを知っているとも思えないが、士道にとって都合のいい展開であるといえる。
名前を呼ぶ。士道がやるのはそれだけでいいのだ。
『なるべく手引きもしよう。だが、彼女が意識を取り戻したのちにどこかへ隠さねばならない以上、〈ラタトスク〉の協力は必須だ』
「……お前の目的は何だ? どうして俺に彼女を助けさせようとする?」
『おや、君たちの目的は精霊の保護だと思っていたのだがね。チャンスは一度きりとはいえ、こうして私が親切に手引きをしようというのだ。黙って恩恵を享受していれば良い──もっとも、〈ラタトスク〉上層部に君が毒されていなければの話だが。精霊の心を弄ぼうなどとは思わないでほしいものだな』
精霊とて心のある『人』なのだからね、とつぶやいて、青年は空気に解けるようにして消えた。
好きなだけ喋っていなくなったが、結局何がしたかったのか。
チャンスは一度きりと言っていた以上、この機を逃せば次はないと言いたげだった。その言葉さえ信用するに値するのか、士道には判断がつかない。
「……弄ぶ、か」
十香の時は何も知らずに彼女に会って、〈ラタトスク〉を知った後、どうにかして助けたいという感情が先に来た。
しかし、〈サイレント〉と呼ばれる女性に対しては助けたいというより攻略しなければならないなどという考えが先に来た。
これでは人の心を弄んでいるといわれても仕方がない。恋心を利用していると思われても否定できない。
人々の平和のために、などというつもりはないが……少なくとも、士道は精霊である彼女たちが大きな力を持っていることでASTなどに狙われ、わずかにでも命の危険がある状況を放ってはおけない。
自分にしか出来ないのなら、自分がやるしかない。
あくまでも、青年の言っていることが正しいのであればの話。士道を、精霊を何かに利用しようとしているのなら、そうさせないための手段が必要となる。
「……よし、行くか」
と、意気込んだところで重要なことに気づく。
「あの精霊、結局名前はなんていうんだ……?」
名前を聞き忘れていた。
小説って、書くの難しいですね。
誤字脱字とか、ストーリーに矛盾があるとか、そういうのがあったらぜひとも教えてください。