ここで一つ、話をしよう。
人の言う『精霊』の定義とはすなわち、「人知を超越した奇跡を起こす存在」であるということ。
その奇跡を起こす大本である『天使』を所有するからこそ、『精霊』は『精霊』足りえるのだとされている。
どこまで行っても人の身では再現できない神の御業。『科学』という名の英知を持ってしても、不確定な原理を予測することしか出来ない超越の理。
霊力だ魔力だと言っているものは簡単に言えば『生命力』の塊である。言い換えれば『魂』とでも呼べる、オカルトチックな原理。
DEMや〈ラタトスク〉が使っているCR-ユニットもまた、本来ならば人が扱うには過ぎた代物だ。
何故なら、それは「人を選ぶ」からだ。
科学の概念とはすなわち「万人が等しく扱えるもの」である以上、CR-ユニットは欠陥品もいいところ。そんな玩具に頼らなければ対抗する事すらできない弱者の集団こそ人間だ。
使い手の技術の差こそあれ、本来その概念の通り「扱うこと自体」は万人に出来ることでなければそれは「科学」ではなく全くの別物であると解釈される。
CR-ユニットの使い手がおかしいのか?
または作り手の頭がいかれているのか?
使い手は三十年前に発生した「ユーラシア大空災」の折に発生した、新しい人類などとほざく学者もいる。
『精霊』に対抗するために人類が進化した姿だとぬかす学者も少なからず存在している。
──失笑ものだ。
進化した? 新しい人類?
人それ自体は三十年前から何も変わっていない。平和の中で過ごせば牙など抜け落ち、戦争の渦中で過ごせば刃はより鋭く研ぎ澄まされる。
人間は成長する。学ぶ。新しいものを創り出す。
宇宙人が攻め込んできたって、人類は滅びの危機に陥ったって、その中でもきっと人類は成長する。新しいモノを生み出す。
だが稀に、そうした人間が太平の世に生まれることもある。俗に狂人と呼ばれる彼らは、踏み止まるべき一線など悠々と飛び越えてなお進み続けるのだ。
そうした人間は得てして『天才』の名に恥じぬ存在だ。人間として踏み止まらないからこそ、彼らは通常の人間には出来ない発想で世界を脅かし続ける。
その類の人間を、『私』は知っている。
他者からは狂人と蔑まれていた『私』でさえもが恐怖した、真正の狂人。
いかれた発想。
捻じ曲がった理想。
実現してはならない空想。
あり得てはならない妄想。
それらを当然とばかりに
持たせてはいけない才能を狂った思想の持ち主に与えた神を恨んだことさえある。
だがすぐに気付いた。あれは何も特殊な才能があったわけではない。運が良くて、発想が猟奇的で、何よりも物事にかける執念が異常なまでにかけ離れていた。
誰もが乗り越えることを諦める壁を、執念と努力だけで登りきる。それは確かに同じ人として尊敬すべきだし手本とすべきことだと心の底から思っている。
だが同時に、乗り越えてはならない壁というモノも人には存在する。それを超えてしまえば、人は最早人という枠組みから外れてしまうから。
誰もが本能的にブレーキをかけて登らない壁を、嬉々として乗り越える。それは決して人として手本としてはいけないし、それを乗り越えてしまった彼女を『私』は人として見ることが出来なくなった。
だから『私』は恐怖した。
だから殺した。
だから存在を消した。
そこまでやって、ようやく安心したのに。
あの女は、この世に舞い戻ってきた。
●
〈ラタトスク〉は
エリオット・ポールドウィン・ウッドマンを筆頭として〈ラタトスク〉を支える円卓会議は定期的に連絡を取り合い、意思の疎通や〈ラタトスク〉の行動における重要な案件を決める。
例えばそう、「ASTを殺害して回る精霊」のことなどだ。
『……実際のところ、どうなのかね?』
「どう、とは?」
『人類に敵対する意思はあるのか、ということだ。聞けば〈ハーミット〉を助けようとしてASTに攻撃したとも言うじゃないか。霊力を封印させれば大人しくなるのではないかね?』
現状琴里しか立ち入ることを許されていない〈フラクシナス〉特別通信室。
薄暗い部屋の中には五人分の息遣いが感じられるも、この場にいるのは琴里のみ。それ以外の面々は世界のどこかから通信によって会議に参加している。
円卓の周り、用意された椅子の場所には人ではなくスピーカーが置いてあり、同時に琴里が用意したファンシーな人形が置いてあった。
スピーカーから流れる声に対し、琴里は心の中で嘆息しながら答えた。
「可能性としてはあるかもしれませんが、彼女は士道の力を知っています。知っているだけでなく理解している以上、こちらの思う通りにはいかないでしょう」
『……それも疑問だな。何故彼女は五河士道の持つ精霊の封印能力のことを知っているのか』
『創造』の天使を持つ以上、霊力などを観測する『何か』を創造したとしてもおかしくはない。琴里はそう思う。
彼女──樋渡千璃は『科学』という存在の天敵だ。通信に限らず機械のハッキングもお手の物。外部から見ていた限りでも、彼女は
この通信もまた、彼女に盗聴されている可能性がある。それをわかっていてもなお、連絡するには科学の力を頼るしかない。
これ以外にリアルタイムで連絡を取る手段が無い以上、仕方のないことではあるのだが。
どうにかして対策がとれないものかと悩む琴里の気も知らず、円卓内で話は進んでいた。
『ともあれ、彼女も現状では封印対象として見るのが一番だとは思うがね』
『人類を殺して回る精霊ならば他にもいる。彼女たちも同じように霊力を封印したいのであれば、それが妥当だろう』
スピーカーから聞こえる声は、あくまでも同じ精霊の延長線上で考えている。
千璃もまた、同じように士道に恋をさせればいいだけだと。自分の身が危険に晒されるわけではないのだからと無責任な発言をする。
彼らはそれでいいかもしれないが、実際に現場で危険な目にあうのは士道だ。代えの効かない唯一の存在であると同時に、琴里にとっては最愛の兄でもある。失いたくないのだから、そのためには全力を尽くす。
それでも進んで死地を歩かせようとは思わない。
琴里は反論しようと口を開くが、その前にエリオットが重々しく口を開いた。
『──彼女は例外だ。優先討伐対象とする』
琴里の目が驚きで見開かれる。
〈ラタトスク〉は精霊を救うための組織だ。そこに例外はない。
なのに、円卓会議の長たるエリオット自身が例外を認めるという
如何に千璃が人を殺す精霊だと言っても、それは彼女だけに限った話ではない。確かに精霊のほとんどは自ら人を害しようとする気概を持たないが、全員が全員そうであるわけではないのだから。
最近現れた精霊でもあるため、被害者は少ない。空間震の規模こそ広いが、それはそれでなんとでもなる範囲だろう。そも、現界も消失もしないとされている以上は彼女自身が空間震を起こそうとしなければそれで済む話だ。士道と親しげに話していたこともあり、話し合いが通じない相手ではないと判断できる。
琴里は自身の恩人でもあるウッドマンがそんな発言をしたことに驚いたし、〈ラタトスク〉の根幹を揺るがしかねない決定であると考える。
だが、何もウッドマンとて考えなしにそんな発言をしたわけではないはずだと、言葉の意味を問い質す。
「……彼女を、救わないのですか?」
『彼女は……彼女は、もとは君と同じ人間だ』
かつて琴里は、千璃にウッドマンのことを問われたことがある。
聞き覚えはあるか、と。琴里が質問で返したそれは、すなわち〈ラタトスク〉にウッドマンが関与していると認めるような発言だった。
無論会話のすべては円卓会議に提出して審議したし、ウッドマンのことを知っているかどうかだけで琴里の立場をどうこうする必要などない。
しかし、ウッドマンにそれを聞かせた時、いつもと雰囲気が違った。好々爺然とした態度をとることが多いウッドマンが、恐怖したように言葉に詰まったのだ。
何か因縁があるのだろうと思っていた。
琴里という前例がある以上、精霊がもとは人間であるという可能性は存在していた。ウッドマンと知り合いだというのだからなおさらである。
だからと言って、
ウッドマンは幾らか考え込むと、琴里へと質問した。
『君から見て、彼女は何歳に見えた?』
「歳、ですか? ……はっきりと断言はできませんが、二十歳かそこらかと」
精霊になったからと言って年を取らないわけではない。琴里の肉体は五年前からちゃんと成長しているし、それは千璃だって変わらないだろう。
あるいは肉体の最盛期で止まってしまう可能性もあるにはあるが、琴里にとってそれはまだ先の話になる。
問題は千璃が一体何時精霊になったのか。精霊になってどれほどの年月が経ったのか、それがわからない。
ウッドマンは少しだけ考え込んだあと、口を開く。
『彼女はね……もともと、精霊になる以前に四十を超えている』
目を悪くしたウッドマンに今の彼女の姿はおぼろげにしか見えないが、確実に若返っている。肉体の最盛期まで巻き戻っているのだろう。
直に会わなければわからないこともある。だが確実に、千璃は会った瞬間にウッドマンを殺しにかかるはずだ。
それだけのことをやった。
殺されるだけのことをやった。
だから彼女は殺しに来る。
それだけのこと。
『彼女が生きてきた四十年だけで、多くの人が死んだよ。口にするのもはばかられるようなおぞましい死に方をした者もいた』
だから。
彼女の霊力を封印する。それだけで済ませるわけにはいかない。
彼女は精霊としての力を持つ以前から人を人とは思わない人間だった。彼女の幸福はイコールで周りの人間の不幸となる。少なくとも、ウッドマンの経験上それは確実と言ってよかった。
『彼女の恐ろしいところは、何も「創造」の「天使」を持つことじゃない』
樋渡千璃はこうと決めたら止まらない。
人の尊厳も、意思も、人権も、何もかもを無視して己が目的の為に邁進する。そこに一切の迷いはない。
迷うとすれば、それは目的を達成するにあたって行き詰った時にどうすればいいかと考えるときだけ。
『センリは止まらない。あの女は、自分の理想の為なら人間性さえいとも容易く捨て去る。端的に言って、言葉が通じる相手じゃない』
●
その日、来禅高校に一人の転入生が現れた。
陶器のような白い肌。長く美しい黒髪は左目を覆い隠し、整った顔立ちは男子女子問わずに魅了する。夏にも拘らず冬のような恰好をしているが、病弱そうな体を見ると誰もが納得する。
時崎狂三と名乗った転校生は、放課後の校舎で士道に校内の案内を頼んでいた。
「よろしくお願いしますわ、士道さん」
「あ、あぁ。任せてくれ、時崎」
「狂三で構いませんわ」
「ん、じゃあ狂三。まずは購買部に行くか。何かと必要になるだろうしな」
少し前に転校してきた夜刀神十香と学年でもトップの成績を誇る鳶一折紙の二人を侍らせているという噂の士道が、新たな転校生に名指しで校内案内を頼まれる。
これを邪推するなという方が難しい。少なくとも、士道が道中すれ違った生徒たちはそう思っていたし、隣にいた友人と噂することもあった。
それを聞きながら、七罪は士道の顔を見る。
中肉中背。顔立ちはそこそこ。特に何か秀でているわけではない彼が贔屓目に言っても美少女というレッテルに恥じない二人を侍らせ、更には同様に美しい転校生をも惹きつける。
あるいは、彼は精霊を引き付ける誘蛾灯みたいなものなのかもしれない。七罪は購買に向かう二人を見ながらそう思った。
七罪がここにいるのは、千璃が士道に協力している理由が知りたかったからだ。
会話を盗み聞きしたり行動を監視したりしたところ、彼に精霊の力を封印させているのだとわかった。
七罪にとって潜入や情報収集など容易い。〈
顔立ちも髪型も髪の色も、姿を自由自在に変えられる『天使』。それはともすれば自身の本当の姿さえ忘れてしまいそうになる異能で、己を隠したい七罪にとっては最適の『天使』だった。
──羨ましい。
──妬ましい。
作り物めいた美しさを持つのは精霊に共通することだが、自分に関してはそうではない。
十香のような暴力的な美しさも。
四糸乃のような保護欲を誘う愛らしさも。
狂三のような触れれば折れてしまいそうな儚さも。
──私に、そんなものはない。
誰かを羨望し続け、妬み続け、自分の姿を偽って……そんなことをしても意味などないと、本当は七罪自身もわかっている。
「本当の自分」など誰も目に止めない。士道だってきっとそうだろう。精霊を救うなんてお題目が無ければ、七罪の本当の姿を見て相手をしようなんて思わない。
わかりきった事実だと七罪は自嘲する。
「……帰ろ」
二人きりで校内を見て回っている士道と狂三を追いかけていた十香と折紙が掃除用具入れを倒したあたりでこそこそと追いかけることをやめ、七罪は校舎の外に出る。
変身しているとはいえ七罪は見かけない顔であるはずだが、学校という空間は複数の年代が集まっている場所だ。いて当然とばかりに堂々としていれば怪しまれることはまずない。
見せかけの鞄を手に校外へと出た瞬間、懐に入れていたスマートフォンが鳴り響く。
わずかに眉をひそめた後、七罪は面倒臭そうに電話に応じた。
「……もしもし」
『どうだった? 士道君を実際に見てみた感想は』
まるで七罪の行動を見ていたかのような言葉。実際、このタイミングで電話をかけていた以上、どこかから監視でもしているのだろう。
趣味が悪い。七罪とて人のことを言える立場ではないが、今はそう思う。
「何も。楽しそうな学園生活を送ってるのね、ってくらい」
『そう。それならいいわ。場合によっては、貴女もあの中に入るかもしれないしね』
「私が、あの中に?」
士道の──というより、〈ラタトスク〉の目的を考えればその可能性は十二分にあるだろう。学校に通うかどうかはさておき、彼はきっと七罪の霊力を封印しようとする。
それは、嫌だ。
きっと誰もが本当の姿を見て幻滅する。建前の綺麗な姿を見ている間は士道もやる気に満ち溢れるだろうが……。
士道の周りにいる彼女たちを見ていると、楽しそうだという思いが一瞬頭をよぎる。七罪は頭を軽く振ってその思いを振り払った。
「学校なんて興味ないわ」
『その辺は今後次第ってところね。でもまぁ、悪いことではないんじゃない?』
精霊としての異能をなくして、普通の人として過ごす。
誰かと喋りながら登校して、学校で友達と宿題を見せ合いっこして、昨日見たテレビの話をする。帰りはどこかの店に寄って喋ったり遊んだりして、暗くなる前に家に帰る。
それはきっととても楽しいことで、度々現界しては人間社会に触れてきた七罪には一種の憧れもあった。
でも同時に、それは精霊には不可能だということも思い知らされた。
学校に通うというのはとにかく大変だ。七罪の〈贋造魔女〉があれば誤魔化すのは容易だろうが、何時までも現界していられるわけではない以上、毎日登校することも基本的に難しい。
そういう意味では狂三はよくわからない。現界も消失も何時やっているのかわからないし、学校に通うことも本来なら不可能なはずだ。
それでも通えているのだから、彼女なりの努力があるのだろう。
「私が士道君に霊力を封印されればいいって?」
『嫌なら嫌でいいけど、どのみち相手することにはなると思うよ。私のことはどうにも討伐対象になったみたいだけど、連中の基本理念は「精霊を救う」ことだから』
「救う。救う、ねぇ……」
何をもって『救う』と言い張るのか。
それは、人間側が勝手な想像を押し付けただけではないのか。
世界を脅かす空間震を起こすから、自分たちの目の届くところで監視・管理しようとしているだけ。善意なんてこれっぽっちもなくて、ただ世界を人知れず守っているという自己陶酔で動いているだけだろう。
どこまで行っても善意というモノを信用しない七罪は、〈ラタトスク〉という組織をそう評価する。
──それに、都合が悪くなれば殺そうとするにきまっている。それは精霊だけじゃなくて、霊力を封印している士道君も一緒だ。
絶対に惚れてなんかやるもんか。心を許してなんかやるもんか。
助けてくれる人なんていない。だから自分でどうにかする。今までだってそうやってきたのだから、これからだってそうやっていける。何も問題はない。
──私を認めて、助けてくれる人なんて、いるもんか。
半ば強迫観念めいたその思いを胸に、七罪は携帯の通話を切った。
困った時に助けてくれる白馬の王子さまはいないのだというように。