突如として乱入した二人の精霊──琴里と千璃。
二人は対照的な表情を浮かべながら互いを視認し、千璃は創造した壁を消失させる。琴里はそれを油断なく見据え、何時でも動けるように戦斧を構えている。
屋上に降り立った千璃は琴里に背を向けて士道の方へと歩きだし、士道の目の前にしゃがみ込んで気さくに話しかけた。
抑え込んでいた二人の狂三は千璃が目で合図すると同時に離れ、折紙と十香の意識を落としていた。
「久しぶり、士道君。ちょっと見ない間に変わったね」
「……千璃、さん……」
士道に心的外傷を与えることとなった元凶。士道は直接殺した場を見たわけでもないので案外平気そうだが、琴里はそうは見なかった。
樋渡千璃は危険すぎる。思想は狂人のそれで理解できないし、士道を利用して何をしようとしているかは知らないが、どうせ碌なことではないだろう。
それに──ウッドマンから、彼女は保護対象外だとはっきり告げられている。
生かしておこうなどという妥協は、生まれなかった。
「ちょっと待っててよ。すぐ終わるからさ」
背後から戦斧を横薙ぎに振るう琴里。千璃はそれを随意領域で知覚し、士道に攻撃が当たらないよう誘導しつつ距離をとった。
空へと退避し佇む千璃の顔には余裕が見て取れる。琴里を下に見ているが故のそれではなく、生きた年数の違いによる精神的優位によるもの。
鋭い視線で千璃を睨む琴里は士道を背後において千璃を見る。周りに狂三がいることもわかっているため、下手に動くことはできないのだ。
「心配せずとも、彼女たちは手を出さないよ。広範囲にわたる殲滅能力が高い〈
「……まるで、私の『天使』のことを熟知したようなセリフね」
「……あれ。ウッドマンの奴から知らされてないんだ?」
『天使』の──というよりも、精霊に関する研究の第一人者は千璃だった。ほかの誰にも研究を手伝わせなかったために遅々とした進みだったものの、詳しいところはウッドマンもウェストコットも知らないはずである。メイザースはかなり若く基本的にウェストコットの秘書であったため、知るはずもない。
だから千璃が精霊や『天使』に詳しくてもなんらおかしくはないはずだが──ウッドマンはそれを伝えていないらしい。
〈ラタトスク〉のすべての通信記録を熟知しているわけでもないため、そのあたりはよくわからない。
まぁ、知らないなら知らないで好都合だ。
「でもまぁ、やることは変わらないでしょう? 汝の成すところを成せ。それが汝の法とならん──ってね」
「御託はいいのよ。貴女は精霊の中でも
巨大な戦斧を構え、そのまま飛翔して千璃の目の前まで迫る。
武器を振るうと同時に撒き散らされる爆炎は致死の威力をはらみ、一切の躊躇なく千璃を殺しに来ていることがわかる。
掠るだけでも肌が焼けこげる。霊装を纏っていなければすぐにでも焼き殺されるところだ。
「く、ふふ……救済とか、何を上から目線で語ってんだよ小娘。何様のつもりだ」
千璃の周囲にいくつものパンツァーファウストが顕現する。
連続して射出されるそれは琴里の体躯を簡単に弾き飛ばし、ピンボールのように地面へと叩きつける。連鎖する爆発は黒煙を立ち昇らせ、精霊であっても重傷を免れられない。
それを上空から睥睨しながら、千璃は聞き分けのない子供へ言い聞かせるように、ゆっくりと告げた。
「今この時を生きているのは君と何も変わらないんだよ。それを上から目線で『救ってやる』とは傲慢極まりないね。虫唾が走る」
眼球が、黒く染まる。
瞳は金色のままに、眼球そのものがコールタールで塗りつぶしたかのような黒へと変色していく。生物学的な機能を無視した異質さに、思わず琴里は息を飲む。
炎が体を舐めるように癒している間に、琴里は戦斧を振るう。遠距離から戦斧に合わせて振るわれる爆炎に呑み込まれてなお、千璃は顔色一つ変えずに佇み琴里を見ている。
面倒臭そうに左手で顔を守る以外、碌に動きもしていないのだ。随意領域を高密度に圧縮させて防ぐその力は、最早異常であるとさえ言えた。
一瞬の空白。
攻撃の合間に起こるそれを、琴里は態勢を立て直すための時間稼ぎにした。
「だから貴女の暴虐を見逃せって? 馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ。殺した人の分の報いは受けなさい」
「知ったことじゃないね。他人の命が云々かんぬんなんて段階は当の昔に通り過ぎてる。論破したいなら若い頃の私にすることだ」
「歳をとって考え方が凝り固まったのかしら? それとも命の重みってものを知らないとでも言う気?」
「他人の言葉で揺らぐならその程度の信念だというだけの話よ。そんな半端なものならあるだけ邪魔でしょうに」
距離を詰めて戦斧を縦に振り下ろす琴里。爆炎を纏って振るわれるそれは並の一撃ではなく、込められた殺意も相まって千璃に死を予測させる。
だが、所詮はその程度。手に入れた力を振り回すしか脳のない子供の戦い方だ。
これなら真那の方がまだしも有意義な戦いだった。千璃のことを恐怖してか、あるいは狂三もいるからと焦っているのかは知らないが、攻撃が雑すぎる。
戦斧を横から弾いて軌道をそらし、琴里の胸元を掴んで引き寄せ、殴りつける。固く握られた拳で殴られた琴里は数メートルほど吹き飛んで校舎に激突し、ガラスを割って校舎内へと入った。
地面に降り立つ千璃は胸元のポケットから煙草を取り出し、一本口にくわえる。
「な、めるなぁぁぁぁぁぁぁぁ──ッ!!」
迸る霊力とそれに付随する炎と熱。随意領域を操作して煙草の先に炎を誘導し、上手いこと煙草に火を点ける。
漆黒の棍の先端には炎で形作られた刃があり、その赤い刃は寸分狂わず千璃の急所を狙った。
首を落とせばだれであろうと生きていられない。例外は強力な再生能力を持つ己自身──故に必殺。本来なら多少の戸惑いはあってしかるべきその攻撃を、琴里はなんら躊躇することなく行った。
「やっぱり
それよりも気になることがある。
五河琴里は間違いなく人間のはずだ。元々精霊ならば辻褄の合わない証拠が幾らでも転がっている。だから人間から精霊に『成った』存在だとみるべきだろう。
だが、ここで千璃には疑問が生じた。
──一体誰が霊結晶を与えたのだろうか?
千璃が知っている霊結晶の保有者というのは実は一人しかいない。可能性としては一番高いが、見知らぬ誰かに奪われたという可能性も決してゼロではない。
ゆえにわからないのならば、与えられた当人に聞くのが一番早い。
「君、どうやって精霊に『成った』の? その辺を詳しく教えてほしいものだけど」
「教えてあげるとでも思ったの? 何も知らないまま、燃やし尽くして殺してあげるわッ!」
「やれやれ、過激なことで。一番可能性がありそうな奴は
六本のレイザーブレードが出現する。
宙に浮いたまま動き回るそれはさながらブレードビットとでも呼べそうなSF兵器で、創造した千璃はまさにそれを目的として操っていた。
原理そのものは随意領域で扱うという至極単純なものだが、ブレード一つ一つの動きを意識する必要がある以上、難易度は劇的に上昇する。端的に言ってまともに扱える兵器ではない。
──
この場にいるのは精霊だ。人知を超越した特殊生命体とでも呼ぶべき存在。それを人の常識で測る方がどうかしている。
回転しながら千璃の周りを浮かんでいる六本のうち、二本を手に持って琴里へと切りかかった。
縦横無尽に駆け巡る炎を避けながらブレードを振るうが、琴里の身体能力そのものもかなり高い。千璃の動きについていけているし、浮かんでいる四本のブレードの動きにもある程度は対処できている。
「けど、まぁ……その程度かな」
随意領域でわずかに動きを縛る。一瞬の動きが致命的な隙となるこの二人の戦闘において、この一瞬はあまりにも長かった。
四本のブレードに串刺しにされ、二本のブレードで切り裂かれる。
間違いなく致命傷。
首、心臓、右肺、鳩尾。四か所を貫く刃はなおも白く輝き、地面に点々と赤い跡をつけた。
倒れ伏す琴里を一瞥する千璃だが、わずかに距離をとって琴里を見据える。この程度では死なない。〈灼爛殲鬼〉の脅威はその不死身さにあるのだから。
「く……ッ!」
琴里が瞠目する。
突き刺さったブレードを抜いて再生させたその直後に、正面から何かを叩きつけられたような衝撃を食らったのだ。
同時に撒き散らされる赤い液体。わずか数メートルと離れていない場所から散弾銃を食らったのだと、吹き飛んだあとで知覚した。
「再生限界もしっかり把握してるから、安心してくたばるといい。殺すまではしないからさ」
何時の間にか右手のブレードを銃に持ち変えていた千璃は、口元に笑みを浮かべながらそう言った。
●
士道は屋上のフェンスを掴んだまま、運動場の真中で行われている殺し合いを見ていた。
何故琴里が精霊の力を使っているのか。
何故千璃がこのタイミングで現れたのか。
何故狂三は千璃の加勢をしないのか。
次々に現れる疑問が頭の中を渦巻き、呆然とした様子で戦いを眺めているだけだった。精霊同士の戦いに一般人である士道が入り込む余地などどこにもないということもあるが、何よりも殺され続ける琴里がトラウマを刺激するのだ。
今は大丈夫でも、殺され続ければいずれ──そう考えるのも仕方がない。
だからこそ士道は動こうとしたが、体が動かない。物理的に動けなくなっているのではなく、撒き散らされる赤い雫が士道の精神に大きな負担をかけているのだ。
それを理解してか、狂三は士道に対して何もしない。顔色がひどく悪い今の士道を、あの二人の戦闘にかかわらせたくはない。
この状況は千璃にとっても琴里にとっても都合がいい。士道は死なせてはならない人物である以上、精霊同士の戦いに巻き込まれて怪我をするなど言語道断。避けられる事態ならば避けるべきだ。
特に今は〈
だから狂三も、それに従っている。
「士道さん」
今の狂三の役目は戦闘ではない。
狂三は士道の後ろに数歩分は慣れて立っており、運動場で戦う二人のことなど視野にも入れずに士道へ話しかけた。
士道はきつく拳を握りしめたまま、目線を狂三へと動かした。
「わたくし、少し士道さんと話したいことがありますの」
「……話したい、こと?」
「ええ──〈ラタトスク〉という組織について」
笑みを作って語りかける狂三。
十香と折紙は既に気絶させていて、真那も意識を失っている。この会話を聞いている者は誰もいない。
あるいは千璃の『天使』である青年が聞いているかもしれないが、それは狂三にとって都合がいい。
「士道さんは、何故〈ラタトスク〉に協力しようと思ったのですか?」
「……精霊を、助けたかったからだ。どうしようもない理不尽で殺されそうになってる精霊を、見捨てられなかった。〈ラタトスク〉は彼女たちを助けるっていうから──」
「優しい方。でも、そんなあなただからこそ〈ラタトスク〉は利用した」
精霊の力を封印させて、精霊は普通の人と同じように暮らすことが出来る。そのために士道は精霊を口説いてキスをして力を封印して──人と同じように暮らせるようになった。
あくまでも今は様子見の段階だが、十香は学校という集団生活の中でもやっていけているし、人見知りの気がある四糸乃も少しずつ社交的になっている。
〈ラタトスク〉は表向きのことも対応できるため、多少のことは権力を振りかざしてでも事をもみ消したりも出来る。
そこまでやる理由が「精霊を救うため」などとは狂三は思わない。
「精霊を救うなんてお題目で、何か裏で画策しているのではなくて?」
「そんなことは──」
ない、とは言い切れない。あくまでも士道は精霊と話をして力を封印するためだけの存在だ。〈ラタトスク〉の内部事情など知らない。
先ほどの千璃と琴里の会話の中でも、士道には気になることがあった。
──救済、
精霊を救うための、武力を用いない組織。それが〈ラタトスク〉であるはずだ。その〈ラタトスク〉が、率先して精霊を討伐するなど笑い話にもならない。
しかも精霊と戦っているのは義妹の琴里。彼女が精霊であったと知らされてもいないし、何故教えてくれなかったのかという疑問もある。
「千璃さんは確かに人を殺しましたけれど──それは、わたくしとなにか違いまして?」
狂三も今までにたくさんの人間を殺している。その時間を奪って己のものとして、『天使』を使うための燃料にしているのだ。
目的の為ならば殺人をもいとわないというのは千璃も狂三も変わらない。だが、〈ラタトスク〉はそこに明確な区別をしている。
何が違う?
千璃が狂三よりも人を殺したのか? 問題は数ではないはずだ。
士道はどれだけ考えても、千璃だけを明確に区別するラインがわからなかった。あるいは琴里に聞けば答えがわかるかもしれないが、今の琴里は戦闘中だ。
目線が空を泳ぐ。どれだけ考えても答えが出ない。
「〈ラタトスク〉の首魁はエリオット・ポールドウィン・ウッドマン──千璃さんのかつての仲間で、裏切った敵だそうですわ」
士道の目が狂三をはっきりととらえた。
何が言いたいのかはわからない。だが、これを聞き逃してはいけない気がした。
顔色が悪いまま、足元がふらつくのをフェンスに支えられながら士道はまっすぐに狂三を見る。
「ウッドマンは千璃さんの研究データを盗むために殺し、〈ラタトスク〉を立ち上げている……ですから、彼にとって千璃さんは邪魔なのでしょう」
つまり。
「精霊を救うなど嘘っぱち。精霊を使って何かをやろうとしているから、それを邪魔しようとしている千璃さんを殺そうとしているのですわ」
実際にウッドマンが千璃の殺害に手を貸したのは、おそらく千璃に恐怖したからだろうと殺されかけた本人が言っていた。
だが、事実であれ虚構であれ"そう見える"以上は千璃のカードとして使える。士道が〈ラタトスク〉に疑問を抱いているのならばなおさら効果は高い。
狂三が知り得るはずのない情報であっても、千璃の情報網は狂三の知り得ないことを知れる。協力関係にある以上、それを狂三が知っていてもおかしくはなかった。
単純な人海戦術では通信など盗み聞きは難しいため、この二人の相性は非常にいいと言えた。
「それに、千璃さんは精霊を守るためにその力を振るっているのですわ──覚えはありませんこと?」
「守る、ために……?」
それはきっと、士道に心的外傷を作ったあの時の事だろう。
四糸乃は精霊の中でも特に戦うことを嫌がる。ASTはそんな四糸乃を見逃すはずもなく、折紙の手によって殺害一歩手前まで及んだのだ。
その道中を知らずとも、ASTを殺害してまで四糸乃を守ろうとした──決して殺人を肯定するわけではないにしても、それは士道にも理解できることだった。
思い当たる節があると見るや、狂三は続けざまにこういう。
「貴女の妹さん──ああ、真那さんの方ではなく赤い髪の方ですが、彼女もまた、ウッドマンに利用されているのでしょう」
狂三の言っていることは正しいのか? それとも嘘をついているのか?
それさえ今の士道には判断がつかない。情報が足りなさすぎる。かといって一方だけの情報を鵜呑みにするのも危険すぎる。
どうすればいい? 判断がつかない士道の前に立つ狂三は、そんな様子の士道を見て小さく笑みを浮かべた。
これでいい。一度生まれた疑念は消えないのなら、あとは誘導すればいいだけの話。
「もしも〈ラタトスク〉が信用できなくなって──それでもなお精霊を助けたいと仰るのでしたら、わたくしたちにはそれを手伝う意思がありますわ」
その言葉に、士道は目を見開いた。
●
──そろそろ頃合いか。
千璃は携帯灰皿に煙草を捨て、目の前に立つ少女を見る。
満身創痍だ。如何に強力な範囲攻撃と再生能力を有する琴里でも、〈灼爛殲鬼〉が出来ることを熟知している千璃が負ける可能性は限りなく低い。
加えて、琴里の精神状態が徐々に不安定になっているのも理解していた。
──碌な調整もせずに与えたな、馬鹿め。
所々で〈灼爛殲鬼〉のかつての所有者の凶暴性が出ている。あるいは霊結晶自体が琴里とうまくかみ合っていないのか。
どちらにしてもこのままにしておくのは些か以上に面倒であると言える。
かといって殺すわけにもいかない。意識を刈り取るのが一番楽な方法だろう。
「……終わりにしましょうか。私もあまり時間はかけたくない」
これ以上続ければ琴里の意識がどうなるかわからない。元の人格をよく知らないために絶対とは言えないが、人格が塗りつぶされる可能性だってゼロではない。
今の琴里はそれだけ危険な状態なのだ。時間をかけるわけにはいかなかった。
「……まだ、まだよ。まだ闘争は終わらないわ。剣をとれば戦える。戦斧を持てば闘える。貴女は絶対に殺すと決めたのだから、私は引かない」
狂気染みた笑みを浮かべる琴里。怪しく光る
今の彼女に対しては何を言っても無駄だろうと判断したのだ。理性が飛んでいる。まともな判断を期待することはできない。
琴里は戦斧を天高く掲げると、その刃を形作っていた炎が霧散し、棍の部分のみが残る。
「〈
その声に応えるように蠢動した〈灼爛殲鬼〉は、柄の部分が本体に収納され、琴里の掲げた右手を包み込むように着装される。
肘から先を長大な根に覆われた右手を、運動場で佇む千璃へまっすぐに向ける。
それはまるで戦艦に搭載された大砲のようで。千璃は思わずといった様子で笑みを漏らした。
「大砲勝負に付き合ってあげてもいいけど、火力馬鹿の〈灼爛殲鬼〉とはあまりやりたくないわね」
琴里の周囲を覆っていた炎が棍の先端に収束していき──ついに爆発する。
「──灰塵と化せ、〈
「■■■■──ミストルティン」
ゾッとするほどに冷たい、平坦な声で放たれる灼熱の奔流。世界を赤く染めるほどの、まるで火山の噴火を思わせるその一撃はまっすぐに千璃へと向かい、千璃もまたそれに真っ向から立ち向かう。
〈フラクシナス〉に搭載された収束魔力砲〈ミストルティン〉。規模こそ二回りほど小さいが、その威力は間違いなく一級品だ。
顕現装置自体も創造できる以上、千璃に必要なのはそれを御するための頭脳のみ。そして、それさえ彼女は持っていた。
〈ミストルティン〉の一撃がやや鋭角に琴里の砲撃へと当たる。
威力そのものは負けているものの、
「……ま、こんなものかな」
地面を焼き焦がしながら突き進む炎を一瞥し、千璃は呟く。
琴里は舌打ちして二度目の攻撃をしようと炎を集中させているが、それを許すほど千璃は甘くなかった。
次の砲撃が来るまでの時間で、琴里の意識を刈り取る。それが最善手。
そう決めた瞬間に走り出し、琴里のすぐそばまで接近する。琴里もそれを読んでか爆炎をまき散らし、多少収束が遅れても近づけまいとする。
ある程度は随意領域でどうにでもなるため、千璃は気にすることなく接近していく。
炎が肌を舐めるように振るわれる。多少距離があったため、琴里が収束を終える方が早い。
「チッ!」
あと一歩、見様によっては自殺しようとしているようにさえ見えるその状況で、千璃は地面をスライディングして琴里の右手の真下へと入る。
驚きで反応が遅れる琴里に対し、千璃はその一瞬で右手を上空へと蹴り上げて砲撃をそらす。
万象焼き尽くす赫灼の一撃は空を赤く染め上げ、打つ手を無くした琴里は凄まじい形相で千璃を睨む。
土を払いながら立ち上がる千璃は、琴里を視野に入れながらも動かない。射程範囲に入っている以上は問題ないと判断したのだろう。
だが、琴里は諦めなかった。
「はあああああぁぁぁぁぁぁッ!!」
右手から外した棍に再び炎の刃を纏わせ、戦斧として千璃に振るう。この至近距離で確実に仕留めきると確固たる意志をもって。
しかし、無駄だった。
「ちょっと眠っててよ、面倒だから」
霊装にも使っている強靭な素材を壁として、琴里を囲う鳥籠を作る。
鳥籠と言っても隙間一つないサイコロ状の箱で、その中に琴里を閉じ込めたのだ。
無論地面に固定してない以上は動くことになるし、現に琴里が振るった一撃が内部から衝撃を与えて箱が動く。派手に動いたそれは数メートルほど動いて止まり、何の動きも見せなくなった。
千璃はすぐにその箱を消失させ、琴里の傍までよってしゃがみこみ、息を確かめる。息はあることにホッとして、その瞬間に声をかけられた。
「……よし、生きてる」
「確認をするということは、殺して今う可能性があったということでよろしいですか?」
いきなり目の前に現れたのは、戦闘が終わったとみて降りてきた狂三の分身体だ。士道は未だに本体と共に屋上にいて、こちらを見ている。
とりあえず手を振って終わったことを知らせ、立ち上がる。
「死ぬ可能性はないと思うね。酸素欠乏で意識を刈り取ったとはいえ、脳にダメージを負っても回復できるでしょうし」
〈灼爛殲鬼〉の『天使』としての力は炎を操る能力だ。霊力で生み出されたそれは超常的な威力をはらむが、普通の炎と同様の性質も持つ。
即ち、酸素を燃焼させるのだ。
密閉空間でそんなことをすればあっという間に酸素濃度の低下を招き、呼吸が出来なくなって意識をなくす。特にあれだけ大きな炎を扱ったのだ。箱の中はすぐに酸素がなくなったことだろう。
呼吸停止こそしていないが、昏睡状態であることに違いはない。
放っておいても〈ラタトスク〉が回収に来ることだろう。やるべきことをやったなら退くだけだ。
「撤収しよう。そっちもやることやり終えたでしょう? もうここに用はない」
「そうですわね。では、また後ほど」
そう言って影の中へと消えていく狂三。それを見届けてから、千璃は士道のいる屋上へと向かった。
一言だけ、言っておくために。
精霊である以上は空中の歩行も訳はなく、すぐに屋上へとついて士道とフェンス越しに見つめあう。千璃は酷い顔いろの士道を見て「悪いことしたかな」と一瞬思うも、琴里を止めるにはあれが最善手であると確信しているため、そちらに関しては何も言わない。
「士道君。君に一言だけ言っておきたい。──どれだけ迷っても、自分が後悔しないと思う方を選ぶことだよ」
それだけ言って立ち去ろうとする千璃に、士道から静止の声がかかった。腹から絞り出したような、つらく苦しそうな声で。
千璃は顔だけ振り向いて士道を見る。どれだけ状態が悪かろうと、彼はまっすぐに千璃を見ていた。
「千璃さん。一つだけ、教えてください……千璃さんは、どうして人を殺したんですか?」
「人を殺してでも、叶えたい願いがあったからさ」
迷うことなく即答する。琴里との会話でもそうだったが、他者の言葉で一々ゆらぐ信念ならば邪魔なだけだという持論を持つ。
目的を達成するためには手段など選ばず。徹底的に、絶対に達成できる道を選ぶ。それは狂三もまた同じだ。
それを聞いた士道は、さまざまな感情がない交ぜになったまま、表情を曇らせる。
「何のために、そんなことをしたんですか」
「なんでって、そりゃあ──」
千璃の最終的な目的。士道はそれを知りたがっている。
〈ラタトスク〉がどんな目的で士道を利用しているのかは知らない。だが、十香や四糸乃が巻き込まれるなら千璃たちの方に──と思う気持ちもない訳ではないのだ。
それらすべての感情を読み取ったわけではないだろうが、千璃はわずかに閉口して、答えた。
「──楽園の創造かな」
思わず楽園って単語に「ぱらいぞ」ってルビを振りそうになりました。
7/31 加筆修正しました。