なお、内容に変更点はありません。
早朝。昼夜関係なく発生する可能性がある空間震のため、陸自──ASTには常に一定数の勤務者がいる。
彼らの役割は精霊の討滅及び空間震と精霊の力による町の破壊後の修復。最も精霊を殺す可能性が高い真那が倒れている今、ASTは重苦しい雰囲気に包まれているといっても過言ではなかった。
先日の空間震と精霊の出撃。真那がやられたその日、ASTは何もしていなかったわけではない。
何者かの手による電子機器の不具合が相次ぎ、現場のデータさえもがほとんど取れていない。かろうじて現れた精霊が特定できただけだ。
その数、およそ三体。
ここ最近よく出現している〈サイレント〉。
同様にここ一ヶ月で数度確認されている〈ナイトメア〉。
そして、五年もの間出現が確認されていなかった〈イフリート〉。
ようやく電子機器の不具合がなくなったと思えば、着いたときには既にすべて終わっていた。隊長である日下部は「また上から小言がくるな」と辟易したが、正式な書類を誤魔化すわけにもいかない。
倒れていた真那と鳶一を回収したのち、ほぼ徹夜で報告書やら何やらをかき上げていた。
「……くあぁぁ……まったく面倒くさいことしてくれたわね、本当に……」
来禅高校における集団での意識不明。こちらは精霊同士の衝突による影響のためだと認識され、病院で状態を確認したりその影響を誤魔化すための方法だったり、やることはとにかく多かった。
とは言っても、隊長であるために内容を確認して承認印を押すだけなのだが、その枚数の多いこと多いこと。
世界の顕現装置を製作しているDEM社の最高責任者でもあるウェストコットが精霊に襲われたこともあり、山のような書類が日下部の机を占領していたのである。
(大体、DEMの社長が襲われたっていっても天宮市の外じゃない。なんで私が責任負ってるのよ)
国際空港から天宮市に向かう道中とはいえ、管轄でいえば別の場所が責任を負うべきだ。
とはいえ、地理的な意味では微妙な位置であるため、近郊の駐屯地である天宮市に報告書やら始末書やらを提出するようにとの要請があった。
ASTの数がそれほど多くないため、精霊そのものの存在を隠匿するためでもある。
徹夜で仕上げた報告書をまとめ、コーヒーでも飲もうと部屋を出た瞬間、見計らったかのように折紙が目の前に居た。
「あら。あんたもう退院しても大丈夫だったの?」
「元々重傷ではなかった。問題ない」
怪我自体は大したことなかったため、検査の後にすぐ退院許可が出たのだという。
それにしてもすぐここに来る必要はないようにも思えるが──日下部はすぐに折紙の目的に思い至る。
「──あんた、〈イフリート〉を追ってるんでしょ?」
訊こうと思っていたことを先に答えられ、一瞬言葉に詰まる折紙。すぐにそれを隠し、日下部の目をジッと見る。
決意を固めている目だ。
両親を殺した精霊にその手で復讐をする。そのためだけにASTに入り、精霊殺しの技術を身に着けた。そのためだけに探し続けた。
ようやく見つけた怨敵だ。もう、折紙は止まることはない。
「……ま、いいわ。短いけど映像が残ってる。ついてらっしゃい」
日下部の後に続いてブリーフィングルームへと向かう折紙。
──そこで、折紙は〈イフリート〉の正体を知った。
●
同時刻、〈フラクシナス〉艦内。
琴里のいる部屋は精霊が暴れてもある程度抑えられる特殊なもので、それだけ琴里の暴走を危惧しているということでもあった。
理由など語るまでもなく士道のことで、誰もが頭を抱えたくなる。
精霊を救うために活動していた〈ラタトスク〉は、士道がいない以上はその機能をストップさせてしまっていた。四糸乃のこともあるので完全にストップさせているわけではないが、何が出来るという訳でもない以上は時間を持て余しつつあるのだ。
士道の裏切り。
琴里の主観ではまさにそうだった。
何が悪かったのか、琴里にはわからない。
千璃は危険だ。目的の為ならなんだろうと躊躇しない。あれだけ凄惨な状況を見せつけられているのだから、士道だって分からないはずがない。
──なのに、何故士道は千璃と手を組んだのか。
琴里にはどうしてもわからないし、理解できなかった。
精霊化したのち、何も知らなった琴里に様々なことを教えてくれた人であり、手助けしてくれた恩師だ。
少なくとも千璃よりはよほど信用出来るはずなのだが、何故か士道はそう思わなかったらしい。
──人を簡単に殺すような存在を、何故信用出来るのか。
鈍痛がする頭を押さえつつ、琴里はそればかりを考えていた。
士道にとって何が大切で何が不要か。理由はともあれ、「千璃と手を組んだ」という事実が琴里への強いストレスになったことは間違いない。
何よりも。
──おにーちゃんに嫌われた。
別の組織に行ったということは、つまり琴里が信用できなくなったということで。
嫌われてしまったと判断するのも、仕方のないことだったのだろう。
年々増えている空間震の被害。それによって増加する精霊と人間の戦い。いずれ隠し通せなくなる可能性もあるし、精霊が痺れを切らして人類へ明確に刃を向ける可能性もあった。
だからこそ、出来る限り早いうちに最悪の事態を避けようと〈ラタトスク〉が作られたのだ。
もちろん、前提条件として士道という少年の力があったことは否めない。彼の力があったからこそ、精霊の殺害ではなく懐柔という可能性が生まれたのだから。
それが望まない戦いを強いられる精霊にとっても救いになると思ったし、実際に十香と四糸乃は救うことが出来ていた。
──でも、おにーちゃんがいないからもう〈ラタトスク〉の存在意義はない。
二人の精霊を救っても、十香は士道についていったし、四糸乃もあるいは一緒に行きたかったかもしれない。
霊力封印の都合上、二人は士道に対して多大な好意を抱いている。好きな人と一緒にいたいと思うのは当然のことだし、仲良くしたいと思うのも当たり前だ。
琴里とてそうなのだから。
大好きな兄の傍にいたい。自分は義妹で他人にはない士道との繋がりがあると言っても、この状況になってしまえば意味もない。
──わたしは、どうすればいいの?
熱に浮かされたように激痛のする頭で考える。
答えはすぐに出た。
自分のものにしてしまえばいい。
他人に取られないように、他人を近づけないように、自分のものにしてしまえばいいのだ。
体の内側から霊力があふれるように出てくる。部屋に内蔵されたマイクから声が聞こえるが、最早琴里にはそれすら聞こえていない。
頭痛はもうない。やることは決まった。ならばここにいる意味はない。
──おにーちゃん。いまから迎えに行くから。
その瞳には最愛の兄しか映らない。その他の有象無象など既に興味の欠片すらも存在しなかった。
冷静に狂気を孕んだ少女は動き出す。
飛び込んできて何やら薬を投与しようとしている令音を退けて、〈フラクシナス〉の外壁を壊して外へと飛び出る。
「待ってて、おにーちゃん。あなたは永遠に逃がさない」
●
突如として 鳴り響いた空間震警報に対し、千璃はすぐにノートパソコンを用いて情報を得るために動く。
鳴らされた範囲は天宮市一帯。しかし空間震が起こる気配はない。
「誰かが霊力を使ったってことだね、これは」
可能性があるのはこの場にいる三人の精霊以外。七罪は無駄に騒がすようなことはしないだろうからとりあえず除外するにしても、残るのは四糸乃と琴里だ。
そして、暴走間際であるという可能性を鑑みれば、琴里であるという可能性は非常に高かった。
──これはまずったかな。
士道が敵にまわるという事実の精神的な作用を考慮していなかった。琴里がどれほど士道に対して好意を抱いていたかにもよるが、精霊としての力を一度は封印できている以上、十香や四糸乃と遜色ないレベルといえよう。
さらに言えば、それほどの好意を裏切られたと感じた際の彼女の行動が予測できない。
最悪の場合、琴里の持つ〈
暴走が早まったとしてもなんらおかしくはない。
「ちょっと面倒なことになった。私も動く」
「……どうにも、良い予感はしませんわね」
「狂三ちゃんはちょっと頼みがあるのよね。分身体でもいいから、ちょっと頼まれてくれない?」
「はぁ、まぁ、構いませんけれど……」
「十香ちゃん。君、今でも『天使』は出せる?」
「む? 出来ないことはないが……何故だ?」
「『天使』を使わざるを得ない状況になるかもしれないから、最悪の場合は躊躇しちゃダメだよ。じゃなきゃ士道君が殺されるかもしれない」
特に今は危険だ。〈
ウェストコットとエレンの来日。折紙の仇である〈イフリート〉。精神が非常に不安定な琴里。
状況は最悪といえる。だが、打つ手があるのだからまだましだろう。最悪奥の手を使うことになるかもしれないが、計画の破綻を招くのならば仕方がない。
「手札は多いほうがいいけど……流石に四糸乃を戦場に出すわけにはいかないわね」
『私が動くしかないかね?』
「あんたが動くと私が動けなくなるでしょうが。折紙ちゃんレベルならまだしも、エレンとやり合うなら全力出さないとこっちがやられる」
『士道君を目立たせるわけにはいかず、〈
「……琴里ちゃんに関しては、出来る限り早く士道君が収めてくれれば折紙ちゃんのこともついでに解決する。エレンさえどうにか抑えてしまえば……それしかないか」
半透明な姿で現れた金髪の青年に警戒の色を浮かべる十香と狂三。これは最早本能的なものであって、自分の意思でどうこうできるものではないのだ。
故に彼も大して気にしてはいない。一々反応していては時間が足りないからだ。
その反応を無視して千璃はそれぞれに役割を振る。その間も各所に仕掛けられた映像を確認してみれば、やはりことの原因は琴里らしい。
故に迷う必要はなかった。
役割を振られた面々はそれぞれ自分の役割を復唱する。
『私はエレンとウェストコットをどうにか抑えてみよう』
「では、わたくしはASTを抑えますわ」
「私は士道の護衛をすればいいのだな?」
「俺は琴里の霊力を何とか封印すればいいのか」
「私はオペレーターをやるわ。最悪戦闘になるけど、そうなる前に必ず連絡を入れること。狂三ちゃんはちょっと忙しくなるけど、頑張ってちょうだい」
「あの厄介な炎の精霊の相手をしろというのでなければ、大抵のことは受け持ちますわ」
人海戦術が使える狂三の力は非情に有益だ。その分広範囲に渡る攻撃が出来る琴里とは相性が悪いが、そちらは士道と十香でどうにかするしかない。
場合によっては有無を言わさず琴里を押さえつける必要があるのだが、そうなると千璃が動かざるを得ない。大半の力が封じられたままの十香では分が悪いだろう。
あるいは相反する能力を持つ四糸乃ならばまだ戦えるかもしれないが、彼女はこちら側ではないし、そもそも士道が戦闘に巻き込むことをよしとはしない。
「士道君。なるべく目立たないように抑えたいところではあるけど……
目を見開いて驚く士道。
理論上は士道が『天使』を使うことも可能である以上、博打ではあるがそれに頼らざるを得ない状況に追い込まれることもある。突発的に出来るようになる、という可能性もあるために千璃はそう言っているのだ。
士道の命が最優先。琴里はその能力の特性上「死ににくい」ため、加減もあまり必要ではない。威力が
どのみち「殺すため」ではなく「止めるため」に振るう力だ。予断を許さない状況に陥ればごちゃごちゃ考える暇もなくなるだろう。
「どんな力も『使うやつ次第』ってことを覚えておくのよ。私が人を殺すために使う力も、君なら人を救うために使う力に変わる。君の妹でしょ。君が止めるのよ」
「……はい!」
恐怖はない。緊張もない。
落ち着いている。自分ならできると自信を持てる。
十香と目を合わせると、笑みを浮かべて頷いてくれる。士道もそれに頷いて返し、琴里のいる方向を千璃に聞いてそちらへと走り出す。
狂三の分身も常に影の中にいる以上、サポートはしてくれるだろう。一切の憂いを抱くことなく、琴里と正面から対峙できる。
「……ま、奥の手だけはほんとに使わせないでほしいね」
『中途半端なまま使えばどれだけ反動があるか分かったものではないしな』
残った千璃と青年は小さくつぶやく。
狂三はそれを聞いて目を細め、自身もまた千璃からの頼まれごとやASTの足止めのために動き出す。
最も厄介なエレンは青年は抑えるという。戦えるのかどうかは定かではないが今この場においては信用するしかないだろう。
どうしても彼に対しては敵対的な感情が先行してしまうが、それは狂三自身にも理解できるものではない。七罪も十香もそうであった以上、精霊は皆そうなのかもしれないが。
三十年前に姿を消した謎の科学者、樋渡千璃。
あるいは二人が『原初の精霊』に繋がっている可能性も考えつつ、影の中に沈んで移動を始めた。