空中艦〈アルバテル〉というモノがある。
現在或美島上空一万メートルに駐留し、現地にいるエレンのサポートを行うために派遣されたDEM社最新鋭の機体だ。
つい先刻にエレンからの指示で〈バンダースナッチ〉を投下し、その後
レーダーに反応──航空機である。
この時間にこのような場所を通るなど、どの会社の予定にも無いはずなのだが……まぁ、来てしまったものは仕方がないと進路上から避けることにした。
どのみち不可視迷彩がある以上は見つけることなど不可能だ。
その筈、だった。
『あ、あー。DEM社の社畜諸君。初めまして』
艦長であるパディントンは驚愕に目を見開いた。
この艦へ向かっているかのように進路を微調整した航空機もそうだが、何より秘匿された回線をジャックして通信に割り込んできた相手にだ。
本来、通信妨害したうえで自分たちが通信するためには意図的に『穴』をあける必要がある。妨害のための穴、つまりは電波の周波数には限りがあるにしても、調整出来る範囲には限度というモノが存在する。
今島を覆っている妨害電波は、携帯などに使われる電波ならば問答無用で通信を妨害できる。千璃の作った携帯は電波ではなく霊力を使って通信しているため、そもそも既存の電波妨害では意味を成さないのだ。
しかしそれはあくまで特例。彼らが使っている周波数以外、基本的に通信は出来ない。
なのに。
『私はさ、エレンが嫌いだ。ウェストコットも嫌いだ。彼らに組して私たちを邪魔する君たちが嫌いだ。──だから堕ちろ、お前らは要らない』
通信妨害をジャックして機能を停止させ、あまつさえこちらの通信に割り込んで会話をしているなど、到底信じられる話ではない。
どうなっている──と怒鳴るパディントンだが、それにこたえるよりも早く映像が映し出される。
こちらに向かっている航空機の姿だ。夜の闇の中で、月明かりに照らされる流麗なフォルム。
かなりの遠距離だが、レーダーに映った瞬間から目で見てわかるほどに加速している。
「……なんだ、なんなんだ、貴様は!」
『名乗る気はないね。恨みはないけど、まぁ、運が悪かったと思って諦めることだ』
ライトニング F.6
イギリスで作られた戦闘機であり、現在は全機が退役しているはずの今ここに
最高速度はマッハ2を超え、1.8トンオーバーの重量を持つそれが──減速することなくまっすぐにこちらへと向かってきていた。
「──
パディントンの判断はすばやく、何かしらの武装によって攻撃してくると判断したために防性の随意領域を発生させる。
その判断は正しい。相手が高速で動き回る戦闘機である以上、如何に顕現装置を積み込んだ空中艦とはいえ攻撃は難しい。速度の面で差があり過ぎる。
だが相手はパディントンの予想の上を行く。
相手が彼女以外ならばその判断は正しかっただろう。しかし、彼女に対して常識的な行動では対処しきれない。
「対象、避けません! 防性随意領域に衝突します!」
乗組員の言葉が艦橋に響き渡った直後、凄まじい轟音と共に〈アルバテル〉が大きく揺れた。
●
その少しばかり前の時間。
狂三は定時連絡として千璃と情報を交換し、次の行動を考えていた。
『……このまま後手に回るのも面白くないね』
「ですが、こちらから仕掛けるのもリスクが高いのでは? わたくしとしても、余り力を浪費したくはないのですけれど」
『八舞姉妹がいるでしょ。上手いこと誘導すればエレンと潰し合ってくれる』
十香は霊力封印状態で、狂三もその『天使』の特性上むやみやたらと力を使う訳にはいかない。なら選択肢はほかの精霊──千璃か耶倶矢、夕弦しかない。
千璃の『天使』を使うのが一番手っ取り早い気もするが、彼女の力は他の精霊と比べても被害の大きさが段違いに大きい。狭い島の中で戦えば一般人を巻き込むことはまず間違いないだろう。
だから、比較的と頭についても一番被害を抑えられるのは八舞姉妹だと千璃は言う。
「……それ、貴女が多少火力を落とせば済む話では?」
『流石に単純な火器銃器でエレンは倒せないからねぇ。46センチ三連装砲でも持ってこなきゃ、アイツの随意領域は突破出来ないよ』
「そういうものですか」
『そういうモノなの。半分以上人間やめてるからね、あれ。私だって正面から戦闘すれば勝てないよ』
だが、およそ『最速』の精霊である八舞ならばまだチャンスは存在する。暴風という副次的な被害もあるが、爆発やらソニックブームで凄まじい被害をまき散らす千璃と比べればまだましである。
二人を戦わせることに対して士道が反発するのは確実だろうが、「そのあたりは全部私のせいにしていいよ」と千璃は言う。
士道から受けている信頼度が低いことは彼女とて自覚している。だが、現状では千璃に頼らざるを得ないことも確かであり、エレンの実力を考えれば仕方がないことだと理解自体はできるはずだ。
感情が納得するかどうかはまた別の話とはいえ、理屈さえ通っていれば士道とて反論はしない。
「そうは思いませんけれど……」
『ま、本当にうまくいけばの話だからね。士道君はどうせ確実に反対するから、こっちで勝手に進めることにしよう。君だって、あまり士道君と親しくしすぎるのも考え物だろう?』
狂三の目的自体はわかっていなくても、士道の持つ霊力を欲していることはわかっている。結果として士道を『喰べる』ことになるかもしれないのなら、出来る限り親しくするべきではない。
見透かしたような千璃の言葉に思わず舌打ちをして、視線を宿の外へと向けた。
狂三の影から現れた分身体の一人が、現状を本体の狂三へと報告する。それを聞いて、狂三はまた舌打ちした。
「……どうやら、一足遅かったようですわよ」
『おや、既に動き始めた?』
「十香さんと士道さんが外に出たことで、好機だと判断して動き出したのでしょうね。耶倶矢さんと夕弦さんも少し離れたところにいるようですけれど」
『それは好都合。けど、エレンの狙いはどうも十香ちゃんっぽいんだよね』
ここ何度かエレンと〈アルバテル〉との通信を傍受した結果、千璃はそう判断した。士道のことは何も言っていなかったため、彼女たちがどこまで知っているかは把握できていない。
情報は大事なものだと認識している二人である故、出来ればそのあたりも調べたいところではあった。
だが、そうも言っていられない。
『既に動き出してるならこっちも動かないとね。結局後手か』
「仕方ありませんわ。わたくちたちと違い、あの方は一人で進めることが出来ますもの」
トップダウン型の指揮権なら行動が早いのは当然だ。協議をする必要性が無いのだから、ボトムアップ型でやっている千璃たちよりも先手を打てるのもまた必然。
だから早めに行動を予想するか、エレンの行動を誘導するかで話していたのだ。
『話し合いも無駄になったねぇ──よし、私も向かうよ』
「それは構いませんが、一般人に被害を出してはいけませんわよ?」
『心配しなくても、私が相手にするのは上空だから大丈夫だって。エレンのサポートなんてさせないから、狂三ちゃんも「天使」使って構わないよ』
「できれば使いたくないのですけれど……そうも言ってられないようですわね」
『霊力なら後で吸わせてあげるさ。時間はその辺のやつから適当に吸い上げてもらうしかないけど』
霊力なら時間が経てば回復するため、吸わせるのは別に構わない。だが時間は戻らないのだから、吸わせるわけにはいかないのだ。
特に千璃は、見た目は女子大生といった風だが実年齢は七十代である。精霊化して肉体が最適化されたとはいえ、残された時間はそれほど多いとも思えない。肉体が若返っても不老不死になったわけではないのだから。
そのあたりの理由もあって、千璃は自分の時間を吸わせるわけにはいかなかった。
「DEM社の魔術師でも相手にして時間を吸うことにしますわ。サポート要員がいるのならそちらからで構いませんし」
『そうだね。出来るだけ生かしておくよう心掛けるよ』
えらく不安にさせるような言葉だったが、敵対している組織だし狂三としてはギリギリで生きていれば時間は吸い取れるので別に構わなかった。士道は嫌がるだろうから隠れてやる必要はあるが。
『三十分もあれば十分だよ。それまで持たせてくれれば、援護する』
「……一応、或美島は飛行機で三時間ほどかかる場所なのですけれど」
飛行機の速度は基本的に八〇〇キロ前後。それで三時間なのだから距離的にはおよそ二四〇〇キロほどとなる。
対して千璃の言う三十分で到達可能というのは、普通に考えると時速四八〇〇キロ──約マッハ四である。
もちろん単純な計算では表しきれない様々な要因が発生するので、実際に必要な速度はこれ以上となる。それに応じて必要な燃料も増えていくし、そもそも戦闘機にだってマッハ四を出せる機体などほぼ存在しない。
ならばどうしてそんなことが言えるのかといえば──随意領域を使用した超音速巡航である。
『
滅茶苦茶なことを言っているようだが、理に適った行動ではある。機体にかかるダメージも、それを運用するためのエンジンも、全てが千璃の創造するモノならば真空状態にだって耐えられる。
随意領域だってやろうと思えば漫画の中でしか見られないようなアクロバティックな動きも可能だ。無論それ相応の負担がかかってしまうが、千璃ならば基礎顕現装置を作って機体に積み込むことくらいするだろう。
加えて、人の身では耐え切れないような圧力でも精霊ならば耐えられる。
霊力をそれなりに使うことになるが、千璃とてこんな状況で霊力をケチる気もない。
「滅茶苦茶ですわね、貴女」
『結構緊急事態だからね。のんびりしている暇はないよ』
それじゃ、出発するから。とだけ告げて連絡は切れた。
スマートフォンを懐に仕舞い込み、言いにくそうに報告した分身体を見て狂三はため息を吐いた。
●
耶倶矢は誰よりも夕弦のことが大事である。
夕弦は誰よりも耶倶矢のことが大事である。
元は一人なのだからそれも当然。趣味嗜好に多少の差があれど、二人の好みは基本的に似通うことになる。
夕弦の好きなものは耶倶矢も好きだし、耶倶矢の好きなものは夕弦も好きだ。
そんな二人は今──空中で殺し合いをしていた。
「ああ、アンタの馬鹿さ加減にはうんざりしたよ。折角穏便に行くかもしれないって思ったのに、アンタのせいで台無しだ」
「返答。それは私も同じです。耶倶矢の阿呆さ加減にはいい加減辟易します。──やはり、こうするしかありませんね。元々二人で始めた決闘です。誰かに終わらせてもらおうなど、虫が良すぎる」
疾風の如く空をかける二つの影。渦巻く大気はうねりをあげて暴風をまき散らし、二人が激突するたびに衝撃波が辺りに舞う。
風を操る強大な精霊が本気の殺し合いをしているのだ、こうなるのは必然といえる──ただし、勝利条件は
互いを想い過ぎて、致命傷を与えられない終わらない決闘。
一般人からすればはた迷惑な、士道からすれば最悪の、二人の戦いが始まってしまった。
「くそ……どうなってんだ、これ……」
辺りを破壊する風の中で佇む士道と十香。本来耶倶矢と夕弦のことに意識を裂くべき二人は、周りを取り囲む人影に意識を裂かれていた。
人影と言っても人間ではない。人に近いシルエットだが、その実態は無機質な金属装甲である。
DD-007〈バンダースナッチ〉
フルフェイスのように滑らかな頭部を持ち、痩身のボディと人間とは逆向きの間接をした脚部が地面を踏みしめている。各所にみられるCR-ユニットのパーツといい、DEM社がらみのものだと士道は一瞬でわかった。
だが、わかったところで解決策があるわけではない。本体に報告に戻らせたため狂三の分身体もいないし、何より敵の数が多すぎる。
どうすべきかと迷ったとき、一人の少女が人影の中から現れた。
「あ、あんた、は……」
「初めまして、と言っておきましょう。ああ、我々の監視網にかかっているあなた方のことはよく知っていますので、自己紹介は不要ですよ」
「エレン、メイザース……ッ!」
千璃が真剣な顔で「気をつけろ」と言っていた最重要警戒人物。
曰く「人類最強の
思わず後退る士道だが、背後にも〈バンダースナッチ〉が配置されていることを考えると迂闊にも動けない。
「抵抗はお勧めしませんね。大人しくついてきてもらえるのなら、それなりの待遇をお約束しますよ」
「冗談は止めてほしいね。ホルマリン漬けは勘弁だ」
「……センリから何を聞いたか知りませんが、そんなことはしませんよ」
だが、士道の価値を知ればそれくらいはやりかねないと千璃は言っていた。どこまで本気かわからないが、ホルマリン漬けなど御免こうむる。
呆れ顔で否定するエレンもまた、千璃こそやりかねない行為を自分たちがやると言われたことに少なからず思うこともあるわけで。
さらにそこへ十香が爆弾を投下した。
「うるさい! この嫁き遅れのアラフォー女!」
空気が一気に氷点下まで下がった。ように感じるほど、士道には背筋に寒いものが走った。
思わず十香の方を見てみたが、十香自身も意味を分かっていないように思える。
「……と、十香? それ、どこで聞いたんだ?」
「む? いや、『エレンと敵対した時はこう言ってやれ』と千璃に言われていたのだ」
なんてことを教えてくれたんだ、と思わず頭を抱える士道。恐る恐るエレンの方を見ると、額に青筋を浮かべてニッコリと笑っている。
感じる威圧感も先程より強く、地雷を踏んだことはまず間違いなかった。
一瞬でワイヤリングスーツとCR-ユニットを身に纏うエレン。ASTとはまた違う装いをした姿に対し、十香も限定的な霊装を浴衣の上から纏う。
それだけで十香を完全に精霊〈プリンセス〉だと認めたらしく、剣を片手に歩み寄ってくる。
「私は優しいので先の言葉は水に流しますが、腕の一本や二本は覚悟していただきましょうか」
そりゃ怒るよなぁ、などと危機感の薄い士道の考えとは裏腹に、十香が踏み込んで一閃。更に続く連続した斬撃を、エレンは全て片手に持ったブレードで防ぎきっていた。
最初こそ眉をひそめた程度だったが、徐々に落胆と失望の入り混じった表情に変わっていく。
──なんだ、この程度か。
そう言いたげな視線と共に十香を打ち払い、周りの〈バンダースナッチ〉を動員して十香を押さえつけようとする。
先の一撃で限定的に出現した〈鏖殺公〉が破壊されたため、抗う術がない。素手でも抵抗しようと奮戦するが、随意領域を纏った鋼鉄の前には成す術もない。
「おっと、そうでした。イツカシドウ、でしたね。貴方もついてきてもらいますよ。貴方にどんな価値があるかは知りませんが、千璃が手元に置きたがっているならとりあえず確保しておくのが上策でしょう」
「──そんなこと、わたくしがさせると思って?」
士道へ向かっていた二体の〈バンダースナッチ〉が爆砕する。士道からほど近い距離であったが、不思議と爆風や破片による傷はほとんどない。
それもまた、士道を守るようにエレンとの間に立った狂三のおかげなのだろう。
「狂三……」
「士道さんは宿の方へ逃げてくださいまし。あの方、おそらくは一般人のいるところでは手を出してこないでしょうし」
「いざとなれば『行方不明』という手があるので、それほど有効な手とも思えませんが」
さらっと恐ろしいことを呟くエレン。
だが、実際三十年前には千璃たち『黄金』の、さまざまな人体実験の被検体を用意するための常套手段だった。
今もまた、エレンたちはDEM社という世界に大きく通用する権力を持つ。多少のことなら握りつぶせるだけの力があるのだから、左程気にするとは思えなかった。
「それならそれでこちらとしても好都合ですけれど。逃げ出すだけなら簡単ですし」
「逃がすとでも?」
「逃げられないとでも?」
視線による牽制と言葉の挑発。士道からすれば何をやっているのかさっぱりわからなかったが、狂三は内心冷や汗をかいていた。
真那よりも数段上の実力。その程度なら『天使』を使えばどうにかなるだろうが、問題は狂三の『天使』の情報があちらに流れていることにある。
時間を操る力は強力だが副作用が大きい。それを抜きにしても、弾丸という物体に変化させなければ相手に影響を及ぼせないのだから対処自体は出来ないこともない。
特にエレンくらいのレベルになると、銃口から弾道を予測して避けるくらいはやってのけるだろう。
だから逃げるなら分身体をそれなりに犠牲にする必要があるのだが──。
「……貴女はマナが追っていた精霊ですから、私としても手を出したくはないのですがね。他人の獲物に手を出すほど飢えてもいませんし」
「生憎と、真那さんなら既に下した後ですので気になさらなくとも結構ですわよ」
「そうさせてもらいましょう。〈プリンセス〉とイツカシドウの身柄を確保、加えて〈ナイトメア〉ともなれば十分すぎる成果です」
取らぬ狸の何とやら、といいたいが、狂三の目算でもエレンは相当強かった。勝てなくはないだろうが、出来れば正面から相手にするのは避けたいタイプである。
それでも狂三がエレンの前に立っているのは、単なる時間稼ぎに過ぎない。
千璃と連絡を取って三十分。
それだけの時間が、いましがた過ぎた。
「──なっ!?」
〈バンダースナッチ〉の挙動が一斉に変化した。
十香の身柄を確保し、士道を捕らえようとした機械人形たちは今──エレンへと刃を向ける。