九月二十二日、金曜日。
天央祭を明日に控えたとはいえ、折紙はASTの隊員であることに変わりはない。機体整備のために駐屯地を訪れた彼女は、入った途端に日下部一尉に無理矢理連行されていった。
突然の事態に何事かと考える折紙だが、日下部もどういうことかわからないとばかりに困惑した表情だ。
とりあえず現状を動かすためには折紙が必要なのだと、そう日下部は言う。
「日下部一尉です。鳶一折紙一槽を連れてまいりました」
「入りたまえ」
「失礼します」
一礼して中に入ると、見覚えのある二人が出迎えた。
ソファに座っているのはアイザック・ウェストコット。DEMの代表取締役として、前にこの駐屯地に訪れたことがある。
その背後に立っているのはエレン・メイザース。選りすぐりの魔術師が揃うDEMの中で最強の名を欲しい侭にする、およそ世界最強の魔術師。
その二人が何故折紙に用があるのか、呼ばれた当人も呼ぶように言われた日下部もわからなかった。
「クサカベ一尉。君は部屋を出て貰っても構わないし、ここにいて貰っても構わない。だが、これから話すことは他言無用で頼むよ。そちらのお嬢さんも聞かれたくないことかもしれないからね」
「……どうなの?」
「具体的にどんな話か聞くまでは判断できない」
「それもそうだ──端的に言おう。私たちは君が欲しい」
こそこそと話していた二人はそろって目を見開き驚く。エレンは目を閉じたまま微動だにせず、ウェストコットは微笑を浮かべていた。
理由など至極簡単なことで、折紙が〈ホワイト・リコリス〉を使いこなせるほどの使い手であるという一点だけでも引き入れる価値がある。
使った後に廃人にならないのはおそらくエレンと真那くらいのものだろうと考えていたウェストコットにとって、かなりの衝撃的な出来事であったのは間違いない。
それほどの逸材で、更に過去精霊に両親を殺されたという。精霊を恨む下地もあるのなら、間違っても千璃と手を組むことはない。
「君ほどの逸材はそういるものではない。DEM社に来るのならそれなりの待遇を約束するし、今よりも高性能な装備の支給も約束しよう」
千璃サイドの戦力がどれほどのものかはわからない。だが、或美島にて配備した〈アルバテル〉を容易く撃墜するだけの戦力はあるとみて間違いないし、通信妨害を受けたことからそちらに長けた存在が──あるいはそれこそ千璃の仕業かもしれないとウェストコットは睨んでいるが──いることは確実だった。
だから、今この部屋ではすべての電子機器の電源を落とし、盗聴器の類も全てチェックしている。
エレンもまた、はたからは見えないが随意領域を駆使してこの会話を誰にも聞かれないようにしているのだ。
「……それって、引き抜きじゃない……」
日下部は小さくそう呟く。
ASTはれっきとした自衛隊の組織だ。高校に通う身で公務員というのも普通はいるものではないが、折紙がそれだけ優秀であるということの証左でもある。
一企業が引き抜きなどすれば様々なところで問題になるのは当然の話だった。
「もちろんそれはわかっている。大臣とも少々話をすることになったが、結局は本人の意思を確認してからということになってね」
「……それは、逆に言えば私が行くといえばそのまま移動できるということ?」
「そうなる。日本政府には大きな借りを作ることになるが、君という優秀な人材を手に入れられるのなら安いものだ」
エレンさえいれば精霊一人一人を相手取ることは難しくない。だが、彼女についていけるだけのサポート要員が不足している。
真那という唯一と言っていいエレンと同格の魔術師を失った以上、補填しておくのが今後を考えても"最良"と判断した。
それゆえの、引き抜き工作。
「…………」
黙り込む折紙。
これはチャンスだ。両親を殺した精霊を探し出し、その手で殺す最大にして唯一のチャンス。今後あるかないかという、人生最大の分岐点。
だが──この手を取ってしまえば、何かまずいことが起こるのではないかという嫌な予感が脳内を埋め尽くす。
未来予知にも似た天啓ともいえる感覚。どうしてかわからないが、折紙にはそうなってしまうという確信があった。
しかし。
「一つだけ、訊かせてほしい」
「ふむ、構わないよ」
「DEM社につけば、私は必ず精霊を殺せる?」
「約束しよう。討伐の機会も、その為に必要な諸々も、全て我々がバックアップする」
両親を殺した精霊への憎悪は、それすら容易く上回る。
十香や耶倶矢、夕弦と言った精霊は来禅高校に転校してきて、折紙と時折会話しながら日々を過ごしている。彼女たちは精霊だと、頭ではわかっていながら──それでも懐柔されていく自分が、堪らなく嫌だった。
精霊は皆殺しにする。そこに私情は必要ない。
二度と自分のような悲劇を生まないためにも、己の復讐を果たすためにも──あの空間を、心地いいなどと思ってはいけなかった。
だから、決別する。
これ以上馴れ合うこともなく、非情になって、彼女たちを殺す。
「──なら、私に否は無い。むしろ、こちらからお願いしたいくらい」
そのために、折紙はウェストコットの手を取った。
●
九月二十三日、土曜日。
天央祭初日の今日は県の内外から訪れた人々で賑わい、華やかな雰囲気が町全体を覆っていた。
そこかしこから聞こえてくる人の喧騒。呼び込みをする各校の模擬店を経営する生徒たち。そしてイベントの運営委員の声が放送機器を通して町中に流れている。
その中で打倒竜胆寺に燃える学校の一つ──士道たちの通う来禅高校は、模擬店として喫茶店をやっていた。
単なる喫茶店ではない。メイド喫茶だ。
亜衣麻衣美衣の三人娘は当初キャバクラにしたかったらしいが、先生の一声で当然却下された。代案として提案したのでこちらは通ったらしい。
無茶な要求をした後で比較的マシな提案をすることで、普通なら通らないことを通す──三人の交渉術は先生よりも上手だったようだ。
なお、ガールズバンドを組むと言って、夕弦と耶倶矢は楽しそうに話していたのを思い出す。
「……バンドは何時頃だったっけな」
イベントの時間が書かれた紙を確認しつつ、士道はひとりごちる。メイド喫茶なので男子は全員厨房か裏方、客引きなので暇な時間が多いのだ。
ホールスタッフである女子生徒たちは亜衣麻衣美衣によって教育されているようで、傍から見てもかなり"それっぽい"雰囲気を感じられる。
「シドー!」
「ここにおったか。呵々、我らの衣装はどうだ? 天上の女神すら裸足で逃げ出すであろう?」
「確認。どうでしょうか?」
時間的に暇なので、さて今からどうしようかと思っていたその時。客引きとして店の前にいるはずの十香、耶倶矢、夕弦の三人がこちらにやってきていた。
今いる場所は各校の模擬店が並ぶ場所から少し離れており、七罪と四糸乃と千璃が来るというので待っていたのだ。
「あれ、お前らなんでここに……?」
「いろんなものの食べ歩きをしていたのだ!」
「客引きばかりでは暇を弄ぶのでな。こうして三人で散策がてら天央祭を見ておったのだ」
「肯定。私たちが来禅高校の模擬店の服を着ているので、歩いているだけで宣伝になると言われました」
如何に周辺の学校が集まって開催する天央祭といえど、模擬店でメイド喫茶をやるような学校など来禅くらいのものだ。士道は実行委員でこそあるものの、他校の出し物まで完全に把握しているわけではない。
確かにこの三人は並みの美少女ではないのだから、メイド服を着て練り歩いていればそれは目立つだろう。下手に宣伝するよりも余程効果は高そうだ。
「なるほどね……みんな、衣装似合ってると思うよ」
「おお、褒められたぞ!」
「そうかそうか! 士道もそう思うか!」
「赤面。照れますね」
「いやいや、そこは可愛いねの一言くらいないと」
顔を赤くして照れる夕弦と耶倶矢にドヤ顔で胸を張る十香の後ろから、更に声が聞こえてきた。
私服姿の千璃と四糸乃、そして何故か士織スタイルの七罪が既に購入したのであろうたこ焼き片手にこちらへ歩いてきていた。
「……なんでその姿なんだ?」
「誘宵美九がいるわけだし、天央祭のどこにも姿がないっていうのもちょっと不自然かなって」
一応は(複雑な事情があると前置きしたうえで)士道の妹として説明したので、この近辺の学校がすべて集まる天央祭に姿を見せないというのも……という考えだった。
これだけの人がいるのだから、会えなかったら会えなかったで運が悪かったといえば誤魔化せそうではあるものの、それでは攻略出来ないという理由で七罪は変身していた。
四糸乃はこれだけの規模のお祭りは初めてなので、興奮冷めやらぬ気持ちのままキョロキョロと周りを見ている。
そのせいで人とぶつかりそうになったりと危なっかしいため、千璃が手をつないで先導していた。はたから見ると親子のように見えなくもない。
「今はまだどの勢力も動かないだろうから、好きなだけ楽しんでおくのが吉だと思うよ。何時動き出すかは知らないけど、ウェストコットたちは今日中に動くだろうからね」
「祭りの最中に水を差すとは、無粋な奴らよな」
「同意。ぎったんぎったんにしてやります」
「君らは戦わない側だよ」
主に戦うのは千璃と真那。
ちなみに真那は「精霊と一緒に暮らすのは……」と言ったため、少し離れたマンションに一人暮らしである。
狂三との戦いのせいか精霊に対する警戒心が深く根付いている。互いに余りいい影響はないだろうと、千璃が取り計らった結果だ。
なお、今日も誘ったのだが電話に出ないあたりまだ寝ているらしい。
「狙われてるのは主に十香ちゃんだから、危なくなったら夕弦ちゃんと耶倶矢ちゃんは四糸乃ちゃんを連れて逃げてね。実際に戦うのは私と真那ちゃんでやるから」
「しかし──」
「君らが傷ついて一番悲しむのは彼だからねぇ。その点、真那ちゃんはともかく私はそうでもないし」
カラカラと笑う千璃に対し、反論しようとした耶倶矢は口をつぐむ。
精霊としての力を封印された以上、足手まといになるというのは耶倶矢とてわかっている。それでも黙ってみているわけにはいかないと思ったのだが──自分たちが傷ついて、誰が一番悲しむかを理解した瞬間に、何も言えなくなってしまう。
千璃とて自分がどう思われているかくらいは把握している。いくら人の感情の機微に疎いとはいえ、ある程度は予測可能だ。
自己犠牲ではなく単なる士道への点数稼ぎ、と考えるのが一番しっくり来るのは千璃という女性がどう思われているのかよくわかるというものだが。
「七罪ちゃんは士道君の安全確保。いざとなったら琴里ちゃんが助けてくれるだろうけど、今は『天使』が使える七罪ちゃんが──というよりも、『
「そりゃそうだけど……エレンってのに対しては一対一じゃ勝てないんじゃなかったの?」
「前回は運よく狂三ちゃんが手傷を負わせてくれてたから切り札を出さずに済んだけど、今回はそうもいかないだろうと思ってるよ。霊力の消耗は激しいわ、使った後滅茶苦茶疲れるわで出来れば使いたくないんだけど」
「勝てないことはない、と」
「年月ってのは残酷だね」
確かに三十年という時間をかけてエレンはより人の枠からはみ出すほどの強さを手に入れた。
だが、それは千璃も同様なのだ。むしろ、幅としては千璃の方がより大きい。時間をかけて新調した肉体に霊力を馴染ませるという手順こそ必要ではあったが、その最終段階における力はエレンをもかるく超越するだろう。
融合した存在の力を一方的に奪うようなものだが、かの青年は頓着すらしていない。千璃がどう動くのかを楽しんでいる節さえある。
「一回殺されたせいか、ちょっと実力を上に見過ぎたかもしれない。でもまぁ、エレンが危険な存在だってことは変わらないし、警戒を解く理由にはならないよ」
この話はここでおしまい、と手を叩き、七罪も手に持っていたたこ焼きを全て食べ終えてゴミを近くのゴミ箱へと捨てる。
事前に士道に渡されていたパンフレットを片手に、よしのんと七罪が「ここに行きたい」「こっちも行きたい」と話しあっている。
千璃が「出来れば一服する時間もとってほしいなー」と呟いていたが、二人の耳には入っていなかった。
●
「……それで、千璃は私達に情報を?」
「そのようだ」
〈ラタトスク〉の保有する空中艦〈フラクシナス〉の艦橋にて、琴里と令音は話しあっていた。
近くに控える神無月は難しい顔をしているが、ほかのクルーたちは軒並みやることもなく暇そうにしていた。
当然といえば当然で、本来士道のサポートのために動く人員であるはずが当の本人が〈ラタトスク〉を裏切ったので手助けしようにもできない。
妹である琴里はそのせいで一度暴走したものの、士道のおかげで何とか収めることが出来た。士道が裏切らなければ起きなかった事件とはいえ、信用を得られなかったという点では彼ら自身にも反省点があるとわかっている。
暴走したことが原因で一度は〈フラクシナス〉を下ろされかけた琴里だが、副官の神無月を始めとした部下の陳情によって何とかこの艦に留まることを許されたという経緯もある。
次また暴走されては困るので、監視役に令音が抜擢されたことも当然の処置であり、琴里の司令官としての権限のほとんどは神無月に移ったこともまた当然だった。
だが、それでも彼らのリーダーは琴里である。
集団を収める存在として、根本的に神無月では不足している──という訳では無いものの、彼らが従うべきだと判断しているのは神無月でも
……そこだけを見ると単なるロリコン集団なのだが、それはさておき。
「誘宵美九──〈ディーヴァ〉か」
「元は人間だが、君と同じように〈ファントム〉によって精霊化させられた事例らしい」
「その女のことをどうして教えたのかしらね?」
「彼女の持つ『天使』が厄介だから、だそうだ」
声を聞いた相手を操る『天使』の所有者。
確かにそれは厄介で面倒な相手だが、わかってさえいれば対処は可能であるはずだ。具体的に説明しろと言われると少し困るが、少なくともその厄介さは千璃とてわかっている。
「『天使』の特性を見るに、神無月にCR-ユニットを持たせておけばいいと私は思うがね。彼の随意領域なら間違っても〈ディーヴァ〉に貫かれはしないだろう」
「だそうだけど、いける?」
「司令のご命令とあらば、確実に」
「その後、操られていると思しき船員の脳を随意領域で"洗う"ことで洗脳を解くことが可能らしい」
「なるほどね……でも、それは事後の対策でしょう? 事前の対策はないの?」
「彼女の"声"を聞かないことである以上、些か厳しいと判断せざるを得ないな」
スピーカーを通しても効果があるということは、〈フラクシナス〉内部にもその効果が及ぶということ。
空中艦〈フラクシナス〉の総戦力が美九の手に落ちるということだけは千璃としても避けたいところだったのだ。あまりにも面倒事が増えると困るので、事前に対策を打っておきたかった。
「──私たちを利用されないために、か」
「そう考えるのが妥当でしょう。彼女からしてみれば、精霊一人相手取れば済むものを組織一つ丸ごと相手にする可能性が存在するのですから」
「そうね。それに、ここまでお膳立てしてるってことは、DEMも動いているのかもしれないわね」
「可能性はあるだろう。いざとなれば音響システムを全て落としてしまえば、局所的な戦力として神無月を投入できるが……」
「……最終手段にしたいわね。千璃に恩は売れるかもしれないけど、場合によっては敵対行為に取られかねない」
琴里とて士道の力になりたいという思いは変わらない。誰よりも彼の近くにいて、何よりも彼を優先して動く。
だから、その為には自身の属する組織をすりつぶすことすら厭わない。
それでも敵対行為に取られてしまえば足を引っ張ることになる。DEMという目前の脅威があるのなら、足を引っ張り合うことは下策も下策。士道の助けにならないのなら、そんな行為は無駄以外の何物でもない。
「時崎狂三がいなくなった今、彼女には多数あった手足と目がなくなっている」
「その代わりに〈フラクシナス〉が入る可能性が、少しでもあるのなら」
「──士道君はもう一度私たちを信じてくれる可能性がわずかにでも生まれる、ということですね」
〈ラタトスク〉ではなく、〈フラクシナス〉のクルーとして。士道の愛する妹と、それに従う船員。円卓の息がかかっていないと確信すれば、千璃もまた琴里たちの存在を許容するかもしれない。
そこまでしてでも傍にいたい。何を捨ててでも士道の力になりたい。
狂おしいまでの渇望が、琴里の心を乾かせる。
──おにーちゃんの傍にいるのはほかの誰でもない、私。
十香たちのそれは単なる吊り橋効果に過ぎず、心の底から士道を信じて愛しているのは自分だけだという自負がある。
だからこそ、彼の力になりたい。彼に頼られたい。
その為なら何を犠牲にしてでも──そう考えるが、理性を総動員してその考えを振り払う。
これだけ慕ってくれている船員たちを裏切るわけにはいかない。それに、士道の手伝いというのは〈ラタトスク〉の本来の目的に合致する。文句を言われる筋合いなどどこにもない。
「千璃を警戒しているのはDEMも〈ラタトスク〉も同じだ、あの女からは、どうにも不穏な臭いが消えない──そんなところにシンを置いておくわけにはいかない」
「ええ。どうしても嫌な予感が拭えない……
消えない嫌な予感。
拭えない不吉な兆し。
まるでこの展開は前にもあったような──そんな荒唐無稽な考えがよぎる。
そんなことは
「ともあれ、現状では様子見をするしかないでしょう。我々の精霊を助けたいという思いは士道君と同じです。きっと協力できるはずですから、諦めないで頑張りましょう、司令」
「……えぇ、ありがと、神無月」
艦橋の画面に映るテレビカメラに囲まれている少女──誘宵美九を見ながら、〈ラタトスク〉もまた動き出した。
●
「ようやく見つけましたわ」
イギリス某所にて、一人の少女が呟いた。その視線の先にいるのもまた、一人の女性。
「あなたがこの先の鍵となる精霊。一緒に来ていただきますわよ──
黒い髪をツインテールにした少女の言葉を聞いて、視線の先にいる女性は薄く笑みを浮かべた。
次から戦闘入ります。
……そろそろ原作キャラ死亡って書いておかなきゃ。