かぐや様は暴きたい~淑女達と執事の生存情報戦~ 作:ひさっち
よければ読んでみてください。
幼い頃の私には、とても大切な人がいました。弟のように大切な、家族と断言できる人がいました。
そんな大切な人が唐突に亡くなった。そう聞かされて、幼い頃の当時の私には到底理解できない話でした。
その人の遺体すらなく、ただ口頭で大人達から伝えられた言葉を、例えそれが事実だろうと信じられる訳がありません。
それは私の姉妹と言える“あの子”も同じでした。大人達が口を揃えて彼が亡くなったと伝えても、一向に理解すらしていませんでした。
それは私だって、同じだった。言葉で伝えられても、信じられる訳がありません。
そんなのは、簡単です。私達は一度たりとも、彼の遺体を見ていないのだから。
だからこそ、亡くなったとは思えない人間の葬式なんて苦痛の時間だった。
どうして死んだことが分からないのに、生きているかもしれない人間の葬式をしているのかと。
私も、あの子も、行われる葬式に参加していましたが、まるで他人事のようにぼんやりとその光景を眺めているだけでした。
果たして、遺体のない空っぽの棺の奥に飾られていた写真に映る少年はどこへ行ったのだろうか。
その疑問しか、当時の私にはありませんでした。
だけど、考えても、考えても、当時の私にはその答えは出ませんでした。いつの間にか居なくなって、どこか遠いところへ行ってしまったとしか思えなくて。
それなのにどうして大人達は彼を死んだと口を揃えるのか。探しても見つからないから死んでいると、どうして言い切ってしまうのかと。
大人達の勝手な言い草に、当時の私は内心では激怒した。しかし幼い子供から時間が経ち、歳を重ねていくにつれて、私は気づいてしまった。
高貴な家柄に生まれた身として習い事、そして勉学の日々を過ごしていくなかで、いつもあの子と一緒にいた彼がいない。その時間が多くなるにつれて、ある日の夜――ふと、自然と涙が出た。
――あぁ、死んだのね。あの子は
納得してしまった。忘れもしない十歳の夜だった。
そう思って、納得したのが運の尽きでした。今まで蓋をしていた感情が、崩壊してしまった。
誰にも聞かれないように、必死に息を殺して、私は泣いてしまいました。
歯を食いしばって、溢れる涙を拭うことすら諦めて、ここにいない彼の喪失感に堪えるしかなかった。
こんな姿を誰かに見られる訳にいかない。そう思っていたけど、あの子に見られていた。
侍女として私の近くで控えていたあの子に見られて、私の姿を見て察したんでしょう。気づけば、あの子も私と同じように泣いていました。
私の自室で、二人で声を殺して一晩中泣いていた。それが私にとって、決して忘れることのない彼の死を受け入れた夜でした。
◆
秀知院学園の高等部に通うようになって、一年が経ちました。
子供の頃に辛いことがあったけど乗り越えて、他人との関係に不安を抱くようになったこともありました。
だけどこの学園で生徒会に入ってから、人間も思いのほか悪い人だけじゃないと思うようになりました。
心を閉ざしていた私にも、気になる殿方ができました。言っておきますが、好きとかではなく人間として素敵な殿方であると念を押しておきます。
一年生の頃に生徒会が発足されて、気付けば二年生になって、新しい一年が始まる日――私は、彼と出会った。
「かぐやさん、会長。ついでに石上君。こちら、明日から私達と同じ秀知院学園に通うことになった私の執事の蓮太郎君です。では蓮太郎君、挨拶してください」
「初めまして、明日からこの学園に通うこととなりました千花お嬢様の執事、藤原蓮太郎と申します」
生徒会室に現れた目の前の人間を見て、私は崩れそうになる表情を抑え込むのに必死でした。
「絵に描いたような執事だな……」
「会長の言う通りです。にわか執事喫茶とかの紛い物じゃない本物の執事なんて初めて見ました。実在したんですね……というか、藤原先輩って本当にお嬢様だったんですね」
「失礼な人ですね。ぶん殴りますよ」
「お嬢様がぶん殴るとか言わない方が良いですよ」
「別に石上君にどう思われても私は気にしません」
三人が何かくだらないことを話していましたが、私はただ藤原蓮太郎と名乗る執事を見つめることしかできませんでした。
私の友人の藤原千花さんの隣に立つ彼の姿は、まさしく私の目から見ても綺麗な姿でした。
執事服に身を包んだだけの人間ではない。それは立ち姿でおおよそ把握できました。
お辞儀をする姿、立ち振る舞いが物語っています。一朝一夕で身につけたものではなく、かなりの年月を重ねて身につけたものだと。
しかし私が驚いたのは、そこではなかった。綺麗整えられた黒髪、黒い瞳と日本人特有の外見。
キリっと会長みたいに鋭い目になっていますが、どこか可愛げのある目。童顔みたいに可愛いけど、大人になってのか格好良くなっている。
「恋……?」
気付けば思わず、私はそう口にしていました。
見間違えるわけがない。紛れもなく、目の前にいるのは私にとって弟のように大切だった人――早坂恋にしか見えなかったのだから。
「四宮? もしかしてこの執事さんと知り合いなのか?」
まずい。思わず口にしていました。なんとか誤魔化さなくては……
他人の空似ということもあり得ます。それに恋は、既に死んでいる。藤原さんの執事さんにそんな失礼なことを言うわけにはいきません。
「い、いえ、そういう訳では……」
「白銀御行様。私のことは蓮太郎とお呼び頂いて構いません。それと差し出がましいとは思いますが、四宮様にとっては私は初対面です」
藤原さんの執事――なんと呼べば良いのでしょう?
とりあえずは藤原君と呼ぶことにしましょう。それよりもこの藤原君、何か引っかかる言い方でしたね。
「四宮にとって? どういう意味だ?」
会長も私と同じように気になったようです。流石は会長、私が少しは見込んだ男なだけあります。
先程の言い方は、私にとって初対面。つまり藤原君には初対面ではないということになります。
「以前のことですが、四宮様は藤原家に一度宿泊されたことがあります。俗に言うお泊まり会です。その際に、陰ながら千花お嬢様達のお世話をさせて頂いておりましたので、私個人は四宮様のことはその際から拝見していました」
私は眉を寄せてしまいました。
以前から、私を知っていた? 彼が本当に私の知る弟ならば、私を見た瞬間に姉さんと嗚咽を漏らして抱きついてきてもおかしくない。
やはり他人の空似。いや、それにしても特徴が似すぎている。私の記憶の中にいる早坂恋という人間が大人になったイメージにピッタリな外見をした人間が、本当に別人とは思えません。
きっとそれはこの場にいない、どこかで見ているはずのあの子もそう思っているはず……それくらいにこの藤原蓮太郎は、早坂恋という人間にそっくりだった。
「……知っていた? 私を?」
「あの時は女性が集まるお泊まり会でした。その場に男性である私が居ては楽しい空気を乱してしまいます。それ故、私は見つからないよう隠れていました」
言われてみれば、私は藤原さんと以前から交友があります。藤原さんの家に宿泊したこともある。それなのに私は、この執事の存在を知らなかった。
あり得ません。執事なら仕える人間の傍にいるのが普通です。思い返す限り、私は藤原さんの家に居た時、一度たりとも彼を見た覚えはなかった。
確かに存在を隠すことができる人間は私も知っている。あの子も、自分の存在を消す方法を会得してます。それが一流の付き人と言われれば、多少は納得もできます。
「思えば、それは四宮様に対する非礼でした。遅れながら謝罪させて頂きます。大変申し訳ありませんでした」
そう言って、藤原君が頭を下げました。
ひとつひとつの動作が綺麗。間違いなく一流の執事にしか見えません。
どうすれば、私のこの疑問を解消できるでしょうか。まさか彼に『過去に死んだと思っていた早坂恋ですか?』などとこの場で直接訊くわけにもいきません。
もし私の弟が生きていれば、私とあの子に会いに来るはずです。それをしないということは、しないではなくできないと判断するのが自然と考えられます。
彼が私の知る弟と別人と考えるのが普通ですが、可能性として似すぎている人間がいれば――僅かの可能性でも私の弟である可能性もあり得る。遺体が見つかってない以上、十分にあり得ます。
「……私は気にしていません。あなたの考えは理解できます。頭を下げるのはおやめなさい」
「かぐやさんがこう言ってますから、蓮太郎君も気にしないで良いですよ」
「はい。四宮様、お嬢様、ありがとうございます」
もし本当にこの藤原蓮太郎が、私の知る早坂恋だった場合――なぜこの子は藤原さんの執事なんてしているのでしょうか?
何か理由があった? いえ、そんな理由があるとは思えません。私の知らない何かがあるとでもいうのでしょうか?
「それで明日から学園に通うと言っていたが、どうしてわざわざ藤原書記は藤原執事をこの場に連れて来たんだ?」
「私の執事ですよ? 私の近くにいることが多いので、必然的に生徒会にも来ることが多いじゃないですか? 今日、手続きの確認で来てもらったんですけど、折角なら会長やかぐやさん達に会わせておきたいなって思いまして」
藤原さん? なぜ私の弟を自分の執事と口走ってますの?
まだ確信はありませんが、もし仮に彼が私の弟だったとすれば……藤原さん、あなたはまた私から奪うんですか?
先日の会長の手製お弁当の時のように、私の欲しい物を搔っ攫う下種な女の一人だったのですか?
少しは見直したと思ってましたのに……所詮、あなたも人の姿をした家畜の一人だったんですね?
まだ彼が私の弟という確信はありませんが…………
「なら何故入学した時点で一緒にこの執事さんも入学しなかったんだ?」
「最近は物騒ですからね。付き人を付けないのは良くないって両親に言われまして、そこで学校に行ってなかった蓮太郎君に白羽の矢が立ったんですよ」
「む? 学校に行ってなかっただと?」
「別に頭が悪い訳ではないですよ。蓮太郎君はとても頭が良いんです」
「なるほど、それで彼のクラスは決まっているのか?」
「そんなの私と一緒に決まってますよ」
「それ、俺と一緒じゃん」
会長とクラスが一緒……私とあの子とは別のクラスになりますね。
教室が違うと彼に近づくタイミングがあまり多くありません。少し都合が悪いですね。
「自己紹介が遅れた。俺は生徒会長の白銀御行だ。同じクラスで学ぶ学友として、これからよろしく頼む」
会長が手を藤原君に差し出してますね。流石は会長、生徒の長が率先して挨拶をするのは当然ですね。
「白銀様。私のような人間に手など……」
「それに俺のことは白銀様って仰々しく呼ばないでくれ。同じクラスってことはお前も同い年なんだろ?」
「はい。そうですが」
「なら俺のことは様を付けないで呼んでくれ。そんな呼び方は学友として、交友を深めるには邪魔だろうに」
「分かりました。では白銀さんとお呼びします」
「できれば“さん”も要らないんだが」
「そればかりは執事である私の性分なのです。お許しください」
「もう少し砕けた話し方でも良いんだがな」
もう少し会長が彼に深い話を聞き出してくれればよかったんですが、それは贅沢な望みですね。
「石上優です。よろしくお願いします」
「はい。石上様、よろしくお願いします」
石上君は、別に期待していません。
「四宮も挨拶くらいしておけ」
「あっ、ええ、もちろん」
私の番みたいですね。四宮の家の人間として一番最後になってしまったのは恥ですが、今回は情報を得るために仕方のないことです。
「改めて、四宮かぐやです。藤原さんにはとても良くしていただいています。藤原さんの執事のあなたとも是非とも仲良くさせて頂きたいですわ」
藤原君の前に立ち、私はさりげなく手を差し出しました。
私の手を拒むことはなく、彼は少し躊躇う素振りを見せながらも私の手を握りました。
「私のような人間と仲良くするのは好ましくありません。四宮の名を持つ方が執事と交友を深めるのはよくありません」
「お気になさらず、私が誰と交流を持つのかは私自身が決めること。あなたが自分を卑下するのは、あなたの仕えている藤原さんを卑下するのと同等の行為です。私はそのようなことは容認できません」
「……失礼致しました」
「理解してくれれば良いんです。これから、よろしくお願いします。藤原君」
「はい。よろしくお願いします。四宮様」
少し威圧的だったでしょうか?
まぁ良いでしょう。執事として立場を気にするのは良いですが、卑下するのも限度を過ぎれば主の立場を下げてしまいます。
立ち振る舞いは良いのですが、その点の配慮は欠けているのでしょうか? それとも動揺する人間がこの場にいるからでしょうか?
タイミング的にはここでしょう。少し攻めてみますか。
「ところで、私からひとつ言いかしら?」
「なんでしょうか?」
「恋と書いて“レン”という名前に聞き覚えはありまして?」
そう訊いて、藤原君の顔を見つめる。
何か動揺したような変化があれば、それはもう自白しているようなもの。
「いえ、ありません。その名前は女性の名前でしょうか?」
「覚えがないのなら良いですわ。少し、気になっただけですから」
あっけらかんとした顔で答えましたね。
やはり簡単にボロを出さなそうです。それかもしくは本当に他人の空似ということもありえますが。
まだ訊けることはありますが、この場ではこれ以上は得策ではありませんね。今日はこれくらいにしておきましょう。
「では蓮太郎君の挨拶も終わりましたし、今日は申し訳ありませんが私は今日は帰りますね」
「む? もう帰るのか?」
「はい。蓮太郎君に先に学校を案内しておきたいので」
「それなら仕方ない。今日はもう生徒会に戻らなくてもいいぞ」
「ありがとうございます〜! それでは皆さん、失礼しますね〜! 蓮太郎君! 行きますよ!」
「皆さま、失礼します」
そう話をして、藤原さんと藤原君が生徒会から出て行きました。
ふと、藤原君が横目で私を見たような気がしましたが……多分、気のせいではなさそうですね。
「これは少し、調べる必要がありそうですね」
「四宮? 何か言ったか?」
「いえ、何も……お気になさらず」
藤原さん達が立ち去った生徒会室の扉をチラリと見て、私は会長に誤魔化すように笑みを浮かべて見せた。
「良かったの? かぐやさん達に言わなくて?」
「言わなくて良いんだよ、千花」
「絶対に言った方が良いと思うんだけど、それに蓮太郎君の喋り方も固かったし」
「あれくらいで丁度良いんだって」
「それに、知らない方が良いことがある。特にかぐやとアイツにはな」
「アイツって?」
「……さぁ?」
「また意地悪する!」
「そのうち話してやるから」
「約束ですよ! 蓮くん!」