飽きることなく、当然のように立ち尽くす。
それこそが使命なのだと信じ、それこそが至福なのだと心底思っている。
由来を覚えていなくとも、彼は変わらず立ち尽くす。挑戦者を待ちわびて。
黒い男は立っていた。身動ぎひとつせずに、という訳ではさすがになかったがその足は微塵も動かさず、ただ背中を丸めてじっと立っていた。
その姿はもはやその場に馴染んでいたので、誰も彼もがあたかも普遍的な建造物であるかのように見慣れていたが、生きている人間がそこにぬっとただ立ち続けているというのは異様な事だった。
とはいえ、その黒い姿はただ具体的ではない「誰か」を待ち受けるために立ち尽くしていることを苦にも思わなかったし、それを当たり前に思っていた。
「ノボリさーん!」
彼がそこに立ち始めてからどれほどが経過したのか。ようやく訓練場の外からぱたぱたと手を振って走ってきた少年をじろりと見やった黒い男。
彼のことを知らない人間ならば到底歓迎している顔をだとは分からないが、付き合いがそれなりにあれば鋭い眼光が緩んでいることがわかるのだ。……それでもなお子どもには時たま泣かれてしまうらしいが。元々の顔が、というより眼光が少しばかり鋭すぎた。
それは言うなれば静かで冷たい鉄の色。鈍色は、時に爛々と輝いて見え、それは切れ味のいい刃を彷彿とさせた。
「ご乗車ありがとうございます。テルさま。本日はどのような目的地をご所望ですか?」
独特の言い回しで少年を歓迎した男……キャプテンノボリは彼なりにひとつニコリと笑った。
この世界の誰もがそれを笑顔とは認識してはいなかったが。かつて彼は、「挑戦者」がたどり着く度に歓喜で微笑んでいたように、その硬い表情筋なりに笑ってみせた。
「今日はですね! ――」
楽しそうにあれやこれやと過密なバトルの注文をつけてくる少年を至極機嫌良さげに……もちろん傍目には仏頂面のまま頷いているだけにしか見えない……聞いたキャプテンノボリは、快く全てを了承して口上を述べる。
「指さし確認、準備オッケー! それでは出発進行です!」
なお、調査隊テルとキャプテンノボリは今日はこれこれこういうポケモンの構成でバトルをするので何時頃に集合しましょう、などと約束していない。
キャプテンノボリはキャプテンとしての務めを果たすべくテンガン山にいる時や人間としての生命維持のためのあれやこれや……つまり食ったり寝たり厳選したり育成したりである……以外のほぼ全ての時間をコトブキ村の訓練場で挑戦者を待ち受けるために使い続けていた。
立ち塞がる強大な存在として、いつでも待ち受けることが当然のことであるかのように。
またある日。その日も変わらずノボリはいた。定位置に立ち、早朝のひんやりした空気の中で立ち尽くす。とはいえ目的がないわけではない。彼の頭の中ではすさまじい勢いで様々な戦術が組まれていったし、もし誰も来ないのであればその戦術を手待ちのポケモンたちにいくらか試してもらおうかとも検討していた。
ぱたぱたぱた、と軽い駆け足が耳に飛び込んでくるとそのようなプランは霧散したが。より高みを目指すことも彼にとって大事なことであったが、それよりも彼が至上とすることを優先したからだった。
「ノボリさーん! おはようございます!」
「おやテルさま、おはようございます。今日は随分とお早いですね。これから調査に行かれるので?」
「えへへ、ノボリさんほど早くないですよ! モーニングバトルしに来たんです!」
「なんと! モーニングバトルとはスーパーブラボーな響きでございますね! それでは早速どなたとバトル致しますか? ……とはいえ、いかんせん早朝ですからわたくしくらいしか今すぐお相手できないでしょうが……」
「あはは。朝の仕込みに忙しそうなムベさんや、まだ出勤していないペリーラさんを選んだりしませんって。それではノボリさん、目と目が合ったらポケモンバトルです! お手合わせよろしくお願いします!」
「!! えぇ確かに目が合いました! それではルールを守って安全運転! 目指すは勝利、出発進行--ッ!」
その優先事項とはポケモンバトルであり、バトルを通じて互いの成長を実感することだった。
ノボリは聞かれるまでもなく躊躇なく「特訓」のポケモンを繰り出したが、テルは動じずに嬉しそうに笑った。
そういうわけでヒスイの地にはまだ珍しいバトルジャンキーどもが満足するには小一時間は優にかかったのだが、なんにせよバトルというものには決まって終着点はあるものだった。
二人はさわやかな笑顔を浮かべ……この時ばかりはノボリも他者に分かる程度にははっきりとやわらかな微笑みを浮かべていた……活動を開始したコトブキ村の住民たちやギンガ団員から朝っぱらからバトル三昧な様子を周囲から若干引き気味の視線で見られていることに気づきもせずに健闘を称え合っていた。
「ありがとうございました!」
「こちらこそでございます。目が覚めるような思いとはまさにこのこと。また何度でもお手合わせ願いたいものです!」
「嬉しいなあ。ノボリさんって本当にバトルお好きですよね。こうして早朝から挑戦者を待ち構えてて、僕としては嬉しいものですけど、毎日のようにいらっしゃるみたいだし、お辛くはないんですか?」
「えぇ。わたくしはこうして挑戦者さまを待つことが天職のように感じるのですよ。辛いなどとは思いません。むしろ次はどのようなブラボーなバトルが見られるか、挑戦者さまをどのような高みにお連れできるか……そう考えていると時間などあっという間に過ぎ、いつの間にかテルさまのように挑戦者さまが目の前にいらっしゃるのです」
記憶のない黒い男は、かつての雄姿を知る者などひとりもいないヒスイの地で、在りし日と寸分たがわぬ闘志を宿したギラギラした目で念押しした。
刃のような鉄の色は、錆びることなく健在なのだ。
「またのご乗車、お待ちしております!」