特級過呪亡霊バラライカ   作:GRC

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3.懐玉、あるいは彼女の金科玉条(後編)

 術師殺しこと伏黒甚爾は、一切の気配を殺してただ静かに樹上の緑の中に身を隠していた。

 常人離れした視力の瞳が、鳥居の並ぶ長い石段を、麓の方から五条悟と星漿体たちが昇ってくる姿を捉える。

 

 星漿体の首にかけた懸賞金は、四時間ほど前に取り下げられていた。甚爾の想定通り、懸賞金は誰の手にも渡っていない。そこいらの呪詛師連中に五条の守りを掻い潜れるとは、ハナから思っていない。星漿体は今もなお生きている。五条悟は難局を乗り切った、と感じているに違いない。

 甚爾は、それを待っていた。

 ここまでの流れはおおむね甚爾の仕掛けた通りだった。孔時雨―甚爾に星漿体の暗殺を持ち掛けた男が、昨日パチンコに興じる彼の携帯電話に不在着信を残したきり、音沙汰がないこと以外は。

 常であれば、甚爾はこの違和感を放置しなかっただろう。だが彼は今、五条悟という呪術界最強を仕留める最高の舞台を直前にして、知らず判断を狂わせていた。

 

 

「皆、お疲れ様。高専の結界内だ」

 

 五条たちが結界内に入った。五条と一緒に護衛にあたっていた術師―夏油が労いのことばを発した。

 甚爾は音もなく立ち上がった。

 

「これで一安心じゃな!!」

「……ですね」

 

 星漿体―天内理子が声を弾ませた。天内の世話係である黒井は、ほっと息を付きつつも、迫る別れの時に複雑な心持ちだ。

 甚爾は手に持った刀を、鞘から抜いた。呪具でも何でも無い、居合道用の真剣だ。

 

「悟、本当にお疲れ」

「二度とごめんだ。ガキのお守りは」

 

 相棒のことばに、五条悟の張りつめていた警戒が緩む。

 五条の術式が、解かれた。

 この瞬間だ。これこそを、待ち望んでいた。

 甚爾はおよそ人間の出せる速度を超えた速さで、五条悟の背後をとる。

 

 甚爾の握る白刃が、五条の身体を貫いた。

 

 決定的なその瞬間まで、夏油も、刺された五条自身ですら甚爾の存在に気付いていなかった。何事においても呪力という超常ありきで思考、行動する呪術師たちにとって、呪力を持たない甚爾は透明人間だ。

 

 しかし、物質的存在までは消すことは出来ない。遊撃隊の工兵により高専中に取り付けられた監視カメラは、全ての瞬間をとらえていた。

 

 

『状況を』

 

 壁一面にモニタが並ぶ一室で、伍長はバラライカからの無線通信を受けていた。

 呪力や呪霊はカメラに映らないので、モニタの中では夏油の操る呪霊の腹に飲み込まれた甚爾が、不自然に宙に浮いている。

 マジックショーのような映像には慣れっこの伍長は、簡潔に上官に報告する。

 

「術師殺しの刺突により五条悟が負傷、致命傷は免れて術師殺しと継戦。星漿体と女中、夏油は共に離脱。追跡を警戒して迂回しながら薨星宮(そちら)に向かっています」

『引き続き両者の監視を続けろ伍長、情報収集を継続せよ』

「了解。五条に救援は寄越しますか?」

『不要だ。全部隊こちらに展開する。動きがあれば報告しろ。以上だ』

「了解」

 

 腹を貫かれてなおしっかりと両足で立っている五条が、脂汗を流しながら右手を広げると、立ち並ぶ鳥居がひしゃげて崩れていく。

 伍長はモニタ越しにその様子を見ながら、救援は不要と判じた上官の正しさを実感した。

 

「フォースの導きのない俺らにゃ、かえってジェダイの足手まといだ」

 

 

 昇降機は規則的に重低音を響かせながら、地下深くへ下りていく。

 夏油も、天内も、黒井も、三人とも何もしゃべらなかった。同化(別れ)の時は近い。

 

 結局、薨星宮の入り口に辿り着いたこの時まで、五条は追い付いてこなかった。先ほどはゴール目前で降って湧いた正体不明の敵に動揺したが、夏油は親友の強さを知っている。あまり心配はしていなかった。

 それよりも、このまま天内を天元のもとへ送り届けることが正しいのか、疑問が首をもたげていた。

 夏油は護衛についた三日間で無垢な少女の素顔を知りすぎてしまった。健全な精神の若者にとって、共に過ごした少女に共感するのは自然のことだ。それに、夏油は平均的な人間よりも正義感が強い傾向にある。

 少女を死なせたくない。それは、当然の帰結だった。

 

 やがて昇降機は高専の最下層に到達する。上から押さえつけられるようなあの独特な感覚を伴って、昇降機が停止する。

 

「理子様、私はここまでです。理子様……どうか……、」

 

 天内を送り出す黒井が、ことばを詰まらせる。こみ上げる涙を見せまいと、おじぎの姿勢のまま顔を上げない。

 駆け寄った天内が、黒井へ腕を伸ばす。

 

「黒井、大好きだよ」

 

 背の低い天内が、伸び上がって黒井をきつく抱き締めた。

 

「ずっと……!!これからもずっと!!」

「私も……!!大好きです……」

 

 天内には、"これから"などというものは、無い。天元との同化は、すなわち天内理子という少女の存在の消滅を意味する。

 大粒の涙を流しながら、お互いを抱いて離さないふたりを、夏油は静かに見つめていた。

 心はもう決まっていた。

 だから、黒井と別れて天内とふたりついに辿り着いた薨星宮の本殿を目前に、自然とそのことばが出てきた。

 

「……それか、引き返して黒井さんと一緒に家に帰ろう」

 

 想像もしていなかった提案に、天内の涙が引っ込んだ。

 言うべきことばも引っ込んで、ようやく出てきたのは戸惑いに揺れる小さな「え?」という感動詞。

 

「ここまで来て任務放棄?噂通りの問題児ね」

 

 突然聞こえた第三者の声に、夏油は咄嗟に戦闘の構えをとる。本殿を中心に放射状に伸びる通路の、夏油達が来たものとは別の通路のそこここから、武装した異国の兵士たちが出てきた。

 兵士の中から、一人だけスーツを着た女が、夏油たちの前に進み出る。

 

「ま、そういうことなら、ここからはこちらで引き継ぐわ」

「……どういうことだ」

「天元の依頼先はあなた達だけではなかった、ということよ。その証拠に、我々が()()にいる」

 

 軍用コートを肩に羽織ったその女の特徴的な右半面(焼傷顔)を見て、夏油は思い出した。

 バラライカだ。

 術師の家の生まれではない夏油に、五条が面白おかしく語って聞かせた呪術界のアンタッチャブル。

 で、あればこの兵士らは彼女の手足となって殺戮機械(キリングマシーン)となる遊撃隊(ヴィソトニキ)だろう。バラライカ以外の呪力は大したものではないが、研ぎ澄まされた殺気は並の呪詛師のそれとは比べものにならない。

 

「あなたと天元様は互いに不可侵を結んだはずだ。それなのに、なぜ……」

「それに答える義務があると思う?」

 

 絶対零度のアイスブルーの視線が、夏油を射抜く。夏油はいつでも術式を展開できるよう、呪力を練り上げる。

 

「―――いや、そうね、ここまで星漿体を無事に連れてきた坊やに、ご褒美に教えてあげる」

 

 幼な子に言って聞かせるような舐めた態度に、夏油のこめかみに青筋が浮いたが、相手は相当な実力者な上、多勢に無勢。ぐっとこらえた夏油は、黙って続きを目線で促した。

 視線を受けたバラライカは、すぐには話し出さない。懐からパーラメントを取り出すと、火を点す。ゆっくりと一口目の煙を吐き出した彼女は、もったいつけた割に端的に告げた。

 

「ちょっと複雑な事情があってね。我々の魂は、天元の結界が無ければ肉体に留まれないのよ。天元の方も、六眼以外の保険が必要だった。つまり、利害の一致ってやつよ」

「―――っ!」

 

 バラライカのことばに、天内が息を飲んだ。十四の少女に突きつけるには、残酷すぎるトロッコ問題だった。自分ひとりと、実際に目の前にずらりと並ぶ数十人の生身の人間の、いのち。

 天内の揺れる瞳を見た夏油は、彼女が自分ひとりを犠牲にする分岐レバーに手を掛けていることを察した。夏油は焦る気持ちのまま、口を開いた。

 

「バラライカさん、同化の失敗がすぐに結界に影響するかは分からない。私と悟なら、貴女の複雑な事情とやらの力になれるはずだ。上層部と敵対している貴女がわざわざ呪術界の利となる行動をとる必要はない。それに星漿体は―――」

「坊や!」

 

 バラライカが鋭く夏油を遮った。

 

「立場を勘違いしちゃいけないわ。貴方は星漿体の護衛で、お友達でも家族でもない、高専の呪術師―――わかるわね?」

 

 そんなことはわかっているが、わかりたくなかった。夏油はさらに重ねた。

 

「……理子ちゃんは、まだ子どもだ」

「夏油、夏油!もういいよ!」

 

 天内が夏油を諫める。ちっともよくなんかない。夏油は止まらなかった。

 

「あなたにも、信じるべき正義があるだろう!」

 

 バラライカは点けたばかりの煙草を指で弾いて放り捨てた。

 それが、合図だった。

 

「もういい、夏油。()()()

 

 一瞬で爆発的に膨れ上がったバラライカの呪力が、一切の無駄なく彼女の身体を巡る。

 バラライカは左手で夏油の胸ぐらを掴み、その長躯を宙に浮かせるほど振り上げると、そのまま地に沈めた。左手は仰向けに倒れた夏油の胸ぐらを掴んだまま、右手は腰から抜いたスチェッキンの銃口を彼の眼前に突き付けている。

 術式頼りにならないよう近接戦闘を磨いた夏油が、格闘術では反応出来ないほどの早業だった。

 

「っ……少し、落ち着こうか。可愛い部下が私の間合いだよ」

 

 格闘術では遅れを取ったが、夏油は呪術師だ。呪霊操術の強みは手数の多さ。夏油はバラライカに投げられながら、手持ちの中から一級以上の呪霊をありったけ展開していた。

 兵士としては一級品の遊撃隊だが、低級呪具程度の呪力しかない自動小銃では、夏油の呪霊には対抗出来ない。呪術師の夏油が彼らを嬲り殺そうと思えば、たやすいものだ。

 

「吠えるな、夏油」

 

 部下を人質にとられても、バラライカの銃口はぶれない。それどころか、口の端を歪めて薄く笑っていた。

 

()()か、これほど万人に一番愛される言葉もないな、素晴らしい言葉だ。しかしな―――ヒロイズムに酔って、幼い万能感で誰かの死を招く。お前の言う正義だって、随分と血生臭いぞ。血溜まりの匂いが鼻につく、そう思わないか?」

 

 天内を救うという選択の反対側には、救わない命がある。

 同化中止の結果として、天元の進化などというあいまいな事象を想定していた夏油に、重い現実がのし掛かる。

 

「そんな顔をするな、別に責めてる訳じゃない。お前からそんな台詞が出てくるとは、思ってもみなかった。()()()()()()()()()()

 

 夏油は術式を解除しない。

 部下が今にも呪霊に飲まれそうになっているが、バラライカは不気味な薄ら笑いを浮かべたままことばを続ける。

 

「私たちの命は実に軽い、まるで菓子(ペイデー)の包み紙だ。()()()()漿()()()()

 

 強烈な暴力の臭いをまとわせるバラライカが自分のことを口にしたので、天内はビクリと身を竦ませた。その反応を目の端に捉えたバラライカが、ちらりと天内を射竦める。

 

「星漿体のお嬢ちゃん、お前にも一言言っておく。何を望んだのかは知らないが―――お前は、こいつが言うような生き方を望むべきじゃない」

「わかってる……わかってるから!私、ちゃんと天元様と同化する!だから夏油を離して!」

 

 ガタガタと震えながら、天内は喉から声を絞り出した。逃げるだとか、生きるだとか、そんなことはもう考えられなかった。

 優しい少女は、これ以上自分のせいで誰かが傷付くのは耐えられない。

 天内の嘆願に、ますます愉快になったバラライカは、さらに口角を引き上げて歪な笑みを深めた。視線を夏油に戻し、謳うように告げる。

 

「命を乞う時の()()は二つ。一つは命を握る者を楽しませること―――もう一つは、その人間を納得させる理由を述べることだ。お前はまだ、どちらも満たしていない。さあ踊れ。そうまでして助ける義理がどこにある?」

「―――……貴女は一つ勘違いをしている。義理じゃない、正義でもない。理由なんてたった一つだ。それは―――私の趣味だ」

「―――趣味」

「そう、趣味だ。貴女だって似たようなものでしょう?」

 

 「ふ、」バラライカの口端から、短く息が漏れ出す。

 ふ、ふ、と断続的に続くと、ついに耐えきれないと彼女は口を大きく開けて呵々大笑いを上げた。

 本来、笑いとは正の感情のものだが、バラライカのそれは地獄の底から鳴り響く終末の鐘ような、快や楽とは対極のものだった。

 一方、夏油も知らず口角を上げていた。五条(親友)には散々、呪術師として力を持つ者の義務だ何だと弱者救済をうたってきたが、天内とその他大勢の命の天秤を前に、ようやく己が真にやりたい事が明らかとなったのだ。

 天内が気に入った。だから救けたい。

 心からの本音が、夏油の胸にすとんと落ちていた。

 

 ひとしきり狂ったように笑ったバラライカは、夏油から手を放すと、肩から落としたコートを拾いながら身体を起こす。どうやら、夏油の回答はバラライカを楽しませたらしい。

 

 スチェッキンの照準が外れた。その隙を夏油は逃さない。

 夏油は転がりながらバラライカから距離を取ると同時に、手持ちの呪霊から虹龍を出すと、彼女との間に展開した。

 遊撃隊の兵士たちが、自身らを狙う呪霊にはかまわず、いっせいに夏油に銃口を向ける。バラライカは軽く手でそれを制した。

 虹龍の巨躯がバラライカに襲いかかる。

 ぐわ、と大きく口を開き、彼女を噛み砕かんと向かってくる虹龍に、バラライカはスチェッキン・マシンピストルを向けた。

 

「無駄だ。拳銃なんかで―――」

 

 この虹龍は夏油の従える呪霊の中で最も硬い。その鱗には拳銃では傷ひとつつけられない。

 そのはずだった。

 夏油は我が目を疑った。バラライカが放ったたった一発の弾丸で、虹龍の頭が弾け飛んだ。それほどまでに、彼女の呪力は強大だった。

 彼女の銃口が、再び夏油を捉えた。その時、

 

「ねぇ、わた、わタ、わたし、きれい?」

 

 バラライカの背後に、女の呪霊がぽつんと立っていた。

 呪霊の質問にバカ正直に答えるほど、バラライカは親切ではない。先ほどの虹龍と同じように頭を吹き飛ばそうと引き金を引いたが、銃弾は呪霊に届く寸前でぴたりと止まって、地に落ちた。

 口避け女の伝承から生まれた仮想怨霊の簡易領域が、問答に応答するまで相互不可侵を強制する。

 攻撃が無駄だと断じたバラライカは、得物を腰のホルダーに戻す。おしゃべりに付き合ってやろうと腕を組んで口を開いた。

 

「何の冗談かしら?この私(焼傷顔)に美醜を尋ねるだなんて。そういう事はね、放っておけばいいのよ」

 

 口避け女と焼傷顔(フライフェイス)。もしこの仮想怨霊に人間の感情があれば、あるいはここで話が弾んだかもしれない。だが、呪霊は呪霊だ。

 質問に答えるという条件が達成され、簡易領域が解けた。口避け女の術式が発動する。

 バラライカの周囲に、巨大な糸切り鋏がいくつも浮かんで、今にも切り刻まんと刃を光らせていた。

 

()()()が過ぎるわね」

 

 バラライカが素手のまま、己の周囲に浮かんだ糸切り鋏を振り払うように腕を振る。すると、彼女の手に触れた糸切り鋏が次々とたちまち手品のようにぱっと消えた。

 

 口避け女に気を取られたバラライカの隙を突こうと、背後から詰めていた夏油はその様子を見て瞬時に考えていた。

 バラライカが術式を発動したのか?術式の効果は何だ?術式の強制解除か?であれば先ほど部下が人質に取られた時に呪霊操術を強制解除しているはずだ。

 いずれにせよ、術式の起点が手であれば、間合いに入るのは不味い―――

 夏油は距離を取ろうと踏みとどまったが、バラライカの左手が夏油の首に届く方が早かった。彼女は夏油の首を掴み、そのままやすやすと片手で持ち上げる。反対の手では、口避け女の頭を鷲掴みにしていた。

 浮いたつま先をバタつかせる夏油の目の前で、バラライカの右手に術式が発動される気配と同時に、口避け女がかき消える。

 

「術式を使うのは久しぶりだ。身体は覚えているものだな」

 

 呪霊操術では、従えた呪霊との感覚共有は出来ないが、祓われたりコントロール下から外されたりすると、術者はそれを知覚出来る。夏油は実際に口避け女がバラライカによって消されたことを目にしながら、祓除も支配解除も感じられなかった。

 ただ呪霊の存在が()()()()()()()()、そういう感覚だった。

 バラライカの術式は、当たれば必殺のチート級。夏油の命は既に彼女の掌の上だ。

 

 空になったバラライカの右手が、素早く腰の得物を抜いた。彼女は術式を使わず、鉛玉を二発、夏油の両大腿にお見舞いした。

 激痛が襲ったが、夏油は奥歯を噛み締めて意地でも声を上げなかった。天内が悲鳴混じりに「夏油!いやぁ!」と泣き叫ぶ。

 

「バカな勝負に命を懸けるのは、今後は避けたほうがいいと思うわ」

 

 バラライカは夏油を放すと、再度落ちたコートを拾い上げ、肩に掛ける。ボリスが泣きじゃくる天内の腕を掴むと、二人は薨星宮本殿の門へ向かって引きずるように天内を連れて行く。

 夏油は、出血で薄れていく意識の中で、ただそれを見ているしか出来なかった。

 

 

 少し時を遡り、特級呪具・天逆鉾で五条悟を仕留めた甚爾は、夏油たちの残した微かな痕跡を辿って薨星宮へと繋がる昇降機で地下へ下りていた。

 呪力を気取られないよう、呪具を収納した呪霊を飲み込み、腹の中に隠す。星漿体を殺すために手にした武器はグロック一丁のみ。

 スライドを引いて装弾を確認した甚爾は、昇降機の行き着く地下に多数の気配があることに気付いた。

 夏油の術式であれば、待ち構えているのは呪霊のはずだ。だが、気配にはしっかりと人間の肉体から生じる臭気や物理的な空気の流れを感じる。高専の他の呪術師たちは、薨星宮には入れないはず。

 

 違和感。

 

 最強の五条を殺したことで、高ぶっていた気が静まった甚爾の頭に冷静さが戻ってきていた。

 地下の気配からは硝煙の臭いに混じって、嗅ぎ慣れない体臭がする。体臭は食生活や生活習慣が大いに影響する。この体臭は普段すれ違う多くの日本人とは異なるものだ。

 何の臭いだったか、と記憶を掘り起こそうとしたその時、昇降機の下から刺激臭が白煙とともに昇ってきた。

 催涙弾だ。

 天与呪縛で常人よりもはるかに五感が優れている甚爾の視覚と嗅覚を潰すつもりなのだろう。

 甚爾が五条を仕留めるために狩り場を整えたように、地下の連中も甚爾を狩るために周到に用意をしている。しかし、問題はその手段だ。呪術師らしからぬ現代兵器―――

 

「……おいおいおい、まさか()()()()()()が出張ってやがるのか?」

 

 最強五条悟と並んで、いやそれ以上に呪詛師から畏怖されるバラライカと、彼女が擁する遊撃隊の存在に思い至った甚爾は、即座に損得勘定のそろばんを弾く。

 準備も無しに突っ込むには、相手が悪すぎる。ここは損切り一択だ。

 昇降機の天井を蹴破ると、軽々と壁を駆け上がる。甚爾が地上に登り着くと同時に、最下層に到達した昇降機内でスタングレネードの180デシベルの爆音と800万カンデラの閃光が炸裂した。

 光は蹴破られた昇降機の天井から直線的に伸びるだけだが、爆音は反響を伴いながら甚爾の鋭敏な耳にも充分なほど届く。

 

「うっるせ!クソ、やってられるかよ、ったく……」

 

 現代呪術師の頂点たる五条悟に対して湧き出ていた闘争心は、今は全く感じない。遊撃隊もバラライカも、呪術師ではない。

 呪術を拠り所としない者を(くだ)しても、意味は無いのだ。

 

 興が冷めるとは、こういうことだろう。仕事(暗殺)を完遂する義理などない。せめて手付金の3千万だけでも回収しなくては、とんだタダ働きだ。

 タダ働きは、甚爾が最も嫌悪するもののひとつだ。

 そもそも、この仕事を持ち掛けた孔が全ての元凶ではないだろうか。イライラしながら携帯の登録から孔の番号を呼び出すが、むなしくコール音が響くだけだった。

 

「あんの野郎!トンズラこきやがったな!」

 

 腹立たしさをぶつけて携帯を逆パカしようとしたが、見知らぬ番号からの着信に手が止まる。

 直感的に誰からの着信か、分かった。

 

「おい孔テメー、今どこにいんだ?五条の坊だけじゃなくてイワン共も出てくるなんて聞いてねえぞ!」

『おお、マジでバラライカたち相手にして生きてんのか。さすがだな、お前』

「ふ・ざ・け・ん・な・よ?一体どうなってやがる」

『俺だって危なかったんだよ。まさか高専側がバラライカに協力をあおいで、まさかバラライカがそれをのむなんて誰が予測できる?遊撃隊が動いてると気付いた時には俺が逃げるので手一杯だったんだ。だが一応お前にも知らせておこうと、昨日携帯にかけてやったんだぞ。取らなかったお前が悪い』

 

 孔は飄々とした声だ。少しも悪びれていない。

 甚爾にはそれぐらいの距離感がちょうどよいのも、確かだった。

 

「……はぁ、手付金の3千万は全額寄越せよ。いつもの通り現金で」

『だからあれは掲載料・手数料その他―――まぁいい。今回は迷惑料ってことで3千万まるまるお前にやるよ。ただし、振り込みで勘弁してくれ。俺ぁしばらく韓国だし。お前も適当にほとぼり冷めるまでどっか潜ってた方がいいぞ』

「あ゛?っざけんな、お前―――」

『あーなんか電波が悪いな』

 

 国際通信とは思えないほどクリアな音声での通信を、孔は一方的に切ってしまった。以前甚爾がやった都合の悪い話を終わらせるための手法を、そっくりそのままお返しというわけだ。自分がやられて改めてその子供っぽさに呆れてしまう。

 納得のいかない結末だが、まるっきりタダ働きでも無し、五条の坊(当代最強)を殺して呪術界の鼻を明かしてやったのは、()()()()()()()

 そう思った矢先、目の前に現れた存在に、甚爾の思考が一瞬止まった。

 

「よぉ、さっきぶり」

 

 殺したはずの五条悟が、獰猛な笑みを浮かべて目の前に佇んでいる。

 

「……マジか」

 

 

 天内理子(星漿体)を天元のもとまで届け終えたバラライカが、薨星宮の参道まで戻ると、部下が慌てて駆け寄ってきた。

 

「大尉、術師殺しがすぐそこまで来たんですが、気取られて逃げられてしまいました」

「引くようであれば、追う必要はない。作戦目的は完了した。残党の襲撃がある場合は任意に排撃しつつ、戻るぞ」

「はっ」

 

 慌ただしくも統率された動きで兵士たちが撤収作業で行き交う中、ぽつんと一人取り残された黒井に、バラライカが目を止める。

 

「あなた、まだいたの」

「あの、中でいったい何が……?」

 

 参道の奥から感じた強大な呪力の気配、聞こえた銃声。尋常ならざる事態に焦る黒井に、次々に現れた異国の兵士たちは、さらなる混乱を引き起こした。

 星漿体の世話役兼護衛だった黒井は、多少の()()にも対処出来るよう訓練を受けている。しかし、さすがの彼女も、屈強な白人が動き出した昇降機へ投げ込んだスタングレネードの衝撃に、何の構えもなければ無事ではいられない。

 視覚と聴覚をやられた黒井は、参道入り口の広間の隅で手足を縮めてうずくまり、訳も分からず時をやり過ごすほかなかった。

 

 そんな黒井がバラライカの意識に引っ掛かったのは、クラシックなメイド服姿の()()()だ。

 

()()()()()()わ。星漿体は天元へ引き渡した」

「……そう、ですか」

「ところで、あなた―――」

 

 バラライカは黒井の瞳をじっと見つめた。

 己を値踏みするような視線と、居心地の悪い沈黙に、黒井が身じろぐ。

 

「FARCでゲリラなんてやってないわよね?」

「はぁ?」

「なんでもないわ、こっちの話。そうそう、奥で夏油が転がってるから、回収してあげたら?死なないようには撃ったけど、あんまり長く放置すると―――」

「っ!!」

 

 バラライカが事も無げに放った言葉に、黒井は血相を変えて駆け出した。

 その後ろ姿をぼんやりと視界に入れながら、ぽつりとこぼした上官の言葉に、周囲の兵士が気安く答える。

 

「本当に単なる女中だな」

「そりゃあそうでしょうよ、大尉殿。()()()()()がゴロゴロいられちゃたまったもんじゃない」

「そうだな、曹長。少し神経質になっていた。何せあの猟犬が発端で、我々は―――」

 

 狂った狐狩りの夜から始まった悪徳の都の()()に馳せていた思考は、ズシンと響いた()()()()()()に引き戻された。

 まるで迫撃砲の雨の中、塹壕でやり過ごしているような、そんな轟音と振動が断続的に続く。

 バラライカが何を言う前に、通信士が地上の状況を報告しに駆け寄ってきた。

 

「大尉!五条が、死んだはずの五条悟が生き返って、術師殺しと戦闘を開始、校舎は半壊です」

「どうします?術師殺しも五条も我々をそっちのけで戦争してるみたいですが」

「さあな。用心に越したことはなかろうよ」

 

 地上のドンパチなど些末な事であるかのように、バラライカはゆったりと構えている。五条や高専がどうなろうが、彼女の知るところではない。しかし、()()()に来て以来よりの知古である夜蛾は、確実に胃を痛めているだろう。

 彼はナリこそ()()()だが、堅気(カタギ)のような感性をしている。

 

「高専…いや、夜蛾にはでかい借りがある。放っとくワケにもいくまいよ」

 

 バラライカが介入を決断した。兵士たちが気を引き締めて彼女に傾注する。

 

「行こうか同志諸君、撃鉄を起こせ!」

 

 

 五条悟は、全能感に酔い痴れていた。

 頭のてっぺんから、つま先に至るまで、全身を巡る呪力が意のまま、いや、まるで呪力が勝手に己の意を汲んで自ら走っているかのようだ。

 任務が、天内が、どうなったかは、もはや関心の外だった。

 自分以上のものなど、存在しない世界が、ただひたすらに心地良い。

 

 虚式・茈。

 

 五条が相伝の中でも秘術たるそれを放ったのは、ただ出来るからやった。そういう感覚に近い。

 順転の術式と反転の術式の衝突地点から押し出された仮想の質量が、夥しい量のエネルギーを伴って甚爾に向かっていく。

 甚爾の虎の子である天逆鉾は、五条へ向かって投げ伸びた万里ノ鎖の先にある。眼前に迫るこれは、解除不可能だ。

 死を覚悟した甚爾の頭に、かつて己の手からこぼれ落ちたものたちの姿がよぎったその時だった。

 

ОСТаНОВИТеСЬ(動くな!)

 

 甚爾の前に現れた硝煙の匂いをまとった女が、かざした左手一本で五条の術式を()()()()()

 

「その辺でやめておいたらいかが?お二人さん。一文の得にもならないわ」

 

 一瞬前まで存在していた膨大な質量の名残が、風を巻き起こす。女―バラライカのたっぷりとした金髪が、ふわりと揺れた。

 突然の第三者の介入にも、五条は手印を解かず、甚爾も鎖を引き寄せ天逆鉾を構えたまま、目線は互いからそらさない。五条は呪力感知で、甚爾は五感で自分たちが遊撃隊に囲まれていることを察知した。

 二人の間にピンと張った緊張の糸を歯牙にもかけず、バラライカはゆったりと語り掛ける。

 

「いいことを教えてあげる、術師殺しさん。私たちブーゲンビリア貿易は最初から天元に脅威の排除を依頼されていたの。呪詛師連中はともかく、盤星教は非術師だから手を出すと老人どもからケチがつくかとおもったんだけと……あなたのおかげで逆に恩を売るいい機会になったわ。今頃は教団幹部の首は全て―――我々の息の掛かった者にすげ変わっているはずよ?」

 

 甚爾が孔から聞いたことと相違はない。受けた仕事がバラしになったことを、甚爾は知っていた。事実、暗殺は諦めて引き上げるところだったのだ。

 だが、覚醒した五条(呪術師最強)を前にして、捨てたはずのエゴが、頭をもたげてしまった。

 

「だからすべてはノー・プロブレム。星漿体暗殺の依頼も全部チャラ。戦う理由はなくってよ」

「関係ねェだろ」

「……だな」

 

 五条も、甚爾も、任務や依頼なんか最初から理由にしていなかった。

 バラライカは二人の返答に「あら、そう?」とにっこり微笑むと、するりと右手を腰に回す。極めて自然な動作でスチェッキンを抜くと、五条が組んだ手印と甚爾が天逆鉾を握る右手にそれぞれ一発ずつ発砲した。

 弾丸は二人を傷つけることはなかった。五条には無下限術式があるし、甚爾にとって飛んできた弾丸を切り捨てることは造作も無い。バラライカにしても、単なる威嚇射撃、戯れの内にも入らない。

 

「カン違いしないでね?お願いじゃないの、命令」

 

 警告のことばに乗せた()は、戯れではなかった。彼女の重く冷たい呪力が、辺り一帯を満たしていく。

 プレッシャーに耐えきれず、動き出したのは小さな闖入者たちだった。

 

「アンタ、何やってんだよ!」

「ダメ、危ないよ!恵!」

 

 居並ぶ兵士たちの間に停まっていたスモーク貼りのバンから、転がるよう二人の子どもが飛び出してきた。

 恵と呼ばれた男の子の、あちこちに跳ねた黒色の猫っ毛の下のまろいしかめっ面は、甚爾にうり二つ。その後ろで、長い黒髪の女の子がおろおろと落ち着かない様子で、繋いだ手を引っ張っている。姉の津美紀だ。

 

「何このガキ」

 

 殺されかけて、今まさに殺そうとしていた男にそっくりな子どもを見た五条が、秀麗な顔をぐにゃりと歪ませた。

 

「何って、その男の家族を誘拐してきたのよ。どこの国の、どんな場所でも通用する方法じゃない」

「……ムダだ。もう、()()()()()は捨てたんだ」

 

 ちらりとだけ子どもたちに目線をやった甚爾は、何の感情も浮かべていなかった。

 バラライカはおもむろに恵と津美紀の間に回り込んで膝を付いた。母親がするように二人を抱き寄せる。本能的に逆らってはいけないと感じた子どもたちは、されるがままバラライカの肩口に頭を寄せた。

 無抵抗の恵の頭に、バラライカが握ったままのスチェッキンの銃口を当てる。

 

「本当に?」

「っ!!!」

 

 気付いたら動いていた。甚爾は一瞬でバラライカに迫ると、猫の子を掴むように子どもたちを彼女の手中から掻っ攫う。

 バラライカは、わざとそれを見逃した。

 

「う、うええ~!も、もう帰りたい~!怖いよ、おとうさん……!」と津美紀が甚爾の腕の中で泣き出した。つられて恵もぐずぐずと声を上げないように静かに涙をこぼす。

 甚爾はそっとふたりを地に下ろすと、呆然とただ突っ立っていた。

 泣き続ける子どもたちは、父親の着衣の裾をそっと掴んで、決して離そうとはしなかった。

 

「まあこれで、一件落着…ってところかしら」

 

 不格好な家族の形に、バラライカがニヒルに微笑んだ。

 なんとなくまとまりかけた空気に、五条が待ったを掛ける。

 

「ふざけんじゃあねえよ。こいつはお涙頂戴でハッピーエンドだ、そりゃいいわな。でもよ、俺の腹とドタマに開けたトンネルは、どこの誰が埋め合わせるんだ?」

「……我慢したら?もう自分で塞いでるじゃない」

「姐御よォ、そいつあくせェだろ。俺らの世界じゃ落としどころってのが大事だろ。姐御だって百も承知だろうが?」

「……まァ、それもそうかもねえ」

 

 人間性に問題のある五条に、法も倫理観もおかまいなしのバラライカが説得されかけている。

 

 五条と甚爾の大乱闘騒ぎに駆けつけた夜蛾は、大いに焦った。甚爾が高専内にバラ撒いた蠅頭に振り回され、ここでもまた無法者に振り回されてたまったものではない。彼は少々やけっぱちになっていた。

 

「ま、待てお前ら!それなら納得いくまで殴り合いでもしてろ!武器(エモノ)なし、術式なし。それなら死ぬことはないだろう」

 

 担任からの言質を取った五条が、ニヤリと笑って「上等」と拳を鳴らした。

 興が削がれた甚爾は付き合いきれないと逃げようとしたが、くん、とシャツの袖を引っ張られて足を止める。恵が、まだ潤む赤い目で、甚爾をじっと見上げていた。

 

「お前……」

「……もう逃げんな」

 

 物心ついてからは父親らしいことなんか一つもしていない。恵も、年の割に早熟で、妙に諦観してもはや甚爾に父親を求めたりはしなかった。

 それが今、何と言った?

 殴り合えなんて子どもらしからぬオネダリだが、捨てた自尊心とは別の何かが、甚爾を動かした。

 

「じゃあ決まりね。好きなだけどうぞ♫」

 

 バラライカはご機嫌にウインクまでしてみせた。

 五条と甚爾が相対する。五条は両手をポケットに入れたまま、尊大に口を開く。

 

「おら、ちゃっちゃとかかってこいよ」

「……()()()()、開いてんぞ」

「え?」

 

 思わぬ一言で五条の虚を突いた甚爾が、すかさず顎にアッパーを叩き込んだ。見事な一撃に、夜蛾が思わずうなる。バラライカは「若いっていいわねー」なんて呑気に笑っている。

 揺れた脳みそを反転術式で立て直した五条は、すかさず甚爾の顔面にストレートをお返しする。そこからは拳や蹴りの応酬、もう滅茶苦茶だ。方や反転術式習得者、方や天与呪縛のフィジカルギフテット。終わりの見えない泥仕合だ。

 

 五条と甚爾が人体から聞こえていい音じゃない鈍く重い音をお互いに奏でている中、夏油が家入を伴ってやって来た。バラライカに撃たれた傷を家入の反転術式で癒やした後、ようやく五条に追い付いたのだ。

 しかしどうにも状況が飲み込めない。五条が襲撃者と殴り合っているが、バラライカと夜蛾は傍観しているだけ。おまけによく分からない子どももいる。宇宙猫を背負う夏油をよそに、家入が夜蛾に尋ねた。途中からではあるが、夜蛾が見聞きした事情を聞いても、さっぱり分からない。

 夏油の混乱に追い打ちをかけるように、バラライカが観客が増えたことをこれ幸いに「どっちに賭ける?」と言い出した。

 夜蛾はさすがに教え子を賭けの対象にはしなかったが、家入は「じゃあ私はおっさんの方に三万。夏油はどっちに?」とノリノリだ。

 今日はもう色々ありすぎて、いっぱいいっぱいになった夏油が取り乱した。

 

「いやいやいやいや、ちょっ、ちょっ……!とめないと!!ねぇ!?とめよう!?」

 

 五条はいよいよ反転術式が追い付かなくなってきて、顔は腫れ、いたるところから出血している。甚爾の方もいくら頑丈でも五条の呪力の乗った拳は重い。こちらも血塗れだ。

 

「これは野蛮すぎるしあなた方はイカれてますよ!!いくらなんだって子どもが見てる前でこんな―――」

「んじゃ、とめてくれば?」

 

 パニクる夏油に、バラライカがあっけらかんと言い放つ。

 

「えっ?」

「だってほら、嫌なんでしょう?じゃあ、とめてきなさいよ、私たちはかまわないわよ?」

 

 誰のせいでこんな事に、とか、この(ひと)本当にさっき私のこと撃った人と同一人物なのか、とか言いたいことは山のようにあるが、甚爾の娘だとかいう泣き顔の女の子と目があってしまった。

 根っこは真面目な夏油は、私がとめないと、とつい思ってしまう。

 

「え、ええと。二人共ほら?もういいんじゃないかい?あとはほら、夕日を眺めて互いの闘志を讃え合うとかいろいろ―――」

 

 夏油のことばに、五条と甚爾がぴたりと止まる。二人揃って夏油をぎろりと睨み付けると、異口同音で答えた。

 

「「すっこんでろ」」

 

 ぶちり。

 夏油の堪忍袋の緒がキレた。夏油が二人にドロップキックをお見舞いする。

 第二ラウンド、三人でのサドンデスマッチが始まった。

 

 

 もうとっくに陽は暮れて、満月が夜空に浮かんでいる。

 

 五条と甚爾、夏油の三人の乱闘は、はじめこそ互いに潰し合っていた。天与呪縛によって強化された肉体と、圧倒的なセンスで甚爾が攻勢になり始めると、五条と夏油は次第に共闘するようになった。二人の息の合った連携で盛り返すも、経験値が違いすぎた。術師殺しの二つ名は伊達ではない。甚爾は対人戦闘のプロだ。

 地に沈んだのは、五条と夏油だった。

 

「はい、おしまい」

 

 あまりにも長くて、バラライカはとっくに飽きていた。煙草をふかしながら、白けた顔で終わりを告げる。

 

「お父さん!」

「っ!」

 

 津美紀と恵が、血塗れの甚爾に駆け寄る。

 

「よう、どうだ。勝ったぞ」

「……ん、見てた」

 

 甚爾は、子どもたちの頭を撫でようと手を伸ばし、べっとりと血がついているのに気付いて引っ込める。そんな甚爾のふらつく身体を、小さな二人が懸命に支えよう腰にしがみついた。

 それは、何もかもを捨て、浮き草のようにただ漂うだけだった甚爾にはめられた枷だった。吹けば飛ぶように軽く、ちっぽけな枷だ。振り払おうとすれば、簡単に出来る。だが、甚爾はなぜかそうしようとは思わなかった。

 本当に、今回は()()()()()ことだらけだ。

 長いため息を吐くと、張りつめていたものが弛緩していく。「()()()」と、自然と声に出ていた。

 

「送りましょうか?」

 

 とは、バラライカにしては親切な申し出だ。

 

「あー、いや……」

 

 これが盛り場でひっかけた女であれば否やはないが、相手はあのバラライカだ。いくら天賦のヒモの才がある甚爾でも、即答は躊躇われた。

 チビどもが怯えるから、そう言って体よく断る理由にしようと子どもたちを見下ろす。

 恵が、地面のある一点をじい、と見つめている。正確に表現すると、五条のストマックブローを受けて甚爾が吐き出した呪霊が転がっている地面を、見つめている。

 ああ、やはりこいつは()()()()()側だ。

 生家の連中はみすみす見逃しはしないだろう。まだ金は受け取ってはいないものの、当主には売約済みである。

 

 パーラメントを吹かす呪術界一おっかない女へと視線を戻す。

 

「いや、そうだな。やっぱりお言葉に甘えさせてもらうか」

 

 甚爾は、にやりと笑って答えた。

 

 

 今回の件を縁にして、甚爾とバラライカは後にビジネスパートナーとなった。

 甚爾が所持する物を収納する呪霊と、呪力の全く無い自身の体質をバラライカに売り込んだ結果、それらを見込んだバラライカが運び屋の仕事を甚爾と提携したのだ。

 しまいには裏の世界で「術師殺しはバラライカの()()()だ」などとまことしやかに囁かれるようになるのだが、この噂のせいで禪院家は伏黒一家に下手に手出しが出来なくなるのであった。

 

 天与呪縛が伏黒甚爾に与えた一番の恩恵は、強靱なフィジカルではなく、ヒモの才能なのかもしれない。

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