「はぁ……はぁ」
蹲ったにけは叫び疲れて肩で息をする
叫びはなぜか聞こえなくなっていた
ーーしょうがないね。にけ
え、と小さく溢して。にけはむくりと起き上がった
懐かしい声が聞こえてくる
「矢賀、なのか?」
ーーはっ。まぁね
矢賀らしき人影は片脚をなにかに乗っけていた
にけはゆっくりと影に近づく
ーー幻滅だね。おまえこんな奴に椨らかされていたのかい?
矢賀の影が下を指差す
よく見ると自分の影がそこにはあった
「ーー半信半疑だったんだ。アリナが矢賀を選んだという話なんて、わたしは」
ーーそらそうだろうね。あたしもびっくりだ。感謝、しないといけないかね
ぎゃあ、とにけの影は矢賀の影の一蹴りで消え失せた
一瞬笑みを浮かべるがにけは表情を沈ませる
「信じられない。おまえほどの奴が死んでしまうなんて……」
ーーはは、餌がないことには死んで当然さ。みんないずれはそうなるんだよ
「神浜に行こうとは思わなかったのか?」
ーーバカな。あたしからあの孤児院にいることを取ったらなーんにも残らないよ。にけ。おまえ以外はね
そうか、とぽつりと呟く
そこに矢賀がいるようだが、矢賀はやはり影であった。それがどこか寂しくて堪らなかった
「矢賀、わたしもーー」
ーーお待ち。おまえそんなに忘れっぽかったかね?
にけは首を捻った
頭をどう巡らせても未練は見つからなかった
ーーはは、これは重症だ。じゃあこれはなんだい、にけ?
矢賀の影が変身し大きな箒を立てるようにして地に着ける
するとにけを囲うように七人の影が現れた
ーーねぇ。このまま全て忘れちゃわない? 大丈夫。みたまさんがぜーんぶ解決してあげる
八雲みたま。それは心が弱いながらも誰かの支えになろうと努力する少女の声だった
ーーワタシは、また救えなかった
梓みふゆ。それは選択を間違え続けながらも答えをだし大衆を導く少女の声だった
ーーどうしても一言お礼が、言いたくって……それで
さな。それは弱いと思っている自身に厳しく他人には心配りの絶えない少女の声だった
ーーてめぇ、嘗められるのが嫌いだったんじゃなかったのかよ! やり返してこいよ! なぁっ!
フェリシア。それは激しい性格ながらもどこかで人の痛みを分かち合える勇敢な少女の声だった
ーー元気になったら、万々歳に来てね!
鶴乃。それは他人を思いやる気持ちに長けた我慢強く勘の鋭い少女の声だった
ーーあなたへの報酬、貯まっていく一方じゃない。にけ
七海やちよ。それは誰よりも広い心と強さを持つ少女の声だった
ーー随分楽しんでるようじゃないか? にけ。あたしが期待したのとは逆方向だったけどね
「そ、そんなことは。わたしはそれでもーー!」
半場ムキになっていた
ほう、と矢賀の影は感嘆した
ーー待ってください。待って! わたし、まだあなたになにも返せてません! にけさんっ!
それはーー
ーーなにも返せてないそうだが?
「……それはそうかもしれないが」
計ったな。にけは目を鋭くさせて矢賀の影を睨んだ
はっ、と矢賀の影は鼻で笑う
ーーおや。悔いは残さない主義じゃなかったのかい?
にけは観念したように頷いた
やれやれと言った風に肩を棲ませて矢賀の影はにけの背後に回る
「ーーなっ」
ーー陰気臭いおまえを見るとこっちまで嫌になる。いい加減目を覚ましな
にけは背に衝撃を覚えるとまるで突き落とされたかのような浮遊感を感じた
ーーおまえはタガの外し方が下手だからそうなるのさ。ちょっと都合しておいたよ
違う。違うんだ矢賀。わたしはまだ貴方と話したいことがたくさんある。謝ることだってしてなかった。突き放すばかりで感謝さえも素直に伝えられなくてーー!
思いとは裏腹に、落下速度は加速する
ーーま、なんにせよこのままくたばるよりはマシな筈さ。おまえもそう思うだろ?
穏やかな声が響く。矢賀、とにけは空中でもがいてなんとか体を反転し手を伸ばす
しかしその姿はもう影すらも確認することは叶うことはなくーー
ーー勝ちな、にけ。目にもの見せておいで
「ーーわっ!」
目が開くと衝撃波が周囲を襲った。車椅子が遠くへと吹き飛ばされる
みたまがぺたん、と尻餅をついて唖然とした表情を向けていた
「ーー世話になっていたようだ」
ツバのついた白く大きな三角帽を被り片眼は黄金色に輝いている。紫のローブや片手には頁が開き続ける本が収まっていることは変わらないものの、その体は当然とばかりに浮いていた
わぁ、とみたまは溢して
「え、えぇ。元気にはなれたのかしらぁ?」
薄く笑みを浮かべるみたまに近付き手を伸ばす
みたまを起こしたあと、外に目を向けた
「騒がしいな」
「……。実は、エンブリオイブという巨大な魔女が動き出したのよ。みんな戦ってる」
そうか、とわたしは頷く。急がないといけない
そのまま外へ飛び出そうとしてつんのめった
「どこへ行くの……?」
「わたしの贖罪は決まった」
あっさりと告げる
掴んだ裾をみたまは離さなかった
「危険よ」
「どの道長くはないんだ。わたしは」
顔を俯かせる。自分の体のことくらいわかるつもりだった
みたまはわたしの姿を今一度見てから瞑目した
「行かせてくれ。みたまさん」
「……。止めても、無駄かしらね」
みたまが静かに裾から手を離す
今度こそわたしは部屋から飛び出した
「あれが現れてからどれくらいになる?」
「さっきだけど……だ、大丈夫なのかにけちゃん。動けないって聞いたけど」
ももこは心配そうな声を出す。その横ではレナやかえでが走っていた
低空を飛ぶわたしでさえその白い巨体が確認できた
「そうだな。これが今生の別れになる」
「おいおい、そんな大袈裟な……」
ももこの走りが一瞬遅くなった
レナとかえでに先頭を譲る
「そんな。突然言われたってーー」
「死んでからじゃ遅いし」
くっ、とももこは涙を滲ませながら走る。ももこは優しいね
レナはちら、とわたしを見たりしていた
「ももこにばっか言わないでくれる?」
「れ、レナちゃん!」
レナはかえでごしじっと睨んできた
む、とわたしは押し黙った。いじめたつもりはなかったんだけど
「そういうことならますます借りを作らないようにしないといけなくなったわよね!」
レナ、とももこは呟いた
ももこが走る二人を抜かす
「そ、そうだ。そうだよな。このチャンス……逃してたまるかぁ!」
「そうこなくっちゃ!」
ももこが気合いを込めるとレナは競うようにその後ろを追いかける。まってよーと言いながらかえでは二人に付いていっていた
良いチームワークだ。微笑ましいものを見た気がした
ももこ、レナ、かえでの三人から離れ、わたしは飛び去った
彼女達以外の魔法少女も動いているようで、何人か確認することはできた。しかし、あのバケモノ相手は手に余るだろう。神浜の魔法少女をこれ以上危険に晒させない
「それに……エンブリオイブの中には環ういに関するなにかがあるはずだ」
白い巨体はもう既に目の前にまで来ている
胴体だけでも建物が隠れてしまう。見上げるほどに巨大だ
「にけ! にけだよ、ねむ!」
「なんだって……!?」
そして鳥のような頭の上に二人の小さな姿を捉えた
飛ぶわたしを指差して灯花は笑顔を見せている。信じられない、と目を剥いているのはねむであった
「君のことは心配していた。大丈夫かーっ!?」
「《フィオリ・オルテンシア》」
わたしはねむを無視した。ウゥ、とエンブリオイブは拡散する紫の炎にたじろぐ
灯花、ねむも衝撃に耐えるように巨体にしがみついていた
「いくらでもくれてやろうこのバケモノ。《ハイドランジア・マクロフィラ》」
わたしは再度本をエンブリオイブに向けた
先程より巨大な紫の光弾が身体中に誘爆する
とにかく飛ばれると厄介だ。羽は潰しておく
ーーオォ、オ
エンブリオイブは爆発を待つように一度道路に止まる
かと思いきや、首をわたしにむけて光線を放ってきた
「《ハイドランジア・マクロフィラ》!」
光線は光弾と相殺し消え失せる
暇がなく第二射も撃たれるが、相殺した
「差し詰め羽を毟り取られた蚕ってところだな」
ーーグ、オォ
言いながらわたしは紫の光弾を放ち続ける
ずっと頭を振っているのでねむは強くエンブリオイブにしがみついている
「にぃぃけええぇっ!」
灯花が真っ赤な顔をして広げた傘の取っ手を掴み浮いていた
わたしは宙に視線を投げる。パンツ見えちゃうよ
「うあっ!」
わたしが片手を伸ばし掴むような仕草をすると頁が一枚一枚灯花の体にまとわり付き、巻き取るように捕らえた
「バケモノを飼っていたなんて聞いてないが。灯花」
「ぐ、くぅう……!」
とりあえず目の前まで灯花を移動させる
灯花はなんとか拘束から逃れようともがいているが、どんなにもがいても逃がさなかった
「こんなもの、なにに使う?」
「これを、ワルプルギスの夜に、ぶつけるのぉ!」
なるほど、と頷く
灯花なりのなにか考えがあったのかもしれない。しかし相手が悪すぎるとわたしは思った
「……ワルプルギスの夜にこれをぶつける? 冗談か?」
灯花から目を離し、エンブリオイブが本来到着するはずだった場所に目を移す。暗く雲が異常に発達している
時々赤や桃色に光っていた。誰かが対応してるらしい。信じられなかった
一度目覚めるだけで文明を滅ぼしたという舞台装置の魔女……ワルプルギスの夜。これだけ離れているというのに恐怖を覚えるなという方が難しく感じる
文献で知る範囲ではわかるはずもない。震えてきそうであった
「もう、近寄らせちゃってるの! 後戻り、できないのぉ!」
灯花がそういう通り嵐は神浜に近寄っている気がした
ろくでもないことをする。わたしはただでさえ痛む頭をさらに痛めた
「アッハ。アーッハッハッハハ!」
アリナの高笑いだった
頭痛の種が増えた
「ね、ねむっ!」
灯花は落ちるねむを目で追っていた
わたしは頁を何枚も飛ばし、滑り落ちるねむを包み込むように掴んだ
「アリナ……っ!」
「アッハ。勝手にヒートアップしてるところソーリーなんですけどこれアリナが使っちゃってもいいヨネ?」
ぎり、とわたしは奥歯を噛み締める。こいつまだ引っ掻き回すつもりか
絵の具が血のように流れ出し、背面には鹿の足が6本、マントの奥には骨が出ている。アリナの装いはそれは禍々しいものへと変わっていた
「に、にけ! 避けてっ!」
灯花が慌てた様子で叫んだ
蒼い波動が遠くであっても伝わる
「に、にけえぇぇ!」
二人は離れ行くわたしに対して届かない手を伸ばす
ちょっと乱暴だけどとっさに灯花とねむを遠くの地に吹き飛ばすので精一杯だ
ーー《フェアウェル・グリーフ》!
「くっーー!」
凄まじい衝撃であった。ヴァアアア、というアリナの断末魔が聞こえる
巨大な槍がエンブリオイブに突き刺さり、ついにエンブリオイブは活動を終えたように沈黙する
「あぐっ!」
衝撃で巨大なビルに追突する
ガラスが割れて背中に刺さり、オフィスディスクを巻き込んで転がり込むようにして倒れた
(あのままアリナが死ぬとは思えない。一か八か……!)
わたしは急ぎ、瞑目した
頭から出た血が汗のように伝う。頁をめくり続ける本に鮮血が滲んだ
「来、い……アリナ・グレイ!」
叫ぶと、アリナが伸ばした片手は地面ではなくガラス片を掴んでいた
そのまま視線をわたしに移している。片手に血が滲んでいるにも関わらず強く握っていた
「ふふ、酷い顔だ」
「当然なワケ! 傀儡のくせにアリナの邪魔しないでヨネ。このバッドガール!」
オフィスに突如出現したアリナは毛を逆立たせて瞳孔は開くかのように光り、わかりやすく憤怒している
ざまぁみろ。わたしは笑みを浮かべた
「それならわたしを殺してみるか? アリナ・グレイ」
「アッハ、ベリーイージー。アリナのカラーに染めてあげる!」
不格好で醜悪な笑みを溢しながらアリナは緑色に光る六面体と共に舞う
オフィスディスクはショッキングピンクに染めあげられ、煙を醸しながら溶けていった
「アリナもアップデートしたカラ、負ける要素ナッシング!」
僅かに絵の具の付いた本を見てわたしは瞬時に本を手放す
絵の具は生きているかのように本を染めあげて沈んでいった。気持ち悪い
「もうアリナはノンストップ。フリーダムな存在なワケ!」
アリナは高笑いしながら四方八方から光線をだし続ける
その度に一室が前衛的な色へと染まっていく。わたしにも絵の具がかかるが正直それほど効かない。興奮している今のうちに燃やし尽くしてしまおうと目を閉じた
(ーーどうして生きてるんだ?)
絶望は未だに感じることができる
体が個体から液体に変わった
「アッハッハーーは?」
びちゃ、と顔が黒くが染まった
にけがいた筈のところからは黒い水溜まりが広がっており、そこから黒い腕がアリナに集中する
「……イライラさせてくれるヨネ」
アリナは片手で目の周りを拭った
周りに気を配っても、にけの姿はどこにも見つからない
ーー《無形のドッペル》
「ニケ、おまえ……!」
地中から延びた手にアリナは片脚を掴まれる
めし、と小さく骨が軋んだ。絶対に離さない
「ヴァアアアアッ!」
紫の炎の柱がアリナの命を削る
たまらず倒れ込み、熱を逃がすように転がっていた
「お、ぶーー」
わたしは液体から再生した
地面に片手を着いて黒い水を吐き出す
「はぁ……これ、やりすぎたかも」
黒く染まったオフィスを見回しながらわたしはアリナを見つけた。近付くと紫色の炎が道を譲るように割れた。片腕で口を拭ってから、徐に帽子を取る
べと、と帽子に手を沈ませそこから頁を捲り続ける本を取り出して本を持つ手をアリナに向ける
「ニ、ケ。アリナは、おまえをサイコーにスタイリシュなウィッチに、とーー」
燃えるアリナが目に映る。確かに今のわたしがあるのはアリナの執着の結果によるものが大きい
あえて魔女化した矢賀を選んだこともきっと偶然ではなかったに違いない。もはやそれはどうでもよくなってしまったけど
虚ろな目を開けてアリナの姿は焼け落ちる。元の軍服のような服に戻った
「はぁ。本当にーーサイ、テーなエンディングなんですケド
アハッ。アハハハ……!」
わたしは本を持つ片手を降ろした。炎に包まれてもうほとんど死にそうだというのにアリナの表情は明るかった。最後までなるべく苦しんで貰いたかったが、それは叶いそうもない
燃え続けながらも空虚に笑うアリナを無視して窓際まで歩く
「バイバイ、ニケ」
振り返らず。帽子を深く被ってから大きな窓から飛び出した
さようなら。アリナ