かわいそうなのはぬけない   作:変わり身

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その後の日常的なやつその2。ほのぼの。


酒のおまけ

『ねむねむシンパック』

 

 

 

「――ひぅ」

 

 

午前二時、丑三つ時とも呼ばれる時間帯。

布団の中で眠りについていた酒視心白は、己の悲鳴で目を覚ました。

 

 

「……っ……」

 

 

唐突に覚醒した影響か、視界がぐらぐらと揺れ吐き気が昇った。

しかし心白はそれを堪えて起き上がり、震える手で己の身体を確認する。

 

口、胸元、下腹部、臀部、太腿――そうして全ての部位に何一つ異常がないと確信した後、心白は脱力したように背中から布団に突っ込んだ。

 

 

「あ~……ひっさびさぁ~~~……」

 

 

そうして絞り出すようにそう呻くと、強く強く目を瞑る。

しかしこの夜に眠気は二度と訪れず、心白はまんじりともせず一夜を明かしたのであった。

 

 

 

 

 

 

つい最近まで、心白はとある悪夢に魘されていた。

 

どこかの学校、いつかの屋上。

そこで指先一本動かせない状態となった心白が、黒い人影に好き放題される夢だ。

 

男の形をしたその影は、唇を、胸を、太腿を、身体の至る所を好き勝手に弄り回した後、下腹部にその剛直をねじ込もうとする。

幸いにもそれは未遂に終わり、致命的な事態になる直前で目が覚める。そんな悪夢にほぼ毎日襲われていた。

 

言うまでも無く、時間停止ストップウォッチの一件によるトラウマである。

 

……そして未遂で終わる夢とはいえ、恐怖が無くなる訳では無い。

心白は目覚める度に己の身が純潔のままであるかを確認し、そのまま眠れぬ夜を過ごすという事態が頻発した。

 

他に時間停止能力を持つ者が居たら。もしそれが以前のように己を見初めていたとしたら。

もしかすると、寝ている間に穢されているのではないか――そのような恐怖が常に付きまとうようになっていたのだ。

 

そしてそれに伴ってか悪夢も止まず、心白の精神は少しずつ削られていった。

 

しおりや葛といった親友が出来ても、時間停止という無茶苦茶の前には真に安心は出来ず、警戒を解く事も難しく。またそれを相談して、不安を分かち合う事も憚られ。

そうして飄々とした態度の裏で疲弊し続けていた心白は、己でも気付かぬ内に表情を変える事すら億劫になっていた。

 

――だが、それらは既に過去の事。

 

天成社。

一年越しに彼の存在が明らかとなった事で、心白の恐怖は払拭された。

 

彼女は失われかけていた表情を取り戻し、悪夢もぱったりと見なくなり。

そして当然の如く、社にべったりと甘えつくようになった。

 

彼が居れば、もう警戒し続ける必要など無い――そう、心白はようやく心に安寧を取り戻す事が出来たのだ。

 

――だからこそ。再び見たその悪夢は、彼女にとってこれ以上無い不意打ちであった。

 

 

 

 

 

「うあー……」

 

 

ふらふら、ふらふら。

休日の早朝。まだ人気の無い街中を、おぼつかない足取りの心白が歩く。

 

その表情は酷くしょぼくれたものであり、かつての乏しいそれよりも分かりやすく悲壮であった。

そうしてあてどなく街を彷徨いながら、度々大きな欠伸を落とす。

 

 

(勘弁してよー……もう見ないと思うじゃーん……ずっとスヤスヤできるって思うじゃーん、もぉー……)

 

 

目尻に滲んだ涙を拭って思い出すのは、今朝――というには早すぎるが――に見た悪夢の事だ。

 

かつて幾度となく体験した、心の傷の再演。

社を知った事でもう二度と見る事は無いと思っていたのに、まさか今になって復活するとは思ってもいなかった。

 

それ程に己の傷は根深かったという事だろうか。ままならないなと、大きな溜息をひとつ吐く。

 

 

「んー、ヤシロちゃん……まだ起きてないよねー……」

 

 

スマホから社の番号を呼び出しかけ、思い留まる。

 

画面に表示される現在時刻は、朝六時前。まだ薄暗い早天の刻。

彼の声は恋しかったが、流石に今連絡するのは迷惑が過ぎる。心白は渋々と社の番号から離れ、代わりに幸若舞しおりの番号を呼び出した。『ねみぃうるせぇ』切られた。

 

 

「うぅ……ねんむいのはこっちもなのに……」

 

 

前日に夜更かししていた事もあり、心白の睡眠時間は二時間を切っている。

しおりとの夜遊びで徹夜には慣れているつもりであったが、むしろ下手に睡眠を取ってしまっていた分、夜を明かした肉体がもっかい寝たいと駄々を捏ね始めていた。

 

 

(もうすこし……八時……七時かな、こえたら、ヤシロちゃんも起きてるよねー……)

 

 

眠るのが怖い。もうあの夢を見たくない。以前の日々に戻りたくない。

……でも、彼の声を聞けば。少しでも彼と話す事が出来れば、きっとまた――そんな妄想にも似た希望に縋り、心白は襲い来る眠気に全力で耐えていた。

 

 

(……うーん、でも、あんまり意味なかったかなー、おさんぽ)

 

 

家に居てはまた眠ってしまいそうだったための突発的な行動だったが、一向に眠気は晴れない。

 

苦手なブラックコーヒーを飲み、ミントガムを頬張って。思いつく限りの眠気覚ましを試すものの、重い瞼はそのままだ。

ともすれば信号待ちの間にすら眠りそうになり、心白は己の頬を強めにつねった。

 

 

(あいたたた……徹夜とか全然へーきだった筈なんだけどなー)

 

 

わしももう若くないという事じゃろうか……などとふざけつつ、半ば無理矢理に足を動かす。

大通り、商店街、裏路地、駅前。

早朝である為かどこも人影は少なく、開いている店も殆ど無い。時折通り過ぎる車の音と鳥の声が、妙に大きく木霊する。

 

 

「……へー」

 

 

賑やかな昼のものとも、人工光の輝く夜中のものとも違う、静謐な雰囲気。

そんな見慣れた景色達の別の顔を眺める内、心白も段々と興が乗り始めたようだった。

 

 

(なんだろ、けっこー好きな雰囲気?)

 

 

ふと鼻先を擽る朝露に湿った草葉の香りに、ほんのちょっぴり心が跳ねる。

夜遊び上がりの時は酒精の雲に乗って寝ながら帰っているため、この時間帯の街中をゆっくり眺めた事は無かったが……これはなかなか。

なんというか、健全な小冒険をしている気分。その新鮮さに若干ながら眠気が薄れ、心白の目がごく自然に香りの元を追った。

 

 

(……あ、これカズちゃんが使ってるの見た事あるなー。こんなとこにも生えてんだ)

 

 

よく知る華宮葛の霊能を浮かべ、まるで蜜に誘われる蝶のように手近な植物へ寄っていく。

それは単なる気まぐれでしか無かったが、多少なりとも眠気が紛れるのは確かであった。

 

 

(ヒメジョオン……前、これでっかくして足場にしたねー)

 

 

葛は妖魔を追うために使用していたが、心白はトランポリンにして遊んでいた。

 

 

(おっこりゃツクシ。鳥の妖魔に地面から長いのズドーン! してたなー)

 

 

その妖魔の討伐後、心白はよじよじ登って遊んでいた。

 

 

(こんなところにスイカズラ。カズちゃんの創る蜜にはお世話になっとります)

 

 

葛のスイカズラの蜜は、社のみならず心白達にとっても心身をよく癒す回復薬となる。

これを敢えて社の真横で啜ってみるのが、ここ最近の心白のマイブームである。

 

 

(……オオイヌノフグリ……、…………)

 

 

足早に離れる。

この花を葛がどう使ったのか。心白が語る事は永遠に無いだろう。

 

ともあれ。

 

植物のひとつひとつに記憶を重ね、惰性のままに追いかけ続け。その内、心白はいつの間にやら近所の自然公園を歩いていた。

 

 

一般開放されている、入場無料の大型公園。

これまでは特に用も興味も無く訪れた事は無かったが、イザ歩いてみると緑が深く居心地の良い場所だった。

心白は葛の植物探しを続けつつ、のんびりと早朝の園内を歩いて回る。

 

 

(七時まで……あと十ぷーん)

 

 

そしてそれが中々に良い眠気覚ましと時間潰しになり、気付けばちょうどいい時間帯となっていた。

 

心白は頬を綻ばせながら手近なベンチに腰掛けると、スマホを取り出し社の番号に親指を乗せた。

たったの十分程度であればもう気にしなくていい誤差のような気はしたが、そこはそれ。待ったという体裁が重要なのだ。たぶん。

 

 

(安心出来たら、もーここで寝ちゃおっかなー)

 

 

きょろきょろと辺りを見回せば、ベンチの周りは植え込みに囲まれ、良い塩梅に目隠しがされている。

今の時間帯であれば通りがかる者もほぼ居らず、ゆっくりと眠れる事だろう。

そう思いたった心白は、酒精を吐き出し綿のように柔らかく固め、ベンチの上に広げ敷く。

 

 

「お布団よーし。枕もよーし。あとはヤシロちゃんASMRだけ!」

 

 

準備は万端。

心白は上機嫌で酒精のベッドに寝転がり、スマホに映る社の番号をニコニコ眺め、

 

 

 

 

 

(……あれ?)

 

 

次の瞬間、心白は別の場所に立って居た。

 

どこかの学校、いつかの屋上。

何故か中学校時代の制服を纏った心白は指一本動かせない状態となっており、背後には真っ黒な男の影が立っている――。

 

 

(……ぎゃーっ!? なぁんでぇーーーー!?)

 

 

どうやら、横になった瞬間意識が落ちたらしい。

見たくなかった悪夢の中にあるとすぐに察し、心白は声無き悲鳴を張り上げた。

 

 

 

 

 

 

悪夢を見る時、夢の中の心白はそれを自覚していない。

 

一年前の状況と感情をそのままなぞり、指一本動かせないままにただ怯え、嘆くだけ。

抵抗も何も叶わず、恐怖に跳び起きた後でようやくそれが夢だと知るのだ。今日見た一度目の時のように。

 

……だが、今回においては少し違っていた。

身体を動かせないのはそのままに、意識だけが明瞭にある。一年前の自分では無く、今現在の自分であれている――。

 

 

(明晰夢、ってヤツ……? えっ、なんで? 身構えてたから……?)

 

 

だったらこんな中途半端な状態では無く、自由に抵抗できる状態にして欲しかった。

影男に太腿を撫でまわされながら、心白は心の中で溜息を吐く。

 

 

(……触られてる感触は無いし、触ってる奴も影っていうか……黒塗り? えー、いやー、でも確かにあの時のへんたいの顔ってどんなって言われると……あれー?)

 

 

そうして思考の余裕が生まれると、夢のチープさが気になった。

 

己が苦しんでいた悪夢とは、この程度のものだっただろうか。

朝に見たものは、もっと気持ち悪く、大きな絶望のあるものでは無かっただろうか。

あれほど恐れていた筈なのに、どうにも。

 

 

(最後の悪足掻き、とかだったのかなー……)

 

 

灯滅せんとして光を増す。

蝋燭が燃え尽きる間際に一瞬だけ光を強めるように、癒え切る間際の心の傷が、強く痛みを発したのかもしれない。

 

根拠は無い。だがなんとなく、それが一番しっくりと来た。

 

 

(……でも触られんのやっぱヤダなー! これなー!)

 

 

とはいえ、かつての通り乱暴されかかっている事に変わりは無いのだ。

触られている感触は無いとはいえ影男の動きには嫌悪感が拭えず、固まった表情の下でぴえぴえと泣く。

 

 

(もう夢ってネタバレってんだからさー! 融通利かせてよー!! もー!!)

 

 

そんなこんなと喚く内に片膝裏に腕を通され、持ち上げられ。そうして露わとなったその場所に、黒の剛直が押し当てられた。

 

 

「~~~~ッ!」

 

 

未遂だ。

未遂で終わると分かっている。

分かってはいるのだが、

 

 

(――や、ヤシロちゃーん! たちけてーーーー!!)

 

 

恐慌とまではいかない。

だがヤケクソにはなり、心白は内に浮かぶ安寧の象徴へと泣きついて――

 

 

 

 

 

 

一方その頃。

なんだか早起きをしてしまった天成社は、あてもなく近所の自然公園をぶらついていた。

 

散歩が趣味であったり、自然好きだからという訳では無い。

つい最近まで暇さえあれば腹を満たすための花蜜を求めて徘徊していたため、気を抜くと無意識に自然の多い場所へと足を運んでしまうのだ。

 

十六年の飢餓により、本能に染み付いているのだろう。

今日も「早く起きちゃった」と思った次の瞬間には「蜜探すかー」となっており、気付けばこの場所を歩いていた。

 

……なんだか微妙に惨めな気にならなくもない社であったが、とはいえ部屋に居てもTSくらいしかやる事が無かったのもまた確か。

複雑な気分のままにまぁいっかと割り切り、素直に散歩を楽しむ事にした。

 

もっとも、ゾンビ時代にはよく訪れていた場所だ。特に目新しいものも無いだろうと高をくくっていたのだが――逆に全てが目新しく映っていた。

 

朝日を程よく遮る数多の木々に、気持ちのいいそよ風にさざめく青い枝葉。

改めて見れば道や設備も綺麗に整備されており、歩いていて清々しい気分になってくる。

 

思えば、ゾンビではない時に訪れたのは今日が初めてだったかもしれない。

腹に余裕があればこうまで感じるものが違うのかと、文字通り新鮮な気持ちで園内を楽しんでいた。

 

 

(せっかくだし、おにぎりか何か買って来ればよかったかな)

 

 

そうしていっとう景色の良い広場でそんな事を思いつつ。

社は薄い空をぼんやり眺めながら、どこからか取り出したスイカズラの蜜を吸い、

 

 

――ヤシロちゃーん、たちけてー……!

 

 

「ん?」

 

 

ふと、誰かに呼ばれた。

思わずきょろきょろと周囲を見回すものの、意味は無い。

 

それは現実の声ではなく、魂へと響く呼びかけ。以前のしおりの時と同じ、社を求める心の声だ。

 

 

(……酒視さん?)

 

 

この夢見の能力はしおりの一件で感謝されたと同時にプライバシーが云々と怒られたため、のっぴきならない事情での求めでなければ反応しないよう制限をかけている。

これがガッツリ反応しているという事は、心白は何かしら非常事態に近しい状況に陥っている筈なのだが……。

 

 

(何か……うーん、切羽詰まってはいるんだろうけど……)

 

 

必死ではあれど、どことなく声音が軽いというかなんというか。どうにも判断に困る。

 

とはいえ、放っておく訳にもいかない。

社は吸いかけのスイカズラをしまい、空に人差し指を走らせる。すると空間そのものに一本線が刻まれ、裂け目となった。

 

想いによって繋がる時空の路。社はそれを、一切の躊躇なくこじ開けた。

 

 

 

 

 

 

――ぴり、と。

心白の頭の真横から、何かが破れる音がした。

 

 

(……え?)

 

 

同時に影男の動きが止まり、押し付けられていた剛直も停まる。

反射的に振り向こうとするも、当然頭はぴくりともせず――しかし眼球だけがくるりと回った。

 

 

(え、ちょっと目が動かせた――んぇっ!?)

 

 

続いて目に入った光景に、更に驚く。

 

――先程まで影男の頭部があったその場所に、目を閉じた社の頭が浮いていた。

 

影男の脳天から胸部までを両断する裂け目が走り、徐々に広がるその内側から社の姿が現れていたのだ。

 

 

(や、ヤシロちゃん……ヤシロちゃんっ!)

 

 

ウワサに聞く夢渡りだ。直感する。

 

それはまるで、影男という存在自体が天成社に塗り替わっていくかのよう。

この悪夢そのものが、彼の淫魔としての力に呑み込まれているのだろう。正直気色悪いにも程がある光景だったが――心白は逆に、満面の笑みを浮かべたくなっていた。

 

 

(また、助けてくれたんだ……これ、夢なのに。ほんとじゃないのに……!)

 

 

只の悪夢ごときであっても、己の声に応えてくれた――。

 

心白の心の底から沸き上がるものがあり、未だ動かぬ筈の身体を震わせる。そして抑えきれぬその欠片が目尻に膨らみ、

 

 

(……ん? あ、あれ、ちょっと待ってー……?)

 

 

はたと気付く。

 

今現在、社は影男を乗っ取る形で現れようとしている。

心白の真横にあった影男の頭部はそのまま社のものに置き換わり、身体の部分もまた同様。

 

背中に密着する胸板も。

片膝の裏を持ち上げる腕も。

腰に添えられた腹部も。

その下にあるそれも。

やがては完全に社のものと置き換わる事だろう。

 

…………その下にある、それも?

 

 

(――わぁーーーー!!! ちょタンマタンマタンマーーーーっ!!!)

 

 

それの意味する事を正確に把握し、心白の内面に羞恥の嵐が吹き荒れる。

 

 

(こいつ、このままヤシロちゃんになっちゃったら、アレじゃん! これ、そこ当たってんの、もー、アレ、その、オワー!? や、ヤシロちゃーん!! 起きてよー!!)

 

 

とりあえず心で呼び掛けてみるが、当然ながら社の方に反応は無い。

おそらく、完全にこの夢を乗っ取ってから意識が覚醒するのだろう。そう、悪夢の主たる影男を完全に支配し、存在自体をそっくりそのまま入れ替えた、その後に。

 

――片膝の裏を持ち上げていた腕が、社のそれに換わった。

 

 

(ぴゃー!? まってー! まってー!)

 

 

悪夢の支配が弱まっているのか、若干ながら心白の身体の感覚が戻り始める。

しかし身体は未だろくに動かず、それがまた非常にタチが悪い。

 

――そして胸と腹部が立て続けに換わり、その下方も社のモノに置き換わる。

 

 

(うそ、ちょまっ、あぅ、デッ、すご、カタ、わ、わ――)

 

 

もう影男の部分など足先程しか残っていない。

そうした状況は先程よりも良くなるどころか色々と悪化している筈なのだが、心白に恐怖の類はまるで無く、むしろ――。

 

 

(――あっ)

 

 

と、そこで影男の全てが社となり、悪夢の掌握が完了したようだ。

彼の瞼がぴくりと震え。同時に心白もまた身体の自由を取り戻し――がくんと下に、

 

 

 

 

 

 

「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?」

 

 

がばちょ。

そこで目を覚ました心白は、絶叫と共に跳ね起きた。

 

その顔は真っ赤に染まり、ぜぇはぁと肩で大きく息をして。

痛い程に脈打つ胸と疼く下腹部を抑え、酒精の布団でもじもじとする。

 

 

(も、もーあの夢見なくなった。絶対これ、二度とあの夢見なくなった……!)

 

 

もし似たようなものを見たとしても、それはきっとこれまでの悪夢ではない。

似ているようで全く別の、なんかこう、多幸感的なアレに満たされたやつである。知らんけど。

 

 

「――ぐえっ!?」

 

「!」

 

 

そうしていると、心白の近くにどちゃりと何かが落下する。

恐る恐ると振り向けば、そこには頭から落ちたらしき社が転がっていた。

 

覚醒直前に心白の夢が終わったために弾き出され、夢渡りに失敗したのだろう。

社の目にはぐるぐると星が回り、心白の目はキョドキョド泳いだ。

 

 

「……え、えっとね。おはよーヤシロちゃん。だいじょーぶ?」

 

「は、はよござまス。平気ス。や、ほんと無駄に頑丈っすわこの身体……っていうかそれ酒視さんの方じゃないの? 何か助け呼んでたっぽいから来たんだけど……」

 

「ほ、ほほほ」

 

 

……どうやら、彼には何も事態を把握されないままに済んだらしい。

ホッとしたような、残念なような。心白はそんな複雑な気持ちを笑って誤魔化しつつ、何事も無かった素振りを装った。いや、実際現実では何も無かったのだが。

 

 

「いやー、少しヤな夢見ちゃってさー。あんま覚えてないけど、もしかしたらヤシロちゃんに助けてーって言ったかも?」

 

「なんだ……いやここで寝てたの? つか酒視さんも来てたのね、この公園……」

 

「朝の散歩っていいよねー、ぼくすきー。まーともかく、何か騒がせちゃってごめんね?」

 

「や、別に、俺もほんと来ただけって感じだし、まぁ……」

 

 

そう言って恐縮する社だったが、ふと怪訝な表情をして腹を抑えた。

そしてポケットから吸いかけのスイカズラを取り出すと、蜜の残量を確認し首を傾げ。

 

 

「あれ……何もしてないのにさっきより腹膨れて、」

 

「――でも来てくれてありがとー! いやー嬉しかったなー!!」

 

「ヒンイ」

 

 

またも真っ赤な顔で大声を上げ、余計な事に気付きかけた社の言葉を遮った。

 

 

「えっと……ほら、夢での事だったし、たぶん何かふわふわしてたでしょ? なのに助けを拾ってくれてさー……ほんとあんがとーって」

 

 

正直、あんな適当な助けで来てくれるとは思っていなかったのだ。

礼と共にそう伝えれば、社は照れくさそうに頬を掻き、少しだけ調子に乗った。

 

 

「そ、そう? ままま、俺もチートの端くれだし? 例え声なくったって、酒視さんピンチならどんなんでも100パー余裕で助けますわ、なんつって」

 

「――、…………」

 

「アッ スンマッセ」

 

 

いつも飄々としている心白の無反応に、社は即座に謝り目を逸らす。

そのまま互いに黙り込み、暫し無言の時が流れ――やがて心白が立ち上がったかと思うと、ぐいぐいと社の服を引っ張った。

 

 

「おいでー、おいでー」

 

「エちょ、何、なんスか……おわッ」

 

 

そうして酒精のベッドへ押し込むと、その上に「そりゃー」とダイブし、寝転がる。

社の鳩尾に心白の顎が突き刺さり、鈍い悲鳴がぐえぇと上がり。彼女は赤らんだ頬でそれを笑う。

 

 

「――寝かしつけてよー。ぼく、初めて酔っ払っちった」

 

 

……強大な力を持つ淫魔、その腹の上。

しかし心白は心底安心しきった顔で、ゆっくりと瞼を閉じきった。

 

 

 

 

 




何も無いので健全です。
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