出遅れ★ダービー   作:ババネロ

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ようやく朝日杯FSに辿り着けた…ジュニア級の終わりまであと少し


#21「出遅れてるからこそ、私は生き急ぐんです」

 朝日杯フューチャリーティーステークスが行われる阪神レース場の控え室で、私はレース前に振り返りを始めていた。コース概要はルックさんからも、私自身も頭に入れてる。今回のレース以外にもマイルG1が開催されてる“マイラー“向けのコースで、緩いコーナーは速度が出やすく高速レースになりがちで、最終直線の長い坂の先に待つ急な上り坂の上に立つゴール。身体が追いついてない私には厳しいかもしれない、とルックさんからあらかじめ言われてる。

 それでも、勝つためにはどうするべきか。計算して、私の足が保つギリギリでの早仕かけ。その上で、最後の上り坂を根性で押し切る。相手はタイキちゃんしか見ていないけど、他の子たちだってジュニア級でG1に勝ち上がってくるすごい子たちだ。全く油断できない。

「ふぅ………よし」

 精神集中もほどほどに、私は座ってた丸椅子から立ち上がる。控え室には私以外誰もいない。ルックさんやタキオンさん、ドーベル先輩はもう観客席だ。もちろん、他のみんな、フクキタル先輩やスズカ先輩も観客席にいるし、リトちゃんたちもきっといると思う。

 みんな、私を見てくれている。だから、タイキちゃんが相手でも負けられない。負けたくない。

 控え室の扉を開けて、通路を歩く。地下バ道までやってくれば、出走予定の子たちが続々と集まってきていた。みんな、勝負服を着ている。勝負服は、G1でしか着れない。これを着ることが夢だって子もクラスにはいた。――もうその子は、いないけど。

 私が来たことに気がついた子の一部は嫌そうな顔をする。大人がしゃしゃり出てくるな、と言われてる気がした。

「……大人が、子供の夢を奪うんですか?」

 視線だけじゃなく、声をかけられた。振り向けば、そこにいたのは小柄なウマ娘だった。勝負服を着ているってことは今回走る子なんだろうね。私と同じ高さの視線で向けられる瞳は今にも泣きそうになっていた。なんで?と。

 私はもう、迷わないって決めたから。たづなさんに言われた言葉や、楽しそうに走る先輩たちの姿が頭によぎった。

「大人にも、夢はあるよ」

「だからって……!」

「なら、私より前でゴール板を通り過ぎてくださいよ」

「ッ……!」

 レースの前になって、私は、“私”になってる。わがままで、自分のことばかりな、本当の私。リトちゃんにも、みんなにも、全部は見せたことがない。見せたくなかった、私。目の前の子は怯んだ。

「尚更、子供なら、もっとがむしゃらに走るべきですよ――あの子のように」

 視線をバ道の出口へと向ける。タイキちゃんがワクワクを隠せない様子でそわそわしている。流石にレース前に話さないように桐生院トレーナーから指導されてるみたいで、私には声をかけてこなかった。

 タイキちゃんを見てると、私まで楽しくなってしまいそうだ。それぐらい、はしゃいでいて、真剣で、レースに一番向き合ってる。だから、今目の前の彼女のように、場外戦術をしている場合じゃないんだ。私よりもっと、タイキちゃんはすごいよ。

『パドックを開始します。人気順にお呼びします。タイキシャトル』

「ハイっ!」

 アナウンスが流れて、タイキちゃんが出ていく。少し間を置いて、大きな歓声が上がる。ここまで彼女は無敗なのだ。今、私たちの世代で無敗なのはタイキちゃんとスズカ先輩だけだ。だから、そんな相手に私が挑むのは結構無謀なんだよね。

「私なんかに注目してる暇はないと思いますよ?タイキちゃんの方がよっぽど速いんですから」

 言い切って、私はその場から出口に向かって歩き出す。

 私は無謀でも諦めたくない。あの報道から増えたファンの人たちからの手紙は切実だった。「もう諦めてた。それでもあなたの走りに、勇気づけられました」「まだやれる、そう言われた気がしました」「自分が折れない限り走れるって気づけました、ありがとう」崖っぷちに立たされても、なお諦めない。進み続けようとすることができたというその声に、私は応えてあげたい。無謀なことでも挑み続ければいつかは、って。

 夫のため、そう思っていた。それを胸に足を動かしていたけど、今は、もう違うかもしれない。

 先輩たちと楽しく、この今を走り抜けたい。私のことを想ってくれるたくさんの人のために走り続けたい。G1って舞台はただ、勝ち取るだけのものじゃない。レースの中で、一番、そんな想いと夢を描ける場所なんだと思う。それはとっても、星のようにキラキラして、綺麗なんじゃないかな。

 トゥインクルシリーズとはよく言ったものだと思う。

「ごめんなさい、あなた。私、夢ができちゃいました」

 だから、見ていて。こうなってしまった私を。あなたは怒るかな?それとも、受け入れてくれるかな?みんなは、認めてくれるかな。

「出遅れてる癖に…!そのまま遅れてればよかったのにっ!」

 悲鳴のような言葉に、私は足を止めて、振り返らずに答えた。

「出遅れてるからこそ、私は生き急ぐんです」

 時間がないかもしれないという現実は変わらないんだから。

 

 

 

『お次は6番人気のプライズです。なんと彼女はURA史上、最高齢でのG1出走となります。これだけでも快挙でしょう』

 出ただけでも快挙。この言い方にアタシは少しムッとした。観客席からは歓声と、困惑と、ほんの僅かに…嫌な感じがする。プライズが今この場にいることだけが全てじゃない。プライズはここに、勝ちに来てるんだから。

「プライズさん!やる気に満ち満ちていますね…!」

 フクキタルがタイキとプライズどっち応援すればとさっきまであたふたしてたのが嘘のように楽しそうだ。フクキタルの言う通りで、プライズはやる気に溢れている感じがする。それはタイキも一緒だったけど。

 ただ、なんというか、レース前からレース中のような雰囲気がする。あの、子供っぽさが前面に出ている感じだ。

「まぁ、変にカチコチになってないあたりは流石だよね、プライズ」

「そうね、ドーベル」

 スズカも同じように緊張しないタイプだけど、流石に心配だったのかな?少し、安堵したような表情だった。ちなみに、私たちの周りにトレーナーはいない。どこにいるかと思えば、観客席の上の方の席で桐生院トレーナーと並んで、どうみてもバチバチしている。タキオンはまた別のところで、プライズを観察しているし、チームとはとても思えない。

 今日の観客席には学園の生徒会も来てるし、なんというか注目度が高い。一般の観客もプライズと、無敗のタイキが戦うせいかかなり多くて、盛り上がってる。

「よくあの歳であんなの着れるよなぁ〜」

「まぁ見苦しくはないっしょ」

 心無い言葉も聞こえて、アタシは耳を伏せたくなる。それでも、そうはしない。プライズは逃げないんだ。だから、先輩、チームメイトで、友人のアタシも、逃げたくない。あの子がアタシを先輩と呼び続けてくれるのだから。それに恥じないアタシでいたいから。

 パドックはそのまま順調に終わり、本バ場入場に移っていく。

「プライズさんは大外!これは大吉ですねぇ!」

「タイキは内より…こっちも、悪くないわ。フクキタル」

「た、確かに!」

 タイキもプライズも枠はかなりいい。後は、展開がどうなるか。

「ドーベル。プライズは今回どうするの?」

 スズカがそんなことを聞いてくるけど、アタシは首を横に振る。

「知らないの?」

「展開次第、だって」

「そう…」

「高速レースになりそうですが、大丈夫でしょうか?」

 フクキタルの心配はもっともだ。ただ、プライズの身体は徐々に出来上がり始めようとしている。きっと、選抜レースの頃のような全く高速展開についていけないような状態じゃない。…ただ、付き合えばスタミナが保たないから、そうはしないだろうけど。

「タイキはきっと、思いっきり走りそうね。楽しそう」

「タイキはそうだろうね」

「でしょうねぇ」

 プライズと違って、タイキは周りを気にせず楽しく走るだけだと思う。そこで、どこまでタイキに終盤でプライズを意識させるかが勝てるかどうかのラインだとルックさんが言ってたっけ。そんなことが?って思うけど、アタシは一言も伝えていないはずのタイキの弱点が見抜かれていて背筋が冷たくなった。

 タイキの弱点。今はもう鳴りを潜めてるけど、繊細で、周りを気にし過ぎて、自分のペースを完全に見出されてしまう可能性があるところ。プライズの終盤の執念からくるプレッシャーに反応してしまえばタイキに僅かな綻びが生まれるかもしれない、ということだった。

 ただし、それも、タイキがずっとそのままであったらだ。今のタイキは変わりつつある。

 ファンファーレが鳴り響く。ジュニア級二つ目のG1が幕を開けようとしていた。ゲートへタイキやプライズが入っていく。二人以外のウマ娘たちは明らかにタイキとプライズを意識していた。

『さぁ、始まります。クラシックへの登竜門、朝日杯¬フューチャリティーステークス!』

「始まりますねっ」

「うん。二人とも…無事に走り切ってほしい」

「信じましょう、二人を」

 実況の声が場内に届いて、観客席が静かになっていく。

『スタート前に改めて注目株のウマ娘を紹介しましょう!やはり、まずはここまで無敗!本日一番人気!このままダートもターフも全て開拓するのでしょうか!?タイキシャトル!』

 改めてタイキが紹介される。スズカと同じ、ここまで無敗。ここで勝利すればタイキは無敗のままジュニア級を終えることになる。スズカも来週のホープフルステークスで勝てば同じく無敗だ。アタシたちの世代から二人の無敗のジュニア級王者が出る。それをアタシは何故か気後れすることなく、楽しみだと思った。

 友人として、というよりも、二人へ挑戦をしたいという本能のようなもの。プライズに影響されてしまったのかな?アタシはこんなに、好戦的だっただろうか。

 場内はタイキの紹介に拍手と歓声が湧く。タイキはゲート中から手を大きく観客席に振っていた。

「……そういえば、タイキさん。ゲート狭そうですよね」

「タイキは大きいからね」

 フクキタルの指摘にアタシは頷く。タイキ、身体が大きいせいかゲートの中はかなり窮屈だって本人が言っていた。スズカが何故か真顔になってるけど、その、うん、これは突っ込まないでおこう。気持ちはわかるけど。

『続けて、人気こそ6番と落ち込みましたが、その体のどこにそのような熱を秘めているのか!?URA史上初の20代でのG1初制覇なるか、プライズ!』

 プライズの紹介に「2番人気は!?」というブーイングに近い声が聞こえてきたと同時に、どよめきが広がる。公式のレース、その実況でついに明言されたプライズの年齢に本当だったのかと、殆どの人が思ったみたいだった。

 ジュニア級無敗に、最高齢のウマ娘が挑む。話題性としては確かに、こういう紹介の仕方もあるかもしれない。でも、あたしはゲートの中にいる他のウマ娘が、一部苦虫を噛み潰したような表情になっているのが見えてしまった。

「嫌な雰囲気ね」

 スズカでさえも感じてしまう暗い感情に、アタシは不安になる。レース中に、プライズが妨害されないか。

『なんとこの二人、学校では同じ寮のルームメイト!友人同士とのことです!遠慮なしの勝負に期待したいところです!』

「ッ…!余計なことを……!」

 解説がいらないことを付け加えた。今の言葉のせいで、一部の嫌な視線がタイキにも向く。まずい、タイキにこんなの向けられたら……!

「あれ?」

「どうしたの?ドーベル」

「え、いや、タイキが周りを気にしてない…なって」

「……む?本当ですね。タイキさんにしては珍しいというか」

 そういえば、実況からの呼びかけの後、タイキはまるで前しか向かない、と言わんばかりに視線をゲートの先に固定している。そわそわ、我慢しているのがわかるから、これって桐生院トレーナーの指示?まさか、ここまで読んでるの?あの人。

「……まさか…」

「スズカ?」

 スズカは何かに気がついたみたいだった。私とフクキタルがスズカの方へ視線を向けると、彼女はタイキを見ながら言葉を続けた。

「今日のタイキ、逃げ、かも」

「え?」

「タイキさんが逃げですか?」

 今まで、先行でしかタイキは走っていない。それはアタシたちの中でも、公式戦でもそうだ。逃げのすぐ近くまで迫って、一気にフィジカルで押し切る。力強い勝ち方が印象に残る走り方だった。スズカはそんなタイキから今回は逃げで走るかもしれない、と感じたみたいだ。

「どうしてそう思ったの?」

「集中の仕方…真似られてる」

「…あっ!言われてみれば、スズカさんそっくりですね!ずっと前しか見ないの!」

「えぇ」

 言われて、よく見れば確かにそうかもしれない。同時にアタシは戦慄した。忘れてはいない。タイキだけが、今、唯一スズカに勝てなくてもついていけるだけの力があるのだということを。それは即ち、多少の劣化はあっても――同じことができるということを。

 プライズ、まずいかもしれない。もしスズカの読み通りなら、このレースは…!

『各ウマ娘ゲートに入り体勢整いました』

 場内が一転して静まり返る。ついに、始まる。プライズの初G1が。

『この一戦が何か大きなうねりを生み出すかもしれません!さぁ、今、ゲートが……開いた!朝日杯!スタートです!』

 そして、ゲートの開く音と共に、歓声が爆発した。スタートは…ッ…!

『タイキシャトル抜群のスタートを決めました!これは…逃げです!これまでの作戦を投げ捨ててきた!』

『後続はついていけるでしょうか』

 スズカの読みが当たる。タイキは本当に逃げを選択してきた。強烈なパワーを生かしてのスタートのタイミングを完全に無視した加速だ。晴れて、良バ場の地固めされてないとできない動き。そう、これまでのダートではきっと、車みたいに空転してしまうような動き。

「プライズは…!?」

「いつもより前めです!」

 プライズは今回、全く出遅れず、完璧なスタートを決めていた。位置はいつもの追込よりも前の、差しの位置。

『向こう正面、まずはタイキシャトルがレースを引っ張っていきます!』

『これはかなりのハイペース!かつてジュニア級のマルゼンスキーが見せたような強い走り方!』

 場内にまたどよめきが広がる。けれど、的確かもしれない。タイキは楽しそうに、前しか見ていない。まるで誰もついていけてないと気がついていないようだった。

「マルゼンはスーパーカーだけど、あれじゃまるでマッスルカーだぜ!」

「あぁ!こいつはヤバい!他のついていけんのか?」

 観客の声がふと耳に入る。タイキと2位以下の差はグングンと開いて…いかない。黒髪の、あれは5番人気の子が賢明について行っている。

『5番人気のボクサープロウド!必死に着いて行こうというところ!』

『掛かり気味のようにも見えます。このままついていけるでしょうか』

 掛かり気味、確かにそうかも。というか、あの子、スタート前に一番プライズを睨んでいた子だ。なんだろう。必死すぎる気がする。プライズは囲まれないようにかなり気を使ってコースを選んでるようだった。つまりは外目につけて、囲もうとすれば少し外にずれる。周りはそれを感じて、無理には行こうとしない。ただでさえハイペースになっていくレースで、わざわざ大外を回ろうとはしたくない、というところかな?

「プライズのスタミナが心配だけど、今のところはどっちも悪くない展開、かな」

「そうね」

 スズカはタイキに釘付けだった。明らかにタイキはスズカの動きを模倣しているように見える。たぶん、タイキ自身はそんなつもりがなさそうだから、きっとこれは桐生院トレーナーの指示に違いないと思う。ドリームトロフィーリーグを観戦した時に見た、アタシたちのトレーナーの言葉が嫌でも思い浮かぶ。

 ――さて、こんな子を育てたトレーナーがタイキシャトルを育てたらどうなると思う?

 結果は、今目の前にあった。

『第3コーナーへと入ります!トップはタイキシャトル、少し後からボクサープロウド、そこから差が開いてマスターアックス、アスリートクラウンと続いています』

『タイキシャトルのペースは序盤では翳りが見えません。これは完全に高速レースとなります』

『注目株のプライズはまだまだ後方で控えています。いや、これは遅れ出したか!』

 この高速展開にプライズはついていけない、そうみんなも感じているのかあまりプライズに視線は向いていない。実際、一度は高速展開で負けてしまったこともあった。そのおかげか、プライズへのマークが少しずつ、なくなりつつあり、プライズも確かに遅れ出した。

「……溜めてるわ」

 けど、スズカはすぐに気がついた。プライズはもう、仕掛けに入っていることに。スズカの尻尾が揺れている。隠しきれてない目の前のレースへの楽しそうな感情。スズカは、きっと今、二人と走ることを想像してる。なんだか、それがちょっとずるいと思った。

「阪神レース場はここから緩い勾配がついてますから、プライズさんも思ったよりは楽なのでは?」

 フクキタルの言う通りかもしれない。第3コーナーから緩やかな勾配があるのがこのコースだったはず。だから、思ったよりもスピードが出ても負担は少なめだ。元々の速度がある子たちからすれば抑え気味で逆に消耗するかもしれないけど、プライズはむしろ、この坂を利用するはず。

『第4コーナーカーブ、レースは終盤戦に――プライズ動いたァ!』

 そして、早仕掛け。虚を突いたようなタイミング。急激に増す、プレッシャーにアタシは驚いた。

「あの加速は…っ!?」

 聞いたこともないスズカの驚いた声。アタシも気がついた。プライズの今回の早仕掛けがただの早仕掛けだけじゃなかったことに。

『プライズ十八番の早仕掛けです!しかし今回はハイペース、メリットは』

『いや!これはわかりません!更に増速しています!』

 加速する。それだけならまだわかる。でも、今日のプライズは、加速の先に、更に“速度”を上げた。そのトリックはすぐにわかった。坂だ。

「坂を使って強引にスピードの上限を引き上げてる!危ないよ…あれ…!」

「だ、だだ、大丈夫ですかプライズさん…!?」

「速い…!今までの中で、一番…!」

 もつれてしまえば大怪我を負うような博打技。それでもプライズは必死な姿で追い上げる。周りは出遅れて増速しようにも、プライズみたいな顧みない走り方はできない。トレーナーの方をチラリと見れば…笑っていた。待っていたと言わんばかりに。

「まさか……ッ!?」

「あぁ、そうだとも。至ったよ、彼女は」

「タキオン!?」

 突然、アタシの横にタキオンがやってきた。フクキタルは「どちら様!?」と驚いて、スズカは無視。レースに集中してる。それにしても、至ったって。

「フフッ…!本当に掴んでしまうとは、つくづく規格外だよ、彼女は…!異常で、気味が悪いとまで思えるし、それ以上に………可能性に溢れている!」

 狂喜するタキオンに、アタシは引いた。けれども、領域に至ったのは間違いないようだった。

『さぁプライズ、先頭集団に切り込んだ!相手のスパートはまだこれから!』

『ここから坂です!』

 最終直線に入る直前に、プライズはタイキたちのすぐ近くまでやってきた。先行で追いかけていた二人がプライズに気が付くも、あっさり追い抜かれる。そのまま、タイキをなんとか追いかけていた黒髪のウマ娘がプライズに抜かされ、一瞬張り合おうとするもそれまでだった。

『ボクサープロウド!やはり無理があったか!』

 タイキに着いて行こうとした彼女は、完全に“轢き潰された”状態だった。これも、スズカ相手に張り合おうとした結果と同じだ。

『さあ最終直線に入る!タイキシャトルはここから逃げ切れるのか!?』

『スタミナが残っているか心配です!』

 このままなら、プライズがタイキを差し切る。そう思っていた。でも、そうはならなかった。

 タイキがチラリと、初めてこのレースで後ろを見た。そして、アタシたちには見えた。待っていた、と言わんばかりに――楽しそうに笑うタイキが。

 衝撃。まるで、そうとしか思えないものが場内に走ったような気がした。

『タイキシャトル――加速!』

『この坂で恐れず踏み込んでいく!?信じられません!』

 タイキがターフを大きく踏み抜いて、一気に加速。アタシは目を見開いていた。

「アハハハッ!彼女もか!やはり嫌な読みというのはよく当たるねぇ!」

 タキオンの声から、タイキも領域へと至ったのだと悟った。プライズが僅かに並んで、抜いたと思った瞬間、その差が大きく開いていく。それでもプライズは――諦めなかった。

「頑張れっ!プライズーー!」

 気がつけば、声が出ていた。あきらめない。プライズの姿に、アタシは感化されていたのかもしれない。

「諦めるなー!いけーっ!」

「頑張ってー!」

 会場からも、プライズを応援する声が響く。あきらめない、必死な姿勢。それが会場の、レースが始まる前にあった雰囲気を塗り替えていく。

「プライズさん…!しかし、これでは…!」

「でも、楽しそうよ、プライズ」

 スズカの優しい声に、アタシも気が付く。プライズは…笑っていた。初めて、あの子がレースであんなに楽しそうにしているのを見た。

 タイキとの差はあっという間に広がっていく。もはやプライズの根性でどうにかなるものじゃない。圧倒的な、実力差。デビューからずっと、プライズを生き急がせている距離がそこにあった。

『タイキシャトル!今ゴールイン!圧倒的な実力差を見せつけ、レースを支配してみせました!2着にはプライズ!その差は5バ身差!やはり高速レースは辛かったか!』

 タイキが1着、プライズが2着。余裕そうに見えて、こちらに手を振るタイキはかなり消耗しているのか大きく肩で息をしていた。やっぱり、タイキもかなりキツかったんだね。

 プライズは……やっぱりか、膝をついていた。それでも、その表情は晴れやかだった。

 

 

 

 鳴り止まない歓声の中で、桐生院葵とルックアップミー、二人のトレーナーは互いの担当ウマ娘たちの姿を見届けていた。

「…私たちの完敗です。桐生院トレーナー」

 ルックアップミーの言葉に、葵は首を横に振る。確かに、端から見ればタイキシャトルが圧倒したと思えるかもしれない。だが、そうではなかった。

「いいえ。タイキがもし“領域”に足を踏み入れていなければ、わかりませんでした」

 タイキシャトルの“領域”の発現。それがなければ、あそこまでの加速はできず、プライズとの根比べになっていただろう。そうなれば、葵は負けていた、という確信があった。

「そうでしょうか?まるでサイレンススズカのような大逃げ。あそこまでレースを引っ張られてはプライズは苦しくなります」

「もちろん、タイキには大逃げするように伝えましたが、二度はできません。ジュニア級の今だけ通用する奇策ですから。“領域”に入っていなければ、プライズさんはきっと」

 勝っていた、と葵は確信する。突き放されても尚追い続けた執念。足りないのは成長だけ。それを補って余りある根性が、末恐ろしいと葵は感じる。大逃げで引き潰せると葵は考えていた。“領域”には達することはないと思っていた。しかし、現実としてプライズが“領域“に到達したことで、あわや、というところまで追い込まれていた。

 タイキシャトルの消耗具合は、葵からすれば大きな想定外だった。想定通りなら、圧倒的フィジカルで完全勝利を飾れていたはずだった。

「ウマ娘は未知数ですからね。本当に驚かされます」

「ルックさんもウマ娘じゃないですか」

「それでもですよ」

 ルックアップミーからしても、タイキシャトルの精神の成長は想定外だった。

「(もしかしたら、ドーベルは知ってたかな?ま、言う義理はないよね)」

 プライズの執念を見ても尚、楽しそうに走るその姿。タイキシャトルに感化されて、楽しくレースを終えたプライズ。確かに、レースには敗北した。敗北したが、これで終わりではない。むしろ、始まったとすらルックアップミーには思える。

 周囲の歓声へと耳を傾ければ、ウマ娘特有の耳の良さのおかげで、多くの声がルックアップミーに届く。ほとんどが、タイキシャトルの勝利への賞賛と、張り合ったプライズへの声援。プライズは認められたのだ。この舞台の上で走るに相応しい存在だと。

「桐生院トレーナー、私、知り合いの研究者にこんなこと言われたんですよ」

 ルックアップミーは葵の方へと顔を向けず、ターフの上でタイキシャトルに抱えられたプライズを見ながら言葉を続けた。

「ウマ娘のウマソウルは、応援されることで更に強くなるって」

「……どういうことですか?」

「さぁ?オカルトすぎてなんとも。でも、私もわかるんですよ。そういう強い“想い”は力になるって」

 葵は怪訝な表情を浮かべるが、ルックアップミーは特に反応を返さず、立ち上がった。

「さて、担当を迎えに行きますか。桐生院トレーナーもこのあと、勝利インタビューがありますよね?」

「え、えぇ、そうですね」

 慌てて葵は立ち上がるが、ルックアップミーは待たずに歩き出す。葵は彼女にあとにすぐ、続けなかった。去っていく背中に、葵はトレーナーとしての目が訴えかけてくる。感じるものは多くの人々が忘れている、ウマ娘という種族に対する恐怖。今は距離を置いたトレーナー白書の隅に書かれていた、人では絶対に勝てないウマ娘への畏怖。

 ルックアップミー。競技者としての実績の中で、G1の勝利はただの一度。終わりはそのG1後の怪我の発覚。引退の理由に、本格化の終わりは入っていなかった。

「担当が担当なら、トレーナーもトレーナー…ということでしょうか」

 駿川たづなを初めて見た時に感じたような感覚が、ルックアップミーからも感じられ、葵は目を細める。時折現れるという“本格化が終わらない”ウマ娘。女神の寵愛か、はたまた、当人のおぞましいほどの執念か。なんにせよ、何かしらの“想い”がウマソウルを燃やし続けさせている――名門の桐生院だからこそ、ひっそりとその“噂”は知っていた。

「クラシック級、読めませんね。これは」

 葵は自身もヒトとしては非凡な身体能力を持っているのを棚に上げて、遠くなったルックアップミーの背中を追いかけた。

 




あともう少しだけジュニア級編は続くんじゃ。

プライズの固有はまた後ほど…。

ちなみにタイキちゃんは<良バ場○、マイルの支配者、集中力、先駆け、地固め>をセットしているイメージです。
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