ありえない。なんでお前みたいなのが。できるはずがない。――けど、私は釣り上げた。いくらウマ娘でも、まだ非力だったちっちゃな私が大物を。そのときの周りを見返した時の快感、達成感。あれほどまでに満ち足りたものは今まで、あっただろうか。
それが私の走り出した原風景。じいちゃん以外、誰にも言えていない最初の一歩を踏み出す前の“ゼロ”。
あれから色々やったなぁ。走る以外にも、友達をゲームとかで出し抜いたり、こっそり猛特訓して馬鹿にして来た相手を草レースで負かしたり。これまでの“釣果”はどれもこれも、楽しかった。
けど、釣り上げれば釣り上げるほど、もっと、もっと、大きなものをって気持ちは出てくる。だから、私が府中くんだりまで来てしまったのは必然だった。私が3冠を取る姿を見たい……じいちゃんの夢を叶えてあげたい。これは嘘じゃない。嘘じゃないけど、結果としてこの“夢”は私の背中を押したに、すぎないのかもしれない。
“私が”3冠を獲りたいって、今は強く思う。
そんなとんでもない大物を釣り上げたいのに、たくさんの障害が私の周りに現れつつある。一人、一人と、誰しもが私には欠片もない天から恵まれたかのような素質を持っていて、絶望してしまいたくなるほどの障害だ。
どうすればいいんだろう。私は知れば知るほど彼女たちとの間にある溝を理解して、苦しくなった。身の丈に合わない獲物を釣り上げる時とは比較にならない、このままでは無理だという確信。
誰かのように、憧れにも近い思いを私も持てればよかったのかもしれない。きっと、そうすれば、理解しなくて済んだんだ。
それが、いけなかったのかもしれない。あの子が、ふと教えてくれたお話を今更になって思い出した。…悪魔は、心が弱っている時に誘惑してくると。
「全力で叩き潰した時の気持ちはどうかな?気持ちがいいでしょ?」
最悪な気持ちと、最高な気持ちが同居する。策は全て講じた。今できることは全てやった。それら全てを跳ね退けて突っ込んでくる相手に、最後は“ねじ伏せた”。感じたことがない、快感だった。
「だからどうかな、セイウンスカイ」
その目は、正直、狂ってるって思った。お近づきになりたくないタイプの人だ。いや、ウマ娘だけど。
なのに、どうしてだろうか。私がその手をとってしまうのは。
「君をスカウトさせてほしい。君が最後に見せてくれた“勇気”があれば、きっとどんな大物だって釣り上げられる」
耳に心地がいい声音と、セリフ。間違いない、きっとこの人は悪魔なんだろう。とんでもない大物、“異次元の世代”のトレーナーなだけあって、彼女のいるところはきっと、常人のそこじゃないんだ。それを理解した上で私は、応えた。
「その言葉、純粋なセイちゃんは信じちゃいますよ〜?――ルックアップミートレーナー」
憧れとは、理解とは程遠い感情。なら、その理解の先に待つものはなんなのだろう。その答えを、彼女は持っている。だから私は、悪魔と契約を結んだ。
ルックアップミー。狂った瞳をした、“どうかしてる”ウマ娘のトレーナーと。
「というわけでセイウンスカイさんが本日よりこのチーム、フラガラッハに加入しました〜」
「ども〜」
この時のミーティングルームの空気はルックさんと何故かスカウトされていたセイウンスカイちゃんの軽い空気と反比例していた。簡単に言っちゃうとドーベル先輩が紅茶を淹れようとして硬直していた。
「……どういうわけで!?」
「天丼かな?」
「タキオンさんはこれ食べて静かにしてましょうねぇ」
「んごっ…!?」
ドーベル先輩がこれ以上荒れないように私はタキオンさんをひとまず餌付けしておいた。餌付けというか割と強引に空いた口の中へアップルパイを放り込んだ。
そんな甲斐あってか大噴火だけはまぬがれた。
「え?待って?なんかアタシがおかしいのかな?まだこの子のレース一回も見てないけど」
「そうだね」
「催事レースとか、選抜レースとか、そういうのに出てない子をスカウトしたってことだよね」
「イエスだね」
「なにやってんの!?」
「え?言ったよね。スカウトするよ〜って」
「先週の話だったよね!?それにせいぜいスカウト内定ぐらいの話じゃなかったの!?」
「青田買いをしたんだよ」
「堂々と言わないでっ!」
やっぱりダメでした!ドーベル先輩が大噴火してしまったので私はとりあえず苦笑い。どういうことなの…って感じで固まってるセイウンスカイちゃんを手招きした。
「とりあえず、こっちに来て一緒にアップルパイ食べましょう?」
「え?いいんですか?」
「立ったままでもなんですし。それに娘のお友達とせっかく同じチームになるんですから」
「……あ、そういえばそうだった………」
ん?なんか今思い出したみたいな顔してない?ともかく、セイウンスカイちゃんは私の誘いに従って私の隣に座ってくれた。小柄でひょうひょうとしてる感じがこの前会った時はしてたけど、こう落ち着いてみると芦毛のとってもかわいい子だなって。
「こんにちは。私のことは知ってると思うけど改めて。リトルの母のプライズです。いつも娘がお世話になっています」
「ご丁寧にども〜、セイウンスカイです。リトルさんとは仲良くさせてもらっています」
お互い会釈して握手した。この子、タイキちゃんやリトルちゃんと同じで甘やかしたくなっちゃうオーラを感じるんだよねぇ。
「まぁまぁドーベル。もう本人も乗り気だからさ」
「この前、心配しないでいいって言ったけど、本当に大丈夫なの?」
「私のことは平気だし、君たちのことも大丈夫。言ったじゃないか、勝手に消えるってさ。あぁいうのは」
「………信じるけどさ」
ドーベル先輩はまだルックさんのこと心配してたんだね。状況がよく飲み込めてないセイウンスカイちゃんにまだ口をつけていなかった紅茶をソーサーごと渡す。
「これもどうぞ。ドーベル先輩が淹れてくれたんです。とってもおいしいですよ」
「うーん、私みたいな庶民の舌で違いわかるかなぁ……んっ……あ、すごいいい香り…おいしい」
「でしょう?」
穏やかな顔になったセイウンスカイちゃん、いい。久々に母性が刺激されるなぁ〜。
「メジロドーベル先輩でしたっけ?お茶、ありがとうございます。おいしいです」
「あ、あっ、そ、そっか。どうも…」
……すっかり忘れてたけどドーベル先輩、そういえば人見知りだった。この前のホープフルステークスの時も口数少なくなってたもんね。それを気にしないぐらいルックさんに当たりが強いのはそれだけ馴染んでるってことでいいこと、だよね?
「じゃ、顔合わせもかねて今日のミーティングはじめよっか。タキオン、ちょっとズレて」
「いいとも」
いつものようにルックさんは私たちの向かい側に座る。ちなみにタキオンさんとの距離はほぼ隙間が無い。去年の春先からずっと思ってるけど、この二人ってそういう禁断の関係なのかな。いやぁ、流石にないよねぇ。
ドーベル先輩はパーソナルスペース広めに取りたい派なので最近は上座に一人用のソファを置いてそこに座ることが多くなった。お嬢様だし、なんか様になってていい。それで私は広い3人がけのソファを独り占めしてたけど、今日からはセイウンスカイちゃんが一緒に座ることになった。
「んじゃ、改めて、セイウンスカイさん、チームフラガラッハにようこそ」
「いやぁ、セイちゃんみたいなウマ娘を拾って頂き感謝ですにゃー」
猫みたいな口をしてる。とてもかわいい。
って、そうじゃなくて。おどけながらもルックさんに挨拶してるけど、この子人見知りとかしないのかな。セイウンスカイちゃんのおかげで、場の空気がちょっと和んだ。ドーベル先輩は難しい顔をしてるけど。たぶん思うところがあるとかじゃなくて、絶賛人見知り中だコレ!
「チームの紹介をこれからするけど、いいかな?」
「いいですよー」
「なら早速、こっちがアグネスタキオン。ちょっとわけあってデビューは相当先だけど、このチームのリーダーだよ」
ルックさんに紹介されたタキオンさんはいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「アグネスタキオンだ。君とはこうして話すのは初めてだねぇ。フラワーくんから話は聞いているよ」
「どーも、先輩。こっちもフラワーからお噂はかねがね」
あるぇ!?なんか一見笑いあってるけどすっごいバチバチなの気のせい!?ルックさんにどういうことなの?って目を向けたらルックさんも「あれれ?」という表情。色々調べたんじゃなかったの?
「二人とも共通の友達でもいるの?」
「友達というほどでもないがね。実験に協力的な子がいると君には前、話したはずだが」
「え?言ってたっけ?」
「覚えてないならまぁいいよ。その子から最近、ほうっておけない先輩がいると聞いていてね」
「いやぁ、こっちもフラワーからよく構ってくれる先輩がいるって聞いてるよ」
「「ははははは」」
お互い、それは奇遇だね、と笑ってるけど、怖いんだけど…目が笑ってないもん!
「これから色々、よろしくお願いしますね。タキオン“先輩”」
「こちらこそ。セイウンスカイくん」
「あぁ、スカイでいいですよ」
「なら、スカイ君、だな」
「よろしく〜」
最終的に、二人は同時に矛を収めた感じだった。タキオンさんもヘンテコなことが多いけどベースはやっぱり育ちがいいせいで割と切り上げ方上手だし、セイウンスカイちゃんもお話は上手そうというか、なんというか。
この二人、本当に同じチームで平気?
「まぁ、大丈夫なのかな?じゃ、次いこうか」
どこらへんが大丈夫だったの?って視線を私とドーベル先輩に向けられてるのを無視して、ルックさんは話を進めた。
「それで、あとは、メジロドーベル。知っての通り名門メジロで、去年の阪神JFの勝者」
「よ、よろしく…」
「よろしくお願いします。メジロドーベル先輩」
さっきのタキオンさん相手の時とは違って、立って礼儀正しくセイウンスカイちゃんはお辞儀した。タキオンさんはこの子に何をしたんだろうね…。
「えっと、その。ドーベル、で、いいから」
「いいんですか?それなら、ドーベル先輩……だとプライズさんと被るから、ベル先輩とかは」
「うっ……う、そ、それでも、いいよ」
ドーベル先輩頑張った!えらい!撫でたくなったけど流石に新しい後輩の前なのでやめておこう。うん。
「それで最後が、プライズ。面識あるみたいだけど」
「はい。娘によくしてもらってるみたいなんです」
「へぇ〜、意外な縁があるもんだね」
「ほんとですよね〜」
あれ?なんかタキオンさんへの視線と似たような感じがセイウンスカイちゃんからするの気のせい?そんなことないよね、って目を向けたら気のせいだったのかとてもにこやかだった。
「プライズさんも、スカイとかでいいですよ」
「それじゃ、スカイちゃん、でいいかな?」
「おお、ちゃん付は珍しい。いいですよ〜」
よろしくね〜、としたところでルックさんの方へ顔を向けると軽く咳払いした。あ、真面目な話するつもりだね。
「こほん。自己紹介も済んだし、本題に入ろうか」
トレーニング前のミーティングなので、今日のメニューの話かなぁと思うけど、それだけじゃないかな?スカイちゃんも来たわけだし、って思ったらほんとにそうだった。
「まずはスカイのこれからのことについてだね」
「これからって……トレーナー、どうするつもりなの?」
ドーベル先輩の問いかけに、ルックさんは手元に抱えていたタブレット端末をテーブルの上に置いて、私たちの予定も入っているスケジューラーを見せてくれた。スカイちゃんは私の予定の下に新たに行が入っていた。
「うーんとね、スカイに関してはデビューを夏前に考えてるよ。その前に、慣らしとして“種目別競技大会”に出てもらおうかなって」
種目別競技大会っていうのは年に2回行われてる学内の非公式戦で、出場になんの制限もないからドリームトロフィーリーグに出てるウマ娘とデビュー前の子が一緒に走るなんてことも起こりうる無差別級レースなんだよね。一般開放もされてて、結構観客もくる、らしい。去年はデビューに向けて必死だったので見に行くこともできなかった。
スズカ先輩とフクキタル先輩は出てたらしいけど、それぞれの得意距離でしっかり圧勝したんだって。フクキタル先輩、間が悪いレースが多いから私たち同期の中だと評価が低く観客から見られてるけど、ふっつーに強いです、私から見れば。
「種目別競技大会ですか〜」
「うん。まずは腕試しってことで」
「なんかそれフラグっぽくないですか?うっかりDTの人と遭遇したり」
「それはそれでおいしいよ。釣れなくても、経験は無駄じゃないからね」
「………ま、そういうことにしておきますよ」
含みある話の仕方だね。これはルックさん悪いこと考えてそう。スカイちゃんもこのあたり気に入ってチームに加わったのかな?そういえば事前に見たレース映像(盗撮)で、タキオンさんがスカイちゃんは策を使うタイプって言ってたし、このあたりもルックさんとは相性が良さそう。
「それと、これにはプライズも出てもらうよ」
「え?私ですか?」
全く気にしてなかったらいきなり名前呼ばれた。ルックさんは端末を操作して私の3月の予定に種目別競技大会を入れてる。確かにその頃だと完全復活してるし、復帰戦の重賞は2月だから皐月賞前の肩慣らしって感じかな。
「まぁ、スカイと違ってプライズは一応、ぐらいに考えといて」
「りょーかいです」
あ、完全に出るってわけじゃないんだね。そこらへんは要調整、ってことかな。ちなみにドーベル先輩とタキオン先輩は出ないらしい。ドーベル先輩は自分から出ないと言っていた。先輩、トリプルティアラ狙いだもんね…。
タキオンさんは特に出ない理由もなさそうだけど、出る理由もない感じかな。
「スカイとプライズ、どっちも距離は2000ね。プライズは皐月賞本番前の肩慣らし、スカイは少し長めの距離を体感してもらうため。非公式戦だから手を抜きすぎず、けれど力入れすぎずって感じでやってね。近くなったらまた言うけど」
「「はーい」」
二人で返事がハモった。顔を合わせてくすくすと笑っちゃった。
「ということで、今日のトレーニングを始めようか。まずスカイがチームに慣れるために、みんなでランニングから!」
言うや否や彼女はバッと着ていたスーツをマジックみたいに脱ぎ捨てた。ルックさんは気合を入れすぎてまた勝負服を着てきていた。当然、全員からキツイからやめなさいと今度は容赦無く言われて泣いていた。大人なので私は慰めてあげなかった。
チームでの練習は今の所、私ができることは少ない。足が朝日杯のダメージから復帰するのにまだ少しかかるので、器具を使ったトレーニングを主にやってるわけど、今日はせっかくなのでスカイちゃんの走りを見ることにした。
「よし。じゃあ私とドーベルが追いかけるから全力で逃げてみようか」
「えぇ……すごい疲れちゃうじゃないですか、それ」
「まぁ鬼ごっこだと思ってさ」
アップが終わって始まったのはスカイちゃんをドーベル先輩とルックさんが追いかけるというもの。ドーベル先輩はともかく、ルックさんはデビュー前とはいえ現役の子についていけるのかな?去年の初めの頃とか、私とドーベル先輩にあっさり抜かれたりしてたけど。
私はそこのとこどうなの?と相変わらず練習中はマネージャーみたいになっているタキオンさんに聞いてみた。
「タキオンさん」
「ん?」
「ルックさんって、流石に現役の子とやり合うのはキツイんじゃ」
「いや、問題ないだろうね。追いかけるだけならば」
「え?でも、ルックさんって本格化終わって」
「終わってないが?」
はい?なんか今とんでもないこと言ってません?
「あの、ルックさんが現役だったのってもう何年も前でしたよね…?」
「確かにそうだ。それは君も知るところだろう」
「そりゃまぁ」
私が彼女から夫を…トレーナーを取り上げ、地獄の底に落とした最低な張本人なんだから、こっそり彼女のことだけはメディアで追いかけてた。…あぁそうだ、そうだった。ルックアップミーという“選手”の引退インタビューでは一言も“本格化の終わり”は触れてなかった。
怪我で、G1も取れたから、もう潮時――そんな言葉があの子の口から出ていたのを思い出す。そして、彼女の引退理由はたった一つ「恩師が正しかったことを証明するためです」ということだ。教育者に最短でなるためにやめた、というのがルックアップミーの引退の真相だから。
そう、本格化が終わっているという保証は何一つなかった。
「ククッ……何故、彼女を私がモルモットとしているかといえば、この一点に尽きる。本格化が終わらない。過去に例は幾つかあった。しかし、直に触れられるとなれば話は別だよ。なかなか手が出せなかった」
ストレッチするルックさんを見ながらタキオンさんは実にいい笑顔をしていた。
「だが、ルックアップミーというウマ娘はそれまでの事例と比べれば幾らか凡庸だ。G1を一つ獲っているというのもいい。凡庸だが、決して埋もれるほどではない、程よい強さ。実にモルモットとして扱いやすい」
今、私はタキオンさんの本音を聞かされてるのかな……いつも、ルックさんに向けていた視線は実験材料というだけではないと思いたいけど。
「本格化はまさにウマ娘の核心の一つだよ。解き明かせればおそらく、よりウマ娘は高みに登れる。そういう意味で、君もまたいいテストケースだ。ドーベル君やスカイ君という一般的なケースもここには揃った。フフッ、いいシャーレだよ。このチームは」
「わー……なんだろう。悪の科学者みたいですよ、タキオンさん」
「そう見えるかい?」
この悪びれない感じがねー。けど、どうしてだかタキオンさんは憎めない感じがする。これは身内贔屓みたいなものなのかなぁ。
「さて、あまり話しているとトレーナーくんに怒られるね。やろうか」
「タイム取るんでしたね」
「あぁ。スカイ君の100mごとのタイムをとる」
話は戻って目の前の3人がこれからやろうとしてる練習だ。これからやるのは単純にスカイちゃんの限界を測ることらしい。私たちも去年の春先にある程度本気で模擬レースをしてたけど、今回はスカイちゃんに後先考えて大逃げしてとルックさんから言っているようだった。
「大逃げ、っていうとスズカ先輩みたいですね」
「だねぇ。ただ、スカイ君はおそらく、一番あのテの作戦は相性が悪いだろうね。この前のレースを見た限り」
「前の映像見る限りそうですよね」
逃げは逃げでもレースをコントロールするタイプのスカイちゃんはたぶんフィジカル自体は現状のところ、並み、というのがタキオンさんの見立てだった。
「ただ、今回の目的は彼女に“底”を完全に認識してもらうためだ。トレーナーくんの育成方針はもちろん憶えているだろう?」
「忘れるわけないじゃないですか」
強みをとことん尖らせるというのが我がチームの方針なわけで。そうなるとスカイちゃんの強みはやっぱり頭のキレだろうし、それを生かしての完全なレースコントロール。となると、まず一番知らなくちゃいけないのは――。
「なんでしたっけ、ことわざにありましたよね?敵を知り…」
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず。策士策に溺れることがないように、といったところだねぇ」
知らなくちゃいけないのは自分自身。スカイちゃんの強みを活かすために、まず必要なことなんだろうね。
「タキオーン!そろそろやるから!スタートお願い!」
「いいとも」
少し離れたところにいるルックさんから声がかかり、タキオンさんは声をかえしつつ頷いた。私も手を振っておく。笑顔で振ったらドーベル先輩は返してくれた。やさしい。
そうして、3人がコースに並んだところでタキオンさんが手を振り下ろしてスタートとなった。
「はーっ、はっ、はっ、ひゅー、ひゅー」
「ぅ……はぁっ、はっ、はぁっ、はぁ」
模擬レースが終わるとターフの上に倒れる黒毛と芦毛のウマ娘がいた。スカイちゃんは言わずもがな超オーバーペースで走ったせいだし、ルックさんは年齢からくるスタミナの低下でスカイちゃんと一緒に沈んでしまっていた。
「ふぅ……だ、大丈夫?二人とも」
このオーバーペースに絶対に付き合わないという練習だったドーベル先輩だけが無事だった。先輩に声をかけられた二人はルックさんがなんとか手を上げて反応したけど、スカイちゃんは反応をほとんど返せなかった。
「はぁっ〜……タキオン、どう、だった?」
「想定通りだよ、トレーナーくん。スタミナが切れるタイミングはね」
「現状、は、ね…ぁあ〜、どっこいしょ」
息がもう整ってきたのか、ルックさんが掛け声と共に立ち上がった。スカイちゃんも徐々に回復しつつあるのか、もぞもぞと動いていた。
「……スタミナが切れるタイミングを見てたの?」
その場であぐらをかいたスカイちゃんが聞くと、ルックさんは頷いた。
「もちろんそれだけじゃないけど、それも一つ。今回走ったのは1600mでずっとオーバーペースで走った結果……どれぐらいだった?」
「タイムがガクンと落ちたのは600m前後ぐらいです」
私が手に持っていた記録用の表計算ソフトの中の表を見ながら答える。
ちなみに、なんでそんなことがわかるのかと言えば、この記録している表にはルックさんが過去の色んなタイムを蓄積していて、タイムを入力すると自動的にそれらとの差が出るようになっているという優れものだから。今回はデビュー前の子の平均的なタイムとの比較をしたので一目瞭然だった。便利。
「600mかぁ……600m!?」
ドーベル先輩が驚いていた。デビュー前の、それも本格化成り立ての子が暴走するには長すぎる距離だった。私だって選抜レースで根性任せに暴走したのは300m強で、しかもレース終盤かつ実際にスタミナ自体が持ったのは150mぐらいだったと思う。あとは酸欠になりかけるぐらい気力だけでやってたし、そう考えればスカイちゃんのスタミナは目を見張るものがあると思った。
「やっぱり、思った通りだったよ。君はいい素地を持っているね、スタミナに」
「セイちゃんそんなに根性はないんだけどな〜」
「無茶してやっとな私と比べたらスカイちゃんはすごいと思いますよ」
私が素直に褒めるとスカイちゃんは少し目線を逸らして照れていた。もしかして人に褒められるのあんまり慣れてないのかな?
「うんうん。いい感じのデータが取れたことだし、決まりだね」
ルックさんはとても上機嫌だ。その姿に夫が重なる。
「セイウンスカイ、君のスタミナという武器はまさに君自身の走り方を支える根幹だ。レース中に頭を使うなんて行為は莫大な酸素を脳に注ぎ込んでスタミナを大きく削っていく。けれど、スタミナがあればあるほど、そこに余裕が生まれ、さらに君の頭の回転の速さも思考に無駄な酸素を使わせない」
「真正面からほめられるのちょっと恥ずかしいですなぁ」
「事実だからね。というわけで…当面君は持久力の強化に励んでもらうよ。スピード自体は元からあるからね」
にっこり、と言っていいルックさんの笑顔は何故だかとっても胡散臭く見えてしまった。
「くっ………!」
チーム・フラガラッハが使用しているものとは別の学園内の練習コースで、サイレンススズカは手を膝についてかなりの焦燥感に駆られていた。年末のホープフルステークスで感じた違和感。それは日に日に大きくなり、ついに今日ピークを迎えていた。
「はっ、はっ……スズカさん、大丈夫ですか!?」
併走相手を務めていたサクラチヨノオーも併走中に止まってしまったサイレンススズカが心配になりコースを戻ってくる。練習を中断してしまった二人に、当然ながらトレーナーは駆け寄り、練習を見学に来ていたスペシャルウィークも続いた。
「違和感はどうだい?」
「……はい。今までで、一番強く」
トレーナーはサイレンススズカを前にして、そう言った。サイレンススズカはそれに対し、一度姿勢を正して頷く。既にホープフルステークスで感じていた違和感はトレーナーとサクラチヨノオーに相談しており、経過観察という話になっていた。しかし、このような状況となればもはや経過観察どころではない。
「スズカさん…」
「スペちゃん。ごめんなさい。せっかく見にきてくれたのに」
「い、いいえ!そんな、こっちも大変な時に」
せっかくの見学を台無しにしてしまったと、サイレンススズカにしては珍しい謝罪にトレーナーは目頭を揉んだ。相当に心へのダメージが大きかったのだと、経過観察を伸ばしすぎたことは失敗だったと判断する。
「(様子を見すぎた。けれども、ここまで大きく歪みが出てきたということは…“始まった”かな)」
とはいえ、この状況を待っていたのは彼自身だった。
改めて彼はサイレンススズカの肢体を注視する。スラリとした体の線は昨年の春から変わっていないように見えるが、バランスは崩さずに各所の肉付きがよくなっていた。彼は触らずともウマ娘の筋肉の付き方がわかるタイプだ。
「スズカ。ホープフルの時はタイキシャトルみたいな走り方をしたら違和感が消えたんだよね?」
「はい。けど、あの走り方は」
「そこまで強く違和感が出たということは去年からやってた肉体改造がだいぶ進んだってことだよ。だから、これからはフォームの修正を行なっていくよ」
フォームの修正。薄々だがサイレンススズカも違和感の正体と、その消し方に予想はついていた。だが、ウマ娘のフォームの修正は――。
「トレーナーさん…!今からフォームの修正って」
サクラチヨノオーは身を以てその大変さを知っている上に、親友が大いに苦しんでフォームを変更したのを見ている。ウマ娘のフォームは通常の陸上選手とはワケが違う。ウマソウルからの影響を大きく受けて一番走りやすい…まさに“体に染み込んでいる”ようなものだ。ゆえに、そんな染み込んだもで一年走り切った状態からのフォーム変更は苦行と言っていいことを彼女は理解していた。
だが、トレーナーはサイレンススズカが首を横に振らないことを知っている。サイレンススズカは真っ直ぐ、彼の瞳を射抜く。
「わかりました。お願いします」
「お願いされた。出走スケジュールも変更するけど、いいかい?」
「かまいません。それで、スピードの向こう側が見れるのなら」
サイレンススズカの走る理由は至極単純。誰よりも先へ、誰よりにも前で、自分だけの先頭の景色を見続けること。そのために必要なことへの貪欲さは威圧感さえ伴う。スペシャルウィークは初めて見たサイレンススズカの凄まじいプレッシャーに身を縮めた。
「(けど、こんなスズカさんみたいに、強く、なりたい…!)」
それでも尚、憧れが膨らんでいく。
「(圧倒的なスピードを生み出す体に耐え切れるだけの足が出来た。だから今までのフォームではその力を持て余す。なら、もう遠慮をする必要はないんだ)」
トレーナーはストレッチをし直して再度走り始めようとしたサイレンススズカが向かうその先を幻視する。――秋。そこできっと、彼女は誰もがたどり着いたことがない景色、領域へとたどり着く、と。
スズカさんに強化フラグが立ちました。もっと速くなります(そもそもまだ領域すら出してません)
主人公チームへの追加は今の所セイちゃんだけになる、はず。